カーネーション 運命を開く

「運命を開く」いいサブタイトルですよねえ。
カーネーションの週ごとのタイトルは花言葉から取っているそうですが
第2週目にして「運命を開く」とは
なんともでっかくて力強いタイトルではありませんか。
いよいよ本役尾野さんが活躍し始める第2週。
尾野さんの実年齢を忘れてしまうほど、
この週の糸子は軽やかに走ったり、嬉しくて飛び跳ねたり、怒ったり、泣いたり・・・。
お父ちゃんに仕事することを許されて畳の上で手足パタパタさせる姿のなんと愛らしいこと!
全身から生命力を溢れさせていて、可能性に満ちていて
これが演技で醸し出しているんだから、役者さんというのはすごいものだと改めて思います。
何でも一直線の糸子はあっぱっぱ作りに夢中。
夜、裁縫が面白くてなかなか寝ない糸子におばあちゃんがお小言。
後の展開を知っていると、ニヤニヤしてしまうシーン。
繰り返しが本当に上手いドラマなんだよなあ。
でも、商売が上手くいかなくてイライラしているお父ちゃんに
あっぱっぱ作りは禁止されてしまう。
そんな折り、糸子はミシンに出会う。
「ミシンはうちのだんじりやあ」
のぶっとんだ表現、始めた見たときは驚いたなあ。
第1話の歌といい、この「ミシンは楽車やあ」のシーンといい、
時々こういう思いもよらないシーンをぶっ込んでくるんですよねえ。
他のシーンと全くトーンが違うので、
初めて見たときは、このドラマどうなっていくんや・・・と思ったっけ。
でも、再放送前に放送された「カーネーション同窓会」では
このシーンが人気だったんですよね・・・。
わからないもんです。
ただ、それほどミシンとの出会いが糸子にとって衝撃的なものだっていうことは
とてもとても強く伝わったシーンでした。
感情表現豊かな糸子に魅せられたこの週でしたが、
お父ちゃんの切なさもものすごく描かれた週だったんですよね。
なかなか商売がうまくいかない。
着物が売れない。
奈津のお父ちゃんにも陰でばかにされている。
時代はなんとなく不景気で、少しずつ洋物が増えていっている。
なんとなくなんとなく時代に取り残されつつあるのは感じている中で、
大きな商機が舞い込んでくる。
けれどもその商機をつかむことができない。
商品を仕入れる金を工面することができない。
気まずいのを押して嫁の父親に借金を申し出ても断られる。
それどころかおまえには商才がないから商売はやめろ、
仕事は面倒みてやるから嫁と娘は引き渡せと言われる。
男としてこれほど悔しいことがあるだろうか。
男としてまだまだこれからや! と思えるくらい若かったら、
義父に言い返すこともできたのでしょうが、
お父ちゃんは言い返すこともできないまま、
お金も借りることができないまま、
引き下がってしまう。
神戸のおじいちゃんの言いなりにならなかったのは
お父ちゃんの最後の矜持だったんだろうな。
だけど、商売人として最後の引導を渡されてしまったお父ちゃんは
この後、糸子が店を継ぐまでの数年間うだうだとしながら
それでもあれだけ潔い決断ができたのは
この時にもう現役の商売人としてのお父ちゃんは終わってしまったからだと思う。
下手なりに商売が大好きだったお父ちゃん。
商売人だもん、今はうだつがあがらなくても、
いつか一発大きな商いをしてもうけてやるぞ
という野心は持っていたんだろうと思う。
子供の頃、いつか楽車の大工方になってやるぞと思いながら
実際に大人になってみると大工方にはなれない自分がいて、
それを少しずつ受け入れて年をとったように、
若い頃、いつかこの商売で大儲けしてみせるぞと描いた夢は
自分のものにはならなかった。
生きると言うことは、そうした運命を受け入れていくことだ。
おじいちゃんちの庭で、まだまだ何者でもない可能性の固まりのような子供たちが
はしゃいで遊んでいるのを眺めている善作さんの目のなんと切ないこと。
このシーンはわずか第2週目で出ていたんだなあ・・・と思うと
この作品の密度の濃さに改めて驚いてしまいます。
糸子の大泣きのシーンもこの週だったんですよねえ。
(結構大泣きはいっぱいしてるんですけど、喧嘩してからの大泣き)
尾野糸子の撮入シーンだったという、勘助をいじめていた男の子たちに喧嘩を売るシーン。
「小原糸子じゃああああっ」
と叫びながら飛びかかるシーンは、本放送放送前の予告で何度も使われていましたっけ。
こうやって再放送で改めて見返すと、
この喧嘩のシーンは前週(つまり子供時代)の喧嘩と対になっているということがよく分かる。
女だてらに喧嘩を買ってしまって、
真正面からぶつかるも結局は男女の力の差を見せつけられて終わる。
つまりは小学校から女学校にあがっても、
糸子の本質的な部分はちっとも変わっていないっていうこと。
大きく変わったのはお父ちゃん。
まだまだ現役で気力も体力も充実していたお父ちゃんは、
糸子が喧嘩して帰って着たときには大人の男の力を見せつけて叱りつけた。
けれども、今のお父ちゃんはそれほどの気力はなく、
悔しいと泣く糸子の様子を、階段からそっとうかがっているだけ。
女やから楽車にものれへん、女やから何にもできひん
と泣く糸子の辛さは、
自分の人生の夢・・・というか野望に終止符を打たざるを得ない善作さんに
深く響いたに違いありません。
最初にこのドラマを見たときは、ひたすら糸子の気持ちを追っかけていたんだけど、
改めて見ると善作さんの切なさを強く感じてしまいました。
お母ちゃんも、実は最初見ていた時は、
お父ちゃんの言いなりになる大人しくて昔ながらの女性・・・かなあと思っていました。
この辺までは。
後にだんだんこの認識は変わっていくんですけど。
でも、この段階では旦那の言いなりに実家にお金を無心に行くし
旦那が糸子に手を出しても止めるでもなく
(止めているのはおばあちゃん)
妹たちをかばいながら見ているだけ・・・。
でも、改めて見ると、このお母ちゃんの人物造形、かなりおもしろいですよね。
お金の無心に行ってもらったことに善作さんなりに気を使って
おばあちゃんに善哉作らせていたのを
平気で「実家で甘いもん食べ過ぎましてん」
と断る無神経さとか、
お金の無心に失敗して来たことにたいして何とも思っていなくって
無邪気に母親からもらった鼈甲の髪飾りを善作さんに見せたり・・・。
お金に苦労せずに育った人らしい大らかさと無神経さ
その一方で子供をとっても愛している愛情深い人であることもわかる。
この愛情の深さが、単に愛着というものではなく
もっとしっかりした芯の強さと観察によって裏付けされたものだと気がつくのは
次週だったんですよね。
この次の週を見て、私はお母ちゃんのイメージが大きく変わって、
大好きな登場人物の一人になったんだよなあ。
そして、そのシーンを見てから、この作品そのものに対する信頼感がぐっと増したんです。
どうかな? おもしろいかな? と探りながら見ていたのが、
一気に心をつかまれた。
再放送では月から金で、1日に2話放送するから、週の感覚が狂うんだけど
(現時点で次週分が2話放送されている)
区切りが週(6話分)でつけられているから、その区切りを尊重して。
次週「熱い思い」楽しみです。




月曜日 amazarashi

本当は「地方都市のメメント・モリ」の感想も書きたいのですが
上手くかけないまま数ヶ月・・・。
でもこのalbumは大好きなのでいつか感想をちゃんと書きたいと思っています。
とかなんとか言っているうちに、「月曜日」が配信されました。
Youtubeで検索してもらえればフルバージョンでMVが見られますので
少しでも気になった人は是非是非見てもらいたいなあと思います。
もともと、「メメント・モリ」のアルバムが出てまもなくの頃、
秋田日記で秋田さんが東京に行ってレコーディングをしたようなことを書かれていたので
とてもとても期待していたんですよね。
書きぶりからいって、アルバムやミニアルバムではなさそうな感じ。
レコーディング期間が短そうだったし。
それに「メメント・モリ」からすぐだったので
戦略的にもアルバムやミニアルバムはなさそう・・・。
とすれば、シングルか?
この時期のシングルレコーディングだとすれば、春から始まるドラマかアニメのタイアップ?
それとも映画なのかな。
何にしろ楽しみで楽しみで、ドキドキしながら公式の発表を待っていました。
で、発表されたのが、マンガ「月曜日の友達」とのタイアップ。
ほんと、申し訳ないのですが、ちょっとがっかりしたんですよね。
去年、ゲーム→ドラマ→アニメ→CMとタイアップがあって
それに引き続いてのタイアップと言うことで
ここで畳みかけるように仕掛けて認知度をあげようとしているのかなって思っていたので、
マンガ? マンガのタイアップって何?
アニメじゃないんだよね?
と頭の中をぐるぐる。
アニメ化されてのタイアップならわかるんだけど、
マンガのタイアップで曲を提供って聞いたことなくて・・・。
ドラマやアニメと比べたら拡散度はぐっと下がりますよね・・・。
そうかあ・・・ドラマやアニメじゃないんだ・・・とがっかり。
でも、いろいろググッて見たらマンガファンの中で評価が高い漫画家さんみたいだし、
とりあえずマンガそのものを読んでみることに。
そしたら、面白かったんですよ、このマンガ。
中学生の何気ない日常を描いているんだけれど、
もう忘れてしまっていたようなあの頃の日常の襞というか
空気観みたいなものを肌感覚としてリアルに思い出すようなマンガで。
なんといっても表現が小説っぽくてかなり言葉に重きを置いているタイプのマンガでした。
情景描写も絵に頼らずに言葉でも表現していたり、
心理描写の表現もどこか文学的で、
小説の地の文をマンガに入れ込んだようなタイプのマンガ。
そして、この言葉選びというか表現の感覚はとても秋田さんに近いなと思いました。
もともと作者の方がamazarashiが好きで、既存の楽曲を使わせてほしいという依頼だったそうなのですが
原作を読んだ秋田さんがいたく感動して、既存の曲ではなく
新しい曲を書き下ろす・・・ということになったそう。
そのせいなのか、この「月曜日」という曲はamazarashiには珍しく
タイアップ作品に完全に寄り添った曲になっている。
「季節・・・」にしろ「命にふさわしい」にしろ「空に歌えば」にしろ、
今までamazarashiがタイアップで歌ってきた曲はみんな
タイアップ先の作品の世界観に近かったり通じる何かがあったりはするものの、
タイアップ作品とは全く別物なんですよね。
MVで寄せていることはあっても、曲そのものは全く別物。
でも、「月曜日」は完全に「月曜日の友達」の世界なんです。
歌詞を構成するパーツの多くが原作から取られている。
これだけがっつり作品世界を取り込むというのは
秋田さんには珍しいこと。
でもちゃんと単独で聞けばamazarashiの曲になっている。
たぶんなにも知らずに初めてこの曲を聞いたら
amazarashiの曲として何の違和感も感じなかったと思う。
ちょと場面設定が若めかな・・・とは思うかもしれないけれど。
でも原作をしっていたらフレーズの多くが
マンガの場面に由来することがわかる。
原作との距離感が絶妙で驚いてしまった。
外から借りてきた要素でこれだけ自分の表現ができることに驚いたし
それが原作の解釈を決して狭めたり固定したりするような干渉はせずに
見事に膨らませていることにも驚いたんです。
でも、もっと驚いたのはMVです。
こちらも原作との距離感があまりにも絶妙で
音楽とマンガという全く畑違いの媒体を、
映像という枠の中で見事に融合させたなあとびっくりしてしまった。
見終わった後、曲のMVとしても秀逸だし、
マンガのプロモーションとしても、
よくできた映画の予告のようなわくわく感があるんですよね。
基本的にマンガの場面が切り取られ、
その中に歌詞の一部がデザイン的に挿入される。
この辺の文字表現の豊かさはamazarashiのMVならではだなあと思います。
曲を聞きながら、マンガのコマを追いながら、歌詞を目で追うという感じ。
そして時折原作のフレーズが挟み込まれる。
マンガだから音はないんですよ。
字だけ。
映画だったら台詞だから、音声だから、
その台詞の間一瞬音楽はバックに下がりますよね。
でも、文字だけだから音楽は変わらず前面に出たまま
頭の中で文字が台詞化される。
この音楽とマンガが一体となった不思議な感覚はMVを見てもらえばわかります。
2番からはシルエットで描かれた秋田さんがマンガの世界の中に入り込んで歌うんですよね。
これも面白い。
最初、マンガのタイアップ曲ってなんなん?
って思ってしまったけれど、このMVを見たらそれはすごく面白いチャレンジだったなあと思うのです。
タイアップのみを目的としたような、いまいち作品とシンクロしていない主題歌を歌うんだったら
こういう風に誰かから熱烈に恋われた作品に曲をつける方がよっぽど面白いよな、と思うし、
こういう仕事を選んでくるamazarashiもすごくamazarashiらしいなって思う。
マンガと音楽がお互いに豊かに作品世界を膨らませあう素敵なMVになっていますので
興味を持たれた方は是非YouTubeで「月曜日の友達」で検索してみてください。

posted by HaHa at 02:25Comment(0)音楽

カーネーション あこがれ

再放送が始まりましたね。
新設された朝ドラ再放送枠の第1弾が「カーネーション」というのが何より嬉しい。
また地上波で大勢の人たちとこの作品を見ていけるが楽しい。
久々にTwitterのタイムラインにあがってくる#カーネーションの感想を数々を楽しんで読みながら、
そーいえば「カーネーション」の感想ってさんざん書いていたけれど、
後半ばっかりだったよなあと思い出して。
せっかくだから前半の感想も書いておこうかなあ・・・と。
でも最近のペースで果たして毎週の感想が書けるのかは不安なのですが
それでも書かずにはいられない気持ちにさせるのが「カーネーション」クオリティ。
物語の展開としては、たぶん、前半の方が取っつきやすくて面白い。
わかりやすい成長物語であり、出世物語であり、家族のエピソードも多い。
そして前半で描かれたことが後半様々な形で蘇るようになっているんですよね・・・。
第1週は子役週だったわけですが、この1週の中にもたくさんちりばめられていました。
糸子が初めて作ったアッパッパーを着て「はーるよ来い♪ はーやく来い♪」
と踊るシーン、
おばあちゃんが煮るいわし。
糸子の朝寝坊、そして目が覚めると・・・のシーン。
こんなにも、こんなにも詰まっていたんだと改めて再確認。
そして、久々に見て驚いたのが
初回のだんじりのシーン、こんなに長かったんだ!という驚き。
こんなにじっくりと見せていたんですねえ。
男たちの力強さとだんじりの勢い、
それから家の中で繰り広げられる祭りの夜の風景。
このドラマの終わりにはほぼ現代の町並みに変わるので、
スタートはこんなに世界観が違ったんだ・・・という驚き。
一人の女性の人生の始まりと終わりで
これだけ町が変わり世相が変わったんだ。
まだみんな着物を着ていて、女性は髷を結っていて・・・
まるでずっとずっと昔の日本の風景を見ている気分なのに、
ほんの100年ほど前のことなんですね。
繰り返される「女は女らしく男をたてて従っておればよい」
ああ、こういう時代だったのだなあと改めて思う。
それが悪いとかいいとかではなくて、そういう時代だったんだ。
そういう時代の中で自分の才能を活かす道を見つけだして貫いたのが
小原糸子という人物だったんだなあって思う。
このドラマではそういう時代による女性の役割の押しつけをしっかりと描いているけど
決してそれを単純に否定するものとしては描いていないんですよね。
あくまでもこの時代はこうだったんだという描き方をしている。
これは戦争も同じ。
そこから何を感じるかは視聴者に委ねられている。
その時代背景との距離のとり方がこのドラマではとても上手いと思う。
ジェンダーの問題に偏りすぎず、あくまでも糸子の個性として描いる。
事実、第1週を見ていても、この時代に息苦しさを感じているのは糸子だけで
奈津もおかあちゃんも妹たちも誰もそんなこと感じていないんですよね。
おかあちゃんなんかは自分の意志で運命を切り開け!なんて言われたら
逆に困っちゃいそうですよね。
糸子のような個性をもった人が自分の個性を活かして生きていける時代になった。
それは決してお母ちゃんやあの頃の多くの女性の生き方を否定しているわけじゃない。
そんなことを改めて感じた第1週でした。

それにしても、1週間だったんですね。
ちび糸子の話は。
男の子とけんかしておとうちゃんになぐられたことも、
集金が成功してぎゅぎゅぎゅっとされたのも、
おじいちゃんちでドレスにであったのも、
全部ぜーんぶぎゅっとつまった1週間。
おとうちゃんは最初からおとうちゃんで
内弁慶で家ではいばりんぼですぐ怒る。時には殴る。
でも愛情たっぷりのお父ちゃん。
お母ちゃんはのちのおっとりという要素だけじゃなくて
お嬢さん育ちで天然? という要素が強くでていて面白い。
そういえば初見の時はこのお母ちゃんの人物造形が面白いなあって思って見ていたんだっけ。
おばあちゃんもまだまだ元気で上手に鰯を煮てる。
このおばあちゃんの立ち姿と、おばあちゃんの話す岸和田弁が大好きだったんだよなあ。
退蔵にいちゃんもかっこよくて、
奈津がいて勘助がいて、
なんだか時代を巻き戻してもう一度行き直している気持ちで
映し出される一場面一場面が愛おしく切ない。
そんな「カーネーション」再再放送第1週でした。