おんな城主直虎

これまた今更なんですけど、感想を少し。
面白かったんですよ。本当に面白かった。
一昨年の「真田丸」が面白くて、1年間楽しんで見て、
大抵は1年見たら疲れちゃって連続して見ることは少ないので
とりあえずどんな感じか確かめたら見るのをやめる気満々で見始めました。
子役の子はかわいかったけれど、
どの役名も土地の名前も知らないものばかり。
今川、武田という名前がちらちら出るくらい。
でも、自分の出家を認めてもらうために今川で蹴鞠合戦に応じる辺りから
物語の躍動感にわくわくし始めました。
型破りの姫君が自分が行動することによって運命を切り開いていく爽快感。
その爽快感は本役になってもちゃんと受け継がれていました。
主役が特別扱いされて活躍するというのは、特に女性主人公によくあるんですが、
それが無理にいろんなものをねじ曲げて主役すごい! という流れになっていなかった。
出家するというのも、幼い許嫁亀と結婚するために子供の浅知恵で言い出したことだったんだけど、
そのまま大人になっても尼のまま・・・っていうのがものすごい酷な状況。
お姫様なのに、本来ならきれいな着物着て、
お母さんと一緒に刺繍なんかしているような境遇のはずなのに、
泥まみれになって田圃の手伝いやら托鉢やら・・・。
特に子供時代は言い出してみたものの、
出家生活の辛さに弱音をはいてやめると言い出す・・・みたいな等身大の場面も出てきて
それもとてもかわいかった。
また、城主になってからも、まずは仲間づくり国づくりから始まって、
裏のないまっすぐな思いが周りの人々に届いて
少しずつ仲間が増えて、理解者が増えていく感じもわくわくした。
この辺りになってくると、もうすっかり
「そうそう! こういう大河が見たかったの!」
と、前のめりになって見始めていました。
見ながら思い出したのは、子供の頃見ていた大河の感覚。
私は自分の意志で、楽しみで見始めた最初の大河が
「おんな太閤記」だったんだけれど、
その時のわくわくをリアルに思い出したんですよね。
まだ子供だったので有名な太閤ものなんだけど初めて聞く名前ばかり。
だけど、面白かったんですよ。子供が見ても。
今でも思い出すのは戦のシーンとかじゃなくて、
秀吉が短期間で城を造りあげているシーンとか、
初めて城を与えられてねねが城に迎えられたときに、
長い打ち掛けの裾に慣れていなくてつますいちゃうシーンとか。
そういう一見何気ないシーンがとても好きだったんですよね。
主人公が有名だとか無名だとか、男か女か、なんて関係ない。
面白い物語が見たいんだ。
そういうシンプルの欲求がようやく満たされた思いでした。
ここ数年の大河の停滞はなんだったんだ? というような面白さ。
中盤に入ると鶴との関係がとても魅力的になっていきました。
碁を間に挟むシーンがとても好きでした。
面白い面白いと思って見ていたんだけれど、
毎回の録画は見たら消すを繰り返していたのが、
思わずきちんと残し始めたのは、鶴が
「おとわ、俺を信じろ」と直虎の首に刀を向けた回。
あまりのかっこよさに消すに消せなくなってしまった。
そして、その次の回は政次の最期の回でした。
あまりの、あまりの展開と政次の最期にボーゼン。
ここまでは小さな国が生き残るために
次々襲いかかる困難を知恵で乗り切っていく面白さだったのが、
この辺りから歴史の転換期の波に飲み込まれていく人々の悲哀を感じさせる展開になっていきました。
そして物語の中心が直政に移ってからは尚更、
繰り返される悲劇が描かれていくようになりました。
権力者から繰り返し与えられる困難、困難、困難。
長く描くことができるドラマだからこそできる描写の積み重ねが
より多くの感情を呼び起こし、より大きな感動をもたらす・・・という体験ができました。
これこそが大河を見る醍醐味なんだと思います。
「真田丸」も面白かったけれど
「直虎」は「真田丸」とはまたひと味違った面白さを見せてくれました。
こんなすごい作品が2作も続くと、
大河という枠が決してオワコンなんかではないんだと実感できます。
というか、やっぱり長いスパンでじっくり見せてくれるドラマって面白いー!!
ほんっとに、最初から録画を保存しておかなかったのが悔やまれます。
総集編を年末にずっと見ていて、
削られてしまったたっくさんのシーンがどんどん思い出されてしまいました。
でも、削られてしまったような些細なシーンの素晴らしさが
このドラマのよさであったように思います。
これから十年後、二十年後、ああ「おんな城主直虎」っていう大河面白かったなあと思い出すときは
総集編から削られてしまった何気ないシーンのような気がします。
今、「おんな太閤記」を思い出すときのように。
本当に1年間、日曜日が楽しみでした。
素晴らしいドラマをありがとうございました。


ラストレシピ~麒麟の下の記憶~

もう本当に今更なんだけど、一応覚えている範囲で感想を。
もう一回見に行きたいなと思いつつ行けなかったので
結局1回しか見ておらず、ずいぶん記憶も曖昧なのですが・・・。
ネタバレで感想書きますので、原作未読の方、
映画見てない方でどうしようかなと思っている人は読まないで下さい。
映画も原作もオチを知らない方が絶対楽しめる作品です。







この作品は原作を読んでなんかすんごくテンションダウンしていた作品でした。
原作、面白くなかった・・・orz
(原作ファンの方ごめんなさい、あくまでも個人的な感想です)
原作は結構展開が大きくて、読み始めた時とは思いもよらないところに着地して
特に中盤をすぎて後半に入ってからの展開が予想外だったので
そういう意味では楽しめたのですが、
思っていた以上に読後感がよくなかったんですよね。
へええ。そうだったんだ! という驚きはあったし、
よかったねえ・・・という展開ではあったんだけど、
誰にも感情移入しないまま淡々と読み進めてしまった。
主人公の人物造形は映画と同じで、料理のために全てを犠牲にしてしまう人。
小説は佐々木と直太朗の視点で交互に描かれていくのだから、
当然主人公の心情表現もたっぷりとある。
本来ならもっと気持ちが寄り添っても良さそうなものなんですけどね。
佐々木の方の話は主人公云々というより、やはり謎解きの方を追っかけて読んでいたんだと思う。
一方直太朗側の話は、途中まではゆっくりすぎたし、
直太朗の最期もなんか後味がよくなかったんですよね。
柳沢もほとんど出てこなかったし。
これはお飾り程度の役になるのかなあって思ってて。
これだけのお話を2時間程度にまとめるのも難しいだろうし、
柳沢関連のシーンはカットされる所多そうだしなあ・・・
まあ久々に中国語を話す姿が見られるかなあ・・・って、
それだけを楽しみにしていました。
「Life」で綾野くんが話していた中国語がすごく好きだったんです。
今回は通訳として同行するんだからちょっとは話すシーンあるよね。
大切な謎が明らかにされて、物語が大きく進む所だから
案外がっつり描かれるかも・・・わくわく・・・
くらいの気持ちで見に行ったらびっくり!!
思った以上に登場するやん!!
しかも物語のキーマンになってた!
幸さんのキャストが発表されてなかったから誰なんだろうなあ・・・って思っていたんですけど、
その部分は全くのカットで、
ある意味物語の上で幸さんが担っていた部分を柳沢が果たしていた。
というか全てが柳沢の仕組んだことってことになっていて、本当にびっくり。
これはお飾りの役では全然ないぞ・・・と嬉しくなってしまった。
原作を大きく改変したことで、
物語のスケールとしては小さくなってしまった感は否めません。
時代という運命に翻弄された一人の料理人の人生を辿る物語。
過去を調べているうちに、依頼人の思惑さえも越えたところで
明らかにされていく真実。
原作では作中の誰もが予想だにしなかった所に物語は着地する。
けれども映画では、それが全て柳沢(と楊ら昔を知る人たち)の企みに収束され
佐々木はそこで計画された筋書きにそって動いたにすぎない。
物語の広がりとしてはやっぱりスケールダウンしているんだと思います。
だけど、原作よりもすっきりとわかりやすくなって、
そして優しい物語になっていた気がします。
佐々木は柳沢や楊さんの描いた筋書きを辿っただけになってしまったけど、
お母さんと生きて再会することはできなかったけど、
自分を愛し見守ってくれる人たちのことに気づけた。
それってすごく幸せなことだったと思うんです。
ちょっと美しすぎる物語になってしまったかなという気はしますが
物語の顛末としては私は映画の方が好き。

物語は昭和の戦時下の満州と、現代の日本という二つの舞台が
いったりきたりして進んでいくのですが、
原作で読んだ印象以上に、満州の場面がよかった。
西島さんがすごく素敵でした。
こういう西島さん、好き。
職人気質で時にはそれが高じて独善的になってしまうんだけど、
奥さんや周りの人々に支えられて素晴らしい料理を次々生み出していく。
あまりの豪華さに戦時下であることを忘れてしまいそうなほど。
でも料理に打ち込む真剣な表情と大切な人に囲まれて穏やかに笑う顔が
とにかく素敵なんです。
そして、夫の才能を誰よりも信じてまっすぐについて行く千鶴さんも素敵。
西島さんをを見守る宮崎あおいさんの慈愛に満ちた表情が美しくて美しくて。
でも千鶴さんは原作よりずっと早く死んでしまうんですよね・・・。
びっくりしました。
直太朗の方も原作よりもずっとあっさり死んでしまうので、
直太朗の千鶴への愛情をしっかり見せるために、
千鶴を先に死なせてしまったのかなあ。
原作では千鶴と幸を守るために二人を先に日本に帰国させます。
そして刻々と状況が悪化していく満州に残り、
直太朗は一人レシピを書き続ける。
けれどもそれは元の目的の為ではなく、愛する家族に向けたレシピだった・・・という展開。
でもこうした部分を映像としてみせるのは難しかったでしょうから
よりドラマチックな展開にもっていったのでしょうね。
満州と現代の人物配置はちゃんと揃えてあって、
直太朗と佐々木、千鶴と柳沢
そして千鶴の死後も直太朗を支え続けた満州の仲間は
全てが明らかになった後、佐々木の為に集う。
直太朗と佐々木は血縁関係があることもあって、
麒麟の舌と呼ばれる味覚を記憶する能力に秀でた優れた料理人であることは一緒なんだけど、
性格は圧倒的に佐々木がひねくれている感じがする。
けれども直太朗も自分の理想のために暴走しかけるシーンが幾度か出てきました。
ただ、直太朗には千鶴がいたから、彼女が周りとの調整弁になっていた。
千鶴が死んでからは、楊や鎌田といった弟子たちが彼を支えた。
佐々木が直太朗以上に偏屈に見えるのは、やはり育った境遇のせいなのでしょう。
その佐々木を支える人物として柳沢を置いて、その役に綾野くんを配したのはうまいなあ。
これを女性にしてしまうと甘くなりすぎると思う。
男性で、宮崎あおいの慈愛に満ちた存在感に立ち向かえる役者として
綾野くんを選んだのは本当に慧眼だったなあと思うんです。
綾野くんって男性を支えるポジションの役、上手くこなしますよね。
まあ大抵はそういうタイプの役はゲイの役だったりするんですけど。
「クレオパトラな女たち」の裕や「怒り」の直人みたいな。
この系統の役から同性愛要素を抜いた人物が柳沢なのかなあ・・・って思って見ていました。
同性での関係って結構張り合ってしまうような要素が入っちゃいがちなんですけど
無条件に相手の才能や存在を認めて受け入れるということを
すんなりとあたりまえのように見せてしまうんですよねえ。
原作を読んだ段階では、この役綾野くんじゃなくてもええやん・・・
と、正直思っていたんですけど、
映画を見て、なるほどこれは綾野剛じゃなきゃいけない役だと思いました。
もちろん二宮くんとの関係性っていうのも大きく影響していると思うんですけど、
それ以上に綾野くんの特性が活きているなあと思える役でした。
見かけは「武曲」の研吾と一緒なんですけど、
見え方が全然違ったのも面白かったところ。
パーマがあたった長髪に無精ひげも、
研吾のような退廃的な感じではなくて、
その辺にいる兄ちゃんといった風情。
研吾が町中歩いていたら怖いけど、
うらぶれた中華料理屋で軽やかにフライパンを振っている柳沢は
ああ、こんな人いそう・・・という感じ。
(関係ないけどセブン-イレブンの柳沢の炒飯食べました。おいしかった!)
佐々木の店で働いているときはびしっとした格好をしていて
こちらは文句なしにかっこよかった。

この映画はきっと二宮くんありきで企画されたのでしょうが、
主役としては難しい役だったんではないかと思います。
レシピの行方を探して物語を引っ張っていくのは佐々木ですが、
佐々木自身に焦点が当たるのは物語の終盤。
その一つの場面に全てを集約させるために
それまでの演技を繊細に積み上げて行かなくてはいけない。
私は二宮くんの演技ってものすごく好きな時と、
さっぱり響かないときに大きく2分されちゃうんですけど、
正直に言うとこの作品の二宮くんの演技は響かなかった。
あ、でもそれは、すごい!この人天才!
と大絶賛したいほどではない・・・くらいのニュアンスで、
二宮くんに期待しすぎて基準値が勝手にあがっているだけなのかもしれない。
西島さんも同じで、作品によってすごく好きな時とそうでもない時の落差が大きいのですが
この作品の西島さんは大好きでした。
宮崎あおいさんとの夫婦がとても幸せそうで微笑ましかった。
満州でのシーンが素敵だったからこそ、
きっと佐々木も、彼を支えてくれる人の存在に気づけたら幸せになれる、と信じられたんですよね。
びっくりしたのが楊さん役の兼松さん。
私、完全中国の方だと思っていました。
髪型のせいかな。
いやいやすごく上手かったと思います。

思いがけず綾野くんの出番もいっぱいあって、
物語の展開上も重要な役割を担っている映画だったので
見終わったあととてもハッピーな気持ちでした。
優しい映画だったし、後味もとってもすっきりしていたので
もう一回見に行こうと思いながら果たせなかったのが残念。
結構長く公開してくれてたんですけどね。
最終的にどれくらい興業成績あがったんだろう・・・。
二宮くんが主演の割にはあまり話題にならなかったのが残念ではありました。





コウノドリ2 最終話

あけましておめでとうございます。
もう年も明けてだいぶんたってしまいましたが、コウノドリ2最終回の感想です。
とはいえ、もう新しいドラマも始まっているし、
ネット上にはいっぱい素晴らしい感想が溢れていて
今更何を書けばいいのか解らないのですが・・・。

とにかく最終回はみごとな納め方でした。
初回を離島というアクロバティックなところから始めた意味も
そこに佐々木蔵之助さんを配した意味もちゃんとつながったな、と。
地方だろうと不便だろうと、そこに住んでいる人がいて
そこで子供を育てて生きていきたい人がいる。
けれど、そこに産科医がいなければ、その思いも叶わなくなる。
子供を産めない土地では子供がいなくなってしまうから。
地方にとって子供がいなくなるというのは未来がなくなるということ。
そういうぎりぎりのところで踏ん張っている先輩の姿を初回に描いたからこそ
地元で唯一の産科医として踏ん張る四宮のお父さんの思いが、
ちゃんと視聴者に伝わったのだと思う。
本来設備が整っていない病院でお産を行うべきではないと頑なに考えている四宮が
父の跡を継いでその地域唯一の産科医になることを決めるのは
かなり勇気がいることだろうと思う。
そんな四宮の背中をサクラが押してあげるのが素敵。
研修医時代から一緒のサクラと四宮は、
きっと下屋と白川先生以上に二人でいることに慣れていて、
二人だからこそ通じ合う何かがある。
今期は繰り返し繰り返し、そんなシーンを描いてきましたね。
1期の時は、四宮の時には冷たく突き放すような物言いや態度の裏には
サクラと同じだけ赤ちゃんと妊婦を大切に思う気持ちが隠れていることは
徐々に解き明かされていく要素だったから、
四宮の本心はサクラだけが解っている・・・というようなシーンが多かったんだけど、
2期では四宮もほんの、ほんの少し丸くなり、
四宮の本当の気持ちは医局のスタッフも視聴者も知るところになったから、
1期のように四宮の言動の意味をサクラだけが解ってる・・・
ような場面はめっきり減って、
二人が、時には言葉もなく共感しあっているようなシーンがたくさん差し込まれていました。
だからこそ、離れる心細さとか辛さも下屋以上に感じているはずなんですよね。
けれども、自分を勘定に入れずにきちんと相手のことを思って行動できるのがサクラ。
何も言わないで荻島との飲み会をセッティングしてやります。
荻島先生とのやりとりも素敵だったなあ。
早く行きたいなら一人で行け、
遠くまで行きたいならみんなで行け
でしたっけ。
医療設備の整っていない現場を切り捨てていけば
確かにお産で命を落とすような悲劇は少なくしていけるかもしれない。
けれども、そうやって実現する医療現場が
本当の意味で様々な妊婦の様々なニーズに応えられているか・・・
と言えばそうではないわけで。
お母さんに寄り添い、命の誕生の現場に寄り添う周産期医療の姿を考えたとき、
離島(や僻地)の産科も必要なんだというのが荻島先生の考え方。
だからといって、一人の産科医が全ての責任を背負えるわけはない
ということもよく理解した上で、
「どこにいってもひとりぼっちで戦わなきゃいけない、そんなことはないんだ」
という言葉を四宮にプレゼントしていました。
横で四宮の様子をうかがいながら、話を聞いているサクラ。
最後の荻野先生の言葉はサクラが四宮に伝えたい言葉だったんだろうな。
2期では、サクラはちょこちょこと人と人をつなぐ役割を果たしていました。
白川先生が落ち込んだ時には新井先生に頼んで話してもらったり、
四宮に荻島先生と話す場を作ったり。
これは1期以上にサクラ先生がペルソナのハブとしての存在感を増しているということなのでしょう。
最終的に、四宮は故郷で父の跡を継いで産科医になるためにペルソナを離れ、
小松さんもまた、助産師とは違った立ち位置で周産期医療に関わるため
ペルソナを離れることを決意するんだけれど
サクラは一人ペルソナに残って
みんながいつでも帰ってこられるようにペルソナを守ると宣言する。
思えば最終話の初めのほうで、下屋から
「鴻鳥先生はずっとペルソナにいますよね」
と聞かれて、視線を下屋から空に移し、その答えを口にしないままだったのが
ここではっきりと「答え」を口にしました。
おそらくサクラの中でペルソナを去るという選択肢は初めからなかったんでしょうが
下屋の問いかけに即答で「当たり前だろ」と答えなかったことに意味がある気がしました。
(もちろん脚本の作意が大きいのでしょうが)
四宮が故郷に帰って産科医になることの是非を考え、
小松さんが助産師とは違う形でお母さんをサポートするにはという方法を探している間、
サクラもまたペルソナで産科医を続けることの意味を考え続けていたと思うのです。
つまり、取り残されてしまったという受け身ではなく、
例えみんながここを巣立っていっても、自分はペルソナに残るという覚悟を
自分の中にしっかりと持つための時間が、サクラにも必要だったんだなあ・・・と。
今橋先生もまた、取り残される寂しさを感じさせてくれました。
白川先生の成長と向上心を誰よりも応援しながらも、
苦労を共にした仲間が去っていく寂しさも十二分に感じていて・・・。
今橋先生の寂しさは、サクラも一緒ですよね、きっと。
登場人物たちの中に相似形の関係性をいくつも作って、
それぞれのエピソードを描くことで他方の思いも類推させる・・・
そういう手法が随所に見られた作品でした。
同僚という関係性、旅立つものと残るものという関係性。
そう言えば、小松さんが言い出した「家族」というキーワード。
この言葉もまた今橋先生が言い出した言葉でしたっけ。
小松さんを飲み屋さんに誘った時に言ってましたよね。
「ペルソナのみんなは家族みたいなものだ」って。
小松さんはこの言葉が心のどこかに残っていたんだろうな。
小松さんが「家族みたいだね」って言い出したときのサクラの嬉しそうな顔!
1期はサクラの出生が大きな鍵になっていて、
最終回でお母さんがどう思ってサクラを産んだのかが解るまでは
どこか根無し草のような危うさみたいなものがあったんだけど、
1期の最後に、父親はわからないながらも、
自分は確かに母親に望まれて、愛されて生まれてきたんだと確信が持てたので
2期ではサクラの出生云々はほとんど表に出なくなっていました。
途中一回景子ママに話を聞きに行ったのと、
最終話でのサンタさんくらいかな。
サクラのプライベートに触れたのは。
でも、ここでサクラの身の上が大きく響いた。
生まれてすぐに母親を亡くし、家族を知らずに育ったサクラだからこそ、
「家族」と言う言葉の重みを感じたんですね。
そんでもってこれはドラマとは全く離れて、中の人の綾野くんに関する勝手な感想なんだけど、
綾野くんって、どこか家族に恵まれない切なさみたいなものを背負っている気がするんですよ。
ご自身はお母さんの話もよくされるし、
おばあさんからもかわいがられていそうな感じはひしひしと伝わってくるし、
決して家族に恵まれていないわけじゃないんだろうと思うんですけど、
なぜか演じる役では家族に恵まれなかったり、
そもそも家族の陰があんまりないような役が多くって・・・。
幸せな家族に囲まれて・・・という役ってぱっと思い出すのは
docomoの新聞記者役くらい?
だから勝手に綾野くんのファンとして「幸せな家族」に飢えているところがあるので、
必要以上にこのシーンにジンときてしまったんですよね。
よかったねえ、サクラ先生。サクラ先生に家族ができたよって。
サクラがペルソナでがんばっていたら、
ここを巣立っていったみんながいつでも帰ってこれる。
ペルソナが、サクラがみんなの家になるんですよね。
出産という、ある意味一番コアな血のつながりを描いてきたドラマが
血縁ではなく、人との深い結びつきを家族と捉えて
主人公に与えたことに意味があるという気がします。
つまりは「人は一人じゃないんだよ」という、
このドラマが繰り返し伝えてきたことの集大成なんだな。
「フランケンシュタインの恋」で、最後の最後に、
人の役に立ちたいという呼六と研さんの思いを叶える形で
怪物に居場所を作ったのと同じだなあと思いました。
最後の最後で、とても正当な形で主人公が救済されて物語が終わる暖かさ。
考えてみれば、あの場で家族だと抱き合った3人
サクラは産みの母はすでに亡くなっていて、父親はどこにいるのか解らないし
小松さんは両親をすでに亡くしていて、身寄りがないし
四宮も妹さんはいるけれど、両親ともを亡くしていて
ある意味血のつながった家族には恵まれていない3人なんだけど
でも一人じゃないんだという温もりが感じられた
本当に気持ちのいい最終回でした。

もう一つ大きく印象に残ったのは「オランダへようこそ」という詩。
前回、障害を持つ子を育てるためのサポートに対する言及が少なかった分、
最終回に丁寧に描かれました。
特に「オランダへようこそ」という詩は、透子さんと小松さんの二人で
全文が朗読されました。
この詩ってダウン症を持つ親だけではなくて、もっと多くの親にも当てはまりますよね。
成長過程で発見される障害もありますし、
事故や病気で思いがけない障害を持つこともある。
当たり前のように思い描いていた子供の将来が
思いがけない方向に続いていると解ったとき、
自分の思い描いていた理想や夢を現実とどう折り合いをつけていくか
その心のあり方をとても的確に比喩を用いて表現されていて
素晴らしい詩だなあと思いました。
特に好きなのは「心の痛みは決して、決して消えることはありません。
だって失った夢はあまりにも大きすぎるから」
という部分。
この詩がオランダにもいいところがあるのに、
いつまでもイタリアにこだわっていてはもったいないですよ
という論調で結ばれていたなら、こんなに心が惹かれはしなかったと思う。
でも、ちゃんとこの痛みに言及してあるから、
すんなりと心に入ってくるのだと思うんです。
お腹の中に赤ちゃんを迎えてからの様々な幸せな空想を手放さないと行けないと解ったときの痛み、
他の人は簡単に手に入っている(ように見える)ものが自分には許されないのだという痛み、
そういう痛みにちゃんと寄り添っている感じがするから、
きれいごとじゃなく心に入ってくる。
最終回は盛りだくさんで、四宮先生の決断やら、
武田さんの出産&大手術やら、
透子さん夫婦がダウン症を受け入れていく課程やら描きながら
その中心にこの詩を据えたことがこのドラマの作り手の覚悟が伝わってくる気がしました。
15分拡大版だったとは言え、これだけの内容をしっかりとまとめ上げた脚本にも拍手。
詩の朗読の途中で、1期で子供の障害をなかなか受け入れられなかった森口一家と
前半で大きく扱われた産後鬱の佐野さん一家の幸せそうな様子が一瞬映りました。
思えば森口さんもまたイタリアを夢見ながら違う国に着いてしまった人だし、
佐野さんも赤ちゃんだけでではなく自分の問題でも
思いがけない子育てのスタートになった人でした。
二組の家族が今幸せそうに家族の時間を過ごせている姿をわずかでも見られてよかった。
透子さんも、もしコウノドリ3期があれば幸せに家族で暮らす様子をちらりとでも見られるかな。
見られたらいいな。

最後に、綾野くんの感想。
2期ということでスタートからとても気合いが入っていましたよね。
浮かれた部分は微塵もなくて、2期の重さと恐さを十分にわかった上で
真正面からその難しさを受け止めようとしている感じがしました。
「コウノドリ」という作品は「フランケンシュタインの恋」とは違って
物語の先頭でストーリーを引っ張っていくタイプの主役ではなく
各回のゲスト、もしくはその回の中心をなす人物を支えるような立ち位置。
主役の居方としては難しい作品だったろうなあと思います。
作品の方向性としては、非常に真面目な内容で、
周産期医療の現場を知ってもらうというような啓蒙的な要素の強い作品。
その分縛りも多かったと思うし、全方位的に表現に配慮しなければならない作品で
そういう意味でもしんどい作品だったのではないかと思います。
けれども、現場を引っ張りながらそれをやり遂げた。
やりとげたんだよなあ・・・。
立派な主演俳優になったんだなあ・・・。
私がファンになった頃の綾野くんは、まだ脇の役が当たり前。
でも、出番の少ない役でも作品のアクセントになっていたり、
はっと印象に残るようなそんな役者さんで、
だからこそ、脇の方が綾野くんの個性を活かせるのかなあ・・・
と思っていた時期もあったんだけど(私が勝手に、です)
こんな風に堂々と作品を支えていける主演俳優になったんだなあ・・・
と改めて感慨に耽ってしまいました。
「コウノドリ」は綾野くんの優しい側面を世間に浸透させてくれた作品でもあります。
なんかもう、今ではそんな時代もあったね・・・と、懐かしく思えるのですが
綾野剛と言えば「怖い人」というイメージだった時代が確かにあったんです。
でも、今はもうそういうイメージほとんどないですよね。
今でも所謂「怖い人」「危ない人」系の役はコンスタントにされているんですけどね。
やっぱりテレビドラマの浸透力ってすごいなあと思います。
コウノドリはそこそこ視聴率も取りましたしね。
ただ、視聴率がそこそこだったのは少し残念だったところ。
Twitter等のネットの盛り上がりほどは視聴率があがらなかった。
それでも1期よりはほんの少し平均視聴率があがったんですよね。
コウノドリという作品のもつ真面目さをハナから敬遠する層があるということなんでしょうね。
見てもらえれば、楽しんでもらえるつくりに、ちゃんとなっていたと思うのだけれど。
ピアノは本当にすごくて、あまりに違和感がなさすぎて
逆に1期ほど特別視しなくなった気がします。
本当は、ドの位置がわからなかった人が手元の吹き替えなしで
あそこまでできるというのはとてもとてもすごいことだと思うんだけど・・・。
1期の時はピアノのシーンになると、
こちらもちょっと構えて見ていた気がします。
お、ピアノだぞ。ちゃんとピアニストっぽく見えるかな・・・って。
カツラも違和感があったしね。
でも、2期だと本当に物語の流れの中でピアノのシーンを当たり前に受け入れていました。
ただただ、サクラの思いがどういう音色となっているのか、
サクラがどんな気持ちでピアノに向かい合っているのか
そういうことに意識が集中できていた気がします。
坂口くんも前のクールのドラマでピアニストの役をやっていてちゃんと弾いていたので
最近の俳優さんはピアノ弾けるんだなあ・・・と感心していたところ、
やはり「コウノドリ」1期で綾野くんの姿勢に影響を受けたらしく、
(もともと小さい頃に少しは習っておられたそうですが)
一生懸命練習して弾けるところまでもっていったとか。
・・・役者の役作りのレベルをあげてるなあ・・・。
ピアノにしろ、手術時等の動きにしろ、
画面の中で努力が見えるんじゃなしに、当たり前と見えることが本当にすごかった。

「コウノドリ」はとにかく真面目にまっすぐに作ってあって、すがすがしいドラマでした。
監修の先生方もTwitterでいろいろつぶやかれていて盛り上げてくれました。
歴史物にしろ、現代物にしろ、
監修の先生方が熱くなって下さる作品は、よいものになる率が高いと思う。個人的に。
「真田丸」もそうでしたよね。
制作側も監修の先生の意見をちゃんと聞いて、
監修の先生方も、ドラマとしての表現の部分は理解して下さって、
というやりとりがとても上手くいっていたんだろうなあという感じが伝わってきました。
こういうドラマってありそうでないんですよね。
特に「コウノドリ」では世間的にいろんな意見があって下手に触れたらややこしいことになりそう・・・
という問題にも果敢に挑んでいました。
そういう炎上しかねない話題を避けるんではなく、
いろんな意見をきちんと伝えることで、ドラマを通じて問題提起をすることができていたドラマでした。
昔はそういうドラマってもう少し頻繁に作られていたような気がします。
たとえば金八先生とか・・・。
TBSは比較的そういうドラマ多かった気がしますね。
「コウノドリ」は派手さはないけれども、
誠実に丁寧に作られたドラマで、細部から作り手の思いが感じられる
上質のドラマだったなあ・・・と思います。
そういうドラマで堂々と主演を演じきったことがファンとして何よりも誇らしい気持ちです。
まだ原作も続いているので、なんらかの形でまた「コウノドリ」を見られたらいいな。
(でも映画にはして欲しくないけど)