カーネーション 熱い思い

前週、ミシン見たさ、触りたさにパッチ屋に通い詰めた糸子。
お客さんとしてはちやほやされて優しくされていたのが、
実際に雇い人として中に入ってみると途端に態度を変える職人たち。
シビアだなあ・・・。
でも、シビアな現実をきちんと描くからこそ糸子の特異さが映える・・・というか
きちんとリアリティを保ちながら物語が成り立っていくんだなあ。
そんな糸子も想像していたのとは全く違う「仕事」の世界に戸惑います。
敬語やお茶を出す順番、ごはんを食べる順番。
学生の時には思いも寄らなかった決まり事がそこにはあって、
口答えも、いいわけも許してもらえません。
先輩たちの態度の変え方も情け容赦ないし、
先輩にきつい指導されて戸惑う糸子を大将も女将さんもかばったりはしません。
あれだけ糸子をかわいがり、糸子に働いてもらうことを切望していた大将なのに
初めての職場に戸惑う糸子を甘やかしたりはしない。
職人たちの決まり事、先輩から後輩への指導に割り込んで口出ししたりしない。
この辺の距離感の取り方は成熟した大人の世界だなあと思います。
この距離感の取り方がなあなあになってしまって、
変に特別扱いをしてしまうと、
職場の規律も乱してしまうし、新人をもつぶしてしまうことになりかねない。
それだけ、大将が糸子を働き手として信用し、買っていて、
ちゃんと育てようとしていたのだろうと思います。
実際に糸子が頭角を現してくると、それまでの慣習や前例を気にせずに
次のステップに進めてくれる。
そりゃあ、「自分の時はもっと時間がかかったのに!」と怒る先輩もいるけど
大半のメンバーは、あいつはできるからしゃあない、まあええわ、
と糸子を認めていく。
これも特別扱いと言えば特別扱いなんだけど、
本人の能力を示した後での特別扱いなので、周りも認めざるを得ないんですよね。
大将は実はすごく人材育成のマネジメントに長けている人なんじゃないかな。
とは言え、糸子は初めての仕事のしょっぱなにつまづいてしまいます。
前週、パッチ屋のお手伝いをして重宝がられて
勢いづいて家の手伝いをも買って出て、
自分が誰かの役に立って感謝してもらえる喜びを知った糸子。
これって労働の原点ですよね。
でも、実際に働き始めるとそうは巧くいかないもので。
仕事そのものもだし、職場での規律、社会常識、礼儀・・・
覚えなければならないことは山のようにあって、
先輩はそれらを一から丁寧に教えてくれるわけではない。
職人の世界は特にそうですね。
怒鳴られて怒られてなんぼの世界。
女学校を中退した女の子には厳しすぎる世界です。
自分でやると言い出した以上、家では空元気を見せる糸子ですが
おばあちゃんやお母ちゃんはお見通し。
おばあちゃんはおにぎりを持たせてくれます。
一番下っ端は一番最後にご飯を食べなければならなくて、
ほとんど何も食べられていないのをわかっていたのかな。
もしかしたらおばあちゃんも昔奉公していたことがあるのかもしれませんね。
下働きの辛さを知っていたのかも・・・。
そしてお母ちゃんは一包みの金平糖。
辛いときは陰に隠れてこっそり食べなさい、と。
辛いときには甘いもの・・・なんだかとってもお母ちゃんらしい。
でもその金平糖も、きっとお母ちゃんが思っていたよりもずっと早く消費され・・・。
陰に隠れて泣きながら金平糖を頬張る糸子のかわいらしいこと。
ある日糸子は風邪をひきますが、その日は棚卸の日だったため、
風邪をおして仕事に行きます。
学生の感覚では、もしくは子供のお手伝いの感覚では、
しんどいのにがんばって仕事してえらいなあ、なんです。
でも、仕事という場では違う。
ただでさえ役に立たない半人前が、体調不良で出てこられても迷惑でしかない。
ほんの少しの助けにもならなくて、逆に教えたり、注意したり、やり直したりする分
時間がとられてマイナスになる。
風邪がもし他の人にうつったら、働き手が減ってしまう。
職場の、大人の理屈。
それをそのまま口に出して言ってしまう先輩・・・。
でもね、「帰れ」に込められた
どうせ役に立たへんのやさかい、帰って寝とれというような
ちゃんと糸子の身体を気遣う思いもあったんだと思うんですよね。
そんな先輩を「言い過ぎやぞ」とたしなめるもう一人の先輩。
「ほんまのことは言うたらいかん」「ほんまのことは」
と、真実こそが人を傷つけるという真理を言っていて
お、こいつ、いいこと言うな・・・と一瞬思うのですが
やたらと繰り返すことで、お前が一番ひどいこと言ってるんちゃうん?!
と思わせてくすっとさせるのがこの脚本の巧いところ。
糸子はもともと新しい職場で心が疲れ果てていたところに身体が弱って
そこで放たれた「ほんまのこと」の矢に射抜かれて
緊張の糸が切れてしまいます。
土手で大泣きする糸子。
泣き疲れて家に帰ると、おばあちゃんにどんどん布団を掛けられて寝させられます。
そういえばうちのおばあちゃんもこんな感じで、
私が風邪をひくとやたらと布団をかぶせてたなあ・・・と懐かしく思い出されました。
昔の布団は重かったから、風邪で弱った身体にずっしりと重い布団はつらかったなあ。
そしてこの後が大好きなシーン。
私は初めてこのシーンを見たとき、なんだかすごくうれしかったんです。
一番しんどい時に、ちゃんと自分を見ていてくれる人がいる。
ちゃんとがんばっていることを評価してくれる人がいる。
それがどんなに嬉しいことか。
いつもぼんやりして頼りないお母ちゃんだけど、
子供のことをしっかり見ているんだなあ。
たぶん、私が心のどこかでそういうことを渇望しているんだと思う。
だからこそ、わざとらしくなく、こういう場面を描くドラマにぐっと心が惹かれるんだろうなあ、と思う。
ともあれ、このシーンから、お母ちゃんのことが大好きになったし、
このドラマは面白い、人の心の機微を描いたドラマだ、と
絶大な信頼を寄せるようになったきっかけの場面でした。
再々放送で改めて見ても、やっぱりぐっと来るんですよね。
弱った糸子がこれで一気にやる気を取り戻すのもよく分かる。
そして、再び自分に対する自信を取り戻した糸子は、見事に発想の転換をはかる。
社会人であれば、誰でも一度は経験することだと思うのですが、
仕事をやらされていると思っているうちは使い物になりません。
自分が任された仕事の持つ意味を自分で考えて、自分から動けるようにならなければ
一人前の働き手になんてなれない。
糸子が仕事をすることを許してからのお父ちゃんはずっと「勉強勉強」と言い続けて
そのことを糸子に教えていたんだけれど、糸子には馬耳東風。
けれど、糸子の気持ちが学生のお手伝い気分から職人の卵へと切り替わった途端、
意味を伴って糸子の耳に届くようになる。
この辺りのやりとりは軽妙で面白い。わくわくする。
糸子のナレーションで、今まで自分が(理不尽に)やらされていると思っていたことが
その仕事一つ一つに込められた意味を確認していく。
もしくはいじわると思えた先輩の言動の意味を考えていく。
そうして糸子は一人前の職人の階段を上り始める。
ただ、職人の修行に夢中になりすぎて、
自分が本当にやりたかったことを忘れてしまう。
なぜミシンが使いたかったのか。
ミシンで何を作りかたっかたのか。
その原点を思い出させてくれたのは、奈津。
それほど仲良くない、というよりも仲良しのシーンなんてほとんどない二人だけれど
こういう要所要所で互いに影響を与えるからこそ、
腐れ縁の幼なじみとして生涯関わり続けるんだよなあ。
あれほど憧れて大切だったおばあさまにもらったドレス。
自分が着るには小さすぎたドレスは誰にも着られないまま
タンスの中で色あせてしまった。
なのに奈津はいつの間にやら颯爽と洋服を着こなして岸和田の町を闊歩している。
とは言え奈津は流行に乗って洋服を着ているだけなんですけどね。
そして、糸子は洋服が着たいということが目標なのではなく、洋服を作りたい。
本当は奈津にライバル心を抱くのは完全にお門違い。
でも、洋服は自分が見つけて、自分が一番洋服に憧れていると思っている糸子は奈津が気にくわない。
だから自分も洋服に近づきたいのに、
片意地張ったお父ちゃんに洋服を作ることは禁じられたまま・・・。
そこで一計を案じて男性用のあっぱっぱを作って、
お父ちゃんに洋服のよさを知ってもらう作戦に。
生地選びからデザインもお父ちゃんのことを考えて一生懸命あっぱっぱを作る糸子。
考えてみたら、受け取り手の好みや使い良さを真剣に考えて誰かの為に作るというのはこれが初めて。
今までは妹たちに請われて作ってやったたとしても、
これほど真剣に相手のことを考えて作っていませんでしたものね。
このエピソードもまた糸子の洋服職人修行の一つになっていたんだなあ。
けれどお父ちゃんはあっぱっぱを見てもくれません。
お父ちゃんから「捨てておけ」と命令されたお母ちゃん。
糸子の腐心を知っているだけに捨てるに捨てられず店の商品の中に。
木は森に隠せということだったんでしょうか・・・。
お母ちゃんの隠し下手はこの頃からだったんだなあ。
そして、人から言われると自分の考えをひょいっと変えちゃうお父ちゃんもこの頃からだったんだなあ。
このお父ちゃんの性格は、年を重ねていく糸子にも受け継がれるんですよね。
ご機嫌さんであっぱっぱを着て町をウロウロするお父ちゃんのかわいらしいこと。
それが宣伝になって糸子の作る男の物のあっぱっぱは売れに売れます。
ここでお父ちゃんが初めて糸子を使って商売が(小さく)成功するという体験をする。
ただ、このまま一直線に進まないのがこの作品のいいところ。
このタイミングで不景気の波がパッチ店に襲いかかります。
大将は働きもので目端が利き仕事も速い糸子を買っていて
このまま雇い続けたいという気持ちがありながらも、
女であるということで、糸子を切ります。
男は生活があるからそう簡単に切れへん・・・という理屈。
糸子だってあまり芳しくない実家の家計を支えているのに・・・。
ようやく許されたパッチ屋修行から始まって、
そのパッチ屋から首を切られるまでが描かれたこの週。
途中ナレーションで2年ほど飛ばしたとは言え、
1週間で描かれたとは思えない密度の濃さと時間感覚。
普通ナレーションで「○○年が経ちました」と入ると
あっちゅう間という感覚がして、すっ飛ばされた感じがするのに、
「カーネーション」ではその感覚がほとんどなく、
物語の中で流れる時間の重さを感じながら体感しながら見られるんですよね。
それは描くべき場面と飛ばしてもよい場面がしっかりと見分けられていて、
描くべき場面では緻密に心の機微を拾い上げて描いているからなんだと思います。
糸子にとってパッチ屋修行の日々は、
最初、仕事は勉強なんだと気づくまでの日々が一番印象が強くって、
後は流れるように月日が過ぎてしまったように感じた。
その感覚を視聴者も同時に体感するからこそ、時間経過が自然なんですよね。
最後にパッチ屋の先輩が糸子を訪ねてくる。
糸子が男だったらこの人が首を切られていたであろう先輩。
そのことを自分でも自覚していて、
大将はあんたを残したかったんやで・・・と言わずにおれなかった。
一番下っ端の先輩で、糸子とは競い合って仕事を覚えた仲。
だからこそ最後まで決して仲良いとは言えなかった先輩。
その先輩から、大将の本心を聞いて、ほんの少し誇らしげな糸子の
繊細な表情が素晴らしい。
お母ちゃんに自分の頑張りを認めてもらうことで回り始めたパッチ屋修行の日々。
一番仲の悪かった先輩から自分の働きを認めてもらうことで、
パッチ屋修行に終止符を打って、次の一歩に進めるんですね。
「認めてもらう」ということに重きを置かれたこの週。
お母ちゃんの見当違いの勘違いもかわいらしかった。
糸子にはまだまだ乙女心はわかりません。
糸子が恋を知るのは、もっともっとずっと先。

カーネーション 運命を開く

「運命を開く」いいサブタイトルですよねえ。
カーネーションの週ごとのタイトルは花言葉から取っているそうですが
第2週目にして「運命を開く」とは
なんともでっかくて力強いタイトルではありませんか。
いよいよ本役尾野さんが活躍し始める第2週。
尾野さんの実年齢を忘れてしまうほど、
この週の糸子は軽やかに走ったり、嬉しくて飛び跳ねたり、怒ったり、泣いたり・・・。
お父ちゃんに仕事することを許されて畳の上で手足パタパタさせる姿のなんと愛らしいこと!
全身から生命力を溢れさせていて、可能性に満ちていて
これが演技で醸し出しているんだから、役者さんというのはすごいものだと改めて思います。
何でも一直線の糸子はあっぱっぱ作りに夢中。
夜、裁縫が面白くてなかなか寝ない糸子におばあちゃんがお小言。
後の展開を知っていると、ニヤニヤしてしまうシーン。
繰り返しが本当に上手いドラマなんだよなあ。
でも、商売が上手くいかなくてイライラしているお父ちゃんに
あっぱっぱ作りは禁止されてしまう。
そんな折り、糸子はミシンに出会う。
「ミシンはうちのだんじりやあ」
のぶっとんだ表現、始めた見たときは驚いたなあ。
第1話の歌といい、この「ミシンは楽車やあ」のシーンといい、
時々こういう思いもよらないシーンをぶっ込んでくるんですよねえ。
他のシーンと全くトーンが違うので、
初めて見たときは、このドラマどうなっていくんや・・・と思ったっけ。
でも、再放送前に放送された「カーネーション同窓会」では
このシーンが人気だったんですよね・・・。
わからないもんです。
ただ、それほどミシンとの出会いが糸子にとって衝撃的なものだっていうことは
とてもとても強く伝わったシーンでした。
感情表現豊かな糸子に魅せられたこの週でしたが、
お父ちゃんの切なさもものすごく描かれた週だったんですよね。
なかなか商売がうまくいかない。
着物が売れない。
奈津のお父ちゃんにも陰でばかにされている。
時代はなんとなく不景気で、少しずつ洋物が増えていっている。
なんとなくなんとなく時代に取り残されつつあるのは感じている中で、
大きな商機が舞い込んでくる。
けれどもその商機をつかむことができない。
商品を仕入れる金を工面することができない。
気まずいのを押して嫁の父親に借金を申し出ても断られる。
それどころかおまえには商才がないから商売はやめろ、
仕事は面倒みてやるから嫁と娘は引き渡せと言われる。
男としてこれほど悔しいことがあるだろうか。
男としてまだまだこれからや! と思えるくらい若かったら、
義父に言い返すこともできたのでしょうが、
お父ちゃんは言い返すこともできないまま、
お金も借りることができないまま、
引き下がってしまう。
神戸のおじいちゃんの言いなりにならなかったのは
お父ちゃんの最後の矜持だったんだろうな。
だけど、商売人として最後の引導を渡されてしまったお父ちゃんは
この後、糸子が店を継ぐまでの数年間うだうだとしながら
それでもあれだけ潔い決断ができたのは
この時にもう現役の商売人としてのお父ちゃんは終わってしまったからだと思う。
下手なりに商売が大好きだったお父ちゃん。
商売人だもん、今はうだつがあがらなくても、
いつか一発大きな商いをしてもうけてやるぞ
という野心は持っていたんだろうと思う。
子供の頃、いつか楽車の大工方になってやるぞと思いながら
実際に大人になってみると大工方にはなれない自分がいて、
それを少しずつ受け入れて年をとったように、
若い頃、いつかこの商売で大儲けしてみせるぞと描いた夢は
自分のものにはならなかった。
生きると言うことは、そうした運命を受け入れていくことだ。
おじいちゃんちの庭で、まだまだ何者でもない可能性の固まりのような子供たちが
はしゃいで遊んでいるのを眺めている善作さんの目のなんと切ないこと。
このシーンはわずか第2週目で出ていたんだなあ・・・と思うと
この作品の密度の濃さに改めて驚いてしまいます。
糸子の大泣きのシーンもこの週だったんですよねえ。
(結構大泣きはいっぱいしてるんですけど、喧嘩してからの大泣き)
尾野糸子の撮入シーンだったという、勘助をいじめていた男の子たちに喧嘩を売るシーン。
「小原糸子じゃああああっ」
と叫びながら飛びかかるシーンは、本放送放送前の予告で何度も使われていましたっけ。
こうやって再放送で改めて見返すと、
この喧嘩のシーンは前週(つまり子供時代)の喧嘩と対になっているということがよく分かる。
女だてらに喧嘩を買ってしまって、
真正面からぶつかるも結局は男女の力の差を見せつけられて終わる。
つまりは小学校から女学校にあがっても、
糸子の本質的な部分はちっとも変わっていないっていうこと。
大きく変わったのはお父ちゃん。
まだまだ現役で気力も体力も充実していたお父ちゃんは、
糸子が喧嘩して帰って着たときには大人の男の力を見せつけて叱りつけた。
けれども、今のお父ちゃんはそれほどの気力はなく、
悔しいと泣く糸子の様子を、階段からそっとうかがっているだけ。
女やから楽車にものれへん、女やから何にもできひん
と泣く糸子の辛さは、
自分の人生の夢・・・というか野望に終止符を打たざるを得ない善作さんに
深く響いたに違いありません。
最初にこのドラマを見たときは、ひたすら糸子の気持ちを追っかけていたんだけど、
改めて見ると善作さんの切なさを強く感じてしまいました。
お母ちゃんも、実は最初見ていた時は、
お父ちゃんの言いなりになる大人しくて昔ながらの女性・・・かなあと思っていました。
この辺までは。
後にだんだんこの認識は変わっていくんですけど。
でも、この段階では旦那の言いなりに実家にお金を無心に行くし
旦那が糸子に手を出しても止めるでもなく
(止めているのはおばあちゃん)
妹たちをかばいながら見ているだけ・・・。
でも、改めて見ると、このお母ちゃんの人物造形、かなりおもしろいですよね。
お金の無心に行ってもらったことに善作さんなりに気を使って
おばあちゃんに善哉作らせていたのを
平気で「実家で甘いもん食べ過ぎましてん」
と断る無神経さとか、
お金の無心に失敗して来たことにたいして何とも思っていなくって
無邪気に母親からもらった鼈甲の髪飾りを善作さんに見せたり・・・。
お金に苦労せずに育った人らしい大らかさと無神経さ
その一方で子供をとっても愛している愛情深い人であることもわかる。
この愛情の深さが、単に愛着というものではなく
もっとしっかりした芯の強さと観察によって裏付けされたものだと気がつくのは
次週だったんですよね。
この次の週を見て、私はお母ちゃんのイメージが大きく変わって、
大好きな登場人物の一人になったんだよなあ。
そして、そのシーンを見てから、この作品そのものに対する信頼感がぐっと増したんです。
どうかな? おもしろいかな? と探りながら見ていたのが、
一気に心をつかまれた。
再放送では月から金で、1日に2話放送するから、週の感覚が狂うんだけど
(現時点で次週分が2話放送されている)
区切りが週(6話分)でつけられているから、その区切りを尊重して。
次週「熱い思い」楽しみです。




月曜日 amazarashi

本当は「地方都市のメメント・モリ」の感想も書きたいのですが
上手くかけないまま数ヶ月・・・。
でもこのalbumは大好きなのでいつか感想をちゃんと書きたいと思っています。
とかなんとか言っているうちに、「月曜日」が配信されました。
Youtubeで検索してもらえればフルバージョンでMVが見られますので
少しでも気になった人は是非是非見てもらいたいなあと思います。
もともと、「メメント・モリ」のアルバムが出てまもなくの頃、
秋田日記で秋田さんが東京に行ってレコーディングをしたようなことを書かれていたので
とてもとても期待していたんですよね。
書きぶりからいって、アルバムやミニアルバムではなさそうな感じ。
レコーディング期間が短そうだったし。
それに「メメント・モリ」からすぐだったので
戦略的にもアルバムやミニアルバムはなさそう・・・。
とすれば、シングルか?
この時期のシングルレコーディングだとすれば、春から始まるドラマかアニメのタイアップ?
それとも映画なのかな。
何にしろ楽しみで楽しみで、ドキドキしながら公式の発表を待っていました。
で、発表されたのが、マンガ「月曜日の友達」とのタイアップ。
ほんと、申し訳ないのですが、ちょっとがっかりしたんですよね。
去年、ゲーム→ドラマ→アニメ→CMとタイアップがあって
それに引き続いてのタイアップと言うことで
ここで畳みかけるように仕掛けて認知度をあげようとしているのかなって思っていたので、
マンガ? マンガのタイアップって何?
アニメじゃないんだよね?
と頭の中をぐるぐる。
アニメ化されてのタイアップならわかるんだけど、
マンガのタイアップで曲を提供って聞いたことなくて・・・。
ドラマやアニメと比べたら拡散度はぐっと下がりますよね・・・。
そうかあ・・・ドラマやアニメじゃないんだ・・・とがっかり。
でも、いろいろググッて見たらマンガファンの中で評価が高い漫画家さんみたいだし、
とりあえずマンガそのものを読んでみることに。
そしたら、面白かったんですよ、このマンガ。
中学生の何気ない日常を描いているんだけれど、
もう忘れてしまっていたようなあの頃の日常の襞というか
空気観みたいなものを肌感覚としてリアルに思い出すようなマンガで。
なんといっても表現が小説っぽくてかなり言葉に重きを置いているタイプのマンガでした。
情景描写も絵に頼らずに言葉でも表現していたり、
心理描写の表現もどこか文学的で、
小説の地の文をマンガに入れ込んだようなタイプのマンガ。
そして、この言葉選びというか表現の感覚はとても秋田さんに近いなと思いました。
もともと作者の方がamazarashiが好きで、既存の楽曲を使わせてほしいという依頼だったそうなのですが
原作を読んだ秋田さんがいたく感動して、既存の曲ではなく
新しい曲を書き下ろす・・・ということになったそう。
そのせいなのか、この「月曜日」という曲はamazarashiには珍しく
タイアップ作品に完全に寄り添った曲になっている。
「季節・・・」にしろ「命にふさわしい」にしろ「空に歌えば」にしろ、
今までamazarashiがタイアップで歌ってきた曲はみんな
タイアップ先の作品の世界観に近かったり通じる何かがあったりはするものの、
タイアップ作品とは全く別物なんですよね。
MVで寄せていることはあっても、曲そのものは全く別物。
でも、「月曜日」は完全に「月曜日の友達」の世界なんです。
歌詞を構成するパーツの多くが原作から取られている。
これだけがっつり作品世界を取り込むというのは
秋田さんには珍しいこと。
でもちゃんと単独で聞けばamazarashiの曲になっている。
たぶんなにも知らずに初めてこの曲を聞いたら
amazarashiの曲として何の違和感も感じなかったと思う。
ちょと場面設定が若めかな・・・とは思うかもしれないけれど。
でも原作をしっていたらフレーズの多くが
マンガの場面に由来することがわかる。
原作との距離感が絶妙で驚いてしまった。
外から借りてきた要素でこれだけ自分の表現ができることに驚いたし
それが原作の解釈を決して狭めたり固定したりするような干渉はせずに
見事に膨らませていることにも驚いたんです。
でも、もっと驚いたのはMVです。
こちらも原作との距離感があまりにも絶妙で
音楽とマンガという全く畑違いの媒体を、
映像という枠の中で見事に融合させたなあとびっくりしてしまった。
見終わった後、曲のMVとしても秀逸だし、
マンガのプロモーションとしても、
よくできた映画の予告のようなわくわく感があるんですよね。
基本的にマンガの場面が切り取られ、
その中に歌詞の一部がデザイン的に挿入される。
この辺の文字表現の豊かさはamazarashiのMVならではだなあと思います。
曲を聞きながら、マンガのコマを追いながら、歌詞を目で追うという感じ。
そして時折原作のフレーズが挟み込まれる。
マンガだから音はないんですよ。
字だけ。
映画だったら台詞だから、音声だから、
その台詞の間一瞬音楽はバックに下がりますよね。
でも、文字だけだから音楽は変わらず前面に出たまま
頭の中で文字が台詞化される。
この音楽とマンガが一体となった不思議な感覚はMVを見てもらえばわかります。
2番からはシルエットで描かれた秋田さんがマンガの世界の中に入り込んで歌うんですよね。
これも面白い。
最初、マンガのタイアップ曲ってなんなん?
って思ってしまったけれど、このMVを見たらそれはすごく面白いチャレンジだったなあと思うのです。
タイアップのみを目的としたような、いまいち作品とシンクロしていない主題歌を歌うんだったら
こういう風に誰かから熱烈に恋われた作品に曲をつける方がよっぽど面白いよな、と思うし、
こういう仕事を選んでくるamazarashiもすごくamazarashiらしいなって思う。
マンガと音楽がお互いに豊かに作品世界を膨らませあう素敵なMVになっていますので
興味を持たれた方は是非YouTubeで「月曜日の友達」で検索してみてください。

posted by HaHa at 02:25Comment(0)音楽