素直になれなくて

最近「ハゲタカ」がNHKBSで放送されたらしく、

「ハゲタカ」で検索かけてここにひっかかって来られる方がまた増加しました。

なんせ、「ハゲタカ」に関しては7こだか8こだか記事を書いたもので、

どっかにひっかかるらしい・・・。

つまり、このブログのアクセスは、玉が話題作に出てくれるかどうかにかかってるっていうことか・・・[E:coldsweats01]


さて、「素直になれなくて」ですが、えっと、ついに最終回を迎えました。

とりあえず最終回の感想を・・・。

典型的な失敗ドラマの最終回といった趣。

ばらまいた複線をさっさと簡単に台詞と短いシーンで回収して、

1年後・・・でおしまい。

そして今まで以上に人物達の描写に対する無神経さが出ていた回でもありました。

とにかく、友達が自殺をはかったお店に気楽に行くなよorz・・・

私なら行けないと思う。

ただの事故でも、病気だったとしても、

身近な人の死というものは非常に大きな喪失感を伴うものです。

それが自殺ときたらなおさらです。

私の身近な知り合いにも、非常に親しい人を自殺で亡くした人がいますが、

その人やその周囲の人たちが受けた衝撃の大きさを今でもはっきりと覚えています。

自分が原因云々ということは置いておいたとしても、

大切な人が自ら死を選んでしまったというだけで、

心には大きな傷が残ります。

そしてその傷は10年たっても20年たっても、

小さく心に刺さった棘のようにトラウマとして残っています。

特にその時その場に駆けつけてリンダの血を目の当たりにしたナカジならば、

たとえドクターが

「ちょっと会ってもらえますか? 場所は・・・そうですね、エモでいいですか」

って言ったとしても、

「エモはちょっと・・・、どっか別の場所にしない?」

と言うような気がします。

だってあの店のドアを開けたら、どうしても思い出すじゃないですか。

それは、リンダの死が自分のせいじゃないと納得できて心の整理がついている・・・

というのとは別の次元で、感覚的に近寄りたくない気がするんですよ。

それくらいの繊細さは持ち合わせてるでしょ、ナカジって。

それはハルとピーチにたいしても同じで、

女性で、それぞれ繊細なところのある二人ならば、

ちょっとお茶する場所にエモは選ばないような気がします。

1年後の集合の時はいいんですよ。

みんなの記念日としてリンダのこともみんなで思い出していい日だから。

でも、リンダの死から数ヶ月・・・もたってないかな、で、

あの場所で気楽にお茶を飲む気持ちが分からない。

結局、彼らにとってリンダの死ってそんなものだったの?

そんなの仲間って言えるんだろうか。

このドラマで随所に見られたずさんな描写が物語を壊すっていう特徴が

一番分かりやすく最悪な形で出たなあ・・・という気がしました。

リンダの手紙もなんじゃありゃ・・・でした。

私はリンダは意識を取り戻していた数日間は、

自分には支えてくれる仲間がいるんだから頑張って生きよう・・・と前向きになっていたと思っていたんですけど、

そう考えるとあのリンダの手紙はいったい何目線なんでしょうね。

みんなの人物評と今後のアドバイス・・・って、

自分から人生を投げだそうとしていた人がそんなこと言っても説得力ないわ!

というより、これから回復したらまたみんなの輪の中に帰るって思っている人が、

あんな達観したような、自分はもう土俵から降りてしまったようなアドバイスをメールに残すか?

遺書・・・って考えてもおかしい。

彼の死は症状が急変したからなんでしょ?

回復している、これから頑張って生きていこうって思っている人は遺書なんて書かないし。

根本的に携帯に残すっていうのがしっくりこないし、

それをナカジがみんなに配るタイミングもなんか変。

とにかく変づくしのリンダのメール。

考えられる理由はただ一つ、物語を進めるため・・・。

確かにプロットの段階で、

「リンダが死んで、後から彼の残したメッセージが出てくる。

そのメッセージに背中を押されてみんな一歩ずつ前に踏み出す」

っていうのはありだと思うんです。

でも問題は、その描き方。

できるだけ矛盾がなくてドラマチックな方向を模索するのが作家の仕事じゃないですか?

なんの工夫もなくそのままストレートにやられても矛盾だらけなんですけど・・・。

少なくともそれを書いた時のリンダの状態や心情は考慮して欲しかった・・・。

そうしたらもうちょっと違う文章だったはず。

だいたい、最後にピーチが

「僕がいなくなってもみんなで集まって欲しいってリンダが言ってた」

って、そんな遺言めいたこと、いつ言ってた?

結局、リンダは前半はスナナレ会のみんなにいいように利用される役割で、

後半は脚本家にいいように利用される役割だったわけね・・・。

なんとか一生懸命玉の演技からくみ取ってこんな人かな・・・って思えていたリンダも、

10話からはさっぱりわかんなくなっちゃった。

腹立たしい限りです。

あ、あと、どうしても気になったのが、

この人、教員採用試験を大学受験並みに冬だと思ってません?

通常、公立学校の採用試験は夏です。

面接等の二次試験も秋には終わります。

私学はよく分かりませんが・・・。

それでもたぶん、生徒の受験なんかで忙しい時期に

教員の定期採用試験を組まないような気がします。

どうでもいいことなんですが、なんか気になって・・・。

いや、明快に「採用試験は冬」っていう確証があればいいんですけど、

感覚的に試験は夏って思っていたので、

この脚本家、そんなことも調べへんかったんかい!

と余計にがっかりしちゃったもので・・・。





さて、一通り見終わって、全体の感想。

正直がっかりでした。

え? 北川悦吏子さんってこんなもんだった?

「愛していると云ってくれ」を見てキュンとなっていたあの感動を返して・・・

と言いたくなってしまいました。

ストーリーが過去の作品と酷似していることはあちこちで指摘されていますよね。

そういう作家としてあるまじき創作姿勢については言うまでもなく、

とにかく、一にも二にも人物の描写がずさんで入り込めない。

たぶんハルというキャラクターはすごく好きなタイプなはずなのに、

どうしてもいくつかの彼女の言動が鼻についてのめり込めない。

それはナカジも一緒。

やっていること、言っていることが、時々ひどく無神経になる。

人物像って言うのは一つ一つの積み上げで成り立っていくから、

許せない描写がいくつか混じると、ああ、そういう人なんだって思っちゃう。

作り上げようとしたストーリーの流れやシーンと人物の描写がぶつかっちゃった時に。

人物の描写が犠牲にされてしまっている場面がとにかく多かったんですよね。

主要登場人物5人、だれも大事にされてない。

本人はブログで登場人物達を「愛してる」みたいなことを書かれていますが、

ドラマを見る限り作者の登場人物に対する愛を感じることはほとんどありませんでした。

感じられたのは

「こんな台詞書いた私ってすごいでしょ?」

っていう作者の自己顕示欲だけ。

何回、玉にそんな台詞喋らすなよ!

って思ったことか。

いや、玉に限ったことじゃなくて、瑛太くんにも樹里ちゃんにも思ってたんですけどね。

それから、物語の組み立て方のまずさ。

回収できない伏線は張っちゃダメです。

最終回で怒濤のように台詞だけで回収したようなのは回収したって言えないです。

ハルとナカジの兄弟かも・・・話は、本人達がそのことを知ったときに初めて効く伏線なのに、

本人達は知らないまま親同士で解決させて終わり。

クスリ云々も問題の重さを無視してハルがドクターとつきあうための道具立てで使っておしまい・・・

って、なんやねん!!

なんか大きく振りかぶって脅しておいて、

一番効かなさそうなところをかすって終わったボクシングの試合みたいでした。

面白そうだったキャラクターも活かしきれないまま・・・。

桐子さんはエキセントリックで、

若者の素直な情熱に嫉妬する面白い人物だったのに、

旦那さんに離婚をにおわされたらさっさと消えるなんて・・・もったいない。

もっと意地悪く、ネチネチと引っかき回してくれたら面白かったのに。

奥田編集長もなんだか尻切れトンボでもったいなかったな。

ナカジに「薫くんのこと本気だった」と告白するシーンは、

どうでもいいところでこっぱずかしいくらい台詞に凝るんだったら、こういうところで凝ってよ!

って言いたくなるくらいストレート。

編集者っていう言葉を扱う仕事についていて、

尚かつあの年までキャリアを築いてきた大人の女性が

秘めた恋心を告白するのにふさわしい言葉ってあるでしょう?

渡辺エリさんの強引な中に乙女心を滲ませたせっかくの演技がもったいない。

と、とにかく脚本に関しての不満は一つ一つあげていったらきりがない。

なにより一番がっかりだったのは、ブログやツイッターでの発言でした。

作家が作品で勝負しなくてどうする・・・。

ブログやツイッターでネタをあつめて、

実際そこでコメントされた程度の浅い知識とすぐに分かるような使い方しないで欲しい。

それから、作品に対する言い訳をああいう場でするのはかっこ悪いなあ・・・って思うのは私だけなんでしょうか。

ツイッターはやっぱりニガテなので、

ブログの方だけちょこちょこのぞきに行っていたのですが、

そこでの発言とドラマを見ていて、

なんだか「裸の王様」ならぬ「裸の女王様」だなあって気がして仕方ありませんでした。

もともと作品の裏側にはすごく興味があって、

例えば三谷幸喜さんの「ありふれた日々」は愛読しているし、

いくつかの作品のブログを読むのは本当に大好きでした。

今までブログを読んで作品に対する興味をかき立てられたのは、

「BOSS」や「帽子」それから「銀色のシーズン」なんかもよかったです。

適度な裏話と作り手の熱い思いが直に伝わってくる。

でも、それらはあくまでも対視聴者、対観客という立ち位置がしっかりしているんです。

でも北川さんのブログにはそういう視点が決定的に欠けている。

別に個人のブログなんだからそれでいいじゃん・・・と言ってしまえばそれまでなんですけど、

有名人が(というよりクリエーターが)自分の書いていることがどう受け取られるかっていうことに対して意識が低すぎると思うのです。

あれは自分の信者に対して書いている文章でしかないし、

そこに寄せられているコメントも(批判的なコメントは管理者が削除しているせいもあって)盲目的に彼女を信奉する人ばかり。

そんな中で悦に入っている姿はとても見苦しいと思ったし、

そういう「ものを書く姿勢」がドラマにもそのまま表れていたように感じてとても不愉快な気がしました。

だれもが(とは言えないかもしれないけど、かなり多くの人が)「それは変だよ」と思っているのに、

自分だけはきれいなドレスを纏っていると思い込んでる。

自分の書いた文章が、あそこにコメントを書き込んでいる何倍、何十倍、何百倍もの人たちの目にさらされていることを自覚していないのでしょうか。

ツイッターという道具立てを使ったドラマを書いた割にそういうところに鈍感なところが、

やっぱりこのドラマの素材を扱うのにふさわしくない作家さんだったなあって思うんです。

このドラマが苦戦した大きな理由の一つにツイッタードラマという触れ込みのワリに

ちっともツイッターを使いこなしていなかった・・・っていうことがあると思うのですが、

まあこれは売り込みの失敗。

宣伝をする段階であの程度しかツイッターに触れていないことはわかりきっているんだから、

あんなに「ツイッター」「ツイッター」って言わなければよかったのに。

それから明らかに作者がツイッターの特性を誤解している気がします。

あの仲間の雰囲気ならツイッターで知り合ったというよりも、

mixiのコミュで知り合った・・・くらいのほうがノリが近い感じがします。

あくまでもツイッターを舞台にして、

全然結びつきがなかった5人がそれぞれのつぶやきを通して知り合って物語が展開していく

って風にしたいのなら、お互いがフォローしあうようになったきっかけは描いて欲しかった。

たぶん、そこにツイッターらしいドラマがあるから。

少なくとも作者の頭の中にそのきっかけがあって欲しいのですが、

さて、きちんとそこから物語を組み立てたのかどうか・・・[E:despair]







で、最後に役者さんたちの感想。

上野樹里ちゃんはすごくかわいかったです。

特に前半、体中からふわっと「今、恋してます」っていうフェロモンが出ているのが見えるような演技。

恋している時特有の高揚感とちょっとしたことでずどーんと落ちる感じをすごくうまく表現していて、さすがだなあと思いました。

こんなに普通に樹里ちゃんがかわいいと思ったのも初めてです。

いや、樹里ちゃんの顔元々好きなんですけど、

なんか普通の女の子っぽくかわいかった。

後半のドクターとつきあっている時の感じもうまいなあと思いました。

ナカジの時のようなふわふわした恋心はないけれど、

きちんと覚悟を決めてドクターと向き合おうとしている。

ドクターのちょっと的外れな行動に戸惑ったりもするけれど、

ああ、これがつきあうってころなのかなあ・・・っていう、

あんまり恋愛経験のない女の子のつきあい始めの感じがすごく出ていました。

それは決して無理してつきあっているんじゃない。

ナカジに対しては自分のなかで「友達」ってカテゴリーの中に入れたよ・・・っていう態度。

でも時々ナカジがツボにはまることを言ってくれたりしてくれたりするので、

そんな時はちょっと目が「やっぱ好き」って感じになっちゃうけど、

それは本当にその一瞬。

そういうハルのまじめさをすごく上手に表現していたなあ・・・と思います。

私は「ラストフレンズ」の瑠可と同じくらいの熱演だったと思っています。

樹里ちゃんって普通の女の子もうまいんだあ・・・[E:lovely]

って、普通の役は似合わないって思ってたんかい!!

ますます大河ドラマが楽しみになりました。


もう一人の主役、瑛太くん。

いつから瑛太くんに注目し始めたんだっけ・・・って思い返してみたら、

もちろん大きなきっかけは「銀色のシーズン」だったんだけど、

この人うまいなあと思ったのが「アヒルと鴨のコインロッカー」。

それから「ラストフレンズ」での本当に繊細な演技。

「銀色のシーズン」や「のだめカンタービレ」のように元気キャラも演じられるし、

うまい役者さんだなあ・・・と思っていました。

でも、ここのところテレビドラマで主役をやるようになって、

ちょっとピンとこない。

下手なんてまったく思わないけど、可もなく不可もなく・・・って感じ。

どんな役でも常に80点代をとる優等生っていうイメージでした。

今回のナカジ役は点数をつけるとすれば40点かな。

もっと厳しい見方をすれば、30点でもいいくらい。

この話ってやっぱりナカジが核なんですよ。

なにせ5人の仲間のうちドクター以外のメンバーがナカジを好きになるわけですから。

かまかけにしろ奥田編集長もナカジに色気をだしていたし、

年上の魅力的な女性、桐子さんをも虜にする魅力。

それを瑛太演じるナカジからは感じられなかった。

こういう立ち位置の役をするのに向かないのかもな・・・瑛太くん。

キムタクとか織田裕二とか、良くも悪くも主役しかできないようなはったりの効くパワフルな役者さんだと、

役者のパワーでグダグダの脚本でもその人物を魅力的に見せることは可能だったのかもしれないけど、

瑛太君はそういうタイプの役者さんではないような気がする。

瑛太君自身、ナカジという男を理解し切れていなかったのかなあ・・・という気もします。

見ている視聴者も思わずナカジに恋してしまうような圧倒的な魅力がないと、

この物語って全然説得力を持たないんですよね。

脚本の段階でグダグダなので瑛太くんだけの責任じゃないと思うのですが。

でもテレビドラマ(しかもバリバリの恋愛もの)で主役をはる以上は、

そういう一種強引な魅力っていうのも必要なんだろうなって思います。

でも個人的には、瑛太君はそういう役よりも、ちょっとクセのある役の方が似合う気もするのですが・・・。

桐子役の井川遙さんは美しかった・・・[E:heart01]

この人、最近ますます美しくなれらてますね。

演技もどんどんうまくなられて、桐子さんのエキセントリックで身勝手な感じがすごくよく出ていました。

もっと後半も登場して欲しかったな。

それにしても北川さんって「空から降る一億の星」の時といい今回といい、

井川さんをよく使う割にはひどい使い方しますよね。

悪役だから・・・ヒロインの敵役だから・・・っていう意味じゃなくて。

もったいなかったです。







そして、玉です。

今まで書いた感想そのままに・・・お疲れ様でした。

一生懸命考えて作った市原薫という人物なのに、

なんか便利に使われてしまったなあという感じしか残らないのが残念です。

世間的には主役カップルよりも注目されてたりするからまあ玉的にはよかったのかな。

脚本がずさんだったり、演出が一貫してなかったりする作品だと、

玉の一生懸命役を作り込む姿勢があだになって、

演技が浮いちゃう、もしくはやり過ぎ感が出ちゃうんですよね。

そうした場合、玉自身の演技の評価が両極端に出ちゃうのが悔しい。

「天地人」なんかが顕著にそうでしたよね。

でもファンは玉のがんばりをちゃんと見ていますから。

この作品も前向きに一生懸命取り組んでいる感じはすごく伝わってきました。

玉があの脚本から作り上げたリンダっていう人物、

優しくて切なくて愛しくて大好きでした(9話までは・・・だけど)

ドラマってオファーがある段階で脚本が完成している訳じゃないから、

どういう作品になるか想像するしかなくてハズレくじを引いちゃうことも多いけど、

でもドラマにはドラマのよさがあるから、

これからもどんどんいろんな役をやっていって欲しいです。

いつか、作っている本人達もビックリするようないいドラマに出会えるかもしれないしさっ[E:wink]




最後に、ここまで脚本家の北川さんのことけちょんけちょんに書いてきましたが、

それは愛情の裏返しです。

私がドラマが大好きになって、脚本っていうものに興味を持ち始めたときに、

大好きだった脚本家さんの一人です。

だからこそ、どうしてこういう脚本になっちゃったのか、考えれば考えるほど悔しいんです。

でも、同じ頃に高視聴率ドラマを書いて活躍していて、

やっぱり一時期低迷期に入っていた坂元裕二さんが、

ここのところ一皮も二皮もむけた深いいいドラマを書かれているので、

いつか北川さんも、今の「裸の女王様」状態から抜け出して、

酸いも甘いも噛み分けた大人の深みのある恋愛話を書いてくれると信じて待っていたいと思います。

・・・でも、ま、あのブログを書いている間はダメだろうなあ・・・。

リンダさようなら

なんだ、やっぱり死んだんじゃん。リンダ[E:sad]

結局、テレビ雑誌につられただけだったorz・・・。

でも、健気に笑っているリンダを見ながら

「ハルじゃないけどさ、

『それがいけない!

切るときはすぱっと切らなきゃ』」

って言った途端に、

ピーチと話しているリンダの笑顔が儚くなって、

え? やな予感・・・と思っている間に死んだ[E:shock]

殺すならすぱっと先週で殺して欲しかった。

なんでいったん助かって今回の数シーンがいったのか考えても、

ナカジの背中を押すため・・・としか思いつかない。

脚本家がブログで

「もうこうなったらみんなに幸せになって欲しいと思いながら書いてます」

と書いていたことを思い出して、

脚本家が、リンダの

「幸せだなあ・・・俺」

っていう台詞だけで、

ああ、これでリンダは幸せに死んでいった・・・と思っているようで怖い・・・。

一生懸命前回の自殺に至ったリンダの心情を推察して、

リンダの気持ちにそって見てきたこちらとしては、

助かったらつきものが落ちたように穏やかな気持ちになっているリンダの心情が理解できない。

たぶん脚本家の頭の中では

リンダがナカジが好きなことがばれた→死にたい

→死ねなかった→こんな自分のためにナカジが泣いてくれて嬉しい

→救われた、自分は一人じゃない→幸せだ

程度の展開なんでしょうね。

でもナカジが自分のために泣いてくれて嬉しい・・・に行くまでに、

きちんと描写しなくちゃならないものがあると思うんですよ。

死を選ぶと言うところまで自分を追い込んだリンダが、

そんな自分をも受け入れるための葛藤の時間が。

でないと先週のリンダのテンションが説明できない。

主役でないリンダにそこまで時間を割けない・・・て言うんなら、

やっぱり先週ですっぱりリンダを死なせるべきだったんです。

リンダの死に直面して初めてナカジもハルも自分の気持ちに素直になれる・・・っていう展開でいいじゃないですか。

ハルには自殺するという展開になる前に、

「本当に今のままの状態でいいの?」

と一言問いかけるだけで今回分の役割は果たせるし、

ナカジには自殺する前の段階で遺書代わりに

「素直になれよ、ナカジ」

って書いておくだけで事足りると思う。

(それにしてもリンダの遺書の文体ひどかった・・・。

編集者らしい知性の欠片もなかったし、リンダらしい繊細さもなかった)

とにかく脚本家が無理矢理に

仲間に囲まれて自分は幸せだってリンダに言わせたいがための延命。

お母さんの

「こんなにいいお友達に囲まれて」

云々の台詞も白々しい。

そういう台詞なんてなくても、視聴者にそのことを感じさせる描写は可能でしょう?

とにかく脚本家は9回の玉の熱演を想定していなかったんだろうな・・・とは思う。

だから平気でベッドの上で笑うリンダが書けたんだろう。

ついでに書いている段階でリンダがあんなに乙女化してしまうことも想定してなかったんだろうな。

乙女化に関しては、たぶん、玉の解釈?なのかな。

演出家がそう指示したのかもしれないけど、

なんとなく玉が選んだ表現方法な気がします。

ナカジに対する恋心を表現するためにとってもキャッチーで分かりやすい表現方法で、

つまんないドラマの中で唯一楽しませてもらった部分ではありますが、

たぶん・・・やり過ぎ・・・。

ゲイ=オカマさんなわけじゃないし、

そういう演技をすることで余計な意味合いが付加されちゃうから、

下手したら物語(もしくはリンダという人の本質)からはずれちゃう可能性があります。

最初からざっと見直してみても、

物語的にリンダを性同一障害、同性愛者という方向で真正面から描こうという方向性ではないので

(そこがよく似た設定の『ラストフレンズ』と大きく違うし、

この脚本家にそういう難しい問題をきちんと描こうとする覚悟も自覚も見受けられない)

ただでさえ荒い物語をますますややこしくしちゃったかなという気もします。

それでも一応、初回から玉は一貫してリンダっていう人の繊細さをうまく表現していたので、

9回までは破綻なくリンダっていう人物を演じていたんだと思うんですよ。

で、徐々にずれていた脚本家の描くリンダと玉の演じるリンダ像が、

一気にぶれたのが10回だったかなあ・・・と。

あそこまで追い詰められたリンダが、

自殺失敗した途端に全て受け入れているっていう状況がどうしても納得できない。

ああ、自分は死ねなかったんだあ・・・って目を覚まして、

目の前にはみんなの顔があって・・・笑えるんだろうか。

私だったら、とりあえず泣くかな。

自殺できなかった自分がふがいなくて、

自殺という手段を選んでしまった自分が情けなくて、

そしてそんな自分を我がことのように心配して集まってくれたみんなに申し訳なくて、

うん、とりあえず、泣く。

こんな自分でもみんなは受け入れてくれるんだ、

生きていていいんだ・・・って納得できて、

尚かつみんなに笑えるようになるまでは少し時間がかかると思う。

少なくともそれくらいの勢いで自分を追い込んでいたでしょ、9回のリンダは。

たぶん脚本家の頭の中では死を選ぶほど自分を追い込む人物の心情・・・って理解できてないんだよね。

物語を盛り上げるために都合がいいから自殺して、

物語を進めるための台詞をひたすらくっちゃべってから、殺す。

登場人物の心情を一番理解して寄り添えるのは脚本家のはずでしょ!!

・・・という脚本家への不満、ドラマの全体的な感想はとりあえず全部見てからにするとして、

唯一よかったかなあ・・・っていうのは、

ハルとの会話のシーン。

リンダってきっとある時点からハルを同志って思っていたんだね。

同じナカジを想うものとしてシンパシーを感じていたのかな・・・って思える静かないいシーン。

そういえばハルだけはむやみとリンダを頼ったり利用したりしなかったよな。

リンダも、ナカジが落ち込んだときにハルに「様子を見てやって」って頼んだように、

ハルを信頼していたんだと思う。

このシーンだけは見られてよかったかな。

後は屋上でピーチと風に吹かれている時の顔が妙に清々しくてきれいだった。

いい表情だったね、玉。

とにもかくにも、お疲れ様でした。



ところで、今、関西では「薔薇のない花屋」の再放送をしていて、

仕事のない日に見るともなしに見ていたんですが、

あれに比べりゃあよっぽどマシだわ・・・「素直になれなくて」

というか、「薔薇のない花屋」ひどすぎ[E:shock]

やっぱり途中からの登場で、

登場してからは怒濤のような説明台詞ばかり・・・の台本で、

一人の人間を演じるのはかなり無理があったんでしょうね。

とりあえず途中退場とはいえ、最初から演技プランを練って、

玉のリンダ像を造れた「素直になれなくて」のほうが数段見ていて面白かったです。

話的にはどっちもどっちだけど・・・うーん、まだ「素直になれなくて」の方が許せるかな。

脚本家の勘違い度はどんぐりの背比べだけどね。

あ、そうか!

「素直になれなくて」ようやく9回まで見直しました。

主にリンダ目線で。

改めて9回を見てみると、私、大きく勘違いしていたことに気がつきました。

ノーマルだったはずなのに男を好きになるということに対する苦悶がないまま

一気にナカジラブ路線に突き進んでいるのかと思っていたのですが、

そうじゃないですね。

リンダはずっと苦悶していたんですね。

死を選ぶその時まで。

本放送で見たときは、叶わない恋だから、

ナカジにばれてしまったから死を選んだんだと思っていたのですが、

そうじゃなくて、ナカジ(男)を好きな自分が一番許せないのはリンダ自身なんですね。

ナカジがそんなにあからさまに気持ち悪がったりしていないのに

まだいくらでも取り繕う余地がありそうなのに、

どうしていきなり自殺?

という気がしないでもなかったのですが

(その段階ではそれまでの度重なる心労から心神喪失状態だったんだと思ってました[E:sweat01])

周りの反応がどうであろうと自分で自分自身が許せないから死を選んだって考えると、

いろんなところがすんなりと納得できるような気がします。

いくらピーチが

「好きになるのに男も女もないよ」

って言ってくれても、自分自身がそう思えなければ救われない。

もしもナカジが

「気にしないよ、気持ち悪くないよ、大丈夫」

って言ってくれていたとしても、やっぱりダメだったと思います。

好きだって言う気持ちを受け入れてくれたら救われたかもしれないけど、

それじゃあ変な方向に話が進んじゃうし。

初回からずっとリンダだけを見ていくと、

この人がいかに自己肯定感がない人なのかよく分かります。

人の期待に応えることでしか、自分の存在意義を見いだせない人なんですよね。

だからどんどんやっかいなことを引き受けて自分を追い込んでいって・・・。

やっぱりナカジに惚れた理由なりきっかけはよく分かんないんだけど、

恋愛感情っていうのは自己意識の高まりだから、

それまで自己を押さえ込むことでバランスを取っていた心が

少しずつ壊れ出すんですよね。

押さえ込んでいた気持ちが一気に決壊して思わずナカジに抱きついてしまった時、

どうしてそれだけでリンダがあんなに落ち込むのかよく分かんなかったんですけど、

(だって男同士で抱き合うコトって結構あると思うし、

あれくらいだったらいくらでも言い逃れできそうだし。

どっちかっていうとピーチがピンと来た方が不思議)

自分自身がその恋を認めていないって考えると納得できるんです。

スナナレ会(もう・・・この会の名前気持ち悪い[E:despair])での海行きを決心したのは、

ピーチに

「ナカジは気にしていないよ」

って言ってもらったことと、

実際会ったナカジが普通に友達として接してくれたから、

なんとか自分の気持ちを抑え込めばもとの仲間に戻れると思ったからだと思います。

それでも海でのシーンでは、それまで仲間といるときは一切なかった、

リンダがふとナカジを見ているカットが数カ所入ってます。

リンダの感情の表出が押さえ込められないところにきているっていうことが分かります。

そして、本放送を見たときに一瞬 ? と思ってそのまま流していたシーン。

ナカジがハルと二人で線香花火をしている様子を遠目で見て寂しそうに目を背けるところ。

一瞬、ハルに嫉妬してる?

と思ったんですけど

(ドラマの流れではナカジのハルへの思いが描かれているシーンだから)

でも、ここで嫉妬と取るとうまくリンダの気持ちがつながらないんですよね。

ここでリンダが見ているのがナカジだけなら分かりやすいんだけど、

二人、しかもどちらかというとハル中心に写っているので余計にややこしい。

無理矢理リンダの心情を想像すると、

ナカジを見つけて、やっぱり切なくなる自分に気づき、

でもその思いをねじ伏せて友達としてやっていこう・・・と思っているんじゃないかと・・・。

すごくうがった見方をすると、

ハルもまたナカジが好きだった訳です。

そのハルがなんだかんだでナカジを諦めてドクターとつきあうことになって、

ナカジを好きっていう気持ちを押し込めて仲間として今こうしているのだから、

自分もできるはず・・・っていう思いもあったかもしれない。

だからこそ、このすぐ後に来るナカジが再びリンダを訪れるシーンでは、

リンダは満面の笑顔なんじゃないかっていう気がします。

海でナカジとは仲間としてやっていくっていう覚悟がきちんとできたから、

明るく振る舞えていた。

ところがハンバーガーを買ってきて帰ってくるとナカジが無防備に寝ている[E:sleepy]

カーテンを閉めるっていうのは外からの視線を気にすると言うよりも、

やっぱり禁断の恋という意識が強くて、明るい日差しの中で寄り添うことができなかったんだと思います。

もう理性が感情に勝てなくなっている・・・。

押さえ込めると思っていた感情が暴走してしまったとき、

リンダはもう逃げるしかなかったんだと思います。

自分自身の生そのものから。

とにかく見れば見るほど、リンダがかわいそうになってきました。

男を好きになって失恋するしかないから自殺するよりも、

自分自身を受け入れられずに自殺するほうが、

なんか切ないです。

たぶん玉山君が得意の「かわいそうオーラ」をビシバシ出しているせいもおおいにあると思うんだけど。

リンダが死なないなら、どうか救いのあるラストが描かれますように・・・。