八重の桜~西南戦争

この回結構好きでした。
久々に緊張感のあるシーンの連続で、
毎週食い入るように見ていた頃の感覚を思い出した。
別に戦闘シーンが好きというわけじゃないと思うんだけど・・・(;^_^A
たぶん、会津の人達がいっぱい登場して、
ちゃんと殿のことを思い出してくれて、
ちゃんと過去を否定しないでいてくれたことが嬉しかったんだと思う。
ここんとこ、会津時代のことがなかったことみたいになっているのが
なんともさみしくて・・・(ノ_・。)
すっかり満足して見終わって、
今日はツイッターでもいい感想がいっぱいだろうとパソコンをつけてみたら、
非難の嵐だった(ただし私のタイムラインでは・・・)(  ゚ ▽ ゚ ;)
あ・・・そうなんだ・・・( ̄□ ̄;)!!
ちゃんと史実の西南戦争を知っている人達からみれば、
あまりにも粗すぎる展開だったみたいで・・・。
・・・私、この辺の歴史、本当に疎いからな・・・(・・;)
入試の日本史で暗記したレベル以上の知識は皆無に等しいもんな・・・。
京都編の流れを見る限り、
八重が関わらない史実なのにちゃんとやるとは思わなかったんですよね。
前半の流れならまだしも、
京都編に入ってからは政局って本当におざなりだったから。
だから、これだけでもうかなり満足で、
ついでに浩も西郷さんの名台詞を聞く人に抜擢されて(っていう表現も変だけど)
おっ、浩見せ場もらえたやん(^ε^)♪
って喜んでいたら、
史実的には熊本城に入城する際にちゃんと見せ場(実績?っていうか歴史的事実)があるらしく
(リアル浩って本当に有能な人なんだなあ・・・)
そっちをまるっと無視で、
西郷さんの引き立て役のような役目押しつけられて・・・
みたいな意見を見るとなんか喜んでいたのが浩に申し訳ない気分になって・・・σ(^_^;)
そっか・・・(´・ω・`)
やっぱり浩、割食ってるのか・・・(ノω・、)
ってなんだかすごく残念な気持ちにかわり・・・。
そんなこんなしている間にストーリーブックの完結編が出たらしく、
タイムラインはその話題で持ちきり。
もともと完結編は買う予定がなかったので、
自分で手にとって見ていないんだけど、
それでも、なんか立ち読みでも見るのが辛そうな感じで・・・。
え? このドラマってそういう方向に進むの?Σ(・ω・ノ)ノ!
そういう話だったの?Σ(~∀~||;)
っていう展開に驚きや嘆きのつぶやきがいっぱいで・・・。
正直、かなりがっかり来ています。
ストーリーブックって単なるあらすじだし、
今までだってストーリーブックで読んだ印象と放送されたドラマじゃ印象が違う
ってことよくあったし、
ましてや自分の目で見てもいないのだから何にも言えないのはわかっているのだけど。
でも、たぶん、この先、
放送されたドラマを見る度に
こんなはずじゃなかった・・・
こういう展開だったらなんのために今まで描いてきたの?
っていう調子で批判ばっかりの記事を書いてしまいそうなので、
次回から毎回感想を書くのはやめようと思います。
批判を書くために感想書いている訳じゃないので・・・(´・ω・`)
この大河なら、毎回感想書けると思ったのにな。
いや、自分の根性の問題というか、
毎週感想書くのしんどいっていう終わり方はあると思っていたんだけど、
内容的な意味でドロップアウトするとは思っていなかった。
やっぱりふと思い出すのは「天地人」のことで・・・。
あの時の空しさが蘇ってきています。
そんでもって、この大河の配役が発表になったときに、
綾野君、玉山君二人が大河に出るという喜びと同時に
プロデューサーに一通りでない不安を抱いていたことを思い出しました・・・。
でも脚本家さんがしっかりされているから大丈夫だと思ったんだけどな。
思っていた以上に、ドラマってプロデューサーのカラーが
作品の方向性を決めていくんですね・・・。
人間が描けていないのになぜだか主人公が持ち上げられていく、
歴史的な事実に対するドラマとしての解釈を掘り下げない、
人の感情の機微に踏み込まない・・・
誰も傷つけないように配慮しているように見せながら
実は歴史を冒涜したようなことを平気でやる。
でも、雰囲気だけ妙に華やかで賑やかしいっていう
「天地人」の時に感じていた悪いところが
「八重の桜」の後半は引き継がれている気がする。
・・・勝手な思い込みでしかないんだけど、
スタート当初のこのドラマのカラーは山本さんのものだと思う。
でも視聴率が振るわなくなって、
プロデューサーの意見がどんどん強くなっちゃったんじゃないのかな。
なんとなく方向性がブレ始めたかなあ・・・
って感じ始めたのが戊辰戦争前くらいかなあ・・・。
籠城戦は本当は山本さんはもっと違った形で描きたかったんじゃないのかな。
で、京都編に入って山本さんが描きたかった方向と
プロデューサーが持って行こうとしている方向のせめぎ合いが強くなって
今、こういう感じで進んでいるんじゃないか・・・とσ(^_^;)
そんでもって、プロデューサーは
京都編から意図的に会津色を消そうとしている気がする。
視聴率が振るわなかった会津色を払拭して、
明るく楽しい京都編にして心機一転を計るつもりっぽそう。
これだけ長い作品を書いていくためには事前にちゃんと準備しているはずで、
方向性やエピソードの挿入時期なんかはきちんと決めてい書いているはず。
で、やっぱり、今の「八重の桜」が進もうとしている方向で
初めから計画されていたとすれば、
前半の会津編は長すぎるし、歴史パート多すぎるんです。
バランスが悪すぎる。
そんなの素人が考えてもわかる。
たぶん、最初に山本さんが目論んでいた流れって言うのがあるはずで、
それはきっと京都編でも会津時代の匂いが残っていたんだろうと思うんです。
もう少し丁寧に会津藩士達のその後が描かれるとか・・・。
たぶん今回の「西南戦争」はその名残みたいなもので、
やりたかったことを一気にこの回に詰め込んでしまった気がします。
だから歴史的事実としての西南戦争はほとんで描かれないまま、
西南戦争を会津の名誉回復の好機として位置づける浩や官兵衛の姿や
官兵衛の最期や、
西南戦争のこのドラマでの意味づけを西郷に語らせる
という「言いたいこと」のオンパレードみたいな回になっている。
本当はこういう流れで書きたかったんだよお!
っていう山本むつみさんの作家としての怨念みたいなものが感じられて
やっぱり私、この回好きでした。
山本さんはもともとこの西南戦争までを
武家社会が終わりを迎えていく一つの時代の流れとして描きたかったんだな。
「八重の桜」では長く続いた社会の枠組みが崩れていく様を描くんだ
っていう思いが強かったんだな・・・と感じました。
プロデューサー・・・( ̄へ  ̄ 凸
会津祭りにメインどころのキャストが登場しないのも
なんとなく釈然としないものを感じていたんですよね・・・。
あ、容保さまが行かなかったのはしょうがないかと思いました。
本物のお殿様が毎年参加していらっしゃるんじゃ出番ないですよね(;^_^A
そんでもって劇中の扮装せずにオープンカーでパレードだったら
無理して行く必要性そんなに感じないし・・・。
それにしても「八重」からたった二人だったっていうのは
なんかさみしくて・・・。
なまじっか久慈のお祭りにあきちゃんと夏ばっぱが
仲良く参加していただけに、
番組としても姿勢としてどうなんだろう・・・って思っていました。
舞台になった土地に対する敬意とか、感謝の気持ちを表すのに
もすのごくストーレートな方法でしょ?
キャストが地元の祭りに参加するって。
5~6人くらい行っちゃってもよかったんじゃないかって思ってました。
「新選組!」の時でさえ何人か行ったんですよね?
ドラマの中で会津はほとんど映らなかったにもかかわらず。
でもまあ、京都パートで会津時代のイメージを抜こうとしていると考えたら、
そうなってしまうわなあ・・・となんか納得してしまった・・・。
・・・っていうか、もしそうだとしたら、
会津に対してものすごく失礼な話なんじゃないか?( ̄□ ̄;)!!
あくまでものすごく個人的な印象による勝手な想像なので
真相はどうなのかわからないんですけど。
そしてたぶん真相が明らかになることはないんでしょうが、
それでもとりあえずこのプロデューサーは大河ドラマには絶対向かないと思うし、
できればもう二度と関わらないで欲しい・・・( ̄ー ̄;
キャスティングという点に関してだけは、
今回ドツボにはまった人が何人もいて、
というか、外れている人がいなくって
すごいとは思いましたけど・・・。
でも「天地人」のキャストとかぶっていることも多いし、
メンツを見ていて、たぶん実力とか演技力云々じゃなくて、
話題になりそうできらきらしい人をどんどんキャスティングしたら
その人達が思いの外力があって、
熱い現場に触発されたこともあって思っていた以上に熱演してはまっちゃった
・・・パターンも結構あると思うヽ(;´Д`)ノ

で、とりあえず内容についての簡単な感想。
官兵衛さんよかったね、尻切れトンボにされなくて。
寝坊事件があれだけちゃんと描かれて
後は京都編で浩の側でちょこちょこ出ているだけで
西南戦争で戦死っていうのをナレーションで済まされちゃったりしたら
なんだか浮かばれないもの・・・。
戦って死ぬことを美学とした最後の武士として描いてもらって本当によかった。
ただ、最期の歌が浩の歌じゃなくて
官兵衛さん自身の歌だったらよかったなあ。
殿からいただいた刀で殿の為に戦ったってことがよく伝わるのに。
でも、最期に「賊軍も官軍もねえ」って言わせているので
ここは敢えて「会津の名誉回復のため」「殿のため」に戦ったのではなくて
あくまでも武士として死にたかったということを強調したかったのかな。
会津の名誉回復を最後の最期にごまかしてしまうあたりが、
なんとなくもやもやしてしまうのですが、
たぶんこのドラマが会津の名誉回復を目指していないんですね。
違う所に着地点を置こうとしているっていうことが
漏れ聞くストーリーブックの流れでわかったので
これはもうしょうがない・・・(´・ω・`)
そこに着地させるための強引な頼母の人物造形だったんだなあ・・・と
今更ながら思っています。
土佐と神保パパの切腹の時のやり取りも違和感を感じたけれど
それもあの結論に向かうためならそうなるよなあ・・・。
でもその流れで復興支援って言えるのかなあ・・・(・_・;)

浩は京都編に入ってから安定したかっこよさで・・・(;^_^A
西南戦争が会津の名誉回復の手段だって言っていました。
実は個人的にこの感覚がなんとなく理解しがたくって・・・。
いくら西郷が憎いと言っても、薩摩が憎いと思っても
実際に会津を討ったのは官軍(現現政府軍)で、
そこに入って戦うことが会津の名誉回復になるのか・・・。
今回浩に会津の思いを代弁させ、
直接西郷に
「なぜ会津を討った」
って問いかけさせることで、
ちょっと感覚的に納得できたかな。
この思いなんだろうな。
なぜ、会津は討たれなければならなかったのか、
なぜ、会津は滅びねばならなかったのか・・・
納得できない思いが、解放される方向を求めて溢れ出したのかなあ・・・と。
その溢れ方が、不平士族として政府に反発する方向に出る者もいれば、
とりあえず当時の時勢に乗って戦いの場を求める者もいる。
官軍、賊軍と言っても、その立場は簡単に入れ替わる。
会津戦争の時に官軍としてトップにいた西郷が
今は賊軍として官軍に追われる立場に、
賊軍として戦った浩は官軍として
今度は圧倒的な戦力を得て西郷を苦しめる。
何が悪かったでもない。
何が正しいのでもない。
ただ目の前に圧倒的な勢いで人々を押し流していく時代の流れというものがあって、
我々はそこに押しつぶされたのだと、
けれども、誰にもその流れを止められはしいないのだと、(かなり意訳です(;^_^A)
浩の問いかけに対して西郷に答えさせたのがよかったなあ・・・と思いました。
昔の「白虎隊」というドラマですごく印象に残っている台詞に
「時に流れが速すぎた・・・」
って言うのがあって、
西郷さんの言葉を聞きながらこの台詞を思い出しました。
当時歴史的な知識ってあんまりなかったし、
正直ドラマの内容もちゃんとは理解出来ていなかったと思うんだけど、
それでもこの台詞を聞いて大きな歴史のうねりみたいなものを感じた。
西郷さんの言葉にもちょっとその匂いを感じました。
会津編で会津(容保さま)はいろいろなものに振り回された。
幕府に、孝明天皇に、慶喜に。
その時々で必死に選択を繰り返しながら、
それでも滅びに向かう流れからは逃れられなかった。
それはもう歴史の要請としかいいようのないもので、
その流れを作っていた一人と思っていた西郷でさえ、
今、まさに、歴史の流れの中に消えようとしている。
西郷さんがすごいのは、ちゃんとそれを高見から見据える視点をもっていることで、
自分が今やっていることの歴史的な意味を自覚している。
格好良く西郷を糾弾した浩が明らかに格負けしているのも道理かな・・・と。
ただ、西郷にこの視点からの台詞を直接浩に聞かせたのは意味があるよなあ。
これから明治の世を生きていく浩ですものね。
西郷は戊辰戦争は正義云々の戦いではなかったと言っている。
そしてその恨みやしこりから続いている争いはもう終わらせなければいけないから
自分がその役割を引き受けて滅びていこうとしている。
この視点からの、この決意を聞かされたら、
もう、浩は恨み云々だけで生きるわけにはいかなくなりますよね。
恨み、敵討ち、仕返し・・・そういう部分ではないところで
会津の名誉回復を図る、
会津にも会津なりの道理があったことだけは理解してもらえるように尽力する
って言う方向に生き方がシフトしていくのかなあ・・・と思って、
この部分は絶対にこのドラマで語らせたかったことなんだろうなあ・・・
と思いながら見ていました。
こういう方向に行きながら、
結局最終的にあの戦い(会津戦争)は悪かった・・・
っていう方向に流れをもっていきそうなのが
どうにも納得いかないんですけど( ̄ー ̄;
それにしても、西郷役の吉川さんよかったなあ・・・:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
容姿は全然西郷さんのイメージじゃないのに、
すごく説得力がありました。
今回、西郷さん、木戸さん、大久保さんが去って、
幕末の大物が一気にいなくなりました。
これでもうあまり政局は出てこなくなるのかな。
とりあえずひとまずここで毎回感想は終わります。
でも、基本的に、綾野君、玉山君を追っかけているブログなので、
浩が目を見張るほどに活躍したり、
殿が再登場したらひょろひょろと感想書いていると思いますが・・・(;^_^A

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ガッチャマン 今度はちょっと辛口感想

たまたま珍しく水曜が休みだったんですよ。
でもって、行きつけの映画館で「ガッチャマン」まだやってて、
しかもスクリーンが9だったんです。
この映画館、できた頃はTOHOシネマ系列だったんですが、
その後なぜか(たぶん経営不振(><;))経営者が2回も変わって・・・。
で、その最初のTOHOシネマズの頃、
スクリーン9っていうのは特別料金で
ちょっとリッチな気分で映画が見られるっていうスクリーンでした。
通常よりもゆったりとしたソファ、しかもリクライニングする!
肘掛けはちゃんと一人一人両方あって、
間にはちょっとしたテーブルもある。
それが経営者が変わってからはそのままの設備で
通常のスクリーンとして運用されたんです。
こういう特別なスクリーンだからキャパは少ないので
人気がない作品とか(おい)、
公開終了間近の作品がよくかかります。
お気に入りの映画がこのスクリーンでかかると
見た映画でも、また行きたくなってしまう・・・。
で、「ガッチャマン」はこの週だけこのスクリーンで上映だったんです。
水曜休みだなあ・・・
レディスディを利用してもう一回見たいなあ・・・
って思っていた「夏の終わり」と「ガッチャマン」
このスクリーン9が決め手で「ガッチャマン」を見に行くことに決定!
もう公開してから4週目に入っているし、
朝一の上映だったこともあって、
もしかしたら一人で貸し切り状態?(^ε^)♪
って期待していったのですが、
さすがにそんなことはなく・・・(;^_^A
結局私を含めて6人で見ました。
興行的には一人でも多くの人に見てもらったほうが嬉しいんで
それはそれでよかったです。


でも、結論的には・・・見なかったらよかった・・・orz
初見の時はストーリーを追うことに一生懸命で気になっていなかった欠点が
めちゃくちゃ目についてしまった・・・!(´Д`;)
最初のいいイメージのまま、おいとけばよかった・・・(><;)
たまたまこの間宇多丸さんの「ガッチャマン」評を聞いて
なるほど・・・とそれなりに納得したので、
余計にその批判されていた部分に焦点をあてて見てしまったっていうのもあるかな。
この宇多丸さんの「ガッチャマン」評はとっても厳しいものでしたが、
ちゃんと本家のアニメを事前に見て予習されていたり、
(リアルタイムで放送を見ていた世代ではないそうです)
映画自体も2回見られていますから、
あのいい加減なネット評とは一線を画した批評です。
「ガッチャマン」の実写化という切り口、
もしくはCGを駆使したヒーロー系のアクション映画として見た場合、
そう批評せざるを得ないかな・・・(´・ω・`)
一番印象的だったのは時間の使い方がおかしいってとこ。
制限時間が迫っている中でなんで延々としゃべってるの!
って宇多丸さんが話しているのを聞いて、
ぱっと思い浮かんだのは、
甚平が東京の目標設定の変更がまだ残っているのに
ペラペラおしゃべりしてて、その間にカークランド博士が自爆
結局モスコーンの制御が不能に・・・ってとこ。
でも、そういう目で見なおしてみると確かに該当するところいっぱい・・・((゚m゚;)
そういえば同じこと「ヘブンズフラワー」でも感じたなあ・・・。
喋っている間に倒せるやろ・・・?
っていう悠長なシーンの連続。
緊張感が薄いのはそのせいだったんだな・・・(-。-;)
大好きだった青いだだっ広い部屋でジョーとナオミが対峙する場面。
あそこ、改めて見ると、イリヤの姿でいる時間が結構長いんですね。
で、延々と説明台詞喋ってる・・・。
ジョー、じっくり聞いちゃってるし・・・・(゚_゚i)
さっさとその羽根手裏剣投げちゃいなよ!( ・д・)/--=≡(((卍
やっつけられるから!
ナオミの姿で居るときにジョーが固まっちゃうっていうのは
よくわかるんですよ。
でも目の前にいるのはにっくきイリヤなんだからさ、
せめて何回かさや当てくらいはしようよ・・・(-。-;)
うーん、こう言うところは脚本と演出のテクニック的な問題だから
もうちょっとなんとかならなかったのか・・・( ̄ー ̄;
作り手側にヒーローものの格好いいアクションシーンを作ろう
というよりも、
物語の世界観を説明したい・・・っていう思いの方が強く感じられる。
その割にはやっぱり説明足りないしさ。
あれだけみんな口をそろえて
「自由がない」
っていうんだから、その様子を見せて欲しい。
健・ジョー・ナオミの子供時代をせっかく出しているのなら、
他の子供達から隔離されて、
戦闘訓練をさせられている場面を映してくれれば
ああ、きっとジュンも甚平もリュウも適合者はみんな
こんな生活を強いられてきたんだなあ・・・って思えるのに。
なんでわざわざ砂浜だったんだろう・・・( ̄_ ̄ i)
で、ふと思った。
ナオミはジョーに「選ばせてあげる」って言ったけど、
あれって本当に選べるのかな。
というより、ナオミは本当に自由を選んで
自らギャラクターになったの?
あの状況でギャラクターに捕らえられて、
自分から進んで自由を選ぶ・・・とは思えないんだよなあ。
ということはきっとジョーも本当は選べないじゃないかな。
感染してしまった時点でアウト。
と考えると、ナオミがジョーになぜ選択肢を与えたのかがよく分からない。
ジョーが感染した時はまだ石の力が十分あって、
ウィルスXを押さえ込めるだけの力を持っていたから
その石の力を無くそうとしたのかな。
でもあの石の力が何に反応しているのかもよくわからないんだよな。
とりあえず肉体的精神的なダメージを受けると
石の力が消えてしまう・・・くらいの説明しかなかったような・・・。
でもジョーに精神的な揺さぶりをかけるなら、
「自由」か「ガッチャマンのままでいるか」
っていう選択肢じゃなくて
「私と一緒に居る」か「ガッチャマンのままでいるか」
って選択肢にした方がもっと効果的だったと思う(;^_^A
なぜそこで色仕掛けに出ないの、ナオミ!
でも何となく、ベルクカッツェになったナオミの心の片隅には
ほんの少し人間だった頃のナオミの心が残っていて、
そのナオミがジョーと健を誘導している気もする。
二人に自分を殺させるための誘導。
ジョーは要塞に行くと決めたときから
自分がナオミを殺して解放してやるんだって思ってますよね。
幼い頃のナオミが、
もし自分がウィルスXに感染してギャラクターになってしまったら、
「その時は殺して」
って言う回想が入るずっと前の段階で、
ジョーはそのことを実行しようとしている。
でもナオミは分かっていたんじゃないのかな。
ジョーには自分を殺せない。
ジョーはナオミを愛しているから、
ギャラクターだということが分かっていても
ナオミの姿をしている自分を殺せない。
それは健にしてもそう。
健も自分を殺せない。
でも、ジョーをおとりにして、
ジョーを守る為だったら、
健は迷わず自分を殺すと思った。
実際そうでしたもんね。
ジョーを守る為に健は躊躇なくベルクカッツェに剣を刺した。
刺してから
「あ・・・( ̄□ ̄;)」
って感じになってましたけど。
この時のベルクカッツェの言葉がすごく残酷でした。
おそらくナオミの記憶を利用して
健とジョーを動揺させるために繰り出した言葉なんでしょうけど。
(ただここも、お腹に剣が刺さりながら悠長やな・・・とは思った(;^_^A)
切ないよね・・・ジョー(ノ_-。)
半分ベルクカッツェの姿になりながら、
ナオミの口からあんな言葉聞く・・・ってさ、
しかも、自分ではなく、健が、
ナオミを解放するのを目の当たりにしながら・・・。
なんか報われないよね・・・ジョー(´_`。)
健とジョーとナオミって本当に深くつながっていて
ものすごく仲間意識が強いんだけど
(ガッチャマン5人の結びつきよりも強い(-"-;A)
微妙に濃淡があって、
それを矢印で表すと
健→ジョー→ナオミ→健
っていう、見事な一方通行になるような気がする。
だから健がジョーに一緒に行こうって言うのは分かるんだけど、
見る度に、あんた、ほんまに分かっていってるんか?
身内に敵を抱えるリスクを負う覚悟ちゃんと持ってるんか?(`・ω・´)
って言いたくなってしまう・・・(;^_^A
それでもゴッドフェニックス(でしたっけ?)でみんな揃うシーンは
ようやくこの5人がチームになったんだな(多少強引だけど)って思えて、
やっぱりこのお話はこれから始まる壮大なお話の導入部なんだなあ・・・
ここからこのガッチャマンメンバーのお話が始まるんだなあ・・・
って改めて思いました。
たぶんね、今回とってつけたようだったジュンの恋も、
この先の展開では大きな意味を持ってくる。
ジュンが今回の戦闘で見つけた戦う意味も。
中途半端に相談だけして終わった竜のお母さん(実のお母さんじゃないらしいけど)も
きっとちゃんと意味を持ってくるはず・・・。
監督の隠し設定によれば、竜はサイボーグなのだそうで、
最初聞いた時は、
なんじゃそれ?Σ(゚д゚;)
って思ったもんですが、
(だって科学忍者隊とサイボーグってなんか設定の寄せ集めみたいでしょ?)
映画を見たらその理由がよく分かりました。
敵の正体がウィルスということは、
竜は絶対に感染しないんだ!
石の適合者がそのままギャラクターの適合者でもあるというのなら、
ガッチャマン全てがギャラクターになる可能性があるわけで、
おそらくウィルスXはそれを狙っているんでしょ?
これまた監督の隠し設定で、
ギャラクターは何らかの意図を持って人類の一部を生かしているらしい。
南部博士の活動(石の適合者を探し出しガッチャマンに仕立て上げて兵器にする)は
ギャラクターから容認された活動だけど、
カークランド博士の計画はギャラクターの目論見から外れていたので潰された・・・
っていうのは、
つまり一定数の人類はギャラクター(石)の適合者を排出するために必要で、
南部博士のようにその中からわざわざ適合者を探してくれるのは
ギャラクターにとって好都合ってことなんでしょ?
そんでもって、ジュンが実は一番適合率が高くてその能力は計り知れない・・・
っていう隠し設定は、
彼女がギャラクターの最終目的になる可能性が高いってこと。
最も強いベルクカッツェになる可能性があるってことですよね。
ジョーの中に入り込んだウィルスXはやがてジュンの存在に気付いて
彼女を狙うでしょ。
健は仲間を守る為に必死で戦うでしょ。
その時に今回無駄に空回りしていたジュンの健への片思いが
上手くドラマを作っていく気がするんだよな・・・。
そんでもってウィルスXに感染する恐れのない竜は
その戦いの中で間違いなくキーパーソンになれる。
きっとサイボーグだったって気付く過程もドラマチックになるだろうし。
たぶんその辺でお母さん話も出せそう。
あ、甚平はジュンのリミッターなんだそうです。
たぶん次作ではジュンがちゃんとヒロインとして機能し始めるから、
甚平のリミッターとしての役割も描かれて行くんでしょう。
ジョーはもちろんダークサイドに堕ちたヒーローになるだろうし。
監督がおっしゃっているように、
今回映画化された話がエピソード4だとすれば
続きの2回はがっつりとガッチャマンメンバー5人の中での
愛憎劇になっていくはず・・・。
今回の映画はその導入部みたいなもの・・・。
でもね・・・これ、ドラマじゃないんだよなあ・・・(´・ω・`)
ドラマだったらいくらこけても、
大幅に話数カットされても、
一応顛末がつくところまではやるけどさ、
映画だと次はないんだよねえ。
かといってドラマでやるには金銭的にも技術的にも
規模が大きすぎる作品だし。
別にTV局のディレクターが映画の監督をやることについて
あんまり不満はないんだけどさ、
今回の作品で言えるとしたら、
映画はこけたら次がない・・・っていう危機感が薄かったんじゃないのかなあ・・・
っていうことはちょっと思った。
映画だけでやっている監督が背負っている
これがこけたら次はない!
って言う覚悟っていうか、
1本の作品にかける執念みたいなものが足りなかった気がする。
そういう甘さが細部に出てしまっていたかなあ。
この作品単体として見た時に、
ジュンの恋話はやっぱりジュンという女の子のキャラクター説明として
あまりにも陳腐なものでしかないし、
竜の過去も不必要としか言いようがない。
監督もエピソード4っていう発想の元は
「スターウォーズ」と明言されていて
「ガッチャマン」という素材でそういうものをやりたかったそうです。
でも「スターウォーズ」はちゃんとエピソード4の話だけで
魅力的だった・・・っていうのは宇多丸さんの言。
それは、私もそう思いますσ(^_^;)
時代的なものもあるだろうし、
やっぱりこのジャンルで先駆的な作品だったってことでしょうね。
みんな見たことない世界観が映像で見られた驚きが大きかった。
でも正直言って比較的最近公開されたエピソード1~3は
あんまり面白くなかったんですよね、私には。
アナキンがダークサイドに堕ちていく過程が
設定だけは魅力的なんだけど
人間ドラマとしてその面白さが活かせていないというか、
もっとドラマチックにできなかったのか・・・っていう思いがずっとあって。
こういうスケールの大きいドラマチックな設定
日本で作ったらどうなるんだろう・・・って
「スターウォーズ」エピソード3を見てすごく思ったんですよね。
SF大作で映画として成功しているものって邦画ではほとんでないんですけど、
マンガではおもしろいの結構ありますよね・・・。
今、これ! っていうのが思い浮かばないけど・・・σ(^_^;)
マンガの世界の自由な発想、ストーリーテーリングの巧さを
なんとか実写映画の世界に持ってこれないものか・・・。
本来日本人って得意だと思うんですよねえ。
でも邦画ってこういうジャンルそのものを避けるし、
作っても上手くいかないし・・・( ̄ー ̄;
で、そういう壮大な話を「ガッチャマン」でできるなら、
見せてもらいたいっていう思いはものすごくあります。
ただ・・・その際は脚本をもっともっと練って欲しいですけど。
そこでも問題になるのは、
もともと「ガッチャマン」というアニメが持っていた部分と
新しい「スターウオーズ」的な設定との親和性のなさ・・・(><;)
やっぱりなんかちぐはぐなんですよねえ・・・。
ツギハギ感がめちゃくちゃある・・・。
でも、こういうアクションヒーローものやるにはお金がかかるし
お金を集めるには有名な作品を持って来るしかないし・・・
ってどこまで行っても堂々巡り・・・。
すごく、すごく、この映画の続き見たいんです。
ダークサイドに堕ちて苦悩する綾野ジョーを見てみたい。
こんな特殊な設定の話、そうそうあるものでもないですし。
他のキャストも見せ場を得て輝く姿を見てみたい。
でも、今の状態で続編が出来るとは思えないし、
もしできたとしても、キャスト・スタッフにとって
それがいいことなのかもわからない・・・。
なんか、2回目見て、そんな複雑な思いが強くなりました。
見たい・・・でも無理そう・・・っていう感じで、
いつまでも同じところをぐるぐる回ってる・・・ヽ(;´Д`)ノ



2回目見てよかったこと!
桃李君がかっこよく見えた!
私今まで何気に桃李君の出ているドラマ見ていたんですけど
あんまりいいと思ったことなくて・・・(すみません・・・)
でも、健の桃李くん、いいなあ。
あんまり表情に表してはいけない役なんだけど
時々ちょっと苦悩が滲むときがあって
それがすごくいい塩梅で、いい表情してる。
いい役者さんだったんだなあ・・・ってようやく気付いた(おい!)
あと、やっぱりこの作品は内容についてうだうだ考えずに
ひたすら設定と役者さんだけを見ているのが
一番正しい鑑賞方法なんだろうな・・・。
考えたら・・・負けですね・・・(^_^;)

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八重の桜~過激な転校生

おもしろいんだよな・・・。ちゃんと。
1つ1つのシーンはすごくいいと思うし。
でも・・・って、どうしても思ってしまう。
もっと面白くなったはずじゃないのかな、
もっと感動があったんじゃないのかな。
この部分を膨らませたらドラマがもっと膨らんだんじゃないの?
この部分省いちゃったら伝わらないことがあるんじゃないの?
ドラマで描かれなかった部分が、
切り捨てられてしまった可能性が、
どうしてもいっぱい浮かんできてしまう。
今まで見てきて、
こうなればいいなあ・・・
こういう描かれかたしたらいいなあ・・・
って勝手に思い描いてきてしまっていたものから
少しずつドラマがずれてきていて、
それが何となく不満として心にくすぶっているのかもしれない。
今の京都編、京都編から始まったドラマだったら
文句なしにこれでいいと思う。
襄さんは魅力的な人物として描かれているし。
でも、「八重の桜」として全体の流れを考えたとき、
今はどういう位置にいるのか、わからない。
でもドラマって(というか作品って)最後まで見ないと
全体の構成なんてわかんないものだし、
最後まで見た時に、
ああ、そういうことだったんだ・・・
これが描きたかったんだ・・・
っていう部分が伝わって来たらそれでいい。
だから最後までちゃんと見てからじゃないと何も言えない。
もしかしたら自分が見えてない一本の流れが
作品の中にちゃんと流れているのかもしれないから。
・・・それが分かっているから、
なんだかだんだん感想が書きにくくなっていて・・・。
感想を書こうとすると、
なんか不満主体になっちゃって・・・(-""-;)
でも、そんなに毎回不満だらけなのかっていったらそんなことないのに・・・。
今回で言えば、
涙ながらに同志社の教育の理念を語る襄さんはすごく素敵だったし、
熊本バンドのみなさんもいい感じで小憎たらしかったし(-""-;)
小憎たらしいキャラっていうのは
物語を面白く展開させるためのいいスパイスになるので
彼らのこれからの展開に期待!
前半の西洋文化が結婚によって一気に八重の生活になだれ込んでくる感じも
なかなかゆかいでした。
それから玉山君が格好よかった(*v.v)。
なんか、苦しい展開にぐぐっと目を潤ませて耐えるって役割、
すっかり容保様の代わりに浩になってますねσ(^_^;)
でも、容保様の時にはもっと時間をかけてことの顛末を描いてもらえていたので
ここで殿がどんな気持ちで耐えているか・・・っていうのがわかりやすかったのですが、
浩は描いてもらえていないからなあ・・・。
浩にしたって官軍に仕官する時ってそれ相応の葛藤があったはずなのに
その部分すっとばされちゃってるから
今回の苦悩がも一つ伝わってこないんだよなあ・・・。
今回出てきた幼なじみって
京に来るまで浩とずっと3人組だったうちの一人なんですよね?
初回からあれだけ3人組の仲間っていうことをしっかり描いていたのに
大蔵(浩)が京に出てからはすっかり忘れてしまっていましたヽ(;´ω`)ノ
こういうところも勿体ないなあって思うんですよね・・・。
もっと大蔵の側でちょろちょろと描いておけばよかったのに。
幼なじみに仕官したことをなじられて、
辛くないわけはない。
大切な幼なじみが破滅に向かっていくのを止められなくて
辛くないわけはない。
その方法は間違っていると思いながらも、
彼らの気持ちも分かりすぎるくらいわかる浩。
でも、なんかこの部分、物語から浮いちゃってるんです。
容保さまの苦悩は会津全体の問題だったから、
ちゃんと八重側の物語に響いていました。
多少の時差はあっても会津に情報が届いて
その情報に対して八重達のリアクションがあったり、
生活にも影響が出ていたりした。
でも、浩の苦悩は八重の物語には響かないんです。
本来、新しい社会に順応して、
明治の世に活路を見いだして生きる浩が抱える苦悩は
八重や八重の側に居る覚馬も同様に抱えている問題なはずなのですが、
彼ら・・・無関心ですよね・・・。
もと会津藩士が何しようと興味ないんでしょうか?
それともその辺の八重側のリアクションは
次回、西南戦争に向かう流れで描かれるのかな?
もともと襄も内乱に傷ついた日本の人々の心を救うために
日本に帰って来たんじゃなかったっけ?
世に蔓延する不平士族の不満と不穏な空気、
止まない乱に心を痛めていないのかな?
今は学校のことしか興味ないのかな・・・(´・ω・`)
・・・おっと・・・こうやってまたまた不平不満になっていく・・・(;´▽`A``
いろいろ突っ込んで考えたら不満が出ちゃうんですよね・・・。
さらっと見た段階の感想は
ああ、面白かった!
浩かっこ良かった!
なんですけど・・・(;^_^A
そろそろ毎回感想も限界なのかなあ・・・(><;)




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