今更だけどセカンドバージン

もう終わってから何週たってんねん・・・。

すっかり次のドラマが始まっているし[E:despair]

でも、とりあえず、最後までちゃんと見たので感想を。

私にとってやっぱりこのドラマが一番面白かったのは3話までだったなあ・・・と[E:coldsweats01]

るいさんと行さんがお互いの心を探り合いながらやり取りしているところが、

スリリングでよかったです。

5話くらいまではまだそういうところが残っていたのですが

後半は一気に話の展開がスピーディになって、

ストーリーと極端な人物の言動で興味を引っ張る様になって、

ちょっとテンションが落ちました。

見ているときはちゃんと「次ぎどうなるんだろう」という期待を持って見ていたのですが、

見てしまうともういいというか、

前半の様に何度も録画を繰り返し見て、

この時の行さんの心情はどうだったんだろう・・・とか、

このシーンのるいさんの行動の意味は?

と深読みして楽しむ・・・ということはなくなりました。

だから、最終回が終わってしまうとあんまり余韻がなかったというか、

あ、そうまとまったのね・・・という一種の安堵感でおしまい。

最終回が全体的に予定調和だったこともあるかもしれません。

ちょっとるいさんと万里江のお骨のやりとりが面白かったかな・・・くらいで。

でも、結局秀月先生はわがままバリバリながらもいいところを見せたし、

(それにしてもこんな人が書く小説は読みたくないなあ・・・大人げない[E:despair])

社長は最後までちゃんとるいさんの味方だったりで、

主人公を支える人達の暖かさがあったからこそ、

途中いろいろごたごたしても、どこか安心して見ていられたのだなあ・・・と思いました。

行さんが最終回、あれだけで終わったのが残念ですが。

ついでに、行さんが手紙を残していたのもちょっとできすぎな気がしました。

行さんがどうしてるいさんのもとから去ったのか、

その後どうしていたのか、

なぜ行さんが撃たれなければいけなかったのか、

るいさんにも視聴者にもはっきりわかったからスッキリしたのはスッキリしたのだけれど、

その分、どこか余韻がなくなった気もします。

事実丸ごと分からなくてもどこからか伝え聞く程度で、

もう少し謎の部分を残していてもよかったかな。

とにかく、最初から予想していたとは言え、

行さんは不幸なまま死んでいき、

女たちは強く生きていく・・・。

ある意味とっても現代的な話だったのかも。

返す返すも1・2話の録画を消去してしまったのが残念でした。

NHKは早々にビデオ化を決めたので、儲けにはしって再放送はしないんだろうな。

あ、それと最終回の日に長谷川さんが番宣で朝の情報番組に出られていたのに

見逃してしまったのも残念。

実はその数日前に最終回を迎えた「Q10」にすっかり魂を奪われていまして、

いろんなところで気が抜けていました[E:coldsweats01]

何喋ってたんだろうなあ・・・。

ノルウェイの森

昨年の暮れ、クリスマスのレイトショーで見てきました。

開場されてからのんびりとトイレに行って、それから中に入ったのに、

入った時点で1組のカップルしか座っていなかった!!

こ、これは・・・[E:coldsweats02] こけたか・・・

とびびったのですが、その後順調に客が入ってきて、

最終的には3分の1弱の席が埋まりました。

レイトショーということもあってかカップル率高し!!

うちも夫婦で見に行ったんだけどさ。

そのなかにおばさん3人組が1組だけいて,妙に浮いてました[E:coldsweats01]

あのおばさんたちは見終わった後どんな感想をしゃべりあったんでしょうねえ。

気になるところです。



さてさて、内容ですが、私は予想以上にイメージを崩されなくてよかったと思いました。

見る前は本当に覚悟していたんです。

映像の力ってすごいから、一回見てしまうときっとそのイメージに引きずられてしまって、

私が20代の頃心の中で作り上げた世界感が粉々に崩されちゃうんだろうなあ・・・って。

映像化されて嬉しい作品と、そうじゃない作品があって、

「ノルウェイの森」は私にとって圧倒的に後者だったので、

玉が出ていなかったら絶対見に行っていなかったと思います。

そんな思いで恐々見たのですが、

思いの外イメージが崩されると言うことはありませんでした。

菊地凛子さんが直子と聞いて、

私のイメージでは絶対に違う!! と思っていたのに、

スクリーンで見ると凛子さんはみごとに直子でした。

ワタナベ役の松山君も大好きな役者さんではありますが、

そして私的には直子よりもずっとワタナベ君のイメージは抽象的で、

こういう感じ・・・という具体的なイメージはないにもかかわらず

松山君はワタナベくんじゃない・・・という感覚が強かったんだけど、

彼もまた作品の中で見事にワタナベくんでした。

直子やワタナベがリアルな肉体感を持ったらこういうかんじになるんだな・・・と納得させられる演技。

特に菊地凛子さんは細やかな表情一つ一つを丁寧に演じられていて、

彼女の表情を見ていて、

原作を読んだときにつかみ切れていなかった直子の心情がすとんと心に落ちた箇所が何カ所もありました。

松山君も、細やかな表情が素晴らしい。

原作ではワタナベ君目線で語られていくので、当然地の文でワタナベくんの心情が事細かに語られていくわけです。

だからここでワタナベ君が傷ついているとか悲しんでいるとかという心の揺れは事細かに分かるんだけど、

そんな場面も私の頭の中のワタナベ君はほぼ無表情だったんです。

あんまり感情を面に表さないイメージだったんだけど、

そして松山くんの演技もあんまり表情を出さない様な淡々とした演技なんだけど、

所々ではっと感情が面に出る。

直子のリアクションに対するときとか、

一瞬ものすごく傷ついた表情をするんですね。

そんな瞬間、ああ、そうだ、ワタナベくんも20歳前後の未熟な若者なんだという当たり前のことを改めて感じさせてくれる。

ワタナベくんの口癖である「もちろん」の言い方も絶妙でした。

気障でなく、押しつけがましくもなく、さりげない「もちろん」

私の中で抽象的な存在だった登場人物達が、

生身の肉体を持った人として立ち現れてきた、

そうした当たり前のことを強烈に感じさせてくれた映画でした。

そして、原作を読んでいるときは地の文のワタナベの心情に寄り添って、

深い森の中をふらふらと漂う様に読んでいた作品を、

改めてその作品構造や話の仕組みから見てみるいい機会になりました。

やっぱり、映画化されて、時間という枠に物語を詰め込むために

原作が切り刻まれてしまったという感は否めないわけです。

それはもう仕方ないことなんだけど、

トラン監督が取捨選択したエピソードの中に、

私としては落として欲しくなかったエピソードが落ちていたり、

逆にこれはどうして残したんだろう・・・というのがあったりするわけです。

その理由を考えていると、

もともと作品そのものが持っていた構造的なモノがおぼろげに見えてきたっていう感じ。

とは言え、トラン監督がこの「ノルウェイの森」という作品を愛しているのは十分に伝わって来たし、

原作に対するしっかりしたリスペクトがあったからこそ、

大きく失望させられることはなかったんだと思います。

作品の解釈でいくつかの相違点があっても、

それはそれで違いとして素直に受け止められた。

「ノルウェイの森」を映画化するにあたっての監督がトラン監督でよかったと思います。

トラン監督独特のの映像も美しかった。

日本がアジアの一都市であることをしっかり感じさせてくれました。

湿度の高い空気が持つ独特の色味。

けれども貧乏くさくならない。

日本の監督が撮ったらもっと貧乏くさい色彩になったんじゃなかと思うんです。

特に学生運動の時代・・・って重々しくて、すぐに貧乏ったらしい映像になるじゃないですか。

そうならずに、どこか軽やかさも感じさせてくれる映像に仕上がっていたのは

作品のイメージとしてもよかったと思います。

この映画は世界でも公開されるようですから、

世界中の村上春樹ファンの人がこの映画を見て

「ああ、HARUKIの描いている日本というのはこういう国なんだ」

と日本を理解してくれると嬉しい。

そう感じさせてくれる映像でした。

ただ、外国人が監督だったということで不満も1つ。

台詞回しがみんなぼそぼそしずぎな気がしました。

日本語を母国語に持たないと、言葉の抑揚が生み出す雰囲気がつかみにくいでしょうから仕方ないと言えば仕方ないのですが・・・。

ナレーションを松山君のモノローグにしているのだから、

この部分に村上春樹独特の節回しみたいなモノを感じさせてくれる様な演出がなされていると、

もっと村上ワールドっぽくなるような気がします。

というのも、年末にやっていた「坂の上の雲」もナレーションが素晴らしいんですよね。

ドラマとしては非常にナレーションの比重が重くて説明的すぎるはずなんですけど、

そんな感じは全然せずに、司馬遼太郎の本をぐいぐい読んでいる気分にさせられるんです。

それは練りに練られた台本ということもあるでしょうし、

渡辺謙さんの語りが抜群に上手いということもあるでしょうが、

ナレーションを上手く使うことで、

特徴的な文体を持つ作家の匂いみたいなモノを映像作品にすり込むことができる・・・

という一種のお手本のようなドラマだと思うんです。

トラン監督は言葉よりも、できるだけ映像であの世界感を伝えようとされていたと思うんですけど、

言葉の響きという手法も使えたらもっとよかったのに・・・と少し残念でした。

ナレーションのワタナベくんのモノローグは大人になったワタナベ君の視点から、

郷愁を滲ませながらたんたんと(しかしボソボソじゃなく)語ってもらえたら、

映像の中の混乱のさなかにいるワタナベ君を俯瞰できて、

尚かつ作品の根底に流れている切なさみたいなものを感じさせることができたんじゃないかと思うんです。

松山君はモノローグも台詞も同じ調子だったですものね。

そこがちょっと残念。

もう一つ、トラン監督が変えてしまった、もしくは映画として描かなかったことでもっとも失望したのはレイコさんのエピソードです。

レイコさんが病んでしまった理由を映画の時間枠に入れられなかったのは仕方ないことだとは思いますが、

私にとってレイコさんは歌を歌う人なので、

その部分をもっと丁寧に描いて欲しかった。

霧島れいかさんはお美しい方で映像的にきれいでよかったのですが、

私としてはもっとおばさんでいいから歌を歌う人を持ってきて欲しかった。

年齢的には上になりすぎますが加藤登紀子さんのイメージです。

最後、ワタナベくんと関係する時に「それはありえへんやろ」という衝撃があるほど年齢が上でよかったんじゃないかと思います。

そして、直子の音楽葬はレイコさんを描く上で絶対に必要だったと思っています。

ビートルズのオリジナルをつかわなくってもいいから、

本当に歌の上手い(ついでにギターもうまい)人に演じさせて、

レイコさんの歌うノルウェイの森が主題歌でもよかったのに。





でも映画を見たお陰で、今まで漠然としかわかっていなかったのにはっきり見えてきたことがいくつかあって、

そううちの1つが、

どうして直子は誕生日の直後、

ワタナベくんと関係を持った直後にワタナベ君の前から姿を消してしまったのか・・・

その理由がおぼろげながら見えてきたことです。

たぶん、直子はワタナベくんの

「どうしてキズキと寝なかったの?」

と言う言葉から、より深い森の中に入り込んでいったのですね。

原作を読んでいた時にはあまりにワタナベくんの視点に同調しすぎていたために、

この言葉が直子に与えた衝撃に思い至っていませんでした。

もしかしたらこの時、二人で上手くキズキくんの記憶を封印して、

彼の生も死もなかったことにして生きていくことができたら、

直子は救われたかもしれない。

直子の性格からして、そんなことはできっこないとは思うけれども、

直子が死を選ばずに救われる唯一のポイントはここだったんじゃなかと思うんです。

けれども、直子はこのワタナベの不用意な言葉から、

より深い森の中に彷徨いこんでいくことになります。

それまでは双生児の様にして生きて来たキズキを失って、

外の世界とどうやって関わっていいのか分からない・・・

という漠然とした不安だったものが、

一気にアイデンティティを揺るがすところまで混乱が進んでしまう。

キズキとどうして関係を結べなかったのか一番知りたいのは直子なのです。

直子にとって性は生そのものだった。

社会で普通の人間として生きていくために欠かせない行為として認識していたんじゃないかと思うんです。

だから運命共同体のようにして生きて来たキズキと寝ることは直子にとってごくごく当然のことだった。

けれどもどうしてもできない自分がいた。

もし、ワタナベくんとも関係が結べなければ、

それはそれで「私はそういう人間なのよ」と開き直れたかもしれません。

けれども、ワタナベくんとはできてしまった。

それならばそのままその自分を肯定できればよかったのに、

ワタナベくんの不用意な一言で一気に混乱に陥ってしまう。

キヅキくんを愛していたはずなのに、キヅキくんとはできなかった。

それならば自分はキヅキくん以上にワタナベくんを愛しているのだろうか・・・わからない。

自分にとってキヅキくんの存在は何だったんだろう。

自分の分身の様に信頼し心を開いていた人と関係を結べなかった私って何?

愛しているかどうか確信が持てない人に身体を開いてしまった私って何?

直子にとっては心を開く=身体を開くということだったんだなあ・・・と、

スクリーンに映る直子のアップを見て思いました。

だからこそ、直子の心が大きく揺れる節目節目に、ワタナベくんとの関係があるんですね。

と同時に、緑にとっても性が生の象徴なんだと思い至りました。

緑が執拗に繰り返す卑猥な台詞。

(映画ではほとんど出てきませんでしたが)

およそ20歳前後の女の子とは思えない突飛な発想でワタナベくんを煙に巻きます。

ワタナベくんは緑の彼氏や彼女を取り巻くその他大勢の男性とは違って、

一方的に彼女の言葉を否定せずに、きちんと受けとめる。

おそらく緑の生きることへのどん欲な欲望の象徴であるこうした言葉達を受け入れたことで、

ワタナベくんは緑にとって特別な人間になったんだと思います。

緑の自分らしく生きたいという健全な欲望と、

普通の人と同じように人と関わって生きたいという直子の切実な思いを、

性的な表現を通して対比的に描いていたんだなあ・・・と今更ながら気付きました[E:coldsweats01]

そうして、もう一つ、二人ともに描かれながら、対照的な存在である「死」の存在。

直子はキヅキの死を内包しているし(原作ではそれに加えて姉の自死も)

緑は父母の死を抱えている。

けれども直子に降りかかった死が、突然で、しかも本来はその必要がなかったものであるのに対して、

緑の経験した死はある意味一般的な病死で、

彼女は看病を通じて父母の最期を迎えるにあたって十分に心の準備を整えることができたし、

彼女の力の及び得ないところでの死ということで死を受け入れやすい状況だったと言えます。

この差はずいぶん大きくて、

二人とも生の果てには必ず死が待っていると言うことを十代で知ることになるのだけれど、

その死の受け止め方が両極端だった。

つまり直子は死は自分のすぐ隣にあって、いつ何時自分がそこにはまり込むかもしれない得体の知れないもの・・・と認識したのに対して、

緑は人間いつかは死ぬんだから、生きている間は生をまっとうして楽しく生きるべきだ・・・と捉えた。

ワタナベくんは高校時代に直子とキヅキの死を共有するけれど、

緑と知り合って、緑の父親の死(の直前)に立ち会うことで、

緑とも死を共有することになる。

原作では緑の父を見舞う際に二人できゅうりをぽりぽり食べるという印象的なシーンがあるのですが、

このシーンはまさに死を間近に控えながらもなおも生きるという本能にどん欲な人間の姿に

ワタナベくんが直接接することで少しずつワタナベくんの死生観を変えていっているシーンなのではないかと思います。

映画でキュウリを食べるシーンがカットされて残念なのですが、

それでもぎりぎり緑の父親を見舞うシーンだけは残したのは、

やっぱりトラン監督もワタナベに自死ではない死を体験させたかったのではないかと思えたのです。

「ノルウェイの森」はワタナベという男が直子に象徴される死の世界と緑に象徴される生の狭間で揺れ動く話です。

映画を見るまでは直子とキヅキの死を共有していることと、

緑の父母の死を対比として見ていなかったのですが、

映画を見てこの物語の構造に気付きました。

同時に、自分で作品を読んでいただけの段階では、

ワタナベは本質的なところで安定した人間だから、

最終的に直子が死んだ後も彼女を追うことなく生き続けられたのだと思ってたのですが、

映画を見てから、

そうではなく、彼が過ごした大学生活(特攻隊や永沢との関わり)、

そして緑との交流が少しずつワタナベを成長させ、最終的にこの世界で生き続けることを選ばせたのだと思う様になりました。

もし彼が直子の様に、東京で一人暮らしをして、

全く他者と関わろうとせず、

自己の世界のみに埋没していたとしたら、

直子の死後、彷徨い続ける旅から果たして帰ってこれたのかどうか・・・。

もちろん、本質的にワタナベが安定したパーソナリティを持っているという認識は変わりません。

直子の言葉を借りて例えれば、

直子やキズキが深い森に彷徨い混んで井戸に落ちてしまった人間だとすれば、

ワタナベは直子やキズキと一緒に森を彷徨うけれども、決して井戸には落ちない人間、

ついでに例えると、

緑は森があることすら認めようとしないだろうし、

永沢は森があると言うことを知識として知ってはいても自分は決して森に入らない人間、

特攻隊なんかはそういうこと自体全く考えない人間・・・

っていう感じですかね。

ワタナベを演じた松山くんは、ワタナベを演じることを通して大人になった気がした

というようなことをインタビューで語っていたように思いますが、

直子やキズキが迷い込んだ森を青年期特有の自己を確立する課程の理想と現実が葛藤している世界と考えると、

その世界から生還したワタナベはまさに大人になったということなのでしょう。

「ノルウェイの森」は確かに青春小説と言われていますが、

一生懸命繰り返し読んでいた20代前半の頃、私はあまりそう感じたことはなかったんです。

きっと私自身がまだその葛藤のまっただ中で、

自分自身を客観的に見ることができなかったように、

この作品も客観的に見ることができずにひたすらこの世界の中に埋没しながら読んでいたということだったんですね。


2時間と少しの間、ゆったりと流れる物語と

(うっかりと途中で寝てしまいそうになってChiChiに起こしてもらいました[E:sweat01])

美しい映像を見ながら、

改めて物語としての「ノルウェイの森」を俯瞰する事ができた映画でした。

ただ、この映画が原作を読んでいない人が見て果たして楽しめるのかどうかは分かりません。

きちんと1つの独立した作品として見るには

いくつかのキーワードが欠けているので意味がとれないのではないかと思います。

かなり大胆に原作のエピソードをカットしたにもかかわらず、

前半はいろいろなシーンを詰め込んだ感じが否めませんでした。

シーンのつなぎも乱暴だった気がするのですが・・・。

それでも、原作が持っているある種の作品世界はしっかり映像として作り上げられていると思いました。




さて、玉山君の感想ですが、

私はかなりよかったと思いました。

ただ、印象が薄かったけど[E:coldsweats01]

原作にある永沢さんを印象づける強烈なエピソードがかなり削られて、

ひたすらワタナベを意味のないナンパに連れてくだけの存在になっていたので仕方ないかもしれません。

けれども、物語の構造を考えたとき、

永沢がワタナベくんを「意味をもたない肉体だけの関係」という世界に連れ出すことは大きな意味があります。

肉体と心を同一視しようとしてどんどん混乱に陥っていく直子に対して、

ワタナベはある時期までひたすらに意味のないセックスを繰り返します。

その行為は徐々にワタナベを現実世界に引き寄せます。

ワタナベが直子と同じところで彷徨わずにすんだ1つの要因かもしれません。

物語におけるその大事な役割は果たしていたかなあ・・・と思います。

ハツミさんとワタナベくんとの3人の会食のシーンは秀逸でした。

ただ、本当に素晴らしかったのはハツミさんの方だったんだけど。

ハツミさんの微妙な心の動きを表情で魅せたのは素晴らしい。

ハツミさんは原作でもそれほど登場場面が多くない割には印象的で大好きな人物だったんだけど、

そのイメージを全く損なわない名演技でした。

上品な雰囲気もよかった。

玉はこのシーンで人間らしい表情が一切なくて、

ハツミさんに対してひたすら冷徹な感じがすごくよかったです。

これぞ、ザ・永沢って感じ。

私の中では永沢って一種のモンスターなんです。

一切、他人の感情を省みない、堅固な精神力を持った人物。

だからこそ、強烈に生の世界、欲望渦巻く雑然とした現実世界を象徴する人物。

直子やキズキと対局に位置する人物。

玉はどこかのインタビューで、

永沢にも人間らしい心の揺れはあるし、そういったものを表現したい・・・

みたいなことを言っていたような気がするのですが

(すいません、うろおぼえです)

それはこの映画ではいらないと思うんですよね。

そういう永沢さんの人間らしいところを垣間見せるようなシーンも撮ったようですが、

そこはカットされていてよかったなあ・・・と。

原作を読んで永沢さんに人間的な要素を感じるかどうかは自由だと思うのですが、

映画としてもう一度物語を再構築しようとするとき、

永沢さんにも人間的な一面があって・・・という解釈は不要かなと思うんです。

特にこれだけ端折らなくてはいけない時に、脇に要らない要素を詰め込むと焦点がぼけてしまう。

・・・と私は思います。

永沢はとにかく圧倒的に生の世界にいる人物として、ワタナベを引っ張っていけばいい。

ただ、永沢という人物に関してはトラン監督とかなり解釈の隔たりがあるようで、

トラン監督はひたすら玉に「優雅に」「エレガントに」と言うことを要求したようですが、

わたしは別に永沢にエレガントな要素ってそう必要ないと思うんだけどなあ・・・。

玉はきちんとエレガントに演じていました。

美しかったです、はい[E:lovely]

でも何よりも、玉山君が本来持っている人間的な部分を一切封印して、

揺るがない感じ、つけいる隙がない感じをだしていたことが面白かったです。

これだけ自分を隠せる様な演技ができるんだねえ。

2010年で見せてもらった作品の中で一番新鮮な印象を受けた役柄でした。

ただ、それは最終的に監督がそう編集した・・・という要素も大きかったようなので、

そこがちょっと不満かな。

役に対するとき、

もちろん、ちょっとした言葉尻から、ト書きから、

その人物の裏の顔、隠された感情といったものを想像して役作りをする・・・というのはすごく大切だと思うし、

1つのセオリーだとも思うけれど、

作品によっては、もしくは役柄によっては、

その作品の中で果たすべき役割が優先されることもあるのだと思います。

時には裏も表もない絶対悪の人物を演じる必要があるかもしれない。

役柄に対するアプローチの仕方が、2010年はちょっとマンネリ化していなかったかな・・・というのが

ファンとしては気にかかるところです。

原作は出演が決まってから読んだようなので、

その辺も大きいかな。

やっぱり永沢の視点から作品を見ますものね。

そのインタビューで面白かったのは、自分の20代を振り返っている箇所があって、

自分の過去をそういう風に認識しているんだあ・・・というのがちょっと面白かった。

20代前半のあの傍若無人なほどの大胆発言や、

無邪気な言動はやっぱり当時ほとんど無自覚にやっていたのね・・・。

あんまり詳しくは知らないけど・・・。

そして私がファンになった頃がちょうど過渡期のような時期だったんだ・・・。

なんとなくいろんな記憶が腑に落ちた感じ。

その雑誌、ノルウェイの森の特集記事が大きくて、

他の出演者の方のインタビューは流し読みだったんだけど、

インタビュアーが原作のファンらしく、妙に熱が籠もったインタビューをされていたのが印象的でした。

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

パートを始めて迎える初めての年末。

忙しいのと疲れたのでうっかりウトウト寝てしまって

ちっとも更新できていません。

今年は上手に時間が使えるようになりたいです。

年末に見たドラマのこと、

ノルウェイの森の感想、

忠臣蔵の感想、

最近の玉山君のインタビュー記事を読んだ感想、

冬のドラマの感想、等々、

書きたい事はいっぱいあるのですが、

とりあえず今日は寝ます。

おやすみなさい[E:sleepy]

みなさまのこの一年が幸多き年でありますように。

そして我が家にもちょっぴり幸せが訪れますように・・・。