この世界の片隅に

結構早くに見に行っていたんだけど、感想まだでした(^^;)

この作品、クラウドファウンディングしていたのは知っていました。

ツイッターでフォローしている映画評論家さんや映画好きの方の何人かがつぶやいてらしたので。でも、出資までには至らず・・・。

原作者のこうの史代さんは映画の「夕凪の街 桜の国」で知っていたけれど

監督さんのお名前は知らず・・・。

でも、「夕凪の・・・」の映画好きだったので、

あの雰囲気のアニメができるならいいなあと思っていました。

公開前になって主役の声をのんさんが当てられると言うことで

再び私のタイムラインでは話題沸騰。

「カーネーション」の時にフォローした人が多いので

朝ドラに関心がある人がとっても多いんですよね。

「あまちゃん」で主役をされていたのんさんの芸能界での立場に心を痛めてらっしゃる方が多く

この作品で主役をされるということで応援ツイートがずらり。

というわけで公開前から気にはなっていたんですけど、

去年はやたらとアニメ映画を見ていた気分だったので

うーん・・・様子見かなあ・・・と思っていたところ、

中学時代の友達(私に「夕凪の街・・・」を勧めてくれた友達)が

何年ぶりかで「一緒に行かへん?」と誘ってくれました。

それなら行く行く! と見に行ったのが1回目。

それがあんまりにもよくて、これは是非ChiChiも見るべきだと誘った所

長男もなんとなく気になっていたから・・・と一緒に行くことに。

次男は食いつかず・・・。

じゃあ次の週末にね・・・と言っていたら、

長男が監督の舞台挨拶がある事に気付いて速攻で席を確保。

期せずして地元で監督の舞台挨拶を見ることができました。

とは言え、監督が実に精力的に舞台挨拶していらっしゃるんですよね。

監督のアカウントをフォローしていたら、

連日どこかで舞台挨拶していらっしゃる感じ。

京都でも1月末の土曜に立誠シネマと京都みなみ会館で監督の舞台挨拶がありました。

京都みなみ会館なんて、「この世界の片隅に」上映していないのに挨拶があるという・・・。

(その後2月半ば頃から上映されることが発表されましたあ)

でも、オールナイトで監督の作品を上映したそうです。

監督が関わられた「名探偵ホームズ」(TV版)数話と

「アリーテ姫」「マイマイ新子と千年の魔法」の上映という

監督ファンには垂涎モノのラインナップ。

みなみ会館さんは面白い企画が多い映画館ですね。


ツイッター上では立誠シネマさんが中心になって

京都の映画館が力を合わせてこの作品を盛り上げている感じが微笑ましい。

立誠シネマさんがある意味ライバル館であるみなみ会館さんの

オールナイト上映の告知してオススメしていたり、

立誠シネマさんが連日満席で、入場できない~とつぶやいていたお客さんに

今から移動して桂川イオンシネマの次回上映に間に合うか調べてあげていたり

それに対するそれぞれの映画館さんのお返事やあれやこれやのやり取りを見ていると

映画ってやっぱり上映する劇場に支えられている部分も大きいなあと思います。

そして、劇場の関係者が本気で応援すれば、

ちゃんとその思いは観客に届くんだなと思いました。

この映画、本当に小規模で上映が始まって、

クチコミで広がって、どんどん上映館も増えて・・・と今までに無い経緯で盛り上がっていて

なんだかすごく面白い。

「君の名は。」の大ヒットの経緯も面白かったけれど、

「シンゴジラ」の盛り上がりもすごかったけれど、

それらとはまた違ったムーブメントが起こっていて

その時代を自分が生きて体感している感じがものすごく楽しくてワクワクする。

それぞれの作品の力がしっかりとあることが大前提であるんだけど、

どれもクチコミが大きな要因になって巻き起こっているブームですよね。


ちなみに京都みなみ会館でオールナイト上映をしたその日、

立誠シネマさんでは監督のトークショーがあって、

こちらは細馬宏道さんと監督とのトークになります。

この方滋賀県立大学の先生みたいなんですが、

数ある「この世界の片隅に」評とか感想の中で、

ずば抜けて面白かった記事を書いていらっしゃいます。

細馬先生の記事はこちらから→マンバ通信

有料の評論や紙媒体のものはほとんど見てないのですが

ネットでぱっと目についたり、監督がツイートで触れられているようなものは目を通しました。

その中でこの先生の視点が一番細かくてうならされました。

これほど精密に映画から情報を読み取り、それを適切に原作と比較し、

そこから読み取れる映画の意図

(もしくは映像との比較によって浮かび上がる原作の意図)

を論理的に読み解いていく。

これほどの分析力、すごいなあ・・・と思うと同時に、

これほどの精密な分析に耐えうるほど密度の高い表現だったのだと

改めて「この世界の片隅に」の作品のすごさを思い知りました。

そんな評論を書いた先生と監督との対話。

さぞ内容の濃いものになったんだろうなあ・・・行きかったなあ・・・。


この映画とにかくすごいのですが、

ネタバレあるなしに関わらず、ものすごくオススメのしにくい作品です。

戦争物なんだけど、戦争の悲劇を強く訴える作品ではない。

だから戦争ものとしてオススメしたくはない。

かといって、戦争の中の日常を描いているからすごい・・・という訳でもない。

いや、そういう視点で戦争の時代を描き、

ストレートに戦争反対を訴えるよりもずっと効果的に

戦争の残酷さを伝えることに成功している・・・という意味では

画期的な映画ではあるんですけど、

それって、いわゆる戦争物が好きな人にも

逆に戦争物が苦手だわ・・・と思っている人にも

ススメにくいっちゃあススメにくい。

笑えるシーンもすごく多いので、笑えるよ・・・と言いたいところなのですが

あくまでも戦争物であるという前提があるから思いの外面白いシーンが多いのであって、

それをを取り払うと、爆笑が連発するようなギャグ映画ではない。

絵がすごくきれいなんですよ。

動きも日本のアニメには少ない柔らかな動き。

これは日本のアニメが得意とする

動きの中間を省くことでスピード感を出す・・・という手法をとらず

省略されてしまう中間の動きもきちんと絵にすることで出る柔らかさで、

私はこの動きすごく好きなんですけど、

でもそれって「君の名は。」の風景のきれいさほどキャッチーじゃないんですよね。

だから予告を見せてもうちの次男は食いついてくれなかったわけだし。

ここ最近、キネマ旬報で作品賞を取ったりしているおかげで

かなりテレビに取り上げられる機会が増えたのですが、

その際によく焦点を当てられるのが、監督の詳細な考証を踏まえての作画。

これはネットでも公開直後よく取り上げられていました。

とにかく細かい。

劇中の天気は全て当時の天気だそうです。

広島の街を歩いているモブの一人一人は実在した人で、

実際の写真をもとに描かれたそう。

それは広島という街だからこそできたことらしく、

広島が原爆の悲劇をきちんと後世に残そうと

当時の写真を積極的に収集していたおかげで

爆発の被害を免れて現存している写真が散逸せず残ったそうで

でもそれを映画に取り込もうという発想がすごいですよね。

それからすずさんが見ている対空砲火はどこの砲台から撃たれたモノか

きちんと実在の砲台のありかから計算して描かれているとか

とにかく一つ一つあげていったらきりがないほど細かい。

こういう制作秘話は本当にすごいことで、話を聞くと感動するんだけど

そういう細かさがあるから、つまりは調べたモノをそのまま描いたからと言って

映画として素晴らしいものになるとは限らない。

こうした点はどれも間違いなくこの映画の素晴らしいところなんだけど

だからといってこの映画の素晴らしさを代表するものではないんですよね。

だから誰かに勧めるときにこうした特徴をいちいち言いつのっては

ああ、言い足りない、この映画の素晴らしい所はきっとこれじゃないんだ

という思いに苛まれる。

そんな作品です。

ただ、最近、一言で言うとしたらこれかなあという言葉が自分の中で見つかったんです。

(だからこの記事書いているんですけど)

それは、「表現の豊かさとはこういうことなんだと体感できるよ」ということです。


先ほど紹介した細馬先生の論考を読んでいた時に、

学生時代に学んだ「ごんぎつね」を思い出しました。

「ごんぎつね」は小学校中学年くらいに習う国語の代表的な教材で

習ったって言う人も多いんじゃないのかな。

私は教育学部だったので教科書に載っている教材を分析する機会が多かったのですが

これが一番印象に残っている作品です。

まだ文学の勉強を初めて間もない頃で、一著前に作品を読めている気になっていたのですが

先生と一緒にゼミの仲間と表現ひとつひとつ事細かに読んでいくと

びっくりするぐらい豊かな作品世界が目の前に広がった。

特に冒頭の2ページ分くらい、

内容で言えばごんがいたずらをしてウナギを逃がし、兵十に追いかけられて逃げる所くらいまで。

すっと流して読めば、ごんの紹介といたずらの様子を描いたなんでもない冒頭部分に思えるんですけど

一つ一つの表現を丁寧に読み解いていけば見えていなかった風景が事細かに見え

書かれているとは思わなかったごんの孤独な境遇がしっかりと書き込まれていました。

文学を読む(解釈する)とはこういうことなんだよ、と実感を伴って教えて貰った作品。

力のある豊かな表現は目を凝らして探し続ければ、

どんどん奥深い世界を見せてくれるものだと思います。

「この世界の片隅に」はまさにそういう作品。

目を凝らしてじっと作品を見つめれば見つめるほど、

そこに埋め込まれた意味を見いだすことが出来る。

映像作品は文字よりもずっと情報量が多いものですが、

感覚や情感に偏りすぎていて、分かる人には分かる的なものが多い気がする。

けれども「この世界の片隅に」はもっと論理的に表現が組み立てられてるから

細馬先生のような分析が成り立つんですよね。

どんな作品でもこれほどの密度で分析できるわけではないんです。

そういう表現の豊かさを持つ作品だからこそ、

見る他人ごとに感想が違う。

戦時中の普通の生活描写に古い記憶を揺さぶられる人もいれば

体験したことがない戦争を我がことのように感じる人もいる。

作品から読み取れることが多いから、

それぞれの受け手の感性でいかようにも光輝く。

そういう作品なんだと思います。


この映画を始めて見た時、この戦争の描き方は「カーネーション」だなあと思いました。

あくまでも市井に生きる一人の人間の目から見た戦争。

戦況も見通しも全くわからず、ただ日常の変化の中でのみ戦争を感じている。

彼女たちにとって戦争とは、食べ物がなくなることであり、

空襲に脅かされることであり、男達がいなくなっていくことであり・・・。

大阪で商売をばりばりやっている糸子と、

呉で新婚生活を始めるすずさんの戦争の見え方は違う。

それは、当たり前のこと。

あの時代にはたくさんの糸子が、たくさんのすずさんが生きていて、

それぞれの土地でそれぞれの戦争を体験した。

戦争を語り継ぐと言うことは、

一つでも多くのそうした当たり前の生活を掘り起こしていくことなんじゃないかと思う。

戦争反対と声高に叫ぶのではなく、

戦争を美化してしまうこともなく、

ただ当たり前の人たちの幾通りもの人生を認め語りついでいく。

それは難しい事ではあるけれど、

戦争を風化させない一つの方法だと思う。

そして、それが可能だと言うことをこの作品は証明して見せてくれました。

監督は軍事にも造形が深くて、呉に止まっている艦隊も兵器も敵の戦闘機も

全て把握した上で映画を作っておられますが、

映画の中でそれを過度にアピールしたりはしない。

すずさんが生きる世界を精密に彩るために集めた知識や情報を使っても

それを前面に出さず、あくまでも一人の女性の視点を貫いた。

その作品に対する姿勢は本当にあっぱれだと思います。


人によって様々な受け取り方があると先に書きましたが、

私は、この作品を一人の女性が新しい居場所を見つけるまでの物語だと思いました。

この要素が私にとって一番響く部分だったんだろうと思います。

たまたますずさんが生きた時代が戦争の時代で、

たまたますずさんがお嫁に行った時代が食糧難で生活が一気に変わる時代だっただけ。

不幸なことに、世の中に食べ物がなくなっていく時代と

すずさんの新婚時代が見事に一致してしまった・・・。

ただでさえ、新しい環境で、新しい台所で、新しい生活リズムで

嫁として新しい家に馴染まなければならない時に、

世の中の仕組みそのものも大きく変わってしまう。

第二次世界大戦は、勃発時期から考えるとずいぶん長い戦争で

戦後生まれの私からすればその期間ずっと厳しい戦時下での生活だったと思いがちなんですが

本当に配給が滞って、食べ物がなくって・・・っていう時期は

まさにすずさんが嫁に来てからの1年くらいなんですよね。

お義母さんはきっと、そんなに厳しい食料事情の中で食事を考えてこなかったろうし

隣組とのつきあいも、防空訓練みたいなものはそれほどなかったんだろうと思います。

北條家自体の暮らしも変わって行く中でのすずさんのがんばり。

すずさんはぼーっとしているから、深く考えていなかっただろうけど

婚家に馴染む苦労と、戦争激化に伴う生活の苦労が重なって

普通に結婚する以上の辛い日々を過ごしていたはず。

でも、一回目に見た時はそれほど嫁ぐ苦労に思い至らなかったのです。

すずさんはのほほんとしていて、

頭に円形脱毛症を患っちゃうことはあったにせよ、

旦那さまは優しくて素敵な人だし、

お義父さんもお義母さんもどんくさいすずさんのことを受け入れ、

温かく見守ってくれる。

お姉さんはいじわるなところもあるけれど、

基本的にはずばずば思ったことを言うというタイプの人で

よくあるような露骨ないじめなんてしない人。

時には不器用な優しさを見せてくれることもある。

親同士の勝手な縁組や見合いが主流だったこの時代、

結婚した相手と上手く馴染めず不幸な暮らしを続けている人も多かった中で

すずさんは幸せだったよなあ・・・なんて、呑気に思っていました。

そんなだったからすすさんが爆弾にやられたとき、

夢うつつの中で、空襲で家が焼かれて呆然と立ち尽くす知らない女の人の後ろ姿に

「あの人はいいなあ、家から開放されて」(みたいなセリフ、うろ覚え)

とつぶやいたことにびっくりしてしまった。

不発弾にやられる前、通りすがりに見た知らない女の人の背中。

あの時すずさんはこんなこと思っていたんだ!

羨ましいと言うことは、すずさんは家から開放されたいと思ってるの? って。

1回目見た後、原作を読んで、2回目を見て、よくわかりました。

すずさんは、ずっとずっと、心のどこかで広島に帰りたかったんですね。

広島での生活は結婚した時点で止まっているから、

すずさんにとっては自分の家がある場所であり、馴染んだ生活の場所であり、

懐かしい言葉がある場所であり

(広島弁と呉弁はちょっと違うそうで、映画ではそれも上手く再現されているそうです)

そしてなにより空襲のない場所。

私達は歴史的事実として8月に広島で何が起こったか知っていて、

広島の戦時中を舞台にした作品を見たり読んだりするときは、

その日までのカウントダウンをしてしまうわけですが、

当たり前のことなんだけど、あの時代を生きているすずさんはそれを知らない。

そして、その運命の8月6日までは、確かに日本屈指の軍港であった呉の方が

たくさんたくさん空襲を受けて被害も出していた。

劇中、ラジオの広島局から「呉のみなさん、がんばってください」という放送が入ったり、

広島から救援物資のおにぎりが届きました・・・なんてシーンがありました。

近年の自然災害でこうした光景を見慣れているから、

この時代にも同じ事してたんだなあ・・・って思ったし、

広島が被害者でない描写にちょっとびっくりしてしまった。

どんだけ固定概念がすり込まれているんだ、自分・・・。

伏せっているときに妹が見舞いに来てくれて、

家に帰ってもいいよという選択肢をくれてから、

すずさんの気持ちは明らかに動揺し始めます。

結婚したんだから一生もとの家には帰れないと思っていたのが、

帰れるのかもしれない・・・と思い始める。

右手をなくした自分は嫁としての勤めを果たせない。

結婚して1年にもなるのに子供もできない。

大切な姪っ子も自分が守りきれずに死なせてしまった。

毎日毎日空襲警報が鳴る生活はもういやだ・・・

(原作ではこれにもう一つ大きな要因があるのだけれど)

そんな負の感情が一つの逃げ道を見つける。

父も母も妹も帰ってもいいと言ってくれている。

唯一反対しそうなお兄ちゃんは戦争で死んでしまった。

この家を捨てて、帰ってもいいのかもしれない・・・と、揺れ動く心。

それでも焼夷弾が家に堕ちてきた時、

一旦はこのままこの家が燃えてしまえば・・・という思いに駆られたものの、

やっぱり火を消そうとして不自由な身体で命がけで消火しようとしたすずさんの

腹の底から出た「うわああ」という声が忘れられない。

爆弾を落とした敵に対してなのか、戦争そのものに対してなのか、

自分を縛り付けるこの家に対してなのか、

いっそ燃えてしまえと思ってしまった自分に対してなのか・・・。

ぼーっとしたすずさんの心の底からわき上がった怒りに似た思い。

それがあの声に溢れていたように思う。

のんさん、すごい・・・。

必死で家は守りはしたけれど、やはり心は故郷の広島へと飛ぶ。

再び空襲警報が鳴り、ぼうっとしてしまっているすずさんの目の前に白鷺が降りてくる。

白鷺は広島ではよく飛んでいたけれど、

呉ではあまり見ないという描写がずっと前のシーンであって、

すずさんにとって鷺と故郷は切り離せないものだということは観客には分かっている。

鷺に対しては幼なじみの水原とのからみで描かれていて

先ほど触れた細馬先生の論考で細かく触れられていますが、

ここでは単に故郷と繋がる鳥ととってもいいのではないかと思います(特に映画は)

自分と同じ故郷からやってきてここに迷い込んだ鳥。

お前は羽根があって、自由に空を飛べるのだから、

あの山を越えて、空襲のない故郷へお帰り・・・とすずさんは鷺を追い立てます。

だけど私達は知っている。

この先、広島こそが危ないのだと・・・。


結局すずさんは、周作さんとお姉さんの言葉で、

広島に帰る直前に自分の意志で呉に残ることを決心します。

その直後、呉にも閃光と少し遅れて爆風が・・・。

ここは、本当によかったなあと思いました。

もちろん、すずさんが助かったこともですが、

でも、その偶然以上に、原爆がおちたのは、

すずさんが自分の意志で呉に残ることを決めた後だったことに安堵しました。

もし、まだ迷っていた段階で原爆がおちていたら、

すずさんは自分の意志ではなく、運命が決まってしまう。

帰るべき故郷を失うという形で。

結局、すずさんは故郷を失ってしまうわけですから

結論としては同じになるのかもしれないのですが、

自分で呉で生きていこうと決意する時間の猶予が与えられたことは

とても大切なことのような気がしました。

自分の意志ではなく、人に言われるがまま結婚を決め、

新しい土地で暮らし始めたすずさん。

多くの人がそういう生き方をしていた時代ではあったのですが、

受け身で与えられた人生をそのまま受け入れてきたすずさんが

新しい生活の中でいろいろなことを感じ、

戦争という悲劇の中でたくさんのことを考えざるを得なくなって、

自分の意志で道を選ぶという流れは、

一人の女性のあり方としてとても興味深かったのです。


終戦を告げる玉音放送を聞いて、すずさんは

「うちも何も知らんまま死にたかったなあ」

と悔し泣きします。

戦争を始めます、はいそうですか。

と受け入れていた頃にはもう戻れません。

戦争に負けました、はいそうですかとはいかないのです。

その戦争のおかげで、晴美さんを失い、故郷を失いました。

それでも自分は負けない、日本は負けない、と、

無理に心を奮い立たせて生きようと決意した直後の敗戦の知らせでした。

もう、何も知らずぼーっと生きていた時代には戻れません。

人に決められた運命をそのまま受け入れていた自分には戻れないのです。

あまり負の感情を表に出さないすずさんが、

激しい感情の表出を見せた切ないシーンでした。


原作を読んで、残念だなあと思ったのは、

映画化に当たって原作の大事な要素を一個まるまるそぎ落としてしまったこと。

最初の脚本にはあったそうです。

ただそれを入れるとどうしても長くなってしまい、

予算が足りないということと、

上映する際に不利だと言うことで泣く泣くカットされたそう。

プロデューサーの方が興行収入が10億越えたら

カットした部分を製作して完全版を作りたいとおっしゃっていたので

もしかしたら製作されるかもしれません。

この作品、今、13億でしたっけ? すごいですよね。

これだけ小規模の作品なのに。

実は今の作品の中にもカットしきらずに(わざと)残っているセリフがあったりします。

原作知らなかったら意味がわからないんだけど。

そのカットされた要素があるのとないのではこの作品の印象が大きく変わります。

原作のすずさんはもっと「女」なんですよね。

広島に帰りたいと思う理由も、一番はこの部分だったりします。

そして、この要素が入ると、旦那さまの周作さんがもっと立体的な人物になります。

ただ優しいだけの人ではない、というか。

すずさんをちゃんと愛していて誠実な人という部分は変わらないんだけど。



私、周作さん、好きなんですよねえ・・・。

本当にすずさんを大切にしている感じが伝わってきて。

戦争もので旦那さんが比較的側に居てくれるというのも珍しいですよね。

周作さんは軍にいるんだけど文官で、戦場に出るわけではない。

途中何度か命令で家から離れる仕事につきますが、

基本戦争に取られて会えない・・・ということもなく

戦時下でそれなりにラブラブ時代を過ごす様子がなんか愛おしい。

周作さんって穏やかで、決して口数が多い方ではないんですが

日本人にしては愛情表現をきちんとする人で、それもなんか新鮮。

声を当てられている細谷佳正さんは、

すずさんの声を誰が担当するか知らないまま演技されたそうで、

このことを知ってびっくりしました。

最近のアフレコでは一人ずつ録音することもあることは知っていましたが、

相手役を知らないままだったとは!

(細谷さんが録音された時点ではまだキャスティングが決まっていなかったそうです)

それでもあの親密な雰囲気が出せるんですねえ! 

プロの仕事というのは本当に恐れ入ります。

も一つ驚いたのは、細谷さんが今風のかっこいい若者だったこと。

ありゃ!てっきりもう少し年のいった人が演じているんだと思っていました。

ま、今時周作さんタイプの人がそうそういるはずもないし、

声優さんだって演じてなんぼなんですけどね。


あそこがよかった、ここが好きというのは書いていてきりがないし、

この作品に関しては本当に秀逸なレビューが多いのでこの辺でやめておきます。

そういうレビューや論考を読んでいると、

また映画館に行って実際に見て確かめたくなるんですよね。

本当に「豊かな表現」という言葉にぴったりの作品です。

posted by HaHa at 09:17Comment(0)映画

お誕生日おめでとうございます 2017

お誕生日おめでとうございます~。

きっと今年もたくさんの友達、たくさんのファンに祝われてのお誕生日だと思いますが

一応ここでも一言お祝いを。

 

もう、35歳なんですねえ。

最初に綾野君の年齢を知ったのが29からまさに30歳になるときで

そう思うとあれからもう5年がたったのかあ・・・と感慨深い思いです。

5年ってすごい年月ですよね。

綾野君自身の環境も様子も、ずいぶんと変わってしまった。

今や押しも押されぬスターだもんなあ。

今の状態を一過性のものだとは、絶対思えないもんな。

でも、初めて綾野君を知った頃はある種のブームみたいな感じで、

そのブームはいつか冷めるもんだとなんとなく思っていました。

でも、思っていたような冷め方はしなかった。

ぐーっと上に押し上げられて、そのまま高止まりして続いている感じ。

今から5年前を振り返れば、

綾野剛という名前を知らない人が結構普通にいたんだけど、

今じゃそんなこと信じられないもんな。

急速に活躍する場を広げてどんどん羽ばたいていく姿を

ハラハラしながら応援していたのがずいぶん昔に思える。

今じゃ、メジャー映画で主役をはることも普通のことだもんな。

変わらないのは、演じることに対する真摯な姿勢と

周りの人たちに対する誠実さ。

この姿勢をキープし続けることってすごく難しいと思うのだけど

そこはぶれずにやり続けているところが本当に頭が下がります。

未だに作品の規模に関係なく出演したり、

役の大きさを出演の目安にしないという姿勢も変わらず・・・。

これって案外難しいんじゃないかと思うんですけど、

周りのスタッフに本当に恵まれているんでしょうね。

なんとなく社長はもうちょっと仕事選べって思っている気がする。

社長が関わっている企画(とくに「新宿スワン」)では

結構典型的なスター売りをしようとしている感じがするもの。

 

「新宿スワンⅡ」は苦戦しているのかな?

それも仕方ない気はしますね。

今、映画界は「君の名は。」と「この世界の片隅に」の動きが熱くて、

そっちに気がいってしまっているような感じがする。

私自身も今はちょっと「新宿スワン」の気分になれなかったもの。

一応ちゃんと初日に行きましたが、2回目を見ようという気にはなかなかなれず・・・。

前作の時は、難波で舞台挨拶が決まって、

すぐさまチケット争奪戦に参加したんだけど、

今回は梅田で舞台挨拶があると分かっても

2回目見に行こうという気になかなかなれなかった。

結局チケット争奪戦には参加せず・・・。

ま、私なんかが参加しなくても、ちゃんと即刻完売しているからいいんですけど。

公開後にも精力的に舞台挨拶を・・・と全国を飛び回る綾野君の姿勢は

とても「らしい」なあと思いました。

できることはなんでもやるという意気込みを感じました。

たぶん、今の映画界の雰囲気に一番割を食ったのは「怒り」だったと思うんだけど

「怒り」ではきっと当初予定されていた宣伝以上のことは

出来なかったんだろうと思うんですよね。

番手的にも。

あの作品はもっと注目されてしかるべきだったんだけれど

たまたまの時代の空気感の中で埋もれてしまった。

「スワンⅡ」では埋もれさせないために出来るだけのことはやろうと思ったんでしょうね。

相変わらず番宣で出たバラエティの数もすごくって、

今回はドラマの改変期に重なったので他の番宣もたくさんあるなか

その一生懸命さがひときわ際だって見えました。

だけど個人的には「Ⅱ」は苦手・・・。

もともとジャンル的に好きなタイプの映画ではないにしろ

「Ⅰ」は好きだったんだけど・・・。

山田君や沢尻さんといった目玉の役者さんが抜けたという以上に

根本的に何かが違う感じがして・・・。

また、感想は書くと思いますが、公開が落ち着いてからにしようと思います。

 

そんなこんなのお誕生日。

今年は何と言っても「武曲」が楽しみ。

そして、まだ公表されていないけど、

「新宿スワンⅡ」の宣伝が始まった頃、

髪がちょっとシルバーっぽくて、雰囲気が尖った感じがしていました。

あれ、何の役作りだったんだろう。

きっと何かの撮影のための髪型だったんだと思うんだけど・・・。

今はもうほぼ黒になっていますもんね。

あの頃に撮影していた作品が情報公開されるの楽しみ。

 

もう30代も半ばですもんね。

身体に気をつけつつ、この1年も充実した1年でありますよう

影ながらお祈りしております。

お誕生日おめでとうございます!!

ファイナルファンタジーXV(ネタバレあり)

この記事はネタバレありで書いていきます。

私が途中でついついネタバレを読んでしまってちょっと後悔したので、

ゲームやるぞ、楽しむぞ! と思っている人はとりあえずストーリー部分は

何も知らないままやるほうが絶対面白いと思います。

ラストのあれやこれやでの感動が違う。

ネタバレや他の人はどう感じたかって言うのはその後で十分。

たぶん、いろいろ疑問がいっぱいで、

他の人の意見を見てみたくなると思いますが・・・(^_^;)

一つだけ言えるのは、プロンプトの写真はできるだけアルバムに入れておいた方がいいです。

そんでもって終盤は真面目に1枚選んだ方がいいです。

ここでふざけちゃうとラストが目も当てられないことに・・・。

では、本編の感想を。















キングスクレイブ、結局映画館に1回しか見に行かなくて、

結構、舞台設定とか難しい話だったのであんまり分かってなかったんです。

話の大筋くらいしか追えてなかった。

それでも重厚感のある戦闘シーンと、

王が命がけでルナフレーナに指輪を託したその重さと、

ヒロインのルナフレーナがお姫様にも関わらずずいぶんと勇敢でがんばっていたので

てっきりあのトーンで始まるゲームだと思っていたんですよね。

早々にルナフレーナが主人公達と合流してパーティの一員として活躍して

最終的にあのにっくき帝国軍ニフルハイムをやっつけるんだろうなあと思ってたんですけど、

冒頭が緊張感も何も無い青年達ののーんびりしたやり取りで始まって

拍子抜けしました。

え? 王子ってこんなバカなの?

というか、なんでこんな軽い雰囲気なの?

そんでもって、ゲームのスタートが、故障車を押してるって

なんなの!

冒頭シーンはまだインソムニアが陥落していない設定とはいえ、

映画の国が滅びるか否かといった緊迫感が微塵も感じられない。

最終的にゲームを終えてからもう一度映画を見直してみたら、

エンドロールも全て終わった後、じゃれあいの喧嘩しながら車を押している

ノクティスたち4人が映っていて、

そーいえばこのラストシーンあった!

映画を見た時もやたらと違和感あったなあ・・・と思い出しました。

あまりに違和感がありすぎて忘れてしまってた・・・(^_^;)

でもゲームをクリアした今、この呑気なシーンすら切なくなるんだけど。

こののんびりした雰囲気、前半ずっと続きます。

前半はオープンフィールドになっていて、

レがリアという車で自由にフィールドを動き回れるし、

RPGというゲームの性格上、序盤はせっせとレベルの低い敵と戦って

レベル上げをしなければならないので、

どうしてものんびりした旅になってしまう。

結構序盤で祖国が滅ぼされ、父が殺されたことを知るんだけど

その後も必要に迫られて、お遣いクエストやハンタークエストをやらなきゃレベルがあがらないので

先に映画で祖国の惨状を知ってしまっているこちらは

おいおい王子、そんなおつかいやってる場合か・・・ってつい焦っちゃう。

で、勢い「そんなことしてていいの」って次男に言って、うざがられる・・・。

きちんと時系列を追うと王子の出立とインソムニア陥落は時期が接近しているので

仕方ないと言えば仕方ないのですが、

それならもうちょっとストーリーを工夫して、レベル上げが済んだ頃

上手い具合にインソムニアの陥落を知るような流れに出来なかったのかと思う。

ちなみに次男はゲームクリア後に初めて映画を見て、

「僕(ノクティス)、この頃のんびり釣りしてたで・・・(>_<)」

と愕然としていました。

この作品世界にはいろいろ大きな落差があるんですよね。

映画で描かれた世界とゲームの世界のシリアス度の落差とか、

ノクティスたちの日常描写と一国(もしくは星)の存亡を左右する大事との落差とか、

ゲーム前半と後半の落差・・・とか。

制作した側はそれほど大きな落差だと考えてないんだろうけど

プレイヤー側はそれをとても大きく感じてしまう。

大筋が王子の成長と王としての覚醒にあるのだから

覚醒前と後に落差をつけた方が感動が大きいと考え

王のあるべき姿(映画)と王子の現状を突き詰めていった結果

落差が大きくなりすぎたっていうことなんだろうけど、

一国の王とそこらにいそうな大学生って感じですからね。

もっと違和感があったのはBROTHERHOODでの描写。

王子とプロンプトの小学校時代が描かれるんだけど、

どう見ても日本の普通の公立小学校なんです。

王子がこういう小学校通うか?

そしてプロンプトの家やその周囲は日本の普通の住宅地で

ノクティスの住む王宮との落差といったら・・・。

これがいわゆる貧民街やファンタジー世界の中流層の家ならまだ馴染むんだけど、

あまりに日常、あまりに現実。

4話でのノクトの一人暮らしといい、

ノクト周辺の描写はものすごく現実に近くて、

王周辺は一気にファンタジーの世界。

「キングスクレイブ」を見た時に、リアルな都市(新宿をモデルにしているらしい)と

魔法描写の融合がとても見事で、

現実的な美しいリアルCGの世界に魔法が普通に存在しているその世界感を

とても上手く処理して同居させているなと思ったんです。

映画の中ではわずかなノクトたちの登場シーン以外は

重厚なファンタジーのトーンで統一されていたし。

でも、アニメとゲームはノクトを中心に描くために

日常描写が強調されすぎていて、

それが重厚なファンタジーともう一つ馴染みきらなかった気がする。

主人公周辺に対する批判も多かったですもんね。

結局この作品の好き嫌いはノクティス王子の描写を受け入れられるか否か

っていうところにあるんじゃないかと思う。

私は・・・というと、このノクティス王子が大好きでした。

とにかくかわいいんです。

ちょっとすねた感じでつっぱているんだけれど、

隠しきれない素直さがにじみ出てて。

てっきり十代かと思っていたんですけど

設定をみると20歳なんですね。

20歳にしては幼い感じもするけれど、

大学2回生くらいかなと思うとこんなもんかもしれないな。

CGなんだけど、ちゃんと何者でもない顔をしているんですよね。

この何者でもないというのがミソで、

何者でもない若者が何者(この場合明確に「王」だけど)になっていく物語。

ノクトはとにかくCGが作り込まれていて、

ムービーの部分でも実に繊細な表情をするんです。

映画ほどリアルという感じはしなかったけれど、

でも実写とアニメの中間・・・よりは実写よりな感じで、

この映像でこれだけ繊細な顔されるとまいっちゃうな・・・という感じ。

その辺の下手な若手俳優顔負けの演技してますからね。

特にお気に入りは祖国と父の運命を知る場面と、

中盤(よりちょっと後の方かな)のグラディオに怒られる顔。

こういう表情でぐっと心をつかまれちゃったんだなあ・・・。

ゲーム中の何気ない動きや後ろ姿も素晴らしい。

基本ノクトを操って進めるゲームですから、

ノクトの背中を見ながら操作している場面が多いんですけど、

この背中が実にいい。

それから、手持ちぶさたにぼーっと立ち尽くしているときとか

とにかく細かく動きが入るんです。

一番すごいなあと思ったのは、武器とか装備を変えたり、

ステイタスを確かめたりするメニュー画面。

壁ぎわに4人がずらっと並ぶんですけど、

この画面で武器を変えたりなんだりでうだうだやっていると、

みんなちゃんと始終動いてるの。

それもいわゆる動作ではなくて、

若い子がじっと立ってられない・・・という感じの、

重心を右足から左足に変えて見たり、ちょっと髪を触ったり、

ちょっと余所向いてみたり

そんなリアルな無駄な動きをするんです。

こういう作り込まれたCG画面を見ているのはとにかく楽しかったな。


ストーリー的には、アラがとにかく多いです。

一番よく言われていて、私自身もそうだなあと思ったのは、

ルナフレーナが死んで、イグニスも失明してしまったくだり。

まず、イグニスがなんで失明してしまったのか、さっぱり分からない。

せめて水神と戦っているときに他の3人がどうしていたのかを

もっと描いておけば、もう少し置いてけぼり感はなかったと思うのだけど、

ルナフレーナを亡くして意識が戻るとイグニスが失明しているという謎の展開。

この辺、追加でがっつりと描こうと思ってわざとエピソードを抜いているんでしょうか。

そう考えざるを得ないほど謎の展開なのに、

いきなりグラディオに怒られちゃうし。

傷ついた仲間にもっと気を配れって。

でも、プレイヤーはノクトと一緒の体験をしている訳です。

水神との戦いはなかなか大変だったんです(息子がやってたんだけど)。

ゲームの操作自体はオートの部分が多くて(細かい所は分からない)

難易度がめちゃくちゃ高いって訳じゃないけど、

とにかくムービーですごい場面をいっぱい見せられて、

命からがらクリアした気分なんです。

その上ルナフレーナは殺されちゃうし・・・。

やっと会えたのに、なんでーーー? うそーーーん!

って気分なんです。

目が冷めたら失明していたイグニスよりも、

やっぱりそっちに気がいってしまう。

そこに友を気使えって言われても、唐突感しかない・・・。

物語の展開上、やりたいことはよく分かるんです。

ここは序盤にコルがノクトに言った台詞の繰り返しなんですね。

「いつまで護られる側にいるつもりだ、王子」

父が自分に何も告げずに死んでしまったことに憤っていた時に言われた言葉。

予告でもかならずと言っていいほど使われているセリフ。

全編を通して屈指のいいセリフだと思っているんですけど、

これを今度はグラディオに言わせた。

コルに言われた時は、人に何かして貰うのが当たり前の子供だった王子。

ここまでの冒険を経験して、たぶんあの時よりは自ら動こうとしている。

だけど、まだ王としての自覚は不完全。

皆は命をかけて王を守ります。

だからこそ、王は命をかけて皆を護らなければならない。

けれど、その覚悟がまだノクトにはできていない。

ここまで、ノクトの為に誰かが犠牲になるという直接的な場面はなかった。

ここで初めて、自分の力が及ばなかったせいで

ルナフレーナを死なせてしまった。

そして、自分のふがいなさのせいで(たぶん)イグニスの視力がなくなってしまった。

イグニスの失明の経緯は不明ですが、

住民が避難できるように警備あたっていたはずですから、

ノクトの力不足ゆえの犠牲になったと言えなくもない。

警備にあたっていたイグニスが負傷するくらいですから

住民の被害も出た事でしょう。

ここにきて初めて、ノクティスは自分が力不足だと、

誰かが犠牲になるという体験をするわけです。

そしてそのことに傷心して、せっかく命がけでルナフレーナが届けてくれた

父の(王の)指輪をはめることもできない。

イグニスが言いたかったのはそんなノクティスに対して

「いつまで護られる側でいるつもりだ」

っていうことだったんだろうと思うんですけど、

イグニスにかこつけてごちゃごちゃいっちゃったので、

何となくちょっと的外れ感・・・。

ここ、なんでもう一度「いつまで護られる側にいるつもりだ」じゃだめだったんだろう。

指輪に関して続けると、最終的にノクトが指輪をはめるのは13章。

連れ去られてしまったプロンプトを助ける為に敵の本拠地に一人で

(というか敵に仲間から引き離されてしまったと言ったかんじで)乗り込みます。

ここで初めて指輪をつける。

つまり誰かの為に命をかけるという覚悟ができたということなんだろうと思う。

ただ、ここも演出が致命的に下手で、

覚悟ができたから指輪をはめるというよりは、

敵の基地に入った途端全ての武器を封じられてしまうので

仕方なくはめると言った感がぬぐえない・・・。

実際にこの後ずいぶん長く、よわっちい指輪の魔力だけで戦うことになります。

指輪の力がよわっちいのはノクトの王としての自覚が弱いからかなんなのか、

とにかくこの13章は絶望的に長かった・・・orz

映画のニックスは1回はめただけで、絶大な力を手に入れたぞ!

そのイメージが強かったので、正直指輪の使えなさにはびびりました。

考えてみれば、ニックスもひたすら他者を守りたい人でしたね。

自分の命よりも大切な誰かの命を迷うことなく最優先させる人。

だからこそ、指輪をはめ、力を発揮することができたんでしょうね。

そういえば、指輪はその資格があるものしかはめられない。

資格のないものがはめると破滅する・・・ということは

もっとゲームでも明示しておいたほうがよかったのにな。

映画では繰り返し描かれていましたけれど。

映画で見せていたルナフレーナの兄が指輪をはめたものの

指輪に受け入れられないというシーンは、

本当はゲームの中で、ノクティスの目の前で見せた方がよかったんじゃないかな。

資格がないものにはこの指輪ははめられないということも

ノクティスが気楽に指輪をはめられない理由になり得るから。

まあ、ノクティスはすでにクリスタルに王となる資格があると啓示を受けていますから

そういう迷いはなかったということかもしれませんが・・・。

指輪は誰でもはめられるものではない、ということと共に、

ノクトは単に王の子だからというだけで時期王と見なされているのではなくて

クリスタルに選ばれたからこそ時期王の資格を持っているということも

もっともっと強調して描いておいた方がよかったのにな。

血縁というだけでは王になれないということは

ルナフレーナの兄が証明しています。

「クリスタルに選ばれる」というのがどれほどのことなのか

例えば父王もまたクリスタルに選ばれた者なのか、

それとも歴代の王の中でも「クリスタルに選ばれる」というのは

格別の存在なのかが、も一つあいまいだったような気がする。

「クリスタルに選ばれし者」という宿命の重さをも加味して物語れたら

もっと深みが増したんじゃないのかな。

歴代王の力(指輪・剣)、六神、クリスタルの啓示・・・

いろいろキラキラする要素をいっぱい散りばめながら

この物語でこれはこういう意味を持ちますよという説明がしっかりなされないまま

ふわふわと物語が進んで行くのが残念で残念で・・・。

こういう説明不足、だからこそ想像の余地が大きくある・・・

というのは二次創作が好きな人にとってはとてもおいしい素材だと思うので

きっとその界隈では盛り上がっているんじゃないかなあと思います。

よくは知らないけど・・・。

キャラクターも魅力的だからいくらでも面白くバックストーリーが作れそうだもん。


話を元に戻すと、ノクトの表情、人物造形と共にもう一つ大好きなシーンがあります。

それは終盤に歴代王に命を投げ出すシーンでの、父王レギスの表情。

これね、びっくりしたんですけど、歴代王が一人一人剣で王座に座るノクトを刺していくんです。

歴代の王の力を得るというのは、つまりこういうことなの?

なんというか・・・ご先祖様達なわけですよね?

それぞれ国を守ってきた方々なんですよね?

なんで子孫にこんなに厳しいの?

映画でニックスが歴代王と対面したときも厳しい人たちだなあとは思ったけど

それはニックスが王族ではなかったからだと思ってたんですけど、

王族にも厳しいんだね・・・。

六神が厳しいのは分かるんですよ。

彼らは自然の化身のような存在で、意思疎通が非常に難しく

(だから神凪という通訳者が必要になる)

人に対して容赦はないというのはわかる。

でも、歴代王は人間やん。

しかもご先祖さまやん。

なんで力を与えるのと引き替えに、若者の命を必要とするの?

六神と歴代王という二段階の力を用意している意味あるの?

と思わず考えずにはいられない。

だいたい、六神と歴代王の関係も曖昧だし。

とにかく何より異形の者が人間に力を与える表現として

一人ずつ剣で刺していく、

そして王はひたすらそれに耐える・・・という描き方が

ものすごく衝撃的だったんですよね。

せめて、それぞれの王がノクトの身体に入り込んで行って

ノクトが人間としての輪郭失っていくというのではダメだったのでしょうか。

ノクトが王になる覚悟と準備が出来て王座に座ったとき、

ルナフレーナと、共に戦って来た友と、そして父に礼を言うんです。

一緒にいられて幸せだったと。

その時、ふわりと幽霊のようにレギスの姿が王座の横に現れる。

本当に辛そうな顔で。

そして、歴代の王が息子の身体に剣を突き刺していくのを

じっと横で耐えているんです。

息子の方を見られない。

ノクトは最後に残った力を振り絞って、

ここまで大切に使ってきた父王の剣をその父に差し出します。

「おやじ、あとはまかせとけ」と。

あれほど望んできた王として存在する息子の姿がそこにはあって・・・。

父は生前の姿から歴代王としての甲冑姿に姿を変え、

息子の心臓を貫きます。

ルシスの歴代王の一人として、真の王を誕生させるために。

息子は父の思いをしっかりと受け止め、

王として、未來に生きる人たちの為に闇を切り裂きます。

人として生きるという道を捨てて・・・。

ここのやり取りが秀逸で、切なくて、

このシーンを見た後、冒頭の息子を旅に送り出すシーンを見直したら

もう泣ける泣ける・・・。

父ちゃんはどの段階から国の安寧の為には息子の命が必要と分かったのかな。

クリスタルにノクトが啓示を受けたときから?

でも、キングスクレイブでのレギスの様子では、

あくまでも息子の未來の可能性にかけたいというニュアンスしか感じられなかったんですよね。

この混乱の世に、戦争状態の国を引き継がせる不安はあったと思うのですが

それは彼の若さと可能性にかける・・・という感じ。

自分が年齢的に力が弱っていて、国を守りきれなくなっているっていう描き方でしたもんね。

勝手な想像なのですが、レギスは人間としての生を終えてから、

国どころか星自体が危険にさらされていること、

その危険の根源の存在、そして

その者を倒すためには、ノクティスの命と引き替えにしなければいけないこと

なんかを理解したんじゃないかな。

そう考えると、切ない。

息子の未來に託した思いは、息子の命(未來)を奪ってしまうものであったのだから。

ラストのノクトとルナフレーナのシーンはきっと、

レギスが見た幸せな夢みたいなものなんだろうなあ。

クリスタルが煌めく中、王座に座るノクトと、ルナフレーナが幸せそうに微笑んで、まどろむように眠りにつく。

ああ、本当にクリスタルの中で二人がこんな風に幸せに眠っていたらいいのに!

花嫁姿のルナフレーナの姿がそのままファイナルファンタジーXVの見慣れたロゴになって

ここで初めてロゴと一緒に描かれていた女神が

ルナフレーナだったことを知る。

そして、エンディングを迎えて初めて、眠るルナフレーナの横に眠るノクティスの姿が書き加えられる。

この仕掛けを見た時にはちょっと鳥肌がたちましたね。

おおっ!!

という感じで。


つまりはファイナルファンタジーXVは、自己犠牲の話だったんだと思うんです。

自分の命を犠牲にして誰かを(もしくは何かを)守る話。

映画キングスクレイブはある意味すでに自己犠牲の精神を持っている人達の

つまりは大人のお話。

この世には命をかけてでも守らなければならないものがある

信念を持って行動する者たちの強さを描いた物語だったように思います。

一方ゲームは、自己犠牲という信念を持つまでの物語。

何者でもなかった青年が様々な経験を積んで、

いろいろな人の思いを受け止めて、

自分の命を引き替えにして何かをなそうと決心するお話。

命に替えてでも・・・というのは、ある意味ヒロイックな発想で、

RPGに限らず、冒険ものやファンタジーの主人公は

結構最初から持っていたりするもんですよね。

このラストを見た時、私はぱっと、宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」を思い出しました。

ラストが主人公の犠牲的な死で終わるお話は決して特殊ではないし、

古今東西いっぱいあると思うんだけど、

このラストがバッドエンドとして賛否両論があるのは、きっと、

成長部分の描写が多少歪だったからなんだろうと思うんです。

ゲームの性質上、前半ののほほんとした時間が長すぎて、

後半のストーリー展開が駆け足で進むので

プレイヤーの心が置いてけぼりをくっちゃう。

それと、王になるという意味には二段階あるんですよね。

「父王を継いで王になる」と「真の王になる」という意味。

主人公は・・・というか周りの人間もみんな「父王を継ぐ」という意味で

ノクトに自覚を促します。

ノクトもそれは幼い頃からずっと心に刻んできたことで、

思いがけないことが起きて、当初の想定よりもずっと早く王位に就かなければならなくなって

そして祖国の再興という大きな仕事も背負って戸惑うんだけど、

それでも着実に王になろうとして心をつくって行ってたんです。

でも、最後の最後、チャプター13のおしまいに

アーディンに自分の正体と自分の野望を語らせて、

自分の本懐(ルシス王家を根底から滅ぼすこと)を遂げるために

お前は「真の王」になれ!

その為にクリスタルに入って来い!

ってクリスタルに放り込まれて・・・10年経ちました

って、そりゃ、おいっ! どうなってんねん!

って思うよね(^^;)

王になるということは守るべき民の為に命をもかけなければならない

ということは覚悟していたんだけど、

王になるために命を捧げなければならない・・・というのは

ちょっとニュアンスが違う・・・。

それを急に言われて、はい、ストーリー編最終章、10年後の世界・・・

というのは、あまりにも説明不足。

だいたい何もかもアーディンに語らせすぎ。

アーディンの素性も過去も、

本来は他者から語らせた方がアーディンの物語にも深みが出るのに。

もしくはクリスタルの中で、剣神バハムートとノクトの会話

(それもできれば哲学的な感じで)

がもっとあればよかったのにな。

過去、第一障壁ができた頃の話。

六神と王家の関わり。

過去の王達の武勇伝。

神凪の存在、父の思い、ルナフレーナのこと。

(たぶんレギスは自分の代の神凪であるルナフレーナの母を失っているので

六神との交流に難儀していたはず・・・

あのような形でインソムニアでの戦闘にまで追い込まれたのはそれも遠因にあったのでは?

そういう王と神凪の関係性についてももっと知りたかった)

アーディンのこと、闇の存在、

闇に覆われていく世界、

すでに昼が来なくなっている今・・・

そんなことを対話によってノクトに伝え、

やがてノクトが真の王になる覚悟を固める・・・

という過程を、なんで会話劇で作れなかったかなあ・・・。

確かにゲームの進行は止まっちゃうし、説明的にはなるけど、

物語としては大切な部分なのに。

観念的になりすぎると思ったのかなあ・・・。

いろんな要素があるこのファンタジーの世界を作り上げるのに、

形にならなかった要素、採用されなかったアイディアも数え切れないほどあった中で

きっと作っている人たちの中で完結しちゃって説明することを放棄した部分が

たくさん、たくさんあるのかなあと思う。

もう少し客観的な視点を持って、物語を組み立て整合性を持たせるような人が

組織の中で機能していればなあ・・・。

物語としては歪だし、不完全だなあと素人の私でも思ってしまう箇所はいっぱいあるんだけど

それでもやっぱり心惹かれるのはその人物に心を寄せていけるような

物語に没頭していけるような秀逸なシーンがちゃんとあるからなんですよね。


このゲームやたらとエンディングが長い気がするんですけど、

こんなもんなんですかね?

結構何段階も泣ける箇所が用意されている。

うろ覚えなんだけど、こんな感じ。

多少前後しているかもしれません。

ストーリーが終わると、今まで冒険で訪れた場所に

陽が昇り始める。

美しいグラフィックに朝日が差し込んでいく様子はもう圧巻。

ああ、この夜明けはノクトが頑張ったからなんだよなあと思うと尚更。

最後に何度もみんなでキャンプしたキャンプ場にも陽が昇る。

みんなが座っていたチェアはそのまま残されていて、

そこにも陽が昇る。

そして画面がまっくらになって、懐かしい仲間達の声。

あやふやな記憶なんですけど、あれって冒頭の車押してるシーン?

昔のままの声で・・・もうそれだけで泣きそうになってしまうのに

そこからエンディングに突入して、

CMにもいっぱい使われていた「スタンドバイミー」と共に

今までゲーム中に保存していたプロンプトの写真がスライドショーで流れる。

もちろん映画でもよくある手法ですが、

この写真1枚1枚、自分が経験したゲームの内容、

自分がチョイスした写真たちですから、

(うちの場合は息子チョイスなんですが)

思い入れもひとしおなわけです。

うーん、スタンドバイミーの曲調もすごくあってる~

と思っていると、

突然、キャンプのシーンに。

ノクトが大人になっているので、設定としては最終決戦一歩手前の夜

という設定なのでしょうか。

食事が終わってみんなでくつろいでいる様子。

ノクトが何か言い出したそうで、でもなかなか言い出せない。

ようやく、絞り出すように

「俺な、ちゃんと覚悟してきたつもりだったんだけど、

こうやってみんなの顔を見ると・・・・・・やっぱ、つれえわ」

(うろ覚えです、こんな感じのセリフ)

この「つれえわ」ってセリフが本当に切なくて(声優さんに拍手!)

表情も何とも複雑な、CGとは思えない顔してて、

ものすごく心ひかれました。

本編では覚悟を決めて真っ直ぐ進んでいったノクト。

初めてノクトを王と呼んで敬礼し、見送った仲間達。

その裏でこんなやり取りがあったんだあ。

ノクトは物語の冒頭で「オヤジは何も話してくれなかった」って怒ってたんですよね。

話して欲しかったって。

そしてルナフレーナを失った後、ゲンティアナから

ルナフレーナがその役割に苦悩していたことを聞いて、

自分がルナフレーナの悩みを聞いてやれなかったことをひどく後悔した。

だからこそ、自分は仲間達に後悔させないために

自分のような思いをさせないために、

自分の率直な気持ちを伝えておきたいと思ったんでしょうね。

主人公がこういう言葉を口にするのって、

なんか人間くさくていいなあと思ったんですよね。

宿命を背負わされた王子、

命を犠牲にして世界を守るって、

聖人君子の道まっしぐらな王子が

仲間にだけ、今まで共に過ごした仲間にだけ

本心を打ち明ける。

と、同時に、映画の段階ではやはり聖人君子というか

自分が選ぶべき道について迷いがなかったように見えたレギスやルナフレーナも

やはり迷いや悩みがあったというのもいいなあと思ったんです。

映画で見たレギスやレナフレーナの違った側面を見られたのも

ゲームの面白い所でした。


この後、スタッフロールがFFXVの壮大なテーマにのせて流れて、

そして既に上の方で書いたノクトとルナフレーナの幸せな1コマ。

ここで、ゲーム中に選んだ写真が登場。

この時、変な写真を選んでいるとかなり感動を削がれることになると思います。

このシーン、私はレギスの夢だと思ったのですが、

本当はどういう位置づけなのでしょうね。

誰の・・・と決めなくてもよいのかもしれませんね。

レギスの、ノクトの、ルナフレーナの、仲間達の、

そしてここまでゲームをプレイしてきた人たち全ての、夢。

擬似的なハッピーエンドを仮想としか思えないような形でつけざるを得なかったのは

作り手側の優しさなのかなあ。

これ、なかったら切なすぎますもんね。

主人公の自己犠牲という形で終わるエンドってそんなに珍しいわけではないのでしょうが、

そこにカタルシスではなくやりきれない切なさを感じてしまうのは

やはりノクティスが英雄的な人物ではなく

等身大の青年として人物造形されてきたため仕方なかったのかもしれません。

ここでタイトルのイラストの説明もされて、

この物語自体が、ルナフレーナの、ノクティスの夢だったのかなあ

なんて思っていると、

チャプター15が用意されています。

私と息子はストーリーが完結した所で気が抜けてやりこんでいないのですが

もう一度仲間達とストーリーを離れて自由に冒険できるようです。

レがリアを改造することで空を飛べたり、

今までいけなかった場所に行けるようになったり。

クリアできていなかったクエストを完全制覇するもよし、

いけていなかったダンジョンを探検するもよし。

ストーリーの展開から考えれば前半のオープンフィールドはいろいろ気になるんですけど

ゲームという観点から考えると、前半ってすっごく楽しい。

そんでもって、DLC(ダウンロードコンテンツっていうんですって! 

今はこういうゲームの広げ方があるんですね、知らんかった)で

も用意されているんだとか・・・。

本当に大きなプロジェクトだな、これ・・・。


とまあこんな感じで、生まれてはじめてのファイナルファンタジー体験は

とても刺激的で楽しかったです。

久々に物語(とくに現実からかけ離れた)世界にとっぷりと浸ることができました。

ここのブログをゲームやった人が訪れるとは思えないし、

普段ここでドラマの感想なんかを読んで下さっている方が

ゲームネタでこんな長い文章を読んでくれるとは思えないのですが、

とりあえず自分に対する備忘録。

こっそりイージーモードで自力でクリアを目指してみようかと思っている今日この頃・・・。



さて、次はニーアかな。