コウノドリ2 最終話

あけましておめでとうございます。
もう年も明けてだいぶんたってしまいましたが、コウノドリ2最終回の感想です。
とはいえ、もう新しいドラマも始まっているし、
ネット上にはいっぱい素晴らしい感想が溢れていて
今更何を書けばいいのか解らないのですが・・・。

とにかく最終回はみごとな納め方でした。
初回を離島というアクロバティックなところから始めた意味も
そこに佐々木蔵之助さんを配した意味もちゃんとつながったな、と。
地方だろうと不便だろうと、そこに住んでいる人がいて
そこで子供を育てて生きていきたい人がいる。
けれど、そこに産科医がいなければ、その思いも叶わなくなる。
子供を産めない土地では子供がいなくなってしまうから。
地方にとって子供がいなくなるというのは未来がなくなるということ。
そういうぎりぎりのところで踏ん張っている先輩の姿を初回に描いたからこそ
地元で唯一の産科医として踏ん張る四宮のお父さんの思いが、
ちゃんと視聴者に伝わったのだと思う。
本来設備が整っていない病院でお産を行うべきではないと頑なに考えている四宮が
父の跡を継いでその地域唯一の産科医になることを決めるのは
かなり勇気がいることだろうと思う。
そんな四宮の背中をサクラが押してあげるのが素敵。
研修医時代から一緒のサクラと四宮は、
きっと下屋と白川先生以上に二人でいることに慣れていて、
二人だからこそ通じ合う何かがある。
今期は繰り返し繰り返し、そんなシーンを描いてきましたね。
1期の時は、四宮の時には冷たく突き放すような物言いや態度の裏には
サクラと同じだけ赤ちゃんと妊婦を大切に思う気持ちが隠れていることは
徐々に解き明かされていく要素だったから、
四宮の本心はサクラだけが解っている・・・というようなシーンが多かったんだけど、
2期では四宮もほんの、ほんの少し丸くなり、
四宮の本当の気持ちは医局のスタッフも視聴者も知るところになったから、
1期のように四宮の言動の意味をサクラだけが解ってる・・・
ような場面はめっきり減って、
二人が、時には言葉もなく共感しあっているようなシーンがたくさん差し込まれていました。
だからこそ、離れる心細さとか辛さも下屋以上に感じているはずなんですよね。
けれども、自分を勘定に入れずにきちんと相手のことを思って行動できるのがサクラ。
何も言わないで荻島との飲み会をセッティングしてやります。
荻島先生とのやりとりも素敵だったなあ。
早く行きたいなら一人で行け、
遠くまで行きたいならみんなで行け
でしたっけ。
医療設備の整っていない現場を切り捨てていけば
確かにお産で命を落とすような悲劇は少なくしていけるかもしれない。
けれども、そうやって実現する医療現場が
本当の意味で様々な妊婦の様々なニーズに応えられているか・・・
と言えばそうではないわけで。
お母さんに寄り添い、命の誕生の現場に寄り添う周産期医療の姿を考えたとき、
離島(や僻地)の産科も必要なんだというのが荻島先生の考え方。
だからといって、一人の産科医が全ての責任を背負えるわけはない
ということもよく理解した上で、
「どこにいってもひとりぼっちで戦わなきゃいけない、そんなことはないんだ」
という言葉を四宮にプレゼントしていました。
横で四宮の様子をうかがいながら、話を聞いているサクラ。
最後の荻野先生の言葉はサクラが四宮に伝えたい言葉だったんだろうな。
2期では、サクラはちょこちょこと人と人をつなぐ役割を果たしていました。
白川先生が落ち込んだ時には新井先生に頼んで話してもらったり、
四宮に荻島先生と話す場を作ったり。
これは1期以上にサクラ先生がペルソナのハブとしての存在感を増しているということなのでしょう。
最終的に、四宮は故郷で父の跡を継いで産科医になるためにペルソナを離れ、
小松さんもまた、助産師とは違った立ち位置で周産期医療に関わるため
ペルソナを離れることを決意するんだけれど
サクラは一人ペルソナに残って
みんながいつでも帰ってこられるようにペルソナを守ると宣言する。
思えば最終話の初めのほうで、下屋から
「鴻鳥先生はずっとペルソナにいますよね」
と聞かれて、視線を下屋から空に移し、その答えを口にしないままだったのが
ここではっきりと「答え」を口にしました。
おそらくサクラの中でペルソナを去るという選択肢は初めからなかったんでしょうが
下屋の問いかけに即答で「当たり前だろ」と答えなかったことに意味がある気がしました。
(もちろん脚本の作意が大きいのでしょうが)
四宮が故郷に帰って産科医になることの是非を考え、
小松さんが助産師とは違う形でお母さんをサポートするにはという方法を探している間、
サクラもまたペルソナで産科医を続けることの意味を考え続けていたと思うのです。
つまり、取り残されてしまったという受け身ではなく、
例えみんながここを巣立っていっても、自分はペルソナに残るという覚悟を
自分の中にしっかりと持つための時間が、サクラにも必要だったんだなあ・・・と。
今橋先生もまた、取り残される寂しさを感じさせてくれました。
白川先生の成長と向上心を誰よりも応援しながらも、
苦労を共にした仲間が去っていく寂しさも十二分に感じていて・・・。
今橋先生の寂しさは、サクラも一緒ですよね、きっと。
登場人物たちの中に相似形の関係性をいくつも作って、
それぞれのエピソードを描くことで他方の思いも類推させる・・・
そういう手法が随所に見られた作品でした。
同僚という関係性、旅立つものと残るものという関係性。
そう言えば、小松さんが言い出した「家族」というキーワード。
この言葉もまた今橋先生が言い出した言葉でしたっけ。
小松さんを飲み屋さんに誘った時に言ってましたよね。
「ペルソナのみんなは家族みたいなものだ」って。
小松さんはこの言葉が心のどこかに残っていたんだろうな。
小松さんが「家族みたいだね」って言い出したときのサクラの嬉しそうな顔!
1期はサクラの出生が大きな鍵になっていて、
最終回でお母さんがどう思ってサクラを産んだのかが解るまでは
どこか根無し草のような危うさみたいなものがあったんだけど、
1期の最後に、父親はわからないながらも、
自分は確かに母親に望まれて、愛されて生まれてきたんだと確信が持てたので
2期ではサクラの出生云々はほとんど表に出なくなっていました。
途中一回景子ママに話を聞きに行ったのと、
最終話でのサンタさんくらいかな。
サクラのプライベートに触れたのは。
でも、ここでサクラの身の上が大きく響いた。
生まれてすぐに母親を亡くし、家族を知らずに育ったサクラだからこそ、
「家族」と言う言葉の重みを感じたんですね。
そんでもってこれはドラマとは全く離れて、中の人の綾野くんに関する勝手な感想なんだけど、
綾野くんって、どこか家族に恵まれない切なさみたいなものを背負っている気がするんですよ。
ご自身はお母さんの話もよくされるし、
おばあさんからもかわいがられていそうな感じはひしひしと伝わってくるし、
決して家族に恵まれていないわけじゃないんだろうと思うんですけど、
なぜか演じる役では家族に恵まれなかったり、
そもそも家族の陰があんまりないような役が多くって・・・。
幸せな家族に囲まれて・・・という役ってぱっと思い出すのは
docomoの新聞記者役くらい?
だから勝手に綾野くんのファンとして「幸せな家族」に飢えているところがあるので、
必要以上にこのシーンにジンときてしまったんですよね。
よかったねえ、サクラ先生。サクラ先生に家族ができたよって。
サクラがペルソナでがんばっていたら、
ここを巣立っていったみんながいつでも帰ってこれる。
ペルソナが、サクラがみんなの家になるんですよね。
出産という、ある意味一番コアな血のつながりを描いてきたドラマが
血縁ではなく、人との深い結びつきを家族と捉えて
主人公に与えたことに意味があるという気がします。
つまりは「人は一人じゃないんだよ」という、
このドラマが繰り返し伝えてきたことの集大成なんだな。
「フランケンシュタインの恋」で、最後の最後に、
人の役に立ちたいという呼六と研さんの思いを叶える形で
怪物に居場所を作ったのと同じだなあと思いました。
最後の最後で、とても正当な形で主人公が救済されて物語が終わる暖かさ。
考えてみれば、あの場で家族だと抱き合った3人
サクラは産みの母はすでに亡くなっていて、父親はどこにいるのか解らないし
小松さんは両親をすでに亡くしていて、身寄りがないし
四宮も妹さんはいるけれど、両親ともを亡くしていて
ある意味血のつながった家族には恵まれていない3人なんだけど
でも一人じゃないんだという温もりが感じられた
本当に気持ちのいい最終回でした。

もう一つ大きく印象に残ったのは「オランダへようこそ」という詩。
前回、障害を持つ子を育てるためのサポートに対する言及が少なかった分、
最終回に丁寧に描かれました。
特に「オランダへようこそ」という詩は、透子さんと小松さんの二人で
全文が朗読されました。
この詩ってダウン症を持つ親だけではなくて、もっと多くの親にも当てはまりますよね。
成長過程で発見される障害もありますし、
事故や病気で思いがけない障害を持つこともある。
当たり前のように思い描いていた子供の将来が
思いがけない方向に続いていると解ったとき、
自分の思い描いていた理想や夢を現実とどう折り合いをつけていくか
その心のあり方をとても的確に比喩を用いて表現されていて
素晴らしい詩だなあと思いました。
特に好きなのは「心の痛みは決して、決して消えることはありません。
だって失った夢はあまりにも大きすぎるから」
という部分。
この詩がオランダにもいいところがあるのに、
いつまでもイタリアにこだわっていてはもったいないですよ
という論調で結ばれていたなら、こんなに心が惹かれはしなかったと思う。
でも、ちゃんとこの痛みに言及してあるから、
すんなりと心に入ってくるのだと思うんです。
お腹の中に赤ちゃんを迎えてからの様々な幸せな空想を手放さないと行けないと解ったときの痛み、
他の人は簡単に手に入っている(ように見える)ものが自分には許されないのだという痛み、
そういう痛みにちゃんと寄り添っている感じがするから、
きれいごとじゃなく心に入ってくる。
最終回は盛りだくさんで、四宮先生の決断やら、
武田さんの出産&大手術やら、
透子さん夫婦がダウン症を受け入れていく課程やら描きながら
その中心にこの詩を据えたことがこのドラマの作り手の覚悟が伝わってくる気がしました。
15分拡大版だったとは言え、これだけの内容をしっかりとまとめ上げた脚本にも拍手。
詩の朗読の途中で、1期で子供の障害をなかなか受け入れられなかった森口一家と
前半で大きく扱われた産後鬱の佐野さん一家の幸せそうな様子が一瞬映りました。
思えば森口さんもまたイタリアを夢見ながら違う国に着いてしまった人だし、
佐野さんも赤ちゃんだけでではなく自分の問題でも
思いがけない子育てのスタートになった人でした。
二組の家族が今幸せそうに家族の時間を過ごせている姿をわずかでも見られてよかった。
透子さんも、もしコウノドリ3期があれば幸せに家族で暮らす様子をちらりとでも見られるかな。
見られたらいいな。

最後に、綾野くんの感想。
2期ということでスタートからとても気合いが入っていましたよね。
浮かれた部分は微塵もなくて、2期の重さと恐さを十分にわかった上で
真正面からその難しさを受け止めようとしている感じがしました。
「コウノドリ」という作品は「フランケンシュタインの恋」とは違って
物語の先頭でストーリーを引っ張っていくタイプの主役ではなく
各回のゲスト、もしくはその回の中心をなす人物を支えるような立ち位置。
主役の居方としては難しい作品だったろうなあと思います。
作品の方向性としては、非常に真面目な内容で、
周産期医療の現場を知ってもらうというような啓蒙的な要素の強い作品。
その分縛りも多かったと思うし、全方位的に表現に配慮しなければならない作品で
そういう意味でもしんどい作品だったのではないかと思います。
けれども、現場を引っ張りながらそれをやり遂げた。
やりとげたんだよなあ・・・。
立派な主演俳優になったんだなあ・・・。
私がファンになった頃の綾野くんは、まだ脇の役が当たり前。
でも、出番の少ない役でも作品のアクセントになっていたり、
はっと印象に残るようなそんな役者さんで、
だからこそ、脇の方が綾野くんの個性を活かせるのかなあ・・・
と思っていた時期もあったんだけど(私が勝手に、です)
こんな風に堂々と作品を支えていける主演俳優になったんだなあ・・・
と改めて感慨に耽ってしまいました。
「コウノドリ」は綾野くんの優しい側面を世間に浸透させてくれた作品でもあります。
なんかもう、今ではそんな時代もあったね・・・と、懐かしく思えるのですが
綾野剛と言えば「怖い人」というイメージだった時代が確かにあったんです。
でも、今はもうそういうイメージほとんどないですよね。
今でも所謂「怖い人」「危ない人」系の役はコンスタントにされているんですけどね。
やっぱりテレビドラマの浸透力ってすごいなあと思います。
コウノドリはそこそこ視聴率も取りましたしね。
ただ、視聴率がそこそこだったのは少し残念だったところ。
Twitter等のネットの盛り上がりほどは視聴率があがらなかった。
それでも1期よりはほんの少し平均視聴率があがったんですよね。
コウノドリという作品のもつ真面目さをハナから敬遠する層があるということなんでしょうね。
見てもらえれば、楽しんでもらえるつくりに、ちゃんとなっていたと思うのだけれど。
ピアノは本当にすごくて、あまりに違和感がなさすぎて
逆に1期ほど特別視しなくなった気がします。
本当は、ドの位置がわからなかった人が手元の吹き替えなしで
あそこまでできるというのはとてもとてもすごいことだと思うんだけど・・・。
1期の時はピアノのシーンになると、
こちらもちょっと構えて見ていた気がします。
お、ピアノだぞ。ちゃんとピアニストっぽく見えるかな・・・って。
カツラも違和感があったしね。
でも、2期だと本当に物語の流れの中でピアノのシーンを当たり前に受け入れていました。
ただただ、サクラの思いがどういう音色となっているのか、
サクラがどんな気持ちでピアノに向かい合っているのか
そういうことに意識が集中できていた気がします。
坂口くんも前のクールのドラマでピアニストの役をやっていてちゃんと弾いていたので
最近の俳優さんはピアノ弾けるんだなあ・・・と感心していたところ、
やはり「コウノドリ」1期で綾野くんの姿勢に影響を受けたらしく、
(もともと小さい頃に少しは習っておられたそうですが)
一生懸命練習して弾けるところまでもっていったとか。
・・・役者の役作りのレベルをあげてるなあ・・・。
ピアノにしろ、手術時等の動きにしろ、
画面の中で努力が見えるんじゃなしに、当たり前と見えることが本当にすごかった。

「コウノドリ」はとにかく真面目にまっすぐに作ってあって、すがすがしいドラマでした。
監修の先生方もTwitterでいろいろつぶやかれていて盛り上げてくれました。
歴史物にしろ、現代物にしろ、
監修の先生方が熱くなって下さる作品は、よいものになる率が高いと思う。個人的に。
「真田丸」もそうでしたよね。
制作側も監修の先生の意見をちゃんと聞いて、
監修の先生方も、ドラマとしての表現の部分は理解して下さって、
というやりとりがとても上手くいっていたんだろうなあという感じが伝わってきました。
こういうドラマってありそうでないんですよね。
特に「コウノドリ」では世間的にいろんな意見があって下手に触れたらややこしいことになりそう・・・
という問題にも果敢に挑んでいました。
そういう炎上しかねない話題を避けるんではなく、
いろんな意見をきちんと伝えることで、ドラマを通じて問題提起をすることができていたドラマでした。
昔はそういうドラマってもう少し頻繁に作られていたような気がします。
たとえば金八先生とか・・・。
TBSは比較的そういうドラマ多かった気がしますね。
「コウノドリ」は派手さはないけれども、
誠実に丁寧に作られたドラマで、細部から作り手の思いが感じられる
上質のドラマだったなあ・・・と思います。
そういうドラマで堂々と主演を演じきったことがファンとして何よりも誇らしい気持ちです。
まだ原作も続いているので、なんらかの形でまた「コウノドリ」を見られたらいいな。
(でも映画にはして欲しくないけど)

2017年の終わりに

まだ最終回の感想も書いていないのですが、
とりあえず今年のまとめ。
2017年もいよいよ過ぎ去って行きますね。
今年は年末にインフルエンザにかかってしまいまして、
受験生を持つ親として大失態。
年末やろうとしていた大掃除も年賀状も買い出しもお正月準備も
すべてうっちゃってずっと寝込んでいました。
仕事も最後の最後で休んじゃったのでもうさんざんな年末。
我が家の年末は主人の実家でみんなで「こんな歌手知らんなあ」って言い合いながら紅白見て
終わったらそのまま初詣に・・・という流れなんですけど、
今は一人で紅白見ながらこれ書いてます。
みんなは主人の実家に・・・
というか、そうしてくれないと居間でこれ書きながらテレビ見られない
(うつすから)
今回のインフルエンザしんどかったあ・・・。
早めに病院行ってタミフル飲んだんだけど、
3日間はしっかり寝込みました。
タミフル効いたら年賀状くらいはなんとかできるかも・・・
なんて考えていた私がバカだった・・・。
インフルはしんどいです。
子供からもらうときは看病しつつだからそんなにしんどいイメージなかったんだけど
十年ぶりくらいに単独でひいてしまって大ショック。
こんな年末の忙しい時期にばかばかばか~って思っていたら
竹内涼真くんもインフルって情報が流れてきて、
ああ、この時期に寝込んでいるの私だけじゃない・・・
とちょっと嬉しくなりました。
でも竹内くんはインフルのおかげでなんかの表彰式出られなかったんですよね。
・・・かわいそうに・・・。
寝込んでいてよかったのは、見たいけどリアルタイムで見られないだろうなあ
と思っていた大河の総集編と、「逃げ恥」の再放送が見られたこと。
それから、たまたま前から気になっていた「昆虫大好き」も見られた!
大河の総集編は、総集編でものすごくあらすじなのに、
これは名作だなあと改めて思いました。
・・・感想、書けるかな。書きたいな。
大好きな大河でした。
そして、ずっと見たいと思っていたタイプの大河でした。
久々に長尺で描かれるドラマの面白さを強烈に感じたドラマでした。
「逃げ恥」は関西では31日の放送分は2話分だけだったんだけど
それでも脚本家の野木さんの解説ツイート読みながらの鑑賞おもしろかった。
やっぱりこのドラマ好きだなあ。
野木さんは関東ペースでツイートされているのでちょっとずれるんですけどね。
思わず録画してあるDVD持ってきて続き見ようかと思ったんだけど
私抜きで大掃除してくれている家族の横でそれもしにくくておとなしくしてました。
「昆虫大好き」は聞きしに勝る香川さんの昆虫好きにちょっとひきました。
いや、正統なおたく魂に感嘆いたしました。

さて、2017年を振り返ってみると、
個人的にはいいことも悪いこともあって、
最終的な印象としてはしんどい年でした。
家族的には、今年から長男が働き始めて、
幸いなことに職場の人たちにも恵まれてなんとかうまくスタートを切れたことが
一番嬉しいことでした。
次男は来年早々に受験です。
こっちではずっといろいろもやもやさせられましたが、
とりあえず目標校も決まりそこに向かってがんばろうとしているところ。
(だからこの時期に親がインフルになってる場合じゃないのに!!)
反省点としては、自分の気持ちがずっと日常のことで落ち着かなかったこともあって
なかなかブログが更新できなかったこと。
これがまたストレスになっての悪循環でした。
来年はなんとか時間を巧く工面してもっと書くぞ。
たぶん、何かをちゃんと自分から出す方がメンタル的にも安定すると思うんだよね。

というわけで、今年の綾野くん。
公開された出演映画数こそ去年に比べれば少なかったんですけど、
ドラマを2本もやってくれたので、半年間毎週新しい姿が見られるという
幸福な1年間でした。
一年間に連続ドラマ2本なんて、何年ぶりだろう・・・。
しかもどちらも主演で・・・なんて、思いもしない幸せな一年でした。
どっちのドラマも大好きでそういう意味でも幸せだったあ。
好きな俳優さんが出ているから必ず好きな作品とは限りませんもんね。
まあ、綾野くんの場合はそうなる率が格段に高いのですが。
「コウノドリ」は世間にも好評で、視聴率もちゃんとあって反応もよくて、もうすっかり綾野くんの代表作といった様子。
綾野くんの作品に向かう際の真摯さがきちんと伝わった作品が
第2期になっても同じように、いや、ある意味前回以上に世間に受け入れられたのが
とても嬉しかった。
一方視聴率的に苦戦して、あまり話題にはならなかった「フランケンシュタインの恋」ですが
私はこの作品も大好きでした。
「コウノドリ」とは違うテイストの優しさがあって。
どちらも「優しい」綾野くんなんだけど、
研さんとサクラ先生の佇まいの差がきちんとあって、
微妙にトーンの違う「優しさ」を自宅でじっくりと楽しめたのは嬉しかった。
「フランケンシュタイン」はオーディオコメンタリィを配信してくれたのもすごく楽しかった。

一方映画ではアクションものの多い一年でした。
「新宿スワン2」に始まって「武曲」「亜人」。
みんなそれぞれ違うアクション(肉体表現)を見せてくれました。
特に「武曲」は「フランケンシュタインの恋」と、
「亜人」は「コウノドリ2」と公開時期が重なっていて、
ドラマで見せるのとは真逆の綾野剛の一面を見せつけてくれました。
「武曲」は公開規模は小さかったけれど大好きな作品でした。
激しいんだけれど、ある意味とても人間くさい役で、
人間の心の闇というか荒々しい部分をそのまま身体の動きとして表現したような
感情の発露のような表現がとても印象的で痛々しくて、
アクション系の作品でこういうタイプのものは少なかった気がするので
とても印象に残る作品でした。
賞向きの作品だと思ったんだけどあんまり注目されなかったのが残念。
海外ではちょこちょこ賞取ってたんですけどね。
「亜人」では「武曲」とはまた違った
感情の入らない超人的な動きを見せてくれました。
こちらは今までのアクション系の役の真骨頂!
かっこよかったあ・・・。
どう考えても悪い奴なんですけど、とても魅力的な悪役で、
動きがとにかく切れっ切れで。
そんでもって原作にはないちょっとした切なさもあって。
「るろうに剣心」の時にちょっと物足りなく感じた
佐藤健くんとのアクションもたっぷり見られたし、
満足満足の作品でした。
ああ、そう言えば「ラストレシピ」の感想も書けてないや。
見かけは「武曲」の研吾そのままなのに
この映画ではちょっと見かけやんちゃだけど心優しい幼なじみにしか見えなくて
原作よりもぐっと前に引き出してもらえた人物でもあって、
見終わったあとほんわかと暖かい気持ちになりました。
今年は本当にドラマも映画も見応えのある作品が多かったなあ。
ただ、今年ドラマが多かった分、来年公開が発表されている映画がなくて
(なかったですよね、たしか)
ファンになってから来年見られる作品の見当が全くつかない
という年がなかったのでちょっとビビっています。
きっと1本は待機作があるんだと思うんだけど・・・。
でもこの沈黙が、大きな作品を控えてのことだと信じて来年を待つことにます。
個人的には久々にNHKかWOWWOWでドラマに出て欲しいなあ。
できれば主役級で・・・。
なんて、ね。
でも、大抵は予想の斜め上の思いがけない作品が出てくるので
それを楽しみに待ちたいと思います。

さてさて、もう一つ追っかけているamazarashiさんの方は、
これまたとても密度の濃い一年でした。
多分、ファンになって最大にいろいろあった年でしたね。
私自身はメッセージボトルツアーの大阪に1回参加して、
とりあえずリリースされた作品は息子と手分けして買う・・・くらいだったんだけど、
amazarashiの活動としてはもう盛りだくさん。
まず、リリースだけでも
シングル2枚「命にふさわしい」「空に歌えば」に
初のベスト「メッセージボトル」
映像作品では360°LIVE 「虚無病」
フルアルバム「地方都市のメメント・モリ」
それに加えてアジカンのトリビュートalbumにも1曲提供。
ライブはツアーとしてはメッセージボトルツアーと、
サマソニ、CDJ17/18、それから弾き語りの「理論武装解除」
とまあ、1年を通じて多いと言えば多かったんだけど、
それ以上に中止&延期が2回もあって、
なんかずっとメッセージボトルツアーをやってた感じがする。
中断を聞いたときは本当に心配したけれど、
一つ一つ残りのツアーを、そして追加公演をこなして
確実に強くなった感じがします。
それまではamazarashiを構成する要素が多すぎて、
それらの一つでもダメになったらamazarashiがダメになっちゃうんじゃないかって
そんな気がしていたんだけれど、
いやいやamazarashiは思っていた以上に強かった!
その不安は、「メッセージボトル」というベストalbumを出して
今までのamazarashiの方向性に一区切りつけえようとしているのかなあっていう時期だったから
尚更感じたのかもしれない。
流れ的にも青森での凱旋初LIVEがあったりしたし。
でも、シングル「空に歌えば」がそれまでと違う流れを切り開くような曲で、
この曲を含んでリリースされた「地方都市のメメント・モリ」というalbumが素晴らしくて、
ああ、amazarashiは「認められたい」というこれまでの大きな方向性を越えて
より深化させてこの不条理な世の中を、そこを生きる自分を捉えようとしているんだなあ
と感じられて、本当にわくわくしています。
2017年は今はamazarashiにとって大きな区切りに見えるかもしれないけれど
きっとこれからずっとamazarashiが活動を続けていけば
地層の変わり目にすぎないようなそんな年になるのではないかなと思います。
amazarashiは大丈夫。そんなに簡単に燃え尽きたりしない。
これからも歌い続けてくれる・・・そんな思いを強くした1年でした。
来年はAimerとのツーマンアジアツアーを皮切りに、
「地方都市のメメント・モリ」ツアーも発表されていて、
なんか急に働き者になっていませんか? 秋田さん。
ファンとしては嬉しい限り。
とりあえず大阪のチケットは押さえてあります。
無事高校生になった次男と行けますように。
(受からんかったら連れて行ってやらん!)

そんなこんなの2017年ももう終わりです。
このブログに訪れて下さった方、本当にありがとうございます。
今年は本当に更新できなくて自分でももどかしかったのですが
もし、また気が向けば、訪れていただければありがたいと思います。

コウノドリ2 10話

放送はもう最終回を迎えましたが、感想はまだ10話です。
10話はとにかくすごくて・・・
なにがすごいって、難しい問題に真正面から向き合ってドラマを作っている
ということが本当にしみじみと伝わったから。
出生前診断・・・難しい問題ですよね。
私自身は妊娠中にこの検査のことを知り・・・
といってもまだそんなには普及していなかったんじゃないのかな。
読んでいた妊娠情報雑誌に羊水をとらなくても
血液で検査できるようになると書いてあって、
血液だけで検査できるんだ・・・と驚いた覚えがある。
羊水検査は多少なりとも流産の危険性があるから怖いけど
採血だけなんて、そんなに簡単な検査なら・・・と
一瞬思って、でも、もし陽性って出た時に
自分がしなければならない判断の重さにおののいて、
すぐに検査を受けるという選択肢を消しました。
私の中ではその時で出生前診断についての考えは思考停止していました。
だから、もしドラマを見るまでの私に
「出生前診断についてどう思いますか」
って聞かれたら、
「障害の有無によって命を選別するなんてできないから、自分は受けない」
って正論で答えたと思う。
幸いその後の私の人生で、その答えを打ち消すようなことは起きなかったから。
でも、もし、「コウノドリ」が私のような考えで作られていたなら、
命の選別をする事は悪であると言ったような正論が貫かれていたら、
きっとそれは残酷で独りよがりな物語になったろうと思う。
そして、私はそんなドラマは見たくない。
「コウノドリ」のすごさは、作り手が考える一つの正解を押しつけるのではなく、
様々な立ち場の様々な意見や思いをきちんとすくい上げて、
それぞれの思いに寄り添いながら、優しい物語としてまとめるところ。
これは1期の頃から貫かれていて、
だから1期の放送時は脚本家の山本むつみさんの個性も大きいのかと思っていたのですが
2期になって複数体制の脚本になっても全くぶれずに、
もっともっと踏み込んで難しい問題に立ち向かっていました。
これはもう脚本とかキャストとかの個々の個性だけではなく
チーム「コウノドリ」全体の姿勢であり作品に取り組む覚悟の強さなんだな。
この出生前診断は原作にはないエピソードなのだそうです。
原作者の鈴ノ木先生がつぶやかれていました。
まだこのテーマでは書けないと。
それだけ難しいテーマ。
出生前診断をよしとするのも、否定するのも
診断結果によって産むのも産まないのも、
どこに肩入れしても、どの道を選ぶのも、
問題の本質を覆い隠してしまう可能性がある。
ドラマではそこを丁寧に丁寧に描いていましたよね。
出生前診断の理論的な主張は、医局で医師たちに率直に語らせていました。
現代の出生前診断の問題点を四宮先生に、
出生前診断の意義と利点、そして赤ちゃんの情報を知りたいと願う母親の思いを
自身も子供を産んだばかりの倉橋先生に話させ、
そこに現場からの率直な思いを小松さんにはさませる。
そして、命の選別を言うのであれば、
他に様々な理由で行われている中絶についても同じ俎上で語られるべきだと
メディカルソーシャルワーカーの向井さんが問題を広げる。
そんな難しい選択に向き合うのが辻夫婦と高山夫婦。
この二組の夫婦の思い悩む姿を通じていろいろと考えられるような物語の運びになっていました。
おそらくちゃんといろんなことを考えた上で出生前検査を受けたであろう辻夫婦。
赤ちゃんに何らかの障害があればあきらめる、という結論を早々に出していました。
その理由もしみじみと納得がいく。
私も実家が商売をやっていたので、
自営でやっているなかで、働き手が一人いなくなることがどういうことを意味するのか
感覚としてすごくわかる。
そして、病院では語らなかったけれど、
自分たちがいなくなった後、お姉ちゃんに苦労を背負わせられない
と思う気持ちも、すごくわかる。
同じ状況だったら私もきっとそう考えるだろうと思う。
だから結論は揺るぎないんだけれど、
お姉ちゃんの元気に遊ぶ姿を見て、お腹の胎動を感じて
その都度心を揺らす母親の思いを、りょうさんが繊細に演じられていて、泣けた。
そしてそんな奥さんをそっと支える旦那さんの優しさにも、泣けた。
きっとこの夫婦はずっとこのつらい思いを抱えて生きていくんだろう。
命の重さとはそういうことだ。
でも、痛みは痛みとして心の奥に隠しながらも、
そうまでして守ろうとした家族を、生活を
大切に生きていって欲しいと願わずにいられない。
辻夫妻の選択に対しては医師側の感情的な反応を全く挟まずに
丁寧に辻夫妻の様子を描いていました。
それだけで、辻夫妻の選んだ選択の辛さを表現していた。
でも、最後に、一言、サクラ先生に
「僕は赤ちゃんが好きだから・・・」
と本音を言わせた。
頭では理解していても、感情がついて行かないこともある。
医者も人間だから・・・。
そして、高山夫妻の決断について話し合う場で
サクラ先生の長台詞。
吾郎先生が口火を切るんですよね。
「え?」
って。吾郎先生のこの無神経な「え?」うまかったなあ。
自分の不用意な言葉に場が静まりかえっちゃったことに気づいて、
すぐに口をつぐむんだけど、下屋先生に
「聞きたいことがあるんなら聞いた方がいいよ」と。
これがチームペルソナの素晴らしいところですよね。
若手の解っていない質問にも全員がちゃんと向き合って答えようとする。
吾郎先生は「中絶を希望しているのに、赤ちゃんを抱きたいなんて・・・」
と、素直な感想を口にします。
あまりに素直な感想に、四宮先生があきれて
「おまえなあ」
と口を挟むんだけど、
サクラ先生が続きを促すんですよね。
そして吾郎先生の口から問われる本質的な問い。
「このまま出生前診断が当メジャーになっていった時に、
医師としてどう向き合っていったほうがいいんでしょうか」
それはその場にいたみんなが胸に抱えている問題で・・・。
下屋、小松さん、四宮先生、今橋先生・・・とカメラは追い、
その誰もがすぐには答えられない中
サクラ先生が答える。
「その質問の答えは僕にはわからない」
と。そしてゆっくりと、言葉を探すように、自分が発した言葉をかみしめるように、
サクラ先生は続ける。
命は尊い。平等であるべき命を選別することは間違っている。
でもその「命の選別」という言葉に捕らわれすぎてはいないか。
命はそれぞれの事情の上に生まれてくる。
悩みに悩んだ上でその選択をして助けを求めてくる人たちの手を払いのけることはできない。
その葛藤に寄り添い、どの選択を選んでもその選択は間違ってなかったと思えるように
産科医として家族に寄り添っていく・・・
(かなり要約しています)
今まで、1期2期を通して(特に2期)描いてきた
患者に寄り添う医療の集大成ですよね。
本来中絶は通常の医療行為とは真逆の行為。
お医者さんは医療の知識と技術を駆使して毎日必死で命を救おうとしている。
今橋先生のいる新生児科や下屋のいる救命なんて特にそうですよね。
命の選別なんて入り込む余地がない。
でも、産科では本来生きられる命が誰かの選択によって失われていく現実がある。
産科医はそこをどう折り合いをつけていくかという大きな課題を背負っている。
事務的に割り切る方法もあるんだろうと思う。
もしくは自分の見つけた解で押し切っていく方法もあるんだと思う。
医師だって人間だから、職業として医者を続けるために
割り切っちゃう人もいると思う。
でも、サクラ先生をはじめとして、ペルソナの先生たちはそうはしない。
割り切るんじゃなくて、寄り添う。
患者に「寄り添う」というのは覚悟の問題なんですね。
これは制作の姿勢にも言えて、
この話、辻夫妻の描き方をもっと極端にしてしまえば楽なんですよね。
もっと気楽な感じで中絶を選ぶタイプの人物として設定してしまったら。
最後に赤ちゃんを産む決心をする高山夫妻との違いも明確になるし
高山夫妻の選択もドラマチックに盛り上げられるかもしれない。
もっと視聴者に「こんな親はだめだ」と思わせるような人物にしてしまったら
ある意味見ている方も楽です。
こんな覚悟で子供を作ってはだめだ。
安易に出生前診断を選ぶのは考えものだな・・・と思わせるような話の展開だと
視聴者も簡単に辻夫妻を悪者にして自分は高見の見物で正論を振りかざせるから
心は楽ですよね。
でも、それでは考える余地がなくなってしまう。
このドラマのすごいところは、安易にドラマ的な展開を求めずに、
丁寧な調査を活かしながら、綿密に場面を台詞を組み立てながら
視聴者に自分で考える余地をきちんと残しているところだと思います。
だからこそ、毎回泣けるという反応が多いにも関わらず
単純なお涙ちょうだい感動ドラマには陥っていない。
このさじ加減が絶妙なんでよね。

この難しい話作りを支えているのが、
実際に登場してくれている赤ちゃんや子供たち。
普段なかなか新生児を目にする機会がない中で
これでもかというくらい生まれたばかりの赤ちゃんを見せてくれます。
それこそ、本当に人によっては一生目にすることはないかもしれない
保育器に入ったちっちゃめ(かなりかなりちっちゃめ)赤ちゃんも。
彼らを見ていると、赤ちゃんって本当に命の塊なんだなあと思える。
今回はダウン症のお子さんも登場してくれました。
高山夫妻へのフォローは11話が中心になるので
この10話ではダウン症そのものの説明は少な目でした。
でもこの子が画面に出てくれるだけで、伝わってくることがいっぱいあった。
病院の廊下で今橋先生とお母さんが話しているときに
白川先生とハイタッチしたりしてわちゃわちゃしているの
とってもかわいかった。
そしてご自身もダウン症のお子さんを育てていることを明らかにしている
奥山さんの台詞には、台詞を越えた重みがありました。
これはキャスティングの勝利ですよね。
今回は物語としてはダウン症の子供を育てることについての言及は少なかったけど
この親子が画面に映るだけで育てるという選択肢の可能性を十分に見せてくれました。

最後に高山さんがやっぱり産むと決めたときの、
小松さんの顔!  そしてサクラ先生の顔!!
二人とも表情は動かしていないんだけど、
目から感情が溢れていました。
そして、その後の二人の会話・・・。
「小松さん、僕は冷静でしたか?」
ここで二人の生の人間としての声を聞けたような気がしました。
もう十分経験を積んだプロフェッショナルな二人なんだけど
それでも迷いながらやっているんだなあ、と。
そして、その不安は同時に、
あくまでも選択の決定は本人たちに・・・という
プロフェッショナルとしての姿勢を貫くという意志の表れでもあって・・・。
何かもう本当に見ていて背筋が伸びちゃうような気合いの入った回でした。

そして最終回・・・果たして年内に感想が書けるのか?