カーネーション いつも想う

とても印象に残っていた副題なんだけど、
そして、このタイトルを見るとなんだかきゅっと胸が切なくなっていたんだけれど、
実は内容の方は結構忘れてた。
そうだった・・・メインの話はやんちゃな直子の話だった。
おなかが大きくなっても糸子は商売に夢中で、
二人目の命を授かった喜びよりも思い通りに動けない身体が煩わしそう。
そこだけ切り取ったら「おいおい」と思うような残酷なことも平気で言う。
周りが見かねて神戸に行かせて仕事から遠ざけても、
こっそりと抜け出してきてしまう始末・・・。
そんなことしてるから途中で産気づいてしまって・・・って、
こういう糸子の「目先のやりたい気持ちにとらわれて無茶して痛い目にあう」
というのは、もう本当に何回も何回も繰り返されますね。
結婚式前に足を痛めたのもそうだったし。
そんでもって周りにかけなくてもいい心配と迷惑をかけるという・・・。
二人目なのに一人目の時以上に難産で苦しんだのはその報いかも・・・。
糸子がお産に苦しんでするめしゃぶってるシーンがすごく印象に残っていたんだけど、
そうか、それは直子が生まれるときの描写だったんだな。
そして1階で赤ん坊が生まれるのを待っているお父ちゃんと勝さん。
最初は男の子がいいなどと言っていたのが、
なかなか赤ん坊が産まれなくて、
仕舞いには「さるでもいいから早よ産まれてきて」と二人揃っておろおろする様子の愛おしいこと。
今この感想を書いている段階で、三番目の子、聡子が生まれているから、
なおさら、お父ちゃんがいて、元気で、勝さんがいて、
おばあちゃんも糸子のそばについていてくれるし、
お母ちゃんも細々と糸子の世話を焼いてくれて・・・っていう
この段階ではごくごく当たり前の状況が
いかに大切で愛おしい状況だったのかとしみじみと思い返してしまう。
そんなこんなでみんなに待ち望まれて産まれた直子だったのですが、
これがまあ怪獣のような女の子で。
子守を頼んでも数日で断られる。
お父ちゃんもかわいがるのは優子だけで、直子の面倒はみてくれなくて。
仕事はしたいし、直子に手を取られるしで右往左往する糸子。
でもやっぱりこの辺りの描き方と尾野さんの演じ方のさじ加減が絶妙で
誰も直子をじゃけんにはしないんですよね。
手がかかって困ったり嘆いたりはしても直子を無視したり虐待したりしない。
現代のようなワンオペ育児じゃなかった時代というのもあるのかもしれないけどね。
子守がいないとは言え、店に人手はそれなりにあって、
ご飯食べてるときも交代で面倒見られたりするし。
だから見ていてそういう点では落ち着いて見ていられるんだけど、
糸子の関心が仕事にしかないことは一目瞭然で。
この糸子の様子を見て、糸子に「もっとちゃんと子供のこと見てやれよ」
と言わない勝さんすごいよなあ。
でも子供のこと大切にしているのもちゃんと分かるし。

直子の怪獣レベルがマックスの時に、
糸子に大きな商売の話が舞い込みます。
金糸の布。
このエピソード、久々に大仕事成功のわくわくするエピソードで大好きでした。
なんといっても勝さんと一緒にする最初で最後の大仕事ですもんね。
最初、金糸の布を引き受ける約束で、生地屋に子守を頼むんだけれど、
この生地屋の子守の女の子がかわいいんだ!
2回登場して2回とも髪の毛ぼさぼさ、袖口は破れて、
赤ん坊がどうやったらこんなに乱暴できるねん・・・
と思うほど痛々しい姿。
一生懸命直子の乱暴さ加減を訴える様子がかわいかった・・・。
いよいよ直子の預け先をなくした糸子と勝さんは勝さんの実家に直子を預けます。
実は初見の時にこの辺りのエピソード、なんかピンと来なかったんですよね。
実は私の母親も私が産まれてから自分で商売を始め
小さい頃はほったらかされっぱなしで
弟は保育園に入るまで完全に祖母が面倒見ていたので、
ちょっとバイアスがかかって見ていたせいもあるかもしれない。
仕事のためにそこまでして親戚に乳飲み子を預けるのか・・・という思いと
とってつけたように直子が恋しくなって会いに行くというのが
なんかしっくりこなかったんですけど、
再放送で落ち着いてみてみると、糸子はそういう人なんだという一つの描写で
これが実に次の展開に効いているんですよね。
糸子は仕事仕事で子供を省みていないようだけど、
それは子どもに愛情がないということではなくて、自覚する力が弱いだけ。
とりあえず目の前のあれこれ(仕事)を優先してしまうだけ。
だからいざ大切なものがあるべき場所からなくなってしまうと、
びっくりするぐらい慌てて、その喪失感に振り回されてしまう。
なくなって初めて気付く、もしくはなくさないと気付かない。
それが糸子という人。
直子の時も、まさかあんなに寂しがるとは思わなかった。
だけど、本当に本当に手元に直子がいないことが寂しかったんだな。
一目顔を見るだけのために勝さんと一緒に夜を駆けていってしまうくらいに。
そしてその気付くのが遅すぎる強い愛情は、勝さんにも発揮される。
商売を軌道に乗せ、結婚によって自分の家族を作っていく戦争時代のパートは
同時に糸子がそれまで当たり前だと思っていた大切な人を次々と失っていくパートでもある。
「いつも思う」という週はその幕開けの週。
だからこそのサブタイトル「いつも思う」

この週は糸子だけではなく、安岡のおばちゃんの勘助を思う気持ちも描かれた週でした。
この週のスタートは勘助の出征からスタート。
この後糸子の周りでは幾人もの男たちが出征していきますが、
おそらく最もにぎやかな壮行会。
考えてみれば、勘助はこんなに早く戦争に行ったんだなあ・・・。
まだまだ日中戦争が始まったばかり。
どの戦争ものの作品でも、時間表記が出ると思わず終戦までの時間を考えてしまうんだけど、
終戦まではまだまだ5年もある・・・。
次男の切なさだよなあ・・・。
こんな段階で戦争に呼ばれてしまうのは。
あんなにヘタレなのに、
大きな工場でいじめられてしょげ返って仕事をやめてしまったくらいヘタレなのに、
軍隊でいじめられないかと、まずそれが心配になる。
ましてや勘助のお父ちゃんは戦争で死んでいる。
弾に当たってではなく赤痢になってという不運。
なんとなくそういう不運は勘助も持ち合わせてそうで切ない。
善作たちが「戦争なんてなんでもない」と励ますんだけれど、
現代に生きる私たちは、善作たちが参加した戦争と
今度の戦争は状況が違うことを知っている。
そして、改めて、勘助が戦争に行ったのが昭和15年だったことに思いを馳せてしまう。
きっと勘助が見た戦争の地獄は、
末期の、例えば特攻隊のようなただただ意味のない死に向かうというような地獄ではなく、
例えば戦艦大和の乗組員たちのような圧倒的な戦力の差の前に広がる殺戮の地獄絵図とも違う、
もっと質の違う地獄を目の当たりにしたのだろうと思う。
敗者の悲劇としてではない戦争体験。
勘助の繊細な心をつぶすのに十分な地獄を見てきたんだろうと思う。
わずかな隙間に安岡のおばちゃんの勘助を思う表情が何度も挟み込まれる。
幼なじみが「見てられん」と壮行会に背を向けて去って行くのが切ない。
勘助のことをよく知っているからこそ、
そして勘助の運命が人事ではないからこそ、見てられへん。
でも、糸子にとって戦争とはまだまだ遠いもので、
ヘタレの勘助でも名誉ある兵隊さんになれるんや・・・
商売しにくてかなわんな、
甘いもんくらい好きなように食べさせ
くらいのもの。
日常に戦争の影が忍び寄っていろんなところが不便になりつつあっても
まだまだ不自由ながらも商売はできるし、食べ物もある。
そんな時代の物語。
これからどんどん戦争が日常を浸食して何もかもを奪っていくんだけど、
それはこれからの話。
そんな、戦争パートのスタート週でした。

近況

大雨、みなさまの地域は大丈夫だったでしょうか。
私が住んでいる地域は、結構早い目に「避難勧告」「避難指示」が頻発しまして、
かなり怖い夜を過ごしました。
一番怖かったのが木曜日で、この日は断続的に猛烈な雨が降って、
こんなのがあと二日続いたら、一体どうなってしまうんだろうと途方に暮れました。
金曜の明け方には少し小康状態に入って避難指示は解消されたものの、
次男の学校は早々に休校が決まり、
長男はいつも使っている電車が止まってしまったため、
違う経路でなんとか会社に辿り着いたものの臨時休業。
私が勤めている会社は午後2時の段階で地域に再び避難勧告が出たので
その時点で事務所を閉めることになりました。
京都と大阪の北部は最初に集中した雨が降ったこともあって注目されていましたが
(鴨川や嵐山からの中継ずっとやってましたもんね)
なんだかんだで強い雨は予想されたほど長続きせず、
上流にあるダムのがんばりもあってなんとか川の決壊は免れました。
私が住んでいる地域は避難指示までは出たのですが、
ネットでずっと近くの川の水位を見ているとそれほどあがっておらず、
今回は避難所に行かずに自宅で過ごしました。
前の時は近くの川の水位が見る見る上がっていたのですごく恐怖感があったんだけど、
今回一部の地域以外はほとんど桂川の水位あがらなかったんですよね。
あー、よかった・・・と安堵していたら、次々と西日本各地の被害状況が見えてきて
びっくりしました。
西日本のあちこちで川があふれて、家が流されたり、土砂崩れにあったりして
町が茶色に染まってる・・・。
Twitterにも救助要請が溢れていて、
地震でもなく台風でもない梅雨の大雨で
これだけ広範囲の被害がでるなんて・・・。
今回は自分の地域も一時危なかっただけに他人事とは思えず
映像を見ているだけで泣きそうになります。
木曜の夜、長男だけが「避難指示出たから避難しよう」と大騒ぎしていたのを
大げさやなあ、まだ大丈夫やろ・・・と言っていたのが、
長男くらい用心深くてちょうどだったのかもな・・・とちょっと反省。
今回うちの地域が大きな被害が出なかったのって、
本当に紙一重の差で、木曜の夜に、
もしくはダムがこらえきれずに大量放流を開始したあの時に
雨がもう少し降り続いていたらぜったいどっかで決壊していた。
あの時前線が南に、北にちょっと動いてくれたから、
たまたま家にいても大丈夫だっただけなんだよなあ。
同じ京都に住んでいる(とはいってももうちょっと山の方)実家は
道が封鎖されて、鉄道も止まって、しばらく陸の孤島になっていたし。
改めて雨の怖さを感じた先週でした。
この間の地震といい、こんな大規模な水害といい、
地球さん、もうちょっと荒ぶるのやめてもらえません?
とか何とか言っていたら、雨がやんだとたんにものすごい暑さがやってきて
仕事場では例年以上に熱中症の人が続出・・・。
自然って怖い・・・。
暑い日が続きますが、どうか、被害に遭われた地域が一刻も早く復興できますように。
今避難所でつらい思いをしている人が、一刻も早く家に帰れますように。
遠くで祈ることしかできないけれど、
心よりお祈り申し上げます。


そうこうしている間に、綾野くん界隈では怒濤の「パンク侍」の宣伝攻勢があって、
来週には「ハゲタカ」の番宣も始まり、
新しいCMも!
こんなに情報や露出が矢継ぎ早で、追っかけるの大変!!
っていう感じ、本当に久しぶりで、あたふたしてしまう・・・。
象印のCM、いいですねえ。
かっこいいなあ、この切り口。
クルンクルン回された炎が黒い画面に生えて、生きているみたいで本当にかっこいい。
このCMの企画した人、ナイス!!
そう言えば、綾野君の身体能力の高さ使ったCMってあんまりなかったよねえ。
そういう意味でファンにも新鮮に映りました。
コンタクトのCMも思っていた以上に流れているし、
HONDAのCMも最近よく見るようになって、
本当に一気に露出が多くなりましたねえ。
去年前では当たり前と思っていたこの状況が、
半年近くもの沈黙の後ではとてもとても新鮮でありがたい。
来週からは「ハゲタカ」が始まるので、宣伝でまたバラエティにもいっぱい出ますね。
いつか、いつか出てほしいと思っていたトーク番組の最後の大きな番組とも言える「徹子の部屋」
ついに出てくれる日が来たんですねえ。
黒柳さんがどんな風に話してくれるのか楽しみ~。
そして、帰れま10にも久々に出演。
以前にこの番組に出た時はまだファンではなくて見ていなかったのですが、
(その後なんかの機会にネットで見つけて見た)
後ろの席で、濱口さんに伝言してもらいながらコメント言ってた以来ですから
なんか感慨深いなあ。
もちろん「ハゲタカ」本編も楽しみでしかたない。
今「ハゲタカ」の本を買うと、表紙が綾野鷲津になっているそうで、
その画像を見ていると、
私自身は大森版鷲津を見てから原作を読んだので大森南朋さんのイメージで鷲津を読んだけど、
何も知らずに原作を読んだら、鷲津ってこういうイメージだったかもな
という風貌。
気になっていた時代設定は、そのままなんですね。
ちょっとほっとしました。
最近新ドラマも続々と始まってハードディスクを圧迫しているから
早く見てしまって整理しなくては!!
「カーネーション」の感想が止まっております。
実は、ライブに行った週に1本感想を書き上げていたんですけど、
ブログの方にアップする前に上書きしてしまったらしく、消えちゃった・・・。
それで一気にテンションダウン・・・。
書き直す気力がわかず、先にライブの感想書いてたら思った以上に時間がかかり・・・
で、今に至っています。
「ハゲタカ」も始まるし、大丈夫かな・・・。
何とか継続する予定ではいます。
もちろん「パンク侍」も見に行きました。
今の時点で2回は見ています。
おもしろかった!!
この感想も書きたいのだけれど、
インプットに追われてアウトプットがなかなかできない・・・。
そんなこんなの3連休です。


posted by HaHa at 03:10Comment(0)日記

地方都市のメメント・モリ(ライブ)

2018年のamazarashiのライブツアーは「地方都市のメメント・モリ」というタイトル。
初めてamazarashiのライブで同じツアーに2回参加しました。
今までは行こうにも遠征は難しかったんですよね。
でも今回は初めて大阪でも追加公演があって、2回参加することができました。
ありがたや、ありがたや。
最初参加したZeppOsakaBaysideはスタンディング席でした。
amazarashiのライブチケット入手方法は
アポロジーズ(有料ファンサイト)1次先行
アポロジーズ2次先行
ホームページ先行
(時々会場先行やCDやDVDに封入された先行などがある)
そして一般販売となるんだけど、
今までは2次先行でも座席指定の席が取れていたんですよね。
アポロジーズ1次先行は2枚までで、同行者もアポロジーズ会員でないとダメなので
アポロジーズ会員でない次男を連れていく私はどうしても2次先行からになってしまう。
働き始めてから自力でアポロジーズに入った長男はさっさと1次先行で申し込んだので
2階の座席指定の席がとれたんだけれど、
2次先行で申し込んだ私はスタンディング席しか取れませんでした。
ZeppOsakaBaysideの座席指定がZeppNambaより少ないとはいえ、
ちょっとショックで・・・。
気になって一般販売を見守っていたら、
あっという間にソールドアウトになっていました。
人気があがっているのを肌身で感じました。
スタンディングは初参戦以来ですが、
あの時はライブに行く勇気がなかなか出なくて逡巡を繰り返し、
たしか一般販売でも発売日から日がたってから申し込んだはず・・・。
それでもソールドアウトにはなっておらず、当日券が出てたっけ。
それが2次先行とはいえアポロジーズ会員でも第一希望の席種が取れず、
一般販売がすぐに完売・・・とは・・・。
いずれ、アポロジーズ会員でもチケット取れない日がくるのかもなあ・・・
それはamazarashiファンとしては喜ぶべきことだけど、大変だなあ・・・、覚悟しとかねば。
でもでも、この勢いで売り切れたということは、
もしかして追加公演の可能性があるかも!
今までは東京でしか行われなかった追加公演。
追加公演はなんか特別で、セトリが大きく変わったりしてうらやましかったのですが、
こうなったら大阪でもやるんちゃうか?
そんでもって、追加公演はスタンディング中心のライブハウスじゃなく
全席座席指定のホールでやることが多いから、
大阪でもそうならないかなあ・・・って思っていたら、
案の定追加公演の案内が!!
しかも予想通り会場がNHK大阪ホールということで全席指定。
いやあ、嬉しかったです。
長男はやっぱり一人でアポロジーズ1次選考に申し込んで早々にチケット確保していたんですが、
なんと2次先行の申し込み開始はZeppOsakaBayside公演当日のライブ終わり。
ライブに興奮しきった状態でチケットを申し込みました。
このときやたら寂しそうな様子だったChiChiの分も一緒に申し込んで
家族そろってのライブとなったというのは前のブログに書いた通り。

さて、ZeppOsakaBaysideではamazarashi初ライブ以来のスタンディング席。
初めて行った時はもちろん番号もずいぶん遅い番号だったんですけど、
(確か1000番台)
ソールドアウトしていないこともあって、後ろは余裕があったんですよね。
ちょっと見えにくいなと場所を移動できるくらいには。
それ以後はアポロージーズに入ったこともあって、
2次先行でもずっと座席指定がとれていたので、
スタンディングは経験していなかったのですが、
2階席から見ていて1階のフロアが回を追うごとにぎゅうぎゅう詰めになっていて、
メッセージボトルツアーでは「真ん中にお詰めください」と終始係りの人が叫ばなければならないほどでした。
やばい、あの混みようでは前のような気楽な感じではなく
きっと一回入ったら身動き取れないくらいぎゅうぎゅうなんだ・・・
とちょっとビビっていて・・・。
それほどぎゅうぎゅうではなかった「夕日信仰ヒガシズム」の時でも
足が痛くて痛くて辛かったのに、
果たして最後までちゃんと立ってられるかしらん・・・と超不安になりながら参戦しました。

行く前にググりにググって大型ライブハウス参加の豆知識を仕入れました。
とにかく靴は楽な靴で。
荷物はロッカーに入れておき、最低限の手荷物で。
バーが取れるならバーをとったほうが楽。
場所取り優先なので飲み物は後の方がいい。
と頭にたたき込んで行きました。
結果的には300番台後半だったこともあって、
センター左寄りの前過ぎず後ろ過ぎない場所のバーを確保でき、
入場のテンポが序盤はゆっくりだったこともあって、
次男に場所取りさせてドリンクも開演前にゲットできました。
バーがあると断然楽ですね。
入場から退場までほとんど3時間近く立ちっぱなしになるのですが、
それでも足の疲労は思ったほどではありませんでした。
ただ残念だったのは、最後の最後で、
「入りきらないので真ん中に詰めてください」という指示が入って
全体的に真ん中に移動したら、目の前がでっかい人になってしまったこと。
常に右半分のスクリーンが見えなかった・・・。
私もでっかいほうなんですけど、
それでも全然かなわないかなりでっかい人だった・・・orz
そうかスタンディングではこういうこともあるんだな・・・と一つ学習しました。
でも、それでもスタンディングは没入感がすごかった。
2階席は後ろにあるので、こんなに近くに寄れたのは初めて。
ステージに近いとライトがガンガンあたるんですね。
2階席の遠くから見ているとライティングはスクリーンを彩る額縁なんだけれど、
近づくとその光の中に入り込むので
歌の世界に入り込んだ感がものすごい。
思ったほどギュウギュウでもなく、自分の空間は確保されている感じ。
(最前列正面はわかんないけど)
少なくとも満員電車のようなことは無かったので、それもよかった。
でも席があるよりは他のお客さんに近いので、気配はより濃く感じられて
一体感もすごい。
みんなで拳をそろえて腕を振り上げるとか
決まったノリ方があって・・・というライブではないのですが
息をのんでいる気配とか、地味にリズム取ってる人がいたりだとか
拍手や歓声とか、そういうのをすぐそばに感じてよけい気分が盛り上がったりしたので
スタンディングもいいなあと思いました。
なんと言っても視界いっぱいのスクリーンは圧巻。

一方NHK大阪ホールでは全席指定席。
L席だったので端っこで、私の席からはスピーカーが邪魔をしてスクリーンの左がちょっと見えなかった。
つまりキーボードの鮎京くんがほとんど見えなかったんだけど、
やっぱり座って見られるといろいろ落ち着いて見られるので、
これはこれでいいなと思いました。
つまりamazarashiのライブは立って見ても座って見てもよいということやね。
私は年齢的、体力的に、できれば座って見たいとは思うのですが、
これからもスタンディングに必要以上にビビらずに参加しようと思いました。
それにしても客層は広がったなあ・・・。
BaysideでもNHK大阪ホールでも、小学生連れの親子がいてびっくりしました。
最初は高校生の長男を連れて行くと、あれ? この子が最年少か?
って感じだったのに。
もちろん、私と同世代も本当に少なくて、
物販や入場の列に並んでいるときはきょろきょろしながら
自分より年齢が上そうな人を探すのが恒例だったのに・・・。
次男と行くようになってからも、やっぱり当時中学生だった次男が最年少っぽくて、
でも見回すと大人しそうな中学生が親同伴で来てる・・・っていうのがちらほら見えて。
その時も、年齢層広がったなあ。
やっぱりアニメとのタイアップはすごいなあと思っていたのに、
小学生とは・・・。
「ヒロアカ」では「季節・・・」の時ほど広がらなかったかなって思ってたけど、
やっぱり「ヒロアカ」の力ってすごいですね。
小学生の目に生のamazarashiがどう映ったのかなあ。
小学生にamazarashiの世界観が理解できるのか? という気がしなくもないですが、
でも、音楽って結構背伸びして好きになるってとこあるじゃないですか。
今はなんかよく分からんけどかっこええ!って思ってくれて、
いつか大きくなったときに、あの曲ってこんなこと歌ってたんだなって思ってくれたらいいな。
そんでもって、秋田さんの歌に、ギターに憧れて
音楽を始めた・・・なんて子が出てきたら、
きっと秋田さん嬉しいだろうなあって思います。

今回のライブはアルバム「地方都市のメメント・モリ」を中心に構成されていました。
とにかく驚いたのが紗幕に映る映像が一新されていたこと。
「命にふさわしい」と「空に歌えば」はそのままだったけど、
定番曲で、定番の映像がついていた「スターライト」や「多数決」「ラブソング」(この曲は追加公演のみ)も
全く違う映像になってた!!
プロモーションビデオがそのまま流れたかに思えた「空に歌えば」も
青森でのライブ映像の部分がその会場の生映像が映るというサプライズ。
実はBaysideの時は今その会場が映っていることに気付いてなかったんだけど、
NHK大阪でははっきりそれが分かって感動しました。
「月曜日」と「フィロソフィー」はベースがMVなんだけど、
ライブ用に一部変更されていてこれもよかった。
でも、なんと言っても今回新たに作られた映像の文字表現の豊かさよ!
自由自在に文字が動き変化しつながって、
日本語の文字ってなんてきれいで、なんて豊かなんだろうとしみじみ思いました。
リリックスピーカーの制作者さんたちと知り合ってから、
特に文字表現に広がりがうまれましたよね。
そして、最近の紗幕映像は透過の効果がとても上手に使われている。
なにせ薄いとはいえ、スクリーンなものですから、
ベタっと映像を流すと、演奏者があんまり見えないんですよ。
内側でライトを当てるので見えると言えば見えるんですけど、
壁感が強いんですよね。
映像の後ろで演奏しているなあって感じ。
でも、最近の映像は透過の効果を巧くつかっているので、
隔たった感じがあんまりしない。
いやむしろ幕がはってあるということすらほとんど感じない。
ステージと観客席の間に言葉が、風景が浮かんでいる感じ。
だから映像と実際の演奏姿との一体感がものすごい(今で言うハンパない?)
映像をライブの効果に使うアーティストは多いけれど、
その多くは演奏している後ろで、もしくは横で映像を流しているから
あくまで映像は舞台装置であり演奏者の背景なんだけど、
amazarashiでは映像と演奏が融合する。
演奏者と観客の間(文字通りの空間的な間)でイメージを共有している感じ。
幕は隔てるためにあるんじゃなくて繋ぐためにあるんだな。
この不思議な感覚は体感しないとわからないと思うので、
興味がある方は是非一度体験してみてください。
ちょっと他では感じられない感覚です。
今回の映像は若手?の映像クリエーターさんが多く参加されていたみたいですね。
何人かの方がライブ終わりにツイートされていました。
何人かで作られていた割には、今までにないくらい統一感があって素敵でした。
でもそれぞれの映像ではっとさせられる面白い表現があって。
一人で考えていたら、あれほどの広がりはなかったかもしれない。
シンプルに線描きされた電柱と電線が映し出されたのはなんの曲だっけ?
どんどん後ろに流れていく電柱。つながる電線。
「未来づくり」だったっけかな・・・。
「リタ」(これは追加公演のみの演奏)にも一部入っていましたね。
あの映像がとても好きで・・・。
私は小さい頃車に乗ってどこかに行くの嫌いだったんですよね。
すぐに酔うから。
車に酔い始めると母の膝に頭を乗せて、早く目的地に着かないかなあって祈ってました。
その時に車の窓から見ていた景色があのスクリーンに映し出されたようで
ふっと感覚が時間をさかのぼったんです。
そのノスタルジックな思いが曲調と妙にマッチしていて、なんか泣けた。
「リタ」の決してかみ合うことのない二つの大きな歯車と
シンプルな時計の針の表現もよかったな。
「ワードプロセッサー」の文字がどんどんこちらに迫ってくるような表現もすごいなと思ったし、
「ムカデ」のムカデが文字でできて蠢いている感じもすごかった。
「ほら後一歩だ そうだ 夢がぶら下がる最果ての絞首台」というところで
丸いロープのように連なった文字がだんだん迫ってくる感じにぞわっとしたり。
「たられば」では秋田さんの自筆と思われる文字が使われていましたね。
秋田さんの文字使うパターンは時々あるんですけど(「風に流離い」とか)
なんかいいですよね、人間味と暖かみがあって。
タイポグラフィーでしっかりとデザインされた文字たちの中で
「生」の感じがすごくする。
「たられば」という曲によくあっている気がします。
秋田さんの文字は決して上手ではないけど、味があって好き。
秋田さんのアイデア帳(そんなのがあるかどうかは知らないけど)は
あの文字で埋まっているのかな。
今回のツアー何度も足を運ばれたファンの方の大長編のレポに、
途中まで誤字があったと指摘されていました。
(途中から訂正されたとか)
たぶん1回目のZeppOsakaBaysideの時は誤字の状態で見たんだろうけど、
全然気付かなかった・・・。
よく見ているなあ・・・と感心しきり。
かと思えば映像だけでなく演奏の様子もしっかり見られているし。
私は気が付くとどっちかに偏ってしまって
(たぶんどちらかというと映像に引っ張られることが多いかな)
せっかくライブに行っているのに、後から感想聞いたり読んだりして
「ええーーーっ! あの時そんなことがーーーっ!」
って驚くことばっかりなので、なんか悔しい。
最近はレポ書こうにも覚えていられないし・・・残念。
今もいろんな人の感想を読みつつ、セトリ見返しつつ、
なんとか覚えていることを書いているのですが・・・。

閑話休題

「たられば」は絵本のようなアニメーションがとてもかわいいMVだったので
これがそのまま流れるかなあと思っていたのですが、
新しい映像を作ってきましたね。
そして私の頭の中では勝手に「バケモノ」は
「たられば」のMVのイメージで再生されていたされていたのですが
(絵本作って欲しいなあとずっと思っていた)
ライブの映像は全く違いました。
「空っぽの空につぶされる」から始まるコンテンポナリーダンスの系統ですね。
そして踊り手をモーションキャプチャーでとらえて絵にしてしまうのは
「虚無病」の手法かな。
「虚無病」ライブの時は色味こそ少なかったけれど
それぞれのキャラクターは描き分けられていたのに、
「バケモノ」ではべたっとした白塗りで、より抽象度が増していました。
amazarashiのコンテンンポラリーダンス系の映像では、
一番完成度が高い気がする。
そして、この映像作品がダンスが一番曲との親和度が高い気がする。

今回は文字表現以外ではシンプルな線描の絵が多かった気がします。
抽象的なその表現は、自在に動き変化する文字とも親和度が高くて、
軽やかに曲の世界を表現していました。
がっつり映像が流れるのは「バケモノ」のコンテンポナリーダンス以外だと
「空に歌えば」のMV、それから「月曜日」のMVかな。
「月曜日」のMVは映像的・・・というよりは、
マンガのコマを大スクリーンで映す感じで、
これはまた普通の映像と違った感じで面白かった。
マンガのコマをあんなにでっかくばーんと見ることって少ないですもんね。
「フィロソフィー」もほぼMVだったんだけど、
走る女の子がカットされて、簡略化して描かれたスマホの画面と秋田さんのシルエットが強調されて
よりライブ向けになっていた気がします。
こうしたパターン以外では、風景がスライドショーのように映し出されるのもいくつかあって、
それも青森と思しき景色がいっぱい使われていて、よかった。
とくに「この町で生きてる」では青森の郊外の景色とともに
秋田少年と思しき男の子の後ろ姿が・・・。
秋田さんが当たり前のように見てきた景色なのかなあと思いながら聞く
「この町で生きてる」はまた格別でした。
いかにも青森という景色ではなく、どこにでもありそうな地方都市の
(それもかなり自然が豊かな地方都市の)風景。
私が生まれ育った町でも同じような景色あるなあ・・・って思いながら、
歌を聴いていました。
私はこの曲を聞いた時はもっと都会をイメージしていたんですよね。
でも、そうか、もっと地方の町で生きていくことを決心した歌だったんだ。
まさに「地方都市のメメント・モリ」というツアーにふさわしい曲だなあ。

今回のライブはそのツアータイトルの通り、
「地位方都市のメメント・モリ」のアルバムからの曲を中心に構成しているんだけど
間、間に挟み込まれる過去の曲が意外なものが多くて、
特に前半に歌われた「この街で生きている」「未来づくり」「ムカデ」「冬が来る前に」は
まさかこのツアーで聞けるとは思っていなかった曲たち。
Twitterでライブに参加した人たちが今まで以上にセトリに触れる感想を控えていたのは
こうした曲たちをあのセトリの流れの中で聴けた衝撃を
少しでも多くの人に体験して欲しかったからだと思います。
「地方都市」というキーワードを念頭に考えてみれば、
「この街で生きてる」はまさにそのままテーマに当てはまるし、
「冬が来る前に」も三保野公園という青森の地名がでてくるから
やはり青森という土地にちなんだポエトリーなんだな。
「三保野公園で草滑りしよう」の時に映った公園、
あれが三保野公園なのかな。
壁やガードレールに落書きされた歌詞たちの画像。
春から初夏にかけて行われたツアーで、
どうして「冬を待っている」なんだろうという気はしましたが、
地方で、これから来るべき衰退や荒廃の季節を、
覚悟を決めながらただ待つことしかできないことを表しているとすれば、
やっぱりこのポエトリーも「地方都市のメメント・モリ」というタイトルのツアーにふさわしい曲だったのだなと思います。

「ムカデ」は「地方都市」というキーワードと言うより「バケモノ」とのつながりですね。
amazarashiのライブは1曲終わると次の曲までの空白の時間が結構あるんだけど、
この2曲は完全につなげられて演奏されていました。
「地方都市のメメント・モリ」のアルバムの中では比較的物語性が強くて
歌詞全体が一つの流れを持っているので意味がとりやすい曲なんですよね「バケモノ」って。
世の中となんとか折り合いをつけて生きていくために嘘を食べるバケモノと共存して生きているという歌。
でも本音を叫んだらバケモノは消えてしまう。
自分にはまだまだ嘘が残っているのに。
とめどなく嘘を抱える僕と嘘を食らって肥大化するバケモノは表裏一体の存在だと歌うこの曲。
「ムカデ」は嘘をため込んで肥大化してしまった側から歌ったうたなのではないか。
もしくは、「バケモノ」に嘘を渡すことができず全て抱え込んでしまった僕。
作られた時期も曲調も全く違う二つの曲が、表裏の関係にあることに気付かせてくれた。
曲順の妙ですね。

そういう意味では「未来づくり」はちょっと異色で。
「メッセージボトル」の時は、ラストに会場に流す音源として使われた曲で、
この曲を生で聴けるとは夢にも思っていなかったので、それはそれはうれしかったんですが、
「地方」色、薄いですよね・・・。
いろいろ考えてはみたんです。
前曲「月曜日」からのつながりで、
「月曜日」が中学生の恋の始まりのような淡い気持ちを歌った曲なので、
その未来の話というか、結実の一つの形としてこの曲が入ったのか・・・とか、
きっとこの曲は秋田さんが青森に帰ってからの気持ちを歌った曲で、
青森で秋田さんはこの曲のような、一緒に歩いていく人と出会ったので
秋田さんにとっては地方(地元)の曲の意識が強いのかな・・・とか。
でもまあ、古い曲の選曲については秋田さんが秋田日記で答えを開かしてくれました。
このツアーで秋田さんは苦手な曲に挑戦してみようという思いがあったそうです。
・・・なんだ、聞いてみればあっけない気もしますが、
それでもやはりこの曲が選ばれたことと、この曲順にはなんらかの意味があるはずで・・・。
セトリ全体の流れとしては、比較的明るめの曲調で思春期の初々しい悩みを歌った「月曜日」に続いて
この優しいラブソングである「未来づくり」が来るのは、
緊張感のある歌が多いamazarashiのライブの中で
ちょっとした箸休め的な感じなのかなあという気はします。
緩急の「緩」の部分ですよね。
ただこの曲、追加公演では「リタ」に差し替えられてしまいます。
「リタ」はツアーでアルバムの中で唯一生演奏されなかった曲。
ラストに音源で会場に流れるんですけどね。
アルバムの中でも好きな曲だったので、生で聴けなかったのは残念だったんですが
追加公演で聴けてラッキーでした。
その分「未来づくり」が音源になっちゃったけど。
ただ、幸せ色が強い「未来づくり」から、
はっきりしたラブソングとはいえ別れの曲である「リタ」への変更は
セトリの印象を大きく変えた感じはします。
全体的に哀切なトーンで統一されたような・・・。
ただ、ラストの音源も含めた流れで考えると、
別れの切なさを歌った曲で終えるよりも、
あなたと出会ったここが一つの到達点で出発点として終わる方が
ツアーのラストを飾るという意味では似合っていた気もします。
なんにしろここでラブソングは2曲もいらなかったということなのでしょう。

追加公演でラブソング2曲は入れられなかったのですが、
「ラブソング」という曲が追加されました。
これは何かの曲と差し替えというわけではなく、単純に追加。
この曲は「ラブソング」というタイトルの割にはいわゆるラブソングではなく、
社会風刺色の強い曲。
「地方都市」というキーワードにも引っかからないし、
もちろんツアータイトルのアルバム曲でもない。
今回比較的ミディアムテンポの多いアルバム、ツアーなので、
後半に向けて向けて盛り上げようとしたのかな。
ライブで歌われることの多い定番曲だし、盛り上がるし。
歌われている内容から考えると、
1番のAメロ部分で歌われているの中東と思しき国。
地方という存在を世界単位で考えてみれば、
中東もまた一つの地方と言えるかもしれない。
今現在もそこで争いが起こっていて、いくつもの命が理不尽に失われていても
先進国に生きるものたちはその現実を見ようとしない。
「死を思え」という意味を持つ「メメント・モリ」という言葉は
このディストピアのような世界にこそふさわしいということなのかな。

続いてアップテンポで疾走感のある曲「空に歌えば」
このツアーでは始める前に豊川さんが体調不良で参加できないことが発表されていたので
コーラス部分は打ち込み。
それは残念だったのだけれど、鮎京くんがサポートメンバーとしてがんばってくれました。
豊川さんの代役は精神的にも大変だったと思います。
amazarzshiとして男5人がずらっと横に並んで演奏しているシーンは
ある意味貴重で壮観でした。
そして、とてもかっこよかった!!
サポートメンバーのみなさんが仲良さそうで、
真さん中心に積極的にツイッターで情報発信してくれて楽しかったです。
ヒロアカから入った人はなじみ深い曲で嬉しかったのではないかな。

「水槽」は水の泡が印象的な映像。
「だれかエアーポンプを止めてくれないか」
からの爆発的な演奏の盛り上がりがすごい。
家で聞いているときには静かなポエトリーという印象しかなかったのが、
一転、こんな激しい曲だったなんて。
ライブで生で聞いて印象が変わる曲でした。

そしてその激しさを受けての「ぼくら対世界」
この曲と「水槽」そして「悲しみ一つも残さないで」は
「理論武装解除」のDVDの特典映像として納められています。
Aimerさんとのアジアツアーの際の映像。
紗幕の映像としては一緒なので、
この3曲だけでも家で見られてよかったなあとつくづく思います。
ライブの感動を思い出すことができる!!
何かを成し遂げた栄光のその後を生きることを哀切に歌い上げたこの曲。
「過去 未来」と「ぼくら 対 世界」
二項対立がひたすら繰り返されるラスト。
秋田さんの振り絞るような歌い声が胸に刺さります。

そのまま二項対立つながりで「多数決」
最初聞いたときは、ライブも後半になって、
盛り上げるためのアップテンポの曲として選ばれたのかなと思っていたのですが、
よくよく歌詞を聴いたら、これも地方都市の曲なんですよね。
「都会は田舎をゴミ捨て場だと思ってる」はまさに地方の思いだし
「この町は忘れさられた」もそう。
地方から世界を描き直すのを虎視眈々と狙っている歌。
そうか、この曲もまた地方の歌だったんだと気づかされた曲でした。

そして、最近の定番とも言える「命にふさわしい」
最後の「こころを~なくすのに値したその喪失は~」の部分の
演奏の盛り上がりが大好き。
何回聞いてもぞくぞくする。
生で聞けばなおさら。
この曲最近では「季節はつぎつぎ死んでいく」に変わる定番曲になったなあ
と思ったのですがリリースは去年なんですね。
なんかもっと昔からある曲な気がする・・・。
それだけこの曲がamazarashiの一面を象徴しているっていうことなんでしょうね。

ここで後2曲と告げられて、ZeppOsakaBaysideでは「えー」と歓声があがったんですよね。
普通の(他の人の)ライブでは当たり前の反応なんだけど、
amazarashiのライブでは珍しい。
なにせ観客からのかけ声もあまりないので。
でも大阪は比較的そういうの出やすい土地柄なので、
このフランクさがとても大阪らしいと思いました。
「えー」という声にも負けずに自分のペースでMCを続ける秋田さん・・・。
それも、好き。

最後の2曲に選ばれた「悲しみ一つも残さないで」
このアルバムを買って初めて車でかけた時に、
ChiChiが「応援歌か?」って言ったんです。
それまで歌詞のフレーズばかりを気にしていて、
この曲を応援歌だっていうようにはあまり思っていなかったんですけど、
確かにリズムを一つ一つ踏みしめるように歌う感じは応援歌だなあ。
この土地を去っていく者たちへの優しいエール。
この映像がまたすてきなんです。
点が線の上をゆっくり辿っていくんですけど、
それがなんか線路を進む汽車のようだな・・・
なにがっていうわけじゃないけど、どこか列車みを感じさせるなあって思っていたら
次の曲が「スターライト」
列車でつながった!! と、自分で勝手に盛り上がっていました。
「千分の一夜」公演以来ライブのラストの定番となったこの曲。
amazarashiの曲の中では圧倒的にテンポがよくて、そして明るい曲。
それぞれの公演で、ツアーで、様々な意味を持たせられてきたこの曲。
「千分の一夜」ではこの曲の下敷きとなった「銀河鉄道の夜」の色が強かったし、
「虚無病」公演では、友との新たな旅立ちという意味合いを強調されていました。
「地方都市のメメント・モリ」ツアーでは、この部分じゃないかなと思うんです。

     屑みたいな ゴミみたいな 小さな僕だって光るから
     見つけて欲しいんだよ この声を 今すぐ空に投げるよ

故郷から旅立っていく人たちを「悲しみ一つも残さないで」で見送ったamazarashiが
その人たちに向けて投げかけた歌。

いつもなら最後の曲終わりに、せいぜい
「ありがとうっ」
っていうか言わないかで、すっと終わるのに、
このツアーでは歌終わりの最後の演奏の中で次のようなMCが入りました。
あんまり素敵だったので、ここに引用。
といっても、私は2回聞いたぐらいでこの量の言葉覚えるなんて絶対無理なので、
ファンの方のブログから引用させていただきます。
「Maria」さんという方の「未来づくり」というブログで、
長大で愛情のこもったライブレポが読めます。
ライブの映像、演奏両面からの充実した考察と、
各地でのMCの比較など、盛りだくさんで、
読んでいるだけでライブ見た気分になれます。
記憶の整理にも最適。
URLはこちら

ではここから引用。

後ろ向き 逃げたがり 死にたがり
不安抱えて不満抱えて
やむにやまれず逃げ込んだこの夜の向こうに答えはあるのか
限られた時間の中、この旅路は距離にして
11000km 時間にしたら11年分
費やした言葉は11109文字
死にたい夜を越えて今ここに立っています
日々は続く
人生は続く
このライブが終わればわいもあなたもまた日々の暮らしの中へと戻ります
その日常の濁流に埋没しそうになった時
今日の言葉たちが輝きをもって何かしらのひらめきになってくれたら
これ以上の幸いはありません
またこの街で、もしくはこの世界のどこかで必ず生きて会いましょう
言いたいことはこれで全部
amazarashiのライブは終了です
だけど最後に一つだけ・・・
ありがとうございました!!!



ここのところただでさえ会社で憂鬱なことが多くて、
やめてやる! 絶対やめてやる!
と呪文のように口の中で唱えながらなんとか日々を乗り切っていて、
特に大阪追加公演までは・・・と思ってがんばっていた所だったので
このMCに泣きました。
「日々は続く
 人生は続く」
で現実にどっと押し戻されて
でも、
「このライブが終わればわいもあなたもまた日々のくらしの中に戻ります」
と、自分もその中に入れているのが秋田さんなんだよなあ。
決して上から目線でメッセージソングを歌うんじゃない。
自分もまた日々の生活の中でもがきながら生きているっていう立ち位置から歌っているからこそ
こんなにも心に染みるんだよな。
そして、そんな秋田さんの
「日常の濁流に埋没しそうになった時
 今日の言葉たちが輝きをもって何かしらのひらめきになってくれたら」
という思いは
「スターライト」の前述の歌詞の言い換えなんだろうと思う。
今までは銀河鉄道のイメージで作られた映像が多かった(除く「虚無病」)のですが
今回はスクリーンの中央、
つまり秋田さんの頭上に輝く一点の光と歌詞のタイポグラフィーが印象的な新しい映像に変わっていました。
まるで、私たちが目指している、もしくは目指したい場所を指し示すような光。
秋田さんが渾身の力を振り絞って紡いだ言葉たちの放つ力の象徴としての、光。

思えば冒頭の「ワードプロセッサー」もここにつながっていたのだな。
アルバムを聞いていたときには
 「骨をうずめるなら故郷に
  でも僕の言葉の死に場所ならここだ」
の「ここ」の意味が取りづらかったんですよね。
なんとなくそのまま青森と理解して流していたんですけど、
「でも」という逆説の接続詞がある以上、「故郷」と「ここ」は完全なイコールではないわけで。
だからなんかいびつな表現だな・・・と気になっていたんだけれど
ライブですごくしっくり来ました。
「ここ」はきっと言葉が届いた場所。
たとえばライブ会場だったり、歌を聴いた人の心だったり。
そこで言葉は一旦死んでも、「十年後、百年後 何かしら芽吹く種子」になる。
この死生観は「花は誰かの死体に咲く」と一緒ですね。
「地方都市のメメント・モリ」ツアーは、その種子を撒く旅路。

より歌詞の存在がクローズアップされるように作られた映像、
いつも以上に練られ、量も増やされたMC、
そして秋田さんの渾身の歌声によって命が吹き込まれた歌詞たち。
ツアー開始前、秋田さんが日記で「今回のテーマは言葉です」と書いていたとおり
言葉がどっしりと伝わったライブでした。
毎回ライブに参加する度に、このライブは最高だ。
もうこれ以上のセトリ、これ以上のライブはないんじゃないか・・・
って思うくらい感動するのですが、
今回もやっぱり最高のライブだと噛み締めながら家路につきました。
本当に素晴らしかった。


そしてツアー中に決定した武道館公演。
ついに、ついに、武道館・・・。
私のような新参のファンでも感慨もひとしお。
私は行けないのですが、長男は早々にチケットと宿を確保しました。
独身貴族め!!
1万人のamazarashiファンが一同に会するって壮観だろうなあ・・・。
ゆっくりと、でもしっかりとした足取りでここまで来たんですもんね。
武道館でどんなステージを作り上げるのか、楽しみで仕方ない。
幕張の時のようにライブビューイングしてくれないかなあ・・・。


posted by HaHa at 03:32Comment(0)音楽