映画「ハゲタカ」の感想8

<ニセモノのかなしさ>

劉一華はニセモノというコンセプトから造形された人物なのだそうです。

パンフレットで脚本家の林さんがそう語っておられました。

劉一華」の名前を語ったニセモノ。

そして、鷲津政彦のコピーという意味でのニセモノ。

劉には二重のニセモノの意味が付加されています。



映画冒頭のヘリで日本に飛来するシーンから、

映像的にも劉の行動はドラマでの鷲津の行動をなぞっていきます。

至る所で見られるドラマ鷲津を思い起こさせる言動。

守山に近づくときに缶コーヒーを手渡すのも、

ドラマで鷲津が西野治に近づいた時と同じ。

中国が日本を買ってはいけないんでしょうか

とマスコミの前で大演説をぶつ場面は、

大空電機の株主総会で

お金儲けはいけないことでしょうか

という場面を思い起こさせます。

ドラマが好きで何度もドラマを見ている人は、

こういう相似点をいくらでもあげられるんじゃないでしょうか。

脚本の上での計算や演出的な処理でかなり意図的に仕組まれていますが、

そういう演出的な部分を除いて考えても劉が鷲津を真似た所がいくつも見つけられます。

劉が記者会見で自らのウィークポイントを明らかにしたのは、

そこが鷲津の一番の失敗点だと思ったからでしょう。

鷲津は自らの正義を強引に日本社会にぶつけすぎた。

もっとマスコミを利用して、世論の賛同を得ながらコトを進めれば、

不要な衝突が避けられたはずだ、という思いが劉にはあった。

だから最初の記者会見が劉にとっての正念場だった。

あそこでいかに大衆の心を掴めるか。

残留日本人孤児という危険なカードを自ら明かしたのもその為。

このカードを出せば日本人の同情票を得られるとふんだから。

おそらく、劉は本物の劉一華が生きているのを知らなかったんじゃないでしょうか。

村田さんが調査に行ったときも、

本物の劉一家に出会わなければ劉の過去はあそこまでわからなかったでしょう。

あの赤い自動車の絵にたどり着けたかどうか。

劉は自分自身が11歳のときに日本に来ていますから、

母の血を売って作った金をブローカーに渡して、

名前を変えて日本にきた・・・くらいしかわかってなかったでしょうし、

本物の劉一華が中国の小さな村で今もまだ暮らしているなんて想像もしていなかったでしょう。

だから多少調査が入ってもそこまでは調べられないとタカをくくった。




記者会見のシーンなどでふっと挟まれる、劉の不敵な笑い。

実は私自身は3回見た段階でもまだ騙されていて、

今でも確証はないのですが

あれはおそらく

「どうだ鷲津、やり方さえ間違わなければこんなに簡単に世論は操作できるんだぞ」

っていう笑い・・・ととっていいんですよね?

記者会見で劉が言ったことは全て本心だったってことでいいんですよね?


どうして惑わされてたかというと、

劉の言った再建策があまりにもきれい事過ぎたから。

それでは再建は無理やろう、とド素人の私でも思う。

だから、実はこれは嘘で腹の中ではもっと悪いことを考えてるんじゃないか。

買収が成立した途端、手のひらを返すんじゃないか・・・とか。

いろいろ考えてしまったものですから。

劉が本当にアカマを救おうとしていたとわかった2回目からでも、

いや・・・でも救い方にもいろいろあるし、

なんか企んでたんじゃなかろうか、

鷲津にも「好きにさせて貰うよ」って言ってるし・・・。

と、いろいろ思い迷って・・・。



それというのも未だに劉の立ち位置がよくわかっていないからなんですよね。

彼が守ろうとしていたのがアカマだけなのか、

それとも日本そのものも含まれていたのか。

日本に対して愛情を持っていなかったとすると、

極端な話、アカマを中国に移して存続させてもいいわけですよ。

夢の自動車を作る会社としてね。

そして、理詰めで考えてしまうと、

彼が日本に愛着を持ってくれる理由が思いつかない。

11歳の時に日本に来たものの、数年でアメリカにわたっています。

おそらく、日本では彼の才能は開花させられなかった。

差別やなんかで。

そんな日本に劉は愛着を持つだろうか・・・。

そしてCLICが目論んだように、中国にアカマの大規模な工場を作り、

下請けも中国に移していったら、中国の労働市場を活性化させられる。

それは劉の故郷のような貧しい村の人達にも福音をもたらすかもしれないなあ・・・。



でもそんなこと考えていたらぐるぐるぐるぐる堂々巡りになっちゃって。

今もやっぱり劉は日本をどう考えていたのかわからないんですけど、

シンプルに芝野・鷲津の精神を受け継いでいる人物ってところに立ち戻って考えると、

物作りの原点を守ることの大切さを知っているはずだから、、

アカマを日本から切り離しはしなかったんじゃないかなあ・・・という気がします。

アカマの精神は日本の風土にはぐくまれたものだし、

そこをなくしてしまうと企業としては「生きられない」。

劉が日本をどう思っていたかはちょっと置いておいて、

とにかく、少なくともアカマは守ろうとした。

しかも「生きた状態で」守ろうとした。

実現可能かどうかは分からないけど、誰も血を流さない方法で丸ごと救おうとした。

と考えて、前半にいっぱい見られる劉の「悪いほほえみ」は、

全て

「どうだ、鷲津、俺は上手くやっているだろ?」

の意味ととってもいいのかなあ・・・と。

編集では明らかに「何か企んでます」って取れるようにつないでありますが・・・。

まあ、それは物語の構造上、劉の本心を後半まで隠すための伏線で、

観客にミスリードを促すような仕掛けなんでしょう。

(未だにそのミスリードに惑わされていますが・・・)




で、話を劉がいかに鷲津を見ていたかに戻しますと、

他にもいろいろ鷲津の動き(ドラマでの)を意識しているんですよね。

おそらく守山に近づいたのも、

ドラマで鷲津が大空電機で加藤らにEBOをかけさせたことが頭にあったんだと思います。

従業員を使ってなにか内部から出来るんじゃないかって思ったんでしょう。

また、三島由香に近づいたのも鷲津と関係が深かったから。

鷲津がサンデートイズの入札で勝った時、

彼女のスクープがなんらかの鍵を握っていたことは調べればすぐに分かるでしょう。

三島由香について探ってみたら、

鷲津がNYで話してくれた

たった200万で人を殺してしまった

事件に行き着いた。

では、彼女を使って自分もマスコミ工作してみよう、と思い立ったんじゃないでしょうか。

(その裏にも意図があったのは前前回に書いた通り)

そして、西野治が持って来たスタンリーとの話に飛びついたのも、

きっと鷲津を意識したんだと思います。

あそこは別に西野治じゃなくてもいいんじゃね?

っていう意見もあちこちで見ますが、

西野治じゃなかったらあそこまでことがスムーズに運ばなかったと思うんです。

劉は西野のこともきっと調べたんだと思います。

西野は実家の旅館を鷲津に買い叩かれ、

経営者の座を追われた父親は自殺した。

西野治自身はその後IT企業を立ち上げ、鷲津と大空電機をめぐって対立する。

そして失脚・・・。

つまり外から見たら鷲津が踏みつけにした人の一人なんですよ。

その人物が、

「自分は鷲津に真っ向から対立しているアンタの力になりたい。

ひいては、自分が社長をやっていたときにスタンリーとの繋がりがあって、

彼らがブルーウォールと連絡を取りたがってるから会ってやってくれないか?」

って言って来たとしたら、

きっと劉はすんなり受け入れたと思うんですよ。

鷲津が失敗したことを自分は上手くやってやるんだって思ってますから。

そしてそんな劉を見越して、鷲津は西野を使いにやったんだと思います。

スタンリーとブルーウォールとの提携を迅速に進めるために、

西野治っていう人でなくてはならなかったんです。




だから映画の劉の行動はそのまんまドラマの鷲津のコピーなんです。

そして、ドバイの王子に部下が言ったように

コピーはオリジナルに勝てない

ニセモノはホンモノには勝てない。

劉は、鷲津に、勝てないんです。




劉は鷲津に憧れて憧れて、

その鷲津が日本で挫折して今はどこでどうしているかわからない、

って聞いた時に、やっぱり悔しかったんだと思います。

だからこそ、自分は上手くやっている!

と彼の歩いた道をなぞった。

彼を思慕する気持ちが強ければ強いほど、

ふがいない(というように見えた)鷲津が腹立たしい。

愛情の裏返しが前半部分の暴言の数々で、

札束で人の顔をはたいて楽しかったんだろう!」

というような言葉の裏側には、彼の激しい思いが透けて見える。

オリジナルである鷲津を希求し続けた人生。

劉一華のニセモノであり、鷲津政彦のコピーであった男は、

物語の終わりにその悲しい人生を閉じざるをえなかったのだと思います。




でも、本来日本はコピーの国です。

今回舞台となった自動車産業も、もとはアメリカの技術をコピーするところから始まった。

もっと遡れば、歴史的に日本の文化の多くは中国の文化を模倣するところから始まっています。

そして、コピーすることによって体得した技術を成熟させ、

日本独自のものを生み出してきた。

物事のとっかかりとしてコピーは決して悪いことじゃない。

要はその先で、コピーしたものを工夫し、いかに発展させるかが問題で、

やり方次第では、コピーが新たなオリジナル文化・技術を生み出すことも可能です。

劉も必死で鷲津を模倣する一方で、

鷲津と違う方法を模索しながら自分なりの理想を追っていたことを考えると、

もっと生きていたら鷲津とは全く違うファンドマネージャーになれたかも・・・と

残念でなりません。

コピーはオリジナルに勝てないかもしれないけど、

新たなオリジナルを生み出す土壌になれたはずなのにな。




劉がドラマの鷲津のコピーだということは、

その存在を乗り越えていく鷲津は

ファンドマネージャーとして、ドラマで描かれた時代から一段上がったステージに入ったということを伝えるのに

実に上手く機能したと思います。

ドラマから映画化された作品は、単に後日談を舞台だけをスケールアップして描いていたりすることが多いのですが、

ドラマと映画の関係が工夫され見事につながったいい例になったんじゃないかな。

ここで映像版の「ハゲタカ」が完結するとしても、

ドラマのまとめにとどまらない高いドラマ性を持った作品と見ることもできるし、

続編につながる可能性も十分に残した。

残念ながら題材が「経済」ド真ん中ということで、

それだけで敬遠してしまった人が多かったのか、

メガヒットってわけにはいかなかったけど、

それでもあちこちのレビューを読む限り、

リピーター率がかなり高い作品だったような気がします。

そしてリピーター回数が多い人ほど満足度が高いような・・・

MovieWalkerの見て良かったランキングに、

公開後1ヶ月立ってから1位になるという偉業も、

なんかこの映画を象徴しているような気がします。

1回目はやっぱりストーリーを追うのに精一杯だと思うんです。

かなり速いテンポで物語が進行する上に、

経済用語が怒濤のように繰り出されますから。

でもここで終わったらきっと、

鷲津さん勝ってよかったね、あーすっきりした[E:catface]

っていう感想で終わると思うんです。

で、一通り仕掛けが分かってからもう一度見ると、

一気に人間ドラマの様相が浮かび上がってくる。

劉のラストを知った上で、

ファミレスで劉と守山が食事するシーンで

雨はいやだなあ

ってつぶやく劉を見ると、何気ない台詞なのにそれだけで泣ける。

登場人物がみんな本音をそう易々とは口にしないし、

主役の鷲津は怒る意外はあまり表情に表さない人なので、

尚更一回だけでは心情を追いにくい。

そして、おそらくドラマよりも映画のほうが、

わざとわかりにくく仕組んであるんじゃないかと思います。

10の話をドラマでは8まで説明していたのが

(大抵のドラマは10ある話の9か10は説明しますよね)

映画では6くらいかなあ。

後は自分で想像してね、考えてね。

考えるヒントは散りばめておくから、

ついでにドラマも参照してくれたらもっとよくわかるよ、

って作りだったと思うんです。

だから、繰り返し視聴に耐える作品でリピーターの人も多かったんじゃないかと思います。

あちこちで詳しい作品の解釈もいっぱい目にしたし。

解釈を考えるのが楽しい作品でしたね。



一番この映画を批判しているパターンは、

ドラマのファンで映画を1回だけ見た人。

話が荒かった[E:angry]

(ドラマは6時間、映画2時間少々だからそりゃそのまま比べたら酷[E:sad])

話に必然性が少なかった[E:pout]

(いや、よく見ればかなりちゃんと仕組んであります[E:coldsweats01])

等々・・・。

もう一回見てくれたらきっとまた印象が変わると思うんだけど・・・。

残念ながらそろそろ劇場で見ることは出来なくなりますが、

DVDになった暁には是非手元に置いて繰り返し視聴したいです。



もっと、あの台詞はどういう意味だったんだろう・・・

あのシーンの意味は?

と引っかかるところはありますが、

いろんなシーンの台詞や繋がりが詳細に思い出せなくなってきて、

あとはいくら考えても作品事態から遊離した妄想になりそうなので、

ここらへんでおしまいにします。

ここまで長々とつきあって下さった方

(もしいらっしゃるなら)どうもありがとうございました。

映画「ハゲタカ」の感想7

玉山くんは今「ノルウェイの森」の撮影で、関西にいるのでしょうか・・・。

関西っていうだけで、関西のどこにいるのかもわかんないけど、

でも、関西にいるのかも・・・と、考えるだけでニンマリ・・・[E:happy02]

関西でロケしてるならエキストラに行きたいなあ。

って、もう締め切ってますよね・・・[E:coldsweats01]



さて、そろそろまとめにしよっかなあと思っていたら、

とある方に、今まで考えていなかったことを教えていただいたので、

なんかもうちょっと書いてみたくなっちゃいました。

というわけで、今回も続きます。

もう書くのもめんどくさいけど、ネタバレです。



<鷲津の優しさ>

駐車場に鷲津が劉を呼び出した時、

私は劉の崩れ方ばかり気にして見ていたのですが、

よくよく考えて見れば、鷲津側から考えてみたことなかったんですよね。

感想2では劉の側からこのシーンを考えたんですけど、

今回は鷲津側からこのシーンを考えてみます。


この二人の対面場面、呼び出したのは鷲津だと思います。

村田さんに劉の素性を聞かされて、たまらず劉を呼び出し

お前は(本当は)誰なんだ

と直接本人に問い質したくなった。

けれども非常にデリケートな話なので、

他の人に聞かれる恐れのない夜の駐車場に劉を呼び出した。


で、ここは全く妄想の域なんですけど、

多分、鷲津は劉の携帯に直接電話をかけたと思うんです。

ものすごくプライベートな話だから。

よくわかんないんだけど、こういう立場にいる人達って名刺に携帯番号を入れたりするのかな。

でも劉と鷲津が名刺交換するタイミングってそうないと思うし・・・。

基本的に敵対している二人が互いの携帯番号を知っているっていうのが違和感があったんですよね。

というのも、最後に劉が鷲津の携帯に電話をかけるでしょ?

ということは劉は鷲津の携帯番号を知っていたってことです。

へえー、携帯の番号知ってたんだあ、と驚いていたんですが、

この段階で二人が携帯でやり取りしていたら、

劉のアドレスに鷲津の番号があってもおかしくない。

この場面の段階だと時間に余裕があるから、

もし鷲津が劉の携帯番号を知らなくても村田さんにでも調べてもらうことが出来る。

とにかく、この段階で二人が携帯でやり取りしていた可能性が高いなあ・・・と勝手に妄想。

ま、この辺りは全くの想像でしかないです[E:sweat01]



鷲津が劉に

お前は誰なんだ?」

と聞きたい気持ちはよく分かります。

でも、その前に

お前はアカマを愛していたんじゃないのか

お前だけは本気でアカマを守ろうとしていたんじゃないのか?」

という言葉をぶつけます。

え? 鷲津さん、なんでこの段階でそこまで劉のこと分かるの?[E:coldsweats02]

この時、鷲津が掴んでいる情報は

劉一華は偽物で、本物の劉は中国で生きている。

うわさで、そのもっと奥地にある貧しい村から、人の名を語って出国した少年がいる。

その少年の一家が住んでいた家の壁に赤い車が描かれていた。

これだけです。

映画を見ている私たちは冒頭の少年のシーン、

それからファミレスで劉が守山に昔の思い出を語るシーンがあるので、

あの赤い車がアカマGTであること、

幼い日の劉がそれを偶然目にしたことがわかっています。

でも鷲津はそんなこと知らないはず。

中国の貧農の家の壁に赤い自動車の落書きがあったからといって、

どうしてアカマを愛していたってとこまで繋がるんだろう。

すごいぞ、鷲津。すごすぎる・・・[E:coldsweats02]

と思ってはみたんだけど、それじゃああまりに凄すぎるので、

こう解釈してみました。

劉に会った段階で「劉がアカマを愛している」ことは確信しているわけじゃない。

掴んだ情報を整理して、今までの劉の態度をいろいろ思い返したとき、

それらすべてが符号する理由は

「劉は本気でアカマを愛している」

ということしかなかった。

けれども、確証がなさ過ぎる。

それに「劉が本気でアカマを守ろうとしている」なら、

いままで鷲津が抱いていた劉の人物像が180度転換してしまう。

それでどうしてもそのことを本人に確かめたくなって

駐車場にそっと本人を呼び出して問い質してみた。

一か八か本人にぶつけて反応を見てみよう

・・・ってとこが妥当だと思います。

もしここで劉が

「何を言ってるんだ?」

としらばっくれたら、恐らく鷲津は容赦なく劉の素性を三島由香にでもバラして、

マスコミ沙汰にしたでしょう。

これから始まる逆転劇を劉に邪魔されないように。

でも、劉はそこでくずれてしまった。

驚く程見事にいきがっている若手ファンドマネージャーの仮面がはがれ、

精一杯背伸びして強がっているだけの繊細で弱い青年の顔を見せた。

そこで、もう、鷲津は劉に対して何も出来なくなってしまったんでしょう。

そこが、映像版鷲津らしいところですよね。

負けていくものの気持ちに共感してしまう優しさ。


ただ劉自身はやっぱり

お前は誰なんだ?」

に反応したと思うんですよね。

「アカマを守りたい」

っていうことは最初っから記者会見でずっと言い続けてるし、

何を今更・・・というか

信じてなかったんかい!

って感じだろうし。

でも

お前は誰なんだ?」

は痛かった。

おかげで、この後劉は勝負の場から下りてしまいます。

この後劉が表(マスコミの前)に出るのは一回だけ。

スタンリーブラザーズとの提携会見だけです。

この時も顔は笑っているけど心なしか元気がないように見えました。

後は引きこもり状態。

本来ならば鷲津がリーマンに攻撃を仕掛けた時点で、

提携先のファンドマネージャーとして動かなければならないことは山ほどあったと思うんです。

でも一切ホテルの自室から出てこない。

アカマの社長からの電話にも出ない。

自室でもパソコンで株価を見守っているふうでもない。

結局、鷲津は劉の封じ込め作戦に成功したわけです。

まあ、あの時点で劉が動いてももうどうしようもなかったとは思いますが・・・[E:coldsweats01]

こう考えてくると、

劉が駐車場の対面で一気に泣きそうになった理由がようやく説明つくんです。

(崩れることには納得していたんだけど、

あれはやり過ぎやろう・・・という気持ちもまだあったもので[E:sweat01])

鷲津が驚く程崩れないと、鷲津に伝わらないんです。

鷲津の心を揺さぶらないとあのシーンは成立しない。

だから、あそこの演技はあれで正解だった・・・

ということで、あー、すっきりした[E:happy01]



というわけで、次こそ最終回になると思います。

もうそろそろ記憶も曖昧になってきていて、

どの台詞が・・・とか、シーンのつながりとかが明確に思い出せない。

シナリオが手元にあったらなあ・・・。

「シナリオ」誌で「ハゲタカ」載せてくれないかなあ[E:book]

映画「ハゲタカ」の感想6

もう6回目になってしまった・・・[E:coldsweats02]

いつまで書くつもりなんだろう、と自分でもおののきつつ、

今回もネタバレです。

というかもはやよっぽど映画を熱心に見た人しかわかんないようなこと書いているのかも・・・。

・・・すでにその辺のことが自分でも判断できなくなってます[E:sweat01]


<二つの真意>

映画「ハゲタカ」はドラマシリーズのレギュラーメンバーがほぼ顔を出します。

西野治はとってつけたような気がしないでもないのですが、

それでもブルーウォールとスタンリーを結ぶ重要な役割を果たします。

では、三島由香は?

彼女はこの映画版の話でどんな役割を果たしているんだろう。

ドラマシリーズでは鷲津の過去に深く関わり、

マスコミサイドから鷲津の動きを見続けました。

その中で彼女自身が憎しみを乗り越えて鷲津のよき理解者へと変わっていきます。

でも映画の話では三島製作所は絡んできません。

映画しか見たことがない人は彼女と鷲津の間の因縁めいた関係は分からないはずです。

TVシリーズのファンを納得させるために彼女や西野を無理やり出した・・・と考えるむきもあるようですが、

これだけ緻密に練られた作品でそんなことはしないだろうと思います。

ドラマでは鷲津が彼女を上手く利用してきましたが、

映画では劉が彼女を利用しようとします。

派遣労働者の現状の資料を示して取材しろと迫ります。

まず第一の目的として思い浮かぶのはアカマ自動車への揺さぶりですよね。

マスコミに派遣問題を煽ってもらえれば、

アカマに対するプレッシャーは大きくなります。

でも、劉が目論んでいたのがこれだけだとすると、

三島由香との会話の意味が分からないんです。

守山のデモをつぶした後の、アカマ自動車と提携を結んだ記者会見の場で、

劉は三島由香に

現実は見えたかい

と語りかけます。

三島由香は

憎しみからは何も生まれない!」

と返します。その返事に対して、

「何を言っているんだ?」

と言って、劉は去って行きます。

・・・意味分かんない[E:sad]

会話がかみ合ってないし。

まるで禅問答みたい。

劉がアカマにプレッシャーをかけるだけの目的で三島由香に近づいたなら、

わざわざ「現実は見えたかい?」

と尋ねる意味がありません。

だって、彼女が必死に取材しようとしたデモをつぶしたのは劉自身なんだから。

すごくうがった見方をして

力のないもの達が、力を持った人間に押しつぶされていく現実を見てきたか

と、自分がデモをつぶしたことを誇示するような気持ちから発せられた言葉と考えれば、

今度は、三島由香に

あんたもこっち側の人間だろう!」

と迫った時のあの真剣さの説明がつかない。

でも、とりあえず三島由香は劉の言葉をこの意味で受け取ったと思うんですよね。

対談した時に自分の実家の話を出してせまってきたこと、

あんたもこっち側の人間だろう」の「こっち」という言葉、

今までの真っ向から鷲津ファンドに対抗するような言動から、

劉は鷲津を憎んでいると思った。

過去の自分のように。

だから、鷲津への憎しみを乗り越えて、

ある種の信頼感のようなものを感じている三島由香は、

まだ憎しみのまっただ中にいる(と彼女は思っている)劉に

「憎しみからは何も生まれない!」

と返した。

でも、それは劉にとって思いもしない言葉だった。

だから「何を言ってるんだ?」なんだと思います。

つまり、劉はこの流れで会話しているつもりじゃなかったわけで、

じゃあ、劉はどういうつもりで三島由香に

現実は見えたかい?」

と話しかけたんだ?[E:wobbly]

劉が三島由香に見てきて欲しかった現実ってなんなんだろう。

と、考えて見ました。

三島由香がデモの主題を通じて見えた現実、というのは、

おそらくマスコミの世界も自社の利益優先で動いているということです。

アカマ自動車は有力な広告主だから、

アカマ自動車の機嫌を損ねるようなことは取材するな!

と上司が三島由香に命令します。

アカマの会見と派遣労働者のデモ、どっちがバリューがあるか考えろ!」と。

三島由香にしてみれば、今目の前で繰り広げられているデモも、

アカマ自動車の会見もどちらも価値のある取材対象です。

企業のトップの会見も底辺で働く労働者の雇用問題も、

どちらも日本の経済の動きに深くかかわる問題だから。

けれども、会社(TV局)の価値評価は自社の利益になるかどうか。

三島由香はそれまで自分は中立のマスコミの視点で、

様々な事象を見てきていると思っていたはずです。

真実を人々に伝えることがマスコミの使命だと信じて、ニュースを伝えてきた。

けれど、中立の立ち位置にいると思っていた場所も、やはり資本主義の流れの中にあった。

広告主(つまりはお客さん)に都合の悪いニュースはできるだけ触れない。

そんな暗黙の了解時事項がマスコミにあって、

知らず知らずのうちに報道が歪められている。

マスコミに左右されやすい大衆は、

TVや新聞やその他のメディアが垂れ流す情報をほぼ無批判に受け入れていくから、

マスコミがふたをしてしまったことがあるなんて思いもしない。

無自覚な大衆が今の日本の荒廃を招いた一因であるっていうことも、

この映画で訴えているひとつだと思うんだけど、

劉はこの無自覚な大衆のほうにぐっと近づいていく役割なんですよね。



つたない頭をフル回転して考えて見ると、劉が資料を渡して三島由香に望んだことは、

今の労働市場の現状をきちんと取材して報道して欲しい、ということだったんじゃないかと思います。

デモのことだけじゃなくて、

この資料を渡すからこれをきっかけにして、

自分の目でしっかりと「現実を見」て、報道しろと。

無自覚な大衆の目を覚まさせろ、と。


劉の行動がわかりにくいのは、彼の行動には二つの意味があるからです。

勝負を有利に運ぶための策略としての行動の裏には、

踏みつぶしかねない人々を救おうとする意志が見え隠れする。

守山を利用してアカマに揺さぶりをかけようとするのも真意なら、

守山ら若い世代の労働者に社会の歪みを自覚させ、立ち上がるきっかけを与えようとしたのも真意。

三島由香を利用してマスコミに派遣問題を取り上げさせ、世論の高まりをアカマにぶつけようとしたのも事実なら、

日本の労働市場の闇の部分を明るみに出そうとしたのも事実。

劉は三島由香に古谷社長に見せたのと同じような厚い資料をわたしていました。

守山のデモを取材させたいだけならばあのような資料はいらないはずです。

あの資料は問題の一端。

あとは自分でしっかり取材してメディアで問題提起してくれ、と言いたかったんだと思います。

だから、取材陣の先陣を切って劉に近づいてきた三島由香に

現実は見えたかい?」

と尋ねたんだと思うのです。

三島由香をその役割に特別に指名したのは、

やはり彼女が三島製作所の娘だから。

劉はイメージ戦略でたくさんの取材を受けていたけれど、

この願いを託せるのは彼女しかいなかった。

アカマという日本を代表する会社の暗部を暴くこの仕事、

おそらく他のジャーナリストなら尻込みしかねないこの仕事を、

資本主義社会の犠牲になった父を間近で見てきた彼女なら、

上層部の圧力にも屈せずにやり遂げてくれると信じた。

ドラマで、彼女なら自分のやろうとしていることを理解してくれると信じて、

ディールの鍵を彼女に託した鷲津のように。


ただ、悲しいかな劉の思惑はことごとく外れていきます。

守山は正社員にはなれず、

三島由香も劉の真意を測りかねて動きませんでした。

結局、ディールのために人を踏みつけにしたその足跡だけが残っていく・・・[E:weep]

劉の誤算はこんなところからも始まっていたんですね。


でも、彼がまいた種は無駄ではなかったと思いたい。

守山は正社員にはなれませんでしたが、

自分たちの置かれた状況の理不尽さに気づいたわけだし、

そこから這い上がるために必死で戦った経験は決して無駄ではなかったはず。

(彼が仲間に呼びかけていく過程や、集会で「立ち上がろう」と呼びかけるシーンが
映画では削られてしまっているらしいです、残念・・・)

三島由香も劉の死後、何度もVTRを見返していたことを思うと、

劉の思いに気づいてくれたのかもしれません。


誰も踏みつけずに、誰も殺さずに、勝負に勝とうと思った劉。

彼が目指したものは大きすぎて、果たして実現可能だったかわかりません。

でも、彼がそのために必死で努力を重ねたのは紛れもない事実。

鷲津の大胆さと芝野さんの情熱を合わせ持った彼は、

結局、鷲津にも芝野さんにもなれずに散っていきました。

鷲津をファンドマネージャーとして新たなステージに押し上げて・・・。