すべてがFになる~すべてがFになる

ドラマのタイトルになっている原作だと、
変なブログのタイトルになるな・・・(;^_^A
もっと考えてつければよかった・・・orz
今回初めて原作を読んだ上でドラマを見たわけなんですが、
よかったです(^O^)
私はこのドラマに関しては先に原作知っていた方が
ずっとドラマ自体を楽しめるんだということに気付きました。
というか、今回、ドラマ自体もよかった気がする。
どどどーっとあらすじ的に事件を説明するのにいっぱいいっぱい・・・
という感はやっぱり否めないんですが、
ちょっとそれ以外の分も描く余裕があったし、
何よりもやっぱり真賀田四季の存在が面白いんですよねえ。
第1話冒頭で四季が出てきた時は、
原作であれほど面白くスリリングに感じられた萌絵と四季の会話が
とても陳腐なように思えて、
これは・・・役者さんがヘタなのか?
それとも、文字で読んで面白い会話と映像での会話は面白いと感じる部分が違うのか?( ̄ー ̄;
ともやもやしていたのが、一気に解消しました。
四季役の早見あかりさん、すごくいい!
この人不思議な存在感ありますねえ。
何と言っても14歳から30歳くらいまで演じなければならないんだけど、
そんなに違和感がないのがすごい。
ただ、これは原作を読んでいて、
真賀田四季博士が年齢の割に若く見えるということを知っているからなのかもしれません。
実際に30歳くらいの女性に見えるかというと…ちょっとしんどい(;´▽`A``
それでも、バーチャル空間や図書館で見せた、
どこか卓越しすぎて年齢を感じさせないゆったりとした表情と、
時折見せる少女のような顔が同居している感じが何とも四季らしくって、
よくぞこんな人を探してきたなあと感心してしましました。
これは、9話10話の「有限と微少のパン」が楽しみです。

それにそれに、綾野君演じる犀川先生もピシッとが定まった気がする。
5話の時にすごくそれを感じて、
でも、どこが、っていうのが感覚的な説明しかできなくて、
6話の解決編で同じ感じを感じたら本物なんじゃないかなあ・・・って思っていたら
やっぱり6話でもぴしっと犀川先生の型が定まった気がしたので、
ドラマの中で綾野君の犀川像が立ち上がったんじゃないかなあと思いました。
今まですごくピントがあまい感じだったのが、
ピッとピントがあった感じ・・・というか、
ぴしっと輪郭が定まった感じ。
本当に感覚的な印象なのですが・・・(;^_^A
一つには今までの話と違って、
「すべてがFになる」は犀川先生が積極的に事件に関わるっていうこともあると思います。
「冷たい密室・・・」も「封印再度」も先生は関わりたくないのに
萌絵に引っ張られてしょうがなく事件に関わる話だったけれど、
「すべてが・・・」は犀川先生自身が並々ならぬ関心を抱いていた真賀田四季が殺された事件で
しかも死体発見の時に自分もいた・・・ということで
最初から事件に積極的に関わっていることもあるんだろうな。
原作の犀川先生よりも感情が表に出ている感じ。
原作との違いという点では、今回は原作を先に知っているおかげで
何が切り落とされて、何が付け加えられたのかがよく分かりました。
まず、いわゆる謎解き部分はものすごくシンプルに骨格だけを残していますね。
原作だと事件がもっと悠長に展開するんですよね。
所長にしても副所長にしても、原作では「姿が見えない」時間が結構長くて、
殺されてるん違うの? 早く探してよ・・・って思うのに
登場人物達はかなりのんびり構えてて、
他のことに気をとられている時間が長かったり。
また、ドラマではさっさと犀川先生が謎に辿り着いちゃってるけど、
原作ではもっと迷ったり違った方向を探っていることも多い。
原作のその悠長さを除いているのはいいんだけど、
深層に行き着くまでの段取りというか、
説明しておかなければ謎が成立しないという要素が多すぎるので、
それを説明するのに汲々としている感じはどうしてもしてしまいますね。
ただ、今回は特に映像で説明することで分かりやすくなった部分も多かったです。
ビデオの上書きのこととか、Fの説明とか。
こういうの言葉で説明すると妙にまだるっこしくなるんですよね。
そして、付け足されたりちょっと変えたりしている部分があるということも、
今回初めて分かりました。
これだけ尺がなさそうなのに、ちゃんとドラマ的な解釈を加えてるんだ!
本当にちょっとした部分なんだけれど、それがあることで犀川先生も真賀田四季も
ぐっと普通の人間に近い感じがします。
もともと原作の真賀田四季ってよくわからない人だと思うんですけど、
そのわからなさこそが天才の証というように書いているのが原作。
誰も本当に彼女を理解出来ない、だから彼女は孤独。
犀川先生はその真賀田四季に共感できる人物なんですよね。
真賀田四季ほど早くその思想にたどり着けないけれど、
けれども彼女が言わんとする思想、世界を一緒に共有し得る人物。
この小説の世界では、天才とは様々な考え方が混ざり合わずに共存出来る人と定義されていて、
犀川先生も心の中に様々な人格を抱えている。
(でも多重人格というのとはちょっと違うみたい)
その中で最も頭がよくて最も凶暴な人格が四季に共鳴するみたい。
ドラマの脳内会議はこういう部分を映像化しようとしているのかな。
あんまり上手く行っているとは思えないんだけど・・・(-。-;)
だから原作の犀川先生は四季が子供やおじや所員を殺したと聞いても、
四季の言う「生も死もそんなに大きな違いはない」というような理論に共鳴していって
あまり四季を糾弾することはないんですよね。
ドラマでは犀川先生がちゃんと普通の人間と同じ立ち位置で四季に言います。
「残念です、ボクはあなたの才能には感動を覚えますが、あなたという人間は理解出来ない」
原作でも「僕には理解出来ません」とありますがすぐに
「しかし、何故理解できないのかというと、僕がそうプログラムされているからです。
貴女がおっしゃることは正しいのかもしれない」と続けます。
理解出来ないまでも、四季の理論に自分の常識が対抗できないと分かっている。
四季の理論がある種の真実を含んでいると思っている。
けれどもドラマの犀川先生はそこまでは悟っていない。
だから「残念です」という言葉がつく。
でもこれはすごく望ましい改変だなと思います。
犀川先生の頭の中を映像として克明に映し出せない以上、
犀川先生をぐっと一般人の方向に引き寄せて造形し、
視聴者に近い目線に立たせるのはありだと思うんですよね。
でもこの後、四季に「あなたは私と近い」と言わせていますし、
その言葉を聞いている時の犀川先生はどこか苦しげな表情でしたから、
犀川先生自身も心の中の一部で四季に共鳴している自分を感じているんだと思うんです。
四季に共鳴している自分と、
そういう自分を認められない、四季の罪を許せない自分が共存していて、
原作よりも圧倒的に後者が強く犀川先生を支配している。
それがドラマの犀川先生なのではないかと思います。
だからこそ四季の中に「普通の感覚」を求めようとする。
四季の娘が自殺したかもしれないという仮説は、
どこか他の作品で触れられているんでしょうか。
少なくとも原作の「すべてがFになる」の中にはないですよね?
四季シリーズにはあるのかなあ。
これ、すごく優しい解釈だと思いました。
いくら計画通りに娘が育たなかったとは言え、
そんなに簡単に殺してしまえるものなんだろうか・・・っていう部分は
とても後味の悪いまま残っていたので、
もしかしたら娘は自殺したのかも・・・という犀川先生の仮説はとても優しく響きました。
また。礼の脳内会議で結論を導き出した後、
犀川先生は涙を流していますよね。
この段階で犀川先生が殺されたのが娘だと思っているのか
四季自身だと思っているのかは分からないんですけど、
それでも四季親子の過酷な運命を思って涙したんですよね?
それに、刑事さん達に全ての謎を説明し終えた後、
「十五年ぶりに太陽の光を浴び、海の香を吸い込んだとき、彼女は何を思ったんだろう」
とつぶやきます。
これもたぶん原作にはない台詞。
こんな孤島に住みながら彼女は海の香を嗅ぐことはないんだろうな・・・
みたいな台詞がどこかにあった気がしてざっと探したんですけど見あたらなかった・・・。
どちらにしてもこういうタイミングではなかった気がします。
自分には理解しがたい理論で殺人を犯した天才の中に
人間らしい感情を探そうとするような優しい台詞。
綾野君の口調も四季の思いを感じようとするような優しい感じでした。
綾野君の犀川創平という人物に人間らしさを与えたいという思いと
脚本の方向性が一致した台詞だった気がします。
カメラがどう捕らえるかと言うことも含めて現場全体で
ドラマの中の犀川先生をどう造形していくか・・・という方向性がかっちりと決まったから、
犀川先生が立ち上がってきたと感じたのかなあ・・・。
次週もこのままイメージがぶれなければいいなあと思います。



で、『有限と微少のパン」読みました。
S&Mシリーズの頭としっぽを読んだことになります(^o^;)
なんでこんな読み方になったかというと、
表紙買いしたからです!(^ε^)♪
これ、文庫本で800ページくらいあって、「すべてが・・・」の倍くらいあるんですけど
2週で描けるのかなあ・・・(゚_゚i)
トリック自体はなーんだというものなので、
ラスト部分を丁寧にやってほしいなあと思うのですが、
これ上手くいったらすごく面白くなるかも!o(^-^)o
今回の図書館でのシーンのようなラストが描けたら、
綾野犀川先生ぐっと大化けするかも・・・。
最近ネットにあがったプロデューサーのインタビュー記事で
主役に武井さんと綾野君を選んだ理由が
二人並んだ時のバランスと二人の年齢・・・と知ってちょっとびっくり。
それって外見的な要素だけだよね・・・(  ゚ ▽ ゚ ;)
そっかあ・・・そうなんだ・・・。
でも、綾野君だからそれだけじゃ済まないよお、きっと(^~^)
綾野君が役をつかんだ時のパワーってすごいから!!
最初にプロデューサーが思い描いていた予想を大きく越えていって欲しいなあと思ってます。
って、期待し過ぎかな(^▽^;)



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リーガルハイ・スペシャル(2014.11版)

おっもしろかったあ(*⌒∇⌒*)
いやあ、実はまたまた途中で爆睡してしまい、
(地震や・・・というChiChiのつぶやきを夢うつつで聞いていた・・・(;^_^A)
翌日見直してようやく全部見られました。
遊び部分は第2期よりも少ない気がしましたが
すごくリーガルハイらしい作品を見たなあという気がしました。
もともと私の中でのリーガルハイのイメージって
世間一般で認められている耳辺りのいい正論(朝ドラ的な?)を
古美門が違った角度から論破していくところに面白さがあるドラマ・・・だったので、
久々にわくわくしながら台詞の応酬を楽しめました。
というのも古美門と真正面から対峙する相手が大森南朋さんだったことが大きい気がする。
堺さんとほぼ同世代の役者さんが法廷の場でがっつり対峙するって
そんなになかった気がするから。
古美門先生が論破すべき正論を同世代の敵が主張することで、
より「対立する正義」という、
このドラマが核としてもっている部分が強調されたんじゃないかな。
最初のシリーズでは、これ、全面的に黛が背負っていたんです。
でも黛が成長して単純に表面的な正義を主張出来なくなってきて、
第2期では羽生君といいう新キャラを出してきて新しい対立軸を作った。
でも、第2期は羽生君が黛よりも現実的でドライであるように設定されたので
第1期ほど、大衆が喜んで食いつきそうな表面的な正論を
古美門が本質を突き視点を変えて論じることで叩きつぶすという面白さは薄くなった気がする。
それよりも、やたら勝ち負けにこだわってもいて、
勝てば官軍じゃないけど、勝てば正義というニュアンスが強かった。
それに黛も羽生もはっきりと古美門よりも若くて、
対峙したときにどうしても古美門の方が臈長けているから
主張する正義そのものの対立と言うよりも、
子供対大人・・・現実はそんなに甘くないよ・・・的な決着になっていたように思う。
でも、今回は対立する弁護士が大森南朋さんで、
立ち位置も古美門や今まで古美門が戦って来たような花形弁護士じゃなくて
落ちぶれたたかり専門の弁護士で、
その弁護士に死にものぐるいで古美門に立ち向かわせたので、
経験豊富な大人対机上の理想論しか言えない未熟者・・・というニュアンスは薄れ
もっと対等な論戦になったような気がする。
物語の後半で優勢劣勢がくるくる目まぐるしくひっくり返される・・・
というのはこのドラマの常道なんだけど、
完全に王手をかけられて劣勢にまわった古美門が、
倒れた元院長のメモから科学的な見解を説明するという鮮やかな切り返しを見せた後、
たぶん、黛や羽生なら小手先の反撃しかできなかったんではないかと思うんですよね。
九條と同じことを言ったとしても表面的な人情論にしかならなかったと思う。
けれども、九條は、過剰に拡大解釈された人の命の尊さ、人の持つ権利を振りかざして
一見正論に乗っ取りながら実は不当な要求をするという手法で生きてきた人。
しかも、九條はちゃんと古美門の理論の正当性をわかってる。
あそこで圧倒的に有利な立場がひっくり返されたこともよくわかっている。
古美門の力もよくわかってる。
その上で、さやかの思い、過去の自分の葛藤、そして自分自身の今までの生き方、
そういうもろもろの思い全てをかけて捨て身で反撃に打って出た。
今までの自分のやり方で、全力で、古美門に切り返してきた。
だから古美門も今までのように余裕を持ってではなく、全力で切って捨てた。
その議論のせめぎ合いの迫力がものすごかったんですよね。
ほぼ同世代の役者さんの力のせめぎ合い、演技合戦の熱量が
そのまま二人が主張するそれぞれの正義の熱量になっていて、
この高揚感、この緊迫感は今までに無いものだなあ・・・面白いなあ
って思って見ていました。
作者の古沢さんがこのドラマでやりたかった(訴えたかった)ことって
ここなんだろうなあ・・・っていう感じが堺さんの熱演でストレートに伝わってきました。
今までは古美門一人の長台詞で伝えていた部分を
こういう形式に変えてきたのかなあ・・・。
役者さんの演技合戦という意味でも、議論の面白さという意味でも
とても見応えのある場面だったなあと思いました。
作者の古沢さんがこのドラマでやりたいことの一つは
当たり前だと思っている正義や既成概念をとっぱらって考えてみようよ
っていうことなんじゃないかって思っていて、
古美門はその代弁者。
結構シビアな問題点や視点を
古美門や他の登場人物のコミカルな味付けでくるみながら
かなり鋭く視聴者にも向け書かれていた気がするんですよね。
今回で言うならわかりやすく「白い巨塔」のパロディを冒頭から盛り込みながら、
医者はいい人(人格者)であるべき・・・という常識や思い込みを
そうじゃないだろって切り返して見せた。
医療には科学という側面もあって、それは多少の犠牲を伴うもの。
人はその犠牲の下に医術が進歩してきたことを認めながらも、
いざ自分の身近に被害が及ぶと途端に「なぜ自分が!」と主張し始める。
そういう人のもっているエゴの部分を古美門に暴かせた。
その古美門も冒頭で盲腸の手術、たった5%の失敗に怯えているし、
ラストでも、その5%の失敗に自分が当てはまったのかもしれないと思った時に
「訴えてやる」って言わせていて、
それが上手い感じで皮肉になっているとか
すごく用意周到に計算されつくした脚本だなあと思います。
「リーガルハイ」がこんな風に何度も「続き」が作られるのは
今のフジテレビの傾向が、当たった企画にとにかくしがみつこうとしているってことが大きいと思うんだけど、
こんな形で本質(ある種の批判精神と毒)を忘れずに続けてくれるならどんどんやって欲しいなと思う。
このドラマがキャラクターたちの魅力やコメディ部分の面白さ
ばかりにはしる方向に進んでいくのならそろそろ限界かなあと思うんですけどね。
堺さんも古美門のキャラクターを演じるのに飽きてきた感じがするし
(あの手のキャラクターってある程度イメージが固まってしまうとしんどいと思う)
三木法律事務所との勢力争いもそろそろ詰んできた気がするし、
黛は立ち位置を失いかけているし・・・。
(中の人の問題じゃなくて物語の構造上の問題として)
でも、今回見せてくれた新機軸、
古美門とサシでやりあえるゲストを用意する、
もしくは今回の九條をレギュラー化することで、
古美門がひっくり返すべき常識(と考えられているもの)や正義を
十分な重さで主張することができるなら、
このシリーズ見続けていきたいなって思える。
このドラマにキャラクター的な面白さ、コメディとしての面白さを求めている人たちには
今回のスペシャルは面白みに欠けたようですが、
私はまさに見たい方向に話が展開してくれてとても面白く感じました。
大森さんも素敵だったしね(b^-゜)
このキャラクター化された人物ばっかりがいるドラマに
あれだけの現実感を持って存在するのはさすがです。
ただ、その演技のトーンが「リーガルハイ」的ではないと感じた人も多かったようですけどね。
あ、最後にひとこと。
あれだけヒットして評価も高い「白い巨塔」をここまでパロディとして使ってしまう
フジテレビの太っ腹さには感心しました。
きっと他の局じゃここまでしないよね・・・(;^_^A



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すべてがFになる~封印再度

どうでもいいですけど、「封印再度」ってごろがいいですよね。
なんか、何度でも口に出したくなる(^~^)

さてさて、3、4話目終わりました。
3話目はちょっと面白かったんです。
事件の見せ方も1話よりもずっとテンポがよかったし。
おっ! これはいいかも・・・って思ったんだけど、
やっぱり4話目はピンと来ず・・・。
うーん( ̄_ ̄ i) 今のままだったら2時間サスペンスと変わんないよな。
というか、2時間サスペンスのほうがわかりやすくキャラがたっているし、
事件の裏にそれなりに人間らしい心情が描かれるから見やすいかも・・・。
とりあえず、このドラマはあんまり動機に重きを置かないんだな・・・。
というか、少なくとも動機に共感できるような理由で殺人をしてない人を描いてるんだな。
「冷たい密室と博士たち」に関しては圧倒的に犯人側の描写不足だと思ったけれど、
今回の「封印再度」はそれなりに描かれていた気がする。
少なくともこうだったのだろうなあ・・・と想像できるくらいには、
香山家の人たちが描かれたかなあ・・・。
とは言え、動機が「冷たい密室・・・」よりもずっとずっと分かり難い「芸術の完成」というところにあって、
それに共感しながらみられるかっていうと、それはかなり難しい。
原作もこの流れだったとすれば、もともとそういう共感は排除したところで物語が展開しているわけで・・・。
じゃあ謎解き部分がこの話のミソか・・・と問われたら
うーん・・・という部分も残ってしまう。
箱の謎解きをエンドロール流しながらやるくらいだもんねえ。
その割に、2週間分、2時間・・・というボリュームを
謎(事件)の説明と謎解きを見せるだけに費やしてしまっている感じ。
ミステリーの面白さは、
謎解きの妙、事件の裏に隠された意外な人間模様、謎を解く人物のキャラクター
にあると思うんだけど、
このドラマはどれにも中途半端で、とにもかくにも原作を追うのに汲々としている感じ。

んでね、原作読めました。1冊だけど。『すべてがFになる』
面白かったですねえ(^~^)
読んでいる間、とにかく楽しめました。
でも改めて思い返してみると、
謎解きの部分に面白みを感じた訳ではないんですよね。
何が面白かったんだろう・・・って考えると、
やっぱり犀川先生と萌絵ちゃんが魅力的だった。
かなり込み入った展開だったし、
コンピューター系の説明も多かったんだけれど、
500ページ以上ある文庫本の分量は筋と謎解き以外にも割ける容量があって、
その部分が作品を魅力的なものにしている感じがしました。
ドラマで放送された分は原作を読んでいないのだけど、
同じだったのではないのかな。
ドラマは原作の持っている作品の遊びの部分を切り捨てている、もしくは
ドラマとしてすくい取れていないから、
他のミステリーと差違化できてないんじゃないかと思う。
ただそういう部分ってすごく映像的ではないんですよね。
特に感じたのが犀川先生の描写なんだけど、
犀川先生らしさを醸し出しているのって、多分にしてその思考部分。
彼が目の前の事実をどう捕らえ、どう考えたか・・・ということを
文章では事細かに描ける。
文庫本の後書きでも書かれていたけれど、
この一連の作品が理系ミステリーと言われる大きな所以は
謎解きの際の科学的要素というよりも、
犀川先生や萌絵ちゃんの思考描写の部分で、
でも残念ながら映像としてその思考部分を見せるのはとても難しい。
小説の犀川先生の身体的な描写ってとても少ないんですね。
なるほど、原作ファンの方がこんな人に犀川先生をやって欲しかった・・・っていうイメージが
かなり多岐にわたるわけだ・・・。
小説で感じられるのは犀川先生の内面や人となり。
ああいう思考をする人として自分の中でイメージした外見が
そのまま犀川先生の外見的イメージになるわけで、
多岐にわたってあたりまえ。
だから逆に言うと綾野君のやっている犀川先生像もアリなんだと思うんですよ。
というか、別に何の問題もない。
私はドラマの犀川先生のビジュアルを知ってから読んだので違和感がないのは当たり前なんですが、
あのイメージで読み進めて問題がある部分があるのかなあ・・・
原作ファンの人たちが「イメージじゃない!」と言っていた理由がわかるかなあ・・・って考えながら読んだのですが
別に何の問題なかったですねえ。
それよりも犀川先生の何気ない描写で、
あ、これは綾野君、できるわ・・・と強く思いました。
「空飛ぶ広報室」の時も、原作のプロローグ部分で同じこと感じたんですが、
「広報室」の空井くんも「すべてが・・・」の犀川先生も
きっと綾野君が自分に引き込める要素をちゃんと持っている。
共感できないと演じられないとは思わないですけど、
脇役で物語の中で一定の役割を果たせば済む役とは違って
物語の主軸に関係してそこそこ出番がある役で、
全くその人となりが理解出来ないタイプの役だとやっぱりつらいと思うんですよね。
犀川先生って理系人間で大学の准教授で・・・って、
ちょっととっかかりがなさそうな役かなあと思っていたのですが、
全然そうじゃなかった。
今、パラパラとページをめくってみてもどこがそうだったか分からないような
ささいな描写だったと思うんですけど、
結構何度も、特に中盤以降頻繁に、そう思った描写がありました。
ただ、そのどれもが、
これ、映像に落とし込めない描写だよな・・・とも思いました(;^_^A
たぶん、この作品を映像化するためには、
そのまま筋を再現するだけじゃなくって映像的な味付けをしないといけないんじゃなかな。
でも、少なくとも、脚本も、演出も、今は筋を再現するのにいっぱいいっぱいな印象。
もう少し、謎解き以外の余白の部分で遊べるような余裕があればいいのに。
綾野君自身も、まだ役をつかみ切れてないんじゃないかなあ・・・という印象。
というか、あの脚本で役をつかむのは難しいよね・・・( ̄ー ̄;
始まるまでは、原作がしっかりしているからミステリー部分は安心して見ていられるだろうし
綾野君は役に上手く存在感を与えられる役者さんだから大丈夫だろう・・・
(視聴率は出たとこ勝負として・・・)
と思っていたのですが、そんな甘いもんじゃなかったなあ・・・。
難しいですよね、この作品。
出番はとにかく多いんだけど、常に事件の経過や謎解きの場面なので
人としての感情の動きを差し挟む余地が少ない。
萌絵との会話とか、ちょっとしたリアクションとか、
証言者を見つめる目とか、いろいろ工夫しているなあ・・・と思うけど、
まだ犀川先生像が立ち上がっている・・・とは思えないんですよねえ。
(あくまでも個人的感想です)
主役として物語の進行を背負いながら、どう人物像を立ち上げていくか
しかも、脚本にもあまり人物像を出せるような余裕がない中で・・・
っていうものすごく難しい役。
もしかしたら今までの経験の中でも最大級に困難な役なんじゃないかな・・・。
逆に言えば、これで犀川先生像をぐぐっと立ち上げてきたら、
役者としてすごく大きな階段を一つ上ったっていうことになるんじゃないかと思う。
他の役者さんだったら、
これは脚本と演出が悪い! 工夫がなさすぎ!
だいたい、この原作を無策で映像化しようとする方が無理、企画が甘すぎる!
こんな作品で主役ってのが運が悪かった・・・
とか思ってしまうところなんだけど、
綾野君だから、なんとかなるんじゃないかって・・・期待してしまう・・・。
最終回終わった時点で、萌絵ちゃんと犀川先生のカップルかわいいなあ・・・って萌えられたら
それで大成功なんじゃないかな。
もう少し、この二人のいちゃいちゃになりきれない微妙な関係を見ていたいな・・・って思えたらそれで十分。
そういう意味では主役にこの二人を選んだのってなかなか目の付け所はいいと思うんですよね。
萌絵ちゃんが幼い頃から自分を知っている犀川先生に安心感を持っている所と、
役者デビューして間もない頃に共演した綾野君に安心感を持っている武居咲ちゃんの気持ちが
うまくシンクロして、それがちゃんと画面に出てきている気がするし。
二人とも設定年齢と実年齢が近いので年齢的な役作りで無理する必要もないし。
だからこの二人がドラマの中で立ち上がって来るには後一歩。
そのためにも頑張ってください、脚本・・・(。-人-。)
1作品に2話かけられるとは言っても、詰め込まなければいけない要素がいっぱいありすぎて
破綻しないように一生懸命構成されているって言うのは伝わって来るんだけど、
それに追われてしまっている気がする。
尺が足りないのは分かるけれど、犀川先生と萌絵ちゃんとのほんのささいな会話、
謎解明のきっかけを見つけるときの描写に一工夫するだけでも
きっともっと人物像を伝えられる気がする。
次はいよいよタイトル作「すべてがFになる」です。
今まで以上に説明が必要な内容だし、
発表当時から格段に変わってしまったパソコン事情をどう消化するかっていう難問もありますが、
考えようによっては、当時よりもずっとパソコンの基礎知識が一般層にも広がっているから
受け入れやすい土壌になっているとも言えます。
今回は先に原作を読んでしまっているから、謎解きに惑わされずに
ドラマそのものをじっくり見ることができます。
原作を読んで感じたわくわくした気持ちが
ちゃんと伝わって来るドラマになっていればいいんだけど・・・。

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