フランケンシュタインの恋 最終話 その2

1話から見直して一番びっくりしたのは、
冒頭で研さん(このときはまだ単なる怪物)が
人を平気で触り、津軽さんを抱っこしてバス停まで運んでいることでした。
あれ? 研さん、この時は津軽さんに触れているやん!
というか、9話で手をにぎれた! というだけであれだけどきどきしたのに
1話でお姫様抱っこしてるやん!
ネット上にあがっていた感想やドラマ評で、この矛盾に触れているものもありました。
確かに矛盾と言えば矛盾なんですけど、
きっと何か筋の通った解釈があるはず・・・。
これだけ綿密に構成を考えて作ってある脚本なんだもん。
と、結構頭の中ぐるぐるしながら考えました。
身も蓋もなく、ドラマのテクニックとして機能しているというのはよくわかるんです。
冒頭部分での主人公紹介の場面。
主人公をどう登場させるか、どう見せるかという大切なシーン。
後ろ姿で登場させ、しかも夜のシーンなので
白く光る大きな手がとても目立つ。
その周りに飛ぶ胞子もきれい。
その幻想的な中で、触れるだけで乱暴な若者3人を倒してしまう。
そういう不思議な力、危険性を持つ存在としてとても印象的な登場シーンになっていました。
いわゆる、つかみはOK的なシーン。
放送当時もそういう見方していたので、
物語が進んでいくとすっかり忘れていたんですよね、このシーン。
いろいろ考えて、何とか自分の中で折り合いがついたのは、
怪物にとって人に触れることが禁忌となるのは、
人間の社会で暮らすことを望んでからだということなんじゃないかということ。
野生動物が自分のテリトリーを守るように、
怪物は森を自分のテリトリーとして
そこに不用意に進入してくるものに対しては
自己防衛的に無自覚にその力を使っていたんじゃないかな。
実際この直前に怪物は男たちの車に跳ねられています。
自分の森を荒らすものとして彼らを認識して攻撃しても不思議ではないですよね。
人に、特に津軽さんに触れてはいけない・・・というのも、
人間社会で暮らそうと決意してから自分で設けたタブー。
ただでさえ病気を持っている津軽さんを気遣う気持ちから
必要以上に「触れること」を避けたのでしょう。
9話を見た後、2話で語られた深志博士と怪物との会話
(自分は生きていた記憶も死んだ記憶もないってとこ)
とも整合性がないと感想を書いていた記事もあったのですが、
ここの整合性はきっちりとれていたと思います。
最初はサキさんの為に呼六を生き返らせようとしていた博士が
生き返らせようと努力しているうちに、
いつしかサキさんの為と言うよりは
自分が呼六を蘇らせたいと願うようになっていた。
その博士の反応として、
自分が何者かわからず不安で泣き叫ぶ呼六にああいうように接するのは
十分筋が通っているように思います。
かえって9話でさらっと語られてしまった博士が呼六を思う気持ちも
このシーンの印象が強くあるためにとても説得力があるものになった気がします。
深志博士は自分が再び命を与えてしまったことで
呼六が抱えてしまった苦しみ、これから向き合うであろう苦しみを
だれよりもわかっていたはずです。
それでも「おまえはこうして生きている!」と呼六を抱きしめながら言った。
その言葉から博士が呼六の命を慈しむ思いは痛いほど伝わりましたから。
このシーン、本当にいいシーンでしたね。
呼六は記憶をなくしてしまって、もう生前のままの呼六ではなかったけれど、
純粋で優しい心根はそのまま蘇った。
ほとんど白紙の状態の呼六に人間の基本的なことを教えながら過ごした日々は
深志博士にとって幸せな時間だったのかもしれないなと思います。
と同時に、呼六が人間の本当に基本的なことしか教わらなかったこと、
植物として孤独に生きることを博士から教え込まれたのは
博士が人間嫌いで人間を心から受け入れることがなかった
(サキさんと呼六を除いて)からなのかもしれないな。
だとしたら尚更、怪物として蘇った呼六は
博士が共に生きることができる唯一の存在だったのかもしれませんね。

残念ながら、このドラマはあまり視聴率を取りませんでした。
見逃し配信をあわせても、それほど伸びてなかったんじゃないかな。
ネットでの広がり方もそれほど大きなものではありませんでした。
見ていた人にはかなりの熱量で語られていたんだけど
いかんせんその範囲が狭かった。
私自身はここ10年のドラマの中で、
好きなドラマ10本の一つに入るくらい好きなドラマでした。
こういうドラマに出会いたくて、
ドラマを見続けているんだよなあ・・・としみじみ思うくらいに。
届く人にはちゃんと届いたんだと思うんです。
最終回後の感想をいろいろ読みましたが、
最終回、感動したという感想が本当に多かった。
でも、同時に、おもしろくなかった・・・というのも
結構目に付いたんですよね。
最終回翌日、職場でこのドラマの話になって、
最終回まで見たという同僚が
「わからんかった。なんか、ふうん、あ、そうという感じの最終回」
という感想だったのが、びっくりで・・・。
本当に同じドラマを見ていたのか? というほどの感想の違い。
でも、それはネットで二分された感想と同じなんですよね。
たぶん、このドラマは受け手の見方に大きく左右されるんだろうと思います。
私はこのドラマは登場人物がかなり丁寧に自分の気持ちを話すドラマだと思うんですけど、
でも語る言葉がちょっとズラしてあったり、ストレートな言い方をしてなかったり
もしくは後の展開で生かすために特殊な言い方をしていたり。
ドラマの登場人物は日常の言葉を使って話すもの、という認識でいると
このドラマの台詞はしっくりこなかったろうなあと思います。
私も最初はなんでこういう台詞なんだろうと何回も思いましたもん。
脚本家が書くときに何らかの縛りを自分に課して
ちょっとひっかかる台詞回しを選んでるんだろうか・・・って。
でも、今まで大森さんの作品を見てきたけれど、そんなこと感じたことはなかった気がするので
やっぱりこのドラマ用に選んだ言葉だったのだろうなあ。
一つには、終わりまで物語の構造をかっちりと決めておいて
その結末に向かって序盤の台詞が組んであるのかなあという気はします。
例えば序盤で悩む研さんにラジオを通して鶴丸教授が言った言葉
「恋をして遺伝子の革命を起こすのだ」
というのも、この段階では、は? としか思えない。
「恋」と「遺伝子」と「革命」という単語が通常はかけ離れたイメージを持つ言葉なので、
それらをくっつけて、さも当然のように言われても、ちょっとピンと来ない。
しかも、科学の研究者の言葉らしくないですよね。
抽象的すぎて。
下手したら怪しい系の科学みたいに聞こえちゃう。
でも、研さんが枯れ木にきのこをいっぱい生やして
「僕が革命を起こします」
って言ったり、
津軽さんの病気を研さんが治したときに、稲庭先輩が
「研さんが津軽さんの遺伝子に革命を起こしたんだ」
って説明する頃になると、言葉がだんだん馴染んできて、
ああ、そういうことかと何となく納得できる。
でも、当然こういう言葉の使い方に違和感を感じる人はいるだろうと思います。
こうした大仰に聞こえる言い回しや、なじみのない言い回し、
よく使う言葉でもこのドラマの中で微妙にずらして定義してあったり、
会話がきれいにかみ合ってなかったり。
研さんは人間社会に不慣れという設定なので仕方ないと思うのですが、
他の人もそういう話し方をするので
ぼーっとしていると台詞が頭にすんなり入らない
という人も多かったのではないかと思います。
また一つの台詞に幾通りにも意味が重ねてあったり、
逆に核心をあえて外した言い回しをしている所も多いので、
登場人物の気持ちをつかみにくい。
あれほどみんな雄弁に自分の思いを語っているのに・・・。
でもそれはきっとねらいで、
人間を多面的に捕らえて描いているからこそ
そういう言い回しにならざるを得なかった面はあるんだろうなと思います。

話の構造も最終回まで見ると、なるほど実に綿密に組んであるなあと思うんだけど、
序盤の展開がちょっとまどろっこしいんですよね。
「自分は人間の世界で生きてもいいのか」という問いから始まって
「怪物は恋してもいいのか」
「恋する人を守るためには強くならないといけない」
「強くなるために人間を知らないといけない」」
「人間を知るためにはラジオに出るのが一番」
という展開が前半の中心になるんだけど、
一般の感覚では「恋をしてもいいのか?」という段階で
3、4話費やすこのドラマのテンンポに
ついていけなかった人もいるんだろうなと思います。
人間ではない、異形の存在が人間に恋をするにはこれだけのまどろっこしさが必要だったのだろうけど。

それに加えて、このドラマが抱えている一番の弱さは
ヒロインの魅力のなさなんですよね・・・。
これだけは如何ともしがたい。
初回は魅力的なんですよ。
結構積極的に動いているし。
それからサキさんも魅力的。
でも2話から病気で倒れるまでの津軽さんがどうにもまどろっこしかった。
この人にも感情移入できないとやっぱり作品の魅力としてはそがれてしまいますよね。
物語の構造が研さん中心に作られているので、
研さんの心情を丁寧に追って、しかもこのファンタジー世界を成立させることに主眼が置かれて、
津軽さんの描写はそれにあわせるために弱まってしまったように感じました。
津軽さんの快活さ、真実を知りたいという探求心、行動力は
研さんを山から連れ出すという為に使われた後は、
物語の進行のために押し込められてしまいました。
病気だから恋ができない。
研さんの思いをどう受け止めていいのかわからないからどうしても受け身になる。
その結果として、中盤はずっと、研さんが世界を広げようとがんばっているのを
見守るだけの母親のような位置に納まってしまう・・・。
津軽さんが病気設定というのは物語上絶対的に必要な要素だし、
津軽さんがいったんは研さんの母親のポジションになるというのも
やっぱり物語の進行上どうしてもいる要素だったのだと思う。
けれども津軽さんというキャラクターをもっと魅力的なものにするために
もう少し工夫はいったのかなあと言う気がする。
脚本的にも演出的にも。
津軽さんが単なる病気持ちの優等生キャラになってしまったのがとにかく残念。
津軽さんが跳ねる要素はあったと思うんですよね。
美琴とのやりとりとか結構ズバズバ言ってたし。
時々、ずばっとつっこみを入れる強い感じも、
もっと膨らませたらおもしろかったかも。
ラブストーリーでもある以上、ヒロインが魅力的ではないと言うのは
かなり残念なこと・・・

でも私が思いつくこの作品の弱点ってこれくらいで、
それを補ってあまりある魅力的な作品だったと思うんです。
あとは受け手側がこの作品をどう見たかという問題。
職場で同僚と話していて思ったことは、
今までのつながりとかあんまり考えずにドラマで今起こっていることを
そのまま受け取っているのかもな・・・ということ。
例えば最終回だと、
研さんが津軽さんの手を握りました。
津軽さんの不治の病が治りました。
研さんと津軽さんが抱き合いました。
でも研さんは警察と保健所から逃げて森に帰りました。
1年後津軽さんたちと再会しました。
数十年後、津軽さんは死んだみたい・・・
くらいの流れだけ見て、
で? だからどうしたん? という思いで最終回を見終わったらしい。
ながら見してたりするとその事実すら把握せずに抜ける部分もあり・・・。
確かに、ただのラブストーリーとして見ると
抱き合うシーンが数回、手をつなぐシーンが数回。
最終的に愛する二人は結婚しましたみたいなわかりやすいハッピーエンドじゃないぶん、
なんなんだこれは、と思われてしまったのかもしれない。
そういう人には安易でご都合主義な解決と、
SFくずれのストーリーに見えちゃうかもな
という気はしました。
みんながみんな一生懸命見ているわけじゃないから・・・TVドラマは。
そういう層をも物語に引きずり込む・・・ところまではいかなかったのかな。
残念だけど。

終盤の展開がご都合主義に見えた一つの要因は、
この物語がある種「青い鳥」的な要素を持っているからですよね。
研さんの自分探し的な要素は、
深志博士のノートを見つけたことで記憶が完全によみがえり解決します。
でも、そのノートは120年暮らしていた家の中にあったわけです。
孤独に生きていた研さんの直ぐ側に。
また、津軽さんの病気の特効薬は、研さんの赤いきのこを出す心。
これもまた、津軽さんに初めて会った時から赤いきのこを出しているのですから
解決策はずっとはじめからすぐ側にあったことになる。
でもこの物語は、そこにたどり着くまでの物語。
紆余曲折を経てそこにたどり着きさえすれば、
答えはおのずから用意されていたわけですから
安易な風に見えてしまったのかな。
これはもうドラマの好みの問題でもありますよね。
私はジェットコースター的に話がどんどん展開して、
登場人物の心情を考えたり意味を考えたりする余地も与えず
とにかくどんどん話を転がしていくタイプのドラマは苦手なんですが
そういう筋のおもしろさ、奇抜な展開を楽しむ人は
この作品のようなドラマは苦手なんだろうと思う。
万人に受けるタイプのドラマではないので仕方ないとはいえ、
でも、もうちょっと注目されてもよかったのになあとは思います。
ただ、とにかく制作陣がいっさいぶれなかったので、
作品としてきれいに完結することができてよかった。
これで世間の評価を気にしたり、
批判に媚びて話に手を加えたりするととても残念なことになっちゃうんだけど
そうならなかったのが何よりも嬉しい。

綾野くんのファンとしては、
この作品で一つ夢が叶ったなあという気持ちが、今しています。
わたし「ヘブンズ・フラワー」で綾野くんが演じたシオンという役大好きだったんです。
でも話自体がちょっと迷走しているところがあって、
本筋の部分であまり好きになりきれなかった。
当然シオンの話は脇で断片的に語られるだけですから
見直すにはいまいち納得できない本筋をどうしても見直すことになるので
なんとなくレンタルで見たきりになってしまっています。
だから、この作品、シオンのお話としてがっつり見たかったんですよね。
結構そういうことって多くって、
他にも「クレオパトラな女たち」の黒崎裕や
「八重の桜」の容保公など・・・
もっともっとこの人を見ていたい、
この人の物語を感じていたい、
そう願うことがとても多かったんですけど、
そういう思いを今回は存分に叶えてもらったなあと言う気がしています。
もちろんTVドラマで主役は今回が初めてじゃなくて、
ダブル主演も含めるともう3回目だし、
作品の評価としては「コウノドリ」のほうがしっかり結果がでているし、
もちろんサクラ先生も大好きなんです。
でも「コウノドリ」はサクラ先生が主役だけれど、
作品の本当の意味での中心は妊婦さんや出産の現場そのもの。
綾野くんもそのことを十分踏まえた演技をしていると思う。
一方、「フランケンシュタインの恋」は主役の怪物が物語の中心。
本当の意味でがっつりと綾野くんが作り出したキャラクターを見ることができた作品でした。
綾野くんの演技をじっくり見て感じることが
そのまま作品そのものの解釈にダイレクトにつながっていく快感。
物語の中心に常に綾野くんが演じるキャラクターがいる幸せ。
しかもそのキャラクターが実に魅力的で・・・。
綾野くんの作り上げたキャラクターを心ゆくまで堪能できる
本当に楽しい3ヶ月間でした。

毎週配信されるオーディオコメンタリィで
綾野くんの生の声を聞けたのもとても楽しい体験でした。
結構みんなオーディオコメンタリーになれていなくって、
思わず見入っちゃって黙り込んじゃうなかで
すごく的確に他の人に話を振りながら
みんなの言葉を引き出していたのがすごいなあと思いました。
考えてみれば、私あんまりDVDを買っていないこともあって
綾野くんのオーディオコメンタリィを聞いた覚えがなくって。
唯一記憶にあるのが「シュアリー・サムデイ」のビジュアルコメンタリィ。
コメンタリィに慣れていなくてなかなか話せなかったり、
やった、しゃべった! と思ったらみんなに突っ込まれてたり・・・
って感じだったと思うんですけど、
それから思うと、格段に成長しててなんだか感無量。
あれから7年でここまできたんだなあ・・・。
座長として現場で綾野くんがどういう立ち位置でいるかが
なんとなくかいま見られたのもおもしろかった。
ゆるいリーダーシップと決して押しつけがましさを感じない気遣い。
何よりも自分ががんばることが現場の志気をあげるという揺るぎない信念。
斎藤工さんが言っていたのはこういうことなんだろうなあ。
綾野くんを見ていると、今まで自分が抱いていた主役観、役者観が大きく変わりました。
役者という仕事は途中乗車で途中下車って言っていたのは
豊川悦司さんだったか堺雅人さんだったか・・・。
役者さんは企画やストーリーを作る段階では参加できない訳です。
基本的には台本を渡されたところから仕事がスタートするわけですから。
そして、一生懸命演じたその先に関わることも、できない。
自分はこう演じたつもりでも、
カメラがどう映すかの選択はできない。
渾身の演技をしても編集でカットされるかもしれない。
思いもしないつなぎ方をされるかもしれない。
このドラマでも綾野くん言ってましたよね。
最後の飛行機が降りてくる場面。
ああいう飛行機が登場するとは思いもしていなくって
降りてくる様子を見守っているカットは飛行機じゃなくて
人が降りてきているんだって思ってましたって。
だから今まで贔屓の役者さんが作品に恵まれなかった時には
しかたない、脚本が悪かったんだ、演出が悪かったんだ、
果てには、企画そのものが悪かったんだ・・・って思っていたんですよね。
役者にできることは限られていて、作品の責任を役者だけが背負うのはおかしい。
でも、途中乗車、途中下車でもやれることは案外あるんじゃないか
と綾野くんを見ていて思います。
そしてその綾野君の思いや努力がちゃんと作品に反映していくのを見るのは
ことの他楽しい。

作品を見ているだけでは伝わりきらない裏側の雰囲気をかいま見せてくれたという意味でも
オーディオコメンタリィは面白かった。
基本的に内容に沿って話しているのってそれほど多くはなかったんだけど、
いくつか演じるときに思っていたこと、意識していたことも話してくれていて
それによって次回以降の、もしくは見直したときの解釈を助けられることも多かった。
研さんは稲庭工務店の食事の時に、基本的にはものを口にしない、とか
天草とラジオに出ていた回で
「こんにちは、フランケンシュタインです」の言い方を変えているとか。
特に後者は3回目の時の言い方は1回目と違うということは気づいていましたが、
単純に、慣れてだんだん自身が付いてきたから
大きな声になって明るい言い方なのかなって思っていたんですけど、
あれは天草さん言い方にだんだん近づけたそうですね。
そういう演技的な工夫のあれこれを聞けたのも楽しかった。

最終回まで見てふと思ったのは、
コメンタリィを通じて、結構この作品の見方を誘導されていたんだな。ということ。
私、コメンタリィを見ていなかったら、
稲庭先輩の見方がずいぶん違っていたかもしれないなと思います。
プロデューサーさんも結構早い段階から
稲庭先輩は人間らしい部分を背負っているという情報を出していましたっけ。
稲庭先輩の二面性は序盤からずっと描かれていくんだけど、
あんまり露骨に描かれはしないんですよね。
もし、プロデューサーさんのインタビューも知らず
コメンタリィも聞いていなかったら、
あれ? 稲庭先輩っていい人に見えて実は悪い人じゃない?
っていうことに気づいて、そこで解釈が止まってしまっていたかもしれません。
でも、コメンタリィで
「ほら、ワル庭先輩になってますよお」
ってあおっているのを聞いていたら、
あれ? そんなに言うほどワルいかなあ・・・ってあまのじゃくな気持ちが働いて
稲庭先輩の嫉妬と愛情の間で揺れる思いに気づけた気がします。
人間はいい人、悪い人で単純に分けられるわけじゃなく、
一人の人間の中にいい面も悪い面も共存しているものだ
というのがこの作品のコンセプトだとしたら、
そこに上手くたどり着けるように導いてもらえた。
出演者のみなさんにとっては、とても負担が多かったでしょうが
オーディオコメンタリィは本当に面白い企画だったなあと思います。

綾野くんの演技、表情の変化をグラデーションという表現を使って表現したのは
「武曲」の原作者さんでした。
確かに「武曲」でも見事に研吾の変化を表情で表現していました。
「フランケンシュタインの恋」でも、やっぱり表情の変化が見事なグラデーションになっていたなあと思います。
ずーっと回を追って見ているときにはそれほど気づいていなかったんですよ。
研さんの成長によって、徐々に徐々に変わっていたから。
9話になって、記憶を取り戻した研さんが急にぐっと大人びて、
この回は生前の呼六との落差もありましたから、なおさら
あ、すごい、変化が微妙な表情の違いではっきりわかる!
と驚いたのですが、このタイミングで1話から見直したので改めてびっくり!
初回冒頭の研さんって、とても表情が乏しいんですね。
ある種、人間っぽくないというか、森の精霊という感じの生々しくない表情。
どこか寂しげなんだけど、それが人間らしい感情を感じさせないぎりぎりのところで押さえてある。
自転車で山から降りてくると、とたんに表情が豊かになってくるんだけど
それでもまだどこかおずおずと感情を顔に出している感じ。
一人でいるときは結構素直に感情を顔に出しているんだけど。
それが3話くらいから急速にだれに対しても表情豊かになってくる。
でもそれは本当に子供らしい表情なんですよね。
嬉しいときは嬉しい顔、悲しいときは悲しい顔。
素直で純粋な研さんの表情。
けれども回を追うにしたがって、少しずつ複雑な表情も増えて来て、
記憶を取り戻すと、ぐっと青年の顔に変わっていく。
このグラデーションの描き方が本当に見事。
私、最終回の研さんが大好きなんですけど、
自分のことがわかって、自分が置かれている状況もしっかり理解した研さんが
夜の川縁で津軽さんを抱きしめながらとても寂しい瞳をするんですよね。
このシーンと、
1年後、崖から転げ落ちる津軽さんを思わず助けて再会するシーンの表情が大好き。
最終回になってようやく本当のラブストーリーになったなあって思いました。
いや、今までもキュンとは来ていたんですけど、
そのキュンは子供にたいする「かわいいなあ」キュンと一緒。
ラブストーリーとしてのキュンは最終回だったなあ。
自分の運命をきちんと理解した研さんが、
津軽さんと一緒には生きられないと悟ってしまった切ない目。
綾野剛の本領発揮といったところでしょうか。
綾野くんには切なさがとても似合う・・・。
すっかり大人びた研さんが、
津軽さんや稲庭先輩や鶴丸教授が自分の生きる場所を作ってくれたのが嬉しくて
子供みたいにポロポロ涙を流す。
中盤の子供っぽい研さんじゃなく、
すっかり大人な研さんが子供みたいに泣くからこそ
その落差が胸に迫る。
エンディング後の数十年後の研さんは
姿形こそ昔のままなのに、ちゃんと年輪を重ねた木のような重みを感じさせてくれました。
不老不死の研さんにも、ちゃんと月日は流れているんだ・・・。
そういう変化を、きちんと表情と佇まいで感じさせてくれた。

深志研という役は本当に作り込まれたキャラクターだと思います。
でも、その変化は誇張され過ぎていない繊細な表情の違いで表現されていて
それがこの物語を支える一つのリアリティになっている。
このドラマは綾野剛の演技を堪能できる作品だなあと思います。
でも、綾野君の幅広い表現を知っているから
どちらかというとsweetな役柄だった研さんを十分堪能したら
今度はまた違った味を堪能したくなるのがファンの性なんですよねえ。
思わず「武曲」3回目見に行っちゃいましたもん。
「フランケンシュタインの恋」が終わったあと直ぐに
「亜人」の予告とポスターが公開されたのも嬉しかった。
「フランケンシュタインの恋」では不器用そうにトテトテ歩いていたけど、
実は身体能力がとても高い綾野くん。
機敏な動きで佐藤君と相対する殺陣、楽しみだなあ。

いつまでも思いつくままに感想書いているわけにもいかないので
最後に衣装の感想。
研さんの衣装、秀逸でしたよねえ。
森の中では見事に風景にとけ込んじゃうのに
町中ではすごく異質観を感じさせる衣装。
まさに研さんの本質をそのまま形にしたような衣装で、見事でした。
コートの裾の翻り方もきれいだったなあ。
「シャニダールの花」で白衣の裾の翻り方にこだわった澤田石さんなので
きっとこのコートも工夫に工夫を重ねてああなったんだろうな。
今、この衣装が展示されているそうで・・・。
こういう時は、ほんと、東京はいいなあと思います。
仕方ないので、行かれた方がアップされている画像を見て
心を慰めています。
袖口のモフモフかわいい・・・。

この三ヶ月、本当に、本当に楽しい時間を過ごせました。
このドラマを作ってくれたすべての人に感謝します。
ほんとうにありがとうございました。













フランケンシュタインの恋 最終話 その1

なんか最終話の感想書くのさみしいな。
書いてしまうと本当に終わってしまう気がして。
いや、私が感想書こうが書くまいが、もう終わったんだけどさ。
最後のオーディオコメンタリー聞いて、
聞く前は打ち上げの時にみんなでワイワイ収録したかな?って思ってたので
スタッフさんだけということで、ちょっとしょんぼりしたんだけど、
(でもこれはこれで今までとは違う角度から話が聞けておもしろかった)
途中で綾野君が参加してくれて、なんか本当によかった。
だいたいこのコメンタリー自体、番宣の為なんだから
最終回が放送された後、最終回分の放送をする必要性はないはずなんだけど、
それでも最後まで・・・ときちんとやってくれるスタッフ優しいなって思ってて
そこに
「ちゃんと最後まで関わらせてっていったでしょ」
って打ち合わせを終えて参加してくれるその心意気が嬉しすぎて・・・涙。
最後の最後まで優しいドラマだったなあと思います。
お地蔵さんの横に立っていたあの大きな木は
半分本物、半分スタッフさんの手作りだったそうで4日かけて作ったんだとか。
幹は本物を植え込んで枝はスタッフさんの手づくり。
でもその木ももう今はない。
6月18日に撤去されたそうです。
研さんのあの凝りに凝ったおうちも、今はもう、ない。
天窓の所に鳥の巣が作ってあったっていうの、すてきですよね。
映るかどうかわからない、でも、研さんの日常を一生懸命考えて
物語を自分の中で膨らませて、作る。
そういうお仕事なんだなって思いました。
そして、それだけ手塩にかけて作ったセットも、小道具大道具も
撮影が済めば跡形もなく消えてしまう。
寂しいけれど、でも物は消えてしまっても、映像作品として残りますもんね。
もっと言えば、ドラマを見ていた私たちの記憶にはずっとずっと残る。
いつもはドラマを陰で支えている人たちの生の声を聞けておもしろかったです。

さてさて、最終回、本当に大団円で、
でもなにもかもがハッピーエンドではなくて
最後にちょっと余韻を残したところが秀逸でした。
ドラマの最終回って結構おもしろくないことが多いんですよね。
今まで広げた風呂敷を畳むのに終始することが多いから。
時には、あらかじめ予定された最後の感動シーンに持って行くために
今まで連続ドラマで積み上げてきたものを台無しにするようなドラマもあって
そういうときは、本当に興ざめしてしまう。
そういうドラマに遭遇すると
今まで3ヶ月にもわたって見続けてきた自分を本当に悔やみます。
そこまでではなくても、最終回を見たらつきものが落ちたように
そのドラマに対する関心や熱をすっとなくしてしまうようなものもある。
このパターンって結構多いかな。
逆にエンドがこちらの予想を超えていたりすると、
そのドラマはずっと心の中に刻みつけられていく。
このドラマに関しては、エンドが完全に予想を超えていました。
研さんが森に逃げるまでは、予想の範囲だったんです。
ここまでは今まで描いてきたあれこれを畳んでいっているなあという感じで。
でも、1年後、数十年後の展開が完全に予想を超えていて
そしてそれがとてもとてもこのドラマに似つかわしい物でした。

まずはある程度予想通りだった前半の展開。
社長の言葉は本当によかったなあ。
覚悟を決めた男はかっこいい。
仕事が来なくなって稲庭工務店が立ちゆかなくなったとしても
研さんとの人間関係を優先した社長。
確かに社長の選択としたらそれはだめなんだろうけど、
それでもその覚悟で従業員をいわれのない誹謗中傷から守るっていう心意気。
久々の「めんどくせえ」で稲庭先輩がちゃかしてしめちゃったのも含めて
すごくいいシーンだったなあ。
その後は保健所と警察が来たときに、本当に研さんを守ろうとしてくれましたよね。
保健所の職員に仁王立ちになって毅然と対応する社長のかっこよかったこと!

天草さんはラジオ、とうとうクビになっちゃいましたね。
でも、十勝さんとリリエさんが天草さんを守ろうとしてくれました。
この二人の心境の変化も嬉しい。
自分は実は怪物を利用していたのだと告白する天草。
でも、最後まで怪物が好きだったって言ってくれた。
人の心には悪い部分もよい部分もあるということを
ずっと描き続けてきたこのドラマ。
そうだよね、だから人間っておもしろいんだよね。
逃亡したフランケンを応援して、天草ソングをかけてくれる十勝さんとリリエさん、すてき。
東京と山の中で天草さんと研さんの歌声が重なる。
天草さんはあの時東京の歩道橋の上で行方しれずの研さんのこと考えてたんだと思うし
研さんは山で天草さんとのあれこれを思い出して楽しそうだった。
きっと研さんの言う「心は繋がっている」っていうのはこういうことなんだね。
そして騒動以降ラジオ局側に立って、研さんを利用して局を守ろうとした牛久も
つまりは彼も天草さんのこと大好きだったんだ。
天草さんと一緒に怪物と呼ばれるようなすごい番組を作りたかったと告白しました。
こうして最終回まで見てみると、この牛久さんのぶれ方や行動も
実に人間くさかったなあ。
最終的に天草さんもラジオの世界に戻れましたしね。
やっぱりお悩み相談をしているようですけど、
でも、ちょっとその対応が変わったようです。
奇抜な意見を言いがちだったのが、
相談相手にきちんと向き合って答えられていた。
人が怖くて外に出られなくなったという人に向けて
外を森だと思ってみれば? とやっぱり独特の切り口ではありますが、
人も自分を怖がっているかもしれないと思って、
自分が声をかけて欲しい言葉をかければいい、
というのはやっぱり研さんとのあれこれが優しく影響しているのかなあ
なんてほんわかしてしまいます。

そして、そして、先輩の「みことーっ!」よかったですね。
美琴ちゃんんがかわいかっただけに、
その思いが報われてよかった。
本当にすべてが優しく収まるべき所に収まって・・・。
先輩もなんか嫉妬に駆られているときよりも自由になっている感じがして
みんなにとってよい収まり方でした。

研さんが森に帰るというのは想定内でした。
予告が予告だったし。
後は時間が飛んで、津軽さんが子供の手を引いて研さんに会いに来るかなあ
くらいのラストを予想していました。
研さんと津軽さんがハッピーエンドを迎えるという気は全然しなかった。
このドラマにハッピーエンドがあるとしたら、
研さんの死が幸せな形で描かれることだと勝手に思いこんでいたので。
でもその勝手な予測、完全に逆になりました。

まず、研さんが、森に帰り、
そのことに気がついた津軽さんから身を隠すように
120年馴染んだ森から立ち去ったところから、1年後。
稲庭先輩がネットで研さんのきのこを見つけます。
そこに研さんがいる! と津軽さんがその山に探しに行きます。
結構さっさときのこが見つかっちゃうのはご愛敬。
最終回で、しかも「1年後」でそんな所に尺をかけていられません。
きのこを取ろうとして崖から転がり落ちる津軽さんを
研さんがさっと現れて助けます。
ここ、津軽さんの転がり方が1話のサキさんと一緒だなあとは思っていたのですが、
コメンタリーを聞いて、
120年前には転がり落ちたサキさんを殺してしまった研さんが
今度は津軽さんを救ったことに気づきました。
サキさんにしたこと自体は取り返しがつかないけれど、
今度はちゃんと助けられてよかったね、研さん。
研さんはちょっと困ったような
(津軽さんから隠れていたのに見つかっちゃったからね)
照れくさいような、でもやっぱり津軽さんのことが愛おしくて仕方ないような
そんな目で津軽さんを見つめます。
前半、というか研さんが記憶をなくすまでは
研さんからの一方的な愛の告白が多かったんだけど、
ラスト3話くらいは津軽さんが今までため込んできた思いを吐き出すかのように
研さんに「好き」という思いを繰り返し伝えますね。
研さんはそれを優しく受け止める側に・・・。
もう躊躇なく津軽さんを抱きしめられる姿を見ているとキュンとします。
でも、この物語が本当に優しいのはこの後。
山には鶴丸教授や稲庭先輩も来ていて、研さんをキャンピングカーに連れて行きます。
放送時、「彼氏とキャンプ中」に使っていいよと
公式Twitterさんがつぶやいていた屋外用のテーブルとイス。
写真の中で怪物さんと稲庭先輩が仲良くお茶してました。
てっきり、山での撮影にはこんな道具も持ち込んで撮影しているんだ!
って感心していたのですが、
このシーンでいる道具だったんですね。
キャンピングカーの中で、研さんはこの3人が1年間考えてきたプランを聞かされます。
このキャンピングカーを使って、研究室の支援を受けながら、
研さんは研さんの研究をする。
そしてそれを難病治療に役立てる、というもの。
9話放送くらいから、1話からもう一度見直すということをやっていて
驚いたことがいくつかあるんですけど、
その内の一つが、研さんの最初の望みは「新しい自分を見つけること」だったということでした。
その後の恋バナやごたごたですっかり忘れてましたが・・・。
つまりはこのお話はある種研さん、つまりは怪物の自分探しの物語でもあったわけです。
自分が何者であるかという問いは、8話で記憶を取り戻すことで解決しました。
そして研さんが出した結論が、自分は人間の社会で生きていくことはできない、でした。
大切な人たちに迷惑をかけたり、傷つけたりしてしまうから
だから研さんは森に帰って行った。
そんな研さんに新しい生き方、人間と関わる方法を
三人が見つけてくれたのです。
生前の呼六さんの思いと、怪物となった研さんの思いをくみ取って
研さんならではの、研さんにしかできない生き方を。
鶴丸教授は優しいから、
「これは我々の為でもあるんだ」
と言ってくれます。
確かに、研さんが生み出す菌の可能性を、
研究者ならば見過ごせないという気持ちは本当なのだと思います。
研究者として成功する可能性もあるわけですから、
ある種研究者のエゴから出た提案でもある。
でも、そのエゴの部分をきちんと研さんに説明するのも
やっぱり鶴丸教授の優しさだと思うんですよね。
鶴丸教授はずっと研さんの「心」を肯定していて、
それはもう1話の段階から、「彼の心は人間そのものだ」と言っていたし、
8話では「深志博士が信じた君の心を信じる」とまで言ってくれた。
なんでこの人はそんなことまでわかるんだろう・・・
なんでそんなに断言できるんだろうと思っていたのですが、
きっと鶴丸教授は深志博士のことを知った時から
研さんを、望まずして人体実験をされたかわいそうな被験者として
見ていたんだろうなあ・・・と思います。
研さんをこういう視点で見ている人物は、鶴丸教授の他にはいない。
すると見えてくる事実も、きっと他の人とは違うんだろうと思うんです。
他の人の関心が、研さんがほんものの怪物かどうか
どのくらい危険なのかに関心があるのに対して、
きっと教授は深志博士に共鳴する形で物事をとらえていたんだろうなあ。
同じ研究者として、未知の菌を手に入れたら
それを人体実験してみたいという気持ちはわかるんだろうと思う。
実験しなければ、理論が正しいかどうか証明できませんもんね。
でも、そこは科学者とマッドサイエンティストとの違い。
実際に人体実験に踏み切るのには大きなハードルがある。
生きている人間に投与するのではなく
死人に投与するという意味でやりやすかったのかもしれませんが
それでも、生き返らせてみて、彼が人を殺す恐ろしい怪物だと知って
自分がしたことの恐ろしさを感じたのかもしれません。
結局、博士は、呼六以外にこの驚異の施術を行うことはありませんでした。
呼六が生き返ったことを単純によしとしていたら、
不死身の命をどこまでも追求するのなら、
愛するサキさんを蘇らせることもできたでしょうし、
呼六に教え込んで、自分の肉体を再生してもらうこともできたかもしれません。
でも彼はそうしなかった。
一方で、生まれてしまった怪物に対しても、
危険を理由に彼を抹殺するようなことはしませんでした。
ただ、人間に近づくな、森で植物のように生きろと教えただけ。
その辺りから推測して、鶴丸教授は研さんの心を信じるようになったのだろううと思います。
そして実際に子供のように純真な研さんに接してみてそれは確信になった。
だから鶴丸教授は研さんを
望まずして人体実験の被験者にされて、永遠の命を与えられ、
そのことに悩み苦しんでいる気の毒な若者として扱った。
科学者として彼を救済することは必然だと思えたんでしょう。
放送当時は、違和感の方が大きかった研究室パート。
物語のバックボーンの説明にに必要なのかな・・・
程度の認識で見ていましたが
見直してみると、突飛に思えていた鶴丸教授の言葉が、
きちんといろんな所にはまっていく。
何より、研さんの居場所として最終的に大きく機能させるために
あの研究室は描かれていたんだなと思うと胸が熱くなる。
研さんの「研」は研究の「研」ですもんね。
呼六さんが難病をなくしたくて菌を研究した深志博士に弟子入りしたこと
研さんが「人の役に立ちたい」と願ったこと、
そしてそれは津軽さんと願いと一つになって、
一緒に生きていくことができる手段でもあって
なんて、なんて優しい結末だろうと思いました。
ここにたどり着くために、今までのあれこれはあったのだと、思いました。
話を聞いて子供のように涙を流す、研さん。
よかったね、自分らしく生きる場所が見つかって。
後日談として、大きなよい木を見つけて、津軽さんを呼ぶ研さんの姿。
心なしか、今までの研さんよりずっとしっかりして大人っぽい声。
二人手を合わせて、研さんが木に菌を注入します。
優しい菌がふんわりと木から空に舞って、
その下を幸せそうに手をつないで歩いていく二人・・・
なんて完璧な大団円なんだああああああ。
と感動にうち震えてのエンディング。
ああ、このエンディングも最後なんだと思いながらも、
実はほんのちょっと心に何かひっかかっていました。
津軽さんに触れられるようになった、
津軽さんと幸せに暮らせるようになった、
人とつながりながら暮らせる新しい生き方が見つかった
すばらしい終わり方なんだけど、
思いもしなかった優しい終わり方なんだけど、
なんかきれい過ぎないかい?
いや、いいんだけどさ、研さんが幸せならば。
でも、ほら、もともと私が空想していたハッピーエンドの形が
研さんが死ぬことだったものですから、
不老不死の扱いにちょっと引っかかっていました。

とか思っていたら、エンディングの後に数十年後の映像が!!
賛否はあったみたいですが、私、あの飛行機よかったと思います。
数十年後の世界にドンと視覚的に連れて行ってくれた。
ある意味本当に一目見てわかる未来になったので。
そこで描かれたのは、稲庭先輩と美琴の孫が研さんを尋ねてくるエピソード。
それで明らかになったのは、
稲庭先輩と美琴が結婚していたこと、
その孫がちゃんと稲庭先輩の仕事を継いでいること。
(稲庭工務店はきっと美琴ちゃんが引き継いだんだろうなあ)
そして、1年前に津軽さんが亡くなっていること。
稲庭先輩がおじいちゃんになっているわけですから
きっと鶴丸教授もとっくの昔に亡くなっているのでしょう。
でも、研さんは研さんの姿のまま・・・。
津軽さんは研さんを残して逝ってしまいました。
直に他の研さんの知り合いも、研さんを残してみんな逝ってしまうでしょう。
研さんだけが終わらない人生を生き続ける。
研さんは今も菌を生み出して研究する生活を続けているようです。
たった一人、あの森の家で。
ラストは木に菌を植え付けた後、森の中に消えていく研さんの後ろ姿。
研さんが立ち去った後、木ににょきっと赤いきのこが二つ。
研さんの恋の象徴である、赤いきのこ。
研さん、津軽さんのこと思い出したかなあ。
津軽さんの気配をどこかに感じたかなあ。
この余韻がズシンと心に響いて、それが時間が経つほどに大きくなっていきました。
このドラマは、研さんにこの上もない幸せな一つの結末を与えたけど、
不老不死という重い宿命からは研さんを解放しなかったのだなあ。
それはある意味、フランケンシュタインという題材を扱う上で
一番大切な要素から逃げなかったということでもある。
たぶん、この要素をおざなりに扱われたら、
この物語はもっと陳腐なものに成り下がったのだろうと思う。
逃げなかったからこそ、怪物の存在がくっきりと刻まれた。
そんな秀逸なラストでした。

思っていたよりも長くなってこの週末に書ききれなかったので
ここで一旦切ります。
感想はもう少し続きます。

続きを読む

フランケンシュタインの恋 第9話

9話、よかったですねえ。
見終わってなんかすごく幸せな気分になって
本当にここまで見続けてきてよかったなあって
連続ドラマを見続ける楽しさってこういうことなんだよなあって
しみじみ思いました。
次は最終回だし、この1週間はこのままフラ恋の世界にひたるぞー!
と思って録画して残してある1話からもう一度見直したりしていました。
本当は「武曲」だって2回も見に行ったし、
そのうちの1回は監督の舞台挨拶もあったしで、
その感想も書きたいのだけど、
今はとにかくフラ恋の優しい世界に浸っていたい。
幸いにも見ていたドラマがほぼ終わっているので、
その時間もずっとフラ恋見ていました。
とはいえ、今週はamazarashiの「虚無病」ライブのDVD発売もあって
途中ちょこっとamazarashiの世界観に浸食されてもいたんですけど、
とりあえず金曜にコメンタリィ付きの配信動画を見て
再びフラ恋のテンションをあげて、
よっしゃーっ! 感想書くぞー! と意気込んでいたところ、
実は金曜日はamazarashiの中野サンプラザライブがあって、
ライブがあるときは終わるくらいの時間にTwitterで感想をあさったりセトリを確認したりするんですけど
どうやらこの日のライブは大ハプニングがあったもよう・・・。
ライブ中止? 救急車?
え? なにがあったの?
と情報を探して気分がそわそわ・・・。
amazarashiは1ヶ月ほど前にサポートメンバーの出羽さんが体調不良で
札幌公演が中止になったばかり。
その後のライブも4人体制でやったり
違うサポートメンバーを迎えてやったりで、
なんとかライブをこなしてきただけに、
今度はドラムの真さん?! と本当にびっくりしました。
ドラムの真さんはTwitterでフォローしているんだけど
そういえばここ2、3日ツイートなかった・・・。
ここ数ヶ月結構頻繁につぶやいていたのに。
ライブ前には必ずと言っていいほどつぶやいていたのに・・・。
最近忙しそうだったもんなあ・・・。
どうか、どうか、それほど大変な状態ではありませんように。
早くよくなりますように。
amazarashiが所属している事務所って
それほど大規模な事務所じゃなさそうだし
(よくわかんないけど、たぶんいわゆる大手という事務所じゃないと思う)
一つのツアーで2回も公演中止になって大丈夫なのか?
という心配もあるのだけれど、
でも、とにかく今は真さんにはゆっくりしていただいて、
少しでもはやく回復して欲しいと願っています。
とかなんとかamazarashiの情報をあさっているうちに
amazarashiがアニメの主題歌を歌うらしいという情報を拾ったり
そんなこんなでやっぱり気持ちはしっちゃっかめっちゃかなんですけど
気を取り直してフランケンシュタイン第9話の感想。

9話のおもしろさって、やっぱり今までのシーンや台詞がふんだんに使われていたところですよね。
予告でサキさんが不器用そうに自転車に乗るシーンがあって、
でもその段階では気づいてなかったのですが、
ここって1話の研さんが始めて自転車に乗るシーンの逆なんですね。
ペダルに足をおいて・・・と説明するのもちゃんと繰り返してる。
1話で自転車によって研さん人間の世界につれてこられたように、
サキさんもここからぐっと今まで自分が知らなかった世界、
研究所のお手伝いにのめり込んで行きます。
それにしても、自転車に初めて乗って
「こわいこわい」
じゃなく、後ろで支えている呼六さんに
「なにをしているんですか? それでは一人で乗ったことにならないじゃないですか」
って言っちゃうサキさん好き。
おてんばというか向こう見ずというか・・・。
自転車が壊れちゃうところまで繰り返しているんですよね。
第1話では申し訳なさそうな研さんと悲しそうな津軽さんでしたが、
120年前は大爆笑だったんですね。
なんか呼六さんと研さんの性格の違いがとてもよく出てる。
繰り返しと言えば、この自転車のシーンの前
怖いお父さんに畑を借りる話をしに行く時、
お父さんが昔研究所に猟銃をぶっ放したことがあると聞いて
ちょっと戸惑っている呼六さんに、サキさんが言う台詞。
「私がついているから大丈夫でしょう?」
も見事に繰り返していますよね。
山から下りることに躊躇している研さんに津軽さんが同じ台詞を言っていました。
でも基本的には120年前のエピソードの多くは120年後の反転。
津軽さんが研さんに人間の社会のことを教えたように、
呼六さんがサキさんに農業のことを一つ一つ教えていきます。
とにかく純朴で快活な呼六さんがかわいい。
この人ならサキさんも惚れるわな、と思わせる。
そして人間嫌いで人を遠ざけている深志博士が思わず受け入れちゃうのも
すんなり納得できるんですよね。
研さんと違って大きな声ではっきりとはきはきしゃべるのも
すぐにおでこに手をあててペシペシしたり、
あせるとあたふたとめがねを触ったり
あきらかに研さんとは違う。
(ま、研さんはめがねかけてないけどね)
根本的に立ち方も違いますよね。
呼六さんのほうが背筋を伸ばしてすくっと立ってる。
研さんはどこか身を縮めるように猫背気味。
動きも呼六さんはしゃきしゃき。
歩き方もスタスタ。
でも研さんは不器用そうにトテトテと歩く。
動きも一つ一つの動きを確かめるようにゆっくり。
あ、でも共通するなあって思えた箇所も。
というより、研さんの行動として多少違和感があった7話の研さんの抱擁未遂。
ラジオに出てもいいか津軽さんに聞きに行った時、
思わず津軽さんを抱擁しようとした研さん。
いつも気をつけて津軽さんには触れようとしない研さんが
あら、意外と大胆な! と思ったのですが、
ほうほう、もともとそういう要素を持っていたのですね。
呼六さんって決して女性慣れしているわけじゃないんだけど、
素直だから心で思うと案外すっと身体が動いちゃうんですね。
研さんにもその気質がふっと出た感じ?
すぐに気がついて回避しましたけど。
呼六さんにはもちろん「触っちゃいけない」という縛りがあるわけじゃないので
すっと後ろからサキさんを抱きしめます。
ただ呼六さんには身分違いの恋という縛りがありますから
すぐに我に返ってあわててサキさんから離れます。
すると今度はサキさんの方からそっと呼六さんを抱きしめます。
これも津軽さんと一緒。
津軽さんは研さんの胸にそっと頭を乗せて終わりでしたが、
怪物縛りがないのでサキさんは呼六さんを抱きしめられます。
呼六さんもそっとサキさんを抱きしめ返します。
ここ、キュンと来ましたねえ。
そっと抱きしめあっているだけなのに、キュン。
ああ、人間だった時にはこんな風に当たり前に抱きしめられていたんだ
という思うと切ない。
それになんとなく「カーネーション」の周防さんと糸子のシーンを思い出しました。
許されない恋、だけど押さえきれない恋。
そっと抱きしめあうだけで表現される節度の効いた愛情表現が
かえって好きだという思いを強めてくれる。
それに、1話を見直したとき思ったのですが、
1話で稲庭先輩が津軽さんを抱きしめる時の抱きしめ方が、
呼六さんが思わずサキさんを抱きしめたのと同じ抱きしめかたなんですよね。
後ろから包み込むように抱きしめるっていう。
研さんが、まだ津軽さんに対する恋心を自覚していない研さんが、
抱擁しあう二人を見てあれほど強く嫉妬の思いに駆られたのは
眠っていた記憶が揺さぶられたのかなあって、ちょっと思いました。
過去のエピソードが今まで見てきたドラマの繰り返しであったり反転であったり、
見てきた者ならば、ああ、あのシーン!と嬉しくなってしまう仕掛け。
こういうのって、連続ドラマならではの楽しみだなあとしみじみ思いました。

天草さんが最終的に保身にはしらずに、研さんの言葉を真摯に受け止めてくれたのもよかった。
オーディオコメンタリィを聞いて、このシーンが天草さんとの最後のシーンだったと知りました。
ドライの時から感情がこみ上げてしまって大変だったとも・・・。
もちろん綾野君も新井さんも演技としてやってられるんだけど
中の人同士のリアルな信頼関係やここまで数ヶ月一緒に作品を作りあげてきた思いが
上手くドラマの内容にシンクロして
確かに画面に映り込んだなあと思いました。
たぶん、こういう感じは映画よりもテレビのカメラの方がより多く映すんじゃないかと思います。
テレビの方がより素の部分が役に反映するというか。
だからこのシーンは本当にぐっときました。
怪物と天草の間に流れた心の交流が、確かに伝わった。
天草も単純にいい人として描かれてきたわけじゃなく、
時には自分の利益のために研さんを利用してる? と思わせる描写があって
その時々の答えをを迷いながら探しているのがおもしろい人物でした。
単純に怪物の味方、実はいい人という描かれ方をしなかったことで
物語に深みが出たように思います。
十勝さんも最後の最後に研さんの話を聞いてくれてよかった。
今までは頭から研さんの言葉を信じてくれなかったですもんね。
一方、天草の側にいっつもいたラジオ局のADなのかな? 牛久さん。
最初は天草さんの唯一の味方っぽかったのに
怪物を巡る騒動でどんどん局側の意見を主張するようになって行く感じがリアルでよかった。
その上司も、最初はあんまりうるさく言わないタイプの人かなあって思ってたけど
こちらもぶれずに局側の意見を貫く人で・・・。
研さんの言葉に耳を傾けてくれた天草さん、十勝さんと
このラジオ局の二人が好対照でそれもおもしろかったです。

でも、なんと言っても深志博士、よかったですねえ。
やっぱり本当の意味でのお父さんではなかったんですね。
斉藤工さんをこの役に配した訳がよくわかりました。
私、個人的にああいう風貌が好きなこともあるんですけど、
深志博士、かっこよかったあ・・・。
色気もすごく感じました。
いつか生前の記憶を取り戻すかもしれない呼六のために
自分の思いを書き留めていたこともなんか切ない。
深志博士のお話だけで2時間特番が見たい! と思えるような切ない展開。
それを日記の言葉を借りながら深志博士にもモノローグで語らせて
さらっと描いちゃったんですけど、
ここってものすうごおくロマンチックなところやん~
もったいないなあ・・・という気持ちもちょこっとあります。
2週間ほどまえにプロデューサーさんがこの過去の三角関係と
この後の展開(津軽さんを救うために稲庭先輩が大活躍する)ということを話されていて
うわーっ! それはロマンチック! と思って楽しみにしていたんですよね。
120年前から生きている研さんと、
サキさんの子孫である津軽さんのと恋はもちろん運命的なんですけど、
120年前にも現代にも同じような思いで二人の恋を見つめる男性がいた
ってなんだかとてもロマンチックに思えたんです。
そしてその男性が120年前には恋敵に永遠の命を与え、
その120年後恋する女性の(子孫だけど)命を救うってロマンチックじゃないですか!
あらすじのような博士の恋にもちゃんと感情移入できたのは、
ここまで稲庭先輩をきちんと描いてきたからだと思うんです。
現代の話として、研さんと津軽さんの関係にやきもきしながらも
研さんのこともちゃんと好きで、
力になってきた稲庭先輩を丁寧に描いてきたからこそ
博士の複雑な思いもすんなり受け入れられた。
過去と現代で、相似形の三角関係を作ったのが
構成としてとても上手かったんじゃないかなあと思いました。
ただね、ちょっと残念だったのが、稲庭先輩大活躍の部分。
がんばって山に行って研さんのおうちを探索までは想定通りだったんですけど、
その後、見つけてきた菌を使って、
もしくは研さんから採集した遺伝子を使って、
先輩が津軽さんを治す特効薬を作るんだと思っていたんですよね。
でも、研さんの謎を台詞でだだだーっと説明して
研さんの赤いきのこを出す菌は安全なんだ!
という言葉で解決しちゃうのが、なんか拍子抜け。
えー、もっと稲庭先輩に活躍させてあげてよーっ
勝手に稲庭先輩大活躍のあれこれを思い描いていたので
そこはちょっと残念でした。
このドラマって科学の部分はちょっとおざなりにされていますよね。
研さんの菌で倒れてしまった人に対する特効薬も
なんかあれよあれよと言う間に作っちゃってるし、
教授がちょこちょこっと研究したら結構すんなり研さんの秘密が(ある程度)解明するし。
この辺りにもうちょっとリアリティ感が出せたらなあ・・・。

とは言え、稲庭先輩のおかげで津軽さんに触れることができた研さん。
120年前の回想で包容する二人の姿を見られたとはいえ
やはり現代の研さんに幸せになってもらいたいですもん。
おそるおそる津軽さんの手を握る研さん。
研さんの身体からピンクの胞子が出始めて首からは赤いきのこが・・・。
ここも過去の逆ですよね。
120年前はベッドに横たわっていたのは小六さんで
手を握ったのはサキさんでしたもんね。
津軽さんの意識が戻って、もう一方の手を研さんに手に重ねる。
できすぎだとは思うんですよ。
でも、そんなことより幸福感がすごくって。
研さん、よかったねえ、よかったねえって・・・。
この幸福感を胸にこの1週間は幸せな気分で過ごせる!
と思いましたもん。
津軽さんが目を覚ます前にインサートされた映像。
津軽さんの名前を彫った木ぎれに生えた赤いきのこ。
そして研さんが枯れ木に作り出したきのこツリー。
この回想でああ、そうか・・・と強烈に思ったのが
津軽さんの台詞。
「もしあなたの心がこの赤いきのこなら、あなたは人間に恋をしてもいいと思います」
3話でこの台詞を聞いたときに、しっくりこない台詞だなあと思ったんです。
研さんが津軽さんに恋をしていて、そのことを知っているのに、
わざわざ夜に研さんに会いに来て、伝える言葉がこの言葉なのかなあ・・・って。
なんか言い回しもぎこちないし。
もちろん、この回の中盤で研さんはラジオに
「人を殺すかもしれない怪物は恋をしてもいいのでしょうか」
という質問をして、天草さんと十勝さんの真逆の見解を聞いて混乱し
津軽さんにその答えを求めたのですが、津軽さんは答えられず・・・
という流れを受けていたので、
理屈的にはその質問にようやく答えられたということなんだとわかりましたが、
でも、自分にはっきりと告白している人に向かってこの答え方はなんだろうなあ・・・
そんな他人事みたいに答えるの?
ってちょっと思っていたんだけど、ここにつなげる為だったんですね。
そんでもって、やっぱりわかったようなわかんないような・・・で、
何となく腑に落ちていなかった教授のアドバイス
「恋をしなさい。相手の遺伝子に働きかけるのです」
という台詞も、ここに繋がっていたんだなあって。
このドラマ、ずっとなんか台詞がしっくりこないことがあって、
研さんが言葉遣いがたどたどしかったり、的を少し外していたりするのはわかるんだけど
周りの人たちもやっぱりちょっと予想外の言葉を使ったり、
しっくりこない言い回しがあったり・・・で、
なんでだ? この脚本家さんってそんなに台詞下手だっけ?
いやいやそんなはずはないから、
なんか分かんない「縛り」を自分で作ってわざとこういう台詞回しにしてるのか?
ってずっと不思議に思っていたんだけど、
そのいくつかは後の展開につなげるためにあえて選ばれた表現だったんだなあ・・・たぶん

でね、ここ最近1話から見直して思ったことなんですけど、
2話で深志博士のシーンあったじゃないですか!
意識としては
「僕には生きていた頃の記憶もなければ僕には死んだ記憶もない」
と研さんがほとばしるような思いを打ち明ける部分と
その研さんを抱きしめて「植物のように生きるんだ」という深志博士・・・
おおっ、なんか分かんないけど(BLの趣味もないけど)麗しいシーンだ!
っていう印象の残り方をしていたんですけど、
改めて深志博士が言っている台詞をちゃんと聞くと
「いいか、人間だけが生命のあり方だと思ったら大間違いだ。
おまえはここでは死者なんかじゃない。私が新しい命を吹き込んだ。
おまえは植物だ、考える植物だ」
っていう台詞ももしかして何かを暗示している?
ここも、話の流れからすると、
おまえは一度死んで、自分が生き返らせた。
自分だけはずっとおまえの側にいる。
だからここ(森)で人間とは交わらずに生きていけばいい。
という要旨を話せば済むことだと思うんですよね。
「おまえは植物として生きていくんだ」
っていうのは言い過ぎというか、ちょっとひっかかる。
確かに体内に菌を植え付けられてその菌によって身体の組成が変化したのだから
植物に生体は近くなっているのかもしれないし、
そのことを強調したかったのかもしれないけど、
なんかちょっと違和感があったんです。
これが最終話を暗示しているんだとすれば・・・。
そんでもって、エンディングの映像。
この映像本当によくできていて、
たいていこういうエンディングの映像って毎回同じものが流れるので
だんだん飽きてきて、スタッフロールばっかり注目しがちになるんですけど
このエンディングだけは毎回がっつりと見入ってしまう。
怪物さんの表情の変化が本当に見事で、ちゃんと物語になっているから。
でね、このエンディング、ある意味ドラマの大まかな流れを追ってると思うんです。
森の中で目覚めた怪物が、気がつけば都会の(人間社会の)真ん中に立っていて
驚いたような怯えたような表情を見せたかと思うと、
(津軽さんについて山から下りてきて人間の社会で暮らそうとする)
カメラのこちら側に何か大切な愛おしいものでも見つけたかのように
和らいだ表情になる。
(津軽さんに恋をする)
そこに手を伸ばすと、場面が切り替わって怪物の家で
怪物はテレビの画面からなにか受け取ったような風情で
そのままラジオをつける。
(実際の研さんの家にはTVはないんですけどね)
すると色調が変わって周りから花束をわたされて幸せそうな表情
(ラジオに出て人気になる)
けれど正体がばれて、研さんの顔に映し出される怪物の姿。
薄暗い部屋で涙を流す怪物。
そして、ラストは落ち葉の降り積もった森に横たわって目を閉じる。
カメラがどんどん高くなって、まるで森の中にとけ込んでいくよう。
もしこのエンディングが物語を暗示しているのなら
研さんは森に、植物に帰ってしまうのかな。
それはちょっとさみしい終わり方だけど、
でも、プロデューサーさんはハッピーエンドにしますって名言していたもんね。
どんな終わり方を迎えるにしろ、
幸せと受け取れるようなエンドになると信じています。
予告では警察と保健所がの乗り込んできて不穏な雰囲気(保健所!!)
なにやら別れを告げるような研さんの台詞もあるし・・・
でも、長い30秒バージョンの予告に入っている
津軽さんのベッドで二人顔を寄せ合って眠っている姿がとてもかわいくて
幸せそうで、ああ、この絵、待ち受けにしたい!!
と思うようなとってもすてきな場面なんですよね。
綾野君や他の出演者のみなさんやスタッフさんたちが
本当に大切に大切に愛情を込めて紡いできた物語。
最終回、心して見ようと思います。