博士と彼女のセオリー

昔、学生の頃、ホーキングの宇宙論がはやって、
私も「ホーキング宇宙を語る」は読みました。
平易な宇宙論、宇宙論の入門書という触れ込みだったと思うのですが、
意外と難しかった気が・・・。
読み初めは確かに平易な言葉でとっつきやすかったんですけど、
読み進めていくうちにさらっと量子論とかに入っていって
気がつくと何が書いてあるんだかわかんない世界になってた・・・
という記憶がおぼろげながらあります。
確か、わからないのはわからないままがんばって最後まで読んで、
ああ、理系を学んでいる人たちはこういう世界観の中で生きているんだ・・・
とぼんやりと思ったのが最大の感想だった覚えが・・・。
でも、なんでかそれ以降ホーキングには親近感があって
(本の語り口が好きだったのかも)
この映画が公開されたときも、アカデミー賞云々よりも
あのホーキングの半生なんだということで見に行きたいなあと思っていました。
なんだかんだで見に行けてなかったんだけど、
ぱらぱらと耳に入ってくる感想は
障害者の感動的な夫婦愛の物語だと思って見に行くとがっかりする、とか
意外に性的描写があって驚いた
というものが結構あったような気がします。
でも実際に見てみると性的な描写はほとんどなかったです。
ただ、障害を持つ人が性的な関心を示すことに拒否反応を示す人には
確かに受け入れがたい内容だったかもしれない。
でも私はとても美しいラブストーリーだったと思いました。
天才を描いた映画ということで「ソーシャル・ネットワーク」をちょっと思い出しました。
ホーキングもマーク・ザッカーバーグもちょっと風変わりで、
常人には理解しがたい頭脳をもった人物という意味では似てるけど、
映画のトーンは全く違う・・・。
私は「ソーシャル・ネットワーク」を見た後は後味が悪かったし、
マーク・ザッカーバーグにもいい印象は持ちませんでした。
未だにフェイスブックはやってないし。
でも、この映画に関しては、改めてホーキングという人を好きになりました。
「ソーシャル・ネットワーク」は天才の孤独
(それは往々にして自らが招いたものなんだけど)を描いているように思いました。
一方、この映画は天才の人間的な部分を丁寧に丁寧に描いているように感じました。



ホーキングが車椅子に乗った科学者だというのは知っていましたが、
それが後天的な病気によるもので、
しかもALSだったというのはしっかりと認識していなかった気がする。
先天的な病気なんだと思いこんでいました。
ALSについては最近バケツに氷水を入れて頭から被るという騒ぎで有名になりましたし、
数年前に日本では三浦春馬君主演でALSについて真正面から扱ったドラマもありました。
そんなこんなで、昔の自分よりは
ずっとALSという病気について知っていると思います。
だから尚更前半で病が分かるまでの流れが切なかった。
まだ若きホーキング青年はいかにも理系を学ぶ学生という感じで
世間ずれしていなくて、場に即した気の利いた台詞は言えないし、
すぐに小難しい言葉で話し出すんだけど、
ユーモアもあってウィットにも富んでいてとても素敵な男性。
こういうタイプの人大好きで、
(自分がバリバリの文系なので自分にないものにあこがれる・・・)
しかもホーキングを演じたエディ・レッドメインの
繊細で知的な雰囲気にうっとりしながら見ていました。
映像もちょっと甘い感じでとってもきれいなんですよね。
でも、ホーキングがちょっとグラスを落としたり、
何でもないところでつまずいたりする度に
ああ、病気が迫ってきているんだなあと思えて苦しかった。
新しい理論をひらめいて憑かれたように黒板に数式を書き出すホーキング。
ところが、手の動きが頭の回転についてこない。
ホーキングの才能は教授も認めていて、
同期の中でも彼の才能は際だっていて
まさにこれから彼の才能が開花しようと言うときに告げられた
余命2年という宣言。
上手くいきはじめていたジェーンとの仲もあきらめざるを得なくなって・・・。
けれどもここからが本当の意味での二人の愛の物語の始まり。
将来の展望どころか、余命の宣告をされたこの天才を
彼女は強い意志でもって支えようと決意します。
そしてホーキングの方も卑屈にならず彼女の愛を受け入れます。
ホーキングはジェーンに支えられながら博士号をとり、
二人の間にはかわいらしい子供までさずかります。
いつしか予告されていた余命宣告を遠に過ぎ順風満帆に見えた二人の生活。
けれどの病は着実に進行し、ホーキングは車椅子の生活に。
まだまだ手のかかる子供の世話はもちろんジェーン一人の肩にのしかかってきます。
ホーキングの世話と子供たちの世話と家事と・・・。
ジェーンは自分の勉強もままならず、次第に追いつめられていきます。
彼女の覚悟は2年という期間がわかっていたからこそできた覚悟だったんですね。
でも、夫を介護する人生がこれからずっと続くのかもしれないと思った時、
介護の生活の苦しさが現実の重みとして彼女にのしかかってきたんだと思います。
そんなジェーンが救いを求めて行った教会で、
ジェーンはジョナサンに出会った。
妻を亡くしていたジョナサンはジェーンの求めるまま
ジェーンを助けるために一家に関わっていきます。
ジェーンがジョナサンをホーキングに紹介するところ。
緊張感があふれているんですよね。
ジョナサンは一生懸命うろ覚えの知識でホーキングの業績をほめたたえる。
ホーキングはジョナサンの情報が古いものだと喝破して
一瞬空気が止まるんだけど、ホーキングがいつものように
皮肉混じりのジョークに変えてジョナサンを受け入れる。
本当はホーキングもイヤだったんだと思うんですよね。
身体が不自由で誰かの助けが必要とわかっていても
それでも嫉妬の心はちゃんと存在する。
ジェーンがつれてきたのが男性で、
きっと男の目から見ても感じのいい男で、
そして妻を亡くしていることに無関心だったとは思えない。
だけど博士はその思いをこらえたんだと思うんですよね。
ジェーンがもう限界だと言うことはきっとわかっていたんだろうし。
自分の気持ちを抑えることでジェーンとの暮らしが続けられるのなら
と考えたのかもしれない。
ジェーンが強い意志でホーキング博士と生きる人生を選んだように
ホーキング博士もまた強い意志でジェーンとの暮らしを続けることを選んだ。
それは端から見たらとても歪んだ形なのかもしれないけれど。
ただ、この段階でジェーンとジョナサンの関係は深いものではなかったんだと思う。
3人目の子供がジョナサンの子供ではないかと母親から疑われて
あんなに怒っていたし。
それにクリスチャンであるジェーンとジョナサンにとって
やっぱり不倫は大きな禁忌だったろうし。
けれど、人からジョナサンとの関係を邪推されていることに気づいたジェーンは
ジョナサンを一家の暮らしから遠ざけてしまう。
ジョナサンもまた、ジェーンに好意を抱きながらも一家の生活を壊す気はなかったから
一家とは距離をおくようになる。
けれどもそんな二人を見て、ホーキング博士はわざと二人を結びつける場を作る。
このへんの博士の心境はよくわからない。
ジョナサンも含めた形で家族を維持することを望んだのかな。
それとも、一家にジョナサンを迎えた時から
二人の関係が恋愛関係に発展することも含めて、
全てをのみこんでいたということなのかな。
ジョナサンを失って、終わりのない介護生活に疲れ果てているジェーンを
少しでも救いたかったのかな・・・。
なんにしろ、博士がセッティングしたキャンプで
ついにジェーンとジョナサンは結ばれた。
けれども、神はそんな二人に罰を与えるかのように
ホーキング博士が倒れる。
治療を断念することを勧める医師に
ジェーンははっきりと彼を助けて欲しいと伝える。
結婚を決意したときと同じ、いやそれ以上に強い意志をたたえた瞳で。
彼女には負い目があったから。
博士が倒れたその時に自分は博士の側にいなくて、
違う男性の側にいたから。
だから彼女は決意したのだと思う。
いや、しなければならなかったんだと思う。
これから一生一人でホーキングに付き添って生きることを。
死の淵から戻ってきたホーキングは、
前以上に介護が必要な身体になっていた。
声を失い、意志疎通も難しくなった。
ボードを使い、視線とまばたきで片言の意志疎通をしなければならない。
透明なボードを博士に見せながら、
これでこれから会話するのだと伝えるジェーンの顔が
透明なボード越しに苦しげに歪む。
そのジェーンを博士は切なげに見守る。
誰よりも優れた頭脳を持ち、雄弁に語る心を持ちながら
博士はそれを外に伝える手段をどんどん神から取り上げられていく。
博士が研究を続け、生活を続けるためには誰かの、
ジェーンの手助けが必要だけど、
自分の存在がどんどんジェーンを縛ってしまっていることを博士は気づいている。
博士は意思伝達の訓練をジェーンとすることを拒否して
看護士のエレインと訓練を重ねていく。
後に音声合成器を使うようになっても、
自分の介護の依存度をエレインの方に移していく。
そんなホーキングの変化をジェーンはじっと受け入れるしかなく・・・。
ある時ホーキングはアメリカへの授賞式に
ジェーンではなくエレインを連れて行くことをジェーンに伝える。
それが二人の決定的な別れになってしまった。
たぶん、博士は死の淵から蘇って、透明なボード越しにジェーンを見たときに
彼女を解放しなければならないと思ったんだと思う。
ジェーンがジョナサンのことで自分に負い目を感じていることも気づいていたかもしれない。
実際の二人の間にはもっとドロドロしたものがあったかもしれないんだけど
映画ではあくまでもこのタイミングで
博士が自分の介護をジェーンからエレインに変えたことが
別れのタイミングだったと描かれている。
ホーキングがエレインに関心を移したように見せかけているけれど、
やっぱり私はホーキング自身が自分の介護から
ジェーンの人生を解き放ってあげたように思えるんです。
だからこそ、業績を称える為に女王陛下に呼ばれたときも、
ホーキングはジェーンを同席させた。
彼の業績はジェーンと共にあったということなんだと思う。
そして、その後、庭園を二人で眺めながら
「私たちが作り上げたものを見てごらん」
とホーキングが言うシーンがとても好き。
誰にも成し遂げられない偉業を成し遂げて、
けれども、彼が誇らしげに「私たちが作り上げたもの」というのは
二人で生み出し、育てた子供たちなんだ。
それは二人で作った家庭であり、愛が形になったもの。
記憶を辿るかのように走馬燈のように二人の記憶がさかのぼっていく。
あの若き日胸をときめかした二人の出会いが
今、ここで形をもって黄昏の光の中美しく輝いている。
二人は添い遂げることはできなかったけれど、
病のせいで決して一般的とは言えない経緯をたどったけれど、
それでも美しい愛の物語だったと思う。


劇中何度も繰り返されるくるくる回るイメージ。
まず、映画の冒頭が電動車いすでくるくる回る博士だし、
博士が最初にアイデアを得た時が
かき回したコーヒーにミルクを流し込んだ時。
渦巻きを描きながら溶けていくミルクを眺めながら
回る渦巻きを頭の中で逆回転させ博士はアイディアを得た。
新しいアイディアをジェーンに伝えるときも、
ジェーンは博士の周りを反時計回り(つまり逆回転で)でくるくるまわるし、
博士が倒れたと聞いたジェーンが博士の元に向かうときも、
長い螺旋階段を駆け上るジェーンをカメラがくるくる回りながら映したり、
子供たちが博士の電動車いすをクルクル回すシーンもあったっけ・・・。
ただ、そんなくるくる回るシーンも後半は消えていく。
そして、映画の最後に流れる回想シーン。
短いシーンを逆回転させながら、今までの二人の人生を辿っていく。
まるで、螺旋を描きながらコーヒーに溶けていくミルクを逆回転させたように。
ミルクの螺旋の始まりがコーヒーにミルクを落とす瞬間だとすると、
二人の始まりはパーティーの会場で互いを見つけたその瞬間。
ミルクの螺旋を見ながら時間の始まりを思い浮いたように、
この時博士は夕暮れの庭園で愛する人と一緒に
二人の愛の結晶である子供たちがはしゃぐ様子を見ながら
記憶を逆回転させて、幸せの方程式を思いついたんではなかろうか。
ホーキングとジェーンが二人で見つけた、たった一つのセオリーを。


この物語はジェーンの側から見ると、
自分の愛するという感情を信じて結婚したものの、
介護の重さに耐えられなくなって、
愛を手放してしまったということなのだろうけど、
ホーキング博士の側から見ると、
病気が発覚した時点であきらめなければならなかったであろう
当たり前の人としての幸せを、
ジェーンに与えられたということなんだと思う。
少なくとも脚本的には、博士のプライベートの充実が
博士に新しいインスピレーションを与えているように描かれている。
だけど、プライベートも研究も上手く行くと、
次は必ず病気が悪化するのが人生のままならないところ。
ジェーンとつきあい始める→研究課題をひらめく→病気の発覚
ジェーンと結婚、子供にも恵まれる→博士号をとる→歩けなくなる
といった具合に。
博士にとっては研究者としての成功と人としての喜びは常にセットで
どちらかのためにもう一方を犠牲にしようということはない。
そのことを象徴的に表しているのが、
彼の業績を称える華々しい席で、観客の質問に答えながら
ふと前列の女性がペンを落としたことに気づくシーン。
研究者として成功した証のような華やかな舞台の上で、
それでも彼は美しい女性の為にペン1本拾ってやることができない己が肉体を嘆く。
きっと彼にとって研究と日常は等価なのだ。
この映画でホーキングは、他の人とかけ離れた才能を持つ天才
(しかも困難な病気を克服しつつ・・・という常人にはできない努力家でもある)
としてではなく、あくまで一人の人間として描かれている。
だからこそこんなにもこの映画に描かれたホーキング博士は愛おしい。
脚本としてその枠組みは与えられているとはいえ、
人として揺れ動く様を丁寧に演じたエディ・レッドメンがすばらしい。
ALSという病気を再現して演じることも技術的に非常に難しいことだと思うのに、
制限された動きの中で、表情の中で
それでも雄弁に感情を物語る目。
ジェーンの強い意志を表す目と、
少し控えめに、でも時に哀愁を漂わせながら愛情を込めてジェーンを見つめる博士の目が
それぞれ大好きでした。
久々に何回も見直したくなるような
思わずブログに感想を書きたくなるような
切なく美しいラブストーリーでした。


 

最近読んだ綾野くんのインタビューで、
気になる作品の一つにこの作品があがっていて、
ちょうどこの映画を見たばっかりの時だったので
思わず嬉しくなってしまった・・・。
綾野君にもいつかこういう役を演じて欲しいなあと思います。


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いろいろ 2016/5

今までこのeoブログで何が困っていたかというと

ものすごく記事を書きにくい入力画面だったんだけど、

この間ようやく気が付きました!!

windows Live Writerっていうのを使えば、

入力スムーズにいくやん!!

今までここで10年くらいブログやっていますけど、

ようやく気がついた・・・orz

最近はポメラでテキストを書いて、それをコピペして・・・って書いていたんだけど、

パソコンで直接書くときにはこれがストレスなくていいなあ・・・。

とは言え、これがちゃんと投稿できるのかどうかは

やってみないとまだわからないんですけど。

 

というわけで実験も兼ねて、ここ最近で起こったことをまとめておきます。

いろいろ発表が相次いでいるので、どれが先だったのかわかんなくなっているので

思いつく順番に・・・。

 

まず、綾野君、ライジング・スター賞受賞おめでとうございます!!

海外の賞を取ったのははじめてなのかな?

「そこのみにて・・・」の時は監督の賞でしたもんね。

思いがけなかった賞で、というかこういう賞があるのを知らなかったので

びっくりしたけど、嬉しかったなあ。

海外の人に評価してもらえるのって、単純に嬉しい。

受賞理由のコメントもとってもいいコメントもらっていて

ますます「日本で一番悪いやつら」が楽しみになりました。

受賞式の映像TVで流れるかな。

またCSなのかな・・・。

「日悪・・・」もCS中心の宣伝みたいだし。

でも、いいや。

ネットで多少なりとも情報が流れるだろうし。

ニューヨークでの授賞式、楽しんで来て欲しいです。

 

 

 

綾野くんと言えばもう一つ。

宝くじのCM、ゆかいでいいですねえ。

私は宝くじはあんまり買わないんですけど、

今回ばかりは買っちゃおうかな。

ちょっとは熊本にお金がいくんだし。

ヒーロースーツを着て、ジャンボリオンの完成に無邪気に喜ぶ顔もかわいいし

7億円と聞いてびっくりする顔も

会議で表情を引きつらせながら愛想笑いをする様子もかわいい。

TVを見ていると結構出くわすことが多いので

CMが始まる度ににやけてしまう。

所さんとのとぼけたコンビネーションもいいし。

docomoとはまた違ったとぼけ具合で、好きなCMです。

 

 

そう言えば、「日本で一番悪いやつら」は大阪でも舞台挨拶やってくれるんですね。

ツイッターで情報を流してくださっているNewsさんが情報をまとめてくださっているので

応募できる限りは頑張って応募してみました。

さてさて、当たるかな・・・当たるといいな・・・でも無理だろうな・・・。

今まで当たった試しがないもんな。

でも、しばらくは舞台挨拶行けるかも幻想で楽しめるから、それだけでも嬉しいです。

東京だけだとそんな楽しみもないですもん。

私にとっては舞台挨拶が宝くじみたいなものですね(^^;)

 

 

 

玉山君にも新しいニュースがありました。

7月からの連ドラに出るんですね!!

うわあ、地上波の民放連ドラってすごい久しぶりな気がする・・・

ってググってみたら、なんと「カエルの王女さま」以来なの?!

もちろん単発のスペシャルドラマはあるんだけど、

連ドラとなるとそれくらい遡ってしまうんですね。

藤原くんとの相性ってどうなんだろう・・・。

ちょっとイメージできないくらい私の中ではタイプが違う役者さんだけに

どうなるか楽しみです。

玉山君は周りに引っ張られる要素が大きい感じがするんですよね。

周りがいいとびっくりするくらい力を発揮するし、

逆に周りがガタガタだとひきずられちゃう感じがする。

いいドラマになるといいなあ。

少なくとも発表がかなり早い目だったから、

準備はちゃんとできる体制で制作がスタートしているっていうことですよね。

もしくはかなりの早録りの可能性もあるけど

それはそれで、世間の反応で作品世界がぶれなくていいこともあるし。

頑張れ! 玉山君!!

 

 

 

そんでもってamazarashiはライブDVD発売決定!!

この間参加したライブツアーのファイナルだった中野サンプラザのライブ映像。

このライブだけは、ツアーの流れと曲順をがらっと入れ替えて

間に書き下ろした詩の朗読を入れて

曲目自体はそんなに変えていないのに

全く違ったステージにしてしまったというファイナルライブ。

それを見られるなんて、しかも手元に置いておけるなんて、

やってくれるなあ・・・めちゃくちゃ嬉しい。

おまけに、DVDを出す時にはお決まりになりつつあるライブビューイング。

今回は生ライブもあるそうです。

全国20カ所でたった1回だけの上映。

その時間、日本全国のamazarashiファンと一緒に同じ映像を楽しむっていうのも

なんだか素敵じゃないですか!

それに全国20カ所、その上香港と台湾・・・って

すごく上映場所増えたなあ・・・。

海外にまで広がってる!!

早速先行抽選に申し込みました。

思えば、前のauthology1386の上映会に恐る恐る参加したのが

ライブに参加するようになった一つのきっかけだったんだよなあ・・・。

そんな感慨もありつつ、ライブビューイング楽しみにしているんだけど、

まさか、抽選で外れる・・・なんてことないよね?

amazarashiに関しては行けるものと思い込んでいるんだけど・・・。

大丈夫だろうなあ・・・ちょっと不安になってきた。

 

 

というわけで、ここ最近の出来事あれこれでした。

ワクワクするような情報があちこちから流れてくるので

慌ただしいやら嬉しいやら。



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64(前編)

初日に見てきました。
午後イチくらいの上映だったんだけど
大きなスクリーンに、ちょっとさみしいかな・・・くらいの入りでした。
近所の行きつけの映画館に行ったので、
まあ、ここはいつもこんなもんかな。
先週CHICHIが「アイアムアヒーロー」見に行った時はそこそこ埋まっていたらしいのですが。
基本的には郊外型の映画館なのでファミリー向けの映画の方が入る感じだから
「64」はちょっとターゲットとする層がずれるのかな。
観客が見事に年齢層高くてちょっと笑ってしまった。
それでも、この年代の人たちが初日に映画館に足を運ぶって言うことは
こういう層向けの映画も需要がちゃんとあるんだな。
もし、原作も未読で、ドラマも見ていなくて、
まっさらな状態でこの映画を見た人で、
思ったよりもつまんなかった・・・って思った人、
もしもいらっしゃったら、そんなこと言わないで、是非後編まで見ていただきたいと思います。
なんでこんなことを書くのかというと、
私の会社にまさにこういう人がいたからです。
ご夫婦で見に行かれたんだけど、
思ってたのと感じが違ったからもういいわ・・・って。
どうも64の誘拐事件中心の話だと思って見に行ったのに、
冒頭で事件が終わってしまって、後は警察の内部の話や
対マスコミのすったもんだに終始していて、
こういう話を見たかったんじゃない・・・と(>_<)
確かに、CMや予告映像は後編の映像も入れながら
いかにも誘拐事件を解き明かす映画のように宣伝していますもんね。
でも、こういう感想を持った方に言いたい!!
後半は64の話になります。
前半と打って変わって、事件がもっと前面に出てきます。
でも後半ラストのカタルシスを味わうためには、
まどろっこしいと思われたかもしれない警察内部の対立や
マスコミとの対立の話がどうしても必要だったのです。
是非是非前編でやめてしまわずに、
後編までしっかり見てみて下さい。
意外な結末、事件の終わりに胸が熱くなること必至です。
・・・たぶん・・・。

で、映画の感想です。
前編なので映画はまだまだ核心部分に入っていませんが
こちとら原作も読んでいて、ドラマ版も見てしまっているので
たぶんばっちりとネタバレ含めての感想になります。
未見の方はどうぞご覧になった後で読んで下さいね。

















ドラマの制作発表と映画の製作発表が結構近くて、
いろいろ話題になりましたよね。
映画とドラマで暎太と弟さんが同じ役を演じるとか
キャスト比較でも盛り上がったし。
ドラマはもう1年くらい前の放送になるのかな。
5話分のドラマと前後編の映画、おそらく時間的にはどっこいどっこい。
どうしてこう実写化企画が重なるんだろう・・・と
当時ブログに嘆いた覚えがあります。
今もやっぱりその辺は思うのですが、
いざ、映画版(まだ前編だけだけど)とドラマ版を見てみて
一番違ったなあと思ったのは2部作と5部作では
作りが全然変わってしまうんだなあ・・・ということでした。
ドラマ版を見たときは、原作を読んだときの話の印象と全然違ったので
活字が映像化するってこういう感じで雰囲気が変わるっていうことなんだ
と強烈に思った覚えがあります。
5話にまとめられたこともあって、
物語の中心が64の事件そのものに大きく焦点を当てられた感じがしました。
この物語って、警察の内部抗争と64の事件、
そこに主人公の組織人としての苦悩と娘の家出という私生活部分が
絶妙に重なり合って事件解決に向かって行くんですけど、
原作を読んだ私の印象では主人公の組織人としての右往左往ぶりが
とても大きな割合を占めていると思っていたんですよね。
原作では三上視点で語られていくので常に三上の心情を追っていて
そのせいもあるかもしれない。
大きな組織の中で生きる男の苦悩がこの作品の核なんだと思ってだんですけど
映像で心情描写は言葉でできないので、
映像として表現して行くにはこの要素を削いで
事件に焦点を当てていく方がいいんだろうなあと思って見ていたんです。
だからどちらかというと警察の内紛事態は筋を追う程度になっていて、
三上の家庭事情のほうをしっかりと描いて、
三上が64の事件に関わろうとする流れをより濃密に描いている感じがしました。
でも、映画では原作に近い感じがしました。
三上の組織の中で生きる苦悩が前面に出ている感じ。
役者さんのイメージの違いも大きい。
ドラマ版で三上を演じたピエール瀧さんが寡黙でたたき上げの刑事という感じを出されていました。
一方映画の佐藤三上はもっと組織の中で生きるギラギラした思いをたぎらせていました。
でもそれぞれがぞれぞれの作品の中で三上としてきちんと成立していました。
映画では前・後編に分けるために大きな山場を二つ作らなければいけなくて、
前半の山場は記者クラブの面々の前で三上が大演説をぶちかまし
記者クラブを納得させ押さえ込むシーンでした。
これがすごくよかったと思うんですよね。
このシーンがはっきりとカタルシスをもった山場として描かれたおかげで
三上の組織人としてのあり方がきれいに浮かびあがったと思うんです。
刑事としてプライドを持ってバリバリ働いていた三上。
それが警務部である広報に移動させられ、組織の中で居場所を失ってしまった。
未だ刑事としての意識が強い三上は
広報室の中でも完全に居場所を作れず、
もちろん刑事部の中にも居場所がない。
そんな三上が過去の事件64を追うことになり、
だんだん64に隠された刑事部の暗部に気づいていく。
と同時に刑事部と警務部の勢力争いに巻き込まれ揺れ動きながらも
はっきりと自分の立ち位置を自分で定めたのがあの場面。
それまで、刑事でもなく広報官としても中途半端だった彼が
広報官として腹をくくり、敵対していたマスコミと対峙するシーンは
同時に、広報室の中で浮いていた三上が
初めて本当の意味での部下を得たシーンでもあって。
原作を読んだときにこの部分が丁寧に描かれたら
諏訪という人物はちゃんと意味のある人物になるなあと思えた場面でした。
ドラマでは、各回で小さな山を作りながら64解決に突き進む流れだったので
必然的にこの一連のシーンは埋もれた印象だったんです。
もちろんきちんと描かれてはいましたが、
広報官としての三上のシーンとしては、
誘拐事件の会見場と控え室を執拗に行き来するシーンの方が印象が強かった。
映画ではここに前半の山場を持って来たおかげで
諏訪とのやりとりにちゃんと重みが出てよかったです。
欲を言えば、このシーン以前はもっと三上と対立している・・・というか
三上を本心では上司と思っていないような態度がもっとあってもよかったかな。
思っていたよりも従順な部下だったんですよね。
印象が薄いのはそのせいかもしれない。
ところどころで三上の命令を「あ~もうめんどくさいな」って
思っているような風情はあったんですけどね。
それでも「あなたはどうせすぐに刑事部に戻るんでしょ」と
今まで心にためていた不満を吐き出して、
でも、三上は自分が思っていたような上司ではないと気づいて
必死で三上を止めようとすることで、
諏訪という人間がきっちりと浮かび上がってよかった。
途中まではあまりの影の薄さに、
2番手で、宣伝でもいい位置に立たせてもらっているのに
これではなあ・・・とちらりと思っていたものですから。
ここ以降、諏訪を初めとする広報室の面々はしっかりと三上の部下になって
後半の三上を支えていくわけですから、ここをしっかりと描いてくれてよかった。


とはいえ、前半ではやっぱり瑛太が目立ってましたね。
若手の中ではピカイチ目立ってた。
本当にイヤな記者を好演していました。
ドラマでは弟くんだったんだけど、やっぱりまだ若いから
若造が正義感振りかざしてギャンギャン吠えてる・・・って感じだったんですけど、
瑛太の秋川は中堅として
もっと腹を据えた感じで三上と対立している感じがした。
佐藤さんを前にしてあの演技というのは、
やっぱり瑛太君すごいなあ。
一歩も引いていない感じがしたもの。
原作を読んだ時に、秋川の瑛太はすぐにイメージできたんだけど、
綾野君の諏訪っていうのは意外だったんですよね。
できない、あわないとは思わなかったんですけど、
あえて綾野くんをもってくる役でもないなという気がしたんです。
やっぱり綾野君の真骨頂って、ちょっと異質感があったり、
ちょっとはみ出しているような役の方が映えるというか、
本人が持っている雰囲気を素直に生かせる気がするんですけど、
諏訪はあまりに普通なんですよね。
組織に忠実に生きている感じも、少なからぬ野心を持っているスノッブな感じも、
多分綾野くんよりももっとはまる役者さんがいるんだろうと思った。
でも、ポスターを見たときに、
これは秋川を演じる瑛太との対比なのかな・・・という感じがしました。
「最高の離婚」の時も思っていたんだけど、
瑛太と綾野君って年も近いし、背格好がすごく似ているんです。
ポスターでも佐藤さんを挟んで左右に配置されてる。
まるで陰と陽といった感じで。
考えてみれば、秋川と諏訪ってそういう関係で、
多分年も同じくらいですよね。
ちょうど仕事を覚えて現場を仕切れるくらいの力も付けてきていて、
ともに上昇志向もある。
そしてどちらも三上を認めていなかったのに、
三上が全てをさらけ出して真剣に広報に向き合おうと心を決めたとき、
三上を認めるようになる。
そしてこの後、ともに三上の最大の理解者として三上を助けたり支えたりしていく。
ある意味秋川と諏訪はセットで表裏の関係なのかな・・・という気がします。
前編で秋川率いる地元の記者クラブの連中を味方につけ、
諏訪ら広報室の人間を本当の意味で部下と呼べるくらいまで人間関係を築いたからこそ、
後半の三上の活躍があると言っても過言はないですもんね。
三上が粘って粘って元上司から情報を引き出したのは
自分を信じて会見の場を持たしている部下たちのためであり、
自分の言葉を信じてくれた地元記者クラブへの思いでもありますもんね。
前編は、あの膨大な情報量の原作を実に上手くまとめて、
後編につなげる下地を作れていたと思います。
後編では原作とは違った結末が待っているそうです。
あそこが変わるのかな、それともあっちかな・・・といろいろ考えるのですが
それも含めて1ヶ月後の後編の公開を楽しみに待ちたいと思います。



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