僕のヤバイ妻

面白いと言えば面白かった・・・かな。

一応ちゃんと最後まで見たんだからやっぱり面白かったんだと思います。

みんながみんな2億円を狙っていて、奪い合って、人間のエゴが前面に出た展開。

とにかく物語の展開が速いので、その速さにひっぱられるように見てしまった。

そう、まさに、見てしまった・・・という感じ。

初回が「ゴーンガール」とそっくりと言うことで話題になっていましたが、

2話でさっさと種明かしをした段階で、

「ゴーンガール」と似ているのは前提となる部分だけだったっていうこと。

あの映画ってやっぱり構成が巧で、

実は・・・っていうオチそのものよりも、

視点が変わるごとに、事件の見え方が何度もひっくり返されて、

やがて真実が明らかになる過程そのものが面白いんだけど

それを早々にばらしてしまった段階で、

本気でマネする気ではないんだろうなあって思いました。

でも、「ゴーンガール」の構成を真似るつもりがなくて外枠だけをそれっぽいものにすると

もう、筋の奇抜さで勝負するしかなくて、

ちょっと一昔前に流行ったジェットコースタードラマを思い出してしまった。

あれ、苦手だったんですよねえ。

なんか筋の奇抜さだけでどんどん物語を引っ張って、ドラマとしては薄味で

見ている時はそれなりにドキドキして見ているんだけど、

後にはなんにも残らない。

こういう希釈されたようなドラマってドラマそのものをつまんなくさせていく気がして・・・。

このドラマも、その時々の愛憎は描かれるんだけどそれが何かに響いたりする感じはなくて

ただただ、驚きの展開を追いかけるというタイプのドラマで、

しかも、「実はこうでした」という種明かし部分があんまり上手くなかった気がする。

例えば、相武紗季演じる愛人が死んだと見せかけて実は生きていました・・・って時も、

もっと種明かし部分を工夫する余地があったと思うのに、すんなりと出してきているし。

視点人物がどんどん変わるのも気になったかな。

「ゴーンガール」のように視点の移動が映画の構成の大きな要になっているんじゃなくて、

ただ単に、実はこうだったんですよ・・・という種明かしを

一番安易な形で見せているだけのような・・・。

 

ただ、キャスティングは絶妙によかった。

木村佳乃のきれいすぎてちょっと冷たく感じるところが

常軌を逸した行動を取るヒロインの聡明さ冷徹さにうまくはまっていたし、

でも、憎みきれないキュートな部分がところどころで出てくるのも

この妻の本心は一体どこにあるのか・・・って視聴者に思わせる要因になっていました。

それになんといっても伊藤英明くん。

もうね、ダメ男感が絶妙・・・。

完全に女達の手の平の上でくるくる回っている孫悟空。

見かけは背が高くて格好いい男なのに、

肝の小ささがにじみ出ている感じがすごくよかった。

こういうダメ男を演じさせたら、伊藤君無敵ですね(褒めてます)

すぐにころっとだまされるし、考えることは浅知恵の域を出ないし、

お金に振り回される滑稽な男・・・でもどこか憎みきれない。

ダメな男ってわかっているんだけど、捨てられないのも分かるなあ・・・

みたいな愛嬌もあって、まさに伊藤君にうってつけの役でした(褒めてます!)

佐々木蔵之介さんと主人公の関係を最後まで思わせぶりに引っ張った割に

案外あっさりと済まされたのは残念だったかな。





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ラブソング

梅雨が明けましたねえ。
関西ではもうずいぶん前に明けていたんですが更新出来ていませんでした。
ちまたではもう夏ドラマが中盤を迎えていて、
そんななか、もう本当に今更・・・って感じなのですが、
前クールのドラマの感想を。


この「ラブソング」始まりはとても意欲作だと感じたんですよね。
吃音という特徴を持つヒロインを
「かわいそう」という切り口ではなく描いて見せたから。
もちろん演じた藤原さくらちゃんもとっても初々しくて魅力的だったんだけど
脚本的にも強気で素直じゃなくて、
でも純粋なものも持っている等身大の女の子として
雄々しく生きている様をいきいきと描き出していました。
福山君にしても、一時期のキムタクのように
ある意味ビッグネームになりすぎて、
企画としてはどこかもてあましてしまうような、
もしくは失敗をおそれて冒険ができないような窮屈な感じを
最近ちょっと感じていたんだけど、
これまた等身大の実年齢相応の男性として
魅力的な人物になっていたと思います。
特に、りりぃさんが演じた昔のプロデューサー(でいいのかな)が
福山君演じる神代に「あなたは才能がない」とはっきり言うシーンは
すげっ、福山くんに向かって才能がないって言わせてる!
と思って、攻めてるなあって思っていたんですよね。
吃音の女の子が、音楽と出会って、
自分のコンプレックスを乗り越えていく物語と、
すぐそばに絶対的な才能を持つ人がいて、
その人ほどのの才能はないと自覚しながらも
それでも音楽で自分に何ができるかを見つけていく物語が
上手く絡み合いながら展開していくのかと思って
途中までは本当にわくわくしながら見ていたんです。
自分には才能がないと思い悩む福山君って
そんな演技をする福山君って、見てみたいじゃないですか。
ミュージシャンとして成功している彼だからこそ、
音楽シーンの第一線にはい上がれない
そろそろ夢見る頃を卒業しなければならない男性を
役者として、どう演じるのかって思ったんですよね。
でも、ワクワクしたのは途中まででした・・・orz
中盤からさくらちゃんのガンが発覚して、
神代先生の才能も普通にすんなりと認められて
物語の軸がぶれてしまったように思えました。
というか、後半の展開に持って行くなら
別に吃音をわざわざ前半であんなに描かなくてもいいやん。
ヒロインが元気であんまり悲壮感のないキャラクターだから
そんなに気になってないかも・・・だけど、
親が居なくて施設で育っていて、吃音で、職場にもなじめていなくて
で、癌・・・ってどんだけ不幸のオンパレードなの?!
これだけの不幸を背負わせなくちゃ物語が描けないって言うのは
どうなんだろうって思う。
コテコテと不幸をてんこ盛りに盛りつけないと人は見てくれないって
フジの制作は思っているんじゃないかしらん・・・。
そうじゃなくて、この物語で何を描こうとしているのかをもっと煮詰めて
その核の部分でちゃんと視聴者をひきつけられるように
物語を練ったほうがいいいんじゃないかと思う。
スタートが本当によかっただけに、
面白くなりそうな、見応えがありそうな深め方が
幾筋もありそうだっただけに、中盤からの展開がとても残念でした。
神代の持つ心の暗部をもっと突き詰められれば、
月9の持つ華やかさ、恋愛要素をもちながらも
福山君の年齢にふさわしい大人を引き付ける要素を持った
新しい感覚の恋愛ドラマになったかも知れないのに。
ネットで簡単に批判されていた主役二人の年齢差っていうのは
全く的外れな批判だと思います。
洋画にだって昔からおじさんと若い女の子の恋って言うのは
当たり前のように描かれているんですから。


あと、このドラマで残念だったのは音楽の入れ方。
主題歌がドラマの展開で肝になるのに、
毎週エンディングに流れている曲を
ドラマの後半で「新曲」だって言われても・・・。
そこで印象的に曲を出したいなら、
エンディングに使ってたらいかんやろ・・・。
いろんな事情があるのかもしれないんだけど、
それでも音楽がドラマの核になる話で、
音楽の扱いが上手くないなあ・・・という気がしました。
藤原さくらちゃんの声と歌が文句なくよくって、
しっかりとドラマの中で力を持っていたからこそ、
もっとじっくり歌が聴けるシーンがほしかったし、
音楽のシーンをもっと大事にして欲しかった。
ライブシーンとか、映像はとってもよかったんですよ。
最終回、菅田くんが代わりに歌うシーンとかも。
でもシーンの切り方というか、歌の切り方がなんか残念だった。


好きになれそうな要素がいっぱいあったのに
途中で肩すかしをくらったような、そんなドラマだったなあ。
あ、でも、ラストはなんか好きでした。
ハッピーエンドかバッドエンドかっていう
二者択一ではない、自然なところにそっと幕を引いたような感じは
ちょっと新しいかなあという感じがしました。





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世界分岐二〇一六(DVD)とライブビューイング

行ってきました。ライブビューイング。


もう1ヶ月も前のことなんですけど(^_^;)


ちょうど綾野君の映画公開ラッシュが続いていて感想が後回しに・・・。


綾野君の舞台挨拶は外れまくりましたが、


こちらは無事に、なんの問題もなくゲットできました。


とは言うものの私が行った大阪の会場はソールドアウトだったので


そんなに安全パイのイベントでもなかったんですよね。


映画館に行って、SOLD OUTの文字が出ているのを見ると


ちょっと嬉しかった。


ライブは土日にやってくれることが多いから


平日に会社終わりに急いで駆けつける・・・というのは


なかなかしんどかったんだけど・・・。


梅田じゃなかったら間に合ってなかったと思う・・・。


ついでに平日開催な分スタートも遅くて、


そこからライブ1本分フルに収録したDVDを上映し、


その後生ライブがあったので終了時間も通常のライブよりはずっと遅くて、


結構ヘロヘロになったんだけれど、それでも楽しいイベントでした。


中野サンプラザで収録されたライブ映像の内容は、


後でDVD自体の感想でまとめるとして、


ライブビューイングの思い出はやっぱり生ライブ。


数曲・・・かなって思っていたので、6曲っていうのにまずびっくりしました。


始める前に大きな砂時計を秋田さんがひっくり返してスタート。


ああ、この砂時計が終わるまでの生ライブなんだな・・・と思って


1曲1曲砂の減り具合を気にしつつ聞いていると、


途中からは砂時計が映んなくなっちゃった。


たぶん、当初の計画ではあの砂時計分のライブだったんだろうな。


でも歌いたい曲が増えておさまんなくなっちゃったってとこなのかな(^_^;)


だから6曲っていうのは出血大サービスだったんだと思います。


最後に砂時計の最後の砂が流れ落ちる映像が入ったのは


いかにも用意しておいた映像って感じでちょっと笑っちゃった。


でも、フルのライブ映像を見せた後、弾き語りで6曲も歌ってくれた


秋田さんの心意気に感謝感謝です。


ライブっていうのはamazarashiのフル装備状態じゃないですか。


秋田さんの歌があって、出羽さんのかっこいいアレンジで、


映像のコラボレーションもあって。


その直後の弾き語りスタイルって言うのは、


メイク落としてドレス脱いだ言わばすっぴん状態なわけで、


それってやっぱりある種の覚悟がいるんだと思うんですよね。


amazarashiっていうのは、秋田さんの歌と、出羽さんのアレンジと、


YKBXさん他の映像という表現の複合体で、


それが独特の世界観を作り出しているんだけど、


amazarashiの骨格はここなんだよというように


シングルには必ず弾き語りバージョンを入れようとしたり


アルバムを出す度に、いろんなメディアで弾き語りを披露していますよね。


そのバランスが今はすごく上手くいっていると思います。


私はフル装備のamazarashiも弾き語りスタイルのamazarashiも


どっちも好きです。


シンプルな弾き語りバージョンを聴くと、秋田さんの声の力強さに


改めて気付かされるし、


歌詞も前面に出てくる気がする。


と同時に、出羽さんのアレンジによってどれだけ曲の世界観が広がっているのか


ということもよく分かる。


amazarashiってある意味ずっと決まった観点で曲を作ってきているのに


それが単調になってしまわないのは、


やっぱり出羽さんの功績って大きいと思います。


生ライブ1曲目の「ジュブナイル」は


特に出羽さんのアレンジの印象が強い曲でした。


だからこの曲が選ばれたのがちょっと意外だったんだけれど、


シンプルな弾き語りとしてのジュブナイルもよかったです。


逆に「穴を掘っている」はあんまりイメージが変わりませんでした。


もともとシンプルな曲だからかな。


「この街で生きてる」は大好きな曲なんだけど、


この曲をバンバンライブでやっている時はライブに参加していなかったので


今回聴けて嬉しかったです。


この曲もちょっとイメージが変わったな・・・。


ミニアルバム「アノミー」の中でラストを飾っているので、


「この街で生きていこう」と決意する


静かで穏やかな曲という印象だったんですけど、


弾き語りバージョンはもっと切実な感じがしました。


全くの個人的な感想でどうでもいい話なんですけど、


この「この街で生きてる」っていうのは私の中で


「クレオパトラな女たち」の黒崎裕のテーマ曲なんですよね。


ホンマ勝手な感想ですんません。


この曲をヘビーローテーションで聴いていた頃ちょうどドラマをやっていて、


ふと、あれ? この歌詞って裕くんの心境にピッタリなんちゃうん?


って思ってから、私の中では「この街で生きてる」=黒崎裕なんです・・・。


当時黒崎裕ってキャラクターが大人気で、


某SNSでも自分の黒崎裕のテーマソングはこれ!


っていう話題で盛り上がっていたんですけど、


みんなもっと恋愛寄りの歌詞の歌をあげていて・・・。


だからずっと心の中でそっと思っていたんですけど、


峯太に別れを告げた裕の気持ちってこんな感じなんじゃないかなあ


って思っています。


そんなこんなで未だにこの曲を聴くとちょっと切ない。



嬉しかったのは「ナモナキヒト」


カラオケに行くと必ず歌う曲なんですよね。


まさか弾き語りで聴けるとは思わなかった!


そして、そして「僕が死のうと思ったのは」


この曲は前に参加したライブビューイングでも聴いたんだけど、


やっぱり秋田さんが歌うバージョンが好き。


中島美嘉さんのバージョンもきれいでいいんだけど


どっかさらっとしていて観念的に聞こえてしまうんだけど、


秋田さんバージョンはもっと切実な痛みを伴った歌に聞こえるから。


映画館を出てからもしばらく耳の音でリフレインしていましたもん。


いつかアルバムに入れてくれないかな。


ライブ映像中もそうだったんだけど、


生ライブ中も、曲が終わる度に拍手したくなってこまりました。


拍手くらいいいかなあ・・・と思うんだけど、


(ライブでは拍手だけは巻き起こる)


やっぱりライブビューイングではしないのかな。


家にDVDが届いてから、DVDを見ながら、心ゆくまで拍手しちゃいました。


 


 


 


というわけで、『世界分岐二〇一六』DVD自体の感想を。


ライブDVDはこれで3枚目になるのかな?


ライブ映像そのものはCDの特典に小分けでついてきてるんだけど。


1枚目のライブDVDはいくつかのライブのいいとこ取りで、


『千分の一夜』はあまざらし名義だったしで、


amazarashiの通常のツアーのライブとして


フルに収録されたライブは初めてなんじゃないのかな。


それだけでもとっても貴重で意味のあるDVD。


でも何と言っても今回のライブ映像とってもきれい。


amazarashiってライブ映像まとめにくいと思うんですよ。


何と言ってもボーカルが顔出ししないから


ボーカルの表情が捕らえられないでしょ?


それから観客席をステージから煽って、


観客が盛り上がって・・・っていうライブでもないので


盛り上がっている観客席・・・ってのもない。


ファンとしてはいっそステージのスクリーンをずっと映してくれているだけでも


いいよ・・・という気分ではあるんですけど。


毎回いろいろ頑張ってまとめてるよなあ・・・とは思うんですけどね・・・。


でも、今回の映像は本当にすごくうまくまとまっていました。


amazarashiのライブスタイルをライブ映像として落とし込む方法が


しっかり確立したんだなあ・・・って思わせてくれるくらい映像がよかった。


もちろんもっとじっくりスクリーンの映像を映して~


って思う部分もあったんだけど、


ライティングと映像の見事なコラボレーションの感じとか


秋田さんのシルエットにスクリーンの映像をオーバーラップさせるだとか


いろいろ見せ方に工夫を凝らしているなあと思いました。


スターライトとかは、本当に広がりのある映像になっていて


スクリーンの映像だけよりもずっとライブ映像の方がいいと思う。


それから「美しき思い出」なんかはいろいろ重ねられた映像のカオス感が


曲の切迫感を高めていたし。


スクリーン越しの秋田さんの映し方も、


スクリーンの映像が上手く奥行きが出ていて、


平面の幕に映しているだけの映像に見えないとこもあったりして、


あの独特のライブの魅力を見事に映像にしていると思います。


ライブを曲順もそのまま丸ごと記録したというのも価値があるし。


amazarashiに興味があってライブも行ってみたいんだけど


顔出ししないで幕を張ってそこに映像を流す・・・ってライブ


想像がつかない! って思っている人がいれば、


是非ライブの雰囲気を知るためにも見てみて欲しいDVDです。


 


この中野サンプラザのライブはある種特別なものだったので


それが映像作品として記録されたということにも意味があるように思います。


「世界分岐二〇一六」というライブツアーは


私が参加した大阪も含めて


札幌、愛知、福岡、広島とたぶんほぼ同じセトリで全国を回って、


東京公演だけセトリが変えられたんですよね。


ツアー中に「世界収束二一一六」のアルバムが発売されて、


発売日後に公演があったのが東京3回だけだった


っていうのもあるんだと思うんですけど。


ZEPP 東京1回目で新しいアルバムから1曲増えて(あれ2曲だっけ?)


2回目でもう一曲増えて、


中野サンプラザでセトリそのものがごろっと変わった。


ZEPP東京で新曲が増えたっていうのは、


アルバム発売前で観客が知らない曲ばっかりの演奏にならないように


抑え気味に新曲を入れていたんだと思うんですよね。


大阪では「タクシードライバー」と「エンディングテーマ」「しらふ」


「収束」「多数決」「季節は次々死んでいく」「スピードと摩擦」の6曲。


でもこのうち「季節・・・」と「スピード・・・」はシングルで既知の曲だし


「多数決」と「エンディングテーマ」はPVを先行で発表していたので


純粋に知らない曲は「タクシードライバー」と「しらふ」「収束」だけくらい。


でも、既存の曲を使いながらも大きな流れはアルバム「世界収束二一一六」と


同じだったんだと思います。


「世界収束二一一六」は非常に重いアルバムです。


なんのインタビューだったろ・・・


秋田さんが自分以外みんな死ね思って作ったって言っていたような。


今、ある程度ライブやっても箱がいっぱいになって、


アニメのタイアップ曲になって知名度があがったきてなお、


そういう閉塞的な思いを持ち続けているのか・・・と驚いたんですけど


「自分以外みんな死ね」っていうのは、まあ極端にしても、


最終的に人類は滅亡しましたっていう曲の並びになってる。


曲自体は明るい曲もあるし、アップテンポの曲も、メローな曲もあって


絶望から希望へと歌うのはいつもと変わらないんだけど、


いわゆるファン以外の人にも勧めやすかった「夕日信仰ヒガシズム」と比べて


このどうしようもない救いのなさ、というか、アルバム全体に漂う終末感を


醸し出しているのは、やっぱり曲順なんだと思うんですよね。


「ライフイズビューティフル」がラストに来ていれば


印象は大きく変わったと思う。


だけど、あえて「収束」でこのアルバムを締めくくったことが


このアルバムの性質を決定づけていると思う。


基本は、このアルバム全体が「吐きそうだ」の歌詞と同じなんだと思うんです。


世の中を虚無的に批判してみたり、


その批判性をそのまま自分に照射してへこんでみたり、


かと思えばやっぱり人生って価値があるよななんて肯定的に考えたり、


そういう揺れる思考というか、


あっちいったりこっちいったりの思考の軌跡みたいな曲順で


最終的に地球は終わってしまいましたっていうのは、


つらい現実から逃れるための一種の空想みたいなものなのだと思います。


このアルバムを初めて聴いた時、


ああ、amazarashiにとってこのアルバムは


「無題」に出てくる「人の本性を描いた絵」みたいなものなのかもしれないな、


と思いました。


「誰もが目を背けるような人のあさましい本性」を歌った歌。


もちろん全開というわけではありませんが、


それでも方向性的に果敢にその方向に挑んで作られた作品なんじゃないかと。


 


で、基本ライブの曲順も「世界収束」に沿っているのではないかと思います。


既存の曲を多用しながら、生きている中でままならない思いを歌い


最終的に「収束」(つまり地球の終わり)へと向かって行く。


ただライブだと終盤盛り上げなければいけないということもあってか


「収束」の後に「多数決」と「スターライト」が続きます。


「多数決」はアルバム発表前に先行で発表されていたくらい


このアルバムの代表曲でアップテンポでノリがいい。


「スターライト」はここ最近のライブ


(「千分の一夜物語」「夕日信仰ヒガシズム」)


でもラストを飾っていた定番の曲。


アルバムとしては「収束」で終われても


ライブでは「収束」で終われなかったのかなあ・・・


とも思ったのですが、


敢えてこの曲2曲がラストに来た意味を考えると、


まず「多数決」は進む方向を決めるのに


多数決で簡単に割り切って決めてそれでいいのか、


もっと言えば、多数決で手をあげている時には


自分が運命の分岐点に立っているんだと自覚しなければ・・・


という曲だと思うので、


地球の終わりという「収束」を迎えたことに対して


もう一度ここに至った分岐点はどこだったんだろうと振り返るということが


この曲がラス前で歌われた意味だったんじゃないかと・・(自信ない・・・)


これまた私事なのですが、


このDVDはいつものようにamazonで予約して買いました。


これまたいつものことですが、発売日には届かず・・・。


手に入れたのは週末という有様・・・アマゾンのバカ・・・。


たまたまその日は、イギリスがEUから脱退することが決まった日で、


DVDの中に収録された「多数決」を聞きながら


この曲はこういうことを歌っているんだなあと強く思いました、


イギリスの人たちはあの日を歴史の大きな分岐点として


何年も後になってより深い意味で振り返ることがあるかもしれない。


あの時自分たちは決定的な歴史の岐路に立っていたと思うかもしれない。


そしてその分岐点は意識していなくとも日常のあらゆる所にあるんだろう。


「スターライト」は2曲目の「タクシードライバー」と呼応しているかなあ。


「タクシードライバー」で「夜の向こうへ連れてって」と歌ったのが


「スターライト」では自らが夜の向こうへ行こうとする。


もっと穿った見方をすれば、「スターライト」の下敷きになっている


宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』は死者と共に死に向かって走る列車です。


「収束」で死んでしまった人類の魂が銀河鉄道に乗って飛び立つということ?


ライブが終わって会場に流された曲は「百年たったら」


この曲、前半は倒れてしまった人の心情を私的に歌っているんですけど


後半から急にSFの世界みたいになって、


主人公一人残してみんな宇宙船に乗って地球を旅立って行ってしまうんです。


これもある趣の「収束」を歌っているとすれば、


やはりアルバムと同じようにこのライブの流れも収束(地球の終わり)


に向かって構成されているのかなあ・・・って。


・・・まあ、というのは深読みしすぎですね、きっと。


もっとストレートに、世界が「収束」してしまわないように、


今、自分が選ぼうとしているその選択肢をもう一度よく考えて(「多数決」)


自分の力で夜空に飛び立とう(「スターライト」)・・・


ということなのかもしれない。


とにもかくにも、これが、私が参加した大阪のセトリ。


 


DVDに納められた中野のセトリでは、なんと「収束」から始まるんです。


ツアーでは「収束」へと向かって積み上げられていたセトリ。


もっと言えばアルバムも「収束」へと向かう流れ。


それが、中野サンプラザのセトリがネットに流れてきてびっくり。


全くひっくりかえっているの?


とは言え歌われた歌は3曲新たに新しいアルバムから入れられて


それに伴って「ワンルーム叙事詩」と「名前」という既存曲が


2曲カットされました。


つまり曲自体はそんなに変わらずに、


曲順を変えただけで、セトリの印象が全くかわってしまった!!


行った人の感想を読んでいると、


「千分の一夜物語」みたいに朗読が挟まれるという。


いったいどんなライブだったんだろう・・・いいなあ、いいなあ中野


って思っていたのでこのライブが今回DVDになって本当によかった。


実際に見てみると、「収束」から始まる流れは全然違和感がなかった。


ピアノの旋律に合わせて動く映像が本当に音にぴったりあっていて、


そしてポエトリィリーディングから歌に変わる瞬間


映像が弾けるように変わるのも見ていてとても気持ちいい。


改めてDVDをじっくり見てみると、


セトリを初めて見た時に感じた、全く逆っていう感じはしませんでした。


ツアーが日常から始まってだんだん世界の終わりへ向かう構成だとすると


中野は、今、まさに世界が収束し、最後の一人の人間になった主人公が


いろいろと思いを巡らすという構成なのかな・・・という気がします。


間に挟まれる朗読は、最初終末を迎えた世界を逆から描写しているのかな


と思ったのですが、たぶんそうじゃなくて、


全てが終末の世界の情景描写なんじゃないのかな。


つまりはこのライブの場面設定をしている感じ。


セトリの曲でSF要素(もしくは人類の滅亡云々)が


入っている曲って実はそんなに多くないんですよね。


冒頭の「収束」中盤の「百年たったら」


それから本来曲自体にSF要素や世界の終末の意味はないんだけど


映像にPVの映像を使うことで「エンディングテーマ」


大阪でこの曲を歌ったときの映像は、


バックに映画さながらのエンディングロールが流れて、


それがシンプルだけどとても好きだったんです。


DVDになったときにあの映像じゃなくてPVだったので


実はちょっとがっかりしたんだっけど、


たぶん場面設定という意味であのPVに変えられたんだと思う。


PVは明確に今死を迎えようとしている人物が人類最後の一人だという


ストーリーを持っていますもんね。


この三曲が序盤、中盤、終盤に置かれているんですよね。


中野では第1曲目が「収束」になったせいで、


大阪で1曲目だった「コンビニ傘」が中盤に移動しました。


でも「百年たったら」の前という面白いポジション。


「コンビニ傘」は「土に還らぬモノ」の象徴として登場するんです。


で、「百年たったら」は「土には還らぬものと添い寝して」


百年たったら起こしてくれって言う歌。


大阪では「百年経ったら」は演奏はなかったのですが


会場に流されましたから、きっとスタートと最後の曲で


「土に還らぬもの」という存在が


呼応しているんだろうなあと思っていたんですが、


並べられることで一層そのつながりが強くなったように思います。


そして、その「百年経ったら」の後にくるのが


「花は誰かの死体に咲く」ってすごく繋がっている気がする。


論理的にきちんと繋がっているわけではないけれど


キーワードや気分や世界観やそんなあいまいなものが。


大阪でラストを飾ったスターライトは中盤へ。


中盤に置かれることで「夜空の向こうに行く」というニュアンスよりも


「友」のニュアンスが大きくなった気がする。


というのもこの曲の前が「夏を待っていました」で、


「スタンドバイミー」のような少年期の友人との交流を歌った歌。


「夏を待っていました」は大阪では


「雨男」「夏を待っていました」「ラブソング」「スピードと摩擦」


という順に歌われました。


中野では「夏を待っていました」だけが後ろに移動して、


「雨男」「ラブソング」「スピードと摩擦」の順はそのまま。


秋田さんの中でこの並びに何らかの意味があったのかなあ・・・。


とにかく、「夏を待っていました」で少年期の記憶を歌い


そこに「スターライト」を続けることで、


「少年期」「友」というキーワードが浮かんでくる。


秀逸だなあって思うのは、


「スターライト」である種のノスタルジーが開放されて


アップテンポな曲で気分も高揚した後、


「しらふ」を持って来るんですよねえ。


これは、かなりガツンと来ます。


なにせ「自分以外みんな死ね」から始まりますからね(^_^;)


社会に対する不満、渇望、絶望、堂々巡りの思考回路


そんな鬱屈した思いを叩きつけるかのようなポエトリィリーディング。


DVDで見てもここは圧巻でしたが、


この曲(曲って言っていいのかな)、生で聴くと衝撃です。


もっともっと言葉が肌に刺さって鳥肌が立つような感じがします。


この「しらふ」に続けて歌われるのは「美しき思い出」で、


この流れは大阪でも同じだったので、大事な流れだったんだと思います。


大阪ではこの次が「収束」なんです。


社会の負の部分をまともに受け止めて、鬱屈した思いが


「美しき思い出」ではより自己の内面へと向かい


追い詰められ切迫した思いが、ここで収束する。


この後「多数決」で選択の是非を問いかけ、


大勢が支持する方を選ぶことが本当に正しいのかと問題を投げかけ、


「スターライト」で終わるんですけど、


やっぱり、ラスト重いんですよね。


「スターライト」はアップテンポでとても開放感スピード感がある曲なので


明るい終わりと言えば明るい終わりなんですけど、


「しらふ」から「美しき思い出」で突きつけられた切迫感を


開放するには「スターライト」1曲では力不足で、


本来なら収束の前に「エンディングテーマ」が入るのが定石なんだろうなあと


思うんです。


曲の流れ的にもね。


でも、あえてそうせずに「しらふ」の前に


「エンディングテーマ」を置いたことが秋田さんの屈折した思いというか


そう簡単にきれいにまとめてやらねえよ・・・


みたいな思いがあるような気がして。


でも、中野では「しらふ」「美しき思い出」「多数決」「エンディングテーマ」


という素直な流れになっている。


そして何より、「エンディングテーマ」の後に最後の曲として


「ライフイズビューティフル」が歌われたんですよね。


MCで秋田さんは言っていました。


アルバム作っているときは世界終われっていう気持ちだったんですけど


ツアーでいろんなきれいなモノをもらって、


これを青森に持って帰ってまた形にしたいと思います・・・って。


アルバムはやっぱり「世界終われ」って流れになってる。


そして、ツアーもやっぱりその流れのまま


「世界終われ」っていう構成で組まれていたんだと思う。


でも、ツアーやっているうちに秋田さんの心境が変化して、


「世界終われ」からほんの少し前向きなものになったんじゃないか。


それがツアーの最後である中野サンプラザで、ラストの曲として


「ライフイズビューティフル」を歌うことを選ばせたんじゃないか。


そして、ラストの曲がこの曲になるのなら、


きっと収束に向かう流れのままよりも、組み直した方がいい


ということで、「収束」から始まる中野独自のセトリになったんじゃないか。


「ライフイズビューティフル」はその名の通り


「人生は美しい」と歌い上げる人生賛歌の曲です。


でも、使い古された人生訓としての「人生は美しい」じゃなくて


もっと苦しみの中からほんのわずかな光明として導き出されたような


そう、言わば「光、再考」に出てくる「光」のような曲。


だからこそ、このライブのラストに、


このツアーのラストにふさわしい曲。


全国を回ってきたそのツアーが大団円を遂げたことを示すような曲。


紗幕に映し出される映像も素晴らしい。


リリックスピーカーのスタッフが協力してくれたという


文字と簡単な幾何学模様が曲にあわせて自由自在に動くその映像は


ライブにおけるamazarashiの映像の一つの到達点なのではないかと思う。


このライブが丸ごと(シングルの特典映像として数曲ではなく)


DVDという形に記録されて、本当によかった。


今度上海や台北で行われるライブってこのセトリなのかな。


だとしたらものすごくうらやましいな。


生で、このセトリを体験してみたかったなあ。


日本だとライブが終わると参加した人がセトリあげてくれるんだけど、


外国じゃ無理かなあ・・・。


あげてくれても私が読めない・・・(>_<)


なんにしろ、早く次のライブ行きたい!


大阪でのライブ早く決まらないかな。


 


 


 


 


追伸:


以前「スピード戸摩擦」の感想を書いたときに


「そこに咲いた花にさえ冒涜は許されて」の「さえ」の意味が分からない


と書いたことがあるのですが、


アルバム「世界収束二一一六」を聴いて謎が解けました。


秋田さんの意識のベースに「花は死体に咲く」というのがあるんですね。


誰かの亡骸を養分にして咲く花を「死を冒涜している」と捕らえるのなら


この地球上のどこだって誰かの墓場だと考えるのなら、


花はただ咲いているそれだけで死を冒涜しているわけで、


けれども誰もそれをとがめはしない。


だから「花でさえ冒涜は許される」という表現が出てくるんですね。


その後にはきっとましてや人間は・・・という言葉が続くのでしょう。


本当はアルバムの感想の時に書きたかったんだけど


アルバムの感想を書き損ねているのでここに覚え書きとして書いておきます。





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