のだめカンタービレ最終楽章後編

日曜は用事がなんにもなかったので、

家族そろって「のだめカンタービレ最終楽章後編」を見に行ってきました。

前編と同様、映画としての評価は分かれるでしょうが、

4年にもわたって作り上げてきた実写版「のだめ」ワールドの集大成として

充分見応えのある作品になっていました。

最後の最後まで役者もスタッフもテンションを落とさすに

あの世界観を保ち続けたことに感謝。

人気のテレビドラマが映画になると変にスケールアップを意識しすぎて、

ドラマ時代の面白さを維持できない作品も多い中、

良くも悪くもドラマのイメージを継承していました。

スケールアップしたとすれば、ヨーロッパの美しい重厚な風景が多用されたこと。

でもこれは映画になったからってとってつけたようにヨーロッパにいった訳じゃなくて、

ストーリー展開上必要に迫られて・・・だから必然。

そして劇中で使用される音楽のクオリティーでしょうか。

今回もたっぷりとクラッシックの見せ場がありました。

とくにのだめが千秋とのコンチェルトを夢見るラベルの曲は、

こんな曲だったんだあ・・・と感慨もひとしお。

楽しくてちょっとジャズの要素も入ったのだめらしい曲・・・と

原作では表現されていましたが、ああいう曲だったんですね。

なるほど、納得です。

それから、シュトレーゼマンとコンチェルトするピアノ協奏曲も。

子供たちは音楽の時間になると退屈しだしてもぞもぞしていましたが・・・。

つまりそれだけたっぷりと音楽に時間を割かれていたわけです。

話的には、原作のエピソードをのだめの成長物語がなんとか伝わるだけ残して

潔くバッサバッサ切り捨てて駆け足で物語を進めていたのに。

この物語の隠れた主役はクラッシック音楽だっていうことを

きちんと作り手が自覚していたっていうことですね。

つくづく某テレビ局が作らなくてよかった・・・[E:coldsweats01]

そぎ落としてしまったエピソードの中には、

千秋のお父さんに対する思いっていう

原作では後半での千秋の行動の大きなファクターになる要素があったり

ターニャやルイそれから存在そのものを消されてしまったユンロンの

音楽と向き合うことの苦しさ・・・みたいな部分もあったり・・・。

のだめはあくまでも常人の常識を越えた天才なわけです。

才能はあるけれど天才にはなりきれない者たちは

天才を前にして立ちすくんでしまいます。

そして時には華やかな舞台に上る前の

孤独でつらい音楽と向き合う時間の重さにくじけそうになります。

それでも彼らを再びふるいたたせるのは、

のだめや千秋が生み出す音楽のすばらしさ。

そういう天才ではない人間の苦悩も原作ではきちんと描かれていて、

天才のだめのキャラをよりいっそう引き立てているわけですが・・・

さすがにそこまで描くことは時間的にできなかったようですね[E:coldsweats01]

3部作、4部作・・・って続いたら、

見る方もなんとなくしんどくなりますものね。

でものだめの物語に焦点を合わせたおかげで、

原作を読んでいた時にはわかりにくかったところが明確に分かるようになった気がします。

のだめが悩んでいたものはなんだったのか。

のだめに欠けていたものはなんだったのか。

オクレール先生はのだめに何を教えたかったのか。

・・・そして、のだめは最後の千秋との演奏で何をつかんだのか。


原作で私がわかりにくかった台詞に、シュトレーゼマンが千秋に言った

「そういうところはっきり分けろっていってます」

というのがあります。

指揮者コンクールに優勝した千秋をかっさらうようにして世界中を連れ回しているときに、

千秋に言った台詞。

この「分けろ」というのがいまいちぴんと来ていなかったんですが、

今ならはっきり分かります。

「のだめの音楽」を愛する気持ちと「のだめ自身」を愛する気持ち、ですね。

千秋ののだめに対する思いは

のだめの弾くピアノとのだめ自身が絡み合って強くなっていきます。

でもそれはのだめも同じ。

のだめが千秋に「フォーリンラブ」するのは、

千秋先輩を部屋の前で拾った時でも、

おいしい夕食を作ってもらった時でもなくて、

初めて二人で連弾を成功させた後です。

千秋の音楽を通して千秋に恋していった。

一方の音楽的な成長が他方をインスパイアして新たな成長を促す。

そして、互いの音楽に対する尊敬が愛情につながっていく。

そういう二人の恋愛のあり方はある意味とても憧れです。

恋愛ものはきらいだ~と何回も豪語していますが、

こういう形の恋愛ものは大好きです。

映画で好きだったシーンに、

こたつに入って二人でじゃれ合いながら楽譜を見て音楽を語るというところがありますが、

同じものについて深く語らいながら一緒の時間を過ごせるっていうのは、

なんて幸せなことなんだろうと思います。

だから、物語の最後の最後に、二人でもう一度ピアノを弾いて、

のだめが千秋への思いを確認して終わるというのはすごくこの物語にふさわしい結び方だと思いました。

原作もほぼ同じ流れで終わっているのですが、

実は原作を読んだ時にはこの結び方、すごく不満だったんです。

てっきり最後はライジングオーケストラかどこかで、

千秋とのだめのコンチェルトが見られると思っていたから。

え? こんなところで終わり?

っていうのが正直な感想で、

すごく尻切れトンボのような気がしました。

でも、映画を見てよくわかりました。

千秋とのだめのコンチェルトは決して物語の到達点ではないんです。

コンチェルトが実現したとしても、

それは二人にとって長い音楽人生のひとつの通過点に過ぎない。

そして、ヨーロッパ編のほぼ全編にわたってまさにそのゴールに向けてひた走ってきたのだめに、

これからも音楽を続けていく動機を自覚させたところで物語は終わるんです。

これから実現するであろう二人のコンチェルトに思いを馳せながら。

そう考えたら、余韻の残るすばらしいエンディングだったなあ・・・と思うのです。

この物語構造は原作自身がもっていたものですが、

原作の根幹部分を決して見失わずに、楽しい遊びの部分もきちんと盛り込んで

しっかりとあれだけの分量にまとめた後藤さんの脚本はすばらしかったと思います。

のだめ役の上野樹里さん、本当に最後まですばらしかったです。

特にシュトレーゼマンとのコンチェルトを弾き終えた後の表情、

あの時ののだめの複雑な心境を見事に表現していたと思います。

上野さんの演技があまりにものだめにはまってしまったが故に、

その後明るい人物を演じると「のだめ」にしか見えないとよく言われてしまいますが、

もともと上野さんはああいう少し舌足らずな鼻にかかった声なんです。

今やっている「素直になれなくて」なんかも、

はっきりとのだめとは演じ分けているのがよく分かります。

例えて言うなら、

森進一があの特徴的な声のせいで何を歌っても森進一にしか聞こえない・・・と言われているようなものです。

歌の世界じゃ誰もそんなこと言わないでしょう?

個性が強いからって一瞬見た印象で評価されてしまうのはかわいそうだなあ。

・・・と、ちょっと思います。

当たり役に恵まれるのは幸せなことですが、

そのイメージを引きずって見られてしまうのは辛いところですね。

同じく、千秋君が当たり役だった玉木くん。

こちらに関しては、千秋君は当たり役だったねえ・・・としか感想はありません[E:coldsweats01]

イメージを引きずる・・・までもなく、

たいていの役をあのままのイメージで演じられているので。

できればもう少しぷっくらされたほうが見ていて安心します。

なんとなく千秋様やつれたなあ・・・って感じしたもの。





とにかくクラッシックというとなんか近寄りがたくて敬遠していたのに、

もしかしたらものすごく面白い世界が広がっているのかもしれない・・・

と感じさせてくれたこの作品に感謝・・・です

「曲げられない女」「ブラッディマンデイ」と「木下部長とぼく」

おっとっと。

慣れないパートであたふたしている間に、

どんどん新しいドラマが始まっています。

・・・そして見逃しています[E:coldsweats01]

ビデオにとって見られていないのも何本か・・・。

でもよく考えたら、前クールの感想書くのを忘れてましたっ!!

といっても、前クールはあんまり好きなドラマがなくて、

すでに感想を書いた「不毛地帯」や「泣かないと決めた日」以外は3本だけ。

まず、「曲げられない女」

このクールではこれが一番好きだったかもしれない。

谷原章介さんや永作さんがいい味出していました。

でも最終的に一番印象に残ったキャラは塚本高史くん演じる正登だったかも。

最初好印象でスタートしたキャラだったものの、

だんだんひどい男になっていって、

それなのにどうしていつまでも早紀の周りをうろうろするのかさっぱいわかんないヤツ

・・・って思っていたけど、

実は心の底から早紀のことが好きだったんですね。

タキシードを着て早紀の部屋のドアの前に立ち

「早紀、どうしたらいい?」

と情けなげにつぶやく姿がツボでした。

実は早紀のマイケルジャクソン踊りも彼が伝授したのだったし。

どうしようもなく頼りないけれど、愛しい男でした。

何でこの人しつこく映るんだろう・・・って思っていた同じマンションに住む大学生との関わりも

きちんと作ってあって。

最後にはしっかり更正して仲間に入っていたのがおかしい[E:happy02]

全般的に楽しめるドラマだったんだけど、唯一気になったのが、

早紀の心のシャッターが開くところ。

毎回早紀が本音をがなり立てるんだけど、

たんにがなり立てているので台詞は聞きづらいわ、

見た目かっこ悪いわ(かっこ悪さをさらけ出すシーンということはわかっているけど)

もうちょっと違う表現方法はなかったんでしょうか。

舞台をたくさんやってらっしゃる役者さんなら、

こういう台詞の表現うまいのかなあ。

菅野さんはすごく好きな役者さんの一人だけど、

ずっと映像畑(しかもテレビ)中心でキャリアを重ねてきているので、

こういう台詞回しが気になるときがあるなあ・・・。

「ブラッディ・マンディ」

見ているときはちゃんとおもしろく見ていたんだけど、

テンポが速すぎて何も残っていない・・・[E:coldsweats01]

前回おもしろかった「誰が見方なのか裏切り者なのかわからない」というどきどき感は継承していたのですが、

前回ほど驚くどんでん返しはなかったのが残念。

前回はお父さんという身近な人物が最後の最後まで敵か味方かわからなかったし、

折原マヤという実に曖昧な人物が終始暗躍していたのに、

今回は裏切りも、見方も小粒でちょっと残念。

最後のスパイダーの正体に至っては、

今まで出してこなかったそんな子供の頃のエピソードを後から添えて

「君の身近にいる人物」って言われても・・・。

誰やねん・・・[E:despair] としか思いようがない。

とはいえ、緊迫感あふれる映像は相変わらず美しかったし、

役者陣もみなさん力演で見応えは十分ありました。

成宮君はやっぱりこの役が一番はまっているように思えます。

ニヤッと笑う顔がとてもいい。

佐藤君はいつも大事そうであんまり本筋に絡まないのが残念。

せっかく核兵器の研究をしているっていう設定で総理の孫なんだから、

もっとうまく絡ませればおもしろかったのに。

というか、彼が裏切り者だったら心底びっくりしたと思う。

これは面白いなあと思ったのは、

神木竜之介くん演じるホーネットと三浦春馬くん演じる藤丸の対決シーン。

新旧の天才子役同士の演技合戦といった面持ちで見応え十分。

すでに子供の顔ではなくなっている三浦君と、

まだ思春期の子供と大人の中間ともいうべき顔の神木君。

どちらも一歩もひけをとらずにばんばんぶつかっている感じがゾクゾクしました。

そんな気合い十分な三浦くんでしたが、

前回よりも演技がくどくなった気が・・・[E:coldsweats01]

見ているこちらの方が前作「侍ハイスクール」の影を引きずっているからなのか、

三浦君自身が振り幅の大きい侍役の癖が残っているからなのか、

時折ちょっと大げさかなあ・・・と思える表情がありました。

ブラッディマンディはクールな作品ですから、そこがちょっと引っかかりました。

連ドラを連続で出演する弊害かもしれません。

最後に「木下部長とぼく」

これは見たり見なかったり。

とにかく気楽に見られるドラマでした。

「不毛地帯」の権謀術数が入り交じる重いドラマの後で、

ぼけーっと見るには最適でした。

うーん、今回は本当にそんなに思い入れのあるドラマはなかったですね。

ま、そんなクールもあるわいな[E:catface]

「八日目の蝉」と「Mother」

この二つのドラマ、あらすじを読むと何となく似ているので、

見始めるまでは混同していました。

でも始まってみると似た素材を扱いながらも全くテイストが違っていて、

どちらもとても丁寧に作られた力作で面白かったです。



「八日目の蝉」は1回目で主人公がなぜ赤ちゃんを誘拐するに至ったかを丁寧に見せてくれました。

本当に愛する人の赤ちゃんが欲しかったということ。

なのに授かった命を無理矢理奪われてしまったこと。

もう赤ちゃんができない身体になってしまったこと。

その絶望の上に塗り重ねるように。

恋人が実は自分との関係を浮気としてしか考えていなかったことがわかったり、

その妻から

「赤ちゃんを自分のおなかから掻き出すなんて信じられない」

と言われてしまったり・・・。

見ているこちらがおなかの底から怒りがわき上がって来る中で、

登場する赤ちゃんの姿。

主人公は赤ちゃんと目があって思わず抱き上げて、

そのまま赤ちゃんを下ろすことができずに逃げるように連れ去ります。

その赤ちゃんのつぶらな瞳。

ふくふくしたほっぺ。

不器用に指を伸して宙をつかもうとする小さな手。

そして、鼻にかかる赤ちゃん独特の柔らかい泣き声・・・。

抱き上げたときの暖かさや湿った息の感じが伝わってくるようでした。

このドラマはこの一連のシーンだけで一気に説得力を持ったように思えます。

ここで一気に赤ちゃんを抱く主人公の気持ちに寄り添ってしまいました。

誰の子であるとか、

その子が生まれるに至った経緯とか、

そんなことはもうどうでもいい。

ただ、そこに命の輝きそのものの赤ちゃんがいて、

ただその子を抱き続けていたいだけ。

その為には何もかもを失っても構わない。

ある種大きな飛躍がある主人公の心の流れも行動も、

あの赤ちゃんの姿で全てが説得力をもってしまった。

以降の話は、ひたすら赤ちゃん見たさで見ていました[E:coldsweats01]

3話になって薫がちょっと成長してしまって赤ちゃんでなくなったのは残念。

でも一端引き込まれた世界観はそう簡単には揺るがなくて・・・。

坂井真紀さんや高畑淳子さんの母性のあり方なんかを見ていると、

いったい母親とは母性とは何なのだろうか・・・と考えさせられたり。

坂井さん演じる母親の、

どんなに離れていても産んだ母が本当の母親なんだという思いも、

子供を産んだものの育児ノイローゼになってしまって、

子供の命を自ら絶ってしまった高畑さん演じる母親の思いも、

母親そのものであることに変わりはない。

そして自分でお腹を痛めて産んだわけではない主人公も、

やっぱり母親なんだと思います。

今後はその子供視点での話になるのかな。

すでに彼女のお腹には不倫相手の赤ちゃんがいることが分かっているので、

彼女もまた悩み多き母としてこれから描かれていくのでしょう。

毎週この時間が楽しみです。



そして、「Mother」

こちらも母性のあり方を描くというような宣伝でした。

正直、1話目を見た限りでは母性が描かれているような感じはあまりしませんでした。

でもこれはこれで、ものすごく面白かったです。

母性をあまり感じなかったっていうのは、

これ、1話を見た限りでは男性と男の子の組み合わせでも物語は成立している気がするから。

母性と言うより、アイデンティティの問題という気がしました。

今後、女性でなければ成立しない何かが出てくるのかもしれません。

こちらに出てくる子供はすごく観念的だと思いました。

「八日目の蝉」が赤ちゃんの存在感そのものを見せていたのとは対照的に、

大人が頭の中で考えた子供のイメージ。

世の中にはいろんな子供がいるんだから、

こういう子供もいるよ!

と言われたらそうなんでしょうが、

私の感覚では自分の子供やその周辺の子供を見ている限り、

7歳であそこまで成熟した子供を知りません。

それでもその圧倒的なかわいらしさに魅了されてしまいました。

子役さんは5歳なんだそうです。(役柄は7歳)

7歳だと思って見ていても涙が出るほどのけなげな演技なのに、

5歳であれだけの台詞を覚えて、あの表情をするということが驚きです。

特に秀逸だと思ったのは好きなものノートを読み上げるところ。

感情を込めすぎず、詩的な感じをよく出していました。

映像もすばらしい。

冬の北海道の凛とした空気の冷たさが伝わってくるような陰影に富んだ映像でした。

画面から、この作品にかけるスタッフの意気込みが伝わってくるかのような力強さを感じました。

水曜10時にはいくつかの質のよいヒューマンドラマが作られてきましたが、

このドラマもそういった良い作品になりそうな予感がします。

ふと、制作局は違いますが、「高校教師」を初めて見たときの驚きを思い出しました。

このドラマのつぐみちゃんはどこか「高校教師」の繭に似ているような気がします。

現実から遊離した人物設定にも関わらず、圧倒的な魅力を持って作品を支えている。

このドラマを担当されている坂元さんは「わたしたちの教科書」はものすごく好きでしたが、

よいできの作品とそうでない作品の落差が大きい作家さんのような気がするので、

今後の展開に多少不安がないとは言えないのですが、

とりあえず第1回目の最初の大きな車輪をスタッフや役者とともに力強く回せたと思います。

初回を見たこの感動の大きさが続くドラマであったらいいなあと思います。