岩井監督舞台挨拶in京都

岩井俊二監督の舞台挨拶行ってきました。
関西では舞台挨拶の機会って東京に比べたらずっと少なくて
あってもたいていは大阪だったりするので、
京都でやってくれると聞いてうれしくなって
張り切ってチケットとりました。
チケット発売日が東京3カ所と関西3カ所同時発売で
東京ではキャストが登壇するということで
発売開始とともにいつものように申し込みページに繋がらない状況に・・・。
かなり焦ったのですが、無事チケットゲットできました。
発券してみると前から4列目の席で、
もしかして今年の運使い果たしたんちゃうやろか・・・とちょっと不安になってしまった・・・。
今回の場合、至近距離で見たい、少しでも側で見たい・・・
というのではなくて、直接監督のお話を聞けることがありがたいので
別に席はそんなに前じゃなくてもよかったんだけど・・・。
というか、4列目でかなり端の席だったので
映画が見にくいんじゃないかと気になったんですけど、
そんなこともなく、近くでお話も聞けてとても貴重な時間を過ごさせていただきました。
監督のお話を聞いてテンション上がって、
映画がっつり3時間見たら、
映画の世界観に心が持って行かれて、
あんなにテンションがあがっていた舞台挨拶の印象がぶっ飛んじゃったんですけど、
せっかく長年あこがれてきた監督に生でお話が聴けたのですから
覚えている分だけでも書き残して置こうと思います。

場内に入ったら、思いの外小さい箱でちょっとびっくり。
ぎっちり満杯だったんだからもっと大きい部屋を用意してくれたらよかったのに!
でもその分舞台も小さくて、より近くで話が聞けたと言う感じ。
KBS京都のカメラが入っていたので、KBSでやるのかな?
会場は女性の方が多いけれど男性もちゃんといて、
30代40代が中心・・・もうちょっと上の世代の人もいたかな。
全体的に落ち着いた雰囲気。
キャストが登壇しないから、監督自身のファンが集まったという感じ。
綾野君が出演する作品では綾野君のファンがもっと目立つ感じなんだけど
今回はそういう感じが薄かったなあ。
途中の質問タイムでも綾野君に関する質問、一つもでなかったもの。
最初にプロデューサーの宮川さんが登場。
ちらっと前説みたいなことをされていました。
今回は写真を撮ってもいいですよ、映画がおもしろかったらSNSで拡散してください、
ということだったので、ばっちり写真を撮らせてもらいました。
SNSでなくて、こんな辺鄙なブログですががんばって拡散しますね。
こんな感じ。

Img_0317

以前upした綾野君の舞台挨拶に行った時の写真よりずっと近いでしょう?
ズームにするとこんな感じ

Img_0319

表情までしっかり肉眼で見えました。

宮川さんもTwitterで感じていた印象よりずっとマイルドな話し方をされる方でしたが、
監督もTV等で今まで見てきたイメージそのままに優しい雰囲気で。
最初にご自身の京都とのつながりをいろいろ話して下さいました。
なんでも監督のお母さんが一時期京都に住んでいらしたそうです。
それからずっと昔に東京少年のMVを京都の鴨川沿いで撮った、とか、
伏見稲荷に撮影に来たときに一周回ってみようと思ったそううなのですが
途中で挫折してそのままだとか
一生懸命記憶を辿って京都とご自身の関わりを話して下さいました。
それからロックウェルアイズというご自身の製作会社の名前の意味の説明。
横文字でかっこよさげだけど、実はロックは岩、ウェルは井で
岩井の目という意味だといったような説明があったり。
上映前だったのであまり内容に踏み込めないので、早々に質問タイム。
会場に「質問ありませんか」と投げかけられて一瞬会場がシーン・・・。
あちゃあ・・・と内心あせるんだけど、いい感じの質問が思い浮かばず・・・。
こういう時たぶん大阪だったらすかさず手が上がるんだろうけどなあ・・・
京都はシャイだからなあ・・・
と思っていると、男性が一人果敢に挙手。
「この間しゃべくり7に出ていらっしゃるのを拝見して楽しかったのですが、今後バラエティに出られる予定は?」
ってな感じの質問に、監督は
「おもしろかったですか?」
と聞いて、自分はカメラの後ろにいる仕事なので
カメラの前に立つのは落ち着かない
というようなことを答えていらっしゃいました。
わたしは残念ながら「しゃべくり・・・」は見逃したのですが
NHKのMOVIEラボなんかを見ていると
しゃべりも巧いなあ、なんでもできるんだなあ・・・って思っていたんですが
ご本人は苦手意識があるそうです。
続いて他に挙手がなかったので、同じ男性が二つ目の質問。
この「リップ・・・」の話を思いついたのはいつですか?
という問いに思いついたのは4年前だけど、
話の種みたいなのは常時もっていて、そういう要素も部分的に入っているので
もっと昔から考えていた部分もある・・・
と答えていらっしゃいました。
ということはきっと今も形になっていない種をいっぱい持っていらっしゃるんだろうから、
次の作品、次の次の作品・・・とどんどん作って欲しいなあと思ってしまった。
次は最前列にいらしたこれまた男性の質問。
この方、20年ほど前に岩井監督にインタビューをされたそうで、
20年前と変わったところはありますか?
という質問でした。
20年ほど前ということはスワロウテイルの頃かなあ。
監督はそのその質問に、今よりもうちょっとだけやんちゃだった気がします
という感じで答えられていました。
次は徐々に手が上がり始めて、私の斜め後ろにいた女性の質問。
「最近気になる役者さんはいますか?」
という質問でした。
岩井監督はちょっと考えて
「あなたはどうですか?」
と質問者に逆質問。
思いがけない切り返しに質問された方が「加瀬亮さんとか二階堂ふみさん」
と答えられると、加瀬さんの思い出話を披露して下さいました。
なんでも加瀬さんが外国映画に出演されているときに撮影現場を訪ねていったところ
急に「助監督役で出てくれ」と言われて出演することに!
加瀬さんが監督役で加瀬さんにこき使われて、
最終的に全部カットになったのだとか・・・。
二階堂さんに関しては、二階堂さんが某CMで鬼太郎のお母さん役になっていることから
鬼太郎のうんちく話に・・・。
なんでも「墓場の鬼太郎」の第一話のエピソードに
お母さんが死んでいることが描かれているそうで、
そこから鬼太郎のおやじがなぜ目玉だけなのかという話。
鬼太郎話する岩井監督、楽しそうでした。
鬼太郎話ですっかり時間がなくなってしまい、最後一人の質問。
この最後の質問、どうやっても思い出せないorz
「リリィシュシュのすべて」から大ファンで・・・という枕までは思い出せるのに・・・残念。
こんな感じで、ゆるゆると、でも暖かい感じで舞台挨拶は終わりました。
あ、そうだ、最初のあたりで黒木華ちゃんと出会ったきっかけについても話されていたっけ・・・。
直前にネットで公開されたインタビューを読んでいたり、
映画を見終わってからパンフレットを読んだりしたので、
だんだんどの情報がどこで入ってきたのかがわかんなくなってきた。

とまあ、舞台挨拶はこんな感じでした。
映画そのものの感想はもう少し後から・・・。
いろんなことをもう少し考えてみようと思います。
ただ言えるのは、3時間という長さを本当に感じさせないし、
今、日本で作られるべき作品だった、ということです。
その意味の内実をもう少し自分の中で整理したい。
あ、話自体は難解ではないです。
でもそこに秘められた思いをゆがめずに受け取るのは
結構難しい作品だな・・・という感じがします。


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いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう

最終回を見て、これは傑作だと思うドラマと、
それまでそれなりに楽しく見ていたのに、
最終回を見てがっかりするドラマと・・・。
このクールは前者が「わたしを離さないで」で
後者が「いつか・・・」でした。
坂元さんならではの繊細な会話と、
エピソードのすくい上げ方の巧さに、
毎回じっと食い入るように画面を見ていました。
練君が急変したときはびっくりしたけれど、
そんでもって思った以上に簡単に元に戻ったのも意外だったけど、
それはそれで、ああ、これは初回の逆をやっているんだなと思ったんですよね。
連君が初回で粘って粘って、音ちゃんを北海道から連れ出したように、
今度は音ちゃんが連君を会津の辛い思い出から切り離したんだなあと。
前半、音ちゃんに惹かれながらも、
自分を失えばどうなってしまうのかわからない危うい木穂子のために
自分の思いを押し込めようとした練と
後半の自分が必要だという朝陽を思い、練をあきらめようとする音と
これもきれいに逆転して、
だから、中盤以降は立場を逆転させてもう一度同じモチーフを繰り返しているんだ、
で、これをどこに納めるつもりなんだろう・・・とわくわくして見ていました。
最終回手前の回の最後の最後で、
音ちゃんが階段から転落したところで、ちょっと、ん? と思いました。
でもまあ、坂元さんなんだもん、きっと思いも寄らないところに
落としどころをもってくるんだろうなあと思っていました。
でも始まって3分の1経つか経たないかであっさり退院。
え? 音ちゃんの転落事故ってなんの意味があったの?
前回からの引きだけ?
まあ。朝陽くんが音ちゃんのお母さんの手紙を読むきっかけにはなったけど
それだけのために生死の境をさ迷わせたの?
そこにもっとドラマはないの?
とはいえ、最終回だって、音ちゃんの引っ越しと
練くんの仕事シーンがカットバックで描かれ、
練くんの仕事が引っ越し屋さんっていう設定が生きているなあと思ったし、
練くんが音ちゃんの部屋の前で音ちゃんに電話をするシーンでは
東京が雨で、北海道が雪で、
二人は確かに繋がった空の下にいるんだけれど
雨が雪になるくらい隔たっている場所でもあるんだなあとしみじみ思ったし、
初回と同じファミレスで交わされる二人の会話はとても繊細で、
音ちゃんの建前が崩れて大阪弁で本音で語り始める瞬間がとてもよかったし
やっぱりいろいろ細部まで計算されたドラマなんだなあと思ったんだけど、
だからこそ余計に、時々現れた大げさな展開
練の豹変とか音の転落とか、
もっと言えば周到に用意された脇の人物たちの設定とかが
このドラマのテイストにあっていなかったんじゃないのかなあと思ったのです。
どこかちぐはぐな感じがして。
あの人物配置だったらもっとどろどろの青春群像劇になるんだと思うんですよね。
木穂子が練をあきらめるために大きなドラマがあったはず。
でも、みんなが集まった場で小夏がみんなの本心を暴露するという
なんともひりひりする場面があったとはいえ
そこを踏まえて展開されるはずだった木穂子の苦悩や葛藤は
震災であっさりとすっ飛ばされてしまった。
次に木穂子が登場した時には新しい恋人がいて
すっかり心も安定して自立できている人になってた。
同じように朝陽と音ももっとどろどろした展開にできたはずだった。
というか、どろどろした展開用の設定だよね・・・本来。
朝陽くんのお父さんももっともめさせるかと思ったら
意外とすんなり認めてくれるし、
お父さんとの命令で疲弊した朝陽くんももっとごねるかと思ったのに
音ちゃんのお母さんの手紙を読んだだけであきらめちゃうし。
別にどろどろの展開にして欲しかったというわけじゃありません。
でも、人物配置や設定にそういう要素をちりばめておいて、
ことごとくそこで起こりそうな葛藤を避けて行かれると
なんとなくフラストレーションがたまるというか、
ある意味、カタルシスの全くないドラマで。
でも、繊細な会話や印象的なシーンはいくつもあって
そういういかにも坂元さんっていう物語のトーンはすごく好きだったので
だったらなんでわざわざ人物配置をべたべたの手垢が付いたようなものにしたのよ
という思いが残ってしまうドラマでした。
まあ、もしこうしたわき役の人物設定を無くしてしまうと、
単館系の地味な邦画ちっくになるかもしれないんだけど、
そういうの月9でやったら画期的だったかも・・・とも思うんですよね。



ありがちな恋愛ドラマの人物配置の中で、
一番得体のしれない存在だったのが晴太でした。
前半は存在感がちょっと「最高の離婚」の諒さんに似てるなあと思った。
ふわふわしてつかみ所がない、ちょっとした毒と、
どこか寂しげな部分があって・・・。
この人がどこに行こうとしているのか全然読めなくて、
どんな人なのかもさっぱりわからなくて・・・。
でも、それも後半ぐっと萎んでしまった。
おもしろい人物だっただけに、ちょっと残念。
坂口くんはすごく巧く飄々とした感じをだしていたと思います。
できれば、晴太にもうちょっと見せ場があればよかった。
少なくとも練にどういう感情を抱いているのか
二人の関係をもっと突っ込んで見せて欲しかった。
木穂子や朝陽の表現があれくらいにとどまったので、
もっと脇にいる晴太を・・・というのは難しいのだろうけど・・・

「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」
この長い(長すぎる!)タイトルが表している
人を好きになるときの繊細な心の動きはきちんと伝わって来るドラマだったと思います。
燃え上がるような恋愛というのではなくて、
側に居ると心が共鳴して震えるようなそんな思い。
そういう思いをきちんと恋愛ドラマとして描かれていたからこそ、
いわゆる恋愛モノが苦手な私が最後まで見ることができたんだと思います。
最後の終わり方もよかった。
お互いの思いを確認しあって、また会いに来ると約束して、
きっと練くんなら会いに来るよね、と思えるラスト。
でも、音ちゃんは北海道にいると言っているし、
練くんも東京から北海道に移り住む気はないみたい(今の所)
タイトルが物語全体に響いているのだとすれば、
もしかしたらこの二人は何年後かには別れているのかもしれない。
(なんとなく別れてそうなタイトルですもんね)
でも、案外続いて居るかもしれない。
今はハッピーエンドっぽいニュアンスを醸しながらも
その先は分からない・・・という曖昧さは、
現実の厳しさをずっと描いてきたこのドラマにふさわしいエンドだったんじゃないかな。

とまあ、考えれば考えるほど、
好きという部分が残念という思いに塗りつぶされたドラマでした。


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わたしを離さないで

今期で一番好きなドラマでした。
好きな・・・というとちょっと違うな。
気になるドラマでした。
好きというには重すぎて・・・。
でも、毎週金曜日が待ち遠しくて、待ち遠しくて。
前半はジブリ攻撃をまともにくらって
わたしもジブリに流れたのですが、
後半は必死でリアルタイムで見ていました。
他に見ているドラマが全然視聴が追いついていなくて
まだHDに8回くらいから残っているのに・・・。
見終わるといつも気分が重くて、
だけど、だからこそ、いつまでも心に余韻が残る。
非常に重いテーマの話で、
よくぞこの作品の企画が通ったな・・・という感じ。
軽くて明るくて見やすい今はやりのドラマの真逆をいってましたもんね。
たぶん、企画を通すためにヒットメーカーの森下さんに脚本を依頼し
綾瀬さんや三浦春馬くんという華のある達豪華キャストが起用されたんだろうな。
本来この話はもっと普通っぽい空気感を持つ役者さんがやるほうが
作品の雰囲気にあっていた気もします。
とはいえ、キャスティングされた役者さん達の繊細な演技がすばらしかった。
何にしろこの作品を勇気を持って企画して、
ぶれずに描ききったっていうのは
今のTBSの勢いというか底力だという気がします。


移植手術を安定的に実施するために
クローンをつくることが合法化されている世界。
SFらしい虚構の世界を描きながら、
その虚構の世界に色濃く現実を投影させ、
現代の社会が抱えている問題をあぶり出していく。
最終回まで見て、結局主人公達が抱えている問題は、
私たちが抱えている問題そのものなのだと思いました。
恭子がナレーションでつぶやいていたように、
終わりが告げられているかどうかの違いだけ。
自分たちが生まれてきた意味を探し求めるのも、
夢やエゴをどう現実と折り合いをつけるかというのも
私たちが思うものと何ら変わらない。
ただ彼らには私たちのような時間的な余裕がないから、
私たちが数十年かけて考え答えを追い求める問題を
より濃密に背負ってしまっている。
彼らには私たちよりずっと明確にその命に意味があるから
そのために彼らには生き方を選ぶ余地がない。
まるで家畜のように健康な臓器を培養するためだけに生かされている命。
こんな運命を背負っているのなら
どうしてこの子達に教育なんて施すのだろうと思っていました。
どうして感性を磨いて感覚を研ぎ澄ますようなことを
わざわざするのかと思っていました。
それは彼等の苦しみを増すだけじゃないのかと。
でも、そうじゃない。
限られた命を生きる彼らだからこそ、
過酷な運命を背おわさせているからこそ、
せめて人らしい教育が必要だったんですね。
美和とトモと恭子が大人になってから3人で陽光を訪れたとき、
それがようやくわかりました。
陽光はすでになくなっていて、
違う管理者によって運営されていたそこは、
恭子たちが生まれ育った陽光とは全く別の施設になっていました。
教育もされず、十分な世話もされず、ただただ生かされているだけの子供達。
何話目かわすれましたが、他所の施設で育った提供者は字を読めない者もいる
ということを説明している回がありました。
その子たちはこういう施設で育ったのかもしれません。
ただただ臓器提供のために生かされ、そして殺される命。
そこには人間の尊厳なんてみじんもない。
どうせ殺されるのだから、人間らしい心なんてない方がいい。
私もこの回を見るまではそう思っていました。
でも、たとえ限られた命であろうとも
人として生まれた以上、人らしく生かしてあげたい。
自身もまたクローンとして生まれながら、
提供という運命からは免れて生きている恵美子先生が
苦悩の果てにたどり着いたのがそこだったのでしょう。
けれども、だからといってクローンの子供達が
生まれながらに提供の義務を負っているという社会は変えられない。
だから、子供達に人間らしい教育は与えるけれども、
決して夢を抱かせず、従順な人間になるよう、
洗脳まがいの教育をすることもまた、
苦悩の末に生まれた結論だったのでしょう。
事実、感傷的な正義感に突き動かされた龍子先生の言動は
(子供達に外の世界の存在を教えたり夢をみさせたり)
ある意味不必要に子供達を惑わし、混乱させただけでした。
確かに無責任に子供達に同情しても、
本当の意味で子供達を救うことにはならない。
恵美子先生が選んだ方法は、あの状況下でできるぎりぎりの選択だったのだろうと思います。
けれども、どんなに環境を改善しても
クローンの子供達を提供の運命から解放することはできない。
なぜなら、彼らはそのためだけに生み出された命だから。
人は一度手に入れた利便性をそう易々とは手放すことはできないのだから。
そうして彼らは人から命を搾取し続けられる。
強者(人間)は弱者(クローンから奪い続け、踏みつけ続け、
そのことにすら気づかぬまま、もしくは気づいても見て見ぬふりをして生きていく。
まさに現実社会の縮図。
この物語は、SFの設定を用いて根深くはびこるこの問題に焦点をあてながら、
最終的にはここには深くつっこまずに、
「生きている意味とはなんぞや」
という至極個人的な問いに収束していきました。
Twitterでの感想を読んでいるとそのことに不満を感じている人もいたようですが
私はこれはこれでよかったと思いました。
社会の構造という大きな問題に対して簡単に物語の中で結論を出しても
説得力なんてないと思うから。
その部分は、搾取に苦しむ登場人物の姿を描くことで受け手に思索を促して、
あくまでも物語として提示できる部分でまとめるのは
フィクションとして妥当だと思います。
このドラマはその辺の塩梅もとても巧かったなと思います。

美和は最初とても嫌いな人物でした。
人を傷つけて満足するタイプの人物だと思っていました。
やることなすこと、全てが腹が立って、
恭子はどうしてこんな子の言いなりになっちゃうの!
って毎回憤っていました。
序盤から中盤にかけては、
彼らの抱えている運命が徐々に明らかになっていく部分でもありましたから
ただでさえ辛い物語なのに、
なんでこんなややこしい子までいるの!
と心の中で変な風に八つ当たりまでする始末・・・。
でも最期に素直になった美和はかわいくて、切なくて・・・
こんな風にしか愛情を示せない不器用さにほろりときました。
美和が最後の手術に向かうとき恭子に
「わたしを離さないで」
と叫んだ表情がとても印象的でした。
まさか美和がタイトルを台詞で言うとは思っていなかったし。
そんなにも自分を求めてくれる美和に恭子がかけてあげられる言葉は
昔、陽光で恵美子先生が話した
「あなた達は崇高な使命を背負った天使」
という言葉。
理不尽に命を奪い取られる恐怖におびえる美和に
人としての尊厳を持って死に挑めるよう促すには
もうこの言葉しかないのだなあ。
最初、恵美子先生の演説でこの言葉を聞いたときは
なんて偽善的な言葉なんだ! とムカムカしたのですが、
使命を背負った子供達に与え得る言葉として
これ以外の言葉が思い浮かばない。
恵美子先生も悩んで悩んでたどり着いたのがこの言葉だったんだろうなあ。
偽善的であろうが何であろうが、
それが死に向かう際の一本の道しるべになれば・・・
ということだったのかなあ。
そう思ってこの言葉を生徒達に話していた恵美子先生を思い浮かべると
なるほど、ある種の覚悟を決めて子供達に対峙していたように思います。
内心では悩みながら迷いながら、
子供達の道しるべたらんとした恵美子先生の苦悩の深さは
この物語の底辺をしっかり支えていたのだと思います。

龍子先生は、逆に子供達(特にトモ)を惑わし続けました。
わかりやすい正義感や同情で彼女が子供達に投げかけた言葉は、
無駄に期待させ余計に傷つけただけでした。
そして、本来ならもっと(少なくてもあと数年は)生きられたはずの命を
不用意に散らせてしまうことにもなりました。
彼女自身がそのことに誰よりも傷つき、なんとかしようとあがいて
また、同じことを繰り返す。
トモは龍子先生に3度裏切られています。
この世界はもっと広いのよという言葉に促され
未知の広い世界を夢見て行動した結果、
友人を二人死に追いやりました。
絵だけが人の価値じゃないのよ、という言葉に希望を持った彼は
サッカーに打ち込んで、
施設を出たらプロのサッカー選手になることを夢見ました。
けれども、それは施設を出る間際に、
龍子先生自身によって打ち砕かれました。
「あなたは提供者にしかなれない」と。
他の何者かになれるかもしれないという希望を一旦持った者には
他人に命を提供するしか生きる道はない運命が
より過酷に感じられたに違いありません。
自分の運命を受け入れあぐねている彼に、
龍子先生は3度目の夢を与えます。
陽光はあなた方が思うよりもずっと深くあなた方を救おうとしているから
絵を続けなさい。
絵を持って、もう一度陽光を訪ねなさい、と。
確かにこの抽象的な言葉を、陽光が持つ特権(猶予)のことだと受け取ったのは
トモの勝手な思いこみ。
陽光の謎も解けて、恵美子先生がもくろんでいたことが分かった今、
龍子先生の言葉は猶予の説明をしているんじゃないことは分かる。
でも、夢に飢えていたトモには、
この言葉によってより真実味を増した「猶予」に急速に傾いていく。
いくら可能性が低くても、一心に夢を信じて努力を続けられるのは
トモの持つ大きな美徳だと思う。
いくら夢を可能性の一つとして聞かされても
多くの人はその実現の困難さに立ち尽くしてしまうものだから。
もし、トモが提供者ではなく普通の人として生まれていたら
何らかの形で大成し得る人だったんだろうなあ。
でも、悲しいかなトモの希望はいつも打ち砕かれる。
トモの深い悲しみは、ついには恭子さえも拒んでしまい・・・。
最期の最期にトモがたった一つ手に入れた夢、
恭子の存在に気がついてくれて、よかった・・・。
それだけで、トモの人生が少しは意味があったと思えたから。
トモの人生は夢を奪われ続けて、身体を奪われ続けただけの人生じゃない。
恭子という女性と出会って、彼女と愛し合った人生だったんだと思えたから。

恭子がなぜなかなか提供者になる通知がこないのかについては
最終回でも明らかにされませんでしたね。
恭子が何らかの要因で猶予されているとは思えないので
たまたま時間がかかっているだけで、
いずれは通知がくるのだと思います。
けれども、愛する人を失い、共に育った友を失い、
大切な人がどんどん先に死んでいく中で、
恭子の孤独はいかほどだろう・・・。
のぞみが崎で自殺を図ろうとした恭子。
昔、真美に提供者の人権運動に誘われ
「どうせ提供が始まったら死ぬんだから、今つかまって解体されても
そんなに変わらないでしょ」
と言われたときも、
「それでも少しでも長く生きたいから」
と答えて運動に参加するのを断った恭子。
でも、年月を経て、真美も、美和もトモも、
親しい人がみんな死んでしまった今、
彼女は自分から命を終わらせることを望んだ。
けれども、そんな恭子の足下にはトモのサッカーボールが流れ着いた。
ここはのぞみが崎だから。
無くしたものが流れ着く場所だから。
トモのサッカーボールは、トモが死んだとき、
恭子が川に流したもの。
それが巡り巡って、今、恭子の足元に流れ着いた。
波によって生きているかのように恭子にまとわりつくボール。
まるで、トモが久し振りに会えた恭子に喜んでいるかのよう。
恭子はそのボールを抱きしめて、
生きることを決意する。
いずれ訪れる終わりの日まで。
恭子はついさっき再会した恵美子先生の家を訪ねたかなあ。
訪ねていてほしいなあ。
今の恭子の苦しみを共有できるのは恵美子先生だけだと思うから。
恵美子先生もまた、多くの教え子達を失い、
今、生活に介助を必要としながら毎日を生きている人だから。
クローンでありながら提供をすることなく生き延びた自分。
せめて自分にできることをと始めた陽光学苑は正しかったのか、間違っていたのか・・・。
恵美子先生の中で答えが出ていないのだと思います。
ああいう方法しかとれなかったという言い訳はできても。
でも、おそらく恭子の存在は恵美子先生の希望なんだろうなと思うんです。
そして取り残された人生の意味を問い生き続けている先輩でもある。

恭子のモノローグで語られた
「私たちは空の宝箱を抱えて生まれてきて
そこに日々を詰め込みながら歩いていくのだ。終わりまで。明日を」
がすごくよかった。
余韻のある終わり方で。

私は原作は未読なのですが、
原作ファンの方もこのドラマを好意的に受け入れていらっしゃる人が多いようですね。
原作を読んでみたくなりました。
原作を読んでどの部分がドラマのオリジナルなのか確認したい。
森下さんの脚本、ことにしっかりとした原作がある脚本は
とても見事に原作の持つ核をドラマに移植されていてハズレなしという感じ。
人間のエゴも醜さも逃げずに向き合って、
よくも悪くも人間をまるごと捕らえようとする姿勢が好きです。
いつまでも記憶に残るドラマだったなあと思います。


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