2014年のおしまいに・・・

いよいよ大晦日です。
ようやく大掃除も目処がついて、あと一歩になりました。
今年はちゃんと26日から年末休みがあったのに、
なんでこんなに時間がないんだろう・・・( ̄ー ̄;

今年は仕事が変わって新しい環境に馴染むのが精一杯の1年でした。
仕事自体はなんとか慣れてきたのですが、
未だに平日は全部仕事・・・という生活になれなくて・・・。
たぶん今までの仕事の方が内容的にはきつかったんだけど、
なにせパートなので、
頑張って仕事早く終わらせたら早めに帰れたり、
シフト制だったので平日に休みがあったりしていたんですよね。
それがなくなったのがこんなに気分的にしんどいとは・・・。
仕事が少ない時期は、ヘタしたら小学生の次男が帰ってくるより早く帰れていたりしたので
子供がいない時間にTVを独り占めできたり、
平日にこっそり映画に行ったり・・・ができなくなっちゃった。
もちろんその分祭日や休日にも平気で仕事が入ったりしていたから
(大晦日まで仕事があったりしたし、お正月も2日から出てたし)
やっていたときはしんどいなあ・・・って思っていたけど、
平日、家族のいない時間が自分の時間になっていたんだなあ。
今は祭日はちゃんと休みだし、土日も休みだけど
常に家族も家に居るので自分だけの時間が取りにくい。
ちいさな家なので当然私の部屋なんてないわけで、
一人の時間が欲しい・・・と久々に思いました。
子供がちっちゃい時以来ですね。
この新しい生活になかなか慣れなくて
なんとか自分の時間を・・・と模索し続けた1年だった気がします。
とにかくブログを書く時間が確保しにくくなりました。
平日にもう少し書ければいいんだけど、
朝も早くなったのでどうしても夜更かしができないんですよね。
おかげで、書きたいと思っていたのに
書けてないことがいっぱい。
「太陽2068」の感想も途中で止まっているし、
秋ドラマの感想もまだ書いてないなあ・・・。
お正月休みに書けるかなあ・・・。


そんなこんなで、こんなあんまり更新しないブログに
今年もおつきあいくださいましてありがとうございます。
綾野くんのファンになって3年目
玉山くんは7年目だったのかな? になります。
玉山君に関しては、何と言っても朝ドラの主役というのが
最大の出来事でした。
玉山君は仕事をそんなに詰め込まない役者さんなので、
一つの作品が終わると、今何やってるんだかわからない・・・
という時間がとにかく長い。
頼りにしていた情報サイトさんも閉じてしまったので
尚更情報がわからなくて・・・。
そんな玉山君が毎日ドラマで見られる。
しかも今年は紅白にまで登場する!
っていうのは、数年前では考えられなかったことだなあ。
NHK大阪まで撮影を見に行ったのもいい思い出。
生で姿を見たのって、城陽でトークショーを見て以来。
そう言えばファンミーティングも応募したんだけどはずれちゃった(T_T)
競争率高そうだもんなあ・・・。
こういう運のなさは相変わらずです。
というかもっとたくさんハガキ送ったりしする熱意が足りないんですよね・・・。
でも、無理をしない、出来る範囲で・・・
というのが基本方針なので(でないと続かないんですよね)ま、こんなもんです。
年末の「マッサン」北海道編のメイキングはかわいかったです。
八嶋さんを連続で写真撮りまくっていたり・・・( ´艸`)
いたずらした後の嬉しそうにくしゃっと笑う笑い方好きだなあ。
撮影は本当に大変そうですが、あと数ヶ月がんばれ~。
「マッサン」での演技は本当に全力投球で、
泣いたり笑ったり怒ったりと、喜怒哀楽がいっぱいあって
見ていて本当に楽しい役です。
北海道編になっちゃうと堤さんがいなくなっちゃうんですねえ。
それは寂しいですが、今度は風間杜夫さんが参戦するみたいだし、
先輩方の胸を借りながら頑張って完走して欲しいです。
放送もあと半分。来年も楽しみに見ます。


で、綾野君です。
ファンになった年は、私自身が綾野君に対して何もかも新鮮に感じたこともありますが
綾野君自身も一気に表舞台に出て来た時で、
いろんなバラエティ番組に出たりトーク番組に出る時も
常に「初めての」という言葉がついていた感じで、
ご本人も緊張を隠せてなくていろいろ初々しかった。
話題になって表舞台に出てきたとは言っても、
ドラマや映画ではまだまだ小さな役でした。
2年目は2番手か3番手といったポジションの役が多くて、
映画でもドラマでも宣伝で真ん中近くにいることが多くなって。
そして今年は、映画、舞台、ドラマ、それぞれのジャンルで主役を張るまでになった。
この見事な上昇曲線は、本当にすごいなあと思います。
正直、2年前は今の人気がどこかで失速するだろうと思っていたんですよね。
一気に注目度が上がると、その分反発もくるだろうなと思って、
その時が来るのを、どこか冷や冷やしながら覚悟してた気がする。
でも、失速しなかったですねえ。
失速どころか、駆け上ったその勢いのままの上昇曲線を維持して
今年は高い所で安定し始めている。
今年綾野君が出演したドラマは「S」も「ウシジマくん」も「すべてがFになる」も
たぶん綾野君が出ていなかったら見ないタイプのドラマでした。
まあ「ウシジマくん」はドラマも映画も、
山田くんに対する友情出演だったんだなあ・・・という感じでしたが、
「S」と「すべてが・・・」は役も大きかったし一生懸命見ました。
綾野君のファンをしていて感じるのは、
自分がどれだけ無意識にいろんな固定観念を持っているのかと言うことなんですよね。
「すべてが・・・」も最初にこの作品でW主演って聞いた時に、
あちゃあ・・・って正直思いました。
その、あちゃあの内実は、
民放のゴールデンタイムの連続ドラマで主役を張るということに対する一般的な価値観。
それから企画そのものの魅力のなさ。
完全に「ガリレオ」等の過去の成功作の二番煎じだと思ったんですよね。
(ごめんなさい。最初はそう感じたんです。今は思ってません(;^_^A)
でも、放送を見ていて、そういう思いは徐々に消えていきました。
綾野くんの活動を追っかけることで、
自分が無意識のうちに持ってしまっている先入観や固定観念を
もう一度一から考え直させてくれる機会を与えてもらっている気がします。
そうして見えてくる世界はとても面白い。
新しい見方を教えてもらっている感じ。
たぶん、それがなかったらいろいろ煮詰まってくると思うんですよね。
ファンで居ることそのものに。
でもそうならないで、ずっと新鮮な気持ちで応援し続けられるのは
綾野君自身が常に先入観やつまんない固定観念を持たずに
その作品に自分の意味を見い出して行っているからだと思う。
評価された、されない、だけで全ての価値が決まってしまったら
こんなつまんないことはないですよね。
今年は、綾野君が参加した作品は評価されたもの、されなかったものの落差が大きかった。
「そこのみにて光輝く」は小規模作品にも関わらず国内外で評価されてとても嬉しかった。
この作品は公開は今年だったけれど撮影は去年、
「空飛ぶ広報室」のすぐ後の作品。
今思い返してみると去年前半って殺人的なスケジュールの中だったけど
その殺人的なスケジュールの中で生み出された作品はどれも代表作と言えるほどの作品ばかりで
あの時期感じていた追い詰められた時間の中でこそ研ぎ澄まされた感覚っていうのが
やっぱりあったんじゃないかって気がする。
綾野君自身もそういう感覚を感じていたからこそ、
あの時期追い立てられるように仕事していたのかなあって気がするんですよねえ。
何にしろ、この作品が世間に認められてよかった。
注目されなければ、本当に埋もれてしまいかねない小さな作品でしたから。
「太陽2068」は本当に見に行きたかった。
あの舞台を生で体験したかった。
とはいえ、テレビで見ることが出来ただけでも幸せですよね。
蜷川さんの演出と言うことで、どうなるんだろうと思ったのですが、
内容的にも評価もとてもいい結果が出てよかった。
この作品、いろいろ考えさせられてすごい好きな作品なので
感想書きたいんだけど、冬休み中に書けるかな?
それから「ルパン」もありましたね。
あ、あと、「ロング・グッドバイ」も面白かった。
情報が解禁されていないけれど撮影していた作品もあるようですし、
今年も本当に密度の高い1年だったなあと、
今振り返って改めて思いました。
まだまだ走り続けているんですね。
来年は主演映画「新宿スワン」がありますし、「S」の映画もありますね。
それからそれから「ピースオブケイク」も。
ドラマもまたやってくれるといいなあ。
今度はどんな作品にチャレンジしようと思うのかな。
もちろんオファーありきなのでしょうが。
来年もどんな新しい世界を見せてもらえるのか、楽しみにしています。


さてさて、最後になりましたが、
このブログを読んでいただいた皆様、ありがとうございました。
毎回書いていますが、こんな文字ばっかりのブログ、
目新しい情報が書かれているわけではなく、
的確な映画評、ドラマ評が書いてあるわけでもなく、
ただただ思いついたことをだらだらと書いているだけのブログを
読んでくださる方がいらっしゃるというだけでありがたいと思っています。
コメントを下さる方や拍手ボタンをポチッと押してくださる方
本当にありがとうございます。
励みになります。
基本は自分自身の備忘録として書いているブログです。
でも、感想を書くと意識することで、より作品に真剣に向かいあう気持ちが出来たり、
書くことでそれまで見えていなかった作品の仕掛けに気付くことができたりするので、
ここまで続けて来ました。
でもやっぱり書くと言うことはエネルギーがいりますし、
私は決して文章を書くのもパソコンの文字入力も早いほうではないので
周期的にくじけそうになるのですが、
それでも続けて来られたのは拍手してくださったり、コメントを下さったりするおかげです。
来年でこのブログを始めて10年になります。
途中中断もあったし、当時やっていたブログサイトが閉鎖になってこのeoブログに移動したので、
eoブログとしてはたぶん7年だか8年だと思うんですけど。
これからもぼちぼち自分のペースで続けて行きたいなあって思っています。
来年もよろしくお願いします。


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すべてがFになる~有限と微少のパン

年末ですね・・・。
年賀状に大掃除に買い出しに・・・、
去年よりちゃんと年末の休みがあるのに、
時間が足りないのはなんでなんだろ・・・(-。-;)

というわけで、「すべてがFになる」の最終回が終わってもう1週間になるのに、
なかなか感想が書けません・・・(´・ω・`)
これでも、合間合間の時間でちまちま書いているのですが、
書いては消し、書いては消し・・・時々間違って消しちゃいけない部分消しちゃったりして
ちっとも完成しない(T_T)
考えれば考えるほど迷宮に入っちゃう部分もあって、
いろいろ解釈がぶれているからなんだけど・・・。
それでも、とりあえずこれだけは書いておきたい!
最終回、よかった!
ここまで見てきてよかったと素直に思えます。
人気が出た作品の2番煎じなんかじゃない、
この作品独特のカラーがちゃんとできあがった最終回だと思いました。
この部分だけは絶対にぶれない思い。
以降、まとまらないまま、思いついたことをつらつらと・・・。

「有限と微少のパン」は文庫本で800ページ以上もある上に、
いろいろと映像化しにくそうな部分もあったのでどう処理するんだろうと思っていたんですが、
もう感動するほど上手にはしょってましたね(;^_^A
登場人物もかなり省略していたし、
事件の経緯も必要最小限に絞られていました。
原作を知っていると、
原作では半日かけてゆっくりと登山する山を
ケーブルカーで一気に登っちゃう感じ。
これ、原作を知らない人はどれくらいついていけているんだろう・・・。
でも案外そう感じるのは原作を知っているからで、
知らなかったらこういうもんだってすんなり見られるものなんだろうか・・・。
確かに私も原作未読の回もそれなりに楽しんでいたもんな。
放送直後にツイッターで目についた感想「わけわかんない」っていうのは
展開が早すぎてついていけないのか、
それともラストで延々と続いた犀川先生と四季博士の会話が抽象的すぎてついていけないのか・・・。
どっちにしろこのお話はミステリーとして読むには謎ときの謎の部分があまりにもあっけなさ過ぎるので、
事件部分をこれくらい圧縮するのは当然だと思います。
原作でも事件の動機も完全にどうでもいい扱いだったもんなあ・・・。
代わりに萌絵ちゃんの内面や犀川先生と四季の会話を丁寧に描くことが、
この作品の持つ特徴というか本質なんだろうなあと思いました。
原作を読んで、ここじっくりと見たいなあと思っていた
犀川先生と四季博士の散歩がちゃんと映像化されたことがすごく嬉しかった。
美しかったなあ・・・浜辺を歩く犀川先生と四季博士。
原作では夜なんですよね。
しかも犀川先生は変なゴーグルをつけていて、四季以外見えていない状態。
四季が実際にその場に存在しないと言う部分は原作もドラマも一緒ですから、
原作では純粋に二人が意識だけで交流し合っていることがよく分かるんですけど、
やっぱり映像にするときにはそれは表現しにくいですよね。
美しい昼間の浜辺に変えたのは大正解だったなあ・・・。
それまでのシーンは夜だったし、、
萌絵ちゃんを映す場面は夜のまま。
だから犀川先生と四季が居る空間は現実世界ではない(=バーチャル空間)というのもよく分かる。
原作では萌絵ちゃんを含めて三人でいるシーンから
ややこしいバーチャル空間が舞台になるんですけど、
それってとっても映像化しにくいんですよね。
原作ではすべてが真っ暗闇で、ゴーグルを通して見えている空間と現実空間は違っていて、
自分の姿も同行者の姿も見えなくて
ただ見えているのは四季だけ・・・という状況。
その仕組みを説明するだけでかなりのページ数を費やしていましたが、
ドラマでは単純にホログラムとバーチャル空間に改編。
バーチャル空間なら既に6話で登場していますし、
ホログラムなら映像化しやすい(見てすぐにわかる)し、ナイス変更(b^-゜)
そう言えば藤原が殺されたときにつけていた装置もホログラムになっていましたっけ。
これも原作では非常に込み入った装置だったんだけど、
ここも含めてすっきりと分かりやすくなるように上手く整理されたなあ・・・と思いました。
わかりやすく整理されたのは舞台装置や仕掛けだけじゃなく、台詞も上手く変えられていました。
原作であいまいに表現されていたり、抽象的な言い回しになっている部分に
さりげなく分かりやすい解釈を加えていました。
ある意味説明台詞になってしまっているんですけど、
原作読んで、こんな意味かなあ・・・と少しもやもやしていた部分が
端的な言葉で説明されていくことで、
物語の流れを整理して登場人物の意図や感情等が分かりやすくなっていました。
例えば萌絵ちゃんの内面を四季がずばりと指摘する部分。
原作ではもっと曖昧な感じだったのですが、
ドラマでは台詞で上手く整理して表現されていました。
事件の経緯の端折り方も実に的確だったし、
この脚本家さんは本当に原作を読み込んで自分で咀嚼して解釈を交えながら
うまく脚本にされたなあと思います。
砂浜を犀川先生と四季博士が歩く場面も、
原作ではもっと禅問答のようなつかみにくい会話なんだけど、
そこで言わんとしているのはこういうことかなあ・・・というレベルまで落とし込んでありました。
きっとドラマで語られた会話は、原作の一つの解釈でしかなくて
もしかしたらもっと深い意味があるような気もするんだけど、
(四季博士の「私はもう死んでいます」という言葉なんかはもう少しいろいろ解釈できそう)
私にはそこまでは分からないのでドラマの解釈で十分・・・
というか、分かりやすくてとっても好き。
そのくせ原作の匂いみたいなものもちゃんと残っているし。
上手い脚色だなあと思いました。

原作と舞台装置が変わって一番面白いなあと思ったのは、
萌絵ちゃんが教会に取り残されるシーン。
原作では四季以外何も見えない設定なので、
萌絵ちゃんは自分が一人取り残された瞬間を知らないんですよね。
気が付けば側にいたはずの先生の気配がない。
さっきまで握っていた先生の手がどこにもないと気付いて、
萌絵ちゃんは自分一人だけが取り残されたことを知る。
けれどもドラマでは全て「見える」状況で物語が展開しましたから、
萌絵ちゃんは四季についていく犀川先生の姿を見ることができちゃうんですよね。
残酷だなあと思いました。
自分の存在が犀川先生の足かせになっていると四季に指摘されてからのあのシーンですもの。
犀川先生が四季についていくときの魅せられたような表情を萌絵ちゃんは見てしまったんだなあ・・・。
(この部分の犀川先生の表情よかったですねえ(〃∇〃)
熱に浮かされたような潤んだ瞳になって・・・)
犀川先生が四季についていったその時を見てしまった分、
ラストはとても萌絵ちゃんに優しい結末になっていて、それがすごく嬉しかった。
犀川先生がはっきりと萌絵ちゃんを選びましたよね。
原作では、結局、犀川先生自身は何も選ばなかったようなラストでしたから。
最後の抱擁のシーンに雪が降っていてその美しかったこと!
先生が萌絵ちゃんを選んだことで、ラストで四季の部屋を尋ねるくだりが
大きく変更されていました。
瀬戸千衣の謎に気付くのも萌絵ちゃんになっていました。
だから四季が残したメッセージもちゃんと犀川先生と萌絵ちゃん二人へのものになっていて
パンを映した映像の左下に「有限と微少のパン」というタイトルが表れて終わるラストもとても綺麗でした。
映像としても綺麗だったし、すごくこのドラマらしい終わり方(^~^)

ただ、このパンが何を意味するかと考えると、やっぱりわからない。
もちろん、空っぽの部屋に確かに四季博士がいた・・・という証拠ですし、
もともとはゲームの最後の段階で出てくる言葉
「汝、選ばれし者、ここに跪きて、
我らの父より、一片のパンを受けよ」
なのですから、このゲーム(四季博士が仕掛けた一連の実験)の
最後の謎を解いた二人へのご褒美、
もしくはゲーム終了の宣言。
そこにいるあなたたちは一片のパンが必要な有限の存在でしかないのですよ
(私は無限の思考の世界に行きます)
というメッセージかもしれないし、
パンが一口かじられていたことから、
四季博士もまたその有限の存在に過ぎない・・・ということかもしれない。
この部分にはドラマで解釈を加えてくれなかったですね。
でも、そのわからないという余韻が原作の読後感に近い印象を
最後に与えてくれた気がします。

原作との違いで一番気になったのは、握手でした。
原作を読んだ時に、握手がキーになるな、と思ったものですから。
でも、ドラマでは全然触れられませんでしたね。
原作では、四季博士の潜伏場所を見つけ出すのは犀川先生一人。
この物語の大部分を引っ張ってきた萌絵ちゃん
(原作では400ページを越える頃まで、犀川先生の出番がほんの少ししかありません)
でも、最後のクライマックスで四季博士にうちに抱えている歪みを指摘されてからは
物語の展開上でも置いてきぼりをくらってしまいます。
最後の最後、ほんとうに最後の数十ページだけなのですが
完全に犀川先生と四季博士の物語になってしまいます。
そこで、犀川先生と四季博士は架空と現実の二つの場面で対面する。
この物語自身が、四季博士の仕組んだ壮大なゲームで、
偽物の町で繰り広げられた偽物の殺人事件。
それは所詮現実そのものも一つの仮想に過ぎないと考える四季博士の理念によるもの。
その中で四季博士に操られているとも気付かず、
現実の空間に偽物を本物らしく作る事で仮想の空間を実現させることに熱をあげる塙と、
架空の空間(バーチャル世界)に現実を再現しようとする藤原の対立があって、
架空の殺人事件の中で現実に殺人を犯してしまう新庄がいる。
常に架空と現実の対立を意識させる物語構造の中で、
四季博士自身は有限の肉体に縛られる現実よりも
無限の可能性を追求できる思考の世界の側に自分を置いていて、
そこから現実に縛られる人々を見ている。
四季博士にとって肉体を伴う現実は意味がなくて、
だからこそ、犀川先生とも機械を通した架空の世界で会うことを望んだ。
犀川先生と海岸を歩きたいがために、あれだけの装置を開発した
(塙に開発させた)という部分に四季博士のすさまじい執念を感じました(;^_^A
関係ないかもしれませんが、「海岸を歩きたい」という四季博士の言葉で
「すべてがFになる」で儀同さんが「創平くんと海岸を歩きたい」と言い出して
それにヤキモチを焼いた萌絵ちゃんが犀川先生を外に散歩に連れ出したんだけど
海辺には出られず山の中を歩き続けた・・・っていうエピソードを思い出しました。
みんな犀川先生と海辺を歩きたいんですね( ´艸`)
実現できたのは四季博士だけだけど。
閑話休題。
機械を通した架空空間で犀川先生と一緒に海岸を歩き会話して
それで四季博士の希望は叶えられたはずなのに
二人はもう一度現実の場で直接対面する。
ドラマとは違って、原作の犀川先生はもっともっと四季博士と会話して交流したかったのに
夜明けとゴーグルのバッテリー切れという制約のせいで別れざるを得なくなってしまっただけ。
自分で別れを選んだわけじゃない。
だから、お風呂の中で四季博士の居場所に思い至って、
翌朝、寒空の中コートも着ずに新幹線に飛び乗ってしまう。
(ここってきっと冒頭の萌絵ちゃんを助ける為に九州に向かったシーンと対になってますよね、きっと)
こうした犀川先生の行動を四季博士も予期して、そして期待してますよね。
いや、もっと早く犀川先生が来てくれることを期待していた。
もし、犀川先生があと1日早く来ていたらどうなっていたんでしょうね。
展開が変わったのかもしれません。
でも、犀川先生は間に合わなかった。
だから、四季博士は手を差し出します。
お別れに犀川先生と握手をするために。
現実よりも思考を重視して、
思考が存在するならば、場所が仮想空間でも現実に対面していなくてもそれで十分・・・
と考えている博士が、
現実の自分の居場所を探して犀川先生が来てくれることを期待しているのがかわいらしくて
そして面白いなあと思ったんですよね。
握手をするために自分から手を差し出すのも。
いくら思う存分話せても、架空の空間で触れあうことはできないですからね。
架空と現実の対立を意識させ、現実の優位性を否定しておきながら
結局は現実に会うことを望んでいる。
その象徴が「握手」だったのかなあ・・・って思っていたので、
この作品では「握手」が一つのキーになるかなあと思ったのです。
物語の初めの方でも、四季博士が塙社長に夢はなんですかと問われて
「真賀田四季と握手することです」
と答えていますしね。
きっと「現実」の一つの象徴が握手なんではないかと思います。

そういえば「すべてがFになる」でも原作では四季博士と犀川先生が別れるときに
握手をしているんですよね。
始めバーチャル空間で会って、その後現実に会うという流れも一緒ですね。
ただ、「すべてがFになる」では四季が会いに来て、
「有限と微少のパン」では犀川先生が会いに来る。
「すべてがFになる」の副題は「THE PERFECT INSIDER」
「有限と微少のパン」が「THE PERFECT OUTSIDER」
やっぱりこの2作は意識して関連づけられているのかなあ。

で、ドラマに話を戻しますと、
ドラマでは握手云々はまったくありません。
海岸で犀川先生が明確に四季についていくことを拒否します。
自分は現実の世界を選ぶと。
自分では選択しなかった原作と、なによりここが大きく変えられました。
それに伴っての変更なのでしょうが、
犀川先生は四季博士に持っていた黄色いレゴを返そうとします。
けれどもホログラムである四季博士には触れられません。
レゴは虚しく砂の上に落ちていきます。
萌絵ちゃんの元に戻った犀川先生は、萌絵ちゃんにも現実を選ぶ意志をはっきりと伝えます。
嬉しくて思わず萌絵ちゃんが先生に抱きついて、
犀川先生は一拍置いてからそっと萌絵ちゃんを抱きしめるんですよね(〃∇〃)
現実には触れあえない四季と、現実に抱き合える萌絵ちゃん。
思考の世界と現実の世界との見事な対比になっていて、
なるほど、これなら握手いらんわ・・・と思いました。
だから四季のマンションを二人で訪ねるのも、
リアルな世界で四季と再会できないのも、
ドラマの流れならそれで正解。
原作のあいまいな三角関係も面白いなあと思ったんですけど、
やっぱり萌絵ちゃんかわいいし、
犀川先生がはっきりと萌絵ちゃんを選んでくれてよかったなあと思いました。
萌絵ちゃんが死と生を天秤にかけたときに、
犀川先生によって生の方に大きく傾けたように、
犀川先生が純粋に思考のみの世界で生きるよりも
現実の世界の中で生きることを望んだのは萌絵ちゃんの存在があるからですよね。
原作だとタバコの方が犀川先生を現実世界につなぎ止める力が強い気がしますが、
ドラマでは断然萌絵ちゃんの存在ですよねえ(〃∇〃)
タバコ云々も一応言ってましたけど。

それにしても黄色いレゴの使い方上手かったですよね。
原作では「すべてがFになる」の終わりに、
ポケットの中にレゴが残っていることに気付くんですが、
ドラマではそれをすっ飛ばしたのでもうやらないのかと思ったら、
四季の再登場と共に四季を思い出すアイテムとして再登場。
でもまさか最終回のあの場面で返そうとするなんて思わなかったなあ。
レゴを返すという行動はすごく自然に四季がホログラムであることを伝えられますものね。
こういう小道具の使い方もですが、
結局、6話以降の3作は、各話いい感じに緩くつながりながら
原作の持っている特徴を上手く映像に落とし込んでいきましたよね。
1話から4話ってなんだったんだ? って思うくらい・・・(-。-;)
この頃って一生懸命事件そのものを映像化しようとしていた感じ。
理系ミステリーという言葉に振り回されて、
それを分かりやすく映像として見せることを一番の中心に置いていた気がする。
1話なんてじっくりと実験の経緯を見せていたもんなあ・・・。
そこにはあんまり意味がなかったのに・・・。
そういう風に映像化しちゃうと、1時間×2話分という尺もあって
あまたある2時間サスペンスと何が違うの?
っていう感じになってしまった。
というよりも謎解きを中心にするなら、それなりに工夫されたトリックと
分かりやすい動機をきちんと描いた2時間サスペンスの方がずっと面白い。
ものすごく勝手な憶測をすると、
最初はやっぱりこのドラマ、結構安易に「ガリレオ」や「鍵のかかった密室」のような
謎解きドラマとして企画されたんじゃないかって気がする。
人気のあるミステリーを探していって、人気があって映像化されていない「すべてが・・・」に辿り着いて・・・。
でも実際には「すべてが・・・」の作品の魅力って謎解きとは違う部分にある。
この作品の持っている面白さは何なのか、
この作品の持っている世界観は何によって特徴付けられているのか、
そんなことを探りながら、いろいろと方法を模索しつつ、原作に寄せていったんじゃないかな。
もしくは最初から描きたい部分はしっかり分かっていたんだけど、
難しくて抽象的な部分に突っ込む前にある程度登場人物に馴染ませて置こうという魂胆だったのか・・・。
どっちにしろ最初の4回が返す返すも惜しまれる・・・。
あの段階で見るのをやめた人が多いみたいだもの。
結局このドラマって「ガリレオ」や『鍵の・・・」のような系譜のドラマじゃなかったってことですよね。
どちらかというとネットでも結構つぶやかれていましたが「SPEC」に近い。
それも「SPEC」があえてTVドラマでは描かずに、
映画でやったことに近いものをドラマでやろうとしたんじゃないかな。
最近ようやく「SPEC」の映画版2作見たんですけど、びっくりしましたもん。
特に「爻ノ篇」
あまりに抽象的でSF的な言葉のやり取りに終始している感じで、
TVシリーズのノリを期待して見たら全然違ってた(  ゚ ▽ ゚ ;)
確かに連続ドラマの段階でだんだん世界観が大きくなってきていて
黒幕の存在も匂わせていたし、
スペシャルドラマではそれをどんどん推し進めてはいた。
だから映画のラストが堤監督が本当にやりたかった部分で、
あの抽象的で難解な内容を表現するために
ずいぶんと丁寧に下準備をしていたと言える。
たぶん、ああいう世界観を描く為にはドラマ10話分とスペシャルドラマ3本分の前振りが必要だった。
それだけの時間、観客が主人公二人を見てきたからこそ、
ずーっとビルの屋上で、延々小難しい会話しているような展開でも、
当麻の運命に涙し、瀬文が当麻を思う気持ちに切なくなることができたんだと思う。
「すべてがFになる」はそれを全10回のドラマでやろうとしたんだなあ、きっと。
物語の核は事件そのものじゃなくて、
事件を通して語られる世界観であったり理論だったんですね。
それって決して分かりやすくはないし、
一般受けするようなものでもない。
今さらながら、綾野君が放送開始当初に言っていた
「これが成功したら画期的な作品になる」
という言葉を思い出します。
当時は、え? 単に理系ミステリーでしょ? 「ガリレオ」みたいなもんでしょ?
どこがそんなに新しいの?
って思っていたのですが、全ての放送が終わった今ならよく分かる。
確かにこの作品を上手く映像化できたら、画期的な作品になりますよね。
これほど映像化に向かない作品、よくドラマにしようと思ったな・・・(  ゚ ▽ ゚ ;)
と、改めて思います。
ほんの一部でも原作を読んだからなおさら・・・。
でも、その困難を乗り越えて、制作陣、役者陣はちゃんとこの作品の映像化できたんじゃないのかな。
だって、最終回を見てつくづく思いましたもん。
このドラマは「ガリレオ」やその他過去に成功したミステリーの模造品じゃなく
もちろん、2時間サスペンスを連ドラにしたようなものでもなく、
しっかりと「すべてがFになる」独特の世界観を構築できたんだなあ・・・って。
視聴率は伴わなかったけど、
世間的にもそんなに話題にはならなかったけど、
だから難しい事に挑戦したっていうことすらわかってもらえてないだろうけど、
面白いことに挑戦して、そして一定の成果はきちんと残せたんじゃないかって、
私は思います。
最後までモチベーションを切らさずに取り組み続けた制作陣に拍手。
いろいろここはもうちょっと何とかならなかったかなあ・・・という部分もありますが
それを補ってあまりある熱意だったと思います。
だってこんな風に途中からだんだん魅力を増してくるドラマってそうはないもの。

この作品の武井咲ちゃんはかわいかった。
ウィンクも、犀川先生にまとわりつく様子も。
そして内面にもろい部分を抱えているときの表情もとても繊細で。
ドラマ自体が迷走しているときも、ある意味萌絵ちゃんだけは全くぶれなかったので、
その安定感が序盤を引っ張ってくれていたような気がします。
犀川先生と二人並んでいるシーンが多かったのですが
とてもバランスがいい二人ですよねえ。
プロデューサーがそういう視点で選んだだけはある!

で、綾野君です。
見ていてはらはらする部分もありましたが、面白かったです。
今まで過去作品を見ているときには、時々、
この作品の綾野君はどう評価していいのかわからん・・・!(´Д`;)
っていう作品もあって、
あえて感想を書いていないものもあります。
リアルタイムで追いかけている作品でも、
小さな役で、時々、これは・・・(・_・;)と思った作品はあります。
(「リッチマン・プアウーマン」とか「ワーキングホリデー」とか)
それでもそこそこの大きさの役の場合は(しかも連ドラでは特に)
作品にも恵まれて役も面白いものが多かったので
こういう、あれ? どうした?(・_・;)
っていう作品って本当になかったので逆に新鮮でした。
役をつかむのに悪戦苦闘している様子を見ている感じで、
これはこれで面白かった。
どんな役でもすべてすんなりと演じられたら、
それはそれで面白くないですよね。
というか、そんな小器用な役者さんじゃないからこそ、
好きなんですよね。
この作品ではずーっと役を必死で探っている感じが伝わって来た気がします。
6話くらいから、あ、つかめたかな・・・って思っていたんですが、
実は9話でまたちょっと、ん? と感じる部分があったりして
(個人的な感想です)
どんなアドリブを入れても、どんな動きをしても
もうその役そのものにしか見えなかった空井くんや殿とはちょっと違ったかな。
それでも6話以降は安心して見ていられるようになりましたし、
今から思えば、萌絵ちゃんを守るシーンでは
初回からブレがなかったなあと思います。
もともと犀川先生って役のイメージを決める要素が少ない人なんですよね。
例えば「S」の蘇我なんかはある種の型があるような役だと思うのですが、
犀川先生にはそういうのがない。
だからどうとでも演じられるし、
逆にどう演じても決め手がない。
そんな中で必死に犀川像を探しながら
スタッフと一緒に役を作り上げていくその過程を見させてもらったような気がします。
これも連ドラならではの面白さ。
そして、主役なればこそ、丁寧に模索していけるんですよね。
出番が少なかったら模索できる余地がないですもん。
原作ファンの方でイメージが違うって言う人も多かったですが、
犀川先生のどこか現実に留まっていない感じに
綾野君のどこか現実感のない佇まいはとてもあっていたように思います。
原作を読んだ時に、犀川先生の先入観や人の意見に惑わされない
どんな時でも自分で考え、ものごとの本質に迫っていくその姿勢は
綾野君本人と共通する部分だなあと思いました。
この役が難しい役だっていうのはご本人もすごく自覚されていたようで
そこに敢えて挑戦する姿勢はえらい!
そしてこの役の難しさをきちんとわかっていたのもすごい。
この3ヶ月、ハラハラもしたけど、楽しかったです。

さて、次は「S」(映画)ですか?

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マッサン~子に過ぎたる宝なし

ようやくお盆にスタジオ見学に行った時に見たシーンが放送されました。
私が収録の様子を見ていたのは、

・英一郎が大将につれられてマッサンの家にやってきた場面
・英一郎とマッサンがゆりかごを作っている場面
・ゆりかごができあがって和気あいあいとしているところに大将がやってくる場面

の3シーンでした。
午前中、BKについたときに撮影していたのが、
英一郎が初めてマッサンのうちにやってきたシーンだったんですね。
どうりでちょっと重い雰囲気だった!
マッサンの大阪での住まいが決まったときから、
このセット見てきたはずなのに、なんかちょっと印象が違うなあ・・・
って思っていたらちょうどリフォームした直後の話だったんですね。
リフォームが終わったとたん見慣れた感じになったので
ああ! これだ! と思いました。
居間のテーブルがもっと大きいはずだって思ってたんですよね。
4人がちゃんと対面して座れるくらいの大きさあったはずだよなあ・・・って。
声は一切聞こえていなかったので何言っているのかわからなかったんだけど、
そうか・・・こういう話をしていたわけだな。
あの時、英一郎役の表情がすごくよくて、
役者さんの名前もわからなかったし、役名も、どんな立場なのかもわからないで見ていたんですけど、
これは放送されたら注目を集めるんじゃないかなって思いました。
編集されてない段階のモニター画像では、
放送された画像よりも、もっともっと印象深く感じたんです。
これは・・・玉山君、肝据えてやらないとこの子にくわれちゃうかも(゚_゚i)・・・って思うくらい。
実際放送が始まってみると、思っていた以上にマッサンという人物に玉山君がはまっているし
玉山君もものすごく本気でこの役に取り組んでいることがビシビシ伝わってくるので
さすがにくわれる心配はないな・・・と思いますが、
それでも英一郎の登場とともに私のツイッターのタイムラインがわっと沸き立ちましたもん。
ヒロインの相手役ではない人物に、これほど関心が高まるのって珍しいかも。
午後から見学しているときに見たのが、
縁側で英一郎とマッサンが大工仕事をしている場面でした。
あいにく英一郎とマッサンはセットの屋根に隠れてほとんど見られませんでしたが、
エリーは寝室側からずっと後ろ姿が見えていました。
セットのあんなチマチマした空間に、
しかも仮面に移らない庭の隅や寝室に人がひしめき合って、
思いがけないところからライトで照らしていたりもしたのに、
ドラマになると広く見えるもんだなあ・・・。
当たり前のことなんだけど、本当にすごい・・・。
この二つのシーンは撮影風景のおしまいの方を見られたのですが、
ひたすら準備風景だけを延々と見ていたのは大将が登場するシーン。
このシーンは打ち合わせっぽいところからずっと見ていたのに
チビが飽きちゃったので、撮影をするシーンまで待てずに帰っちゃった。
どんなシーンになったんだろう・・・と思っていたら、
結構重要な場面でびっくり。
マッサンがでっかい木箱をやたら揺らしていたので
ウィスキーの道具かなあ・・・
若い人と一緒にいろいろ試しているのかなあ・・・って思っていたら、
あれ、ゆりかごだったんですね(;^_^A
玉山君が箱の揺らし方を何度も演出の方と試していたり、
浅香くんが立ち位置を変える場所を試していたり、
大将が姿を現すタイミングを計っていたのは
こういう感じになったんだなあ・・・。
結構みなさんでいろいろ話し合われていたのが印象的でした。
そんでもって、やっぱり洗濯物は干さなかったのね(^o^;)
役者さんがいったんセットからいなくなった後、
洗濯物を干したり、やっぱり外したり・・・と何度かやっていたんですよ。
それから、庭の隅にある植木に水をかけたり・・・。
いろいろ気をつかって画面を作っているんだなあって思ってました。
この週は玄関側の縁側で話すシーンだったり、
こいのぼりや病院のシーンもあったりしたので、
見られるセット部分で撮影が多かった日に見に行けていたんだなあ・・・。
ついてたんだ! よかったγ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ
マッサンとエリーに大将と英一郎と主要人物いっぱいだったし。



スタジオ見学に行った時の内容が放送されて、
そんでもって英一郎がかわいくて楽しかった週前半と打って変わって
つらく悲しい場面が続いた週後半。
予告や史実からこうなることはわかっていたのに、
それでも悲しかった(ノ_・。)
エリーが階段から落ちたとき、
エリーはもちろん、マッサンも英一郎も自分がこうしていれば・・・と後悔するような状況だったので
余計に辛いなあって思っていたのですが、
このドラマの脚本優しいなあ・・・って思いました。
ちゃんとお互いがお互いを気遣って
誰かを責めたりする方向に持っていかない。
けれどもそれぞれがそれぞれの心の中に取り返しのつかない重しをもってしまったっていうのは
ちゃんと伝わってくる。
英一郎は若いから、簡単に「自分のせいだ」って謝っちゃっうけど。
英一郎君、それを言って今エリーに謝るって言うことは
一見エリーのことを心配しているようで
実は自分が楽になりたいだけなんだよね。
でも、そんな英一郎の思いをちゃんとエリートマッサンは尊重してあげて
思いやってあげているところが優しいなあと思いました。
そして土曜の段階で、エリーはもともと赤ちゃんを生むのは難しい体質で
今回流産していなくても、産むまでは至らなかっただろうと、
もしかしたらエリーの命が危ない事態になっていたかもしれない、ということが
お医者さんからマッサンに伝えられました。
心待ちにしていた赤ちゃんを失ってしまったばかりか
これからも子供を持つことを望めないという残酷な事実を
今、マッサンが一人で抱えているところで今週が終わりました。
次週の予告も今までにないしんみりとした予告で辛い展開を予想させます。
年末年始の中断前の大きな山場ですね。
子供を心待ちにしていたマッサンは浮かれ方がとってもかわいかった。
エリーを心遣う様も優しくて、とっても素敵でした。
玉山君って、家族に対して愛情深い演技するんだよなあ・・・っていうのが
私が玉山君に対して持っているイメージなのです。
一時期、家族愛を描いた作品にたくさん出ていたっていうことも大きいかもしれない。
きっと中の人が愛情いっぱいに育てられて
人間の根幹の部分で家族の愛情に絶対的な信頼を持っていることが
演技に表れるんだろうな・・・と思うんだけれど、
今回のドラマにもそれがちゃんといかされている気がする。
子供を待ち望む幸せな表情も、子供を亡くした時の顔も
心が伝わってくるとてもいい演技だった。
これからマッサンの子供を思う分の愛情がエリーに集中していくんだろうな。
今までのどこかふわふわした恋の延長のような愛情に加えて
たった一人の家族に向ける深い愛情も加わって、
マッサンはエリーとこれからの人生を歩んでいく。
来週、マッサンとエリーがどうやってこの辛さを乗り越えるのか見届けていきたいです。



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