児童科学博物館の展示

この間プラネタリウムを見に福知山の児童科学館に行ってきました。

なかなか気合いの入った児童科学館で、お値段のワリには十分楽しめました。

ちなみにお値段は大人310円、子供160円。

この金額でプラネタリウムも見られます。

その児童科学館で大人二人がもっとも興味深かった展示。

それは日本のエネルギーのコーナーでした。

別にこの科学館だけじゃなくてあちこちのこの手の展示施設ではよく見かけるものだったのだけれど、

時期が時期だけにシュール過ぎて笑ってしまった。

例えば、他の発電方法に比べて原子力発電が1KWあたりいかに安価に発電できるかのコーナー。

ほうほう、それはメルトダウンを起こしてしまった時の賠償金を含めての金額ですか?

いやいや、事故は起こらないと仮に想定したとして、

使い終わった燃料を安全に廃棄するまでの費用は含まれているのですか?

寿命を終えた原子炉を廃炉にするコストは含まれているのですか?

例えば、原子力発電所がいかに安全に作られているかについての図解。

数メートルもの厚さのコンクリートに覆われています。

←水素爆発でぶっ飛んだのはこれ?

何重にもなった安全壁。

分厚い鋼鉄で作られた原子炉格納容器、原子炉圧力容器

←でもメルトダウンしたらこれも溶かすんだよね。

例えば、小さな実物大のペレットの模型を展示して

このペレット1つでどれだけのエネルギーが得られるでしょう?

新幹線を東京から名古屋まで動かせるだけの電力

←つまりそんなエネルギーの固まりが今暴走しかかってるんだよね?

しかも、そんなのがいくつもいくつも入った燃料棒が。


最近の新聞やネットで見かける言葉や図が

いかにもな文言と共に並んでいるのでもう笑うしかない。

挙げ句の果てには

ペレットとおぼしき形をしたピースを燃料棒の形に組み立てよう!というパズルや、

なんと、核分裂ゲーム(ウラン燃料に中性子のミサイルをあてて分裂させるゲーム)や

制御棒を出して核分裂を止めるゲームもあったりして、

なんともシュール・・・。[E:coldsweats01]




今までだったらふーん、そんなもんかなあ・・・で見過ごしてきた展示が、

今大きな意味を持って感じられるようになってきた。

今まで、原子力は危ないっていうけど、安全だって電力会社が言ってるし、

そーなんだよねえ、きっと。

それよりも電気が足りなくなると困るもんねえ。

石油や石炭よりも二酸化炭素を出さないからクリーンだし・・・

って考えることを停止していたことを、

もうそんなに単純に信じるワケにはいかなくなってしまった。

大きな犠牲を払って・・・。



福島では地震の被災者が大勢現場に入って作業しているらしい。

自分たちが作って、働いて来た原発だからって。

そしておそらく現場では安全基準なんて紙のように軽いはず・・・。

そんなんでいいの?

現地では汚染された水が今や溢れんばかりになっていて、

その水をどこにやったらいいのかわからないっていう。

でも冷却する水を止めたら溶けた燃料が再びいきり立ち始めるし、

汚れた水はどんどん増えていくし、

これから梅雨になって雨が混じってたら益々汚れた水が増えて、

それらが地中に浸み込んで地面を汚し、

地下に流れる水脈を汚したら、どうなるんだ? この土地は?

汚れた水をきれいにするためにフランスに莫大なお金を払わなきゃならないし、

よしんば何もかもうまくいって上手く冷温停止に持ち込めたとしても、

溶けてしまった燃料を安全に取り出し、

適切に処理できるのはいったいいつになるんだろう。

というより、本当にちゃんとできるの?

いったい日本のどこでそんな燃料を処理できるっていうの?

通常の使用済み燃料でさえきちんと処理できなくて

ひたすら貯めてるだけの状態で・・・。

考えれば考えるほどどうやってこの装置が毒を吐くのを止められるのかわからない。





人は地面を離れては生きていけない。

水を飲まねば生きていけない。

国はそこに生きる人と国土があって初めて成り立つものではないのですか?

経済を優先するがあまり、

国土と人を失っては元も子もないと思うんです。

東電は、いや、他の電力会社も、

今回は想定外の出来事だから・・・と言います。

でも、世の中想定外だらけです。

今回の地震だって揺れたこと自体が想定外と言えば想定外でした。

例えば、テロの飛行機が原発に突っ込んでも、

あなたたちは想定外と言うでしょう?

人が人知を結集しても想定できる事態なんてたかがしれている。

その上、原発を推進してきた人達は都合の悪い事実には目をふさいできたんでしょう?

じゃあ、想定なんて言葉は意味をなさない。

この小さな国で、人が住める土地を失って行くような装置は、

国を殺すようなものだとは思いませんか?

こんな風に言うと、

原発がなければ今の日本の発展はなかったという反論が必ず出てきます。

豊かな電力に支えられた暮らしを享受しながら理想論を言うなという人がいっぱいいます。

確かに私は今の便利な生活にどっぷり浸かって生きている。

でも、「もしも・・・」という仮定が許されるのなら、

こういう未来があったと想像することもできます。

原発の研究や建設運営そのたもろもろ推進の為に垂れ流されてきたお金を

他のエネルギー開発にまわしていれば、

今頃日本はそのエネルギーの先進国となっていたかもしれない。

今でも太陽光発電のパネルや蓄電池は世界でもトップレベルだと聞きます。

これらの技術がしっかりと実用レベルにまで育っていたかもしれないではありませんか?

今頃日本中の屋根にはソーラーパネルが輝いて、

夏の電力ピーク時にはそれらのパネルが一斉に働いて快適な暮らしを作ってくれていたかもしれない。

省電力で動く電化製品や機械がもっと早いスピードで開発されていたかもしれない。

そういう意味では私は日本という国の底力を信じます。

追い込まれればその分だけ必死で努力して技術を伸ばす力を持っている。

「原発反対」

と言うと

「日本の発展を妨げる非国民」

のような反論をする人の言い分は、

どこか、戦時中の

「戦争を反対するヤツは非国民だ」

と大声で人を糾弾した人達の言い分に似ている気がします。

「原発が無ければ日本の発展はない」

という理論は

「日本は神国であるから負けない」

という理論に似ていませんか?

どちらも何の科学的な根拠がない。

戦時中は多くの市井の人々が苦しい生活の中で

心のどこかで思いながらの口にできなかった

「戦争なんてやだ」

という言葉。

今は一応言論の自由の世の中だから

「原発なんてやだ! もういらない」

ってここで言うことができる。

ありがたい世の中です。

でもやっぱりTVの中では司会者やコメンテーターが

「原発反対」

とは言わない気がしませんか?

巧妙にその部分を言及することは避けている。







実は福島原発に続いて危ないのは福井県にある「もんじゅ」なんだそうです。

嘘か本当か、今現在進行中で起こっている事故がもっとハッキリと公表されれば

レベル5クラスの事故なんだとか・・・。

今のままではきちんと稼働させることも廃炉にすることもできないそうで、

何かの拍子で爆発が起これば、

高速増殖炉というその性質上、

福島原発とは比べものにならないくらい大きな事故になるそうな。

京都や大阪も放射能が降り注ぐでしょうね。

そこまで飛ばなくても、

琵琶湖の水を汚染してしまえば

京都や大阪の飲料水はもうダメです。

例えば半径50キロくらいの範囲で避難指示が出たとして

京都や大阪の都市部に人が住めなくなってしまったら、

そらおそろしくなりませんか?

人気のない中で朽ちていく金閣寺や清水寺の文化財・・・。

日本の心が壊れてしまうような気がしませんか?

原発

毎日、何か日記に書こうとしているのだけど、

何を書いていいのかわかりません。

連続ドラマもとりあえず見ていた分はちゃんと見続けたけれど、

感想を書こうかなあ・・・と思っても、

今そんなこと書いてる場合か? と自問自答して書けなくなったり・・・。

ちょうどこの間、ジブリの特集をやっていて、

番組自体はたいして目新しいことはやっていなかったんだけど、

個人的に「もののけ姫」のくだりがとても興味深かったです。

「もののけ姫」のテーマって今の日本の状況にある意味ぴったりだと思ったから。

自然を畏怖し敬う心と、

その自然を克服し自分たちの生活を豊かにしようとする営みと、

相克しあう思いの中で主人公が揺れ動く物語。

宮崎監督はどちらかを選んで安易に答えを出すことをせず、

問題は問題のままごろんと放り出して物語を終えましたが、

現実は自然を克服し思いのままに支配する方向へ発展し続け、

私たちはいつの間にか本当の意味での自然の恐ろしさを忘れてしまっていたように思います。

毎朝、きちんと東から太陽が昇り、

四季は巡り花は咲き、作物は実り、

作り上げた建築物は昨日も今日もそして明日も明後日も変わらずそこにある、

当たり前の日常、当たり前の毎日。

そしていつのまにか緩慢な日常の繰り返しに息苦しささえ覚えてさえいた。

そんな甘えを根本から打ち砕いた今回の地震は、

自然のパワーは人間の作り出した小賢しい「想定」を遙かにこえるものだということを見せつけてくれました。

自分たちでコントロールできると思い上がっていた原子力という力も、

まだまだ人間には大きすぎる力だったようです。

危険な現場にいる従業員の方達には頭が下がります。

できれば、原子力発電は安全だと豪語していた経営陣のトップたちに

その現場に行ってもらって放水作業を手伝ってもらいたい。

今回は本当に「想定外に」大きな地震、津波だったとうことは事実だけれど、

以前に大津波が来ることを予想した学者はいたそうな。

けれども、考えうる全ての場面を想定していたら何もできない! と、

そういった不安要素には耳を貸さなかったそうな。

自分たちが勝手に作り上げた「想定」の中で、

自分たちに都合のいいように組み立てられた危機管理体制がいかに脆弱だったか。

きっとその綻びに気付いていた人は社内にもいたはず。

けれども、そのことを言い出すと人々の不安を煽ると、

電力を確保するのが最重要だと、

安全管理とは全然違う理論の中で言葉だけが

「日本の原発は絶対安全」

と一人歩きしていたということなのでしょう。

これって都合のいい思考停止ですよね。

かくして原発は見えない毒をまき散らし、

いつそれが収束するかも分からない。

きっと私たちはシシ神さまの首をとってしまったんだ。

そんな中で関西電力はこれからも原子力発電の割合を増やすと豪語しました。

是非とも、福島原発の敷地内で堂々と記者会見して欲しかったものですが、

いまはまだ放射能が届いていない(らしい)安全な(たぶん)関西で社長が会見していました。

関西電力は東電よりもずっとずっと原発の依存率が高いそうです。

それをこれから半分にまで上げるらしいです。

関西電力の原発は福井県にありますが、

福井県とは行ってもほぼ京都府の北部にあります。

半径100キロ内に関西の都市部が入ってしまいます。

それなのに、想定している津波の高さは2メートルなんですって!

今回の地震の後では笑ってしまうような数字です。

とか何とか言っても、現実に電気の恩恵を受けて成り立っている生活にどっぷりと浸かっている私が、

偉そうに何も言うことはできません。

今こうして夜なのに明るい部屋で、

暖かいおこたに足を突っ込んで、

テレビを聞きながら、

パソコンに向かっている・・・。

この時間の半分は原発によってもたらされた恩恵なのです。

自分たちで制御しきれない力に依存しながら、

薄氷の様な危うい状況で成立している日常・・・。

ジブリの番組を見ながらそんなことをつらつらと考えていました。


ジブリの次回作は吾郎監督なんだそうです。

よかった

前作だけで潰れてしまわないで。

でも、企画、脚本は宮崎駿なんですって。

本来、吾郎さんはお父さんとは全然違う作家性を持っていると思うので、

脚本は吾郎監督に書いて欲しかったのだけど、

父親殺しの話を書くような息子にもう自由に作品を作らせたくなかったのかも・・・

主題歌は手嶌葵さんだそうで、これまた嬉しい。

企画的にはピンと来ないのだけれど、

完成を楽しみに待っていたいと思います。


ついでに、玉が久々に公式HPのダイアリーを更新していました。

いつになくまじめな文章で

(ちゃんとした文章書けるんやん[E:catface])

震災について語っていました。

昨年から「星守る犬」の撮影で東北地方を転々としていたこともあって、

今回の災害が人ごととは思えないよう。

そうかあ、お世話になった人もいたろうしね・・・

と、ふと、前にもそう思ったことあったよなあ・・・と考えて、思い出しました。

「ワイルドライフ」の撮影で中国の四川省を訪れて、

すぐ後に四川大地震があったよね、確か・・・[E:coldsweats02]

光市母子殺害事件と「手紙」

この間、たまたま午前中にテレビをつけたら、光市母子殺人事件の加害者の父親のインタビューが流れていた。
口では被害者の方に申し訳ない、と言っていたけれど、ちっとも心が伝わってこなかった。
そして、一審二審で無期懲役と言われたのが最高裁判所の差し戻しによって簡単に死刑に覆ったのが残念だ、と語っていた。
自分は親だからやっぱり子供がかわいい、だから更正の機会を与えてやりたかった、らしいです。
そして同じ口で、加害者の弟は家出し、自分は加害者の親だとわかると会社を首になる、あの子のせいで自分の人生は真っ逆さまだ、とも言っていました。
私にはこの部分だけが真実味を帯びて聞こえました。
結局、この人は自分のことも被害者だと思っているんだろうなあ。

そこで思い出したのが『手紙』という作品です。
原作も読んだし、映画もスクリーンやテレビ、DVDで何回か見ました。
玉山君の好演が見られる大切な作品なのですが、内容が重すぎて気楽に見返したくない作品です。
あちこちのレビューを読んでいると、「感動した」「泣けた」という感想が多いし、私も初めて映画をDVDで見た時はそう思いました。
でもそれはラストシーンが感動的に作られているから惑わされているだけであって、あの映画が本当に伝えたいことはそこじゃない。
「自分がもし犯罪者になったら?」「自分の身内が犯罪者になったら?」
そして「自分の身近に犯罪者の身内がいたら、あなたはどうしますか?」
ということを胸元に突きつけられる作品です。

私は基本的に(当たり前ですが)差別は反対です。
人を生まれた場所や人種や性別やそういう、本人のあずかり知らない要因だけで否定することは間違いだと思います。
同時に、ある集団に傾向的に見られる要素を、その集団に属する人全てに当てはめることも間違いだと思います。
例えば「○○学校は荒れているから、そこの生徒はみんなワルだ。」とか「△△国の人は犯罪者が多い」などなど。
でも、「手紙」という作品にあるように犯罪者がもしご近所さんに住んでいたら、と考えます。
私は果たしてその人を遠ざけやしないだろうか・・・。

作品は犯罪加害者の家族の視点で描かれているので、受け手は主人公に感情移入して見ていきます。
加害者の家族だと言うだけで仕事を奪われたり、人から避けられたりするのは理不尽だ、と素直に思います。
でも、それは物語によってその人がちゃんと善良な人間であるということを分かっているから。
もしその人のことをそんなに詳しく知らないうちに、その人が殺人事件の加害者の家族だって知ってしまったら・・・。
きっと私も、公園から去っていった母子のように行動してしまうと思います。
家電販売店の社長さんの言うように自分や家族を守るために・・・。
でも映画はあくまでも加害者の家族の目線で語られるので、そういう自分がどこか許せなくて。
差別はいけない、という思いと、でも、家族を少しでも危険から遠ざけたいと思うのはやっぱり当然やん、という思いがぐるぐるぐるぐる心の中で堂々巡りを繰り返すので、この映画は苦手なんです。

もし、はじめからその人の人間性をよく知っていた、もしくは、犯罪加害者の家族という事実を知る前にきちんと相手の人間性に触れていた、という時は逃げないと思います。
というか、逃げない自分でいたいと思います。
でも、たいていはよく知らないわけで・・・。

というぐだぐだした思いに、今日なんかすっきり結論が出ました。
光市事件の加害者の父親さんを見てすんなり思いました。
もし、私の側にこの父親さんが住んでいて、私がそのことをなんらかのきっかけで知ったら、
きっと近寄らないようにすると思います。
あえて差別的な行動を取ることは絶対にないけど、きっと近づかない。
それは差別云々なんじゃなくて、人間として当然の本能なんだと。

そして同時に思ったのは、映画「手紙」で玉山君が演じた剛志の懺悔の姿は、犯罪被害者やその家族、世間一般が求める加害者の姿なんだろうな、ということ。
多分、みんな、加害者にはああやって刑務所の中で自分のやったことを反省して欲しいと思っている。
塀の中で犯罪者たちがみんな剛志のように自分のしたことを悔いてくれれば、私は死刑なんていらないと思う。
でも、実際はそんなことは全くなくて、光市の加害者だって一審の後友人にふざけた手紙を送ってるくらいだし、塀の中で恨みを募らせてお礼参りなんてこともあるって聞く。
今の日本の法律が死刑の次が無期懲役刑しかなく、その無期も実質は何年かたてば釈放されるような刑である以上、自分がしたことを真摯に受け止める最終手段として死刑という判決が下されたのは仕方ないと思います。
ただ、本当は日本にも終身刑があればいいのにと思ってやみません。
付属池田小の事件の犯人が死刑になりましたが、自分のしたことの重大さを理解しないままの死(しかもそれは彼が望んだことであった)というのはやっぱりどこか理不尽な思いが残ります。
時には、いつ果てるとも分からない時間の中で、ただ自分のしたことと向き合って生きる、ということも死刑以上の重い罰になると思うのですが・・・。

被害者遺族の本村さんも、以前は「死でもってつぐなうほかない」みたいなことをおっしゃってましたが、本村さんが心から求めているのは犯人が自分の犯した罪に真摯に向き合うことなんじゃないかな、と思います。
本村さんの記者会見をみてると、本当に8年の間に大人になられたなあと感じました。
おそらく本村さんの実年齢以上にしっかりされている表情を見るにつけ、この8年の過酷さを思わずにいられません。
はじめから積極的に本村さんがマスコミに出ることでこの事件が風化せずにここまでこれたという面もあるでしょうが、目立つとバッシングに遭うという理不尽なこの国の風土の中で、きっとつらい目にもいっぱいあわれたんだと推察します。
その全てが本村さんのお顔に刻まれてきたのでしょう。
本当ならかわいい娘のパパとしてゆっくり年を重ねていたはずなのに、一気に大人にならざるを得なかった。
だからこそ、判決の後のあの冷静なコメントが出てきたんでしょう。

一方で、塀の中で同じ時間を過ごした加害者はいまどんな大人になっているのでしょう。
もしも加害者が本村さんの十分の一でも真剣に犯罪に向き合っていれば、今回の判決は違ったものになったかもしれません。

そんなことをつらつらと考えた次第です。

なんにしろ映画「手紙」の中で玉山君がすばらしい演技をしているのは間違いないです(^-^)