2017年夏ドラマスタート

武曲の感想に手間取っているので
とりあえず急ぎでこの夏のドラマの感想。
今回初回を見たドラマは
・コードブルー
・下北沢ダイハード
・僕たちがやりました
・カンナさーん!
・過保護のカホコ
・黒皮の手帖
・セシルのもくろみ
・脳にスマホが埋められた!
・ハロー張りネズミ
・あいの結婚相談所
・ウチの夫は仕事ができない
・デッドストック
・ごめん、愛してる
・警視庁いきもの係
・愛したって、秘密はある
・マジで航海してます
・居酒屋ふじ
・ブランケットキャット
・悦ちゃん~昭和駄目パパ恋物語~
・アキラとあきら
・孤食ロボット
くらいかな・・・。
深夜ドラマで抜けているのもあるかもしれない。

今期は特に設定が突拍子もなくて
こんなんでドラマが成立するの?
と思ったドラマが多かった気がします。
だってドラマ紹介の文を読んで
「脳にスマホが埋め込まれスマホ人間となった男が・・・」
とか
「過保護に育てられた女の子が自立していく物語」
とか書いてあっても、なかなか「これ見たい!」と思えない(;^ω^)
でも、こうした紹介文だけ読んでいた段階ではも一つ気分が乗らなかったドラマも
実際に見てみるとキャラクターが立っていたり、
アイディアが上手く映像として処理されていて面白かったり・・・で
やっぱりドラマは実際に見てみないとわかんないもんだなあと思います。
とくに「スマホ」と「カホコ」は主人公が魅力的。
突拍子もない人物設定で、全然リアルではない人物を
上手く魅力的に見せているんですよね。
強調の仕方、デフォルメの仕方の加減が上手い。

伊藤君は本当に不思議な役者さんで、
決してハンサムじゃないし、役も三枚目というか
いろんな部分で駄目なところが多い人物を演じることが多いのに
どんな役もとても魅力的に見せるんですよね。
なんかほっておけない気分にさせてしまう。
視聴者に親近感を持たせる力がとても強い。
ある意味とてもTVドラマ向けの役者さんなんだろうと思います。
「スマホ」も伊藤君が演じることで、ずいぶん作品が引っ張り上げられていると思う。
他人のスマホを盗み見られるというのは発想としてはとても面白いけど
ともすればアイディア倒れになりそうな企画なのに
ちゃんとドラマとして見ていて楽しい。
スマホ人間の表現方法もCGの使い方が上手いですよね。
あんまり話題になっていないけど、
今期一番見る前と見てからのギャップが大きかったドラマ。

「過保護のカホコ」は遊川さんの脚本と聞いて期待半分不安半分。
遊川さんの作品は好きなものときらいなものに大きく分かれてしまうので。
ここ最近はあまり好きな作品が無かったのでどうかなあ・・・って思っていたのですが
今のところ、すごく面白いです。
登場人物のデフォルメの仕方も楽しいし、
それをベテランの役者さんたちが楽しそうに演じておられるのもいい。
時任さんの気弱げなナレーション、最高!
カホコを楽しく見ていられるのは、
お父さんの視点からちゃんと突っ込んでくれているから。
でもなんと言っても高畑充希ちゃんが上手いですよね。
最初こそ、あまりの主体性のなさにイライラしましたが
一生懸命さが伝わるので主人公としてちゃんと魅力が伝わる。
表現のさじ加減が絶妙なんだと思います。
そしてもう一人竹内涼真くんもすばらしい。
「ひよっこ」毎日見ているんだけど、
最初島谷くんと同じ役者さんってわかりませんでした。
実は島谷くんを見ているときはそう思わなかったんだけど
麦野を演じているのを見て、この人うまいなあと気が付きました。
ツンデレの役なので、結構きつい言葉でカホコに迫ったりするんだけど
嫌みにならないところで上手く押さえてる。
そんでもって、麦野君を見た後、島谷くんを意識して見ると
かなり繊細に演じているんだ・・・
島谷くんの演技ってすごく押さえてあるから今まで気づいてませんでした。
全然タイプの違う役をこれだけ自然に演じわけるとは、
若いのにすごいなあ。
カホコと麦野くんのシーンは本当にテンポがよくって
見ていて楽しいんですよね。
今のところ、最近の遊川さんの作品に感じる苦手な部分もあまり感じないので楽しんで見ています。

「カンナさーん!」は渡辺直美さんがかわいくて
彼女を見ているだけで楽しいんだけど、
なんとなく毎回なんかひっかかる・・・。
元夫にいらっときたり、
頑張りすぎる様子を見ていてしんどくなったり・・・。
今はいらっとする部分と楽しく見ている部分のせめぎ合いといったところ。

「黒革の手帖」は何度も映像化されていて
なんかもう今更・・・って思っていたんだけれど、
1回目を見るとぐっと引きつけられてしまった。
やっぱり何回も映像化を試みられているだけあって
原作の骨子がしっかりしているからか、
ある程度展開がわかっていても見入ってしまう。
武井さんはこの役には若すぎるのでは?
と思ったのですが、なんのなんの見事なママぶり。
そして思わず画面に見入ってしまうほどの美しさ。
もともときれいな子だなあとは思っていたのですが、
この作品では殊更きれいに映っている気がします。
そして、今までいい子の役が多かった気がするのですが、
こういうスノッブさを持つような役の方がずっと輝いて見える。
そして、そして、仲里依紗さん。
私は前のクールで話題になった「あなたのことはそれほど」を
仲さんが出てくる前にリタイアしてしまったので見ていないのですが
この作品でも仲さんの存在感が話題になっているのは何となく知っていました。
私が最近見た中で印象的だったのは「逃げる女」というNHKのドラマ。
銀髪で平気で人を殺すエキセントリックな女をとても印象的に演じていました。
「黒革の手帖」でも、武井さん演じる元子とは対局の女として
ゲスい女を力一杯演じています。
2話は本当に仲さんに引っ張られて見たもんなあ。
他の脇の人もみなさん適役で毎回安定して楽しめるドラマです。

「ごめん、愛してる」はベタだとは思うんですよね。
展開がドラマチック過ぎて、韓国ドラマみたい・・・って思ったら
本当に韓国ドラマが原作なんですね。
韓国ドラマ風の展開のさせ方は苦手なことが多いんだけど、
たまーに、こういうベタな展開にはまる・・・。
なんだかんだ言っても「冬のソナタ」もしっかりはまったし。
でも、なんと言ってもこのドラマに関しては
長瀬くんがかっこいいことが一番の魅力。
こういうテイストの役を演じる長瀬くん、好きだあ・・・。
そして、長瀬君のライバル役の坂口健太郎くんもいい。
坂口君の持つ「甘さ」がこの役に上手くはまってる。
天才で純粋で母親に溺愛されて育ったおぼっちゃん。
だからこそ持っている無自覚の残酷さが
ちゃんと役の魅力になっている。
長瀬君と坂口君の真逆の魅力がドラマを牽引していて、
ベタな部分もそれなりに見られてしまう。
こういうドラマばっかりになったらいやだけど、
たまにはこういうラブストーリーにどっぷりつかりたくなるんだよなあ。
というわけで楽しみに見ています。

「うちの夫は仕事ができない」はとにかく初回がびっくりしました。
「フランケンシュタインの恋」を彷彿させるシーンが満載で。
ただでさえ森が映るだけで過剰反応していた時期に
森での出会いのシーンと夫がキノコ好き(キノコを研究していた)という部分に
なんだかとってもうれしくなり、
その勢いでそのまま見続けている感じ。
もちろんこのドラマでは森やキノコはそれ以上出るわけではないのですが、
とにかく主役の夫婦がかわいい。
錦戸くんは好きな役者さんなんですが、
はまる役というのがある役者さんだなあと思っていて
どんな役でも変幻自在に演じる・・・タイプではないと思うんですよね。
多少ストライクゾーンからずれても、
ぐっと自分の方に役を引きつけられる人だとは思うんですけど。
でも、この役は錦戸くんにぴったりの役なので
本当に安心して見ていられます。
なんだかんだあっても、毎回それなりにほのぼのまとまっていくので
そういう意味でも安心してのんびり楽しめるドラマ。
ただ、例えば録画を失敗して1回飛んでしまったら、
もうそれはそれでいいかなあと見なくなってしまうかも・・・くらいの感じ。
もっとぎゅっと引きつけるなにかが、ほんの少し足りないかなあと言う
なんかよくわかんない物足りなさはなんとなく感じます。
それが何なのかは分かんないんだけど。

「ぼくらがやりました」は初回見て「シュアリーサムデイ」やん!
って思いました。
あの年代の男子のあほさかげんが、いろんな方向から描かれて詰め込まれた初回は
正直げんなりしました。
描き方がどうのというよりも、単に好き嫌いの話です。
うーん、窪田くんが主役と言うことで期待してたけど
初回はひたすらバカやっているだけで、正直もういいかなあ・・・って思ったんだけど、
2回目くらいから様々に揺れ動く主人公を窪田くんが本当に丁寧に演じていて
もうちょっと見てみようかな・・・という気になっています。
主人公の仲間の井佐美とマルはどちらもトライストーンの若手さんなんですね。
間宮くんは綾野君がかわいがっている後輩だし、
葉山くんは「フランケン」で共演していたし・・・で、
なんかちょっとうれしい。

「あいの結婚相談所」はまんま山崎さんのパフォーマンスに依存した話で
それはそれで振り切っていて楽しいなあと思いました。
この振り切り方も深夜ドラマならではだなあ・・・と。

同じく深夜ドラマならではだなあと思ったのは「デッド・ストック」
すごく夏らしい題材ですよね。
ストレートにこういう恐怖物をしようというのが逆に新鮮。
ついでに虹郎君がかわいい。
本筋も怖いけど、虹郎くん演じる新人ADのお母さん?も怖いんですけど
彼女、生きてますよね?
お母さんと言えば、エンディングがUAでこれもうれしい。

「下北沢ダイハード」は企画が面白いです。
こういう企画が出てくるっていうのは、
TV東京の力なんだろうなあと思います。
オープニングもエンディングもかっこいいですしね。
エンディングだけに柄本さんが出ているのも、何とも贅沢。
いずれ柄本さんも本編にでるんですかね?

これはWOWWOWドラマなので、厳密には夏ドラマと言えないかもしれないんだけど
「アキラとあきら」が面白いです。
やっぱり井戸端さんの原作ものは面白い。
アキラとあきらの因縁めいた関係も面白いし、
過去の回想が多く挿入されて、その部分だけでも十分楽しめるくらい描き込まれていて
その過去が現代にどう響いているかという描き方も面白い。
何よりアキラとあきらを単純に対立するライバルとして描かずに
(これからそうなっていくのかもしれませんが)
それぞれの立場で、それぞれの問題と向き合わせながらも
二人の関係性を描いていくというのが上手い。
向井くんも斉藤巧くんも企業ものというイメージはなかったのですが
なんの違和感もなくはまってる。
TBSも最近企業もののドラマを多く作っていますが
WOWWOWの方がちょっと押さえた演出で、
物語をじっくり見せてくれるので、私は好きかな。
この「アキラとあきら」のように、大きく二つの柱があるような
少し複雑なストーリーはWOWWOW得意だよなあ。
いい意味で役者の個性が前に出過ぎずに(つまりは役者だよりじゃなく)
地に足の着いたどっしりとしたドラマづくりをしているなあと思います。

とまあこんな感じで、8月に入ってようやく見るドラマも絞れてきました。
ところで、このクールってなんだかドラマ掛け持ちしている人、多くないですか?
中には同じ刑事役で出ている人もいるし。
たまに混乱してしまいます・・・。
掛け持ちが悪いわけではないんですけどね・・・。
あんまり多いと「もっと他にもたくさん役者さんいるのに・・・」とつい思っちゃう。

このクールは結構バラエティに富んだ作品が多くて楽しいです。
ただ、のめり込むほどの作品はないかなあという印象。
さて、何本最後まで見るかな?
今のところ10本前後まで絞れているんだけど、
もう少し減らさないと追っ付かないなあ・・・。

武曲

ずいぶん感想が遅くなってしまいましたが、
新たに上映される映画館もあるので、いいかな。
結局、3回劇場で見ました。
1回目は初日に。
2回目はその1週間後、監督が京都に舞台挨拶に来られるというので。
3回目は7月1日の映画の日に。
綾野くんの出演作、結構気に入った作品は2回見に行ったりしてるんだけど
3回というのはなかったんじゃないのかな。
というか、綾野君の作品じゃなくても3回見に行くことはあんまりないんですよね。
「ハゲタカ」と「この世界の片隅に」くらいじゃなかったっけ?
何回でも見たい! という作品はほかにもあったんだけど、
実際に行こうとしたときにちょうどいい上映時間がなかったり、
用事が重なっていたり、
映画館が遠くて挫折したり・・・。
綾野君の場合は出演作が立て込んでいることが多かったので、
次、次、次・・・と見ていくうちに上映が終わってたってことも・・・。
去年の「怒り」なんかはもう一回映画館で見たいと思ったもんな・・・。
あと一回見ようかなと思えたときに、
それを後押しする要因があることも大きい。
「ハゲタカ」の時は、まだパートをしていたので、
平日に1日か2日休みがあって、その時たまたま水曜レディースデーに休みで。
せっかくだから映画行きたいなあ・・・って思った時に、
行きつけの映画館で、一番座席が座り心地がよくってゴージャスなスクリーンで
「ハゲタカ」が上映されると知って思い切って行ったんだよなあ・・・。
もう公開からずいぶん日にちがたっていて、
3人で見たのがすごく印象的でした。
「この世界の片隅に」の時は近くの映画館でずいぶん長く上映されていたんだけど
もういよいよ終わるなあという頃、
ULTIRAで最後に1回だけ上映します! という言葉につられて見に行ったんだった。
で、今回は滅多にない映画の日が土曜日という幸運。
でも、もっと幸運だったのは、京都ではまだこの時に上映してたってこと。
大阪でいけそうな範囲の映画館はその前の週で最終だったんだけど、
京都はこの週が最終で。
それで思い切って行ってみたんですよねえ。

でも、なんとなく2回目と3回目の間には自分の中で大きな境がある・・・みたいです。
大抵の映画は2回見るとなんかつかめる・・・というか、
ちょっと(もちろん全部とは言えません)自分の中で消化されるんですよね。
初見の時に見落としていたことに気づいたり、
1回目よりもストーリーの構成に目がいったり、
細かい演技の意味する物に気づくことができたり。
とくに好きな俳優さんを目当てに見に行く作品は、
事前に原作を読んだり、宣伝でたくさんインタビューを目にしていたり、で
事前情報をかなり仕入れた上で見に行きますから、
大抵は大まかな話の展開や人物の情報、見所のシーンなんかを
わかった上で見に行ってるので、
ある意味、初見の段階で2回目に見るのに近い状態で見ています。
原作の台詞や設定が変えられていたり、
時には途中の展開や結末、もしくは描こうとしている世界観そのものが
原作とは違っている場合もありますが、
それは初見の段階で、あ、ここが違う、こう変わってる、と気づけます。
そこで生まれた疑問や解釈があるときは
2回目を見に行くと、ああそういうことか・・・と納得できることが多い。
だから、2回で止まっちゃうことが多いんですよね。
でも、今回「武曲」では珍しく原作を読まなかったので、
初見が全くの初見、物語との最初の出会いだったんです。
もちろんインタビューは目についたものは読んでいたので、
研吾はどうもお父さんに何かしたらしい、とか、
融は過去に死にかけたことがあって、死にあこがれる青年らしい、とか
クライマックスでは二人が嵐の中壮絶な果たし合いをするらしい・・・
くらいの知識はあったんですけど、
あそこまで壮絶な話だとは思っていなかったので、
正直、1回目を見たときには辛い話だなあという印象しかなくて
この作品をどう自分の中で消化したらいいんだろうと、
ちょっと呆然としました。
Twitterで見かけた言葉に「修羅」というキーワードがあって、
その言葉が本当にしっくりきました。
「修羅」の世界にとらわれてしまった人間の苦しみ、もがき。
てっきり、勝手にクライマックスの果たし合いの後、
研吾は変わる、救われると思っていたので、
そこからの苦しみが長かったのが大きいんだと思う。
というか、そこからが本当に見ているのが辛くなるほどの足掻きがあった。
物語の9割は救われない研吾の苦悩が描かれているので
この人はどうやったら救われるのだろうかと
見ながらそればかり考えていました。
例えば、自堕落な生活におぼれているというと
「そこのみにて輝く」の達夫もそうでしたが、
達夫の場合は、もっと内省的というか、
自分一人で墜ちている、他者を拒んでいるだけという感じだったのに対して
研吾のそれは恐ろしいほど他者にストレートに怒りを向ける。
身体を鍛えた猛者が自暴自棄になり、
感情のままに暴れ回ると、こんなに危険な存在になるんだ・・・
同じ役者さんが同じような「墜ちている」人間を演じているのに、
全く別物としか感じさせないのはすごいなあと思いました。
暴れて悪態ついて、発散している部分もあるはずなのに
達夫よりもずっとずっと深い闇に落ち込んでしまっている感じがする。
初回に見た時の印象はこの程度で、
それはたぶん、原作者さんが言うところの、感情のグラデーションが
見えていなかったからなんだと思うんですよね。
だからひたすらもがき苦しむ研吾があまりにも執拗に描かれると感じてしまった。

そこからあわてて原作を読みました。
もともと映画を見たら読もうと買ってあったので手元にはあったんです。
原作を読んだら、びっくり。
とりあえず原作の開始時点の研吾はちゃんとしている。
正気か狂気かと言えば、ちゃんと正気の域で生活している。
読み進めると、過去にアルコール依存症になるくらいまで生活が崩壊していたこともわかるんですけど、
とりあえず、小説のスタート時期での研吾は社会人としてちゃんと生きている。
仕事こそ映画と同じ警備員だけど、
お酒は断っているし、剣道部のコーチとして練習も見ている。
融の才能を見いだすのも研吾。
寝たきりの植物状態になった父親の面倒をきちんとみる孝行息子として
周りからは見られている。
でも、中盤でそれが一気に崩れる。
やめていたお酒に手を出すと、そこからは一気に墜ちていく。
仕事に行かなくなり、酒がやめられなくなり、
剣道部に行くこともしなくなってしまう・・・。
それでも、映画の研吾ほど墜ちていないのは
まだちゃんとどこかで自分を客観的に見つめる目を持っていて
これではいけないともがいているから。
それはやはり、小説という表現形式ということが大きいんだろうな。
原作は1章ごとに研吾と融それぞれの視点で物語が語られ進んでいく。
1人称の視点で語られる文章は、そのままその人物の心に寄り添うので
読者は研吾の、融の心を通して物語世界を見ていくことになる。
ということは、研吾の心の動きや揺れが言葉で説明されていくので
それを語る語り手としての研吾が客観的な視点をもっているように見えるというのは必然。
とは言え、本当に文章に力がある作家さんなので、
文章がすばらしいんですよね。
研吾がアルコール依存症に逆戻りして、アルコールを手放せなくなるくだりでは
饒舌に語りながら、アルコールに犯されて正常ではなくなっていく研吾の精神を
見事に文章に反映していく。
これではいけない、酒をやめなければ・・・ともがきながらも
やすやすと酒におぼれ、酩酊した精神で見た世界の歪みを
的確に表現していく。
本当にこの辺り読んでいるとき、依存症にはまってしまった気分に
とっぷりと陥ってしまいましたもん。
(すぐに影響されるとも言えるんですけど(;^ω^))
映画よりも、原作のほうがゆるやかだけどより複雑に
研吾が揺れ動いている。
いったんは社会復帰できているところからスタートして、
ふたたびアルコール依存の自暴自棄の生活に陥り
融との決闘を経て、立ち直るのももっと複雑な奇跡を描く。
それを脚本の高田さんは映像として語るためにすごくシンプルな形にしたんだなあ。
一番象徴的なのは、父親からの手紙。
原作を読んで驚いたのは、この手紙が研吾の心を救うものにはなっていないこと。
映画ではこの手紙が研吾の感情を描く上での一つのピークとして使われています。
ある意味ではとてもベタなんですけどね。
手紙によって初めて父親の真意を知って、立ち直るというのは。
この映画の感想を探していたときに、この部分に反発している人もいたなあ。
ただ、丁寧に映像で表現されたものを見ていった時に、
十分に研吾が自分と向き合えるようになった時を見計らって、
光邑先生が研吾にこの手紙を見せることで、研吾が最終的に救済される
というのはきちんと映画として、物語として成立していると思うんです。
言葉で事細かに心情を説明されない映像作品だからこそ、
ここで、ここまで一番真意が見えなかった父親の思いを
言葉として提示することの意味は大きい。
でも、言葉で研吾の揺れる思いを表現している小説では
父の手紙は映画ほど劇的な救いにはならないんですよね。
もちろん父の真意を知るという意味はちゃんとあるのですが、
融との果たし合いの後すぐに手紙を渡された研吾は
その手紙を、父の思いを受け止める事ができず、
破り捨ててしまいます。
最終的には光邑先生が貼り合わせてもう一度研吾に手渡してくれ、
研吾もその手紙を受けとるのですが、
そこまでに研吾の心情を変えたのは父の真意たる手紙ではなくて、
父を思い起こさせる融の剣。
彼の中に自分の知らない若き日の父を見、
彼の剣に研吾がもともと持っていた剣道への思いを駆り立てられる。
研吾は剣の道に囚われ、剣の道に苦しめられたけれど、
剣の道に救われ、その道にしか己の生きる糧を見つけられなかったのだなあ。
小説が父の手紙を研吾の感情のピークにもってこなかったのは
文学作家としての優れたバランス感覚だったと思う。
けれど、映像の作品としてこの作品を組み直すときに、
ここにピークを持ってこなければ成立しないというのも
脚本家さんの優れたバランス感覚なんだろうと思う。
表現方法が変わると言うことはそういうことなんだろうと思います。
例えば、小説で言葉を尽くして説明しなければ伝わらない剣道の試合のやりとり。
こういう点では映像の方が得意で、まさに一見は百聞にしかず。
映像ですんなりと見せることができる。
この小説、慣れるまで読むのにすごく時間がかかったんだけど、
それは普段自分の生活では馴染みのない剣道のやりとりが
事細かに描写されているシーンを読み解くのに時間がやたらとかかったから。
けれども、その試合の細かい描写に登場人物の心情を乗せて
剣士たちの試合中の心理的な駆け引きを描写するには
小説という形式の方が圧倒的に有利になる。
映像ではモノローグで説明するか、解説を語る人物を配置しないと、
そこまでの内面は表現できない。
剣に生きる男たちの思いを、剣を通して描いたこの作品を
映像化するのはかなりハードルの高いチャレンジだったんだろうと思います。

脚本を担当した高田さんは文学作品を映像化するのがとても上手いですよね。
「そこのみにて・・・」の時も強く思いましたけど。
ストーリーやキャラクターというよりは
文書の力によって成り立っている文学作品から
映像作品として成立する要素を抜き出して組み直すのがとても上手い。
融が死に魅せられているという映画オリジナルの設定も秀逸ですよね。
原作では、過去に死にかけたという設定もありませんから、
もっと素直にシンプルに研吾の剣に魅せられる青年として描かれている。
今の自分ではとてもかなわない高みにいる一人の剣士として、
自分の中に眠る熱いものを解き放ち違うステージに連れて行ってくれる好敵手として
谷田部研吾という人間にこだわっていく。
でもこういう融の思いを描くにはどうしても説明が多くいる。
それを「死に魅せられた」という設定でクリアしてしまった。
それにこの設定は、どん底からスタートし、そこから立ち直るまでを描いた
映画の研吾の描き方にもとてもうまくはまる。
融が研吾にこだわるようになった大きなきっかけは
道場での研吾の大立ち回りなんだと思いますが、
原作にはこういう大立ち回りは出てきません。
原作では研吾は高校の剣道部のコーチですから、
あくまでも稽古の一貫として融と対峙する。
すでに再びアルコールに依存し始めていますから
酒が入った状態ではありますが・・・。
融が光邑先生に入れ知恵されて研吾から一本取るのは一緒。
でも、原作ではあくまでも研吾は剣道で融を滅多打ちにし、
融はその体験を通して研吾の剣に自分はとうていかなわないことを知る。
けれど、映画のこのシーンはすでに剣道じゃないですからね。
ただの大乱闘。
融に一本取られて怒り狂った研吾は、竹刀は折るわ、
自分を止めようとする高校生たちを蹴るわ殴るわすさまじい暴力。
修羅場ってこういうことを言うんだろうなあと思いながら見ていました。
でも融は剣道ではすらない、そのすさまじい暴力、破壊力に魅せられてしまう。
1回目見たときはそのすさまじさにただただ驚いていたのですが、
原作を読んで2回目見たときに、研吾が竹刀を折っていることの意味に気づきました。
私、子供の頃に少しだけ剣道をしていたことがあるんですけど、
剣道って本当に礼儀に厳しい。
道場に入る時と出るときは礼をするように言われますし、
竹刀の扱いは徹底的に教え込まれます。
跨いでもいけないし、ぞんざいに扱ってもいけない。
うちの子は二人とも西洋の方の剣士ですが、
剣袋の上を平気で跨いだので
「剣またいだらあかんやん!」
と言ったら
「へ?」
という感じだったことにびっくりしましたもん。
同じ剣でも日本の剣道とフェンシングでは全然違うんですね。

映画でも最初融が剣道部員に絡まれるのも、
融がバイクを避けようとして道に置いてあった竹刀を蹴ったことがきっかけでしたもんね。
その大切な竹刀を、何本も折ってしまう。
もうこれだけでこの男は剣を捨ててしまったんだなということが伝わる。
剣を捨ててしまったはずの研吾が、融の剣に父の面影を見、
剣道に対する拘りを取り戻していくきっかけになるシーンでもある。
原作にある場面を活かしながら、
映像としては全く違ったシーンを作る。
けれども原作が持っていた意味はできるだけそのままに・・・。
こういう工夫がとても上手い脚本家さんだなあと思います。

2回目を見た後には監督の舞台挨拶を見ることができました。
監督の舞台挨拶付きの上映だし! 
と張り切って朝イチでチケット取りに行ったんですが、
普通に買えたみたい・・・。
横に小学生のお子さんを連れた親子連れさんたちがいたのですが、
上映前に映画館の人が
「上映後に監督の舞台挨拶があります」
と告げると、普通にびっくりしたはったもん。
知らんと何気なくこの回のチケットを買ったんやね(^_^;)
というか、買えたんやね・・・orz
それにしても、あの親子はなぜこの映画を選んだんだろう・・・。
いや・・・いいんだけど・・・。
お子さんが剣道してるのかな?
お子さんがこの映画を見てどういう感想を持ったか、ちょっと気になる~。
R指定はかかっていないんだけどさ。
たぶん連れてきた親御さんもこういう映画だとは思ってなかったんじゃないかなあ・・・。
舞台挨拶に関しては、さっさと感想を書いておけばよかった・・・orz。
すでにだいぶん忘れてしまってます。
この日は大阪と神戸でも舞台挨拶があって、
京都が最後だったんですよね。
でも、最後だったおかげで、挨拶後サイン会がありました。
私は1回目に行った時にパンフレットを買ってしまっていたので
並ぶことができず残念・・・orz
まさかこんなおまけがあるとは!
前に買ったパンフレットでもいいですよとは言っておられたんですけど
持ってくるのを忘れてて・・・。
えーん、残念無念。
で、内容は・・・というと、他の舞台挨拶とほぼ一緒だったんじゃないのかな。
舞台挨拶が終わった後Twitterでツイート探したら
だいたい、ああそうそう! という内容が大阪や神戸の舞台挨拶に行った人からあがっていたので。
フランス(だっけ?)に勉強をするために行って、
それがとても辛かったらしいんですけど、
帰ってきた時に肉体を使って表現する映画を撮りたいと思っていたところに、
この映画のオファーが来て、この作品なら撮りたかった映画がとれるんじゃないかと思ったことや、
初めて虹郎くんにとある映画館で会ったときの話など。
若者らしくぐいぐい来る感じが、
研吾にぐいぐい迫っていく融のイメージにあった・・・という話。
事前のインタビューでも読んだ内容の話でした。
監督の話が一通り終わると、司会の方からいろいろ監督に質問がありました。
大半、忘れてしまいました(;^ω^)
アクションシーンが印象的ですが・・・という質問に
綾野君がアクションが得意な俳優さんで、現場でいろいろひっぱってもらった・・・っていう話があった気がする・・・うろおぼえ。

その後は質問タイム。
一番印象的だったのが
「役者さんは役によっていろいろ印象が変わるが、監督もそういうこと感じることはありますか」
という質問に
「綾野くんとは以前一緒に仕事をしたことがあるのだが、
時々、あれ? この人あの時と同じ人なのかな? と思う時があった」
という趣旨のことを答えられていたこと。
監督の目から見てもやっぱりそうなんだ・・・。
「夏の終り」の涼太とは全然違う役柄ですもんね。
そういえば「怒り」の宣伝で食わず嫌い王に出ていたとき、
やたらとタカさんに「殺人犯」って言われていたことを思い出しました。
言葉遣いはいつものように丁寧だし、
番組にもちゃんと積極的に参加していたし、
リアクションもちゃんとしていて、
いつもと変わらないスタンス、態度だったんだけど、
どこか隠しきれない不穏な空気を纏っていて、
もちろん髪型と髭が研吾仕様だったのでそのせいもあるんでしょうけど、
タカさんが「人殺してきてますから」なんて物騒な突っ込みしても
ちょっと納得しちゃうような雰囲気があったんですよね。
あの時、今何の撮影しているんだろう・・・って思っていたんですけど、
「武曲」だったんだなあ・・・。
そういえばそういえば、その変化、生で感じたこともあった!
「シャニダールの花」の舞台挨拶を見に行った時、
いっぱい話してくれていたのに、どこか気だるさというか、
負のオーラみたいなものを感じて、
疲れているのかなあ、仕事が余りにも立て込んでるもんなあと思っていたのが、
そのころ「そこのみにて・・・」の撮影中だったということもありました。
テンションあげて舞台挨拶をしていたけれど、
心は「そこのみにて・・・」の達夫に寄っていたんだなあ・・・って。
きっと撮影の現場ではもっとそうなんでしょうね。
決して役柄に乗っ取られているとかそういうことなのではなくて、
一生懸命役や作品のことを考えていると、
佇まいが役に寄っていくんだろうなあ。

あと、覚えている質問としては
「女性としては、研吾が最後に父親とのいい思い出を思い出して救われる
という場面で、その場にいるのが母親ではなく、
浮気相手の女性だったことに違和感があるのですが、
あれは母親ではいけなかったのですか」
という質問。監督は
「自分が男だからかもしれないが、自分はあそこが母親だと成立しないと思っている」
と答えられていました。
父親のダメな面を思い出して、そこに救われるというか、
そのダメな面を受け入れるということが大切な場面で、
これが母親(つまりは妻)だときれい過ぎる感じがする、と。
それから、監督の過去作(すみません、作品名を失念)と比較して、
その作品と描こうとしているものが似ているのだが
意識しておられたかという質問がありました。
その作品を私は見たことがなかったので、
結構込み入った内容で答えてらしたと思うのですが、忘れました・・・。
自分は結構アスリートでスポーツをずっとやっていたので、
アスリートのその後というか、
プロになれなかった多くの選手のその後みたいなものを描きたいとずっと思っていて、
この作品ではそういう観点も入れられるのではないかと思った・・・
と答えられていたのは、この質問だっけ?
なんかもう、すっかり記憶が曖昧だあ・・・。
あともう一つか二つ質問があったと思うのだけど思い出せない・・・。
こういう質問形式の舞台挨拶の時、京都ってあんまり質問出ないんですよね。
去年、岩井監督の舞台挨拶行った時も思ったんだけど。
シーンとしちゃう時間が長い。
あてられると結構いろんな突っ込んだ質問がでるんですけどね。
大阪の舞台挨拶だともっと積極的に手が上がる気がするんですよねえ。
京都の人はみんなシャイなんです。
とかいう私も、手を挙げられない方だしなあ・・・。
せっかく来てくださっているのに申し訳ないなあと思うのですが、
気持ちだけはとってもアゲアゲで聞いているので、
また京都にも来てください。

とまあここまで書いてきたんですが、実はここまでで2週間かかっています。
平日はほとんど何もできないからなんだけど・・・。
たぶん最後まで書いていたらあと1週間はかかると思うので一旦分けます。
どうでもいいことでずいぶん文字数使ってますね。
それは内容についていろいろ考えているんだけど
まだ形になり切っていないから、外堀を埋めながら書いてしまってるからだな、きっと。
というわけでその2に続きます。

フランケンシュタインの恋 最終話 その2

1話から見直して一番びっくりしたのは、
冒頭で研さん(このときはまだ単なる怪物)が
人を平気で触り、津軽さんを抱っこしてバス停まで運んでいることでした。
あれ? 研さん、この時は津軽さんに触れているやん!
というか、9話で手をにぎれた! というだけであれだけどきどきしたのに
1話でお姫様抱っこしてるやん!
ネット上にあがっていた感想やドラマ評で、この矛盾に触れているものもありました。
確かに矛盾と言えば矛盾なんですけど、
きっと何か筋の通った解釈があるはず・・・。
これだけ綿密に構成を考えて作ってある脚本なんだもん。
と、結構頭の中ぐるぐるしながら考えました。
身も蓋もなく、ドラマのテクニックとして機能しているというのはよくわかるんです。
冒頭部分での主人公紹介の場面。
主人公をどう登場させるか、どう見せるかという大切なシーン。
後ろ姿で登場させ、しかも夜のシーンなので
白く光る大きな手がとても目立つ。
その周りに飛ぶ胞子もきれい。
その幻想的な中で、触れるだけで乱暴な若者3人を倒してしまう。
そういう不思議な力、危険性を持つ存在としてとても印象的な登場シーンになっていました。
いわゆる、つかみはOK的なシーン。
放送当時もそういう見方していたので、
物語が進んでいくとすっかり忘れていたんですよね、このシーン。
いろいろ考えて、何とか自分の中で折り合いがついたのは、
怪物にとって人に触れることが禁忌となるのは、
人間の社会で暮らすことを望んでからだということなんじゃないかということ。
野生動物が自分のテリトリーを守るように、
怪物は森を自分のテリトリーとして
そこに不用意に進入してくるものに対しては
自己防衛的に無自覚にその力を使っていたんじゃないかな。
実際この直前に怪物は男たちの車に跳ねられています。
自分の森を荒らすものとして彼らを認識して攻撃しても不思議ではないですよね。
人に、特に津軽さんに触れてはいけない・・・というのも、
人間社会で暮らそうと決意してから自分で設けたタブー。
ただでさえ病気を持っている津軽さんを気遣う気持ちから
必要以上に「触れること」を避けたのでしょう。
9話を見た後、2話で語られた深志博士と怪物との会話
(自分は生きていた記憶も死んだ記憶もないってとこ)
とも整合性がないと感想を書いていた記事もあったのですが、
ここの整合性はきっちりとれていたと思います。
最初はサキさんの為に呼六を生き返らせようとしていた博士が
生き返らせようと努力しているうちに、
いつしかサキさんの為と言うよりは
自分が呼六を蘇らせたいと願うようになっていた。
その博士の反応として、
自分が何者かわからず不安で泣き叫ぶ呼六にああいうように接するのは
十分筋が通っているように思います。
かえって9話でさらっと語られてしまった博士が呼六を思う気持ちも
このシーンの印象が強くあるためにとても説得力があるものになった気がします。
深志博士は自分が再び命を与えてしまったことで
呼六が抱えてしまった苦しみ、これから向き合うであろう苦しみを
だれよりもわかっていたはずです。
それでも「おまえはこうして生きている!」と呼六を抱きしめながら言った。
その言葉から博士が呼六の命を慈しむ思いは痛いほど伝わりましたから。
このシーン、本当にいいシーンでしたね。
呼六は記憶をなくしてしまって、もう生前のままの呼六ではなかったけれど、
純粋で優しい心根はそのまま蘇った。
ほとんど白紙の状態の呼六に人間の基本的なことを教えながら過ごした日々は
深志博士にとって幸せな時間だったのかもしれないなと思います。
と同時に、呼六が人間の本当に基本的なことしか教わらなかったこと、
植物として孤独に生きることを博士から教え込まれたのは
博士が人間嫌いで人間を心から受け入れることがなかった
(サキさんと呼六を除いて)からなのかもしれないな。
だとしたら尚更、怪物として蘇った呼六は
博士が共に生きることができる唯一の存在だったのかもしれませんね。

残念ながら、このドラマはあまり視聴率を取りませんでした。
見逃し配信をあわせても、それほど伸びてなかったんじゃないかな。
ネットでの広がり方もそれほど大きなものではありませんでした。
見ていた人にはかなりの熱量で語られていたんだけど
いかんせんその範囲が狭かった。
私自身はここ10年のドラマの中で、
好きなドラマ10本の一つに入るくらい好きなドラマでした。
こういうドラマに出会いたくて、
ドラマを見続けているんだよなあ・・・としみじみ思うくらいに。
届く人にはちゃんと届いたんだと思うんです。
最終回後の感想をいろいろ読みましたが、
最終回、感動したという感想が本当に多かった。
でも、同時に、おもしろくなかった・・・というのも
結構目に付いたんですよね。
最終回翌日、職場でこのドラマの話になって、
最終回まで見たという同僚が
「わからんかった。なんか、ふうん、あ、そうという感じの最終回」
という感想だったのが、びっくりで・・・。
本当に同じドラマを見ていたのか? というほどの感想の違い。
でも、それはネットで二分された感想と同じなんですよね。
たぶん、このドラマは受け手の見方に大きく左右されるんだろうと思います。
私はこのドラマは登場人物がかなり丁寧に自分の気持ちを話すドラマだと思うんですけど、
でも語る言葉がちょっとズラしてあったり、ストレートな言い方をしてなかったり
もしくは後の展開で生かすために特殊な言い方をしていたり。
ドラマの登場人物は日常の言葉を使って話すもの、という認識でいると
このドラマの台詞はしっくりこなかったろうなあと思います。
私も最初はなんでこういう台詞なんだろうと何回も思いましたもん。
脚本家が書くときに何らかの縛りを自分に課して
ちょっとひっかかる台詞回しを選んでるんだろうか・・・って。
でも、今まで大森さんの作品を見てきたけれど、そんなこと感じたことはなかった気がするので
やっぱりこのドラマ用に選んだ言葉だったのだろうなあ。
一つには、終わりまで物語の構造をかっちりと決めておいて
その結末に向かって序盤の台詞が組んであるのかなあという気はします。
例えば序盤で悩む研さんにラジオを通して鶴丸教授が言った言葉
「恋をして遺伝子の革命を起こすのだ」
というのも、この段階では、は? としか思えない。
「恋」と「遺伝子」と「革命」という単語が通常はかけ離れたイメージを持つ言葉なので、
それらをくっつけて、さも当然のように言われても、ちょっとピンと来ない。
しかも、科学の研究者の言葉らしくないですよね。
抽象的すぎて。
下手したら怪しい系の科学みたいに聞こえちゃう。
でも、研さんが枯れ木にきのこをいっぱい生やして
「僕が革命を起こします」
って言ったり、
津軽さんの病気を研さんが治したときに、稲庭先輩が
「研さんが津軽さんの遺伝子に革命を起こしたんだ」
って説明する頃になると、言葉がだんだん馴染んできて、
ああ、そういうことかと何となく納得できる。
でも、当然こういう言葉の使い方に違和感を感じる人はいるだろうと思います。
こうした大仰に聞こえる言い回しや、なじみのない言い回し、
よく使う言葉でもこのドラマの中で微妙にずらして定義してあったり、
会話がきれいにかみ合ってなかったり。
研さんは人間社会に不慣れという設定なので仕方ないと思うのですが、
他の人もそういう話し方をするので
ぼーっとしていると台詞が頭にすんなり入らない
という人も多かったのではないかと思います。
また一つの台詞に幾通りにも意味が重ねてあったり、
逆に核心をあえて外した言い回しをしている所も多いので、
登場人物の気持ちをつかみにくい。
あれほどみんな雄弁に自分の思いを語っているのに・・・。
でもそれはきっとねらいで、
人間を多面的に捕らえて描いているからこそ
そういう言い回しにならざるを得なかった面はあるんだろうなと思います。

話の構造も最終回まで見ると、なるほど実に綿密に組んであるなあと思うんだけど、
序盤の展開がちょっとまどろっこしいんですよね。
「自分は人間の世界で生きてもいいのか」という問いから始まって
「怪物は恋してもいいのか」
「恋する人を守るためには強くならないといけない」
「強くなるために人間を知らないといけない」」
「人間を知るためにはラジオに出るのが一番」
という展開が前半の中心になるんだけど、
一般の感覚では「恋をしてもいいのか?」という段階で
3、4話費やすこのドラマのテンンポに
ついていけなかった人もいるんだろうなと思います。
人間ではない、異形の存在が人間に恋をするにはこれだけのまどろっこしさが必要だったのだろうけど。

それに加えて、このドラマが抱えている一番の弱さは
ヒロインの魅力のなさなんですよね・・・。
これだけは如何ともしがたい。
初回は魅力的なんですよ。
結構積極的に動いているし。
それからサキさんも魅力的。
でも2話から病気で倒れるまでの津軽さんがどうにもまどろっこしかった。
この人にも感情移入できないとやっぱり作品の魅力としてはそがれてしまいますよね。
物語の構造が研さん中心に作られているので、
研さんの心情を丁寧に追って、しかもこのファンタジー世界を成立させることに主眼が置かれて、
津軽さんの描写はそれにあわせるために弱まってしまったように感じました。
津軽さんの快活さ、真実を知りたいという探求心、行動力は
研さんを山から連れ出すという為に使われた後は、
物語の進行のために押し込められてしまいました。
病気だから恋ができない。
研さんの思いをどう受け止めていいのかわからないからどうしても受け身になる。
その結果として、中盤はずっと、研さんが世界を広げようとがんばっているのを
見守るだけの母親のような位置に納まってしまう・・・。
津軽さんが病気設定というのは物語上絶対的に必要な要素だし、
津軽さんがいったんは研さんの母親のポジションになるというのも
やっぱり物語の進行上どうしてもいる要素だったのだと思う。
けれども津軽さんというキャラクターをもっと魅力的なものにするために
もう少し工夫はいったのかなあと言う気がする。
脚本的にも演出的にも。
津軽さんが単なる病気持ちの優等生キャラになってしまったのがとにかく残念。
津軽さんが跳ねる要素はあったと思うんですよね。
美琴とのやりとりとか結構ズバズバ言ってたし。
時々、ずばっとつっこみを入れる強い感じも、
もっと膨らませたらおもしろかったかも。
ラブストーリーでもある以上、ヒロインが魅力的ではないと言うのは
かなり残念なこと・・・

でも私が思いつくこの作品の弱点ってこれくらいで、
それを補ってあまりある魅力的な作品だったと思うんです。
あとは受け手側がこの作品をどう見たかという問題。
職場で同僚と話していて思ったことは、
今までのつながりとかあんまり考えずにドラマで今起こっていることを
そのまま受け取っているのかもな・・・ということ。
例えば最終回だと、
研さんが津軽さんの手を握りました。
津軽さんの不治の病が治りました。
研さんと津軽さんが抱き合いました。
でも研さんは警察と保健所から逃げて森に帰りました。
1年後津軽さんたちと再会しました。
数十年後、津軽さんは死んだみたい・・・
くらいの流れだけ見て、
で? だからどうしたん? という思いで最終回を見終わったらしい。
ながら見してたりするとその事実すら把握せずに抜ける部分もあり・・・。
確かに、ただのラブストーリーとして見ると
抱き合うシーンが数回、手をつなぐシーンが数回。
最終的に愛する二人は結婚しましたみたいなわかりやすいハッピーエンドじゃないぶん、
なんなんだこれは、と思われてしまったのかもしれない。
そういう人には安易でご都合主義な解決と、
SFくずれのストーリーに見えちゃうかもな
という気はしました。
みんながみんな一生懸命見ているわけじゃないから・・・TVドラマは。
そういう層をも物語に引きずり込む・・・ところまではいかなかったのかな。
残念だけど。

終盤の展開がご都合主義に見えた一つの要因は、
この物語がある種「青い鳥」的な要素を持っているからですよね。
研さんの自分探し的な要素は、
深志博士のノートを見つけたことで記憶が完全によみがえり解決します。
でも、そのノートは120年暮らしていた家の中にあったわけです。
孤独に生きていた研さんの直ぐ側に。
また、津軽さんの病気の特効薬は、研さんの赤いきのこを出す心。
これもまた、津軽さんに初めて会った時から赤いきのこを出しているのですから
解決策はずっとはじめからすぐ側にあったことになる。
でもこの物語は、そこにたどり着くまでの物語。
紆余曲折を経てそこにたどり着きさえすれば、
答えはおのずから用意されていたわけですから
安易な風に見えてしまったのかな。
これはもうドラマの好みの問題でもありますよね。
私はジェットコースター的に話がどんどん展開して、
登場人物の心情を考えたり意味を考えたりする余地も与えず
とにかくどんどん話を転がしていくタイプのドラマは苦手なんですが
そういう筋のおもしろさ、奇抜な展開を楽しむ人は
この作品のようなドラマは苦手なんだろうと思う。
万人に受けるタイプのドラマではないので仕方ないとはいえ、
でも、もうちょっと注目されてもよかったのになあとは思います。
ただ、とにかく制作陣がいっさいぶれなかったので、
作品としてきれいに完結することができてよかった。
これで世間の評価を気にしたり、
批判に媚びて話に手を加えたりするととても残念なことになっちゃうんだけど
そうならなかったのが何よりも嬉しい。

綾野くんのファンとしては、
この作品で一つ夢が叶ったなあという気持ちが、今しています。
わたし「ヘブンズ・フラワー」で綾野くんが演じたシオンという役大好きだったんです。
でも話自体がちょっと迷走しているところがあって、
本筋の部分であまり好きになりきれなかった。
当然シオンの話は脇で断片的に語られるだけですから
見直すにはいまいち納得できない本筋をどうしても見直すことになるので
なんとなくレンタルで見たきりになってしまっています。
だから、この作品、シオンのお話としてがっつり見たかったんですよね。
結構そういうことって多くって、
他にも「クレオパトラな女たち」の黒崎裕や
「八重の桜」の容保公など・・・
もっともっとこの人を見ていたい、
この人の物語を感じていたい、
そう願うことがとても多かったんですけど、
そういう思いを今回は存分に叶えてもらったなあと言う気がしています。
もちろんTVドラマで主役は今回が初めてじゃなくて、
ダブル主演も含めるともう3回目だし、
作品の評価としては「コウノドリ」のほうがしっかり結果がでているし、
もちろんサクラ先生も大好きなんです。
でも「コウノドリ」はサクラ先生が主役だけれど、
作品の本当の意味での中心は妊婦さんや出産の現場そのもの。
綾野くんもそのことを十分踏まえた演技をしていると思う。
一方、「フランケンシュタインの恋」は主役の怪物が物語の中心。
本当の意味でがっつりと綾野くんが作り出したキャラクターを見ることができた作品でした。
綾野くんの演技をじっくり見て感じることが
そのまま作品そのものの解釈にダイレクトにつながっていく快感。
物語の中心に常に綾野くんが演じるキャラクターがいる幸せ。
しかもそのキャラクターが実に魅力的で・・・。
綾野くんの作り上げたキャラクターを心ゆくまで堪能できる
本当に楽しい3ヶ月間でした。

毎週配信されるオーディオコメンタリィで
綾野くんの生の声を聞けたのもとても楽しい体験でした。
結構みんなオーディオコメンタリーになれていなくって、
思わず見入っちゃって黙り込んじゃうなかで
すごく的確に他の人に話を振りながら
みんなの言葉を引き出していたのがすごいなあと思いました。
考えてみれば、私あんまりDVDを買っていないこともあって
綾野くんのオーディオコメンタリィを聞いた覚えがなくって。
唯一記憶にあるのが「シュアリー・サムデイ」のビジュアルコメンタリィ。
コメンタリィに慣れていなくてなかなか話せなかったり、
やった、しゃべった! と思ったらみんなに突っ込まれてたり・・・
って感じだったと思うんですけど、
それから思うと、格段に成長しててなんだか感無量。
あれから7年でここまできたんだなあ・・・。
座長として現場で綾野くんがどういう立ち位置でいるかが
なんとなくかいま見られたのもおもしろかった。
ゆるいリーダーシップと決して押しつけがましさを感じない気遣い。
何よりも自分ががんばることが現場の志気をあげるという揺るぎない信念。
斎藤工さんが言っていたのはこういうことなんだろうなあ。
綾野くんを見ていると、今まで自分が抱いていた主役観、役者観が大きく変わりました。
役者という仕事は途中乗車で途中下車って言っていたのは
豊川悦司さんだったか堺雅人さんだったか・・・。
役者さんは企画やストーリーを作る段階では参加できない訳です。
基本的には台本を渡されたところから仕事がスタートするわけですから。
そして、一生懸命演じたその先に関わることも、できない。
自分はこう演じたつもりでも、
カメラがどう映すかの選択はできない。
渾身の演技をしても編集でカットされるかもしれない。
思いもしないつなぎ方をされるかもしれない。
このドラマでも綾野くん言ってましたよね。
最後の飛行機が降りてくる場面。
ああいう飛行機が登場するとは思いもしていなくって
降りてくる様子を見守っているカットは飛行機じゃなくて
人が降りてきているんだって思ってましたって。
だから今まで贔屓の役者さんが作品に恵まれなかった時には
しかたない、脚本が悪かったんだ、演出が悪かったんだ、
果てには、企画そのものが悪かったんだ・・・って思っていたんですよね。
役者にできることは限られていて、作品の責任を役者だけが背負うのはおかしい。
でも、途中乗車、途中下車でもやれることは案外あるんじゃないか
と綾野くんを見ていて思います。
そしてその綾野君の思いや努力がちゃんと作品に反映していくのを見るのは
ことの他楽しい。

作品を見ているだけでは伝わりきらない裏側の雰囲気をかいま見せてくれたという意味でも
オーディオコメンタリィは面白かった。
基本的に内容に沿って話しているのってそれほど多くはなかったんだけど、
いくつか演じるときに思っていたこと、意識していたことも話してくれていて
それによって次回以降の、もしくは見直したときの解釈を助けられることも多かった。
研さんは稲庭工務店の食事の時に、基本的にはものを口にしない、とか
天草とラジオに出ていた回で
「こんにちは、フランケンシュタインです」の言い方を変えているとか。
特に後者は3回目の時の言い方は1回目と違うということは気づいていましたが、
単純に、慣れてだんだん自身が付いてきたから
大きな声になって明るい言い方なのかなって思っていたんですけど、
あれは天草さん言い方にだんだん近づけたそうですね。
そういう演技的な工夫のあれこれを聞けたのも楽しかった。

最終回まで見てふと思ったのは、
コメンタリィを通じて、結構この作品の見方を誘導されていたんだな。ということ。
私、コメンタリィを見ていなかったら、
稲庭先輩の見方がずいぶん違っていたかもしれないなと思います。
プロデューサーさんも結構早い段階から
稲庭先輩は人間らしい部分を背負っているという情報を出していましたっけ。
稲庭先輩の二面性は序盤からずっと描かれていくんだけど、
あんまり露骨に描かれはしないんですよね。
もし、プロデューサーさんのインタビューも知らず
コメンタリィも聞いていなかったら、
あれ? 稲庭先輩っていい人に見えて実は悪い人じゃない?
っていうことに気づいて、そこで解釈が止まってしまっていたかもしれません。
でも、コメンタリィで
「ほら、ワル庭先輩になってますよお」
ってあおっているのを聞いていたら、
あれ? そんなに言うほどワルいかなあ・・・ってあまのじゃくな気持ちが働いて
稲庭先輩の嫉妬と愛情の間で揺れる思いに気づけた気がします。
人間はいい人、悪い人で単純に分けられるわけじゃなく、
一人の人間の中にいい面も悪い面も共存しているものだ
というのがこの作品のコンセプトだとしたら、
そこに上手くたどり着けるように導いてもらえた。
出演者のみなさんにとっては、とても負担が多かったでしょうが
オーディオコメンタリィは本当に面白い企画だったなあと思います。

綾野くんの演技、表情の変化をグラデーションという表現を使って表現したのは
「武曲」の原作者さんでした。
確かに「武曲」でも見事に研吾の変化を表情で表現していました。
「フランケンシュタインの恋」でも、やっぱり表情の変化が見事なグラデーションになっていたなあと思います。
ずーっと回を追って見ているときにはそれほど気づいていなかったんですよ。
研さんの成長によって、徐々に徐々に変わっていたから。
9話になって、記憶を取り戻した研さんが急にぐっと大人びて、
この回は生前の呼六との落差もありましたから、なおさら
あ、すごい、変化が微妙な表情の違いではっきりわかる!
と驚いたのですが、このタイミングで1話から見直したので改めてびっくり!
初回冒頭の研さんって、とても表情が乏しいんですね。
ある種、人間っぽくないというか、森の精霊という感じの生々しくない表情。
どこか寂しげなんだけど、それが人間らしい感情を感じさせないぎりぎりのところで押さえてある。
自転車で山から降りてくると、とたんに表情が豊かになってくるんだけど
それでもまだどこかおずおずと感情を顔に出している感じ。
一人でいるときは結構素直に感情を顔に出しているんだけど。
それが3話くらいから急速にだれに対しても表情豊かになってくる。
でもそれは本当に子供らしい表情なんですよね。
嬉しいときは嬉しい顔、悲しいときは悲しい顔。
素直で純粋な研さんの表情。
けれども回を追うにしたがって、少しずつ複雑な表情も増えて来て、
記憶を取り戻すと、ぐっと青年の顔に変わっていく。
このグラデーションの描き方が本当に見事。
私、最終回の研さんが大好きなんですけど、
自分のことがわかって、自分が置かれている状況もしっかり理解した研さんが
夜の川縁で津軽さんを抱きしめながらとても寂しい瞳をするんですよね。
このシーンと、
1年後、崖から転げ落ちる津軽さんを思わず助けて再会するシーンの表情が大好き。
最終回になってようやく本当のラブストーリーになったなあって思いました。
いや、今までもキュンとは来ていたんですけど、
そのキュンは子供にたいする「かわいいなあ」キュンと一緒。
ラブストーリーとしてのキュンは最終回だったなあ。
自分の運命をきちんと理解した研さんが、
津軽さんと一緒には生きられないと悟ってしまった切ない目。
綾野剛の本領発揮といったところでしょうか。
綾野くんには切なさがとても似合う・・・。
すっかり大人びた研さんが、
津軽さんや稲庭先輩や鶴丸教授が自分の生きる場所を作ってくれたのが嬉しくて
子供みたいにポロポロ涙を流す。
中盤の子供っぽい研さんじゃなく、
すっかり大人な研さんが子供みたいに泣くからこそ
その落差が胸に迫る。
エンディング後の数十年後の研さんは
姿形こそ昔のままなのに、ちゃんと年輪を重ねた木のような重みを感じさせてくれました。
不老不死の研さんにも、ちゃんと月日は流れているんだ・・・。
そういう変化を、きちんと表情と佇まいで感じさせてくれた。

深志研という役は本当に作り込まれたキャラクターだと思います。
でも、その変化は誇張され過ぎていない繊細な表情の違いで表現されていて
それがこの物語を支える一つのリアリティになっている。
このドラマは綾野剛の演技を堪能できる作品だなあと思います。
でも、綾野君の幅広い表現を知っているから
どちらかというとsweetな役柄だった研さんを十分堪能したら
今度はまた違った味を堪能したくなるのがファンの性なんですよねえ。
思わず「武曲」3回目見に行っちゃいましたもん。
「フランケンシュタインの恋」が終わったあと直ぐに
「亜人」の予告とポスターが公開されたのも嬉しかった。
「フランケンシュタインの恋」では不器用そうにトテトテ歩いていたけど、
実は身体能力がとても高い綾野くん。
機敏な動きで佐藤君と相対する殺陣、楽しみだなあ。

いつまでも思いつくままに感想書いているわけにもいかないので
最後に衣装の感想。
研さんの衣装、秀逸でしたよねえ。
森の中では見事に風景にとけ込んじゃうのに
町中ではすごく異質観を感じさせる衣装。
まさに研さんの本質をそのまま形にしたような衣装で、見事でした。
コートの裾の翻り方もきれいだったなあ。
「シャニダールの花」で白衣の裾の翻り方にこだわった澤田石さんなので
きっとこのコートも工夫に工夫を重ねてああなったんだろうな。
今、この衣装が展示されているそうで・・・。
こういう時は、ほんと、東京はいいなあと思います。
仕方ないので、行かれた方がアップされている画像を見て
心を慰めています。
袖口のモフモフかわいい・・・。

この三ヶ月、本当に、本当に楽しい時間を過ごせました。
このドラマを作ってくれたすべての人に感謝します。
ほんとうにありがとうございました。