闇金ウシジマくん ザ・ファイナル

えっと、映画には関係ないのですが、この間Windows10のアップデートに失敗しまして。

というか、勝手に始まって、延々2日間真っ暗な画面にくるくると丸が回り続けました(T_T)

3日目になろうかという頃、ChiChiがググって、

ノートパソコンがアップデートに失敗してずっとアップデート中状態でほっとくとつぶれるかも

という記事を見つけたので、あわてて強制的にシャットダウンしたものの、

スタートボタンを押してもwindowsが立ち上がりきらず、

再び真っ暗な画面に丸がくるくるくるくる・・・。

windowsって8からF8を連打でセーフモードから起動って出来なくなったんですね(T_T)

この段階でやんなって、週末、落ち着いてパソコン触れる時間ができるまで放置することに。

うえーっ、書きかけの記事、内部保存じゃなくてブログの方に保存して置いたらよかった。

というか、ブログ全体のバックアップもこのパソコンなのに・・・。

あ、ChiChiの仕事の会計データもこのパソコンだった・・・orz

amazarashiの新アルバム、iphoneにはいれたけどウォークマンにはまだだった・・・。

ブログ書くだけならポメラで書けるんだけど、

これパソコンが壊れちゃったら今後どうやってアップしたらいいんだ?

子供からは「年賀状どうすんの!」と責められ、万事休す・・・

これはもう・・・ノートパソコン買い換えかあ?

マイクロソフトの、ばっきゃろーっ!!!

と、悶々とした日々を過ごしたのですが、無事復旧しました。

F8はきかないんですけど、パソコンのメーカーのロゴが出て、

ウィンドウマークの下で丸がくるくる回る間に強制終了。

再び電源を入れて同じタイミングで強制終了。

そして三度電源を入れると、勝手にセーフモードで起動してくれるらしい。

でもあまりにも乱暴な、パソコンに優しくない方法なので

やるときは自己責任で・・・と調べたサイトに書いてあった・・・。

おそろおそるやってみたら違う画面が・・・(^_^)v

でもうちの場合、セーフモードではなく、

Windowsをもとのモードに修復します・・・みたいな画面で、

しかもその画面のまままた固まっちゃって、

十分以上ほっといたら今度は真っ暗になって、

いよいよつぶれたか・・・修復もできなかったのか・・・と暗澹たる気分になったんですけど

ようやく見慣れたログイン画面が出てきて、

久々にパスワードを入れたらまたまた真っ暗になって・・・

の後の復旧だったので、本当に肝を冷やしました。

でもつまりはもとの状態に戻っただけなので、

しょっちゅうピコンと右下にアップデートのお知らせが出るから

いつ何時電源を切った時点でアップデートが始まるかわからず、

ああ、もう! 本当にマイクロソフトのばかやろおー。

 

 

とまあ、一通り愚痴を書いたところで、「ウシジマくんザ・ファイナル」の感想。

先週公開だったんだけど、気分がamazarashiだったので

どうしても見に行く気になれず、金曜のレイトにうんとこしょと行って来ました。

3と同じ映画館に行ったんですけど、3の成績がよかったからでしょうね。

3をレイトで見に行った時は、その劇場で一番小さなスクリーンでほぼ満員の中で見たのですが、

今回は子供が小さい頃よく連れてったドラえもんを見たスクリーンで上映していました。

つまり、その映画館で一番大きなスクリーン。

今、気になって調べに行ったら400人以上入るキャパだった・・・

前は78席ですからね。

同じくらいお客さんが入っていたとしてもガラガラに見えたと思う。

しかも前回は土曜のレイト、

今回は週末とはいえ平日金曜のレイト・・・

ということで、えらく寂しい中での鑑賞となりました。

これだけスカスカした中で見たのは本当に久しぶり。

大きなスクリーンで見られたのは気持ちよかったんですけどね。

今回の映画はネットで先に感想が流れていたように、

ウシジマくんの中学生役を演じた子がよかった。

顔立ちがそっくり・・・という訳ではないんですけど

(でも、かわいい顔してた)

立ち姿や歩き方や、そういう、山田君がウシジマとして作り上げたスタイルを

とても丁寧になぞっていて、全然違和感がなかった。

それがこの作品に大きな説得力を与えていたように思います。

ああ、ウシジマくんは昔からウシジマくんだったんだな・・・という安心感がすごかった。

そしてもう一人、永山絢人くんもよかった。

永山くんが演じた竹本という人は、どんな時でも人のために行動することを厭わない人で、

時にはそれが偽善的な空論にしか思えないんだけど

でも、ここぞと言うときに逃げない強さはどこかウシジマくんと通じるものがある。

なるほどウシジマくんが彼に一目置いているというか、

心の中の特別な位置に彼を置いているのもよくわかる気がする。

人間くさい弱さや醜さを抱えた人間が借金によって堕ちていく様をリアルに描いたこの作品では

ちょっと異色でリアリティ無く浮き上がってしまいそうなこの竹本という役を

さらっと力まずに演じきった永山くんに拍手。

永山くんをテレビで見始めた頃はどうしても上手いと思えなくて、

顔がやっぱり瑛太とにているから、

兄の七光りに潰されていくのかな・・・って思っていた時期もあったんですけど、

なんのなんの、お兄さんとはまた違った光を放ち始めましたよね。

暴力に簡単に潰されてしまいそうに細くて弱そうなのに、決して折れない芯の強さ。

暴力と金、嫉妬、妬み、恨み、つらみ、

物欲、自己顕示欲、色欲を初めとする人間のありとあらゆる欲望・・・

そんな醜い感情が溢れる作品世界の中で彼の存在が際だって清浄で

ウシジマくんのぶれない信念とともに、

この作品を見る時の心のよりどころのような気分で見ていました。

だって、本当に途中、何度も嫌になってくるんだもん。

これでもかっていうくらい人間の嫌な部分を見せつけられて。

貧困ビジネスのくだりの、あのなんと言えない閉塞感と絶望感・・・。

あのお金と暴力で人を縛り付ける歪んだ支配構造も嫌だったんだけど、

その中で事態を改善しようともせず、易々と支配者のいいなりになって

簡単に人生を投げ出して、仲間を売っても自分だけが助かればよくって・・・って風に

飼い慣らされてしまった人間の醜さをこれでもかって見せつけられたのが

何よりも嫌だった。

最初はね、竹本の言動を見ていてもイラッと来るばかりだったんですよね。

そんな正論言うんだったらここに来る前に自分でなんとかしろよ、とか、

こんなところでそんな甘っちょろいこと言っててもだめだよ、とか、

ウシジマくんにお金借りてもなんの解決にもなんねえよ、とか。

でも、ある種の信念をもってウシジマ君にお金を借りに行くくらいから、

竹本の中にウシジマ君に匹敵する強固な理念があると分かってきて、

それをちょっと意外な驚きと共に見守るという感じでした。

最後はウシジマくんの信念対竹本の信念、どっちが勝つか・・・という展開になって、

結局、竹本が信じたのに、甲本が裏切ってお金を持ち逃げして

竹本は全ての借金を背負って絶望的な現場に身売りされていく。

中学の頃、ウシジマくんからうさぎを預かったのと同じ穏やかな顔で、

仲間の裏切りや罪悪を引き受けて一人去って行く様子は

ちょっと宗教がかってみえるくらい清らかだった。

でも、何よりもその竹本の信念を際だたせたのはウシジマくんの信念。

お金を借りた(この場合は盗んだ?)者からはしっかりと取り立てるという信念は

大切に思っている竹本に対しても揺るぎなかった。

途中、仲間を裏切って金のありかを自分に伝えれば

お前が借金を返さなくても済むと竹本に伝えるんだけど、

そのウシジマくんの言葉よりも仲間の為にそのお金を返さないことを選んだ竹本に対して

きっちりとぶれずに金を返して貰うことを選んだ。

どんな悪い(怖い)奴らにも超然としているウシジマくんが、

竹本に対してはちょっと視線を揺らしたりして気持ちが揺らいでいる感じがよかった。

最後もウシジマくんの悲しみが伝わって来たし。

でも、信念を曲げないのがウシジマくん。

曲げちゃったらウシジマくんじゃないですもんね。

一連の映像化プロジェクトのラストに、ウシジマくんに拮抗しうる信念を持つ人物を登場させて

尚かつウシジマくんに信念を貫かせて終わるのがすごくよかったです。

山田君が続編はないって言っているのもよくわかる。

結局竹本の信用を裏切って自分一人が金を奪って逃走した甲本。

だけどすぐにその金も奪われ一文無しに・・・。

ほんっとうに、こいつバカだ、クズだ・・・。

こんなやつを信じた竹本も大馬鹿野郎だ・・・と思わせながら、

最後の最後に甲本のちっちゃなちっちゃな改心を見せて終わる。

それは拾った財布を持ち主に返すという、小学生の道徳レベルの行動なんだけど、

それでも、この映画の中でひたすら自己の欲求を満たすことのみに終始していた甲本の

思いがけない善行の影には確実に竹本がいる。

甲本たちの前で、ひたすら人としてまっとうな生き方を唱え実行してきた竹本。

無駄としか思えなかったその行動は、小さいながらもちゃんと芽を出した。

その微かな希望とウシジマくんの表情で、ほんの少し救われた気持ちで

この映画は幕を締めました。

ウシジマくんの話はどれも、今自分が見えている社会から上辺をはぎ取ったら

現実にあるだろうなと思わせるリアルさで迫ってきて、

この世はディストピアで、人間は強欲で愚かで救いがなくて、

だれでも簡単にこの無間地獄に堕ちていく可能性はあるんだ・・・という

暗澹たる世界観を見せてくれて気分が沈むのですが、

そこにほんの少しでも希望の光を見せてくれたことが、本当によかったです。

そんなことを考えながらしみじみとエンドロールを見ていて思いだした。

そうだ! この映画YOUNG DAISさんと間宮祥太郎くんも出てたんだった。

YOUNG DAISさんに関しては、この次男坊、どこかで見たことある気がするんだけどなあ

だれだっけなあ・・・と思っていたので、

ああ、あれがYOUNG DAISさんだったのね!

という感じだったのですが、間宮くんに関してはぶっ飛びました。

え? この子ってイケメン枠じゃないの?

「空飛ぶ広報室」でフルールのボーカルやった子だよね?

まあ最近は「ニーチェ先生」とかやっていたので、

さすがトライストーン。若手にいろんな挑戦させてるわ・・・とは思っていたんですけど

これは・・・すごいですよね。

二枚目売りしようとしていたら、この役は断りますよね・・・事務所として。

でも、この役を受けちゃうのがトライストーンの面白い所なんだろうなあ。

イケメン俳優というアイドルじゃなくて、役者を育てようとしてるんだなあ。

その心意気が伝わって来ます。

ほとんど顔がわかんない状態での熱演。

顔が見えるシーンでも気持ち悪い特殊メイクですし。

この役にイケメン要素は全くいりませんもんね。

でも、画面狭しと暴れ回り、目から狂気がほとばしるその演技はパワーに溢れていました。

その潔さ、振り切り方はこれからの伸びシロを十分に感じさせてくれましたし、

この映画の大きな要素を確実に表現していたと思います。

これからどんな役に挑戦していくのか、どう成長していくのか楽しみです。

 

 

戌亥は、今回もいい感じに活躍しました。

中学生のチビ戌亥くんもよかったです。

「ウシジマくん」って言うときのイントネーションがそっくり。

今回も変装出てきましたねえ。

今さらながらなんですけど、戌亥の実家ってお好み焼き屋さんだったんですね。

そう言えばそんなこと言っていたような・・・。

戌亥のかあちゃんのお好み焼き屋さんでみんながわいわいお好み焼き食べているシーンよかった。

でもこのメンバー、中学くらいからの知り合いっていう狭い枠の中で生きているんだなあ・・・

大人社会の荒波の中で永遠の思春期やっているのかもなあ・・・ってちょっと思った。

とまあ、戌亥に関してはこれくらいの感想で・・・

・・・あんまり戌亥というキャラクターに執着がもてなかったの、もろばれですねえ(^_^;)

ま、この作品は仲良しの山田くんと一緒にスクリーンに映る姿を見られるとか、

舞台挨拶とかで一緒にステージ立って仲良さを見せてくれたりする部分に価値があった

(あ、綾野君のファン目線としては・・・です)

と思うので、これでよしとします。





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posted by HaHa at 18:51Comment(0)映画

怒り

去年発表になっていた綾野君が出演した映画の中で

この作品と「リップヴァンヴィンクルの花嫁」が一番楽しみでした。

いや、もしかしたら原作を読み終えてすぐの感覚では

この映画が、とても、とても楽しみでした。

大西直人という人物が愛おしくて、

この人物を生きる綾野君の姿を見たくてしかたなかった。

最近なかった感覚・・・この作品を見るまでは死ねないから交通事故には気をつけなければ!

っていう思いを久々に感じました。

原作者の吉田さんが現場ルポされた記事が雑誌に載って、

綾野君と妻夫木君が撮影中実際に一緒に暮らしていたって知ってびっくりして。

この話は公開前には盛んに宣伝に使われていましたね。

ゲイという設定と、公開前の宣伝でやたらと妻夫木君とのラブラブシーンが強調されていたので

「クレオパトラな女たち」の黒崎裕に好反応を示した層が

この映画に興味を持ってくれたらいいなあ・・・

またあんな風に熱狂的に盛り上がったらいいなあ・・・

と思う反面、いわゆる腐女子じゃない、一般層が

見もしないうちから強い拒否反応を示すんじゃないかな・・・とも思ったり。

公開からずいぶん過ぎましたが、結局はどっちだったんでしょうねえ。

私がネットで見かけた範囲だと、

例えばツイッターで「怒り 綾野剛」と検索すると

「クレオパトラな女たち」の時によく見かけたような感想が熱狂的に繰り広げられていたし、

単に「怒り」で捜したときには

見ていない人が「ホモ映画気持ち悪い」的な反応をしていることもあって

(でも思っていた以上に少なかった)

やはりマイノリティの人々を扱う作品は難しいのかなあと思いました。

かなり突っ込んだ表現もしていますしね。

ただ、大勢を占めている感想は「重そう」「しんどそう」

だから見たいけど、どうしようかなあっていうタイプと

見に行きたいけど誰を誘っても気まずそうだからどうしようかなってタイプ。

見た人も絶賛なんだけど、もう一度見るのは辛いかなあ

っていう感想も結構見ました。

もっともっとヒットしてたくさんの人に見て貰いたいのに

重そうだから・・・で敬遠されているのかと思うと残念ですね。

という私も、実は「君の名は。」の世界観から気分を切り替えるの

結構苦労したんですけどね(^_^;)

 

この映画の感想、難しいな。

できればもう一回見に行きたいと思っているんだけど、

「ウシジマくん3」も見に行かなくちゃならないし(ここは義務!)

できれば「レッドタートル」も見ておきたいなあ・・・。

「オーバーフェンス」も「ハドソン川」も気になるし・・・

そうこうしてたら「ウシジマくんFinal」も始まりそうで・・・

と、とってもみたい映画が立て続けの秋。

でも、やっぱり、もう一回見たいな。

とりあえずは初回を見ての感想。

原作を読んでいるので、初回はどうしても原作との変更点が気になるんですよね。

とはいえ、答え合わせに終始したわけではなくて、

見ている内にどんどん作品の世界に引き込まれていきました。

そうそうたるメンバーが、みんなスターとしてではなく

ただの市井の人間としてスクリーンの中で生きているすごさ。

実力のある役者がそれぞれの役柄を突き詰め表現することに全力を尽くしていることが

画面に言いようのない力を与えていました。

こういう力作を見ると邦画ってやっぱりいいなって思います。

というわけで、きっと原作と映画を行ったり来たりするネタバレ全開の感想になると思うので

見ていない方は是非映画を見てから読んでくださいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画は本当に原作に忠実に作ってありましたよね。

主だった流れやエピソードがほとんどそのままでした。

とは言え、前後編に別れている小説を2時間20分の映像におさめられるわけもなく、

描けないと判断された部分はすっぱりと潔くカットされていました。

例えば東京編だと優馬の兄とその嫁がすっぱりなくなっていた。

原作だとこの兄嫁が優馬の理解者で、

(もともと兄に彼女を紹介したのは優馬)

家族にゲイであることを正式にはカミングアウトしていない優馬のよき理解者になっている。

また兄とその嫁がいることで、

直人が優馬に受け入れられただけでなく、

その母や兄、兄嫁にも受け入れられ、家族の一員に

つまりは本当の意味での優馬の生活の一部になっていく様子が描かれる。

そしてそれは、最後に直人の素性が分かった時に、

より彼の今までの孤独が見える仕組みになっている。

でも、カットされたのは東京編だけじゃなく、

沖縄編では泉の母の描写がずっぽりとなくなっているし、

千葉編では愛子のおばである明日香の描写の多くがカットされている。

原作では洋平が寡黙な分、この明日香を視点人物にして千葉編を語らせているんですけどね。

沖縄編で泉の母親を削ってしまうと泉がどうして沖縄にいるのか、

もしくは沖縄の高校生なのになまっていないのは何故か

もっと言えば、あの田中が潜んでいた無人島に通う心情がわからなくなるんだけど

そこは最小限のセリフで上手く説明されていました。

辰哉の父との会話で最近この島に越してきたことをさりげなく混ぜて

那覇の居酒屋で田中に母親のことを愚痴るかたちでそこはかとなく伝えていました。

また、千葉編も原作では明日香の視点から丁寧に説明されていた愛子の事情も

映画では愛子の生育歴や恋愛遍歴、どうして東京に家出したか・・・という点はあえては語られず。

ただ、洋平が愛子をちょっと普通のこどもではないと思っているらしいくらいでおさえ

あとは宮崎あおいちゃんの演技に委ねられていました。

あどけない表情と年齢にしてはストレートな物言い、

そして長く揺れる髪に常につけられた、不自然に大きな花の髪飾り

そうした要素が言葉で語らずとも愛子の性質を如実に物語っていました。

原作のどの部分を取り込み、また映像で説明するかのジャッジが

すごく的確で論理的だなあと思いました。

あと、細かい部分ですが東京編のツリの部分も削られていましたね。

これも映画編ではばっさりと削られた描写なのですが、

原作で直人は優馬が会社に行っている昼間の時間の多くを

スーパー銭湯で過ごしています。

原作ではそのスーパー銭湯から犯人らしい人物がいるという通報が警察に入って

警察がスーパー銭湯に張り込みに行きます。

優馬が出来心を起こして、

直人がいる銭湯に行こうとする場面と警察が張り込んでいる場面が交互に描写されて

すわっ、やっぱり直人怪しいの?

という緊張感が高まります。

結果的に警察が入り込んでいる銭湯と、直人が通っている銭湯の場所が違っていて

職務質問された男性も直人とは別人でした。

東京編ではこのエピソードと直人の三つにならんだほくろ、

そして優馬の近辺で連続して起こる盗難事件が

直人を怪しいと思う根拠となっているのですが

映画ではある意味東京編でもっとも緊張感が高まった場面をカットしたことになります。

でもそれは必然的だったのかなあという感じ。

東京・千葉・沖縄のエピソードはそれぞれ単独で物語が進行していくのに

展開のタイミングが見事に揃えられているんですよね。

だんだん生活に溶け込んでいくタイミング、怪しいなと思わせるタイミング

そして怪しい男3人が姿を消すタイミングも・・・。

その中でこのエピソードは不必要だったということなのでしょう。

その代わりに、小さな映像的な工夫で、

三人がそれぞれ怪しい部分を持っているというのを表していました。

例えば予告でも盛んに使われていた直人が洗面所で髪を切るシーン。

あれ、単体ではなんでもないシーンなんですよ。

ただ単に直人が髪を切っているだけ。

でも、その前に、犯人の山上が以前潜伏していた部屋が警察に発見されて

警察が部屋を見聞するシーンが映し出される。

その部屋には洗面台があって、そこに切り散らかされた髪が張り付いている。

直人が切った髪も、同じような感じで洗面に散らばる。

白い洗面に散らばる黒髪がどこか無気味で、

真剣な表情で髪を切る直人の顔もどこか狂気じみて見えて、

思わずもしかしたら・・・という気にさせられてしまう。

そしてこのシーンが直人の最後のシーンとなります(回想シーンはのぞく)

そういういかにもな、映像的なひっかけはあちこちにあったきがする。

何でもないシーンの終わりに田代の顔を少し長めに映してその表情を深読みさせる・・・とか。

脚本的(だと思うのだけど、監督が脚本書いているのでもしかしたら演出かも)なのは

ラーメン屋で優馬が初めて直人に素性を聞くシーンかな。

「どこ住んでんの?」という質問には

なんとか答えている直人だけれど、

「年は?」「どこから来たの?」「仕事は?」という問いかけには

「答えたくない」

と黙り込んでしまう。

でも、そのラーメン屋にはテレビが置いてあって、そのテレビのニュースが

山神の事件を取り上げる。

一瞬そちらに視線を移した後、直人は

「年は28。仕事は…さがしてる」

と、いかにも素性を隠そうとしている訳じゃなりませんよ・・・というタイミングで答える。

答える前に一瞬の間にTVのニュースを挟むのはとても上手いなと思いました。

怪しいもん、とっても。

たぶん、田代にも田中にもこういう工夫いっぱいされているんでしょうけど、

そんでもって映画見ているときはおおっって思って見ていたんだろうけど、忘れた・・・(^_^;)

でも、そういうミスリードがとても丁寧になされていて、

原作読んで、もしくはすでに映画を見ていて犯人が分かっている場合でも

ああなるほどなあって思えるように作ってあって、

その辺のさじ加減はさすがだなあと思いました。

3つの舞台がかなり目まぐるしく入れ替わって出てくるんだけど、

そのつなぎ方も上手かったなあ。

例えば、田代がコンビニ弁当食べていて、

愛子がその様子をじっと見ている次のシーンで、

コンビニの棚からお弁当を選ぶ直人の手が映る。

愛子がコンビニ弁当を食べている田代を見て、

これからお父ちゃんのお弁当と一緒に田代君のお弁当作ってあげようかって申し出て

二人の距離が急速に近づいていくように、

コンビニ弁当の袋を片手で不器用に治す直人に姿を見て

優馬の気持ちがぐっと直人に近づいていく。

コンビニ弁当が二つの舞台を繋いでる。

これ、原作とほぼ同じエピソードなんだけど、

原作では田代が食べているお弁当は下宿のおばあちゃんがつくった地味なお弁当なんです。

それをコンビニ弁当にすることで、東京編と繋げるって言うのは

しかも映像的にも強調しながら繋げるのは、本当に上手いですよねえ。

他にも東京編の音声だけ流しながら、映像は沖縄に移っているとか。

東京で起こっていることの気分が、

ちゃんと沖縄編にも繋がっているからそれほどの違和感はない。

シーンを圧縮すると言う意味でも上手いなあと。

こういう手法をあちこちで用いているからこそ

あれほどの分量の原作を一つの映画にまとめることができたんですね。

 

改変されたところで、いくつか残念だったかな・・・と思った点を少し。

千葉編で、田代君を追っかけていた暴力団をほとんど出さなかったこと。

原作では田代が姿を消して、警察が田代は犯人じゃないと結論を出した後、

田代が愛子に電話をかけてくるまでの間に、

実際にアパートに借金取りの暴力団が押しかけてきます。

それをお父ちゃんが勇気を振り絞って追い払う。

この一連のシーンがあるからこそ、

田代がなぜあの時家を出なければならなかったかがわかる。

おそらく田代は借金取りに今の居場所がばれたことに気が付いて

だからあのタイミングで姿をくらましたんですよね。

そして、愛子とお父ちゃん側から見ても、

田代から電話がかかって来た時に、

今まで田代が愛子に話していたことが嘘じゃなかったってはっきりわかっているし、

実際にその借金取りにもあっているので、

「お父ちゃんが護ってくれる」

っていう愛子の言葉に真実みが出るんです。

でも、このシーンが映画ではカットされていたので、

田代が姿を消した訳がちょっと分かり難くなっていた。

愛子が殺人犯だと疑ったから・・・だとすると、ちょっと弱い気がするんですよね。

特に最後にもう一度愛子に電話をかけてくる理由が。

描かれていないけど、原作と同じように借金取りの影に怯えて・・・

というように取れなくもないけど

それだったら、電話で父ちゃんが「護ってやる」と言った言葉と会わせて、

どこか実体のない、ふわふわとした話になってしまって、

ちょっと説得力に欠けるかなあ・・・という気はしました。

映画だと、お父ちゃんと愛子の感情の流れはよくわかるんですけどね。

信じていたのに、信じ切れなくて疑ってしまった故に田代が出て行ってしまった・・・っていう。

田代の思いがちょっと置き去りにされてしまったかな。

愛子が田代を迎えに行く描写は、

見事に冒頭のお父ちゃんが愛子を迎えに行く描写に重ねてあって

自力で抜け出せない地獄から救い出すという構図は

原作よりも映画の方がより分かりやすくなっていました。

 

一方、沖縄編ではカットじゃなく付け加えられた部分にちょっと違和感。

基本的に映画で付け加わっている要素ってあんまりないんですけど、

大きな一つが、犯人の心情でした。

まず、別の事件を起こして捕まった山神の知人が

奥さんの死体を山神がバスタブに入れたのは生き返ると思ったからだと証言します。

原作ではそんな描写はありません。

だいたい、この知人が山神のことを話し始める時に

「今から思うと、あの事件のことを話していたのかなあって・・・」

と話し始めているのに、殺した後の話をしているのは変ですよね。

殺した後の話まで聞いているのなら、自分が知っている男が

あの事件の犯人だって確信を持っていてもいいはずで、

そしたら話し始めの言葉も違ったものになっているはず・・・。

ちなみに原作ではおそらく家に押し入ったところまでは事実に近いことを語っていて

押し入った後、そこの主婦を犯して逃げた・・・と話していたことになっています。

それならばつじつまはあいます。

この小さな付け加えは、つじつま云々以前に、

ちょっとがくっときてしまった箇所でもあります。

私は原作を読んでもさっぱり山神という男が分かりませんでした。

原作ではエピソードの合間合間に、山神の母親や過去をしる人物の証言が挿入されているのですが

それを読めば読むほどどんどん犯人のイメージがつかめなくなってしまう。

映画の公開前に『映画『怒り』と小説『怒り』』という文庫本が出たのですが

それ、買っちゃいましたもん。

普段あんまりこういう企画ものっぽい読み物は買わないんですけど、

山神に対する他の証言が読めるというので、それがどうしても読みたくて。

山神の心理を少しでも知りたくて・・・。

そしたらますます分からなくなったんですけどね(^_^;)

あの証言は新聞連載時は本文に組み込まれていたのかな。

単行本としてまとめる時に、証言をカットしたっていう話をどこかで読みました。

それをああいう形で採録したんでしょうかね。

なんにしろ、山神の過去証言で分かったのは、

ものすごく才能があって(もしくは能力が高くて)人に好かれる要素を持つ反面、

どうしようもなくだらしなくて、堪え性がなくて、衝動的に悪いことをする面があって

その二面性を全く中和せずに一人の人格の中に併せ持っている怖さでした。

こんなモンスターみたいな人間が実在するものだろうか・・・

(もちろんフィクションの中の話ではあるんですけど)

とずっと心の中に解けきれない異物のように残っていました。

沖縄編はレイプ事件に殺人事件という、

三つのエピソードの中で一番衝撃的なエピソードがあるにも関わらず

そのエピソードそのものの印象ではなく

なんか心にわだかまりとして沖縄編が残ってしまっていたのは

犯人が理由や犯行時の心理を明らかにしないまま殺されてしまった・・・

深層は闇の中に消えてしまった・・・という思いが強かったからです。

事件の真相については、おそらくどんな理由が描かれたとしても納得できなかったでしょうし、

ある種の答えとして殺人動機が描かれることで、物語が矮小化してしまったでしょうから

小説として犯人に何も語らせないまま退場させるというのは正解だったと思うんですけど、

感覚として、やっぱりモヤモヤが残った。

そのモヤモヤを残すことをすら計算の上で書かれているとは重々承知なんだけど。

でも、映画はそこに一歩踏み込んでしまった。

殺した人間が生き返ると思ってた・・・それだけで、ちょっと犯人の心理を描いてしまっている。

犯人が少年と話す時間を与えることで、これまた一歩真相を明かす方向に踏み出している。

犯人と少年を敢えて無人島で語り合わせたのは、映画的にはこうしないと話がもたないかなあ

という気はします。

実際このシーンの少年の演技が素晴らしくて、見応えのあるシーンになっていましたし、

田中がつかみ所のない会話をすることでちゃんと原作の方向性を踏襲している。

原作が田中に関わりが深かった人物の証言として描いている要素を

森山君の演技で見せたんでしょう。

人なつっこさと、何考えているのか分からない無気味さと

何がトリガーか分からないような些細なところで感情が爆発する沸点の低さと

そういういくつもの矛盾した性質が一つの身体のなかに同居する人間。

そういう犯人像と、殺してしまった後、生き返るかと思って祈っていた犯人像が

私の中ではうまく繋がらなかったんですよね。

ちょっと人間くさい気がするじゃないですか。

生き返って欲しいって祈るのって。

普通っぽいじゃないですか。

それがなんか嫌だったんですよねえ。

田中にはわけわかんないままでいて欲しかった。

こんな人いるんだろうか・・・というようなモンスターでいて欲しかった・・・。

で、ちょっと話は逸れるのですが、

原作を読んで、ずっと犯人のことが気持ち悪いまま心の隅に残っていて、

そんな時に相模原の事件が起こったんですよね。

あの犯人もまた、友人知人の語る印象がごろっと変わる人でした。

教師を目指し、真面目で明るいと言う面と、

髪を染め入れ墨を入れ自暴自棄ともとれる自滅的な行動をしてしまう面と。

普通なら相容れないほどかけ離れた二面性を持つ感じ、

そして自らが犯した罪について反省の要素が見えない感じが

「怒り」の犯人ととても似ているような気がしたんです。

田中がここにいる・・・と思いながらニュースを見ていました。

田中の人物造形って私は今まであまり読んだり見たりしたことなくって

おもしろいなあ、よくこんな人物を描けたなあ・・・って思っていたんですけど、

相模原の事件の後は吉田修一さんの視点の鋭さというか

深い洞察力にしみじみ感心しました。

 

 

おっと、ここまででずいぶん長くなってしまいました。

書き始めは1回目を見た直後だったんですけど、

もう1ヶ月くらいたってますよね(^_^;)

その後2回目も見に行きました。

どんだけ時間かけて感想書いてるねん!

と自分に突っ込みつつ、役者さんの感想はその2として分けます。

このまま書き続けていたらアップするのいつになることやらわかんないもの・・・。





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虚無病~ライブビューイング

amazarashiの虚無病ライブビューイングに行って来ました。

今までDVDのライブビューイングには2回行っていて、

2回とも数曲のアコースティックライブがついていたので

ライブビューイング自体は全くの初体験ではなかったのですが

リアルに今演奏されているライブのライブビューイングは初めて。

幕張で360°ライブをするって発表されたときには、

行きたいなあ…でも遠征は無理だよなあ…ってあれこれ考えて。

いろいろ考えてもやっぱり千葉遠征は出費が多すぎる…無理とあきらめていたんです。

結構長い間売り出していたんで、途中何回も考えていたんですけどね。

基本的に、私がいろんな趣味活動をする時のモットーが「無理をしない」なんで、

今回も逸る気持ちを抑えて泣く泣く諦めました。

「今しかない」「これを見なければ○○」と突き進んじゃうと

結果的に大好きなことが長続きしなくなっちゃうんで。

ところが、夏頃、幕張のライブを全国27カ所でライブビューイングできることがわかり

即刻申し込みました。

なんて、なんてありがたい企画なんだ!!

そして、ライブビューイングということで、今回は上の息子だけじゃなく

下の息子(現在中2)も連れて行くことにしました。

もともと下の息子もamazarashiが好きだったんです。

でも、まだライブには早いかなあって思って連れて行っていなかったんですよね。

長男ですら、一緒に入場の列に並んでいると、最年少かなあって感じだったので

身体だけは大きいものの明らかに中坊の下の息子はちょっと連れて行きにくかった。

でも、ライブビューイングなら、映画館だし、そんなに目立たないだろう・・・ということで

今回は母子三人で参加してきました。

ChiChiは・・・というと、我が家でChiChiだけはamazarashi聞かない人で

きっぱりと高橋優ファンなので・・・。

さすがにファンじゃない人を無理に連れて行くのもアレなんでお留守番。



 

 

と言うわけで、初のライブそのもののライブビューイング。

気になっていた音は、全然問題ありませんでした。

前回「世界分岐二〇一六」のライブビューイングは音がイマイチだったんですよね。

音量も低かったし、その割にちょっと割れていたりしていて

今回もそんなんだったらいやだなあ・・・と思っていたのですが、とてもよかったです。

もちろんライブならではの音圧を感じられるような迫力はなかったのですが

その分ものすごく聞きやすかったかな。

そんでもって、amazarashiってもともと視覚的にはスクリーンを見ている感覚に近いから

映画館のスクリーンで見ることに、まっっっったく違和感がなかった(^_^;)

カメラワークとかあるから、もっと映像を見たいのに・・・って思うシーンで

メンバーが映ったりするからそこはちょっとフラストレーションがあったかな。

それはライブDVD見てても思うことなんですけどね。

逆に言えば、会場に行ったらおそらく見られない(そんなにいい席とれないので)

秋田さんを初めとするメンバーの様子がしっかりと見られたわけで、いいとこもある・・・かな。

ただやっぱり映像を通してではわかり得なかった会場ならではの演出、効果があったみたいで

帰ってからツイッターで感想を見ていてびっくりすることがいくつかありました。

例えば、今回はいつものスクリーンではなく、透過性のLEDを使ったそうで、

幕張イベントホールのアリーナ中央に網目状のLEDを四方に組んでその中で演奏したのですが

どうも朗読の間にそのステージ回転していたみたいですね。

ライブビューイングでは演奏者を映すときは常に正面だし、

時々後ろ姿が映っても、それは単に後ろから狙ったカメラで写しているのかなって

思っていましたから。

でも、確かに向きが固定していたら後ろとか横に人は寂しいし、

360°と謳いながらなんだか不公平ですもんね。

それでも、あの檻のようなスクリーンの中で回転していたと思うとなんだか面白いですね。

それから、今回はレーザーなのかな? それとも投射しただけ?

天井に文字を描いたり、幾何学的な文様を描いたり・・・という演出があって、

それがすごく面白かったんですけど、

「スターライト」ではそのライトで星空を描いて、流れ星もあったとか。

ライブビューイングでも映っていたのかなあ・・・気が付かなかったなあ。

スクリーンで映し出される映像と、ライティングと、天井に映し出される映像・・・

という、立体的に作り上げられた演出効果は

その場にいないと本当の意味では分からないものなので、

やっぱりライブは生が一番だよなあ・・・としみじみ思います。

ライブビューイングは、本来なら見られないものを

遠くからちょっとのぞき見させてもらっている・・・

くらいの感覚で見るのが正解なんだと思います。

とは言え、今回のセトリは本当に素晴らしくて、

今までライブで聞きたくて聞けていなかった曲がかなり入っていました。

映像演出も、概要を知るという意味では十分堪能できたし、

これ、見られないまま、ツイッター等の感想でセトリや演出を知ったとしたら

すごくくやしい思いをしたと思う。

本当にライブビューイングに行けてよかったです。


 

 

では、内容の感想。

記憶力がないのでざっとしたものなんですが・・・(^_^;)

今回のライブは直前に発売されたミニアルバム「虚無病」に封入された小説に沿って

構成されていました。

まずはクニヨシによる宗教団体「涅槃原則」の原理の教え。

いきなり大きなスクリーン一面にいかにも宗教的な画像が浮かび

加工された聞き取りにくい声で宗教的な文言が連ねられてびっくりしました。

下の息子はなんか変な宗教団体の勧誘に入り込んでしまったのかと思ったそう(^_^;)

続いて新聞記事などの抜粋から始まる、小説の第1章を秋田さんの朗読で。

「スターライト~千分の一夜」の時は秋田さんの朗読だけだったのですが

今回はスクリーンをフルに使って映像的な説明が付け加えられていて

とても内容が分かりやすかったです。

朗読の内容も文字として出ていましたし。

第1章の前半はメディアに報じられた「虚無病」の概要の数々が羅列されるので

様々な記事(もちろん作り物)が映し出されるのですが、

後半はいよいよ登場人物が出てきます。

登場人物はすでにビジュアルデザインが公開されていて、

アルバムのジャケットになっていたり、今回のライブの様々なグッズになっていたりします。

そのキャラクターがそのまま出てきて・・・踊ります。

いわゆるコンテンポラリィダンスというのでしょうか。

俳優の森山未來くんがやっているようなダンスです。

登場人物達が、物語の進行に合わせてコンテンポラリィダンスを踊ります。

これ、感想を見ている限り賛否両論みたいですね。

受け入れられないって人と・・・あ、でもこっちのほうが多かったかな、

面白かったっていう人と。

私は面白いなあと思って見ていました。

動きがすごくよかったんです。

この微妙で複雑な動きはモーションキャプチャーかなあって思いながら見ていました。

いかにも2次元的なキャラクターが、とてもアニメの動きではない動きで

物語の進行に合わせて動く不思議さ。

曲の構成に物語性を持たせてそこに物語自身を組み込むとき、

いろんな方法があるんだと思います。

中島みゆきさんの「歌会」なんかは演劇を組み込むことで物語を組み込んでいました。

初期はもっと朗読劇に近かったですけどね。

みゆきさんは自身が演じて、演技の中で歌うことで

ミュージカルとコンサートを融合して独自の世界観を作り上げました。

松任谷由実さんも同じような試みをされていましたね、そういえば。

松任谷さんは役者の方に演じてもらいその合間にご自身が歌うというスタイル。

もちろん、スターライトの時のように朗読だけもありなのだと思います。

いろんな方法がある中で、今回のはとても新しいですよね。

これ、生の人間が踊っていたらもう少しイメージしやすいと思うのです。

語りが物語を語る横で、鍛えられた肉体を自在に操りながらその動きで物語を表現する舞台

・・・ありだと思いませんか。

きっとほとんど舞台セットがない舞台でも、朗読の声と、舞踏者の踊りで

物語を立体敵に魅せていくことができると思うんですよね。

それを映像でやろうとしたんでしょう。

それも二次元のキャラクターで。

生身の人間だと生々しくなりすぎてしまうんだと思います。

amazarashiは今までのMVで踊りと楽曲を組み合わせていますが、

(「空っぽの空に潰される」と「スピードと摩擦」)

私個人的には上手くいっているという感じがしないんです。

おそらく、amazarashiは最初の頃は

一定のイメージに統一したアニメーションのMVを作り続けていて、

そっちのイメージが強かったせいもあると思います。

では、二次元のキャラクターに演技をさせればいいじゃないか・・・

という考えもあるかと思いますが、

もしモーションキャプチャーを使ったとしても

セリフがなく動きだけの演技でどれだけの表現ができるかと思うと

ちょっとイメージがわかない。

この映像は作り込んではダメだと思うのです。

あくまでも主は朗読であり、歌なので。

だから背景も描かれない、小道具も最低限のものしかない、

そんな中であの大きなスクリーンの空間をアニメーションの演技が埋めるのは難しい。

でも、ダンスにしてしまえばシンプルに動きだけでイメージを伝えることができる。

なによりあくまでも音楽が主であるコンサートにおいて

ダンスは相性がいいはずですし。

朗読の映像的な補助をダンスで表現する、それもアニメーションで、

と2段階のひねりを加えてできあがった映像は、

初めて体験する映像で、確かに違和感がある。

でもその違和感が「虚無病」という病気に苛まれた架空の世界を歌うこのライブに

とても似つかわしいものに思えました。

彩色もされないモノトーンで描かれたシンプルな人物達が

とても繊細な動きでくねくね動く。

想像を助けながら、イメージを広げる邪魔にはならない。

とてもいいバランスだったと思います。


 

そして、第1章の朗読に続いて歌われた1曲目「虚無病」

このライブのタイトルチューンであり、

ライブの直前に発表されたミニアルバムのタイトルチューンでもあるこの曲。

アルバムの曲紹介で秋田さんはこの曲を

「虚無病」という物語の主題歌のつもりで作ったと言っていました。

内心ラストかその近くで、まとめ的に歌われるのだろうと思っていたので

冒頭で歌われたことにちょっとびっくりしました。

主題歌は主題歌らしく、この曲から始めようということなのでしょうか。

この後、「季節は次々死んでいく」「タクシードライバー」と続きます。

この2曲は前のツアー「世界分岐二〇一六」と似ていたので、

「世界分岐」に近いセトリなのかな・・・とちらっと思ったのですが、

次が「光、再考」で、ここからがらっと流れが変わりました。

スクリーンの映写方法が変わったせいなのか、

今回は1曲も従来の映像と同じものはありませんでした。

「季節・・・」は立体的に書かれた文字が曲に会わせて自在に動くのが印象的だったのですが

今回は文字がスクリーンを飛び出てレーザー(だと思う)で天井に描かれました。

「タクシードライバー」では第1章の流れを受けて、

新聞記事が次々と映し出され、その一節が歌われている歌詞に変わって行くという趣向。

「光、再考」は大きなスクリーンを活かして、光を強く意識させるものになっていました。

ただ、ここまでは大きなスクリーン(たぶん現地で見たら映画館のスクリーンの何倍もある)を

全体的に光らせる映像、演出が多かったので、眩しかった・・・。

今までの紗幕に映像を投射する手法だったら、映画と一緒ですから

そんなに眩しいと思ったことはなかったんですよね。

ライトが眩しかったことはあったけど。

でもLEDだと、スクリーン自体が光を発しているので、

画面全体、もしくは大きな面積で白を表現すると、めちゃくちゃまぶしいんです。

イメージ的には真っ暗な部屋でTVを見ている感じ。

それがものすごい広い面積で、結構短い間隔で明滅するので、非常に辛かった。

これ、現地で、アリーナの前の方の人とか大丈夫だったんだろうか。

ライブビューイングで見ているだけで結構しんどかったんだけど。

ただ、この後はあんまり気にならなくなりました。

大きな画面全体を光らせるような場面がぐっと減ったからかな。

 

第2章の朗読があって、

「穴を掘っている」

第2章がちょうど虚無病にかかったお父さんを埋めるシーンで終わったんですよ。

で、始まった曲が「穴を掘っている」で、

こうきたかあ・・・と思いました。

ツイッターで話題になっていた穴掘りダンスが見られた曲です。

ここくらいから朗読の時に出ていたキャラクター達が歌の映像にも登場し始めて

(全部に・・・という訳では無い)

物語とのつながり具合が面白かった。

この曲くらいから秋田さんの声がどんどんのびやかになっていった気がする。

聞いていてぞくっとするくらいに。

そして「生きる意味とはなんだ・・・」と始まる「吐きそうだ」

生でどうしても聴きたかった曲で、聞けて嬉しかったです。

この曲は映像で歌詞が出るタイプで、

スクリーンの上部に歌詞が、下部に秋田さんの顔(もちろんシルエット)が出ます。

シルエットだけど、ちゃんと歌っているのがわかります。

事前に歌っている姿を撮って加工したのかな。

普通のコンサートって、スクリーンはこんな前方にどんと置いてあるわけじゃなくて

サブ的な演出のために横とか後ろとかに置いてあって、

大きな会場ではアーティストが見えないから

アーティストの姿を大写しにするために使われますよね。

そういう感じなのかなあ・・・演出意図は。

大写しになってもシルエットじゃ、なんの意味があるんだかわかんないけど。

でも、それでも秋田さんが映るとなんか嬉しいんですよね。

この曲は顔だったんですけど、なんの曲か忘れたんですけどもう一曲

シルエットでスクリーンに大写しになった曲があって、それは全身像でした。

これもなんか嬉しかったなあ。

ライブビューイングだと時折秋田さんの映像も流れますから、

スクリーンに大写しになっている秋田さんと、

歌っている(でも顔は見えない)秋田を見比べるのも面白かった。

そして「ジュブナイル」「ヨクト」へと続きます。

「ジュブナイル」はライブで聞いたことあったのですが、

子供達が大好きな曲なので今回聞けてよかった。

「ヨクト」は聞いたことがなかったので、これまた聞けてよかった。

「穴を掘っている」から続くこの4曲は少年少女が迷い苦しむ歌ですね。

まさに劇中の登場人物達とシンクロしているなあと思って聞いていました。


 

第3章は衝撃的なところで終わります。

最初小説を読んだときにびっくりしましたもん。

こんなに簡単に主要人物が死んでしまうことに。

そして歌われる「アノミー」

無規律状態を表すタイトルを持つこの曲は、

まさに現代社会を風刺しながら日常に潜むアノミーな状況を歌い上げます。

映像は都会の情景・・・

歌詞に歌われるような場末の猥雑な感じではなく、

大勢の人が行き交い高いビルが達ならぶ情景。

歌詞と映像のギャップがこの曲の本質を突いているなあと思いました。

日常の都会の風景から、アノミーに描かれたような景色を見つけるのが

秋田さんの視点なんですよね。

この曲から私はamazarashiを知ったので、私にとっては特別な曲なのです。

今まで参加したライブでは聞いたことがなかったので、聞けてとても嬉しかったです。

続けてこの「アノミー」と表裏一体の曲「性善説」

「アノミー」と対になるように作られたこの曲、

けれども今まで一緒に歌われたことはなかったんですよね。

そしてまさか今回のライブで聴けるとは思っていなかった「冷凍睡眠」

長い長いポエトリィリーディングで、

死の淵にいる恋人を見とることに耐えきれず冷凍睡眠で60年も眠り続ける男の物語。

このポエトリィ自体が強い物語性を持っているので

一つの物語を軸に展開する「虚無病」の中ではまさか歌わないだろうと思っていたんです。

この歌の前半は従来の映像と同じような雰囲気で、

リーディングに合わせて歌詞が映し出されていく。

(文字の配置が工夫されているので見ていて楽しいのも前の映像と一緒)

けれど後半は物語の登場人物であるナツキとサラが歌詞の内容に合わせて踊る。

60年眠り続けた男が目覚めた後、昔恋人だった女性に似た少女に出会う。

その詩に合わせて、ついさっき殺されたサラがナツキの前に現れる。

ここだけ抜き出せば、なるほど、サラを失ってしまったナツキが夢の中で

サラを再び抱きしめる場面になり得る。

「虚無病」の物語には直接描かれなかったシーンを

「冷凍睡眠」という全く違った物語の一部を借りて見ている不思議な感覚。

次の「カルマ」は「どうかあの娘を救って」で歌い始める。

第3章で歌われた4曲は、

前半2曲で「虚無病」という病が流行った世界の無規律状態を嘆き悲しみ、

後半2曲でサラを失った悲しみを歌ったんだろうなあと思う。

 

第4章の朗読の後「逃避行」

これもずっとずっと聴きたかった曲。

全く個人的な思いなのですが、この曲は私の中で綾野君のイメージだったんですよね。

それも、今の綾野君じゃなくて、

長髪の頃、今の事務所に移るか移らないか・・・くらいの時期の綾野君のイメージで

何度も何度もきいていました。

この曲も映像が秀逸で、物語の登場人物が出てくるパターンの映像。

一番印象に残っているのが「たまらずに人混みを走った・・・」の辺りで、

漢字が世間の風のようにナツキに襲いかかるのを、

それを振り切るように必死で駆け抜ける映像。

転んでも転んでも・・・。

ちょっとぞわっとしてしまった。

思い描いていたイメージにあまりにピッタリで。

通常ステージ四方に配置されたスクリーンには同じ映像が映るんだけど

この時はナツキが四方を回って行くんですよね。

つまり、ナツキがいるのは一面だけで、その1面が変わって行く。

360°ライブならではの演出。

第4章はクニヨシに捕らえられたナツキとヒカルがクニヨシの元から逃げ出す場面。

まさに逃避行のその場面でテンポのよいこの曲はまさにぴったり。

そして、ナツキとヒカルが逃げ出すのは、単にクニヨシの宗教集団というだけでなく

彼らを取り囲みがんじがらめにしている世界そのものだということが伝わって来る。

続く「多数決」も「夜の歌」もそういう曲ですよね。

「多数決」は大勢が決める正義は本当に正しいのかを問う歌だし、

「夜の歌」は頼りない光でも自分の信じる道を行こうと思う歌。

そして、自分たちの力で逃げ出そうという流れの中で歌われる

「つじつま合わせに生まれた僕ら」

この曲は映像が秀逸で、連想ゲームのように次々展開していく歌詞を

上手く文字で表していました。

最初は単純に歌詞が縦書きで表れていくんですよね。

でも歌われた途端、整列していた文字が小さくふるふると震え始める。

なんとなく居心地悪そうに、すこし居場所をずらしたりする。

文字一つ一つに意志があるみたいに。

そして文字が歌詞に合わせて動き始める。

「5ヶ月ぶりの雨を降らせた」では「雨」という字の点が雨粒のように落ちる。

「そこにそだった大きな木が」で「木」という字が大きく伸びて、切り倒される。

そして登場するナツキ。

「選ばれなかった少年はナイフを握りしめて」の歌詞そのままに

ナイフを握りしめて呆然と立っている。

歌が再び物語と大きくシンクロし始める。

 

 

そして、最終章、第6章で

ナツキはヒカルを守る為に、ここから逃げ出すために

タダノリをバットでぶん殴る。

宗教集団から逃げ出すことに成功する二人。

けれどもこれからどこに向かうというあてもない。

何の為に生きているのかわからない。

ただ腹が空いたから何かを食べようとするだけ。

そして歌われる「僕が死のうと思ったのは」

「僕が死のうと思ったのは・・・」と、死のうと思った理由をいくつもいくつも

数え上げるように歌うこの歌。

でも最後の最後で、あなたに出会ったから「世界に期待するよ」で終わる。

一人称が「僕」であるし、「あなた」という呼称から、

秋田さんの思いを色濃く反映した歌と思っていました。

ラストが「あなた」のおかげで「死にたい」から「世界に期待する」と心境が変化しているので

これは一種のラブソングなのだと思っていました。

けれども「虚無病」のライブの中では「あなた」は「ヒカル」であり、

きっとヒカルにとってもあなたは「ナツキ」なのだと思う。

誰かがいることで生きようと思う。

どうしたらいいか、何の為に生きているのかわからないような閉塞的な状況は変わらない。

でも「あなた」がいれば生きて行ける。

そう力強く歌い上げて、この物語は終わる。

画面全体に涅槃原則のマークのようなものが浮かび上がって、

スタッフロールが流れる。

秋田さんに始まって、バンドのメンバーから今回のライブに関わった多くの人たち。

amazarashiはライブでメンバー紹介もほとんどないし(初期の頃は知らない)

ライブでこんな風にスタッフロールがながれるのは「スターライト」以来。

あのライブも物語仕立てだったことを考えると、

物語仕立てのライブにはこういうエンドロールが用意されているらしい。

思いがけない役職も多くって、今回のamazarashiのステージの特殊さを思う。

こんなに大勢の人が関わっていたんだ・・・。

・・・・・・でも、でも、これで終わり?

もう?

だって新アルバムからまだ2曲しか演奏してないよ。

それに、小説を読んでなんとなく中途半端な終わり方だな・・・って思った感じが

そのまま残ってしまっていて、

エンドロールをながめながら、うそ・・・うそ・・・って思っていました(^_^;)

エンドロールが終わると秋田さんが間髪を入れす叫んだ。

「ありがとう、幕張メッセ。最後の曲です」

(だったと思う。だいたいこんな感じのこと)

そしてエンドロールが終わったあとのスクリーンに大きく

「僕らはここにいちゃだめだ」の文字。

今日は秋田さんは朗読以外は一言も喋らず、

物語形式なので仕方ないなあとは思いつつも、恒例の

「青森から来たamazarashiです」が聞けなかったので寂しいなあって思っていたので

まず、秋田さんがしゃべったあ! と嬉しくなって、

でも「え? あと1曲?! スターライト? このライブのラストが?

『虚無病』の中の曲じゃなく?」

と一瞬思ったのだけど、

それよりもテンポのいい「スターライト」のイントロと

「ぼくらはここにいちゃだめだ」の言葉にガツンとやられた。

そうだ! そうなんだ! ここにいちゃだめなんだ。

考えてみれば「スターライト」はライブ終わり定番の曲でもあるけれど

それ以上に大切な友達と夜の向こうに行こうとする歌じゃないか!

まさにこの「虚無病」のラストにふさわしい曲じゃないか!

そして画面に映し出される夜の道を疾走する車の車窓。

一瞬「世界分岐」の時の「タクシードライバー」の映像がここに来たのかって思ったけど

撮り直したのかな。

途中からだんだんと空が白んできて、最後には助手席側の窓から朝日が見えました。

ナツキとヒカルが二人で、まさに夜の向こうに辿り着いた朝。

小説で何となく終わりきっていなかった物語が、ライブできっちりと昇華できた

と思えるライブでした。

画面にはいつものamazarashiのロゴが誇らしげに映り、

そして流れる「メーデーメーデー」

これも意外な1曲でした。

新しいアルバムの中からくるかな・・・とは思っていたけれど、

この曲は半分ポエトリィなので、ないかなと思っていたんですよね。

ポエトリィじゃない曲で演奏していないのは「星々の葬列」なので、

「星々の葬列」がくるかなあと思っていたんですけど。

「メーデーメーデー」は今回のアルバムの中で一番気に入った曲でした。

ある意味一番「虚無病」の世界観にマッチしていたので、

絶対に本編で歌われると思っていたんですよね。

でも、なくて。

半分ポエトリィというのは、基本はポエトリィリーディングなんです。

ただ、最近のポエトリーはリーディングというよりは

ラップに近いものが多くてこの曲もそういう感じ。

ただ、ラップと言うよりはお経に近いかな(^_^;)

で、さびに急にメロディがつく。

宗派によって違うのでしょうが、私の実家のお坊さんがあげられるお経が

いかにもお経の「なむなむなむなむ・・・」みたいなテンポでずーと続いた後、

時折急にリズムが変わって歌?て思うようなメロディがついたりするんですけど

それにとても似ているなあと思っていたので、

「涅槃原則」の教典から始まったこのライブのラストっぽいなあ・・・と思いました。

まあこれはすごく個人的な感想だったんだけど

もともと「メーデー」って助けてという意味なんですね。

無線電話の国際救難信号。

本当は誤用を避けるため3回くりかえすそうなんですけど。

「助けて、助けて」と歌うこの曲は、

ある意味とてもこのライブの終わりに似つかわしかったのかもしれません。

「スターライト」できれいにまとまった物語のおまけみたいなもので

こういう話だったでしょ?っていうまとめっていう感じで。

アンコールがないamazarashiのライブは必ず(あ、初期は知りませんが)

ラスト、amazarashiのロゴが出てから音源で1曲流すのが恒例になっていて

みんなそれを知っているから、最後までじっと会場に流れる曲に耳を傾けます。

アスリートがクールダウンするように、

溢れそうになるライブの感動を上手く家に持って帰れるように胸にパッキングする時間。

今回も最後の最後まで素晴らしいライブでした。

 

 

今回導入された新しい試みLEDによる映像は面白かったです。

正直映像的には紗幕に投射した方が表現が豊かというか、映像の自由度が高いのかな

という感じがしました。

ただ今回の映像の色数が少なかったのは(モノトーンのものが多かった)

スクリーンの差ではなく演出の差だったのかな。

ちゃんと色がついた映像もありましたもんね。

ただ、最初の辺にも書きましたが、スクリーン自体が発光しているようなので

光の刺激がとても強い気がします。

こういうのってたぶん個人差だとは思いますが、

私は強い光の点滅に弱いほうなので、ちょっと途中しんどい部分がありました。

ライブビューイングで映画館に映し出された映像でこうだったのですから

もし会場で体験していたら・・・と思うと、ちょっと怖い・・・かな。

あれだけ大きなスクリーンが白く光ると、かなり光量がありますから。

中盤映像や字がメインの演出になってからは大丈夫だったんですけど、

画面自体を光らせたり、幾何学的な模様を明滅させるような演出はしんどかった。

ライブビューイングでは、めちゃ引いた映像から、

メンバーの姿を狙う接近した映像までいろんな視点から見られたので、

一つ一つの光源がはっきり見えるなあ・・・とか、

画像が粗いのかなあ・・・っていう部分もあったのですが、

でもまあ、引いた画面ではきれいに見えていたので

会場にいたら映像としてきれいに見えていたのでしょうか。

そこはちょっと気になる所。

とはいえ、amazarashiってスクリーンの演出をするために、

演奏のチャンスを限られているのは事実だと思うんですよね。

今回のLEDもスクリーンと言えばそうなんですけど、

投射の形での映像表現が難しい場面でも、

LEDならできるということもあるんだと思うんです。

この新しい表現手法を使って、amazarashiの活動できる場所が

もっと増えるといいなと思います。

今回のセットを流用して、今度はツアーで、各地の体育館クラスを回る・・・

(アリーナを回れとは言いません(^_^;))

なんてことないかなあ。


 

今回のライブは構成も素晴らしかったし、

表現も新しくて面白い体験ができたし、

何と言ってもセトリが過去作をバランスよく混ぜてあって、

それぞれの曲が「虚無病」というフィルターを通して違った輝きをもっていて

本当に素晴らしいライブでした。

バンドの演奏は相変わらず素晴らしいし、

秋田さんの声は伸びやかで力強くって、

もう、本当に、あの声の説得力ってなんなんだろう・・・。

レコーディングされたものより数倍伝わるものがあるんですよね・・・。

今回初めて連れて行った次男も興奮覚めやらず・・・で、

ライブ終わりから、晩ご飯食べて家に帰るまで

いや、家に帰ってからも、ずっと感想をしゃべっていました。

たぶん、彼には秋田さんが歌っている世界は実感としてはないんだろうけど、

彼なりのアンテナで心を揺さぶられて惹かれているんですよね。

子供って背伸びして自分より上の世代向けのカルチャーに

むしょうに惹かれることってあるじゃないですか。

そうやって大人なっていくもんなんだろうし。

いつか大人になって、自分でいっぱい挫折を体験して、しんどいことも体験して

ふと、amazarashiの曲を思い出すことがあるかもしれない。

その時にはきっと今感じているのと全然違う深みで曲が響くんだろうと思う。

だから、今、彼は彼の感性でamazarashiの音楽がかっこいいと思い、

秋田さんの声がかっこいいと思っているのならば、それはそれでいいんだと思う。

「次、ライブツアーがあって、大阪でライブあったら行く?」

って聞いたら、速攻で

「行く!」

と言ったので、次のライブがあったらきっと次男も連れて行くと思います。

もし会場でいかにも中坊っていう子がいても、

温かい目でそっと見守ってやってくださいね。



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