ミンティアと+act

最近、ちょこちょこ話題があるのに、書けていなかったので、

ここでまとめて感想。

どっから追っかけられていないんだっけ・・・?


とりあえず、ミンティアのCM好きです。

ものすごく、今さら・・・な話題ですね(^^;)

サラリーマンの日常パート、

怒ったり、仲間と喜び合ったり、人混みに埋もれて通勤したり・・・

の姿も好きなんですけど、

ビルの屋上で、夕暮れの薄明かりの中で

気持ちよさそうに駆けて、そして「ミンティアラブズライフ」って叫ぶところが好き。

爽快感の中の生命感というか、さわやかさの中に力強さがあって。

南極の氷・・・とか、緑の木々・・・とか、

爽快感というと必ず出てくるような使い古された表現じゃなくて、

都会のビルの上に広がる夕暮れ・・・というのがいい。

そこで、叫ぶ綾野君の、暑苦しくない力強さもいい。

生活も仕事も、生きることすべてが全肯定されている気持ちよさがある。

日常の生活の中に、いつもの生活空間のすぐ側に、気分をふっと入れ替えてくれる場所はあって、

辛くても楽しくても、それでまたがんばれるっていうか、

人生って、生きるって、悪くないじゃん・・・っていう感じがちゃんと伝わって来て、

それって、本当に上手く商品のコンセプトを伝えていますよね。

ミンティアのHPに公開されたインタビューもよかったな。

CMって時々こういう風にメイキングを見せてくれたりするから嬉しい(^^)

言っている内容は、いつも言っていることとそう変わりないんですけど、

今回は特に「表現をあきらめない」という言葉が響いて・・・。

なんでだろう・・・、たぶん、「F」があって、

「東京都北区赤羽」を見ていろいろ考えて(あ、私がです)

最近の活動とか、表面に出てきている情報だとか、

そういう流れがあって、響いたんだと思うんですけど。

でも、「表現をあきらめない」と思ってくれている内は、

大丈夫なんだろうなあ・・・とも思うんですよね(何が!)

個人的には、ミンティアのCMっていうのが、単純に嬉しい!

というのも、私、職場で眠くなったときに清涼菓子でなんとかやり過ごしているんですけど、

クールミントよりも、他のどの清涼菓子よりもミンティア派だったので!

いろいろ試したけど、結局はミンティアに帰ってくるんですよねえ。

一番しゃきっとする気がする。

ケースが薄いのもいい感じだし。

綾野君もミンティア派だったんですねえ。

ツイッターで、過去のインタビューをアップしているアカウントがあって、

そこでちゃんとミンティアって言っていた!

確かにどっかで、花粉症がひどくって、花に清涼菓子詰めて撮影してたって読んだ気がするんですけど

それって、ミンティアだったんですね。

ふふふ、なんかちょっと嬉しい(^^)

でも好みのタイプは私は綾野君が好きなものよりもっとミントの強いタイプ。

綾野君が好きなタイプのだと刺激が弱くて目が醒めないんですよね・・・(>_<)

そこはちょっと残念。

あ、「マネすんなよ」編もかわいくて好きです。







「+act」

この雑誌の記事は好きで、特集を組んでくれる度にちゃんと買っている気がする。

今回も11000字というボリュームで、読み応え十分。

そして、これだけ字数に余裕があると、内容がちゃんと迷走できるんですよね。

他のちょっとしたインタビューだと、映画の宣伝部分だけがきれいにまとめられていたりして、

部分部分の表現は確かに綾野くん的で分かり難い表現していても

全体としてはちゃんとまとまっている気がするんだけど

(たぶん、記者がうまくまとめてる)

この雑誌の場合は話が迷走するとそのままの流れになってる。

(もちろんそれでもちゃんと編集されているとは思うんですけどね)

だから、読んでもいつも以上に ??? わかんない・・・???

っていう状態。

カオスだなあ・・・っていうのが正直な印象でした。

「新宿スワン」に対する思いがあって、

たくさん賞を取ったことに対する思いもあって、

これからの仕事選びをどうしていくか・・・っていう思いもあって、

後輩でまだあまり表に出てきていない人を引っ張り出したいっていう思いもあって・・・

の、今。

それぞれ関係しているようでいないようで、

バラバラなようで、でも密接に繋がっている。

今、彼はこういうカオスの中にいるんだなあというのが一番の感想でした。

たぶん、3年前のこういうロングインタビューでも同じようなことは言っていたと思うんですよ。

特にいろんな役をやりたいっていう部分は全くぶれていない。

でも、やっと名前が知られるようになって、

TVドラマでレギュラーの役がとれ初めて、

映画の出演本数も増えてきた・・・頃の3年前と、

今では、全然重さが違うと思うんですよね。

主演舞台を務めて、主演映画が評価されて賞を取って、

連続ドラマでも主演をはれるようになって。

3年前は「いろんな役」の「いろんな」って、

たぶん変態や悪人や不良や・・・

そういう一時期もたれていたイメージ以外の役っていうのを指してしたと思うんですよ。

でも、今は、あの頃から比べるとずっとずっといろんな役を経験して、

認められ評価された役もあるし、イマイチと言われた役もあって・・・。

自分の中でもはっきりあると思うんですよ。

上手くいったなって言う役、失敗したなっていう役。

その上で、やっぱり「いろんな役を」というのは、本当に重いなあって思うんです。

語られてはいないけど、大人の事情で振り回されてしまっている部分があるんだろうし、

与えられる役が大きくなってきたからこそ数字的なプレッシャーも大きくのしかかっているんだろうし。

それでも、「いろんな役をやりたい」って言えるのが綾野君の強さ。

ここでも「表現をあきらめない」っていう言葉が出ていました。

あきらめない限り、走り続けるんだろうなあ・・・。

と、特にしみじみ思ってしまうのは、やっぱり「東京都北区赤羽」を見たから。

綾野君はああいうような立ち止まり方はしないんだろうなあ、と思う。

でもきっと抱えている不安やストレスは、山田君が感じているものに近づいているんだろうなとも思う。

で、このインタビューでも「新宿スワン」に関するところで山田君について触れられていましたが、

山田君の変調・・・というか、煮詰まりはこの作品の撮影の頃からあったのかなあ・・・という感じがしました。

もし、「己斬り」という映画が実存するのなら、

撮影時期を考えると「己斬り」の前の作品は「新宿スワン」くらいですよね。

「己斬り」が架空の映画だとすれば、「新宿スワン」が直近の作品になるのかもしれない。

(表に情報が出てない作品があるのかもしれませんが)

綾野君は演技を通して山田君の思いに気付いていたのかなあ・・・

っていう感じの話でしたよね。

私は原作を読んでいないので、秀吉が作中でどういう役回りなのかわからないのですが、

映画を見たらこの辺りが案外すっきりと納得できるのかもしれない。

映画を見た後、「東京都北区赤羽」、ことに綾野君の回を見直したら

ちょっと違った印象になるのかもなあ・・・と思っています。

蜷川さん、園監督、呉監督のインタビューも読み応えたっぷり。

園監督のところに押しかけたくだりはすごい行動力にとにかくびっくり。

そういうプライベートな所にまでいっちゃうんだあ・・・。

でも、それで嫌がられていないところが綾野君だったるするので

不思議な魅力だなあと思います。

こういう部分は俳優としての魅力とはまた違った人間としての魅力の部分で、

私達は彼の知り合いの方がこうやって表に出してくれない限り知りようのない部分でもあるのですが

そういう部分がじんわりとしみ出るから、

綾野君が演じる人物にはどこか憎めなくて愛おしい部分を感じるのかな。

特にドラマでそれを感じるのは、

TVはなぜか人柄が透けて見えるメディアだからかなあ。

呉監督の昔オーディションで彼を落とした時の話も面白かった。

昔からそんな風に演じることの情熱を表現していたんですね。

でも、印象に残るが故に、雰囲気に個性がある故に、情熱が噛み合わないが故に

今までたくさんのオーディションに落ちてきたんだろうなあ・・・という感じもよくわかった。

園監督もオーディションで落とした話されてましたものね。

園監督が落とした理由が、中村監督の理由と似ていて笑った・・・。

3人のインタビューの中でも一番嬉しかったのは蜷川さんのインタビュー。

小栗君と藤原君と一緒に綾野君の名前を挙げてくれているのがめちゃくちゃ嬉しかったです。

やっぱり小栗君と藤原君は蜷川監督の秘蔵っ子じゃないですか!

若い頃から何度も何度も作品に出して、育て上げた。

その二人と一緒に「ハムレット」やらせたい、だなんて・・・なんてすごい。

ちょっとハードルが高すぎて、実現したらものすごく冷や冷やしそうだけど・・・、

シェークスピアだし。

でも、確かに見てみたいと強く思ったんですよね。

小栗君と藤原君と綾野君の「ハムレット」

きっと全然違った解釈になる。

全然違ったハムレット像が見られる。

3作並べることで、「ハムレット」という作品に新たな側面を見つけ出すことができるかもしれない。

そんな壮大な蜷川さんの構想に入れるだけで、なんかもう・・・嬉しいなあ・・・って。

そして何より嬉しかったのが、

「なにをやっても新しい自分の演技が出来なくてのたうち回る日がやってくる(中略)

実は僕と綾野との本当の勝負というのは、そこからじゃないのかなと感じているのです」

という言葉。

実は、「+act」の記事を読んで、綾野君が蜷川さんの予言通りのたうち回る日が来るのが

そう遠くはないだろうな・・・とも感じていたので、

尚更、この言葉がありがたくてありがたくて・・・

綾野君が表現を諦めない限り、

蜷川さんや、そして他の多くの表現を生業とする先輩達が助けてくれますね、きっと。

そう信じられて、ちょっぴり幸せな気持ちになったインタビューでした。



最近では「新宿スワン」のスペシャルライブもありました。

ツイッターで予告されていたのではりきって「めざまし」を録画したのにやらなかった・・・。

ZIPのほうでやったみたいですね。

でも関西では放送されていない時間っぽかったですが・・・。

PONも関西ではやってないですしね(T_T)

でもネットにあがっていたギター弾いている姿は文句なしに格好良かった。

片っ方のバンドさんとはお友達みたいで、

そのやりとりもかわいかったし。

それにしてもこの二つのバンドはなかなか名前が覚えられない。

自分がどんどんおばさん化してることをひしひしと感じる今日この頃・・・。

とは言え、若い頃でもこのジャンルのバンドにはそんなに詳しくはなかったろうと思うけど。

あ、でも、狼のかぶり物している人たちが海外で活躍しているって言うのは知ってます。

名前は覚えてないけど・・・。

何にしろ、このイベントは、映画の宣伝とはいえ

綾野君らしい要素が結構入っていて、

イベントとしても面白かったのではないかと思います。

あまり大きな声では言えないのですが、

社長が企画するプロモーションってなんかピンとこないもの多くって・・・。

巨大な龍彦作って何になるんだろうって、ついつい思ってしまう。

話題になりさえすればなんでもいいのか・・・。

ま、プロモーションってそんなものと言ってしまえばそんなものなんだけど。

なんかあざとすぎるよなあ・・・って思うことが多い中で、

今回のコラボライブはちょっとだけいいかなあ・・・と思いました。

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八重の桜~総集編

あけましておめでとうございます。
・・・と言ってももう5日ですね・・・(;^_^A



2日3日に放送された「八重の桜」総集編を見ました。
総集編の容保さま・・・少なっ!Σ(・ω・ノ)ノ!
とは言え、もしかしたらこれくらいの容保さまの割合が
本来「八重の桜」という作品にとっては適切な分量だったのかもな・・・
という気はしました。
総集編を見ていたら、ちゃんと八重の物語っぽくなってましたもん。
本編見ていなかった人がこの総集編をちら見しても
ちゃんと、ああこの子(八重)が主役の話ね・・・と納得すると思う。
でも、あんまり面白くなかったんだよなあ・・・。
好きだった場面、台詞がことごとくカット・・・(T_T)
でもダイジェストにするためには
採用された場面の方が適しているというのは理解出来るので、
結局私が「八重の桜」で面白いと感じていた部分は
八重の物語部分じゃなかったのかあ・・・
と改めて確認してしまった次第です・・・orz



こうやってダイジェストでこの長い物語を辿ってみると、
やっぱり前半部分はちゃんと物語の流れがあるんだよなあ・・・と
改めて思いました。
少なくとも総集編の第三章途中辺りまでは、
八重さんの心の流れに素直にのっかれる。
物語もちゃんと大きな流れみたいなものを感じられる。
でも、その後それがぷっつりなくなっちゃうのが何とも残念。
同じラストに向かって進むにしても、
襄と結婚後の八重の描写を見失わなければ
伝わったものがきっとあったと思うのに・・・。
特に八重が京都に来てすぐの覚馬との会話(ここ結構しっかりと採用されてた)や
西郷(隆盛のほうの)さんとの会話は
この先の八重の生き方を暗示するとても大切な会話だと思ったのに、
それがドラマとして描かれなかったのが残念で仕方ない。
覚馬が会津が戦いの中に飲み込まれていくことを止められなかったという自責の念から
京都復興にかける思いや、
八重に銃ではなく学問を新しい武器にしろと教える部分、
また八重の会津戦争に対する思いなんかは
京都編のエピソードを描きながらずーっとその根底に
響いていなければならない京都編の核なのに、
それがここで会話として語られてそれでおしまいになってしまった。
「八重の桜」はここを膨らませたら面白くなるのに・・・
っていう可能性が本当に分かりやすく詰まっていた作品で、
だから前半は、視聴者もきっとこういう話になっていくんだろうなあ・・・
という期待込みでわくわくして見ていたところがあったんだと思うんですよね。
それもちゃんと作品としても魅力の一つで
それはダイジェストになっても残っていたように思います。
総集編を見ながら、ああ、この場面が放送された時は
この部分が後にちゃんと描かれると思っていたんだよなあ・・・
と、いろいろ期待していたことも一緒に思い出して・・・。
でもすぐに、結局このままスルーだったんだよなあ・・・orz
と寂しくなってしまうのですが・・・ヽ(;´Д`)ノ



浩は大蔵時代のエピソードの多くは削られていましたが、
浩時代のものは端折られながらもかなり採用されていた気がします。
前半画面に映っていることは多くても
誰かのお伴だったりすることが多かった。
大蔵が主体的に動き出すのって鳥羽伏見の戦い以降くらいなので
ダイジェストになった時にこういう感じになるのは妥当かなあ・・・。
前半の初恋エピソードははしょってくれてよかった・・・。
容保さまもかなり妥当な感じでした。
スタパでやってた容保様の印象的なシーンのほとんどは採用されていた気がするし。
チビ八重に微笑むシーンくらいかなあ・・・なかったの。
ツイッターで誰かが「容保のカットが少ないのは綾野剛が間が長い演技だから」
というようなことを書かれていましたが、それもすごく分かる。
間が長いから切り取りにくいんだよね・・・。
尺の問題で不採用になったシーンも多いとは思います。
ダイジェストで容保さまの場面を見ていると
取り上げられたシーンの数々は名場面だし熱演なのでもちろん大好きなんだけど
やっぱりどこか物足りない。
そう言えばスタパで印象に残った場面を問われて
一生懸命考えたんだけど、これっていう一つに絞りきれないまま
結局応募することができなかったんだった・・・。
ダイジェストを見ながら頭の中に蘇っていたのは、
黒谷の金戒光明寺の黒い竜の前に座る容保様の姿や
赤い陣羽織を着て軍議に望む姿だったりする。
こういう何気ない場面で殿としてそこにいたその存在感が一番好きでした。
シーンとしてカットされてしまって残念だなあ・・・
もう一度ダビングしてあるDVD引っ張り出してでも見たいなあ・・・と思ったのは、
第1回の追鳥狩で家臣に促され、初めて采配を振り上げて指揮をとったシーン。
目の前に整然と控える多くの兵を見て、
頬を少し上気させて・・・
まだ若い容保公の高揚感が伝わって来るようないいシーンでした。
あと、鳥羽伏見の戦いの後、会津に帰った時の軍議で、
抗戦派と恭順派がもめているときに、
毅然と「逃げるところは、もうどこにもない。戦は、この会津で起きるのだ」と言いはなったシーン。
その心中に押さえ込まれた激情が、静かな口調から伝わって来るようでした。
それからそれから、修理と二人のシーンも忘れがたい。
思い返してみるといいシーンいっぱいあったなあ・・・:*:・( ̄∀ ̄)・:*:



今日から2014年の大河ドラマ「黒田官兵衛」が始まるので、
NHK見てても、ツイッターの自分のTL見ていても
「官兵衛」一色になっているのがなんだか寂しい。
こういうものだってわかっていてもなんだか寂しいです・・・。
もともと毎回必ず大河を見るという枠そのもののファンではないので
尚更切り替えが難しいんですよね。
大河にしろ朝ドラにしろ、他のドラマと基本的には一緒で
好きな役者さん、好きな作家さん(脚本家・原作者)、好きなスタッフ(演出家さん等)がかかわってる、もしくは好きな題材の時は見る。
そうでない時は1回目を見て面白かったら視聴を続ける・・・というスタンスなので、
あんまり連続して大河や朝ドラを見ないから、
さて、次は・・・ってなかなか思えなくて・・・。
「八重の桜」の本放送が終わった時は「八重ロス」にはならなかったのに・・・。
大河館の閉鎖の日時が決まったり(1回行ってみたかった・・・(ノ_・。))
スタジオパークの展示物が「官兵衛」仕様に変わったと言うツイートみたり、
いくつかの八重ブログや八重関連のアカウントが終了したりするのを見ると
なんかもう・・・寂しくて寂しくて・・・(´・ω・`)
連ドラ見ていても好きな作品が終了したときは多かれ少なかれこういう感情あるんだけど、
やっぱり大河は1年間あるし、
NHKが局をあげて宣伝したりするので思い入れもひとしお・・・。
さて、「黒田官兵衛」の第1回目を見て気持ちを切り替えて戦国時代にはいりこめるかなあ・・・。



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ふたり~コクリコ坂・父と子の300日戦争

いやあ、面白かったです[E:happy01]

見ていて、いろんなことを考えさせられましたね。

まず、「ゲド戦記」に一番足りなかったものは何だったのかっていうこと。

このブログでも何回か書いていますが、

世間の評判に反して、私は結構「ゲド戦記」っていう作品好きなんですよ。

この間また地上波で放送していて改めて見直してみましたが、

やっぱりかなり好きです。

個人的には「ポニョ」よりも好き。

感覚的に「ポニョ」より「ゲド」のほうが受け入れやすい気がする。

もちろん作品の完成度の高さでは比ぶべくもありませんし、

「ポニョ」が素晴らしいっていうのは百も承知です。

でも作品の完成度と好き嫌いって一致するわけじゃない。

未完成でまだまだ完成度が低い作品でも、

妙に心惹かれて仕方ない・・・と言う作品がドラマにも映画にもある。

私にとって「ゲド戦記」はまさにそういう作品。

主人公のアレンという少年がとにかく好きなんですね。

あれだけ内向的な少年を、よくジブリの作品として世に出したな・・・っていう[E:coldsweats01]

父殺しからでしか自らの物語を始められなかった主人公、そして監督。

そこに作品とその背景(宮崎家の親子問題やジブリの後継者問題)が絡んだドラマがあって。

アレンというキャラクターは他の人が監督だったら駿監督に早々につぶされていたと思うんです。

駿監督はああいう人物がアニメーション映画の主役になるのが我慢ならないはず。

(そしたら「ゲド戦記」も宮崎駿監督作品として全然違う形で世に出ていたかも[E:coldsweats01])

でも、吾朗監督だったから駿監督が作品そのものを無視したんだし、

結果、完成するまで駿監督がほぼノータッチで世に出ることができた。

当時、鈴木さんはよくぞこの人を見つけたもんだって感動したことを覚えています。

「ゲド戦記」という世界的に有名な原作を映画化するというプレッシャーに加え、

スタジオジブリで監督をするというこれまた大きなプレッシャーに押しつぶされない

おそらく唯一無二な存在が吾朗さんだった。

私の記憶に誤りがなければ、確か「父殺し」っていうエピソードは鈴木さんが提案したってどこかで読みました。

おそらく鈴木さんは現実と重ね合わせる形で「ゲド戦記」の映画化を目指したんじゃないかと思います。

「ゲド戦記」の公開当時は今回よりもずいぶん吾朗監督のメディア露出が多かった記憶があります。

制作中はブログもこまめに更新していたし。

(そのブログを読んで吾朗監督のファンになったんですが)

映画の宣伝番組もそれまでの作品は作品そのものの制作過程

(作画状況やアフレコの様子、コンピューターの導入など)中心の映画紹介的なものから、

一気にジブリの内情に踏み込んだものが増えた気がします。

確か、当時、試写会の途中で席を立つ駿監督の映像を見たので、

当時から親子の相克というようなテーマでドキュメンタリーを作っていました。

鈴木さんは映画のプロデューサーとして、

駿監督の息子としての吾朗監督の存在を全面に押しだし、

親子の相克さえも宣伝の材料にして

スタジオジブリの抱える問題をオープンにしてそれを物語化し、

話題性を作り上げることで映画を興行的に成功させようとした。

そしてそれはもののみごとに成功した。

そしておそらく鈴木さんにはもう一つの大きなもくろみが・・・。

ジブリはもともと宮崎駿と高畑勲という二人の天才の作品を世に送り出すための会社でした。

けれどもその一方の雄である高畑氏が1999年の「ホーホケキョとなりの山田君」以来

商業ベースで映画を作り続ける第一線から退いてしまった。

それまでふたりできれいに交互に作品を発表していたのは、

お互いに強烈なライバル意識があったから。

発表されたライバルの作品にインスパイアされて自分の作品を完成させる、

そういう競争関係が崩れてしまった。

駿監督一人で巨大化したジブリという組織を支えるのは無理がある。

何より、宮崎駿という負けず嫌いの鬼みたいな天才に、

次回作に向かう動機付けがなくなってしまった。

外部から監督を招いたり・・・といった試行錯誤が続く。

けれども、自ら作品を作り出すことは出来ても、

後輩の育成が徹底的に下手な駿監督は、

すぐに若手の芽をつぶしてしまう。

すでに日本を代表する大監督である駿監督に、

若い才能が易々と対抗できるはずもなく・・・。

駿監督に新しい刺激を与えるどころか一つの作品を完成させることも困難な中、

浮上した吾朗監督。

実の息子が同業に進出したことに対する強烈な反発は、

結果、息子を無視する・・・ということになり、

作品の制作途中で口を出し、結局仕事をとってしまう・・・こともなくなり、

また駿監督に対して過剰なまでに若手が感じる重圧に対しても、

吾朗さんはある意味誰よりも覚悟が出来ている存在であったので、

なんとか乗り越えられ、

そうして「ゲド戦記」は生まれた。

でも、その結果は吾朗監督にとっては残酷なもので・・・。

公開年次の邦画興行成績第一位になりながら、

作品自体は酷評され、吾朗監督も親の七光り監督という烙印を押されてしまった。

「ゲド戦記」という作品自体は完成し興行的に成功した訳だから、

鈴木さんは映画のプロデューサーとして、スタジオジブリのプロデューサーとしての役割をしっかり果たしたんだと思う。

でも、吾朗さんは?

吾朗監督は「ゲド戦記」っていう作品をとにもかくにも完成させることだけに利用されて、

ぼろぼろにされて捨てられてしまったの?

・・・と、ブログを読んですっかり吾朗さん自身のファンになっていた私は結構不信感を持っていました。

鈴木さんはすごく優秀なプロデューサー。

というより鈴木さんと宮崎駿監督の関係は、

ある意味昔ながらの編集者と作家。

編集者は作家の一番身近にいて、

作家の一番最初の読者であり、ファンであり、

そして時には苦言を呈しながら、

時には方向を提案しながら、

作家に作品を書かせ続ける人。

実際駿監督は「ゲド戦記」を見て、

「こんなものはなっとらん!」

と「崖の上のポニョ」を作った。

ちゃんと「ゲド戦記」は、吾朗監督は、駿監督のモチベーションになった。

鈴木さんの大きな目的は一つ達成されたわけです。

でも、そのために前途有望な若者の一生がダメになってもいいの?

吾朗さんのことを本当に思うなら、

造園コンサルトの仕事を一生懸命やっていたんだからそのままにしたおいて上げたほうがよかったんじゃないの?

どうして吾朗さんをこの世界にひきずりこんでしまったんだろう・・・。

その後「ポニョ」が公開されて、「アリエッティ」が公開されて、

それでも吾朗監督の名前を聞くことはなく・・・。

とくに「アリエッティ」の興行的・作品的成功は、

ますます吾朗監督の居場所がなくなっちゃうんじゃないの? って心配していました。

そんな風に思っていた頃、次回作「コクリコ坂」の制作が発表され監督が吾朗監督だって聞いて、

本当に嬉しかった。

吾朗監督が辞めたんじゃないってわかって。



で、冒頭に戻ります。

「コクリコ坂」の制作が発表されて、嬉しかった反面、新たな疑問が湧いてきました。

なぜこの作品なの?

吾朗監督はこの作品で何を描きたいの?

「コクリコ坂」は駿監督が昔からあたためてきた作品だという。

脚本も駿監督。

吾朗監督は雇われ監督のように駿監督の企画に乗っかるの?

アニメーター出身で、自分の絵の力で物語を膨らませドラマを生み出すことが出来る米沢監督と違って、

アニメーションの世界で経験を積んできた訳ではない吾朗監督が存在意義を持つのは、

駿監督に影響を受けながらも明らかに違った指向性を持つ作家性。

自分の企画じゃなくて、存在意義を出せるの?

鈴木さんは吾朗さんに何をさせたいの?

そういう疑問がいくつもいくつも湧いてきました。

まだ映画そのものを見ていないので何も言えませんが、

とりあえずこのドキュメンタリーを見て、

今まで疑問に思ってきたいくつかのことが少し見えてきました。

まず、前半の主人公の海ちゃんをめぐっての駿監督と吾朗監督のやりとりを通して、

「ゲド戦記」で大きく欠けていたものがなんだったのかはっきり見えてきました。

私はそれまで、後半の結論が急ぎすぎていることや、

自分の思いや考え、思想を主人公達に短絡的に語らせていることが問題だと思っていたのですが、

もっと根本的に、人物を描くという一番基本的な部分が抜け落ちていたんだ・・・。

人物が描けていないから後半の展開がとってつけたように感じられたのだし、

いいこと言っているのに言葉が心に響かなかったんだ。

それは映画を作る根っこの、でも一番大切な部分で、

これがないと登場人物達は命を持たない。

とはいっても、人物を描くっていうのはとってもとっても難しくって、

実写のドラマや映画でも、きちんと人物が描けているなあと感じられる作品はそんなにない。

一線級で名前の売れている脚本家さんの作品でもそうなんだもん。

実写だとそれでも生身の人間が演じるからそれだけでごまかせちゃうところがあるけど、

アニメーションだとごまかしがきかない。

そういうことを番組の中の駿監督は一生懸命教えようとしていた。

・・・むっちゃこわかったけど[E:coldsweats01]

テレビを通してみているだけも頭から血が下がりそうに怖かったんだから、

あの現場にいた人は本当に凍り付いたんだろうなあ・・・。

壁に貼ったキャラクターの絵を

「なってない」

と言って引っぺがした時とか。

でも、ゲドの時と明らかに違ったのは駿監督がとにもかくにも吾朗さんになにか教えようとしていた。

ゲドの時は息子が自分のテリトリーに入り込んできたことに対するいらだちだけだったと思うんです。

その後の吾朗さんの運命も見えていたんだろうし。

でも、今回はすごく不器用で乱暴だったけど、とにかく何かを伝えようとしていた。

鈴木さんも駿監督の古い企画を引っ張り出して駿監督に脚本を依頼してまで

吾朗監督に「コクリコ坂」をやらせようとしたのは、

吾朗監督に人物を丁寧に描くと言うことを学んで欲しかったんではないかと思う。

吾朗監督の絵コンテにだめ出しをして、

このままでは公開できないと厳しい顔をして伝えたのも、

吾朗監督を親の七光りではない本当の監督に育てようとしたからではないのかな。

まだ作品を見ていないのでなんとも言えないのだけど、

鈴木さんが「GO」を出したのだから、

その部分はちゃんとクリアして吾朗監督は何か新しいステップに上ったのではないかと思っています。

海ちゃん達がどう描かれているか、すごく楽しみ。

それにしても鈴木さんが伝書鳩のように駿監督の言葉を吾朗さんに伝えているのがおかしかったな[E:smile]

駿監督の意見とは分らないように言葉を選びながら、

でもなんだかんだ言って最終的にはちゃんとやらせてる。

さすが名編集者!

でも、あの場面は吾朗監督もうちょっと踏ん張らなきゃ。

駿監督が提案した

「朝、起きて、お布団をたたんで、きちんと寝間着もたたんで、その上に置く」

海ちゃんは確かに魅力的。

それだけで人物像が浮かび上がってくる。

こういう何気ないシーンの積み重ねで人物ができあがっていくんだろうと思う。

でも、吾朗監督、

「となりで妹が寝てるんだから布団は畳みませんよ」

って言うんなら、

そういう人物像が吾朗監督の海ちゃんなら、もっとどうどうと貫かなくちゃ。

例えば、

  海ちゃんが目を覚ます。

  大きく伸びをして、勢いよく布団から抜け出し、

  「あ・・・・・・」

  と、思って隣に寝ている妹の顔をのぞき込む。

  ぐっすり寝ている妹に安心して小さく安堵の息をもらすと、

  きびきびと着替え、布団と枕を少し整えて、布団の上に畳んだ寝間着を置く。

  もう一度妹の寝息を確かめると勢いよく階段を下りていく。

くらいディテールを書き込んだ絵コンテを描いて、

僕の海ちゃんはこういう子です! って主張すればいいのに。

なんだかんだ言いながら、人の意見を素直に受け入れることができるのも

吾朗監督の一つの長所なのかもしれませんが。


ドキュメンタリーの中ではなんとなくお父さんに圧倒されっぱなしという感じだった吾朗監督。

ま、あれだけ強烈な存在感のお父さんだからね[E:coldsweats01]

でも、石にかじりつくように必死にがんばっている吾朗監督の姿もすごく印象的でした。

親の七光りっていうのは確かにあると思う。

宮崎駿っていう存在がなかったら、果たして吾朗監督に監督をするチャンスはあったのだろうか、

とは思う。

でも、親の七光りで非難されるべきは、

与えられたポジションを自分の実力だと勘違いして安住している人間だ。

スポーツ界だって芸術の世界だって、

親がその職業だったから、

環境が整っていたから、

子供が親と同じ職業に就く・・・ということはある。

フィギュアスケートだと、織田君も小塚君も、

親が選手だったから、コーチだったから、

他の子供よりも恵まれた環境を与えられたことは否定できない。

けれども、彼らはその場で自分の才能を試されるから、

誰も彼らを親の七光りだとは言わない。

与えられた環境でも、そこで努力するのは本人だから。

吾朗監督が親の七光りに安住することなく、

苦しんでいる姿、本気で踏ん張っている姿が映像で見られて嬉しかったです。

あのなにくそ!っていう踏ん張りは、駿監督ゆずりかな[E:smile]

番組の後半で、駿監督が次回作に取りかかったっていっていました。

番組の中ではきちんと言っていなかったけど、

ネットニュースで読んだところによると駿監督の自伝だとか・・・。

「ゲド戦記」を見てこんなもんなっとらんといって「ポニョ」ができ、

「コクリコ坂」でもがき苦しむ吾朗監督を見て自伝・・・。

ある意味、駿監督は今でも息子の為に作品を作っているのかもしれませんね。

ここでもちゃんと鈴木さんのもくろみ通り。

吾朗さんという存在が天才宮崎駿の制作のモチベーションになっている。

吾朗監督の次回作では、作品の質と中身で

駿監督を次々回作へと駆り立てるようなものができるといいですね。

お父さんの借り物でない表現方法を手に入れた吾朗監督の作品が見られる日を

心から楽しみにしています。