地震とライブ

地震、びっくりしましまたね。
北大阪近辺にお住まいのみなさん、大丈夫でしたか?
うちは京都ですが大阪に近いので結構揺れました。
私は結婚後この町に住んでいるのですが、
以前から住んでいる人の話だと阪神淡路の時より揺れたとか。
まあ、あの時は震源地が今回よりも遠かったですものね。
今回の方が圧倒的に震源地が近くて、しかもしっかりと起きている時だったので
揺れの印象がより強かったのかもしれません。
うちの被害は食器棚のガラス食器が割れた程度。
扉は開かなかったのですが、中でガラス食器だけは激しく動いたようで
数が半減してしまいました。
扉を開けるとがちゃがちゃっと落ちてきてもっと被害が広がりそうで
ドキドキしながら片づけました。
何故か長男が異常に張り切って片づけを手伝ってくれて、
彼のテッパンの指揮のもと、無事に被害を広げることなく片づけられました。
そんな長男も、出勤中に揺れに会い、そのまま電車がそこで停車。
鉄オタの推察力で電車はなかなか動かないとふんで会社に連絡して休みをとって、
そのままChiChiの仕事場まで歩いたそうです。
幸いなことに、電車の停止した場所からChiChiの仕事場までは一駅程度。
なかなか適切な判断でした。
私とChiChiはまさに家を出る直前。
いつも朝はChiChiに職場まで車に乗せてもらっているので、
ChiChiは車で待機中、私はまさに出ようとしている時でした。
とりあえずぱっと様子を見渡しとところ、
家の中のものはかなり散乱していたけれど、
食器棚や本棚が倒れる・・・というほどではなかったので
そのまま出勤。
同じく家にいた次男も、とりあえず登校。
会社に行ってみると、会社のある所はもっと震源地から離れているので、
「怖かったねえ」
「どうでした?」
と声は掛け合うものの、仕事は平常通り・・・。
余震もあったし、家も心配だし、刻々と状況を知らせてくるLINEの家族グループの様子は気にかかるし・・・
で気持ちは終始そわそわ・・・。
結局、次男は通学に使っている鉄道が動かなくて自宅待機。
そのまま学校から休校の案内が来たらしい。
長男は無事ChiChiの仕事場に到着。
ChiChiのもとにChiChiの実家が大変なので手伝ってという連絡が入っていたらしく
長男とChiChiは合流すると車でChiChiの実家へ。
次男は休校と知るやいなや、
「家で一人でいるの怖いし」という言い訳のもと、
友達んちに行ってゲーム三昧だったらしい。
私は電話が通じにくい以外はほぼ通常業務だったんだけど
(あ、お客様にお茶を出すときに食器入れを不用意にあけて
雪崩落ちてきた夏用のコップを2個割ってしまったっけ・・・。
道路はあちこちで渋滞がおきていたので現場は大変だったみたい)
とにかく帰ろうにも電車が完全にストップしてしまっていて、
ちょっとやそっとでは動きそうになかったので途方に暮れていたら
ChiChiが迎えに来てくれるというので、
理由を話して早退させてもらった。
帰りに水を確保しとこうと思ったらすでに売り切れでちょっとびびった。
車で帰っている間に給水車が出ているのも見かけたし、
気分はものすごく被災者だったんだけど、
実際の被害はたいしたことありませんでした。
ガスも「止まってる!!」とちょっと焦ったけど、
大阪ガスのホームページ見て復旧したら簡単に出るようになったし。
でもガスや水が止まっている地域の方も多いし、
亡くなられた方もいるし、
とにかく交通網はかなり麻痺して大変だったしで、
やはり地震は怖いなあと改めて思いました。
余震怖い・・・。
とりあえずこの地震騒動が収まったら家具をちゃんと固定しようと思いました。
地震なめてた・・・。
実は地震の一日前の日曜日は、amazarashiの大阪追加公演に行っていました。
家族四人揃って。
ここ数回、長男は単独でチケットを取るようになったので
私は次男を連れて参戦していて、
なんだかんだ言ってamazarashiライブの日は3人揃ってライブに行ってしまうので
ChiChiが一人寂しそうだったんですよね。
でもまあ、amazarashiは好き嫌いがはっきり分かれるから無理に誘うのもなあ・・・と思っていたのですが
前回のZepOsakaBaysideの時にライブ終わりに合流してあんまり寂しそうだったので
「行く?」
って聞いてみたところ、「行く」というので、
追加公演の申し込みを一緒にしたのです。
というわけで、今回初めての家族揃ってのamazarashiライブ。
しかもNHK大阪ホールに行くのも初めてだったので、かなり気分が高ぶっていて。
(朝ドラのセット見学にNHK大阪に行ったことは何度もあるのですが、
ホールの方は初めてでした)
そんでもって、今回の「地方都市のメメント・モリ」ツアーのセトリが本当に好きで、
というか「地方都市のメメント・モリ」のアルバム収録曲好きで、
ライブもすごくよくて、
その余韻というか、非日常感覚がまだ抜けきらないまま月曜の朝を迎えて、
そしたら、たまたまテレビつけたら「めざましテレビ」でamazarashiやってて。
(その前の週のオリコン週間ランキングの(DVD・Blu-ray部門)1位だったのでその関係)
もろもろで気分がすごくamazarashiでライブの非現実感と現実の狭間をふわふわしていた時の地震。
いやあ・・・本当にびっくりしました。
非現実から現実に戻りきらないまま違う種類の非日常に放り込まれたみたいで。
そして、蘇る前夜の秋田さんのMC。
うろ覚えなんだけど、
「年々怖くなることが増えて、こうしてツアーを無事にできることも奇蹟なんだと思うようになって・・・云々」
そして、ライブ終わりの
「生きて、また会いましょう」
これは昨年のライブがアクシデント続きで大変だったことを言っていたんだけど、
改めて、無事に大阪公演が終わって最後まで満喫できたことに感謝しました。
ライブのチケット取って、楽しみにその日を待って、ライブを楽しむ。
当たり前に思えたその流れも、やっぱり奇蹟なんだな。
もし、地震が一日前に起こっていたら、
ライブは中止になっていたかもしれない。
実際に地震当日予定されていたいくつかのイベントは中止になっていたし。
中止になっていなかったとしても、行けなかったかもしれない。
うちの周りの公共交通機関全部動かなかったし。
そう思うと、あの日、NHK大阪ホールでamazarashiのライブが見られたことは
それだけで奇蹟のように尊いできごとだったんだなあと思う。
今こうして電気のついた家で、こうやってブログ書いていることも
決して当たり前のことじゃない。
そんなことをしみじみ感じたこの1週間でした。
秋田さんやサポートメンバーのみなさん、スタッフのみなさんは
ライブの後大阪に泊まりだったらしく、
ホテルの11階で地震をにあわれたらしいです。
さぞ怖かったことでしょう・・・。
大阪来てもらって、怖い目にあわせてしまって
なんか申し訳ない気分。
無事に帰れたかなあ・・・新幹線止まってるしなあ・・・
秋田さんは青森だから飛行機かなあ、
飛行機なら空港がやられてない限り飛ぶかな。
最悪伊丹空港は無理でも、関空は大丈夫だろうし。
でも空港まで行けるのかなあ・・・。
と心配していたのですが、
ドラムの橋谷田さんとスタッフさんが連携して情報発信してくださって
秋田さんが無事に青森にたどり着いたことが分かりました。
橋谷田さんは大阪でもう一泊されたらしく、
淀川を歩いて渡ったそうな・・・。
その夜も大きめの余震があったのでさぞ怖い目をされたろうなあ・・・。
でも翌日大好きなサッカーの試合前に無事におうちにたどり着けたそうです。
よかったよかった。

ライブの中身についてはまた改めて感想書きたいな。
ライブ以降、厳密に言えば4月に行ったライブ以降、
amazarashi沼にどっぷりはまっています。
ここまで綾野君の活動があまりなかったせいもあるのですが。
来週から綾野君の番宣ラッシュも始まるし、
いよいよ「パンク侍」も公開されるからまた綾野沼に戻ると思うんだけど、
amazarashi沼にはまっている今もとっても心地いいので
もうしばらく続くような気がします。
ああ、武道館行きたいよお。

んでもって、先週は綾野君関連の雑誌発売がいっぱいあったんだけど、
木曜に長男に買いに行ってもらったら売り切れだった・・・。
この辺で一番大きな本屋さんだったのに。
金曜に違う本屋さんに行ってもらったらそこもダメ。
え? 「CUT」や「キネマ旬報」ってお店によっては平積している雑誌じゃないの?
そんなに特殊な雑誌じゃないし。
少なくとも今までだったら、発売した週末に本屋さんに行けば
たいてい手に入ってたのに!
迂闊だった。
ちょっとその辺の雑誌買っていない間に、雑誌の状況が大きく変わったのかな。
そういえば、去年末に出たamaarashiが載ってる雑誌も発売週の週末に行き損ねたら
もう売り切れてたもんな。
あの時はカレンダーが付録で付いていたから売れ行きがよかったのかなあ・・・
って思っていたんだけど、書店に置いている部数が減っているのかもな。
そう言えば、数年前に好んで読んでいた若手の役者のインタビューが載っているような雑誌、
書店の棚からずいぶん減ってしまったような気がする。
読みたい雑誌があるときは、もっと必死に手に入れようとしないといけない時代になったんだなあって思った今日この頃。

2017年の終わりに

まだ最終回の感想も書いていないのですが、
とりあえず今年のまとめ。
2017年もいよいよ過ぎ去って行きますね。
今年は年末にインフルエンザにかかってしまいまして、
受験生を持つ親として大失態。
年末やろうとしていた大掃除も年賀状も買い出しもお正月準備も
すべてうっちゃってずっと寝込んでいました。
仕事も最後の最後で休んじゃったのでもうさんざんな年末。
我が家の年末は主人の実家でみんなで「こんな歌手知らんなあ」って言い合いながら紅白見て
終わったらそのまま初詣に・・・という流れなんですけど、
今は一人で紅白見ながらこれ書いてます。
みんなは主人の実家に・・・
というか、そうしてくれないと居間でこれ書きながらテレビ見られない
(うつすから)
今回のインフルエンザしんどかったあ・・・。
早めに病院行ってタミフル飲んだんだけど、
3日間はしっかり寝込みました。
タミフル効いたら年賀状くらいはなんとかできるかも・・・
なんて考えていた私がバカだった・・・。
インフルはしんどいです。
子供からもらうときは看病しつつだからそんなにしんどいイメージなかったんだけど
十年ぶりくらいに単独でひいてしまって大ショック。
こんな年末の忙しい時期にばかばかばか~って思っていたら
竹内涼真くんもインフルって情報が流れてきて、
ああ、この時期に寝込んでいるの私だけじゃない・・・
とちょっと嬉しくなりました。
でも竹内くんはインフルのおかげでなんかの表彰式出られなかったんですよね。
・・・かわいそうに・・・。
寝込んでいてよかったのは、見たいけどリアルタイムで見られないだろうなあ
と思っていた大河の総集編と、「逃げ恥」の再放送が見られたこと。
それから、たまたま前から気になっていた「昆虫大好き」も見られた!
大河の総集編は、総集編でものすごくあらすじなのに、
これは名作だなあと改めて思いました。
・・・感想、書けるかな。書きたいな。
大好きな大河でした。
そして、ずっと見たいと思っていたタイプの大河でした。
久々に長尺で描かれるドラマの面白さを強烈に感じたドラマでした。
「逃げ恥」は関西では31日の放送分は2話分だけだったんだけど
それでも脚本家の野木さんの解説ツイート読みながらの鑑賞おもしろかった。
やっぱりこのドラマ好きだなあ。
野木さんは関東ペースでツイートされているのでちょっとずれるんですけどね。
思わず録画してあるDVD持ってきて続き見ようかと思ったんだけど
私抜きで大掃除してくれている家族の横でそれもしにくくておとなしくしてました。
「昆虫大好き」は聞きしに勝る香川さんの昆虫好きにちょっとひきました。
いや、正統なおたく魂に感嘆いたしました。

さて、2017年を振り返ってみると、
個人的にはいいことも悪いこともあって、
最終的な印象としてはしんどい年でした。
家族的には、今年から長男が働き始めて、
幸いなことに職場の人たちにも恵まれてなんとかうまくスタートを切れたことが
一番嬉しいことでした。
次男は来年早々に受験です。
こっちではずっといろいろもやもやさせられましたが、
とりあえず目標校も決まりそこに向かってがんばろうとしているところ。
(だからこの時期に親がインフルになってる場合じゃないのに!!)
反省点としては、自分の気持ちがずっと日常のことで落ち着かなかったこともあって
なかなかブログが更新できなかったこと。
これがまたストレスになっての悪循環でした。
来年はなんとか時間を巧く工面してもっと書くぞ。
たぶん、何かをちゃんと自分から出す方がメンタル的にも安定すると思うんだよね。

というわけで、今年の綾野くん。
公開された出演映画数こそ去年に比べれば少なかったんですけど、
ドラマを2本もやってくれたので、半年間毎週新しい姿が見られるという
幸福な1年間でした。
一年間に連続ドラマ2本なんて、何年ぶりだろう・・・。
しかもどちらも主演で・・・なんて、思いもしない幸せな一年でした。
どっちのドラマも大好きでそういう意味でも幸せだったあ。
好きな俳優さんが出ているから必ず好きな作品とは限りませんもんね。
まあ、綾野くんの場合はそうなる率が格段に高いのですが。
「コウノドリ」は世間にも好評で、視聴率もちゃんとあって反応もよくて、もうすっかり綾野くんの代表作といった様子。
綾野くんの作品に向かう際の真摯さがきちんと伝わった作品が
第2期になっても同じように、いや、ある意味前回以上に世間に受け入れられたのが
とても嬉しかった。
一方視聴率的に苦戦して、あまり話題にはならなかった「フランケンシュタインの恋」ですが
私はこの作品も大好きでした。
「コウノドリ」とは違うテイストの優しさがあって。
どちらも「優しい」綾野くんなんだけど、
研さんとサクラ先生の佇まいの差がきちんとあって、
微妙にトーンの違う「優しさ」を自宅でじっくりと楽しめたのは嬉しかった。
「フランケンシュタイン」はオーディオコメンタリィを配信してくれたのもすごく楽しかった。

一方映画ではアクションものの多い一年でした。
「新宿スワン2」に始まって「武曲」「亜人」。
みんなそれぞれ違うアクション(肉体表現)を見せてくれました。
特に「武曲」は「フランケンシュタインの恋」と、
「亜人」は「コウノドリ2」と公開時期が重なっていて、
ドラマで見せるのとは真逆の綾野剛の一面を見せつけてくれました。
「武曲」は公開規模は小さかったけれど大好きな作品でした。
激しいんだけれど、ある意味とても人間くさい役で、
人間の心の闇というか荒々しい部分をそのまま身体の動きとして表現したような
感情の発露のような表現がとても印象的で痛々しくて、
アクション系の作品でこういうタイプのものは少なかった気がするので
とても印象に残る作品でした。
賞向きの作品だと思ったんだけどあんまり注目されなかったのが残念。
海外ではちょこちょこ賞取ってたんですけどね。
「亜人」では「武曲」とはまた違った
感情の入らない超人的な動きを見せてくれました。
こちらは今までのアクション系の役の真骨頂!
かっこよかったあ・・・。
どう考えても悪い奴なんですけど、とても魅力的な悪役で、
動きがとにかく切れっ切れで。
そんでもって原作にはないちょっとした切なさもあって。
「るろうに剣心」の時にちょっと物足りなく感じた
佐藤健くんとのアクションもたっぷり見られたし、
満足満足の作品でした。
ああ、そう言えば「ラストレシピ」の感想も書けてないや。
見かけは「武曲」の研吾そのままなのに
この映画ではちょっと見かけやんちゃだけど心優しい幼なじみにしか見えなくて
原作よりもぐっと前に引き出してもらえた人物でもあって、
見終わったあとほんわかと暖かい気持ちになりました。
今年は本当にドラマも映画も見応えのある作品が多かったなあ。
ただ、今年ドラマが多かった分、来年公開が発表されている映画がなくて
(なかったですよね、たしか)
ファンになってから来年見られる作品の見当が全くつかない
という年がなかったのでちょっとビビっています。
きっと1本は待機作があるんだと思うんだけど・・・。
でもこの沈黙が、大きな作品を控えてのことだと信じて来年を待つことにます。
個人的には久々にNHKかWOWWOWでドラマに出て欲しいなあ。
できれば主役級で・・・。
なんて、ね。
でも、大抵は予想の斜め上の思いがけない作品が出てくるので
それを楽しみに待ちたいと思います。

さてさて、もう一つ追っかけているamazarashiさんの方は、
これまたとても密度の濃い一年でした。
多分、ファンになって最大にいろいろあった年でしたね。
私自身はメッセージボトルツアーの大阪に1回参加して、
とりあえずリリースされた作品は息子と手分けして買う・・・くらいだったんだけど、
amazarashiの活動としてはもう盛りだくさん。
まず、リリースだけでも
シングル2枚「命にふさわしい」「空に歌えば」に
初のベスト「メッセージボトル」
映像作品では360°LIVE 「虚無病」
フルアルバム「地方都市のメメント・モリ」
それに加えてアジカンのトリビュートalbumにも1曲提供。
ライブはツアーとしてはメッセージボトルツアーと、
サマソニ、CDJ17/18、それから弾き語りの「理論武装解除」
とまあ、1年を通じて多いと言えば多かったんだけど、
それ以上に中止&延期が2回もあって、
なんかずっとメッセージボトルツアーをやってた感じがする。
中断を聞いたときは本当に心配したけれど、
一つ一つ残りのツアーを、そして追加公演をこなして
確実に強くなった感じがします。
それまではamazarashiを構成する要素が多すぎて、
それらの一つでもダメになったらamazarashiがダメになっちゃうんじゃないかって
そんな気がしていたんだけれど、
いやいやamazarashiは思っていた以上に強かった!
その不安は、「メッセージボトル」というベストalbumを出して
今までのamazarashiの方向性に一区切りつけえようとしているのかなあっていう時期だったから
尚更感じたのかもしれない。
流れ的にも青森での凱旋初LIVEがあったりしたし。
でも、シングル「空に歌えば」がそれまでと違う流れを切り開くような曲で、
この曲を含んでリリースされた「地方都市のメメント・モリ」というalbumが素晴らしくて、
ああ、amazarashiは「認められたい」というこれまでの大きな方向性を越えて
より深化させてこの不条理な世の中を、そこを生きる自分を捉えようとしているんだなあ
と感じられて、本当にわくわくしています。
2017年は今はamazarashiにとって大きな区切りに見えるかもしれないけれど
きっとこれからずっとamazarashiが活動を続けていけば
地層の変わり目にすぎないようなそんな年になるのではないかなと思います。
amazarashiは大丈夫。そんなに簡単に燃え尽きたりしない。
これからも歌い続けてくれる・・・そんな思いを強くした1年でした。
来年はAimerとのツーマンアジアツアーを皮切りに、
「地方都市のメメント・モリ」ツアーも発表されていて、
なんか急に働き者になっていませんか? 秋田さん。
ファンとしては嬉しい限り。
とりあえず大阪のチケットは押さえてあります。
無事高校生になった次男と行けますように。
(受からんかったら連れて行ってやらん!)

そんなこんなの2017年ももう終わりです。
このブログに訪れて下さった方、本当にありがとうございます。
今年は本当に更新できなくて自分でももどかしかったのですが
もし、また気が向けば、訪れていただければありがたいと思います。

ファイナルファンタジーXV(ネタバレあり)

この記事はネタバレありで書いていきます。

私が途中でついついネタバレを読んでしまってちょっと後悔したので、

ゲームやるぞ、楽しむぞ! と思っている人はとりあえずストーリー部分は

何も知らないままやるほうが絶対面白いと思います。

ラストのあれやこれやでの感動が違う。

ネタバレや他の人はどう感じたかって言うのはその後で十分。

たぶん、いろいろ疑問がいっぱいで、

他の人の意見を見てみたくなると思いますが・・・(^_^;)

一つだけ言えるのは、プロンプトの写真はできるだけアルバムに入れておいた方がいいです。

そんでもって終盤は真面目に1枚選んだ方がいいです。

ここでふざけちゃうとラストが目も当てられないことに・・・。

では、本編の感想を。















キングスクレイブ、結局映画館に1回しか見に行かなくて、

結構、舞台設定とか難しい話だったのであんまり分かってなかったんです。

話の大筋くらいしか追えてなかった。

それでも重厚感のある戦闘シーンと、

王が命がけでルナフレーナに指輪を託したその重さと、

ヒロインのルナフレーナがお姫様にも関わらずずいぶんと勇敢でがんばっていたので

てっきりあのトーンで始まるゲームだと思っていたんですよね。

早々にルナフレーナが主人公達と合流してパーティの一員として活躍して

最終的にあのにっくき帝国軍ニフルハイムをやっつけるんだろうなあと思ってたんですけど、

冒頭が緊張感も何も無い青年達ののーんびりしたやり取りで始まって

拍子抜けしました。

え? 王子ってこんなバカなの?

というか、なんでこんな軽い雰囲気なの?

そんでもって、ゲームのスタートが、故障車を押してるって

なんなの!

冒頭シーンはまだインソムニアが陥落していない設定とはいえ、

映画の国が滅びるか否かといった緊迫感が微塵も感じられない。

最終的にゲームを終えてからもう一度映画を見直してみたら、

エンドロールも全て終わった後、じゃれあいの喧嘩しながら車を押している

ノクティスたち4人が映っていて、

そーいえばこのラストシーンあった!

映画を見た時もやたらと違和感あったなあ・・・と思い出しました。

あまりに違和感がありすぎて忘れてしまってた・・・(^_^;)

でもゲームをクリアした今、この呑気なシーンすら切なくなるんだけど。

こののんびりした雰囲気、前半ずっと続きます。

前半はオープンフィールドになっていて、

レがリアという車で自由にフィールドを動き回れるし、

RPGというゲームの性格上、序盤はせっせとレベルの低い敵と戦って

レベル上げをしなければならないので、

どうしてものんびりした旅になってしまう。

結構序盤で祖国が滅ぼされ、父が殺されたことを知るんだけど

その後も必要に迫られて、お遣いクエストやハンタークエストをやらなきゃレベルがあがらないので

先に映画で祖国の惨状を知ってしまっているこちらは

おいおい王子、そんなおつかいやってる場合か・・・ってつい焦っちゃう。

で、勢い「そんなことしてていいの」って次男に言って、うざがられる・・・。

きちんと時系列を追うと王子の出立とインソムニア陥落は時期が接近しているので

仕方ないと言えば仕方ないのですが、

それならもうちょっとストーリーを工夫して、レベル上げが済んだ頃

上手い具合にインソムニアの陥落を知るような流れに出来なかったのかと思う。

ちなみに次男はゲームクリア後に初めて映画を見て、

「僕(ノクティス)、この頃のんびり釣りしてたで・・・(>_<)」

と愕然としていました。

この作品世界にはいろいろ大きな落差があるんですよね。

映画で描かれた世界とゲームの世界のシリアス度の落差とか、

ノクティスたちの日常描写と一国(もしくは星)の存亡を左右する大事との落差とか、

ゲーム前半と後半の落差・・・とか。

制作した側はそれほど大きな落差だと考えてないんだろうけど

プレイヤー側はそれをとても大きく感じてしまう。

大筋が王子の成長と王としての覚醒にあるのだから

覚醒前と後に落差をつけた方が感動が大きいと考え

王のあるべき姿(映画)と王子の現状を突き詰めていった結果

落差が大きくなりすぎたっていうことなんだろうけど、

一国の王とそこらにいそうな大学生って感じですからね。

もっと違和感があったのはBROTHERHOODでの描写。

王子とプロンプトの小学校時代が描かれるんだけど、

どう見ても日本の普通の公立小学校なんです。

王子がこういう小学校通うか?

そしてプロンプトの家やその周囲は日本の普通の住宅地で

ノクティスの住む王宮との落差といったら・・・。

これがいわゆる貧民街やファンタジー世界の中流層の家ならまだ馴染むんだけど、

あまりに日常、あまりに現実。

4話でのノクトの一人暮らしといい、

ノクト周辺の描写はものすごく現実に近くて、

王周辺は一気にファンタジーの世界。

「キングスクレイブ」を見た時に、リアルな都市(新宿をモデルにしているらしい)と

魔法描写の融合がとても見事で、

現実的な美しいリアルCGの世界に魔法が普通に存在しているその世界感を

とても上手く処理して同居させているなと思ったんです。

映画の中ではわずかなノクトたちの登場シーン以外は

重厚なファンタジーのトーンで統一されていたし。

でも、アニメとゲームはノクトを中心に描くために

日常描写が強調されすぎていて、

それが重厚なファンタジーともう一つ馴染みきらなかった気がする。

主人公周辺に対する批判も多かったですもんね。

結局この作品の好き嫌いはノクティス王子の描写を受け入れられるか否か

っていうところにあるんじゃないかと思う。

私は・・・というと、このノクティス王子が大好きでした。

とにかくかわいいんです。

ちょっとすねた感じでつっぱているんだけれど、

隠しきれない素直さがにじみ出てて。

てっきり十代かと思っていたんですけど

設定をみると20歳なんですね。

20歳にしては幼い感じもするけれど、

大学2回生くらいかなと思うとこんなもんかもしれないな。

CGなんだけど、ちゃんと何者でもない顔をしているんですよね。

この何者でもないというのがミソで、

何者でもない若者が何者(この場合明確に「王」だけど)になっていく物語。

ノクトはとにかくCGが作り込まれていて、

ムービーの部分でも実に繊細な表情をするんです。

映画ほどリアルという感じはしなかったけれど、

でも実写とアニメの中間・・・よりは実写よりな感じで、

この映像でこれだけ繊細な顔されるとまいっちゃうな・・・という感じ。

その辺の下手な若手俳優顔負けの演技してますからね。

特にお気に入りは祖国と父の運命を知る場面と、

中盤(よりちょっと後の方かな)のグラディオに怒られる顔。

こういう表情でぐっと心をつかまれちゃったんだなあ・・・。

ゲーム中の何気ない動きや後ろ姿も素晴らしい。

基本ノクトを操って進めるゲームですから、

ノクトの背中を見ながら操作している場面が多いんですけど、

この背中が実にいい。

それから、手持ちぶさたにぼーっと立ち尽くしているときとか

とにかく細かく動きが入るんです。

一番すごいなあと思ったのは、武器とか装備を変えたり、

ステイタスを確かめたりするメニュー画面。

壁ぎわに4人がずらっと並ぶんですけど、

この画面で武器を変えたりなんだりでうだうだやっていると、

みんなちゃんと始終動いてるの。

それもいわゆる動作ではなくて、

若い子がじっと立ってられない・・・という感じの、

重心を右足から左足に変えて見たり、ちょっと髪を触ったり、

ちょっと余所向いてみたり

そんなリアルな無駄な動きをするんです。

こういう作り込まれたCG画面を見ているのはとにかく楽しかったな。


ストーリー的には、アラがとにかく多いです。

一番よく言われていて、私自身もそうだなあと思ったのは、

ルナフレーナが死んで、イグニスも失明してしまったくだり。

まず、イグニスがなんで失明してしまったのか、さっぱり分からない。

せめて水神と戦っているときに他の3人がどうしていたのかを

もっと描いておけば、もう少し置いてけぼり感はなかったと思うのだけど、

ルナフレーナを亡くして意識が戻るとイグニスが失明しているという謎の展開。

この辺、追加でがっつりと描こうと思ってわざとエピソードを抜いているんでしょうか。

そう考えざるを得ないほど謎の展開なのに、

いきなりグラディオに怒られちゃうし。

傷ついた仲間にもっと気を配れって。

でも、プレイヤーはノクトと一緒の体験をしている訳です。

水神との戦いはなかなか大変だったんです(息子がやってたんだけど)。

ゲームの操作自体はオートの部分が多くて(細かい所は分からない)

難易度がめちゃくちゃ高いって訳じゃないけど、

とにかくムービーですごい場面をいっぱい見せられて、

命からがらクリアした気分なんです。

その上ルナフレーナは殺されちゃうし・・・。

やっと会えたのに、なんでーーー? うそーーーん!

って気分なんです。

目が冷めたら失明していたイグニスよりも、

やっぱりそっちに気がいってしまう。

そこに友を気使えって言われても、唐突感しかない・・・。

物語の展開上、やりたいことはよく分かるんです。

ここは序盤にコルがノクトに言った台詞の繰り返しなんですね。

「いつまで護られる側にいるつもりだ、王子」

父が自分に何も告げずに死んでしまったことに憤っていた時に言われた言葉。

予告でもかならずと言っていいほど使われているセリフ。

全編を通して屈指のいいセリフだと思っているんですけど、

これを今度はグラディオに言わせた。

コルに言われた時は、人に何かして貰うのが当たり前の子供だった王子。

ここまでの冒険を経験して、たぶんあの時よりは自ら動こうとしている。

だけど、まだ王としての自覚は不完全。

皆は命をかけて王を守ります。

だからこそ、王は命をかけて皆を護らなければならない。

けれど、その覚悟がまだノクトにはできていない。

ここまで、ノクトの為に誰かが犠牲になるという直接的な場面はなかった。

ここで初めて、自分の力が及ばなかったせいで

ルナフレーナを死なせてしまった。

そして、自分のふがいなさのせいで(たぶん)イグニスの視力がなくなってしまった。

イグニスの失明の経緯は不明ですが、

住民が避難できるように警備あたっていたはずですから、

ノクトの力不足ゆえの犠牲になったと言えなくもない。

警備にあたっていたイグニスが負傷するくらいですから

住民の被害も出た事でしょう。

ここにきて初めて、ノクティスは自分が力不足だと、

誰かが犠牲になるという体験をするわけです。

そしてそのことに傷心して、せっかく命がけでルナフレーナが届けてくれた

父の(王の)指輪をはめることもできない。

イグニスが言いたかったのはそんなノクティスに対して

「いつまで護られる側でいるつもりだ」

っていうことだったんだろうと思うんですけど、

イグニスにかこつけてごちゃごちゃいっちゃったので、

何となくちょっと的外れ感・・・。

ここ、なんでもう一度「いつまで護られる側にいるつもりだ」じゃだめだったんだろう。

指輪に関して続けると、最終的にノクトが指輪をはめるのは13章。

連れ去られてしまったプロンプトを助ける為に敵の本拠地に一人で

(というか敵に仲間から引き離されてしまったと言ったかんじで)乗り込みます。

ここで初めて指輪をつける。

つまり誰かの為に命をかけるという覚悟ができたということなんだろうと思う。

ただ、ここも演出が致命的に下手で、

覚悟ができたから指輪をはめるというよりは、

敵の基地に入った途端全ての武器を封じられてしまうので

仕方なくはめると言った感がぬぐえない・・・。

実際にこの後ずいぶん長く、よわっちい指輪の魔力だけで戦うことになります。

指輪の力がよわっちいのはノクトの王としての自覚が弱いからかなんなのか、

とにかくこの13章は絶望的に長かった・・・orz

映画のニックスは1回はめただけで、絶大な力を手に入れたぞ!

そのイメージが強かったので、正直指輪の使えなさにはびびりました。

考えてみれば、ニックスもひたすら他者を守りたい人でしたね。

自分の命よりも大切な誰かの命を迷うことなく最優先させる人。

だからこそ、指輪をはめ、力を発揮することができたんでしょうね。

そういえば、指輪はその資格があるものしかはめられない。

資格のないものがはめると破滅する・・・ということは

もっとゲームでも明示しておいたほうがよかったのにな。

映画では繰り返し描かれていましたけれど。

映画で見せていたルナフレーナの兄が指輪をはめたものの

指輪に受け入れられないというシーンは、

本当はゲームの中で、ノクティスの目の前で見せた方がよかったんじゃないかな。

資格がないものにはこの指輪ははめられないということも

ノクティスが気楽に指輪をはめられない理由になり得るから。

まあ、ノクティスはすでにクリスタルに王となる資格があると啓示を受けていますから

そういう迷いはなかったということかもしれませんが・・・。

指輪は誰でもはめられるものではない、ということと共に、

ノクトは単に王の子だからというだけで時期王と見なされているのではなくて

クリスタルに選ばれたからこそ時期王の資格を持っているということも

もっともっと強調して描いておいた方がよかったのにな。

血縁というだけでは王になれないということは

ルナフレーナの兄が証明しています。

「クリスタルに選ばれる」というのがどれほどのことなのか

例えば父王もまたクリスタルに選ばれた者なのか、

それとも歴代の王の中でも「クリスタルに選ばれる」というのは

格別の存在なのかが、も一つあいまいだったような気がする。

「クリスタルに選ばれし者」という宿命の重さをも加味して物語れたら

もっと深みが増したんじゃないのかな。

歴代王の力(指輪・剣)、六神、クリスタルの啓示・・・

いろいろキラキラする要素をいっぱい散りばめながら

この物語でこれはこういう意味を持ちますよという説明がしっかりなされないまま

ふわふわと物語が進んで行くのが残念で残念で・・・。

こういう説明不足、だからこそ想像の余地が大きくある・・・

というのは二次創作が好きな人にとってはとてもおいしい素材だと思うので

きっとその界隈では盛り上がっているんじゃないかなあと思います。

よくは知らないけど・・・。

キャラクターも魅力的だからいくらでも面白くバックストーリーが作れそうだもん。


話を元に戻すと、ノクトの表情、人物造形と共にもう一つ大好きなシーンがあります。

それは終盤に歴代王に命を投げ出すシーンでの、父王レギスの表情。

これね、びっくりしたんですけど、歴代王が一人一人剣で王座に座るノクトを刺していくんです。

歴代の王の力を得るというのは、つまりこういうことなの?

なんというか・・・ご先祖様達なわけですよね?

それぞれ国を守ってきた方々なんですよね?

なんで子孫にこんなに厳しいの?

映画でニックスが歴代王と対面したときも厳しい人たちだなあとは思ったけど

それはニックスが王族ではなかったからだと思ってたんですけど、

王族にも厳しいんだね・・・。

六神が厳しいのは分かるんですよ。

彼らは自然の化身のような存在で、意思疎通が非常に難しく

(だから神凪という通訳者が必要になる)

人に対して容赦はないというのはわかる。

でも、歴代王は人間やん。

しかもご先祖さまやん。

なんで力を与えるのと引き替えに、若者の命を必要とするの?

六神と歴代王という二段階の力を用意している意味あるの?

と思わず考えずにはいられない。

だいたい、六神と歴代王の関係も曖昧だし。

とにかく何より異形の者が人間に力を与える表現として

一人ずつ剣で刺していく、

そして王はひたすらそれに耐える・・・という描き方が

ものすごく衝撃的だったんですよね。

せめて、それぞれの王がノクトの身体に入り込んで行って

ノクトが人間としての輪郭失っていくというのではダメだったのでしょうか。

ノクトが王になる覚悟と準備が出来て王座に座ったとき、

ルナフレーナと、共に戦って来た友と、そして父に礼を言うんです。

一緒にいられて幸せだったと。

その時、ふわりと幽霊のようにレギスの姿が王座の横に現れる。

本当に辛そうな顔で。

そして、歴代の王が息子の身体に剣を突き刺していくのを

じっと横で耐えているんです。

息子の方を見られない。

ノクトは最後に残った力を振り絞って、

ここまで大切に使ってきた父王の剣をその父に差し出します。

「おやじ、あとはまかせとけ」と。

あれほど望んできた王として存在する息子の姿がそこにはあって・・・。

父は生前の姿から歴代王としての甲冑姿に姿を変え、

息子の心臓を貫きます。

ルシスの歴代王の一人として、真の王を誕生させるために。

息子は父の思いをしっかりと受け止め、

王として、未來に生きる人たちの為に闇を切り裂きます。

人として生きるという道を捨てて・・・。

ここのやり取りが秀逸で、切なくて、

このシーンを見た後、冒頭の息子を旅に送り出すシーンを見直したら

もう泣ける泣ける・・・。

父ちゃんはどの段階から国の安寧の為には息子の命が必要と分かったのかな。

クリスタルにノクトが啓示を受けたときから?

でも、キングスクレイブでのレギスの様子では、

あくまでも息子の未來の可能性にかけたいというニュアンスしか感じられなかったんですよね。

この混乱の世に、戦争状態の国を引き継がせる不安はあったと思うのですが

それは彼の若さと可能性にかける・・・という感じ。

自分が年齢的に力が弱っていて、国を守りきれなくなっているっていう描き方でしたもんね。

勝手な想像なのですが、レギスは人間としての生を終えてから、

国どころか星自体が危険にさらされていること、

その危険の根源の存在、そして

その者を倒すためには、ノクティスの命と引き替えにしなければいけないこと

なんかを理解したんじゃないかな。

そう考えると、切ない。

息子の未來に託した思いは、息子の命(未來)を奪ってしまうものであったのだから。

ラストのノクトとルナフレーナのシーンはきっと、

レギスが見た幸せな夢みたいなものなんだろうなあ。

クリスタルが煌めく中、王座に座るノクトと、ルナフレーナが幸せそうに微笑んで、まどろむように眠りにつく。

ああ、本当にクリスタルの中で二人がこんな風に幸せに眠っていたらいいのに!

花嫁姿のルナフレーナの姿がそのままファイナルファンタジーXVの見慣れたロゴになって

ここで初めてロゴと一緒に描かれていた女神が

ルナフレーナだったことを知る。

そして、エンディングを迎えて初めて、眠るルナフレーナの横に眠るノクティスの姿が書き加えられる。

この仕掛けを見た時にはちょっと鳥肌がたちましたね。

おおっ!!

という感じで。


つまりはファイナルファンタジーXVは、自己犠牲の話だったんだと思うんです。

自分の命を犠牲にして誰かを(もしくは何かを)守る話。

映画キングスクレイブはある意味すでに自己犠牲の精神を持っている人達の

つまりは大人のお話。

この世には命をかけてでも守らなければならないものがある

信念を持って行動する者たちの強さを描いた物語だったように思います。

一方ゲームは、自己犠牲という信念を持つまでの物語。

何者でもなかった青年が様々な経験を積んで、

いろいろな人の思いを受け止めて、

自分の命を引き替えにして何かをなそうと決心するお話。

命に替えてでも・・・というのは、ある意味ヒロイックな発想で、

RPGに限らず、冒険ものやファンタジーの主人公は

結構最初から持っていたりするもんですよね。

このラストを見た時、私はぱっと、宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」を思い出しました。

ラストが主人公の犠牲的な死で終わるお話は決して特殊ではないし、

古今東西いっぱいあると思うんだけど、

このラストがバッドエンドとして賛否両論があるのは、きっと、

成長部分の描写が多少歪だったからなんだろうと思うんです。

ゲームの性質上、前半ののほほんとした時間が長すぎて、

後半のストーリー展開が駆け足で進むので

プレイヤーの心が置いてけぼりをくっちゃう。

それと、王になるという意味には二段階あるんですよね。

「父王を継いで王になる」と「真の王になる」という意味。

主人公は・・・というか周りの人間もみんな「父王を継ぐ」という意味で

ノクトに自覚を促します。

ノクトもそれは幼い頃からずっと心に刻んできたことで、

思いがけないことが起きて、当初の想定よりもずっと早く王位に就かなければならなくなって

そして祖国の再興という大きな仕事も背負って戸惑うんだけど、

それでも着実に王になろうとして心をつくって行ってたんです。

でも、最後の最後、チャプター13のおしまいに

アーディンに自分の正体と自分の野望を語らせて、

自分の本懐(ルシス王家を根底から滅ぼすこと)を遂げるために

お前は「真の王」になれ!

その為にクリスタルに入って来い!

ってクリスタルに放り込まれて・・・10年経ちました

って、そりゃ、おいっ! どうなってんねん!

って思うよね(^^;)

王になるということは守るべき民の為に命をもかけなければならない

ということは覚悟していたんだけど、

王になるために命を捧げなければならない・・・というのは

ちょっとニュアンスが違う・・・。

それを急に言われて、はい、ストーリー編最終章、10年後の世界・・・

というのは、あまりにも説明不足。

だいたい何もかもアーディンに語らせすぎ。

アーディンの素性も過去も、

本来は他者から語らせた方がアーディンの物語にも深みが出るのに。

もしくはクリスタルの中で、剣神バハムートとノクトの会話

(それもできれば哲学的な感じで)

がもっとあればよかったのにな。

過去、第一障壁ができた頃の話。

六神と王家の関わり。

過去の王達の武勇伝。

神凪の存在、父の思い、ルナフレーナのこと。

(たぶんレギスは自分の代の神凪であるルナフレーナの母を失っているので

六神との交流に難儀していたはず・・・

あのような形でインソムニアでの戦闘にまで追い込まれたのはそれも遠因にあったのでは?

そういう王と神凪の関係性についてももっと知りたかった)

アーディンのこと、闇の存在、

闇に覆われていく世界、

すでに昼が来なくなっている今・・・

そんなことを対話によってノクトに伝え、

やがてノクトが真の王になる覚悟を固める・・・

という過程を、なんで会話劇で作れなかったかなあ・・・。

確かにゲームの進行は止まっちゃうし、説明的にはなるけど、

物語としては大切な部分なのに。

観念的になりすぎると思ったのかなあ・・・。

いろんな要素があるこのファンタジーの世界を作り上げるのに、

形にならなかった要素、採用されなかったアイディアも数え切れないほどあった中で

きっと作っている人たちの中で完結しちゃって説明することを放棄した部分が

たくさん、たくさんあるのかなあと思う。

もう少し客観的な視点を持って、物語を組み立て整合性を持たせるような人が

組織の中で機能していればなあ・・・。

物語としては歪だし、不完全だなあと素人の私でも思ってしまう箇所はいっぱいあるんだけど

それでもやっぱり心惹かれるのはその人物に心を寄せていけるような

物語に没頭していけるような秀逸なシーンがちゃんとあるからなんですよね。


このゲームやたらとエンディングが長い気がするんですけど、

こんなもんなんですかね?

結構何段階も泣ける箇所が用意されている。

うろ覚えなんだけど、こんな感じ。

多少前後しているかもしれません。

ストーリーが終わると、今まで冒険で訪れた場所に

陽が昇り始める。

美しいグラフィックに朝日が差し込んでいく様子はもう圧巻。

ああ、この夜明けはノクトが頑張ったからなんだよなあと思うと尚更。

最後に何度もみんなでキャンプしたキャンプ場にも陽が昇る。

みんなが座っていたチェアはそのまま残されていて、

そこにも陽が昇る。

そして画面がまっくらになって、懐かしい仲間達の声。

あやふやな記憶なんですけど、あれって冒頭の車押してるシーン?

昔のままの声で・・・もうそれだけで泣きそうになってしまうのに

そこからエンディングに突入して、

CMにもいっぱい使われていた「スタンドバイミー」と共に

今までゲーム中に保存していたプロンプトの写真がスライドショーで流れる。

もちろん映画でもよくある手法ですが、

この写真1枚1枚、自分が経験したゲームの内容、

自分がチョイスした写真たちですから、

(うちの場合は息子チョイスなんですが)

思い入れもひとしおなわけです。

うーん、スタンドバイミーの曲調もすごくあってる~

と思っていると、

突然、キャンプのシーンに。

ノクトが大人になっているので、設定としては最終決戦一歩手前の夜

という設定なのでしょうか。

食事が終わってみんなでくつろいでいる様子。

ノクトが何か言い出したそうで、でもなかなか言い出せない。

ようやく、絞り出すように

「俺な、ちゃんと覚悟してきたつもりだったんだけど、

こうやってみんなの顔を見ると・・・・・・やっぱ、つれえわ」

(うろ覚えです、こんな感じのセリフ)

この「つれえわ」ってセリフが本当に切なくて(声優さんに拍手!)

表情も何とも複雑な、CGとは思えない顔してて、

ものすごく心ひかれました。

本編では覚悟を決めて真っ直ぐ進んでいったノクト。

初めてノクトを王と呼んで敬礼し、見送った仲間達。

その裏でこんなやり取りがあったんだあ。

ノクトは物語の冒頭で「オヤジは何も話してくれなかった」って怒ってたんですよね。

話して欲しかったって。

そしてルナフレーナを失った後、ゲンティアナから

ルナフレーナがその役割に苦悩していたことを聞いて、

自分がルナフレーナの悩みを聞いてやれなかったことをひどく後悔した。

だからこそ、自分は仲間達に後悔させないために

自分のような思いをさせないために、

自分の率直な気持ちを伝えておきたいと思ったんでしょうね。

主人公がこういう言葉を口にするのって、

なんか人間くさくていいなあと思ったんですよね。

宿命を背負わされた王子、

命を犠牲にして世界を守るって、

聖人君子の道まっしぐらな王子が

仲間にだけ、今まで共に過ごした仲間にだけ

本心を打ち明ける。

と、同時に、映画の段階ではやはり聖人君子というか

自分が選ぶべき道について迷いがなかったように見えたレギスやルナフレーナも

やはり迷いや悩みがあったというのもいいなあと思ったんです。

映画で見たレギスやレナフレーナの違った側面を見られたのも

ゲームの面白い所でした。


この後、スタッフロールがFFXVの壮大なテーマにのせて流れて、

そして既に上の方で書いたノクトとルナフレーナの幸せな1コマ。

ここで、ゲーム中に選んだ写真が登場。

この時、変な写真を選んでいるとかなり感動を削がれることになると思います。

このシーン、私はレギスの夢だと思ったのですが、

本当はどういう位置づけなのでしょうね。

誰の・・・と決めなくてもよいのかもしれませんね。

レギスの、ノクトの、ルナフレーナの、仲間達の、

そしてここまでゲームをプレイしてきた人たち全ての、夢。

擬似的なハッピーエンドを仮想としか思えないような形でつけざるを得なかったのは

作り手側の優しさなのかなあ。

これ、なかったら切なすぎますもんね。

主人公の自己犠牲という形で終わるエンドってそんなに珍しいわけではないのでしょうが、

そこにカタルシスではなくやりきれない切なさを感じてしまうのは

やはりノクティスが英雄的な人物ではなく

等身大の青年として人物造形されてきたため仕方なかったのかもしれません。

ここでタイトルのイラストの説明もされて、

この物語自体が、ルナフレーナの、ノクティスの夢だったのかなあ

なんて思っていると、

チャプター15が用意されています。

私と息子はストーリーが完結した所で気が抜けてやりこんでいないのですが

もう一度仲間達とストーリーを離れて自由に冒険できるようです。

レがリアを改造することで空を飛べたり、

今までいけなかった場所に行けるようになったり。

クリアできていなかったクエストを完全制覇するもよし、

いけていなかったダンジョンを探検するもよし。

ストーリーの展開から考えれば前半のオープンフィールドはいろいろ気になるんですけど

ゲームという観点から考えると、前半ってすっごく楽しい。

そんでもって、DLC(ダウンロードコンテンツっていうんですって! 

今はこういうゲームの広げ方があるんですね、知らんかった)で

も用意されているんだとか・・・。

本当に大きなプロジェクトだな、これ・・・。


とまあこんな感じで、生まれてはじめてのファイナルファンタジー体験は

とても刺激的で楽しかったです。

久々に物語(とくに現実からかけ離れた)世界にとっぷりと浸ることができました。

ここのブログをゲームやった人が訪れるとは思えないし、

普段ここでドラマの感想なんかを読んで下さっている方が

ゲームネタでこんな長い文章を読んでくれるとは思えないのですが、

とりあえず自分に対する備忘録。

こっそりイージーモードで自力でクリアを目指してみようかと思っている今日この頃・・・。



さて、次はニーアかな。