フランケンシュタインの恋 最終話 その2

1話から見直して一番びっくりしたのは、
冒頭で研さん(このときはまだ単なる怪物)が
人を平気で触り、津軽さんを抱っこしてバス停まで運んでいることでした。
あれ? 研さん、この時は津軽さんに触れているやん!
というか、9話で手をにぎれた! というだけであれだけどきどきしたのに
1話でお姫様抱っこしてるやん!
ネット上にあがっていた感想やドラマ評で、この矛盾に触れているものもありました。
確かに矛盾と言えば矛盾なんですけど、
きっと何か筋の通った解釈があるはず・・・。
これだけ綿密に構成を考えて作ってある脚本なんだもん。
と、結構頭の中ぐるぐるしながら考えました。
身も蓋もなく、ドラマのテクニックとして機能しているというのはよくわかるんです。
冒頭部分での主人公紹介の場面。
主人公をどう登場させるか、どう見せるかという大切なシーン。
後ろ姿で登場させ、しかも夜のシーンなので
白く光る大きな手がとても目立つ。
その周りに飛ぶ胞子もきれい。
その幻想的な中で、触れるだけで乱暴な若者3人を倒してしまう。
そういう不思議な力、危険性を持つ存在としてとても印象的な登場シーンになっていました。
いわゆる、つかみはOK的なシーン。
放送当時もそういう見方していたので、
物語が進んでいくとすっかり忘れていたんですよね、このシーン。
いろいろ考えて、何とか自分の中で折り合いがついたのは、
怪物にとって人に触れることが禁忌となるのは、
人間の社会で暮らすことを望んでからだということなんじゃないかということ。
野生動物が自分のテリトリーを守るように、
怪物は森を自分のテリトリーとして
そこに不用意に進入してくるものに対しては
自己防衛的に無自覚にその力を使っていたんじゃないかな。
実際この直前に怪物は男たちの車に跳ねられています。
自分の森を荒らすものとして彼らを認識して攻撃しても不思議ではないですよね。
人に、特に津軽さんに触れてはいけない・・・というのも、
人間社会で暮らそうと決意してから自分で設けたタブー。
ただでさえ病気を持っている津軽さんを気遣う気持ちから
必要以上に「触れること」を避けたのでしょう。
9話を見た後、2話で語られた深志博士と怪物との会話
(自分は生きていた記憶も死んだ記憶もないってとこ)
とも整合性がないと感想を書いていた記事もあったのですが、
ここの整合性はきっちりとれていたと思います。
最初はサキさんの為に呼六を生き返らせようとしていた博士が
生き返らせようと努力しているうちに、
いつしかサキさんの為と言うよりは
自分が呼六を蘇らせたいと願うようになっていた。
その博士の反応として、
自分が何者かわからず不安で泣き叫ぶ呼六にああいうように接するのは
十分筋が通っているように思います。
かえって9話でさらっと語られてしまった博士が呼六を思う気持ちも
このシーンの印象が強くあるためにとても説得力があるものになった気がします。
深志博士は自分が再び命を与えてしまったことで
呼六が抱えてしまった苦しみ、これから向き合うであろう苦しみを
だれよりもわかっていたはずです。
それでも「おまえはこうして生きている!」と呼六を抱きしめながら言った。
その言葉から博士が呼六の命を慈しむ思いは痛いほど伝わりましたから。
このシーン、本当にいいシーンでしたね。
呼六は記憶をなくしてしまって、もう生前のままの呼六ではなかったけれど、
純粋で優しい心根はそのまま蘇った。
ほとんど白紙の状態の呼六に人間の基本的なことを教えながら過ごした日々は
深志博士にとって幸せな時間だったのかもしれないなと思います。
と同時に、呼六が人間の本当に基本的なことしか教わらなかったこと、
植物として孤独に生きることを博士から教え込まれたのは
博士が人間嫌いで人間を心から受け入れることがなかった
(サキさんと呼六を除いて)からなのかもしれないな。
だとしたら尚更、怪物として蘇った呼六は
博士が共に生きることができる唯一の存在だったのかもしれませんね。

残念ながら、このドラマはあまり視聴率を取りませんでした。
見逃し配信をあわせても、それほど伸びてなかったんじゃないかな。
ネットでの広がり方もそれほど大きなものではありませんでした。
見ていた人にはかなりの熱量で語られていたんだけど
いかんせんその範囲が狭かった。
私自身はここ10年のドラマの中で、
好きなドラマ10本の一つに入るくらい好きなドラマでした。
こういうドラマに出会いたくて、
ドラマを見続けているんだよなあ・・・としみじみ思うくらいに。
届く人にはちゃんと届いたんだと思うんです。
最終回後の感想をいろいろ読みましたが、
最終回、感動したという感想が本当に多かった。
でも、同時に、おもしろくなかった・・・というのも
結構目に付いたんですよね。
最終回翌日、職場でこのドラマの話になって、
最終回まで見たという同僚が
「わからんかった。なんか、ふうん、あ、そうという感じの最終回」
という感想だったのが、びっくりで・・・。
本当に同じドラマを見ていたのか? というほどの感想の違い。
でも、それはネットで二分された感想と同じなんですよね。
たぶん、このドラマは受け手の見方に大きく左右されるんだろうと思います。
私はこのドラマは登場人物がかなり丁寧に自分の気持ちを話すドラマだと思うんですけど、
でも語る言葉がちょっとズラしてあったり、ストレートな言い方をしてなかったり
もしくは後の展開で生かすために特殊な言い方をしていたり。
ドラマの登場人物は日常の言葉を使って話すもの、という認識でいると
このドラマの台詞はしっくりこなかったろうなあと思います。
私も最初はなんでこういう台詞なんだろうと何回も思いましたもん。
脚本家が書くときに何らかの縛りを自分に課して
ちょっとひっかかる台詞回しを選んでるんだろうか・・・って。
でも、今まで大森さんの作品を見てきたけれど、そんなこと感じたことはなかった気がするので
やっぱりこのドラマ用に選んだ言葉だったのだろうなあ。
一つには、終わりまで物語の構造をかっちりと決めておいて
その結末に向かって序盤の台詞が組んであるのかなあという気はします。
例えば序盤で悩む研さんにラジオを通して鶴丸教授が言った言葉
「恋をして遺伝子の革命を起こすのだ」
というのも、この段階では、は? としか思えない。
「恋」と「遺伝子」と「革命」という単語が通常はかけ離れたイメージを持つ言葉なので、
それらをくっつけて、さも当然のように言われても、ちょっとピンと来ない。
しかも、科学の研究者の言葉らしくないですよね。
抽象的すぎて。
下手したら怪しい系の科学みたいに聞こえちゃう。
でも、研さんが枯れ木にきのこをいっぱい生やして
「僕が革命を起こします」
って言ったり、
津軽さんの病気を研さんが治したときに、稲庭先輩が
「研さんが津軽さんの遺伝子に革命を起こしたんだ」
って説明する頃になると、言葉がだんだん馴染んできて、
ああ、そういうことかと何となく納得できる。
でも、当然こういう言葉の使い方に違和感を感じる人はいるだろうと思います。
こうした大仰に聞こえる言い回しや、なじみのない言い回し、
よく使う言葉でもこのドラマの中で微妙にずらして定義してあったり、
会話がきれいにかみ合ってなかったり。
研さんは人間社会に不慣れという設定なので仕方ないと思うのですが、
他の人もそういう話し方をするので
ぼーっとしていると台詞が頭にすんなり入らない
という人も多かったのではないかと思います。
また一つの台詞に幾通りにも意味が重ねてあったり、
逆に核心をあえて外した言い回しをしている所も多いので、
登場人物の気持ちをつかみにくい。
あれほどみんな雄弁に自分の思いを語っているのに・・・。
でもそれはきっとねらいで、
人間を多面的に捕らえて描いているからこそ
そういう言い回しにならざるを得なかった面はあるんだろうなと思います。

話の構造も最終回まで見ると、なるほど実に綿密に組んであるなあと思うんだけど、
序盤の展開がちょっとまどろっこしいんですよね。
「自分は人間の世界で生きてもいいのか」という問いから始まって
「怪物は恋してもいいのか」
「恋する人を守るためには強くならないといけない」
「強くなるために人間を知らないといけない」」
「人間を知るためにはラジオに出るのが一番」
という展開が前半の中心になるんだけど、
一般の感覚では「恋をしてもいいのか?」という段階で
3、4話費やすこのドラマのテンンポに
ついていけなかった人もいるんだろうなと思います。
人間ではない、異形の存在が人間に恋をするにはこれだけのまどろっこしさが必要だったのだろうけど。

それに加えて、このドラマが抱えている一番の弱さは
ヒロインの魅力のなさなんですよね・・・。
これだけは如何ともしがたい。
初回は魅力的なんですよ。
結構積極的に動いているし。
それからサキさんも魅力的。
でも2話から病気で倒れるまでの津軽さんがどうにもまどろっこしかった。
この人にも感情移入できないとやっぱり作品の魅力としてはそがれてしまいますよね。
物語の構造が研さん中心に作られているので、
研さんの心情を丁寧に追って、しかもこのファンタジー世界を成立させることに主眼が置かれて、
津軽さんの描写はそれにあわせるために弱まってしまったように感じました。
津軽さんの快活さ、真実を知りたいという探求心、行動力は
研さんを山から連れ出すという為に使われた後は、
物語の進行のために押し込められてしまいました。
病気だから恋ができない。
研さんの思いをどう受け止めていいのかわからないからどうしても受け身になる。
その結果として、中盤はずっと、研さんが世界を広げようとがんばっているのを
見守るだけの母親のような位置に納まってしまう・・・。
津軽さんが病気設定というのは物語上絶対的に必要な要素だし、
津軽さんがいったんは研さんの母親のポジションになるというのも
やっぱり物語の進行上どうしてもいる要素だったのだと思う。
けれども津軽さんというキャラクターをもっと魅力的なものにするために
もう少し工夫はいったのかなあと言う気がする。
脚本的にも演出的にも。
津軽さんが単なる病気持ちの優等生キャラになってしまったのがとにかく残念。
津軽さんが跳ねる要素はあったと思うんですよね。
美琴とのやりとりとか結構ズバズバ言ってたし。
時々、ずばっとつっこみを入れる強い感じも、
もっと膨らませたらおもしろかったかも。
ラブストーリーでもある以上、ヒロインが魅力的ではないと言うのは
かなり残念なこと・・・

でも私が思いつくこの作品の弱点ってこれくらいで、
それを補ってあまりある魅力的な作品だったと思うんです。
あとは受け手側がこの作品をどう見たかという問題。
職場で同僚と話していて思ったことは、
今までのつながりとかあんまり考えずにドラマで今起こっていることを
そのまま受け取っているのかもな・・・ということ。
例えば最終回だと、
研さんが津軽さんの手を握りました。
津軽さんの不治の病が治りました。
研さんと津軽さんが抱き合いました。
でも研さんは警察と保健所から逃げて森に帰りました。
1年後津軽さんたちと再会しました。
数十年後、津軽さんは死んだみたい・・・
くらいの流れだけ見て、
で? だからどうしたん? という思いで最終回を見終わったらしい。
ながら見してたりするとその事実すら把握せずに抜ける部分もあり・・・。
確かに、ただのラブストーリーとして見ると
抱き合うシーンが数回、手をつなぐシーンが数回。
最終的に愛する二人は結婚しましたみたいなわかりやすいハッピーエンドじゃないぶん、
なんなんだこれは、と思われてしまったのかもしれない。
そういう人には安易でご都合主義な解決と、
SFくずれのストーリーに見えちゃうかもな
という気はしました。
みんながみんな一生懸命見ているわけじゃないから・・・TVドラマは。
そういう層をも物語に引きずり込む・・・ところまではいかなかったのかな。
残念だけど。

終盤の展開がご都合主義に見えた一つの要因は、
この物語がある種「青い鳥」的な要素を持っているからですよね。
研さんの自分探し的な要素は、
深志博士のノートを見つけたことで記憶が完全によみがえり解決します。
でも、そのノートは120年暮らしていた家の中にあったわけです。
孤独に生きていた研さんの直ぐ側に。
また、津軽さんの病気の特効薬は、研さんの赤いきのこを出す心。
これもまた、津軽さんに初めて会った時から赤いきのこを出しているのですから
解決策はずっとはじめからすぐ側にあったことになる。
でもこの物語は、そこにたどり着くまでの物語。
紆余曲折を経てそこにたどり着きさえすれば、
答えはおのずから用意されていたわけですから
安易な風に見えてしまったのかな。
これはもうドラマの好みの問題でもありますよね。
私はジェットコースター的に話がどんどん展開して、
登場人物の心情を考えたり意味を考えたりする余地も与えず
とにかくどんどん話を転がしていくタイプのドラマは苦手なんですが
そういう筋のおもしろさ、奇抜な展開を楽しむ人は
この作品のようなドラマは苦手なんだろうと思う。
万人に受けるタイプのドラマではないので仕方ないとはいえ、
でも、もうちょっと注目されてもよかったのになあとは思います。
ただ、とにかく制作陣がいっさいぶれなかったので、
作品としてきれいに完結することができてよかった。
これで世間の評価を気にしたり、
批判に媚びて話に手を加えたりするととても残念なことになっちゃうんだけど
そうならなかったのが何よりも嬉しい。

綾野くんのファンとしては、
この作品で一つ夢が叶ったなあという気持ちが、今しています。
わたし「ヘブンズ・フラワー」で綾野くんが演じたシオンという役大好きだったんです。
でも話自体がちょっと迷走しているところがあって、
本筋の部分であまり好きになりきれなかった。
当然シオンの話は脇で断片的に語られるだけですから
見直すにはいまいち納得できない本筋をどうしても見直すことになるので
なんとなくレンタルで見たきりになってしまっています。
だから、この作品、シオンのお話としてがっつり見たかったんですよね。
結構そういうことって多くって、
他にも「クレオパトラな女たち」の黒崎裕や
「八重の桜」の容保公など・・・
もっともっとこの人を見ていたい、
この人の物語を感じていたい、
そう願うことがとても多かったんですけど、
そういう思いを今回は存分に叶えてもらったなあと言う気がしています。
もちろんTVドラマで主役は今回が初めてじゃなくて、
ダブル主演も含めるともう3回目だし、
作品の評価としては「コウノドリ」のほうがしっかり結果がでているし、
もちろんサクラ先生も大好きなんです。
でも「コウノドリ」はサクラ先生が主役だけれど、
作品の本当の意味での中心は妊婦さんや出産の現場そのもの。
綾野くんもそのことを十分踏まえた演技をしていると思う。
一方、「フランケンシュタインの恋」は主役の怪物が物語の中心。
本当の意味でがっつりと綾野くんが作り出したキャラクターを見ることができた作品でした。
綾野くんの演技をじっくり見て感じることが
そのまま作品そのものの解釈にダイレクトにつながっていく快感。
物語の中心に常に綾野くんが演じるキャラクターがいる幸せ。
しかもそのキャラクターが実に魅力的で・・・。
綾野くんの作り上げたキャラクターを心ゆくまで堪能できる
本当に楽しい3ヶ月間でした。

毎週配信されるオーディオコメンタリィで
綾野くんの生の声を聞けたのもとても楽しい体験でした。
結構みんなオーディオコメンタリーになれていなくって、
思わず見入っちゃって黙り込んじゃうなかで
すごく的確に他の人に話を振りながら
みんなの言葉を引き出していたのがすごいなあと思いました。
考えてみれば、私あんまりDVDを買っていないこともあって
綾野くんのオーディオコメンタリィを聞いた覚えがなくって。
唯一記憶にあるのが「シュアリー・サムデイ」のビジュアルコメンタリィ。
コメンタリィに慣れていなくてなかなか話せなかったり、
やった、しゃべった! と思ったらみんなに突っ込まれてたり・・・
って感じだったと思うんですけど、
それから思うと、格段に成長しててなんだか感無量。
あれから7年でここまできたんだなあ・・・。
座長として現場で綾野くんがどういう立ち位置でいるかが
なんとなくかいま見られたのもおもしろかった。
ゆるいリーダーシップと決して押しつけがましさを感じない気遣い。
何よりも自分ががんばることが現場の志気をあげるという揺るぎない信念。
斎藤工さんが言っていたのはこういうことなんだろうなあ。
綾野くんを見ていると、今まで自分が抱いていた主役観、役者観が大きく変わりました。
役者という仕事は途中乗車で途中下車って言っていたのは
豊川悦司さんだったか堺雅人さんだったか・・・。
役者さんは企画やストーリーを作る段階では参加できない訳です。
基本的には台本を渡されたところから仕事がスタートするわけですから。
そして、一生懸命演じたその先に関わることも、できない。
自分はこう演じたつもりでも、
カメラがどう映すかの選択はできない。
渾身の演技をしても編集でカットされるかもしれない。
思いもしないつなぎ方をされるかもしれない。
このドラマでも綾野くん言ってましたよね。
最後の飛行機が降りてくる場面。
ああいう飛行機が登場するとは思いもしていなくって
降りてくる様子を見守っているカットは飛行機じゃなくて
人が降りてきているんだって思ってましたって。
だから今まで贔屓の役者さんが作品に恵まれなかった時には
しかたない、脚本が悪かったんだ、演出が悪かったんだ、
果てには、企画そのものが悪かったんだ・・・って思っていたんですよね。
役者にできることは限られていて、作品の責任を役者だけが背負うのはおかしい。
でも、途中乗車、途中下車でもやれることは案外あるんじゃないか
と綾野くんを見ていて思います。
そしてその綾野君の思いや努力がちゃんと作品に反映していくのを見るのは
ことの他楽しい。

作品を見ているだけでは伝わりきらない裏側の雰囲気をかいま見せてくれたという意味でも
オーディオコメンタリィは面白かった。
基本的に内容に沿って話しているのってそれほど多くはなかったんだけど、
いくつか演じるときに思っていたこと、意識していたことも話してくれていて
それによって次回以降の、もしくは見直したときの解釈を助けられることも多かった。
研さんは稲庭工務店の食事の時に、基本的にはものを口にしない、とか
天草とラジオに出ていた回で
「こんにちは、フランケンシュタインです」の言い方を変えているとか。
特に後者は3回目の時の言い方は1回目と違うということは気づいていましたが、
単純に、慣れてだんだん自身が付いてきたから
大きな声になって明るい言い方なのかなって思っていたんですけど、
あれは天草さん言い方にだんだん近づけたそうですね。
そういう演技的な工夫のあれこれを聞けたのも楽しかった。

最終回まで見てふと思ったのは、
コメンタリィを通じて、結構この作品の見方を誘導されていたんだな。ということ。
私、コメンタリィを見ていなかったら、
稲庭先輩の見方がずいぶん違っていたかもしれないなと思います。
プロデューサーさんも結構早い段階から
稲庭先輩は人間らしい部分を背負っているという情報を出していましたっけ。
稲庭先輩の二面性は序盤からずっと描かれていくんだけど、
あんまり露骨に描かれはしないんですよね。
もし、プロデューサーさんのインタビューも知らず
コメンタリィも聞いていなかったら、
あれ? 稲庭先輩っていい人に見えて実は悪い人じゃない?
っていうことに気づいて、そこで解釈が止まってしまっていたかもしれません。
でも、コメンタリィで
「ほら、ワル庭先輩になってますよお」
ってあおっているのを聞いていたら、
あれ? そんなに言うほどワルいかなあ・・・ってあまのじゃくな気持ちが働いて
稲庭先輩の嫉妬と愛情の間で揺れる思いに気づけた気がします。
人間はいい人、悪い人で単純に分けられるわけじゃなく、
一人の人間の中にいい面も悪い面も共存しているものだ
というのがこの作品のコンセプトだとしたら、
そこに上手くたどり着けるように導いてもらえた。
出演者のみなさんにとっては、とても負担が多かったでしょうが
オーディオコメンタリィは本当に面白い企画だったなあと思います。

綾野くんの演技、表情の変化をグラデーションという表現を使って表現したのは
「武曲」の原作者さんでした。
確かに「武曲」でも見事に研吾の変化を表情で表現していました。
「フランケンシュタインの恋」でも、やっぱり表情の変化が見事なグラデーションになっていたなあと思います。
ずーっと回を追って見ているときにはそれほど気づいていなかったんですよ。
研さんの成長によって、徐々に徐々に変わっていたから。
9話になって、記憶を取り戻した研さんが急にぐっと大人びて、
この回は生前の呼六との落差もありましたから、なおさら
あ、すごい、変化が微妙な表情の違いではっきりわかる!
と驚いたのですが、このタイミングで1話から見直したので改めてびっくり!
初回冒頭の研さんって、とても表情が乏しいんですね。
ある種、人間っぽくないというか、森の精霊という感じの生々しくない表情。
どこか寂しげなんだけど、それが人間らしい感情を感じさせないぎりぎりのところで押さえてある。
自転車で山から降りてくると、とたんに表情が豊かになってくるんだけど
それでもまだどこかおずおずと感情を顔に出している感じ。
一人でいるときは結構素直に感情を顔に出しているんだけど。
それが3話くらいから急速にだれに対しても表情豊かになってくる。
でもそれは本当に子供らしい表情なんですよね。
嬉しいときは嬉しい顔、悲しいときは悲しい顔。
素直で純粋な研さんの表情。
けれども回を追うにしたがって、少しずつ複雑な表情も増えて来て、
記憶を取り戻すと、ぐっと青年の顔に変わっていく。
このグラデーションの描き方が本当に見事。
私、最終回の研さんが大好きなんですけど、
自分のことがわかって、自分が置かれている状況もしっかり理解した研さんが
夜の川縁で津軽さんを抱きしめながらとても寂しい瞳をするんですよね。
このシーンと、
1年後、崖から転げ落ちる津軽さんを思わず助けて再会するシーンの表情が大好き。
最終回になってようやく本当のラブストーリーになったなあって思いました。
いや、今までもキュンとは来ていたんですけど、
そのキュンは子供にたいする「かわいいなあ」キュンと一緒。
ラブストーリーとしてのキュンは最終回だったなあ。
自分の運命をきちんと理解した研さんが、
津軽さんと一緒には生きられないと悟ってしまった切ない目。
綾野剛の本領発揮といったところでしょうか。
綾野くんには切なさがとても似合う・・・。
すっかり大人びた研さんが、
津軽さんや稲庭先輩や鶴丸教授が自分の生きる場所を作ってくれたのが嬉しくて
子供みたいにポロポロ涙を流す。
中盤の子供っぽい研さんじゃなく、
すっかり大人な研さんが子供みたいに泣くからこそ
その落差が胸に迫る。
エンディング後の数十年後の研さんは
姿形こそ昔のままなのに、ちゃんと年輪を重ねた木のような重みを感じさせてくれました。
不老不死の研さんにも、ちゃんと月日は流れているんだ・・・。
そういう変化を、きちんと表情と佇まいで感じさせてくれた。

深志研という役は本当に作り込まれたキャラクターだと思います。
でも、その変化は誇張され過ぎていない繊細な表情の違いで表現されていて
それがこの物語を支える一つのリアリティになっている。
このドラマは綾野剛の演技を堪能できる作品だなあと思います。
でも、綾野君の幅広い表現を知っているから
どちらかというとsweetな役柄だった研さんを十分堪能したら
今度はまた違った味を堪能したくなるのがファンの性なんですよねえ。
思わず「武曲」3回目見に行っちゃいましたもん。
「フランケンシュタインの恋」が終わったあと直ぐに
「亜人」の予告とポスターが公開されたのも嬉しかった。
「フランケンシュタインの恋」では不器用そうにトテトテ歩いていたけど、
実は身体能力がとても高い綾野くん。
機敏な動きで佐藤君と相対する殺陣、楽しみだなあ。

いつまでも思いつくままに感想書いているわけにもいかないので
最後に衣装の感想。
研さんの衣装、秀逸でしたよねえ。
森の中では見事に風景にとけ込んじゃうのに
町中ではすごく異質観を感じさせる衣装。
まさに研さんの本質をそのまま形にしたような衣装で、見事でした。
コートの裾の翻り方もきれいだったなあ。
「シャニダールの花」で白衣の裾の翻り方にこだわった澤田石さんなので
きっとこのコートも工夫に工夫を重ねてああなったんだろうな。
今、この衣装が展示されているそうで・・・。
こういう時は、ほんと、東京はいいなあと思います。
仕方ないので、行かれた方がアップされている画像を見て
心を慰めています。
袖口のモフモフかわいい・・・。

この三ヶ月、本当に、本当に楽しい時間を過ごせました。
このドラマを作ってくれたすべての人に感謝します。
ほんとうにありがとうございました。













この記事へのコメント

  • mikomiko

    フランケンシュタインの恋。
    終わってしまって寂しいです。
    SNSの情報を楽しむ→本放送→オーディオコメンタリー→HaHaさんの感想を読んで共感
    このルーティンで楽しんで参りました。
    最終回を観てまた1話から観直すと、いろいろなセリフや場面が繋がっていることが
    確認されてあらためて脚本の秀逸さに驚いています。
    初めて観たとき、違和感があったところの謎が解けて良かった。

    各所できのこキモイと言われるととても悲しい気持ちになったのは
    きのこが怪物さんの象徴だから。
    最後のきのこツーショットに公式さんの最後のご挨拶もきのこの写真。
    ぶれないどころかそれこそがこのドラマのメッセージ。
    異質にみえるものをどう受け入れて共存していくのか。
    予想の上をいく展開でした。このドラマ大好きです。
    そして、毎回のHaHaさんの感想。とても深く考察されていて
    こちらにも読みながら涙ぐんだり感動でした。
    ここ十年で好きなドラマ十本の中に入るって、こんなにたくさんのドラマを観ている方が。
    超超嬉しい!何故なら私もこのドラマが大大大好きだから。

    悪役の描き方が下手とかいう感想も目にしましたが
    それがこのドラマの肝だと思います。善も悪も同じ人の中にある。
    十勝さんって実は一貫してるんですよ。
    天草さんにおもろないって言っていたのはやらせの人生相談だったから。
    怪物さんに虚しいと言ったのも目立ちたいだけで嘘をついていると思ったから。
    人の心に寄り添うようなラジオでありたいと思っていたから、放送作家が書くゆるーい嘘ならいいけど
    大きな嘘で盛り上げようとするのが我慢できなかったんじゃないかな。
    そんな姑息な手段で人気がでたことへの嫉妬もあっただろうけど。
    だからこそ都合よく寝返ったんじゃなく、目の前で本当に怪物であることをみたこともあり
    呼六さんの告白を信じたから。嘘じゃなかったんだとわかったから。
    なーんていろんな人の立場になって想像する喜び、思考する喜びに溢れた作品でした。

    なんかね。いろいろな批判的な感想もあったり、世間的に大きな注目を集めるわけでもなかったから
    余計にこの作品が不憫で可愛くて可愛くてしょうがないです。
    実生活では確かになかなか難しいことだけど、愛情は押し付けるものじゃなく
    相手をどれだけ思いやれるか、その人の本当の幸せを考えられるかなんだなって。
    私が一番好きなシーンは最終回の稲庭先輩が窓から二人を見て、
    わずかに微笑みつつ白衣を羽織るシーンです。
    あー、楽しかった。素敵なドラマをありがとう。
    そしてHaHaさんにも感謝です。毎回の感想本当に楽しみにしていました。
    お疲れ様でした。ありがとうございました。
    2017年07月13日 23:35
  • HaHa

    mikomikoさんへ

    毎回、こんな長い感想を読んでくださってありがとうございました。
    そして、
    >SNSの情報を楽しむ→本放送→オーディオコメンタリー
    というこのドラマを楽しむルーティンの中に
    このブログも入れていただいてありがとうございます。

    1話から見直すと、本当にいろいろな発見がありますよね。
    私も十勝さん、ブレてない! と気が付いて嬉しくなりました。
    初回から言い続けてきた「お前の言葉で話せ」ということが、
    ちゃんと貫かれているんですよね。
    研さんが過去の話をした後の天草のコメントは
    まぎれもなく天草の心から出た言葉で、
    その言葉を聞いてようやく十勝さんも天草を認めてくれたんですよね。
    このドラマは本当にしっかり練って作られていたので
    見直すとこういう発見がいっぱいいっぱいあって…。
    もっとたくさんの人に見てもらいたかったなあ…、
    もっと評価されて欲しかったなあ…と思います。
    >なんかね。いろいろな批判的な感想もあったり、世間的に大きな注目を集めるわけでもなかったから
    >余計にこの作品が不憫で可愛くて可愛くてしょうがないです。
    ほんとに、そうですよね。
    私もまさに同じ心境です。

    このドラマが終わってしばらくは、テレビに森が映ったり、
    「不老不死」というキーワードが出たりしたら
    このドラマを思い出して過敏に反応していたんですけど、
    1か月が経って、ようやく落ち着いてきました。
    今もやっぱり日曜になるとちょっと寂しかったり、
    ブルーレイにダビングして保存用として整理したんだけど
    (ハードディスクもかなり圧迫しているんだけど)
    ハードディスクからまだ消去できなかったりするんですけどね(;^ω^)
    こんな楽しい3か月を過ごさせてくれたドラマに感謝感謝です。
    2017年07月24日 01:37