白ゆき姫殺人事件

おっと、この映画の感想を書くのを忘れてましたヽ(;´ω`)ノ
何回か書きかけて書き終わらないまま平日になって、
平日はなんだかんだで書けないまま、そのままになってました・・・(;^_^A
この映画面白かったです。
原作を先に読んでいたので
原作の仕掛けがどう映像化されているかに注目して見ていたんだけれど
すごくスッキリした形でまとめてあって、
こういうところはやっぱりさすが中村監督だなあと思いました。
映像の持つ利点を最大限に活かして、
誰かの主観をそのまま映像として見せ、
視点を変えながら同じシーンを繰り返すことで
人の見ている真実がいかにいい加減なものかを
実感を伴う映像として見せてくれました。
ツイッターの処理も上手くて、
文字だけに頼らずにちゃんと音声で補完してくれたことで、
流れるように進む多量のツイートがスムーズに受け入れられたし、
ツイッターのタイムラインの井戸端感がいい感じで出ていたと思う。
ただ、これは原作がそうだから仕方ないと言えば仕方ないんだけど
タイムラインの雰囲気はツイッターと巨大掲示板が入り交じった感じだったかなあ・・・。
(ただし原作ではツイッターではなくマンマローという架空のSNSになっている)
本来ツイッターの呟きはもっと単発的な感じがする。
ああいうように不特定多数の人が入れ替わりながら
一つの話題について会話するっていう状況は
掲示板という一つの場があるほうが成り立ちやすい。
もちろんツイッターでも同じ話題で会話になることも多いし、
ハッシュタグをつけてツイートすれば
多くの人と同じ話題で会話できるのだけど・・・。
でもまあそこは一般的なイメージのSNSとして捕らえればいいんだろうな・・・と思います。




この作品って、真実は見る人によって幾通りにも解釈できるという
「藪の中」的な物語の枠組みに
それを簡単に拡散できる手段を手に入れている現代の問題を乗っけているところがミソ。
マスメディアが発達せず、ネットもないような時代だって、
事件が起こったら、
事件の関係者はそれぞれ勝手なことを自分の周りの人物に話していたはず。
その中には明らかに思い込みによる誤報もあったろうし、作為的な悪意もあったろうし。
それでもそのさまざまな思いや情報はよほどの有名人でない限り、
狭いコミュニティの中に留まっていたんだと思う。
それが今、誰もが全世界に向けて情報を発信できるツールが出てきて、
状況は一変してしまった。
狭いコミュニティのうわさ話で済んでいた話が、
大勢の人を飲み込んで、
それが目に見えない巨大な力や圧力になっていく様が
すごく見事に捕らえられている作品。
そんでもって赤星は言わば拡声器の役ですよね。
聞いたこと見たこと取材したことを、
なんの咀嚼も配慮もなくただただネットを通じて、メディアを通じて、
世間に向けて発信する。
原作の赤星は設定が雑誌記者なこともあって、
もう少し悪意がある(意識的に情報を操作している)感じがする。
原作では取材対象の人物の主観で語られる本文の後に
赤星が書いた記事が資料としてあげられていて、
それを読むとかなり意図的に(そして現実の三流週刊誌がやりそうな手法で)
発言内容が歪められているのが分かる。
より人目を惹くように、よりセンセーショナルに扱われるように・・・。
だから原作の赤星は明らかに事件を劇場化し、見せ物にするマスコミ側の人間なんだけど
映画の赤星はそういうマスコミ的な人間にすらなっていないだめなヤツ・・・(><;)
もう、本当にだめすぎて情けなくて見ていてかなしくなってしまう・・・(´Д`;)
後輩が「これホントなんでしょうかねえ・・・」って思う部分にもピンときていないし、
何と言っても最後に美姫と対面しているのに
自分が追っかけ回していた城野美姫とは気づけない・・・
なんてありえないでしょ・・・( ̄ー ̄;
自分の発言に皆が反応することに調子にのった顔といい、
ネットに自分の素性がどんどん暴かれて青ざめる様と言い、
上司に言われるがまま、自分が何をしたのかわかっていないのに謝りに行って
怒られている情けない顔といい、
見事に薄っぺらい男になっていました( ´艸`)
これだけ登場シーンがありながら、
ただただ薄っぺらくそこに居続けて物語を動かす役って
ある意味難しいと思うのですが
(なんか力の入れ方が分からないような気がする)
こういう役にも果敢に・・・というか、敢えて、取り組むところが面白いなあ。
この役やっても評価はされにくいもんなあ・・・。





「白ゆき姫・・・」は「そこのみ・・・」と公開時期が近いこともあって、
中村監督と呉監督の綾野君評を一緒に読めるような雑誌の企画が多かった気がするんだけど、
二人の監督のトーンの違いが面白かった。
演じた役柄の違い・・・っていうのももちろんあるんだけれど、
呉監督の方が前のめりになって綾野君のことを語ってくれて、
中村監督の方がちょっと客観的なコメントが多かった気がする。
私の勝手なイメージで、
中村監督って職人的な印象なんですよね。
芸術よりというよりも、求められていることを的確に映像化する職人。
だから中村監督が昔の綾野君に不穏な空気を感じて
「現場を揉めさせたくないからあえて選ばなかった」というのは
妙に納得できるし、もともとそういうタイプの監督さんなんだろうと思う。
だからこそ、次にまた別の作品でもう一回中村監督に綾野君を撮って欲しい気もする。
どこか相容れないものがあるような気がするので、
それを中村監督がどうさばくか見てみたいなあ。
そうとう題材を選ばないといけない気がするけれど。
二人の監督の話を聞いて、興味深かったのは
二人とも過去の綾野君をオーディションで落としてるってことでした。
長髪だったしね。
見た目のイメージが相当固定されていたでしょうから、
この役を・・・って求められて呼ばれるオーディションじゃあ
分が悪かったんじゃないかという気がします。
そう言えば、昔、「ヘブンズ・フラワー」だっけかな?
何かのオーディションで、その時は役のイメージに合わなくてご縁がなかったんだけど
すごく印象に残っていて今回シオン役でオファーした・・・
みたいな話を読んだことがあって
やっぱりオーディションじゃいろいろ不利だったろうなあ・・・と思った覚えが・・・。
でも、同時に、その時のオーディションでは落とされても、
ずっと記憶に留めてもらっていて、
後になってこの役を彼に・・・と思ってもらえるほどの印象の強さってすごいと思うんですよね。
考えてみれば出世作となった「クローズZERO2」だって
一旦オーディションで落とされておきながら
監督に呼ばれてもう一度プロデューサーに会って、
新たに新しい役を作ってまで起用されたっていうのもなかなかないことですもんね。
今回公開された二つの映画も、
二人の監督が二人とも過去のオーディションで彼を落としたことがある・・・
と公言しているのもある意味すごいけど、
それがちゃんと印象に残っていて今回の役につながっているのが
すごいことだよなあと思いました。
雑誌の記事で言うと、
この作品に関しては綾野君がかなり積極的にかつかなり深く
ネットに関して発言しているインタビューが多かったのが印象的。
当たり前だけど、赤星とは全然違って、
ちゃんとネットで情報発信することの功罪をしっかり考えている。
自分からネットを使って情報発信するつもりはないって言い切っていて
それはちょっと寂しかったな。
どこででもいいから、編集者やインタビュアーのフィルターを通さない
綾野君の書いた言葉を読みたいな思っていたから。
ただ、綾野君が定期的にVBでダイアリー更新していた時期や
ご自身の公式HPでドキュメントを書いていた時期は、
作品や役について語りたくても語る場がなかったんだろうと思うんですよね。
それが今や作品が公開される度に、
広範囲のジャンルの雑誌の取材を受け、
バラエティや情報番組で自分の口から語れる場がいっぱい出来て、
その上あえて情報発信しなくてもいいかな・・・と思ってるんだろうなあ・・・と。
プロの編集者や記者が取材して文字媒体に落としてくれるなら
もうそれでいい・・・みたいな感じなんだろうなあ・・・。
ちょっと警戒感が強く出てるかなあ・・・って感じたのは、
やっぱり、去年辺りからいろいろとありもしない目撃情報がツイッター上に流れたり、
憶測でネット記事になったりしたからかなあ。
本来綾野君ってネットにすごく親和性が高い人だと思うんですよね。
ご本人もまめにツイッターをチェックしているみたいだし、
(でないと共演者がツイートしたことにメールで返事なんてできないですもんね)
仲間同士の交流にSNSを最大限に活用している感じがするし。
でもね、ネットの悪い側面に関して、
ちゃんと不快なものは不快っていう態度を見せてくれたのは、よかった。
なんか、ちょっとほっとしました。
ただ、ツイッターは特にそう感じるんだけど、
綾野君に対して好反応を示すことが多くて、
明らかに綾野君の人気を下支えしている媒体の一つだと思うので、
嫌いにならないでほしいなあとは思います。
つい最近も撮影現場がツイッター等で拡散してしまって
撮影に支障をきたす・・・なんて悲しい事起こってしまったけれど。
よい方向で盛り上がるときは本当にあったかい空気が漂うから。
時々ツイッターにお友達との写真があがってくるのは、
きっとあれが綾野君のできる最大のサービスなんだろうなあ。
一緒に呑んでいる人がツイッターやっているの知っていたら
「ねえねえ写真のっけてツイートして」
って頼んでいる綾野君が目に浮かびます( ´艸`)
だから本当に微笑ましく見ていたんだけれど、
・・・そう言えば最近そういうこと、ちょっと減っちゃったなあ・・・(´・ω・`)





おっと、映画の感想でした。
最後の辺りで、お葬式で実家に帰って来た美姫に
夕子が灯りでコンタクトをとるシーンが凄くよかった。
これだけネットが発達して、
見も知らずの人と交流できるSNSを大々的に描きながら
結局美姫を癒したのは、とても古典的な通信手段だったこと。
本当につながっている人とは、
灯りの点滅だけで心がやり取りできるのに
ネットでいくら言葉を費やしても伝わらないものは伝わらない。
「つながる」ということ、「つたえる」ということを
改めて考えさせてくれた映画でした。



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posted by HaHa at 18:35Comment(0)映画

アナと雪の女王

純粋なディズニー作品としては「美女と野獣」以来かなあ、映画館で見たのは。
ピクサー制作の作品は結構見に行っているんだけど・・・。
この間TVで放送した「塔の上のラプンツゥエル」がものすごく面白かったので、
その勢いでどうしても見てみたくなって・・・。
話題になっている歌もすごくいいなあって思ったし。
で、下の息子を誘ったらなぜか上の息子もついてきて、
小学生の(それも結構でっかいめの)息子と高校生の息子と一緒に見に行きました(;^_^A
息子よ・・・思春期はどうした・・・( ̄ー ̄;
ディズニーのプリンセスものって男の子向けじゃないと思っていたのですが、
「塔の上のラプンツェル」以来大きく変わったみたいですね。
「美女と野獣」の時のようなデート用という感じでもなくなったし。
笑いの比重が大きくなって、
女の子が王子サマの登場を待つ・・・という展開から離れたのが
男の子にとっても見やすくなった大きな理由かもしれません。
「塔の上のラプンツェル」はとにかくラプンツェルがキュートで
これでもかっていうくらいに笑いが散りばめられていて
見ていてとにかく楽しかった。
「塔の上のラプンツェル」ってこんな話だったっけ?(;^_^A
と思うほどアレンジされていました。
とにかく守られるだけの存在じゃなくて、
自分からどんどん動き回るヒロインが面白くてかわいくて・・・。
ちっとも大人しく守られてなんかいなくって、
逆に王子サマ(もはや王子さまでもなくなったんだけど)を振り回してる。
「アナと雪の女王」は笑う場面は「ラプンツェル」と比べるとぐっと減ったけど、
それでもアクティブなヒロインは健在(主に妹のアナ)
それどころか、今までのディズニーヒロインを全否定するような
「あったその日に結婚を決めるなんて信じられない」
という実に現代的な価値観を登場人物に何度も言わせていたのが面白かった。
冷静に考えてみれば、舞踏会で知り合っただけで相手を探し出して結婚してしまう王子様や
キスされて目覚めたときに目の前にいた王子サマとほいほい結婚してしまうお姫様って
かなり非常識・・・ヽ(;´ω`)ノ
でもディズニー作品の中ではお姫様が王子サマに出会って結ばれてハッピーエンド
っていう展開が当たり前だと思っていたので、
ディズニー作品自身からそのおかしさを指摘されて目からうろこ・・・というか、
そうよね・・・そうなんだよ・・・と妙に納得してしまった。
ディズニーの中でプリンセスの位置が大きく変わったっていうことなんだろうなあ。
古典的な「シンデレラ」も「白雪姫」も「眠りの森の美女」も好きだけど、
現代的なプリンセスたちもかわいくてよいなあ・・・(‐^▽^‐)
そしてプリンセスたちがアクティブになると、
王子サマ(もはや王子サマという地位を持たない男性が多いんだけど)も
俄然人間っぽく魅力的になってきている気がする。
「アナと雪の女王」ではそういったプリンセス像、プリンス像の変化っていう以上に、
完全にボーイミーツガールならぬプリンセスミーツプリンスの物語構造も脱していて
その辺も面白かったなあ・・・。
すっかりだまされていましたもん。
最後の展開にびっくり。
もうオリジナル作品といっていいくらい「雪の女王」とは話が違います。
そして何より驚いたのが、有名な「Let It Go」のシーン。
この部分ってTVで何回も流れているし、
力強いサビのメロディがとにかく印象的だったので、
ポジティブなシーンで流れるとばかり思っていたんです。
本家アメリカじゃ、このシーンになると合唱がわき起こるって聞いたし。
でも、この曲が流れるのって決して明るい場面ではないんですよね。
エルサの魔法の力がみんなにばれてしまって、
自分の国から逃げ出したところでこの曲がかかる。
それまで自分を縛っていたものから解き放たれたその開放感が
力強い歌声と音楽にぴったりとあった美しい映像から伝わって
見ていて本当に気持ちいい。
その一方で、その開放感は
これから一人で生きていくことを決意することによってもたらされているので、
どうしようもない寂寥感も伝わってくる。
自由を得るための孤独。
誰も傷つけないために自分を閉ざす。
自分が魔法で築き上げたお城の扉を、歌の最後でぴしゃりと閉ざすのが象徴的。
・・・とてもとても一緒に歌う気分にはなれませんでした。
そういう運命を背負ってしまった哀しさと、
それを上回る開放感と、一人を受け入れる強さと・・・。
いろんな思いが画面から伝わって来て圧倒されてしまった・・・。
こういうタイプのヒロインを作り出したところが凄いなあと言うか、
ディズニー作品の中では新しいなあと思いました。
他者のために自分を犠牲にする・・・タイプのヒロインはいたかもしれないけど、
そこに開放感を感じて一人で生きていく決心をするヒロインはいなかった気がする。
松たか子さんの柔らかいけれども凛とした声で歌われた「Let It Go」すごくよかったです。
英語版で聞いて字幕読むとちょっと感じが違いますね。
(公式HPで聞き比べられます)
かなり意訳してあるのかな。
日本語版の方が抽象的な表現が多いけれど前向きな要素が強い感じがして好き。
氷の映像も美しかったし、
このシーンを見る為だけにもう一回行きたいくらい。
ミュージカル要素が多いので、
家でDVDで見たらちょっとたるい感じがしてしまうかも。
劇場でじっくりと見ているととても気持ちいいんですけど。
この映画で初めて3Dを体験したのですが、
やっぱりメガネの上にメガネをかけるのはすごく疲れる(;´Д`)ノ
奥行きが感じられたので森のシーンなどはとてもよかったんですけど・・・。
それから3Dだとなんとなく、2Dの時以上にフレームを意識しながら見ていたかも。
通常映画館で映画を見ている時って、
その世界に入り込んだらあんまり意識することはないのに、
今日はやたらとスクリーンのふちが気になった気がする。
奥行きがある分、スクリーンの枠がより意識されてしまうのかもなあ。
でも、とにかく、すごくよかったです。
アカデミー賞の長編アニメ部門で、
「風立ちぬ」が負けたときは残念に思いましたが、
これだったらしょうがないかな・・・という感じ。
あくまでも手書きにこだわりながら作家性を追求していくジブリに対して、
CGという新しい技術を使いこなして、テーマにも現代性を取り込みながら
万人向けの作品を作ろうとするディズニー。
どっちがいいとか悪いとかいうんじゃなくて、
どっちもあって面白い。
今回はたまたまディズニー側に軍配があがっただけかな。
一時期はピクサー作品はよくても
ディズニーオリジナルの作品は低迷していたので
また力を盛り返してきているのは嬉しいな。



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posted by HaHa at 01:36Comment(0)映画

そこのみにて光輝く

実はちゃんと初日に見に行っていました(*v.v)。
4月19日は綾野剛ファンにとってはすごい一日で、
「そこのみにて光輝く」の初日と「ロング・グッドバイ」の第1回放送が重なってしまった。
どちらも軽く見られる作品ではないし、
映画のほうを少しずらそうかとも思ったのですが、
やっぱりどうしても見たくなってしまって・・・。
結果的に19日の夜は頭がごっちゃになってましたσ(^_^;)
感情のほうも・・・。
どちらも見てすぐに感想が書きたくなって、
でも「そこのみにて・・・」のほうは感じている思いをどう言葉に置き換えたらいいのかわからず
ちょっと途方に暮れてしまって・・・。
とりあえず「ロング・グッドバイ」の方は原作との比較という手がかりがあったので
そっちの感想を先に書いてみました。
1日たった今も「そこのみ・・・」の方は言葉がまとまりません。
無理矢理例えるならば、とても中身の詰まった比重の重い果実を受け取った感じ。
それっぽい言葉でまとめてしまうと、
この作品が持っている本質から離れていってしまうような気がする。
ただ、原作を読んだ時よりも、もっともっと、達夫も拓児も千夏も愛おしく思えました。
この映画では完全に憎まれ役の中島でさえ。
特に拓児は愛おしかったですねえ・・・。
拓児の話す声ってこの映画の中でひときわでっかいんですよ。
他の登場人物たちがつぶやくように話しているのに、
彼だけは近くにいる人に対してもばかみたいにでっかい声で話してて。
で、その話す内容って大抵くっだらないことで、
時にはその大きさにイラっとくるんだけど、
でもそういう部分も愛おしいんですよね。
実は原作を読んでいた時はこの拓児の人なつっこさや場を読まない感じがうざかったんですけど、
菅田くんが演じた拓児は本当に愛嬌があってかわいらしくて愛おしくて・・・。
だからこの映画で一番うるっと来てしまったのも拓児のシーンでした。
達夫の自転車から降りて、一人で交番に向かう後ろ姿に、泣けた。
なんでこんなに人生はままならないんだろうと。
でも、原作を読んだ時に感じた閉塞感、
狭い街で、家族に縛られて、いろんなものに縛られて、出口が見えない感じは
映画ではもう少し緩和されていたように思います。
登場人物たちが背負っているものはかなり原作に忠実に描かれているのに
(映画では千夏の父親の症状はもう少しぼかして描かれるのかと思っていたのですが
そのまま描いていてびっくりしました)
生身の人間が演じている力強さが作品に希望という明るさを与えている気がしました。



見終わっての感想は、この映画すごく好き・・・なんです。
でも、その好きがどこから来ているのかがよく分からない。
パンフレットにあらすじが載っているんですけど、
見終わってそのあらすじを読んだときの味気なさ・・・。
きっと筋や話の展開、テーマ性・・・そういった部分に惹かれたんじゃないんだと思います。
ただただ映画としてスクリーンに映し出されたもの全てが
何とも言えず愛おしくかけがえのないものに思えたのです。
時々、スクリーンを見ながら、
北国の夏の風、海辺近くの空気の匂いを感じられるような気がしました。
映画の中に自分が透明な存在として入り込んで、
登場人物たちの側でじっと息を殺して成り行きを見守っているようなそんな気分。
重い内容だし、かなり際どい性描写もあるし、
決して見ていて楽しいだけの作品じゃない。
気楽に繰り返し何度でも見られるような作品でもない。
でも、見終わって、一日経って、
自分の日常の光景の中に映画の匂いの欠片を見つけて、
ふと、もう一度あの街に住む達夫に千夏に拓児に会ってみたいな・・・と思える。
そんな映画でした。
幸い手元にはもう一枚前売り券があるので、
もう一度達夫たちに会ってこれます。
もう一度見たら、もう少し映画の内容について何か感想が書けるかな。





この映画の綾野君で一番印象に残っているのはうなだれた姿。
特に前半は長い首を大きく前に倒している姿勢が多かった。
綾野君は本当に首が長いのでそれがとても絵になって・・・。
この役を、自衛官で常に背筋を伸ばしていた空井君の次に撮影していたんですもんね・・・(  ゚ ▽ ゚ ;)
それから最近は画面の中でなぜかとても小柄に見えることが多かったんだけど、
そして肩幅もあんまりないように見えてしまっていたんだけど
(単に共演者が妙にでかい人ばかりだったせいなんだけど(;^_^A)
この作品の衣装はどの服の時も肩幅がしっかりあるように見える服ばかりで、
そして小柄な池脇さんの隣ではしっかりきれいに身長差も出ていて
それも、なんか、とてもよかったです。
結構過激なシーンがあるっていうのは事前から聞いていたんだけど、
ま「ヘルタースケルター」もたいがいやったからいけるっしょ?
って案外気楽に構えていたら、
思っていた以上に時間が長くてがっつり描いていたのでやっぱりちょっとびびりました(・・;)
でも達夫と千夏のシーンはきれい・・・というか
ちゃんとラブシーンとして素敵だったなあ・・・。
中島とのシーンとは明らかに撮り方が変えてあって、
中島と千夏のベッドシーンが生々しくて痛々しくて、その対比がすごかった。






見終わった時に、軽く興奮していて、
この興奮がなんなのか知りたくて、勢いでパンフレットを買いました。
でも勢いは止まらず、
この映画は是非シナリオを読んでみたい!
と思い立って・・・。
今月号の「シナリオ」誌にこの映画のシナリオが載っていることは知っていたのです。
幸いテアトル梅田に行ったので、
映画館を出たら斜め前に大きなジュンク堂があるので速攻で買いに行きました。
帰りの電車の中で、わくわくしながらパンフレットを見て・・・
載ってるやん・・・シナリオ・・・(T_T)
わざわざ「シナリオ」誌買わなくてもパンフレットだけで十分やったんやん・・・(´□`。)
どうせだったら先月号の「シナリオ」誌買っとけばよかった・・・。
先月号だったら「白ゆき姫殺人事件」だったのに・・・。
1回パンフレット見てから買いに行けばよかったよお・・・o(TωT )
・・・とりあえず、お得です。このパンフ。
字は細かいけどシナリオ載ってます。
私の・・・ばか・・・(T▽T;)



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